2006年06月13日
Web2.0は世界に何をもたらしたか【Webスペシャル版】
梅田望夫┼公文俊平 司会:鈴木 健
梅田望夫(以下,梅田)──
わたしは今年45歳になるのですが,自分の来し方を振り返れば,まずはサバイバルするための資産作りをファースト・プライオリティ(最優先事項)に置き,それがある程度セキュアーになってから自分の知的生活を楽しもうという生き方を,かなり戦略的に追求してきました.『知的生活の方法』(渡部昇一)や『知的生活』(P・G・ハマトン)には「資産がなければ知的生活は送れない」というテーゼがありますが,そのためのお金をどこから持ってくるか.これを若い頃からずっと考え続けてきました.結局,大学や研究所に勤めてお金を稼ぎながら「知的生活」を送るか,まずはビジネスで稼いでセミ・リタイアしてから,経済的な独立を基盤に「知的生活」に入るか,そのどちらかしかないと結論づけて,後者の道を目指して歩いてきたのです.われわれの世代は貧しい日本を知っている最後の世代でもあるし,わたしは,いつもこういう自分の生き方・発想について,自分は旧世代に属するなぁと思っています.逆に言えば,カネを稼ぐことにまったく頓着しない二〇歳代のオープンソース・プログラマーには,リアル世界でサバイブしていく戦略が欠け落ちているような気がするんです(笑).それこそが新しい現象だという人もいるけれど,公文さんがおっしゃったバリューの,アテンションのほうだけを追求していれば,最低限の生活が一生保障されると本気で信じているのかなぁ,と.ひょっとすると,そこに新世代と旧世代の違いがあるのかもしれないけれど.
鈴木健(以下,鈴木)── 新しい世代にも,信じていない人のほうが多い気がしますよ.
梅田── 若者世代で括ってしまうと誤解を生じるけれど,「オープンソースが大好きならば,生活の糧を直接得なくても,アテンションのバリューだけを徹底的に追求して生きていけばいいんだよ,君たち」,と若い人たちに対して無責任に言うことが,わたしにはできないんですよね.
鈴木── たしかに,戦後60年経ち,高度経済成長を成し遂げた今の日本では,安全保障と社会保障の二つが空気化してしまっているということが,事実としてあると思います.ネット世界で生きている人々は,ある意味で政治音痴であり,国家安全保障に対する意識が,例えばエネルギー産業に関わっている人々に比べて薄かったりします.ネット・ビジネスにたずさわる人々は多少の金銭感覚を持っていることもありますが,梅田さんが想定されているようなギークはそれさえも稀薄です.公文さんがおっしゃる「評判のゲーム」の中で生きているという状況ではある.
梅田── オープンソースの開発にたずさわってさえいれば,生きていくための最低ラインくらいの収入は自動的に保証されていく世界ができてくると信じてもいいのだろうか.今,一番面白いことだからと,一番情熱を燃やせるからと,若い人がオープンソース的なコラボレーションにコミットしていくのはよく理解できる.しかし,公文さんがおっしゃったように,バリューには二種類あり,生きていくためにはこの二つを両立しなければならないわけです.アテンションのあるバリューを追求すればおのずともう一つのバリューもついてくる,だから生きていける,という可能性の中には,アフィリエイトやアドセンス,あるいはオープンソース・プログラマーがIBMに雇われるようなことも含まれるけれど,その経済の総量は現段階では微々たるものです.わたしはそういうことをプラクティカルに悩んでいます.
公文俊平(以下,公文)──
そういうことは,それこそプラクティカルに考えたほうがいいので(笑),二つの面を区別したらいいのではないでしょうか.先ほど鈴木さんもおっしゃっていたように,近代化の大きな流れの中で,まず国家ができて国民の安全を保証する仕組みを作った.それから産業社会になって,働きさえすれば人々の経済的な安全というか,生活が保障されるようになった.そして,これから生まれようとしているのは,人々が楽しいことのできる仕組みだとわたしは思っているのですが,そのときに前の二つがおかしくなってきているという面はたしかにある.国家の安全が脅かされている,資源が枯渇して経済成長ができなくなる.これはこれで別途考えて対処していかなくてはならない.つまり,国や経済が潰れるはずはないと思い込むのも困りますが,しかし潰れないようにしていこうという話と,これからどうやって面白いことをして生きていくかということは,また別の話なのではないか.
梅田── たしかにおっしゃるとおりです.経済バリューを求めた仕事,従来の枠組みにある仕事の充実を求めよ,と旧世代の人たちは若い世代に向かって主張してきたけれど,ネットのアテンションにいったん引きずりこまれた人々にとっては,そちらのほうが魅力的に思える.そして後者のほうへと,次から次へなだれ現象を起こした結果,オープンソース世界が豊穣に進化してきた.このことを経済面から見れば,ソフトウェア産業のサイズが今後どのように推移していくのかというマクロの問題とマッピングできると思います.先ほど,「IBMやHPにオープンソース・プログラマーが雇われる」という話が出ましたが,これは世界全体200万人以上もいると言われるオープンソース・プログラマーのうちのごく一部で起きている出来事です.オープンソースのインパクトの大きさはどんどん膨れ上がっていくけれど,オープンソース・ビジネスで成功した経済的サイズは,マクロで見たら,そのインパクトに比べて圧倒的に小さい.この事実は結構重い,とわたしは感じています.
梅田── わたしには子供がいないのですが,もし自分に10歳の子供がいたとしたら,どういう心構えでこれからの50年を生きていけと助言するか,という思考実験をすることがあります.20代の若者からキャリアの相談をよく受けるのですが,その延長線上で考えて,若い人たちはこれからどうなるのだろうか,と考えてみると,実は,「大変そうだなぁ」というのが正直なところなんです.一つでも年を取っているほうが経済的なサバイバルという意味では楽だよなぁ,というペシミズムがわたしにはあります.大企業に属している人と話をすると,そういう感情を持っている人が結構多いんですね.
今のネット社会の状況を見て,ある種の人々は悪い予感を持っています.わたしはそんなふうに結論づけたくはないと思っているから,自分に子供がいたら何と助言できるかを一生懸命考える.で,現段階での答えは,「リアルの世界で一生生きていけるスキルをしっかり身につけて,楽しいことはもう一つ別のネット世界で追求できれば,トータルとして充実した人生が送れるぞ」と.こういう凡庸な話までは思いつくのですが,それ以上の話がまだ思いつかないのです.
リアル世界で生きていく術は措いておいていい,オープンソース開発のような,自分が楽しいと思えることへのアテンションを徹底的に追求すれば必ず何かしらの富が入る,という世界を鈴木さんはイメージしていらっしゃいますが,鈴木さんがそのように考えておられる理由を聞かせてください.
