1. はじめに
民主党政権が誕生して,日本もチェンジすることが期待されている.いくつかの分野でその兆しも見えてきた.では,インターネットの活用という切り口ではどうだろうか.鳩山首相が首班指名を受け,組閣が終わった後も,首相官邸のホームページは前政権のままという状態がしばらくあった.新しい首相官邸ホームページが立ち上がった後も,しばらくは国民とのチャネルは前政権と同じくメールマガジンとご意見募集のみという状態であった.その後,アメブロ★1による首相官邸ブログやヤフーによる首相官邸チャンネルが始まったが,2010年に入り鳩山総理がTwitterを始めたり,鳩cafeを立ち上げたり(これにより首相官邸ブログは更新停止)するなど,場当たり的な対応の感は否めず,ソーシャルメディアを戦略的に活用するという段階には至っていない.ましてや,政府のCIO(最高情報責任者)が任命される気配もない.
インターネットは,あらゆる経済社会活動に生かせる手段だ.インターネットの活用は新政権にとってさほど優先順位が高くないというのは,説明にはならない.インターネットは,社会保障,教育などあらゆる分野をチェンジし,国の競争力を高める極めて有効な手段になり得るのだ.本稿において,日本がネット・ネイティブな国になることができるかどうか,そのためには何が必要なのかを書き記してみたい.
2. ネット・ネイティブな国とは何か
ネット・ネイティブな国(Net Native Nation)とは筆者の造語であり,学術的に裏打ちされた概念ではない.勝手ながら,ネット・ネイティブな国とは,「経済社会活動でインターネットが第一義的な手段になっている国」と定義している.
具体例を挙げてみよう.今日,読者の皆様はお金を送金するときにはどうされるだろうか.銀行のATMを利用して振込手数料を払って送金する,あるいはインターネット銀行の口座から手数料無料のサービスを利用して送金する,だろうか.先の定額給付金の支給では,人件費,振込手数料,郵送料などで800億円以上もの経費がかかったとも言われている.日本では送金などの為替取引は,銀行(預金取扱金融機関)以外の者はできないのである.一方,海外では,PayPalが190カ国・地域,18の通貨で送金が行えるビジネスを展開している.この問題については,先の通常国会でも審議され,資金決済に関する法律が成立し,2010年の春頃からようやく銀行以外の資金移動業者も送金ビジネスができるようになる.しかし,送金分野にはまだ課題がある.犯罪による収益の移転防止に関する法律(以下「犯収法」という)により,口座開設時などに本人確認が義務付けられているが,インターネット上で本人確認を完結することが事実上制限されている.インターネット銀行を利用する際にも,運転免許証などのコピーを郵送しないと口座が開設できないという経験をされた方も多いであろう.口座開設時に,利用者の銀行口座情報やクレジットカード番号の入力を求め,別途本人確認がすでに行われているこれらの情報の認証をネット上で行うことが許されない限り,インターネット上だけで処理することが不可能なのである.本稿執筆時点で,犯収法施行規則の改正案が金融庁から提案されているが,資金移動業者と銀行等の間であらかじめ合意することが要件とされており,かつ,リスクベースアプローチが採用されていないという意味で,他の主要国並みの使い勝手が確保されるかどうか定かではない★2.そういう意味では,資金決済に関する法律が施行されても,送金分野のネット・ネイティブの度合いは低いままになる可能性もあると言わざるを得ない.
本稿では,いくつかの主要分野でのわが国のネット・ネイティブの度合いを観察してみよう.
3. ヘルスケア分野のネット・ネイティブ度
おそらくこの分野が最も深刻な問題を抱えている.最近の話題として,2009年6月から厚生労働省が一般用医薬品(OTC:Over e Counter)の通信販売を原則禁止にしたことをご存じの方は多いだろう.主要国ではOTCの通信販売は可能であるにもかかわらず,世界有数のインターネットのインフラ環境が整っているわが国で,その恩恵に与れないというのは皮肉なことだ.
レセプト(診療報酬明細書)のオンライン化について,2011年度からの完全実施が先送りされたことも記憶に新しい.前政権下で先送り判断がなされたものではあるが,「民主党政策集INDEX2009」においても,完全義務化から原則化に改めるとされた.実際,厚生労働省は,11月26日にいわゆる請求省令(レセプトオンライン請求に関する省令)の一部を改正し,手書き・高齢などの理由によりオンライン請求が困難である医療機関,薬局についてはオンライン化の義務化の例外措置とした.
