| 中田 英昭 |
東京大学 海洋研究所
日本の沿岸海洋環境は、高い生物生産力を有し、それは沿岸漁業に大きく貢献している。しかし、この沿岸の生産生産力と沿岸漁業が沿岸海洋環境の大きな変化によって脅威にさらされており、沿岸海洋環境の管理に生態系という視点からのアプローチを取る必要性が次第に高まっている。 産業発展と都市化による汚染は、沿岸環境が悪化した一番の原因である。海洋の直接の汚染以外にも、赤潮や海底付近の貧酸素化、あるいは石油汚染も影響を及ぼしている。さらに、浚渫や埋め立て、海洋施設の建設といった土木事業も問題となっている。水産業にとって特に懸念されるのは、沿岸の成育場の破壊である。商業価値の高い魚類のほとんどは、その幼稚仔期を干潟や藻場といった成育場で過ごす。
人口の爆発的増加といった地球規模の問題という背景のもとで、再生可能な海洋生物資源の賢明な利用は、持続可能な成長という目標にとって欠かせないものになっている。持続可能な成長には、生産効率という短期的目標と、生態系の保全という長期的目標のバランスを取ることが求められる。本論文の目的は、日本の沿岸海域における環境問題の現状について、特に漁業との関連において簡潔に述べ、生態系の視点からこうした問題の緩和と環境管理について議論することである。
| 1. | はじめに |
| 2. | 日本の沿岸海域における環境問題 |
| 2-1 過栄養化と底層の貧酸素化 | |
| 2-2 干潟と藻場の消失 | |
| 2-3 磯焼け | |
| 2-4 有害科学物質による汚染 | |
| 3. | 将来の方向性と課題 |
| 4. | 海洋環境の保全と再生に向けて |
日本の沿岸海域は、非常に多様な生態系と高い生物生産力を特徴としている。この高生産力は、沿岸漁業に貢献している。しかし、この生物生産力と漁獲高はこの数十年減少傾向にある。こうした減少の主要な原因は産業化と都市化に起因するものであり、また漁業の操業にも一部関連している。
伝統的な沿岸漁業は、沿岸海域の健全な生産性を維持する責務を部分的ではあるが負っている。その意味では、あとに触れるが、持続可能な沿岸漁業の発展は日本の海洋環境の保全と適切な管理において重要な役割を果たす。しかし、現代の沿岸漁業は乱獲や混獲によって沿岸の生息環境や生態系に損害を与えている。(Nakata,1995)さらに、残餌や養殖場から出る糞等の過剰な有機物によって閉鎖的な湾の水質や底質を悪化させている。
しかし、日本の沿岸水域にとってもっとも深刻な脅威は漁業ではない。産業化と都市化がもっとも深刻な脅威である。戦後の高度な産業発展と都市化の拡大は、赤潮、海底部の酸素欠乏、それに石油による汚染といった二次的な影響とあいまって日本の沿岸環境を著しく損なってきた(表1)。さらに、浚渫(しゅんせつ)や埋め立て、海洋施設の建設等の土木事業によって海洋の生物の生育環境や生息環境が失われている。1988年から1992年に環境庁自然保護局が実施した第4次自然環境保全基礎調査によれば、1978年から1992年までの間に合計4000haの干潟が失われたが、これは現在ある干潟の約8パーセントに相当する。別の調査では、1945年時点で存在した干潟のうちの約40パーセントが1988年までに消失したという結果が出ている(Kikuchi,1993)。もっとも商業的価値のある魚類は干潟や藻場で幼稚仔期を過ごすわけで、沿岸漁業産業が生き残るためにも、こうした場所を保護することが不可欠となる。
| Year | 1980 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Total | 211 | 125 | 140 | 134 | 118 | 117 | 90 | 104 |
| Red tide | 42 | 36 | 47 | 40 | 22 | 42 | 30 | 37 |
| Oil | 137 | 66 | 59 | 66 | 71 | 48 | 43 | 52 |
| Others | 32 | 23 | 34 | 28 | 25 | 27 | 17 | 15 |
Source: Japan Fisheries Agency