鈴木── 今のところ,この社会は,ネットだけで生活に足るだけの収入を得ることに成功していません.少なくとも,大多数の人々は既存の経済圏の上で生きています.だからこそ,社会システム自体を自分で作ってしまおうというスタンスとして,わたしは自分を投機してしまっている.どちらかというと,生き方としては例外的なので,わたし個人の話をしても類型化できないとは思いますよ.
梅田── だけど,そのことを問題意識として強くお持ちではあるわけですね.
鈴木── そうですね,問題意識は強く持っています.人間が生きている時間の総和のうち,どれだけの時間を情報社会的なフィールドで使えるのかは,そうした産業社会的な問題に深く依存しているからです.
梅田── わたしもそのような問題意識を持っているんですよ.
公文── それには,個人の問題と社会の問題があるんですよ.明治時代の親だったら,「大臣や大将になれ」と教えるか,「これからは実業家の時代だから,実業界のほうに行ったらどうだ」と諭すか,と.じゃあ,自分の子供を実業界に行かせるからといって政府や軍隊はなくなってもいい,というわけではないですよね.同様に,今だったら,役人になるか,実業界に行くか,それとも次の智のゲームに自分の人生を賭けるか,となると,やはりわたしなら三番目をやって欲しいですが(笑),しかし残りの二つが要らなくなるわけではないでしょう.
梅田── 大きなパラダイムが変わらずに続いている時代の職業選択という問題でしたら,事後的に微調整ができました.ただ,今はリアル世界とネット世界のパラダイム・シフトの端境期にある.10年前なら,このような問題は問わなくてもよかったかもしれませんが,今は問わなくてはならない,という問題意識をわたしは持っています.
鈴木── 次の10年で一番重要なところはこの点にある,と梅田さんは考えていらっしゃるわけですか.
梅田── ええ.
公文── もう少し長期的に言えば,われわれはモノに関するかぎりは年収200万円で生きていけるし,それでいいよね,それ以上のことは望みません,という方向に人々の考えを向け変えるようにしていく必要があるのかもしれません.
梅田── つまり,リアル世界での「贅沢」の部分の欲望は制限して,アテンション・エコノミーの欲望を最大化することで,トータルで満足を求めましょう,というのが公文先生のお考えなのですね.ネット世界の欲望というのは,リアル世界とはまったく違う法則で動くものだから,ここで得られる喜びをベースに幸せを追求しなさい,となるわけですね.なるほど,それはそれで筋の通ったストーリーであるという気がします.

……続きは『智場』#107で.
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投稿者 noc : 12:06
2006年06月12日
ゲーム/物語/RMT
インタビュー パク・サンウ(Park Sang-Woo) ゲーム評論家
聞き手:東 浩紀 GLOCOM主幹研究員 + 井上明人 GLOCOM研究員
(本誌より、部分的に掲載)
金銭へのフェティシズム──株式房・SOHO房からPC房へ
東── 『動物化するポストモダン』を読んでいただいているようなので,物語という部分にからめてお聞きしたいと思います.
先ほどパクさんは,ゲームはスキゾ的=分裂症的だという話をされました.これを次のように言い換えることができると思います.わたしは『動物化するポストモダン』で「大きな物語」という言葉を,人々を一つのイデオロギーによってくくる装置,という意味で使用しました.この考え方からすると,コンソール機でのゲームプレイにおいては,プレイヤーごとに一つ一つ小さな物語が生まれるのであり,したがってそれが大きな物語に対する抵抗の道具になると言える.パクさんは,それをスキゾ的と表現されたのではないでしょうか.
だとすれば,MMORPGは,むしろ大きな物語を再生産するシステムだと言える.もしかして,パクさんはそう考えていらっしゃるのでしょうか.もしそうだとすれば,『動物化するポストモダン』の議論にパクさんの主張をひきつけて理解できるのですが.
パク── それは難しいと思います.韓国では,お金に対するフェティシズムという側面が何よりも強くMMORPGの世界を支配しています.
先ほどもお話ししたように,韓国でMMORPGが普及したのは,『リネージュ』の成功要因でもあるRMTシステムが一番大きな要素でした.『リネージュ』は「ゲームをやりながらお金も稼げる」という要素があったからこそ,韓国において成功したという部分があります.「大きな物語」がどうこうという側面よりも,金銭に対するフェティシズムの影響が大きいのです.
これは,実際にプレイヤーの全員がRMTをやるのだということを意味しているわけではありません.例えば,あるプレイヤーが自分のキャラクターを評価する場合を考えてみましょう.その場合,プレイヤーは「自分のキャラクターが持っているすべてのアイテムを,もしも金銭に換えたらどうなるだろうか」というようなことをつねに考えながらプレイするわけです.つまり,全員がRMTをするのではなくとも,全員がRMTの評価軸によって駆動されている世界がそこに出現するわけです.
すべての評価がリアル・マネーを通して成立してしまうような状況.これが金銭に対するフェティシズムだ,ということです.
東── なるほど.
いまの話は興味深く思いました.日本は,1995年に大きな物語を失い,社会全体として大きな屈曲点を迎えました.その後の長い不況を経て,最近はデイトレードがブームです.生きる目的をもてない若者たちが,まさに『リネージュ』のアイテムのように,とりあえずデイトレードでお金を稼ぎ,自己の存在証明をしようか,という状況が生まれている.
そういう連想で考えると,韓国でのRMTとデイトレードの関係が気になります.その点を聞かせていただけますか.
パク── 直接の答えではありませんが,東さんの問いに対する興味深い事例を一つ挙げたいと思います.
いま,韓国でPC房と呼ばれるものは,以前は別の呼称がありました.それは「株式房」という呼称です.PC房というのは,はじめからゲームをするためのレンタル・ルーム房だったわけではなく,むしろ当初は株式トレードをやるための場所でした.まさしく「株式房」です.しかし,この「株式房」にいた人々のあいだでは,次第に,株式のデイトレードよりもリスクの少ない安全な手段としてRMTが認知されていきます.実際,その時期に株式トレードをやっていた人々の層と,現在『リネージュ』でRMTをプレイしている人々の層はかなりの重なりがあることがわかっています.
彼らが株式で金銭をトレードすることから,ゲームのアイテムで金銭をトレードするというRMTの世界へと参入することで,「株式房」は「PC房」へと呼ばれるようになっていったのですね.この例は,東さんが挙げられていた状況と似ているのではないでしょうか.
東── デイトレーダーがゲーム・プレイヤーになった,ということですね.たいへん興味深い話です.株式房でデイトレーディングをやっていたのはどういう若者だったのでしょうか.
パク──
IMF危機
ただ,この時期に株式房でデイトレードをやっても,手持ちの資金がある程度なければそれほどパッとしないし,小さな個人事業主たちも,それほどお金を稼げるものではない.株式房でデイトレードやSOHOをやったのだけれども立ち行かないという状況が実際のところでした.