OTCの通信販売規制の問題でも取りざたされた「対面の原則」については,古くは遠隔医療が,病理画像等を医師間で伝送するような場合を除き原則禁止されているときから議論になっている.米国では,直接対面しているような感覚で遠隔地間でのコミュニケーションができるテレプレゼンス技術がシスコシステムズなどから提供されており,遠隔医療が実用化されている.しかしながら,わが国では,患者と医師間との間で行われる遠隔医療については,医師法第20条(医師自らが診察しないで治療してはならない)に抵触するおそれがあるために,離島やへき地の患者や慢性期疾患で病状が安定している患者などの場合など,ごく限られた場合にしか認められていない(平成9年12月厚生省健康政策局長通知,平成15年3月厚生労働省医政局長通知)
さらに,医師が発行する処方せんは,医師による記名押印または署名が義務付けられており,電子化することがいまだに認められていない.2008年7月に厚生労働省の医療情報ネットワーク基盤検討会で処方せんの電子化が検討されたが,その導入は決定されなかった.今や中規模以上の医療機関には電子カルテが導入されているにもかかわらず,処方せんとして印刷し,患者が薬局に持参またはFAXで送信することしか認められていない.これは,仮に処方せんを電子化した場合,患者が電子処方せんを受け取れる薬局にしか行けなくなることが,1957年に制定された保険医療機関及び保険医療養担当規則第2条の5(特定の保険薬局への誘導の禁止)等に抵触するという考えが背景にあるためだ.
また,医療機関内にある医療情報を,セキュリティ対策が施された民間企業に預けることも十分には緩和されていない.「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン(第4版)」において,医療情報の外部保存を受託できる機関としては,病院・診療所,行政機関が開設したデータセンター,医療機関が震災対策等の危機管理上の目的として確保した安全な場所のみが一定の要件の下で認められているにすぎず,たとえばインターネットを活用し地域連携を効率的に行うという経営上の観点から,医療情報を民間企業に預けることは認められていないと解釈されるだろう(平成17年3月厚生労働省医政局長通知.保険局長通知も同様).
しかしながら,米国ではHealth 2.0の掛け声のもとでインターネットを活用した新たなサービスが次々に誕生している.なかでもPersonal Health Record(PHR)と呼ばれるサービス(Practice Fusion, Google Health)は,ポータルサイトに個人が自分の医療や健康情報を集積でき(医療機関や薬局にある自分の情報をインポートできる),その情報を匿名化したうえで第三者が閲覧することで,付加価値の高いサービス(セカンドオピニオンや健康管理指導など)をウェブ上で受けることが可能となっている.すでに説明したように,遠隔医療,電子処方せん,医療情報の外部保存などに依然として厳しい規制が存在するわが国では,同様のPHRサービスを展開することは不可能だ★3.
4. 政治・行政分野のネット・ネイティブ度
政治分野では,民主党がマニフェストに掲げたインターネット選挙活動の解禁の話題が盛り上がりつつある.民主党ではこれまでも公職選挙法改正案の準備をして来たが,実現するには至らなかった.2009年7月の民主党が勝利を収めた東京都都議会選挙において,10ポイント以上投票率を上げることができたのは,インターネットによる事前の働きかけの効果が大きかったという経験から,衆議院でも第一党となった民主党内では,今後の国政選挙での若者の投票率を上げるために,インターネット選挙活動の解禁論議が本格化するように見える.
インターネット選挙解禁の障害になっているのは,1950年に制定された公職選挙法である.その第142条,第142条の2において,選挙活動において使用できる文書図画は,通常葉書,ビラとマニフェストに限られており,ホームページの更新や電子メールの送信などは禁止されている(2009年8月の衆議院議員選挙の際には,いわゆるTwitter議員の方々も選挙期間中はつぶやきを止めた).さらに,同法第129条とその解釈では,選挙名,候補者名を特定し,その候補者への投票依頼をするような選挙運動は,選挙期間中以外には何人も活動してはならないこととされているため,たとえば,私が次の参議院選挙に関して特定の人に投票を呼び掛けるつぶやきをTwitterに書くことは今でも許されない.
このような長きにわたる法的な制約は,米国の大統領選出の過程において,YouTubeだけでなく,ブログ,Facebook,Twitter,Meetupなど多くのソーシャルメディアを活用して国民的議論が盛り上がったことと極めて対照的である.
また,世界では政治だけでなく,行政においてもインターネットの活用が新たな時代へ突入しようとしている.米オバマ大統領が,大統領就任までの移行期間に手掛けたCitizen’s Briefi ng Bookは,セールスフォース・ドットコムのSalesforceIdeasを活用して広く国民から政策のアイデアを募集し,また賛同するアイデアに投票することで,要望度合いの高い項目が容易に読み取れるサイトとして注目を集めた.