日本では、1970年代より取り締まりが強化されたために海洋環境における幾つかの汚染物質の濃度は改善された。しかしその他の汚染源、重金属や有機汚染物質(PCBs, PAHs、TBTsなど)については、拡大したり悪化している。一般的に言って、規制の強化によって日本やその他の先進国では有害化学物質の汚染状況は改善されてきているが、途上国では状況が異なり、急速な経済成長や産業の発展によって有害化学物質による汚染が深刻化している(Tanabe,1995)。
こうした問題に加え、日本の北部の浅海域では近年いわゆる「磯焼け(あるいは海の砂漠化)」と呼ばれる現象に悩まされている。磯焼けは、Eisenia bicyclis などの藻類が、大量の石灰藻に取って代わられるために起こるもので、それによって生産力や生物多様性が急速に失われる(Taniguchi,1991)。磯焼けが発生する正確な原因は特定されていないが、磯焼けに侵された地域において元来のE.bicyclis の海中林を再生するための手法を早急に開発することが求められている。
グローバルな観点では、人間社会の将来の発展にとって、再生可能な海洋生物資源の持続可能な利用が非常に重要である。一般に経済開発は短期的な利益の最大化を志向するのに対し、生態系の保全は、長期的な損失を最小化することを志向している。持続可能な開発は、経済目的と生態系保全のバランスを取ることを目指している。これは、大気や陸上、水資源と同様、沿岸海域の持続可能な開発にもいえることである。最善の開発戦略は、生産効率の上昇という短期的な目標と、生態系の質を取り戻し、維持するという長期的な目標の両者から構成される。しかし、これを実践することは容易なことではない。
日本では、たとえば、海洋の環境が生態的に適切に機能することを促進することによって持続可能な発展を追求することに次第に関心が高まっている。最近、漁業に関連した沿岸の生息環境の再生を目的としたパイロット・プロジェクトが開始された(Nakamura,1991,Itosu,1993)。しかし、こうしたプロジェクトのほとんどは生態学に基づいたものではなく、生産力の向上を工学的な手法を用いたて解決しようとするものが中心である。本稿は、日本の沿岸海域における現在の環境問題について、水産業との関連を中心に述べ、こうした問題の緩和と環境の管理について生態系の視点から議論することを目的としている。
沿岸生物資源の環境収容力を左右する要素の中で溶存酸素の濃度は最も重要である(Nakata,1991)。日本のいくつかの過栄養化した湾では、底層近くの溶存酸素が激減したことによって湾の底生生物に重大な影響が出ている(図1)。陸からの栄養の供給が少ない場合、富栄養化は漁業生産を上昇させる。そして魚を捕獲することで湾内から有機物を取り除くことができる。しかし、栄養の供給が限度を超えた場合、負のフィードバック・プロセスが発生する。富栄養化は、植物プランクトンの急速な成長(赤潮の発生など)をもたらす。それによって底層水における有機物が増加する。有機物の増加によって底層水の酸素量が減少する。更にこれが底層からの栄養再生産によって富栄養化を加速する。溶存酸素の減少は漁業資源の生息環境にダメージを与え、有機物が取り除かれるのを妨げる。
図2は、非常に都市化の進んだ地域の代表的な湾である、大阪湾の1955年から1982年までの陸からの栄養負荷の変化を示したものである。1970年代はじめまでは、窒素とリン酸塩の両方の大阪湾への供給量は急速に増加している。1970年代はじめにリン酸塩は減少に転じたが、窒素については上昇傾向を保ったままであった。この窒素とリン酸塩の流入量の変化によって、窒素とリン酸塩の割合が変化し、湾内の生物生産に変化を来たすという問題が発生する恐れが生じている。一般に、栄養の供給の増加に伴い、湾内の一次的生産は増加する。そして、プランクトンなどを食べる浮魚の生産は増加する一方、海底やその近くに住む底生魚介類の生産は溶存酸素の減少によって低下しはじめる(Kurimoto and Kuramoto,1992)。大阪湾の底魚類や甲殻類について見ると(図3を参照)、栄養供給の増加(図3の場合、燐の供給)に対して、種によって異なる対応を見せている(Joh,1991)。シャコとヒラメ・カレイ類の漁獲は、1日14トンを越えるリンの負荷に比例して減少し、一方タコ、エビ・カニはリンの負荷量が少ない状態(1日5トン以下)で減少をはじめる。このような量的変化の正確なメカニズムは明らかになっていないが、商業的にもっとも価値のある底生種は富栄養化の進行に応じて減少し、商業的にはそれほど価値のない小さな遊泳魚に取って代わられることに注目すべきである。