そして,少しすると『スタークラフト』と『リネージュ』が流行しだします.『スタークラフト』は当時無職だった人々よりも,もっと若い層がプレイするようなタイトルだったので,20代後半-30代の人々はどうやっても若者たちのクリック速度においつけなかった(笑).そこで,年齢がやや高めの人々は『リネージュ』をやりはじめるということになります.
こうして,95-96年には20万-30万人程度と言われていた
ゲーム・プレイヤーの数が,その2,3年後には急速に100万人以上に膨れ上がります.そのほとんどは,この時期にはじめてゲームに触れたような人々です.『スタークラフト』『リネージュ』以外,ゲームをプレイしたことのない彼らが,この後の韓国オンライン・ゲームにおける中心的なプレイヤーになっていきます.現在でも,やはり,彼らがメインユーザー層を占めていますね.
そのため,韓国のオンライン・ゲームは彼らによって,その性格を決定されるしかないということになってきています.『エヴァークエスト』(Sony InteractiveStudios America,1999年)のような海外のゲームが韓国で成功できない理由もここにあります.こういった韓国で多数派を占めるユーザー層は『リネージュ』などから学んだ経験だけでゲームをやっているので,そのシステムに沿っていないゲーム,基準から逸脱しているタイプの外国のゲームは,韓国では成功しにくい状況になっています.
韓国MMORPGの世界に「物語」はあるか
東── もういちど物語の話をさせてください.パクさんは,MMORPGで物語が果たす機能は,実はかなり弱いとお考えなのでしょうか.ここで「物語」という言葉で指しているのは,先ほども述べたように,単なるナラティヴやストーリーではなく,世界認識を支えるシステムとしての「物語」です.「イデオロギー」「世界観」と呼んでもいいかもしれません.
パク── わたしは,韓国でのゲーム受容にも「物語」が果たした役割はあると思います.例えば『ワールド・オブ・ウォークラフト』
また,その話をするならば,韓国のゲーム・デザインと,アメリカのゲーム・デザインの違いについて考えるのも興味深いのではないでしょうか.例えば,アメリカのゲーム・デザインは,世界観を基盤として作られています.それに対して,韓国のゲームはストーリーやゲーム・エンジンだけを基盤にして開発していくような傾向にあります.
東── いまのお話を聞いていると,『動物化するポストモダン』での「動物の時代」の説明を思い出します.MMORPGの世界には,物語もなくイデオロギーもない.システムによってRMTの欲望だけが駆り立てられ,人々はそれに騙されて生きている.実際にお金が儲かるわけではないが,フェティシズムだけが駆動され,虚構のお金が回りつづける楽園…….正確に言えば,少しのお金は稼げるのでしょうが,とても規模が小さいわけです.
これはまさに,わたしが『動物化するポストモダン』の中で「動物の時代」と名づけた光景に近いものです.
パク── いまのお話は,非常に難しい問題をはらんでいます.わたしは,東さんのデータベース的欲望の議論はたいへん面白いものだと思っているのですが,全面的に同意しているわけではないのです.というのは,韓国においては,動物的な欲望の存在を確認しづらいからです.すべての欲望は,ルネ・ジラール(René Girard)の言うような,他者との差異化の欲望に繋がっています.
東── つまり,パクさんは,韓国では,MMORPGの中の欲望も現実の欲望もあまり変わらない,とお考えなのですね.
パク── そうです.
東── なるほど.しかし,そうでしょうか.例えば,キャラクターへの欲望があります.わたしが想像するに,MMORPGのプレイヤーもまた,現実と切り離されたそのような欲望なしにはゲームプレイができないのではないでしょうか.
パク── 例えば,アメリカの『セカンド・ライフ』と,韓国の『リネージュ』とでは,欲望の構造が大きく異なっているのではないでしょうか.
『セカンド・ライフ』では,おのおののプレイヤーが自分のパラダイスをゲームの中に反映することが可能です.プレイヤーは欲望するものを誰でも自分自身で作ることができるようになっています.そして,こうした世界の構造では,何も問題が生じません.
しかし,韓国はそういう状況にありません.すべてのプレイヤーが,同じアイテムを欲しがるのですね.ゲーム会社は,ハイレベル・プレイヤーたちにあわせて,新アイテムをリリースしていきます.つまり,一つのアイテムをめぐる競争やトラブルがつねに発生している状態だと言えます.
東さんのデータベースの理論は,多様な欲望に関する話と似ているように思います.言いかえれば,自分自身のフェティシズムの話ですね.しかし,韓国においては異なる欲望というのが成立していません.みんなが同じものを欲望しているのが韓国社会の現状だと思います.
東── なるほど.逆に,もしMMORPGが日本でポピュラーだったらどうか,と考えてみると,おそらくそのシステムは,プレイヤー個人の私的で虚構的な欲望を反映したものになるのではないかと思います.つまり,動物的なMMORPGとでも呼べるものが成立するのではないか.そこではプレイヤーは皆,他のプレイヤーの視線を気にせずに,自分自身のパラダイスだけを追求するわけです.
しかし,いままでのパクさんの議論だと,韓国の状況はずいぶん違うようですね.なぜこのような違いが生まれたとお考えですか.
パク── そのメカニズムまではわかりませんね.実は,ちょうどいま,エスノグラフィの手法にのっとって,PC房を調査をする計画を立てているところです.
いくつかの典型的なPC房に対して,プレイヤーの性格や言説,プレイ時間などを調べていくことで,MMORPGにおけるプレイヤーのライフスタイルと,そのリアリティとがどのように関係しているかが見えてくるのではないかと思っています.
……続きは『智場』#107で.
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投稿者 noc : 11:18
Web2.0と新しいフォード主義
鈴木健 国際大学GLOCOM研究員
Web2.0という言葉は,ネット業界にとどまらず,一般の人々も口にするような言葉へと瞬く間に広まった.これはティム・オライリーの言説の影響力と,その絶妙なタイミングの賜物だが,日本においてその役割を担ったのは,『ウェブ進化論』(ちくま新書,2006年)を著した梅田望夫である.
Web2.0の構成要素となる一つ一つの技術や概念は,いずれも1990年代後半に既出のものであり,真新しさは少ない.むしろ,オライリーや梅田らの言葉が「通用」するようになったのは,一般の人々がこれらの新しいインターネット・メディアに絶えず触れつづけ,すでに身体的に薄々気づいていたところに,あらためて言葉が与えられたからにほかならない.
ネットバブル崩壊後,「革命」という言葉を素面で論じられる土壌がはじめて復活したのである.しかも,ニューエコノミー論のような「生産性の向上」に偏った視点ではなく,正しいかたちでコミュニケーション革命論を論ずる土壌が生まれた意義は大きい.
ティム・オライリーのWeb2.0を「バズワード」と言ったり,梅田が行なう大胆な二元論を批判することはたやすいが,大まかにおいて彼らが主張していることは正しい方向性を指し示しているし,細かい論点で揚げ足を取ることにはほとんど価値はない.