大統領就任後は,インド系で30歳代という若手のヴィヴェク・クンドラ(Vivek Kundra)を連邦政府のCIOに指名した後に,次々と興味深い政策を打ち出している.それは,これまでの政府から国民への情報提供といった行政の透明化を目的とするような旧来の電子政府とは発想を変えたものである.Web2.0を提唱したティム・オライリー(Tim O’reilly)は,これまでは国民が税金を払えば政府が一方的にサービスを提供する「自販機モデル」だったが,これからは,政府はプラットフォームに徹する(Government as a Platform)Gov2.0の時代になるべきだと言う.この思想と歩調を合わせ,クンドラは,オープン・ガバメント・イニシアティブの下でData.gov,Regulations.gov,Apps.govなど次々と具体的なGov2.0政策を打ち出している.また,このオープン・ガバメントの方針は,ニューヨーク州やサンフランシスコ市なども採用しつつある.
米国だけでなく,英国では,首相官邸サイトであるNumber10.gov.uk上で,誰でも電子請願(E-Petitions)を送ることができ,誰でもその請願内容に同調すれば投票して,投票内容の多い請願がランクアップされる仕組みを採用している.先日,天才計算機科学者アラン・チューリング(Alan Turing)の不幸な死に対する数多くの電子請願に対して,ブラウン首相が当時の英国政府の対応のひどさを認める発言を行うという出来事もあった.
翻ってわが国はどうであろうか.まず,国会に関しては,日本国憲法第16条で保障されている国民から国会への請願手続きに関して,文書で行うこととされ(請願法第2条),衆議院および参議院での手続きでは,自署を原則とし,ワープロなどで印刷された文字を使った場合には押印が必要とされている.地方議会などにおいても同様の手続きが取られていることが多いが,これではインターネット上で地域を超えて広く国民の声を国会に直接届けることはできない.
次に行政に関しては,巨額の予算を費やした電子政府はすべてが「自販機モデル」であり,かつ,その利用状況はお粗末だ.たとえば,2009年9月に会計検査院が電子申請等関係システムの利用状況について意見表示した内容を見ると,政治資金・政党助成関係申請・届出オンラインシステムなど利用率が0%のものが複数あり,ワースト10のシステムはすべて2%未満の利用率である.定額給付金の際には,甲府市が他の自治体と違ってセールスフォース・ドットコムのクラウド上のCRM(Customer Relationship Management:顧客管理システム)などを利用して,短期間で費用をかけずに支給システムを構築したことで話題になった.2010年から開始される子ども手当がどのような形で行われるかは注目に値する.この際,利用頻度の低い公的個人認証サービスの活用も,リスクに応じたオープンな認証方法の採用へ転換することが望まれよう.
既存の「自販機モデル」の徹底的な見直しに加えて,Gov2.0への新たな取り組みにも期待したい.2009年10月14日から経済産業省は,セールスフォース・ドットコムのCRM Ideasを活用して「電子経済産業省アイディアボックス」を開設し,電子政府についての国民からの意見の募集と投票を呼び掛けた.鳩山首相も第173国会における所信表明演説において,「行政情報の公開・提供を積極的に進め,国民と情報を共有するとともに,国民からの政策提案を募り,国民の参加によるオープンな政策決定を推進します」と述べた.電子経済産業省の取り組みも,まだ政府をプラットフォーム化し,外部からのイノベーションを創造するという思想にまでは至っていないが,今後の政府の取り組みに期待したいところだ.
5. 教育分野のネット・ネイティブ度
ヘルスケアや政治・行政分野以上に,この国の未来を担う子どもたちにネット・ネイティブな教育環境を提供することは重要な課題である.いまだにコンピュータの割当てが7人に1台という主要国に比べて見劣りのする環境で,コンピュータのスペックも回線スピードも貧弱なコンピュータルームの稼働率は総じて低い.家庭でのハイスペックなコンピュータと光ファイバー環境に慣れた生徒たちは,学校でコンピュータを操作するのに苦痛を感じるまでになっている.スクール・ニューディール構想で電子黒板や校内LANなどが整備されることになるだろうが,総合的な学習の時間や情報系の授業のときだけに特別な教室に出向いてこれらの機器に触れるという従来の教育方針を踏襲してはならない.また,教師から生徒への一方向の教育ツールとしてICT(情報通信技術)を利用するということでは意味がない.ゲームやケータイメールといったインタラクティブな経験を日頃から積んでいる生徒たちは,インターネットベースのソーシャルメディアを利用したインタラクティブな授業を求めている.また,学校生活のみならず,家庭においてもインターネットを用いていつでも教師や他の生徒との間でも学習することができる環境を提供しないと,生徒たちの興味や関心が向上することはないだろう.