事実、大阪湾を含む瀬戸内海では、1963年から75年の富栄養化の第一期から第二期にかけてタイやクルマエビ、タコなどの高価な底生種の漁獲高が減少傾向を示す一方、イワシ、カタクチイワシ、イカナゴといった低価格のプランクトンを食用とする表中層遊泳魚は同時期に急速に増加した(Tatara,1981)。富栄養化と高価な魚を捕獲しようとする漁業努力の双方が組み合わさった効果も見る必要があるが、以上のような傾向は富栄養化の影響による漁獲構成の変化を示しているといえよう。
生物学的な変化の別の例を示す。東京湾のもっとも奥部では夏の間海底の溶存酸素が減少している期間にほとんどの大型底生種が消滅し、生物の存在しない所が夏の終わりに出現した。Furota(1991)は、こうした生物の死滅した、あるいはほとんど死滅した状態(5種以下の生物しか見られず、大型底生種の生物量が湿重量で1平方メートルあたり1g以下)は、海底において溶存酸素濃度が1リットルあたり2mg以下であることを指摘している。このことは、1リットルあたり2mgの溶存酸素が東京湾のもっとも奥部における大型底生種の生存のリミットであることを示唆している。1970年代から排水を規制する法律を厳格に施行してきた結果、東京湾の水質は次第に向上し、商業的に価値の高い種も含めた動物相は溶存酸素のレベルの上昇に応じて次第に改善されてきている(Shimizu,1988)。しかしながら、必要な溶存酸素収支に関する数値モデルの概算によれば、東京湾において年間を通じて溶存酸素濃度が1リットルあたり2mg以上を維持するのに現在の栄養物の流入をほぼ50%削減させなければならない(Kuramoto and Nakata, 1991)。
絶滅の瀬戸際まで追い込まれていた動物が回復を見せた例として、瀬戸内海の西の入り口近くに位置する洞海湾がある(Yamada et al., 1991)。この湾は今世紀前半、産業、化学排水による深刻な水質汚濁に悩まされていた。しかし、1970年代の「水質保全に係る法律」施行後、水質は改善され、動物も戻ってきた。中止されていたクルマエビ漁も1983年には再開された。
日本の沿岸部における環境破壊のもっとも深刻な結果のひとつに、干潟と藻場の消失がある。干潟と藻場は、プランクトンと底生の両生態系が交わる、生物多様性の高い場所である。干拓プロジェクトや浚渫などの沿岸の土木工事が消失の主な原因である。
干潟と藻場の消失は、生物多様性と生物生産性に直接影響を与えるほかに、栄養物質や有機物を取り除く働きをしてきたこうした場所が消失することによって富栄養化問題を悪化させる。Horie(1991)は、水質や底質は、底生動物の生息環境(つまり干潟や藻場)を再生することによって改善することができる、と提唱している。
図4は1950年から1988年にかけての東京湾の海岸線の変化の様子を示したものである(Ishikawa et al., 1991)。第二次世界大戦後、80%以上の海岸線が産業開発などによって埋め立てられており、残りも開発の脅威にさらされている。Furota(1991)は、第二次大戦後の埋め立てが、潮間帯に住む底生種の生息環境への重大なダメージに加え、大型底生種の生物量を約91,000トンも失わせる結果になったと見積もっている。似たような例として、2.8%しか自然の海岸線が残っていない大阪湾でも、貝類の水揚げの深刻な減少が見られる(Joh, 1991)。
干潟の減少と並行して、アマモ(Zostera marina)場のような海草場もまた急激に消滅している。南西海区水産研究所(旧内海区水産研究所)によると、瀬戸内海では、元々あったアマモ床のうち約53%が1965年までに失われた。さらに、残りのうちの約半分が1965年から1971年の間に失われ、アマモ場は、水深10メートル以浅の浅海部全体の2.1%を占めるに過ぎなくなった。Azuma(1981)は、アマモ場が顕著に見られる地域では埋め立てなどが行われると動物群集の単純化が急速に進む、と20年以上も前から警告している。彼はまた、アマモ場の深刻な衰退は、生活史をアマモ場に依存する小エビやカニ類、タイ類、その他の漁獲の減少を伴う、と指摘している。