問題は,この革命があくまでもネットの中に閉じたものなのか,われわれの社会全体に広く影響を与えるようなものなのか,という点である.もし後者であるならば,どのような社会的問題が発生するのかを考えてみることにも,十分に意味があるだろう.
梅田望夫は情報技術に起こるであろう次の10年の三大潮流として,インターネット,チープ革命,オープンソースの三つを挙げ,そのうえで次の三大法則があると主張している.
第一法則:神の視点からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則:無限大×ゼロ=something
この第二法則と第三法則は,Google AdSenseやAmazonアフィリエイトが作り出したロングテール経済圏から割り出されたことに,異論の余地はないだろう.ネットでブログを書くだけで月数千円から数万円を稼ぐことは,決して難しいことではなくなった.
このような経済圏の登場は,「マイクロペイメント」と呼ばれる非常に大きなうねりのほんのはじまりにすぎない.マイクロペイメントは,今までの決済では対価を支払うことが不可能であったような小さな仕事に対しても,相応の対価を支払うことを可能にし,ロングテール経済圏を構築する.2005年の夏に発表されたAmazon Mechanical Turk(図1)と呼ばれる実験的な試みも,仕事の粒度を小さくしていく仕組みづくりのはじまりの一つである.
そもそも仕事には,人間が得意なタスクと機械が得意なタスクとがある.このうち,機械が得意とするタスクはプログラミングで処理し,人間が得意とするタスクはプログラムの中で「ここは人間がやる」と書いてしまう.すると,実行時にそのタスクが市場でマッチングされ,3セント程度の非常に安い値段で取引され,ネット上にいるどこかの人間がこなす.
この「Mechanical Turk」とは,そもそも18世紀末にヨーロッパで話題をさらったチェスを指す機械に由来している.このTurkは世界中を巡業して,フランクリンやナポレオンにも勝利をおさめたらしいが,実際には,この機械の中には人間が入ってチェスを指していた.
Amazon Mechanical Turkのエンドユーザから見えるのは,あくまでもプログラミングされた機械にすぎない.しかし,これは機械の「あちら側」にいる不特定多数の「人間GRID」を組織化し,従来のAIやコンピュータができないようなタスクを「コーディング」して,いわば現代版「中国語の部屋」(サール)を作ろうという計画なのだ.
アプレッソのCTOを務める小野和俊は,これらの動向を踏まえて,自らのブログの中で「この先10年で,働くことの意味がきっと大きく変化する」というエントリーを書き,はてなブックマークで290人からブックマークをされるほど注目を集めた.
ジョブ端末
それでも会社との新しい関わり方をする人たちを,「こちら側」の人はきっと「あちら側」と見るだろう.この感覚を大きく変えるきっかけとなるのは,現在のATMのようにコンビニに設置される「ジョブ端末」になるだろう.
コンビニでお金を下ろす感覚で,自分の適性にマッチした仕事をタッチパネルの操作で引き受ける.引き受けることができる仕事は,一つの会社が把握できる範囲に限られたものだけでなく,大小様々な依頼主と仕事を請け負う側とが,ネットの仕組みによってダイナミックにマッチングされる.
仕事の期間や大きさは,「ジョブセット」を選択することで自分で調整することができる.2時間の仕事,成果を達成すれば何時間でも良い仕事,1ヶ月の仕事,1年の仕事(今で言う年俸契約),3年以上の仕事(今で言う多くのケースにおける就職)等々.
仕事の完了が確認され次第,仕事の報酬をジョブ端末から,ATMでお金をおろすような感覚で引き出せる.(中略)これから先10年の新しいワーキングスタイル
この先10年の新しいワーキングスタイルの特徴をまとめると次のようになる.
1. 仕事の単位が細粒度になり,個人も企業もその大きさを柔軟に設定することができる.
2. 仕事を求める人と仕事を提供する人とが企業の枠を超えてダイナミックにマッチングされる.
3. 個人の能力の評価は,上司や部下によってではなく,成果を受け取った相手からの評価の蓄積によって行われる.
4. お金の流れを管理する会社は,仮想的組織の財務部門として機能する.
5. ソフトウェアの一部として仕事がリクエストされ,ソフトウェアの一部として仕事の成果が受け取られるケースが出てくる.「この先10年で,働くことの意味がきっと大きく変化する」,小野和俊のブログ,2006年03月30日,http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50092799.html.
このような社会が,本当にわずか10年で実現するかどうかはわからない.しかし,近い将来に,少なくともある一定の層がそのような生き方をすることは,もはやSFの域を脱している.
Google AdSenseやAmazon Mechanical Turkは,新種のフォード主義を社会にもたらすかもしれない.フォードは20世紀初頭に,部品の規格化,製造工程の細分化(流れ作業化)とベルトコンベア方式を採用して,T型フォードを安価に大量生産することに成功した.
この生産方式をフォード・システムというが,フォードがもう一つ革新的だったのは,彼が独特の労働観を持っており,当時としては破格に高い賃金を労働者に支払い,自社の労働者が自社のT型フォードを買えるようにしたことである.フォード・システムにより低価格で高品質な製品を大量生産し,労働者に高賃金を払う経営理念を「フォード主義」という
Google AdWords(あるいはその起源となったOverture)は,検索連動型広告という手法によって,広告ニーズのマッチングを飛躍的に高め,従来と比べて破格に高い広告料を広告掲載サイトに支払うことを可能にした.広告主からGoogleに支払われるお金の半分が広告掲載サイトに支払われる.一つ一つのクリックはわずか数円-数十円しかもたらさないが,このマイクロペイメントの積み重ねが,まとまったお金を生み出す.
フォードは確かに当時としては革新的な賃金を提供し,Googleは現在においては革命的な高価格で掲載料を支払っているかもしれない.しかし,「資本主義社会では,人間が最低限再生産可能な程度にまで賃金は引き下げられる」というマルクスの指摘から帰結するように,労働基準法が最低時給を決めて守ってあげなくては,やはりこの社会においては社会保障を実現できない.
昔,わたしの友人の母親が自宅で,服飾のボタンをつける内職をしていた.ボタン一つをつけてわずか数円の仕事なので,1時間の時給がわずか250円にしかならない.Google AdSenseやアフィリエイトのような歩合制は,公平な競争ではあるものの,歩合制の内職ように,最低労働賃金よりはるかに低い価格での労働を可能にする.
ネット上での知の流通は,リアル世界よりもはるかに低い価格にとどまっている.すでにウェブサービスを閉じた老舗「ksquare」にしても,新興の「はてな」にしても,リアルマネーに換算するとわずか数十円で情報が交換されている.しかし,その情報をつくるのに数十分から1時間程度かけたものも少なくなく,リアル世界の労働の10分の1程度の対価しかもらえない.
多重帰属による収入元の分散は,革命前においては自由の象徴あるいは帰結として語られているが,革命後においては,フォードが成したのとは逆に,100年前の近代社会が直面していたような,深刻な貧富の差をもたらすかもしれない.