たとえば米国では,情報教育だけでなく,生物,歴史などあらゆる分野で授業や家庭学習に利用できるオンライン上の教材が豊富に提供されている(Cosmeo,eNature).これらの教材を教師同士が共有したり(Curriki),保護者もそのコミュニティに参加したりできるものもある(Education.com).高校・大学レベルになれば,iTune UやYouTube Eduだけでなく,オープンコースウェアとして全世界の学生が閲覧可能な教材が数多く提供されており(Academic Earth),教師が自由に教材を加工したり(Flat World Knowledge),教師・研究者・学生がwikiベースで論文サマリーを共有したり(AcaWiki),学生同士が互いに教えあう環境を支援するサービス(Peer 2 Peer University)や,完全にオンラインだけで授業を提供する機関も複数存在する(University of the People).
ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン(Clayton Christensen)教授のDisputing Class(邦訳『教育×破壊的イノベーション─教育現場を抜本的に変革する』)★4によれば,イノベーションのジレンマの理論通り,これまで市場を形成していなかった無消費の領域から破壊的なイノベーションが起こるのかもしれない.そうであれば,これまでの一方向的な授業内容をそのままインターネットを利用した教育方法に置き換えるのではなく,教師─生徒─保護者のソーシャルな関係をもたらす新たな教育メソッドの開発が必要となろう.日本でも大阪府立柴島高校で携帯電話を利用したインタラクティブな授業などが行われているが,携帯やインターネットを情報教育以外の授業に組み込んで本格的に活用している事例は少ない.教師や生徒が利用できるソーシャルメディアの台頭を望むとともに,携帯やソーシャルメディアのリテラシーを自ら身につけ,適切な使用方法を指導できる教師のトレーニングが必要であろう.そして,制度的にも,あらゆる授業の現場でソーシャルメディアを創意工夫して利用できるように,「民主党政策集INDEX2009」にある学習指導要領の大綱化を実現し,現場の裁量を尊重すべきであろう.また,同「INDEX2009」には教科書のデジタル化が掲げられているが,教科書以外のインターネット上のコンテンツやソーシャルメディア上での生徒同士の意見交換なども小中高等学校の授業で大幅に取り入れられるよう,学校教育法(第34条等)上許容されている教科用図書以外の有益適切な教材の使用を現実のものとすることが必要であろう.
6. 日本をネット・ネイティブにするには
これまで三つの主要分野のネット・ネイティブの度合いを見てきたが,いずれも全く満足できる水準ではない.一方で,コミュニティサイトや動画の視聴など日常生活の中にインターネットが根差している(ネット・ネイティブな状態にある)分野もある.ヘルスケア,政治・行政,教育分野などのインターネットの利用が進んでいない分野は,単に物理的な情報の伝達手段をネットに置き換えるというのではなく,表1のように,そもそもの考え方をネット・ネイティブなものに転換していく必要があろう.
では,具体的にどうやってネット・ネイティブな考え方に転換していけばよいのか.
| 伝統的な考え方 | ネット・ネイティブな考え方 |
| 画一的 | 個別化 |
| 一方向的 | 双方向 |
| 提供者側の発想 | 顧客中心 |
| 閉鎖的 | オープン |
答えは単純である.ネット・ネイティブな人たちに聞けばいい.ネット・ネイティブな人たちというのは,grownup digital(邦訳『デジタルネイティブが世界を変える』)★5の著者であるドン・タプスコット(Don Tapscott)によれば,1977~1997年生まれの潤沢なインターネット環境を前提に育った世代である.政府,大企業,教育機関の中で若手中堅として活躍し始めている世代にもなりつつある.彼らの新鮮な発想で再設計してもらう必要があるだろう.もし仮に,日本がこのまま伝統的な考え方に縛られ続けたとしても,米国だけでなく,ネット・ネイティブな若者が人口の大半を占める新興国が先に変わっていくに違いない.世界最高水準のインターネットインフラを持つわが国が後塵を拝することにならないようにしたい.
(本稿は,筆者の個人的見解であり,筆者の所属する組織とは一切関係ありません)
註
★1──
株式会社サイバーエージェントによるブログサービス
★2── 土井悦生,ケリー・ケイ[2009]「オンライン決済事業における本人確認義務のあり方に関する比較法的考察」『NBL』No.914
★3── 追記:2010年2月2日、医療情報システムの安全管理に関するガイドラインが第4.1版に改訂、公表された。この改訂により、震災対策等の危機管理上の目的に限らず、一定の安全管理に係る条件の下、医療情報の外部保存が可能となった。今後、医療現場において外部保存の運用改善が図られていくのか注目したい。
★4── クレイトン・クリステンセン,マイケル・ホーン,カーティス・ジョンソン著,櫻井祐子訳[2008]『教育×破壊的イノベーション─教育現場を抜本的に変革する』翔泳社
★5── ドン・タプスコット著,栗原潔訳[2009]『デジタルネイティブが世界を変える』翔泳社