日本北部沿岸の岩礁地域では、ここ数十年磯焼けの被害に悩まされている。磯焼けは、日本北部の太平洋岸にそって海中林を作るもっとも典型的なEisenia bicyclis といった亜沿岸帯の褐藻類(brown algae)が、生産性の低いcrustose coralline 紅藻類に取って代わられることによって発生する。E.Bicyclis の海中林は多様な動物群集で知られている。こうした海中林は、ウニやアワビをはじめ、その他の商業的価値の高い生物の成育場として餌料を提供している。
磯焼け現象が発生する原因はまだよく知られていない。一つの仮説は、ウニによって食い荒らされた、というものである。他には、他の藻類とのスペースをめぐる競争、温度変化といったような生理状態に影響を与える海況的変化、水質汚染などが考えられている。1997年に日本の水産庁は磯焼け現象とその生物学的、生態学的原因を探るプロジェクトをスタートさせた。原因の究明とは別に、生物資源の成育場として機能させるために、磯焼けによって荒廃した海中林を急いで復元する必要がある(Taniguchi, 1990;1991)。
重金属: 水銀やカドミウム、鉛などの沿岸海域への流入は1900年頃から始まっている。戦前は緩やかな増加にとどまっていたが、戦後の経済復興、経済成長期には急速な増加を見せ、1970年代に入ると減少に転じた。図5は縦軸に東京湾の堆積物における様々な重金属の鉛直分布を示している(Matsumoto, 1983)。重金属汚染は、陸からの流入に対応するように、1970年頃ピークを迎えた。最近はこの状況も改善してきている。しかしながらこうした成分の濃度レベルは深部の堆積物のバックグラウンド値を上回っている。
油: 1975年以前と比べ、大規模な油の流出はわずか数件にとどまっている。これは、法的規制の実施による結果と考えられる。図6は、海上保安庁の監視施設によって発見されたタール・ボールの総重量の変化を年毎に示したものである(Seko,1994)。タール・ボールの重量は1980年代はじめに大きく減少したことがわかる。同様の傾向は、海上を漂流しているタール・ボールの量にも見ることができる。こうした傾向は見られるものの、1997年1月のロシアのタンカー、ナホトカ号からの油流出事故は、油の流出に対する体系的な対応戦略が欠けていることを露呈させた。油の流出による環境破壊を防止するために、予測、対策検討のモデルを開発する必要がある。
外洋の油分についても船舶の自発的協力により海上保安庁で監視している。図7は、1975年から1988年の間に発見された海面の油分の分布を示している(Seko, 1994)。この図は、国際的な継続的監視と予防策が必要であることを示唆している。
有機塩素系化合物等による汚染: PCBやDDT、それにHCHなどといった有機塩素系化合物は、非常に毒性が高く、海洋食物連鎖における高い栄養レベルにおいて生体蓄積がなされる傾向が強い。そのため、こうした物質の海洋生態系における分布と影響は近年大きな関心を集めている。海洋環境に関して言えば、(陸上で使用されていた)こうした物質が海へ流れ込み堆積物となって、あるいは沿岸海域に住む生物に取り込まれて蓄積される(Tanabe and Tatsukawa, 1981)。これらの物質の生産が禁止されてからもPCBなどの海洋環境における蓄積は非常にゆっくりとした速度でしか減少しない。
外洋においては、有機塩素系の汚染は1980年代はじめまで北半球の中緯度地帯で著しく見られた。しかし、最近の報告では、熱帯、亜熱帯地方でより深刻になってきていると指摘されている(Tanabe, 1995)。この事態を改善するには、途上国との国際協力が求められる。
有機塩素系物質の汚染に加え、最近深刻になっているのが、TBTs、PAHs、ダイオキシンといったその他の有害化学物質の問題である。環境庁は1980年代から、とくに「ホルモン撹乱物質」とされるTBTsとダイオキシンについて継続的な監視を行っている。予備調査結果は、これらの有害化学物質の汚染が地域的拡大しつつあることを示している(Tanabe, 1995)。
プラスティック性廃棄物: 水産庁が最近行った調査によると、北太平洋の漂流物の約60%がプラスティック性廃棄物であることが明らかになった。東京湾では、プラスティックが底網によって集められる漂流物全体の80%以上を占めている。こうしたプラスティック性廃棄物は、おもに、様々な日常家庭用品、漁業用のロープや釣り糸である。こうした廃棄物は、飲み込まれたり、絡み付いたりして海洋生物を傷つけるといわれている。