もう一つの問題は,このように極度に分業化が進んだ社会においては,人間が,働くことの意味から切り離されてしまうことである.自分のやっている仕事の意味が見えなくなり,社会から想像力が失われていく.著者が提唱する伝播投資貨幣PICSYは,貨幣レベルに伝播性を導入することにより,このような社会においても想像力が展開されることを目指したものだ.
今回掲載の対談において,公文俊平は,情報社会で展開されるのは極度の分業ではなく,むしろDo it yourselfのような自前主義を促進する個パーソナル・フアブリケーター人用工作機械であると言う.これは,フォード生産方式ではなく,最近流行しているセル生産方式に近い.セル生産方式とは,屋台のような作業場で,一つの製品を一人もしくは数人で,最初から最後まで組み立てるというものだ.
どちらが正解というわけでもないのかもしれない.労働と意味の関係は,東浩紀の言う動物的/人間的という二分法によって分析が可能である.フォード生産方式の人間疎外は,労働から意味を剥奪して動物的にする.セル生産方式においては,労働は意味と結びつきやすく,したがって人間的である.東が指摘するのは,動物的,人間的のどちらが正しいとかどちらかが生き残るという問題ではなく,この二つが「人間という動物」に必然的に伴う現象であり,片方を抜きにして議論が不可能であるという現代性をわれわれは認識しなければならない,という点である.
機械化する社会において人間がどのように生きるべきかという問題は,100年前から考えられてきた古い問題ではあるが,コンピュータという特別な機械は,プログラム可能であることによってありとあらゆる機械をシミュレート,エミュレート可能にするという特徴を持っている.この新種の機械が,Amazon Mechanical Turkのような新たな人間と機械の関係を生み出すことは,歴史的必然のように思えてくる.
人間という生命体が40億年の歴史を引きずっている以上,社会や技術をいかに早く展開させようとも生物学的な限界が人間には存在し,理念型のように社会は進化しないであろう.しかし社会の変化が人間の生物的変化を誘引するという長期的な視点に立てば,われわれは明らかに革命前夜に生きていると言えよう.
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投稿者 noc : 08:15
「Winnyの技術」をもとに当時の到達点を明らかにする
講演:金子 勇
報告:濱野智史 GLOCOM研究員
「Winnyの技術と倫理」シンポジウムで最初に講演のマイクを取ったのは,Winny開発者の金子勇氏である.Winnyは,音楽や映画のファイルや個人情報データなどが流通する「ファイル共有ソフトウェア」として紹介されることが多いが,金子氏によればWinnyには明確に異なる二つのヴァージョンが存在しており,後発のヴァージョン2は,ファイル交換の仕組みを土台にした「匿名BBSシステム」を備えている.ただ,これについては2005年夏に出版された『Winnyの技術』(アスキー)でも多くは言及されていない.
講演はWinnyの二つのヴァージョンに沿って行なわれた.まずは「Winnyヴァージョン1(以下,Winny1)」というP2Pファイル共有ソフトウェアについての解説,次に「Winny ヴァージョン2(以下,Winny2)」というBBS(掲示板)システムについての解説が行なわれ,最後に次世代P2Pシステムの展望と課題について言及した.金子氏の講演は,以上の三部構成となっている.
ちなみに,Winny1のベータ1が公開されたのは2002年の5月であり,正式版が公開された1年後の2003年4月に,Winny1の開発はいったん終了されている.その後Winny2が2003年の5月に公開されたが,2004年,金子氏が京都府警に著作権幇助の罪で逮捕されて以降,Winnyの開発は一切停止されている.
以下は,金子氏の講演をもとに濱野智史が作成した報告である.
1. ファイル共有ソフトウェアとしてのWinny1
1-1. Freenetに見る匿名性
金子氏は冒頭で,Winny1を開発するきっかけについて,「Freenet(フリーネット)」というP2Pソフトウェアの「匿名性」に感銘を受けたからだと述べた.Freenetとは,開発者のイアン・クラーク(Ian Clarke)氏がインターネット上の言論の自由を実現する目的で考案した仕組みである.Freenetの用途はファイル共有だけではなく,このソフトウェアを経由することでメールやBBSを匿名で送受信できるように設計されている.
この匿名性のアイディアについては注釈が必要だろう.しばしば「インターネットは匿名性が高い」と言われるが,それはあくまで普段利用しているときの印象論でしかなく,技術的見地からすれば誤りである.実際は,ユーザーはブラウザでウェブページを見るたびに,自分が使用しているソフトウェアやIPアドレスといった個人情報を必ず通信先に提供している.テレビの視聴は一方的に電波を受信するだけあり,これは文字通り匿名であると言えるが,インターネットは自分の情報を送信しなければ情報を受信できないという双方向性を持つため,原理的には匿名性を持たない.そこでFreenetでは,すべてのファイルを暗号化し,ばらばらにネットワーク上に拡散させるという方法を取ることで,匿名性を実現している.この仕組みによって,ネットワーク上に誰がどのようなコンテンツを流通させようとしているのか,誰がどのハードディスクを提供しているのかを,誰も把握できない状況をつくることができるようになった.
しかし,Freenetには他のP2Pソフトウェアと比較して劣る点があった,と金子氏は指摘する.それはファイルの検索や転送に関わる効率性である.Freenetはファイルをばらばらに拡散させてしまうため,ファイルを復元する際にほうぼうからファイルの断片を探し回る必要があるが,Freenetのユーザーが常にソフトウェアを起動しているわけではないので,断片が行方不明になってしまう可能性も高い.そこでFreenet以前のP2Pソフトウェアでは,各ユーザーが所持しているファイル情報をサーバに集約することで,検索の効率性を上げていた.Napsterをはじめとする多数のサービスがこの方法を取っていたため,金子氏はこれらを「第一世代」のP2Pと呼んでいる.
しかし,そもそもP2Pとは「中央にサーバを置かずに,ピアーとピアー(Peer-to-Peer)で通信する」という意味であるから,厳密には,第一世代の手法を純粋なP2Pネットワークと呼ぶことはできない.そのため,これは「ハイブリッド型」とも呼ばれている.また,第一世代ではサーバに情報が集中してしまうため,匿名性を守ることは困難になる.
このように,P2Pの匿名性と効率性はトレードオフの関係にあった.
1-2. 匿名性と効率性を両立するという目的
金子氏の目的は,Freenetのアイディアを継承しつつ,Freenetが解決できなかった匿名性と効率性のジレンマを解決することにあった.つまり,ファイル検索や転送の効率性を確保しつつも,情報発信者の出処を秘匿する──これが当初の技術的課題であった.金子氏は,たしかにFreenetに大きな影響を受けたが,それはあくまで匿名性を実現するという「思想」の部分であり,それを実現するシステムは一から開発したという.
暗号化したファイルを拡散させるFreenetの手法には無駄が多い.前述したように,ファイルを断片化すればするほど匿名性は高まるが,ばらばらになったファイルを再び収集するのは困難になる.そこで金子氏は,匿名性の本質は情報の「拡散」にではなく,「多段中継」にあると考えた.ファイルの流れる経路が複数段に及んでしまえば,オリジナルの出処はトレースしにくくなる.金子氏は,このように匿名性概念の読み替えを行ない,Winnyを設計した.
この多段中継を実現するために,金子氏は「プロクシーサーバ(proxyserver)」と呼ばれる技術をP2Pシステムに導入した.プロクシーサーバとは文字通り「代理サーバ」を意味する技術で,その用途はさまざまである.例えば,匿名性を保つために,ウェブブラウザにプロクシーサーバを中継させる.こうすることで,向こう側のウェブサーバにはプロクシーサーバのIPアドレスのみが残り,手元のマシンのIPアドレスが開示されるのを防ぐことができる.もちろんプロクシーサーバ内にもIPアドレスは残るため,実際には完全に匿名性が守られるわけではない.しかし,プロクシーサーバを「多段中継」してしまえば,オリジナルの発信元へトレースするのは,事実上困難になる.
またプロクシー技術は,効率性の上昇のためにも用いられる.通信速度が遅かった時代には,例えば,米国のウェブサイトと毎回通信するのは無駄が多いため,LAN内にプロクシーサーバを設置することで,ネットワーク負荷を分散させていた.各ユーザーが外部のウェブサーバから取得したデータをプロクシーサーバに一時的に保存(キャッシュ)し,同じページを閲覧しようとする人が現われた場合,わざわざ直接外部のサーバにデータを取りに行かずに,このキャッシュを表示することで,米国にあるデータをその都度取りにいく手間を省いていたのだ.
金子氏は,このプロクシーサーバの持つ二点を活かして,匿名性と効率性を両立させようと考えた.通信を多段中継すればオリジナルの発信元をトレースすることは難しくなるため,匿名性は上昇する.さらにファイルを多段中継する際,そのファイルを各ノードにキャッシュしておけば,ファイルの第一次発信者と通信する手間が省けるため,転送の効率性も上昇する.このように,Winnyネットワークに接続している各ノードがプロクシーサーバの役目を果たすことによって,匿名性と効率性を両立させるというのが,Winnyの基本的なアイディアである.
1-3. Winnyのキャッシュ機構
Winnyでは,この金子氏のアイディアは「キャッシュ機構」という仕組みで実現されている.Winny上に流通するデータは,ファイルのインデックス情報となる「キー(鍵)」と,ファイルそのものである「ボディ(本体)」とに区別される.キーとは,ファイル名,ファイルサイズ,ファイル本体を所持するIPアドレス,「ハッシュ値」
Winnyがファイルを転送する仕組みは,次のような流れである.Winny金子 勇氏は,作動中にキーファイルを自動的にばら撒くように設計されているため,ユーザーはつねにキーファイルをやり取りしあう状態にある.こうすることで,Winnyはファイルの検索効率を上げている.次に目的のキーファイルが検索にヒットすると,Winnyはそのキーに含まれている「ボディ(本体)を所持しているIPアドレス」──ファイル本体の「位置情報」に相当する──を参照する.この位置情報を通じてボディを所持するマシンが割り出され,Winnyは転送を開始する.つまり,ボディはつねに流通しているわけではなく,他のユーザーからの要求があってはじめて転送される仕組みをとっているのだ.こうした設計の特徴について,金子氏は,キーをプッシュ型,ボディをプル型と表現している.
この「位置情報」は,一定のアルゴリズムで書き換わるように設計されている.この仕組みを筆者なりに表現すると,Winnyは手紙の差出人をランダムに書き換え,あえて誤配を起こすよう設計されている,と言えるだろう.Winnyは,キーの位置情報を書き換える際に,実際にはファイル本体を持っていないノードもボディの所有者として指定する.これは一見すると,匿名性を実現するために効率性を犠牲にしているように見える.しかし,この設計こそが,先述した匿名性と効率性のジレンマを解決するのである.
どういうことか.この誤指定されてしまったWinnyノードは,自分の手元に所持しているキーファイルを照合し,真にボディを持つであろうノードをたどっていく.そして真にボディを所有するノードを発見すると,Winnyはそこから転送を開始する.このとき,Winnyはダウンロード途中のファイルをそのままアップロードすることが可能になっているため,元々そのファイルを要求していたノードに対してファイル転送の「橋渡し(中継)」を行なうことになる.さらに橋渡しをしたWinnyノードは,このファイルを消すことなく,そのままキャッシュとしてハードディスクに蓄積する.このキャッシュは,次に発生する中継のための資源として用いられる.
このようにWinnyは,誤配をきっかけに橋渡しの機会を生み出し,橋渡しのたびにキャッシュを蓄積するというサイクルを繰り返す.このような方法をとることで,キャッシュはほうぼうに分散されることになる.つまり,エラーのようにも見える設計は,むしろWinnyにおいては効率性上昇の源泉であると言えるのだ.
また,金子氏によれば,Winnyは人気の高いファイルほどその位置情報が書き換えられるように設計されている.人気の高いファイルはやり取りが多く発生するため,ネットワーク帯域を圧迫しやすい.そこでWinnyは「誤配→橋渡し→キャッシュ」のサイクルをより多く発生させることで,ファイル転送の効率性を向上させた.また,このサイクルが繰り返されることで,ファイルの第一次発信者はますます区別できなくなるため,同時に匿名性も上昇する.
このWinnyの仕組みについて,「中継はトラフィック(帯域の混雑度)を上昇させるだけの無駄なシステムだ」という指摘があるという.しかし金子氏は,これは誤解であると強調している.たしかにWinnyは帯域を大量に消費する.インターネットのトラフィック量の大半は,WinnyなどのP2Pが占めているといったデータもある.しかし,金子氏の考えでは,Winnyの中継システムはネットワーク資源の有効活用が目的なのである.
以上に見られるように,Winnyは,意図的に誤配を生じさせることによって,コミュニケーションの効率性と匿名性を両立させる仕組みであると要約できるだろう.
1-4.「第三世代」としてのWinny1
次に金子氏は,Winny1について三点のことを述べた.
第一に,Winny1が普及した要因についてである.「たしかにWinnyは匿名性と効率性の両立に成功しているが,Winnyが普及した要因は必ずしもこの点にはない」と金子氏は留保しつつ,次のように指摘している.P2Pソフトウェアの技術的な課題は,検索の効率性だとされてきた.しかし,この課題は金子氏からすれば他のソフトで「検証済み」だと考えており,むしろ金子氏が重要視した課題は「ノードの維持率」だった.つまり,Winnyのユーザーがなるべくプログラムを終了させずに,Winnyのノードとして存在しつづけるような状態をどう実現するか.金子氏の検証したかったもう一つの課題はここにあった.