人口の急速な増加を考えると、持続可能なやり方で地球の食糧生産を増進することは緊急性を持っている。陸上の生産拡大に限界があることから、将来の食糧供給源として海洋、とりわけ沿岸海域に着目する人は多い。
この論文のデータに示されるように、現在の状況を見る限り、日本の沿岸海域が将来そうした供給源となる可能性に関して楽観的な見方はできない。ほとんどの地域では水質の悪化に悩まされ、沿岸水産資源の成育場が急速に失われている。過去に人間が生態環境にかかるコストを考慮することなく沿岸資源を乱開発してきたことがこうした変化の原因となっている。1960年代から1970年代の高度経済成長期、日本の、特に都市化した地域の沿岸環境は深刻なダメージを受けた。言い換えれば、経済成長は沿岸海域の生態環境の荒廃という犠牲を払って達成されたのである。しかし、時代は変わって最近では沿岸海域における生態環境改善のための試みがなされるようになってきた。そうした試みには、人工的な生息環境の造成や海中植林、湧昇(upwelling)促進化などが含まれる(Nakata, 1995)。その他、深海のきれいな栄養に富んだ水を汲み上げる技術の開発も試みられている。養殖のために深海の水を利用する試験的な施設が、日本の太平洋南岸の高知で稼働中である。生態系の改善策、人工生態系の創設のインパクトに関する知識はいまのところ非常に断片的に過ぎない。生息環境技術(habitat technology)を進化させるためには質の高い現場データを集めるための努力を更に続ける必要がある。
生息環境技術に関連する様々な課題の中でも、優先度の高いものは干潟や藻場などの沿岸の成育環境の復元と創造であろう。これら分野は、水産資源の再生産能力に非常に重要な役割を果たすものである。この観点から、人工の生息環境をデザインする前に自然のシステムの生態環境的な特徴を調査することが肝要である。事実、干潟の栄養(この場合、窒素)蓄積に関する調査では、干潟の生態系の生態環境的な機能の新しい特徴が明らかになった。図8に見られるように干潟はプランクトンと底生生物の生態系から成る。この複雑な様相が、干潟上の食物連鎖システムを多様化させ、栄養物が生物生産によって粒子状の物質へ変換されるのに十分なほど長く存在することができるようにしているのである。栄養物のうちのいくらかは、貝や海藻などを採取されることによって取り除かれる。栄養物の効果的なトラッピングや除去は、干潟の生産性を高く保つのに貢献している。こうした、自然界のシステムにおける効率的な物質の循環のメカニズムに関する知識の向上は、沿岸海域の生産システムの生態学的制御に関する技術発展の道筋となるであろう。
さらに、東京湾から栄養物を取り除くための人工的な藻場の潜在的な能力についての概算が最近出された(Yamaguchi, 1993)。表2は、湾内にこのような人工的な藻場が可能最大面積まで造られた場合に、アラメ(E.bicyclis)などの大型の褐藻類によって取り除かれる窒素の割合は、陸から流入する窒素全体の20%以上に昇ることを示している。しかし、東京湾の濁りがひどく、汚染物質の濃度が高いままの水質ならば、大型の褐藻類は成長し、生き残ることはできないことに留意すべきである。このことはつまり、人工藻場を造ることによって海藻の生態環境的機能を最大限に活用するための最重要課題は、ある限界点以下まで栄養物や汚染物質の量を減少させることである、ということを示している。したがって、生産の増進は生態系システム全体の復元なしには達成できないのである。
| Seaweed bed | Annual productivity | Amount of DIN removal | DIN removal/DIN load | |
|---|---|---|---|---|
| gC/m2/yr | gN/m2/yr | ton-N/yr | ||
| Brown algae | ||||
| Eisenia | 660〜990 | 100〜150 | 2〜3×104 | 17.2〜25.7 |
| Ecklonia | 900 | 137 | 2.74×104 | 23.5 |
| Fucus | 640〜840 | 97〜128 | 1.94〜2.56×104 | 16.6〜22.0 |
| Cultured algae | ||||
| Undaria | 180 | 27.3 | 5.46×103 | 9.4 |
| Porphyra | 230 | 34.8 | 6.96×103 | 11.9 |