そこで金子氏の出した解答は,Winnyの「自動ダウンロード機能」である.この機能によって,Winnyのユーザーは,目的のファイル名を検索し,あとはプログラムを放置しておくだけで,自動的にファイルをダウンロードすることができる.金子氏によれば,当初この機能は存在せず,むしろあまりにもファイルの転送効率が悪かったために追加されたものだった.しかしこの機能が,結果的にWinnyを継続的に起動しつづけるユーザーの増大に繋がり,ノードの維持率に貢献することとなった.これがWinnyの普及した要因になったのではないか,というのが金子氏の見解である.
第二に,Winnyネットワークの対障害性の強さである.純粋なP2Pは,ハイブリッド型に比べてシステム全体がダウンしにくいという特性を持つ.ハイブリッド型は中央の検索サーバを攻撃されればネットワーク全体が機能不全に陥るが,純粋なP2Pはどのノードを攻撃してもシステム全体がダウンするということはない.開発者が何も手を加えていない現在でも,Winnyネットワークが稼動しているという事実が,これを実証している.
第三に,効率性の向上のために導入された,「上流/下流」という概念と「クラスタリング」という技術についてである.前者は,回線速度の速いノードを「上流」とみなし,上流にキーファイルを集中させる仕組みのことである.後者は,同じ検索キーワードを入力しているノードに優先的に接続することで,似たような趣味を持ったユーザーをネットワークの近傍に配置する仕組みである.こうしたネットワーク形成メカニズムによって,Winnyは効率性を上昇させている.
これらの特徴から,Winnyは「第三世代」のP2Pファイル共有を実現したと言えるのではないか,と金子氏は述べている.第一世代とはNapsterなどのハイブリッド型を,第二世代とはGnutellaなどの純粋なP2Pを指す.金子氏は,2002年当時,Winnyのキャッシュ機構のシステムは,この第二世代を改良した「次世代」と呼ぶに値しただろうと語った.ただし,すでに開発から4年も経った技術であるため,もちろんいまでは限界も多い,とつけ加えた.
2. 匿名BBSシステムとしてのWinny2
次に,金子氏は大規模匿名BBSシステムであるWinny2についての解説を行なった.
大規模匿名BBSの原型として想定されているのは「2ちゃんねる」である.2ちゃんねるはWWWサーバ上の掲示板プログラムで運営されているため,サーバ・クライアント型の弱点である負荷集中が課題となってきた
Winny2の実装について,金子氏は次のように解説する.その基本的なアイディアは,BBSにおける「スレッド」を,Winnyにおけるボディファイルとして扱うというものだ.スレッドとは,ある一つのトピック(スレッド・タイトル)に沿った一連の書き込みのことで,例えば,2ちゃんねるでは1000の書き込みが上限となっている.Winny2では,ファイルの中に1番目からX番目までの投稿内容が連なって記述される.
ここで課題になったのは,ファイルの「同期問題」である.そもそもP2Pシステムでは,ファイルをたらい回しにするために途中で破損や欠落が起こりやすい.そのため通信途中でファイルが変化しないよう,同一性を確保する必要がある.金子氏によれば,Winny1はこのP2Pシステムにおける同期問題を簡潔な仕組みで解決していた.Winny1はハッシュ値と呼ばれる仕組み(註1参照のこと)を用いており,ネットワークの途中でファイルの内容が一切書き換わらないという前提で同期を取っていた.しかし,これをBBSシステムにそのまま応用することは不可能である.なぜなら一つのスレッドファイルに書き込みを順次追加していく場合,これは「通信途中でファイル内容を書き換えていくこと」を意味するからだ.つまり,Winny1のハッシュ値の仕組みは,Winny2では応用できない.
そこでWinny2に実装されたのは,「それぞれのスレッド(=ボディファイル)は,必ず特定の一つのノード(マスター)が管理する」という仕組みである.Winny2は,スレッドへの書き込み(ファイル内容の追加)をする際,それぞれその管理者のノードに対して行なう.こうすることで,マスターに必ず最新の投稿が集中するため,ファイルの同期問題は発生しない.しかし,この仕組みでは,書き込みをするとき必ずマスターへの接続が集中してしまう.これはつまり,Winny1の実現した「情報の多段経由による匿名性」が成立しないことを意味する.そこでWinny2は,書き込みは一つ隣のノードから行なわれるように設計されている.
しかし金子氏は,Winny2はまだ開発途上にあったため,決定的な欠陥が存在すると述べている.それは,この仕組みではマスターの匿名性を守ることができない点というである.例えばWinny2では,スレッドの読み込みボタンを連打するとマスターに直接繋がってしまうという仕様になっており,連打するだけでそのスレッドを最初に立てたノードが判明してしまう.
以上が匿名BBSを目指したWinny2の解説である.Winny2では,分散型BBSに存在する同期問題を,マスターの一括管理という機構で解決した.しかしその代わりにマスターの匿名性が犠牲になっている.金子氏はこのトレードオフを解決するアイディアを持っていたが,Winny2の開発中止によって実現できなかったと述べている.
3. 次世代P2Pシステムの展望と課題
最後に金子氏は,次世代P2Pシステムのための課題を二つ挙げている.第一に「Winnyはオープンシステムにならないのか」という問題,第二に「P2Pシステムは管理できないのか」という問題である.
第一点目だが,Winnyはソースコードを非公開にしたまま開発されており,いわゆるオープンソースではなかった.Winnyのプロトコルや暗号化については,書籍でその仕組みを解説しているとはいえ,ソースコードがオープンになったわけではない.金子氏はこの点について,Winnyのファイル暗号は匿名性に寄与していないため,ソースコードを公開したとしても匿名性の保持に支障が生じるわけではなかったと述べる.
それでは,なぜWinnyはオープンソースにならなかったのか.それは効率性の問題だと金子氏は言う.そもそもP2Pソフトウェアの利用者の中には,ファイルを一方的にダウンロードするだけで,一切ネットワーク上にアップロードしない「フリーライダー(タダ乗り)」が一定数存在する
しかし金子氏は,これは2003年当時の事情だという.いまではWinnyとは別のP2Pシステムが開発されている.例えば,オープンソースの「BitTorrent(ビットトレント)」はこの効率性とソースコードの公開性のジレンマをクリアしている.ちなみにBitTorrentとは,2001年からブラム・コーエン(Bram Cohen)氏の開発しているファイル共有システムで,人気の高いファイルほど,たくさんのノードから同時ダウンロードを行なうため,転送効率が極めて高いことで知られている.
金子氏は,このBitTorrentも第三世代P2Pシステムとみなしたうえで,第三世代P2Pには,匿名性・効率性・オープンソースの「トリレンマ(trilemma)」の構造があると指摘している(図1).金子氏はこう説明する.Winnyは匿名性と効率性を両立させることに成功した.しかしその代わりにオープンソースにはできなかった.Freenetはオープンソースで匿名性を重視しているが,効率性の面で劣っていた.そしてBitTorrentは,オープンソースで効率性を実現しているが,匿名性は一切考慮されていない.つまり,匿名性・効率性・オープンソースの三点を同時に満たすシステムは,現在のところ存在しない.しかし金子氏によれば,いますぐこれは実現可能である.おそらく次世代のP2Pファイルソフトウェアは,匿名性・効率性・オープンソースという三つの特性を満たすものとなり,特にBitTorrentの仕組みが発展する可能性が高い.