| Eelgrass | ||||
| Brown algae | 619 | 93.7 | 3.0×104 | 25.7 |
| Benthic algae | 479 | 72.5 | 2.32×104 | 19.9 |
| Phytoplankton | 930 | 141 | 1.35×105 | 115.8 |
もう一つの重要な課題は、長期的な生態環境の変化の監視である。図9は瀬戸内海に面する呉市近くの底生動物の沿岸動物相を長期的に監視した最近の例を示している(Yuasa, 1995)。6個所の監視点で観察された動物の種類数は、1960年から1990年の間に急速に減少している。種類数は、1973年に瀬戸内海保全法が制定され、自然海岸の保護や、栄養物の総量を減少させるための対策を取った後も回復を見せていない。残念ながら、この研究を除いては日本の沿岸海域における環境変化に対する生態環境の反応に関する時系列的なデータはほとんどない。したがって、日本をとりまく沿岸海域において、適切な計画に基づいたモニタリングネットワークを設置することが急務である。
過栄養化や化学物質による汚染によってもたらされる問題については、水質基準に基づいた法的規制を急ぐべきである。1993年6月、中央公害審議会は、都市化した湾における過栄養化の状況を改善するために、窒素とリン酸塩の基準を策定した(表3)。海況の特徴や現在の水質をもとに沿岸海域に関する4つのカテゴリーが作られ、窒素とリンの基準がそれぞれのカテゴリーに当てはめられた。有害化学物質の環境基準の見直しも1993年に行われた。1970年に最初に基準が設置されてから環境汚染物質として登場した有機塩素系化合物も含めた25の項目が新たに追加された。
| Areal type | Total nitrogen | Total phosphate |
|---|---|---|
| T: Natural environment | <0.2mg/l | <0.02mg/l |
| U: First grade for fisheries | <0.3mg/l | <0.03mg/l |
| V: Second grade for fisheries | <0.6mg/l | <0.05mg/l |
| W: Third grade for fisheries | <1.0mg/l | <0.09mg/l |
The above values are all yearly averaged
さらに、1993年11月の環境基本法の制定に続いて、環境影響評価法が何年かの努力の末に制定された。環境影響評価法の目的はプロジェクトの実施に際し、環境の保全のために適切な配慮を加えるようにすることである。この法律は1999年6月に施行される。評価プロセスの技術的指針が現在準備されているところである。この動きに関連した重要な課題は、沿岸環境にとってのあらゆるリスクの可能性を合理的に評価するのに適切な手法の確立である。漁業に関連した沿岸の生態システムへの人間活動の影響を評価する実践的な方法が最近提唱された(Nakata and Hirano, 1989)。生態系モデリングは、生息環境の変化の予測や生物資源の適切な管理にとって重要な道具として大きな期待を集めているが、今のところ実践的ツールとしては実用化されていない(Nakata, 1991)。環境への影響を評価するためのいかなるプログラムも、環境変化への生態環境の反応を長期的に監視することをその一部として含めることが必要である。
1994年12月に日本政府が制定した環境基本計画は、環境保全に関する21世紀中頃までの総合的、長期的な政策の概要を示している。この計画は、次の4つの長期目標を掲げている:環境的に健全な物質の循環を促す社会経済システムの確立、自然と人間の調和のとれた共生、あらゆる人々が環境保全の行動に参加する社会の構築、そして環境問題への国際的取り組みの促進である。言うまでもなくこれらの目的はその他の環境分野と共に海洋環境の保全と再生にも適用される。
現在の、大量生産、大量消費、大量廃棄型社会経済システムは問い直されるべきである。廃棄物の増加は海上に新たな廃棄物処分場を必要とし、沿岸の成育、生息環境の埋め立てにつながる。人口の都市への流入は、廃棄物の増加に拍車をかけている。埋め立てなどのプロジェクトがもたらす社会経済的利益と、環境へのダメージやコストの経済的価値を比較し、適切に評価する方法を開発する必要がある。
Kurihara(1988)は、漁業や養殖の生産に含まれるような有機物の除去が、陸から沿岸海域へ流れ込むのとバランスが取れるような、沿岸環境の生態環境制御の理想的なデザインを提案している。人工的な生息環境が既存の自然の生態系や漁業活動と調和してシステムの中にうまく構成され、展開されるようになることが望ましい。こうした理想的なシステムを実現するために、まず必要なのは栄養物や溶存酸素といった物質の循環や供給(budget)に関する詳細な調査を行うことである。(図8を参照)しかしながらこれまでのところ定量的なケース・スタディはほとんど見当たらない。
沿岸海域で最も生産性の高い部分は陸と海の間、つまり干潟や河口、波打ち際などである。したがって、陸に関連した問題を扱っている学者と海洋問題に取り組んでいる学者間の相互協力は絶対に必要である。実際、東京湾における藻場の造成に関連して指摘されているように、陸から湾への物質の流入を削減することは、湾内の過剰な栄養物をとりこみ、除去するという藻場の生態学的機能を利用するための必要条件である。しかし現在の環境管理の行政システムは、こうした環境システムの連続性を無視しており、環境の保全と再生に失敗している。
これに関連して、沿岸漁業や養殖に従事している漁業関係者は漁場に隣接する河川流域の森林を保全し、復元するための行動を起こしている。健全な森林は海に注がれる水の量と質を維持するのに貢献するであろう。それによって沿岸の漁場の生産増大がもたらされるのである。実際、よい漁場を確保するため海岸沿いに設けられた保安林(魚付林)の歴史もある。しかし、その面積は過去40年の間に54,000haから28,000haに減少している。社会と産業の近代化によって林業と沿岸漁業もつなぐ伝統的なコミュニティの崩壊が保安林の減少に拍車をかけている。こうした状況下で、漁業関係者は海と陸を連係した統合的なアプローチと長期的な視点の必要性を理解してきている。事実、北海道南部に位置する襟裳岬近くの沿岸漁業の水揚げ高は、海岸林を植えてから20年近くたって増加し始めている。教育や訓練を含む社会活動は、沿岸地域の持続可能な開発を達成するために強く推奨される。
日本には沿岸海洋生態系における環境変化のその影響に関する知識と経験が豊富に蓄積されている。日本の知識と経験は、日本が1960年代から1970年代にかけて経験したような経済成長に伴う莫大な生態環境の損失に現在直面している新興発展途上国にとって有益である。こうした知識と経験の活用は、将来起こりうるとり返しのつかない生態系の破壊を防ぐことに役立つであろう。したがって、こうした観点から国際協力プログラムの促進が期待される。とくに、発展途上国における、環境問題に対応するための資金、技術的なノウハウ、それに専門家の不足は深刻である。これに対しては、たとえば国際協力事業団(JICA)が専門家の派遣や研修生の受け入れも含め、プロジェクトタイプの技術支援を行っている。さらに、地方自治体も環境問題における途上国支援を行っている。
日本周辺の海の中でも日本海は国際協力アプローチが急務である。日本海はロシア、韓国、北朝鮮に囲まれており、重金属などの陸からの流出による環境汚染や、ロシアによる放射性廃棄物の不法投棄などによって脅かされている。さらに、日本の原子力発電所の約半数が日本海岸沿いに立地している。また、日本海は表面積に対して深い海盆を持っており、その出入り口は浅くなっているため、水の交換が少なく、海底に様々な汚染物質が蓄積される恐れがある。したがって近隣諸国間の協調的な監視、汚染防止活動は、日本海の環境保全にとって必要不可欠である。
最後に、こうした目標を達成するために必要不可欠なのは、人類は地球の生物圏の一員であり、他の生物と限られたエネルギーと資源を共有しているということに気づくことである。これに関してTakahashi(1992)は、将来社会文化的思考において進化論的転換が必要になるであろうと指摘している。彼は、先進の高度技術の基盤に立脚する現代のテクノクラートによる統治から新世代の「エコクラート」による統治への転換を主張している。こうしたエコクラートたちは、自然の生態系の循環の仕組みの中で、自然界のシステムの生産力と生態環境機能を最大限に利用することを望む。生態系への理解に立脚した技術と社会システムが、海洋環境の恵みの持続可能な開発の実現という目標の達成に近づく術であろう。