第二に,P2Pの管理可能性の問題である.先述したように,純粋なP2P(ピュアP2P)では任意のノードがダウンしてもネットワーク全体に影響を及ぼさないため,耐障害性は強いとされている.しかしこれは裏を返せば,管理可能性が弱いとも言えるのだ.例えば,個人情報を含む名簿ファイルなどがWinny上に流出した場合,これを管理者が一挙に削除するような仕組みは存在せず,永遠にファイルが流通し続けてしまう.実際,海外のP2Pファイル共有ソフトウェアをめぐる裁判では,純粋なP2Pのサービスは管理者不在であるため,開発者や運用会社の責任は追及できず,ユーザーへの裁判が集中している.
しかし金子氏は,この問題は技術的な欠陥に過ぎないと強調する.金子氏は,ピュアP2Pでも管理可能性を実現するアイディアがあるが,現在刑事裁判で係争中のためWinnyの改良に手をつけることができないと述べ,講演を締めくくった
また3月20日の第21回公判で,弁護側は,金子氏がWinnyの技術を応用したP2Pソフトウェア「オズテック」をIT関連企業と共同開発していると明らかにした.このソフトでは,アップロードする側の管理可能性を実現しているという.「ウィニー:開発者,今度は安全に流通させる新ソフト」MSN毎日インタラクティブ,3月20日,

『Winnyの技術』
金子勇 著,アスキー書籍編集部 編
アスキー
2005年10月28日刊
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投稿者 noc : 07:40
SNSが示す三つのネットワーク世界観
丸田 一 国際大学GLOCOM所長代行
人間関係情報は誰のものか
SNS(Social Networking Service)が,おもしろい展開をみせている.
SNSに明確な定義はみられないが,強いて言えば,プロフィール公開,友人紹介,アクセスコントロール,閲覧者自動追尾(あしあと),コミュニティ形成などが基本機能として実装され,参加者がたがいに友達を紹介しあい,自己情報をコントロールしながら,友達関係を広げることを主な目的として運営されるコミュニティ型のウェブサイトといったところであろう.SNSの効用は今さら取り上げるまでもないが,SNSがもたらす新たな関係性世界にのめり込む同僚や友人をみるにつけ,影響力の大きさを痛感してきた.
最近では,国内最大手mixiのユーザ数が300万人に近づいて国内一人勝ちの様相を呈する一方,企業のグループウエアとして活用する企業内SNS,ユーザを地域に限定する地域SNS,同窓会などテーマを絞り込むなどの別種のSNSが多数登
場している.
このうち,mixiをはじめとする既存の全国版SNSは,「囲い込み型」のモデルと言われる.これら既存SNSの各サイトは,独自の会員を抱え,独自のサービスを提供する完全に独立したウェブサイトである.各サイト上で会員たちが日々構築するソーシャルネットワーク(人間関係)情報も,各サイトのサーバーに蓄積されている.
これをユーザ側からみると,複数のSNSサイトに登録した場合,それぞれのサイトごとに進捗を同時並行で管理しなければならないなど大変な手間がかかり,自分がウェブページやブログを持っている場合にも,既存SNSと自分のウェブページとを連携することは難しい.さらに,サイトのサーバーがダウンするなどサービス・トラブルが発生した場合は,友達全員とまったく連絡が取れなくなり,突然閉鎖されたサイト「UUME」のように,長いあいだ構築してきた人間関係情報が消滅してしまう危険をはらんでいる.
これらの問題は,既存SNSが人間関係情報を専有することで生じている.われわれが日々構築する人間関係とは,一体誰のものだろう.少なくとも,人間関係構築の場の提供者,つまりSNS運営者だけのものではないはずである.
完全分散協調型Affelio
これら既存SNSの諸問題を克服する有力なソリューションの一つが,大越 匡氏が提案するAffelio(アフェリオ,http://open.affelio.jp/)である.大越氏は,既存SNSの特徴を集中型でクローズドなサービスと位置づけたうえで,先述したユーザ側からみた諸問題に加えて,SNSを生かしたアプリケーションを外部開発者が作成することができない,といった開発者からみた問題点を指摘する.実際に,既存SNSのAPI(Application Program Interface)は公開されておらず,外部開発者によるアプリケーション開発は困難である.
Affelioは,affelio.jpが配布する「Affelioソフトウェア」を使って,ユーザ個人が好きな場所に「Affelioページ」を作成し,それらをリンクすることで「Affelioネットワーク」を形成するというSNSアーキテクチャを実現している.巧みなアクセスコントロールを行なうことなどで,囲い込み型の既存SNSと同等以上の機能を実現し,ユーザからみると,複数のSNSで活動するという煩わしさから解放され,自分自身の統合されたソーシャルネットワークを構築できる.さらに,Affelioが提供するネットワークや諸機能は,Affelio APIとして無償で公開され,外部開発者はこのAPIを使うことで,Affelio上にアプリケーションを開発することができるようになる.
このようにAffelioは,オープンネス,分散性・スケーラビリティ,統合アクセス制御,拡張性といった既存SNSの欠点を補う全面的な改良が施されているばかりか,同じSNSといっても,まったく構造の異なるアーキテクチャを出現させた.つまり,ユーザ個人が人間関係情報を所有することを前提とした,完全分散協調型のSNSアーキテクチャである.
地域SNSの可能性
次に,地域SNSをみてみよう.最初に登場した地域SNSは,熊本県八代市の「ごろっとやっちろ」(http://www.gorotto.com/)である.八代市は2003年からポータルサイトを運営していたが,掲示板等への書き込みが少なくなったので,2004年10月,担当の小林隆生氏らが友人や知人を招待する機能やプロフィール作成機能などSNSの諸機能を追加するとともに,ブログ機能も搭載して,すっかり賑わいを取り戻すことに成功した.また,ごろっとやっちろが使うSNSシステムopengorotto(http://og.akadigi.jp/)は,オープンソースとして公開されている.総務省は,このopen-gorottoをベースにした住民参画システムを開発し,2005年末から千代田区と長岡市で実証実験を行なった.
ごろっとやっちろのほかにも,2005年末から,多くの地域SNSが次々と登場している.ただ,その数は未だ20程度であり,最大規模のごろっとやっちろも2000ユーザ足らずで,大きな影響力を持つとは言えない.それでも地域SNSが流行しているのは,関係者が共通して大きな可能性を見出しているからである.それを整理してみよう.
一つ目は,「地域社会の再編」の可能性である.SNSのアーキテクチャは,デザインにもよるが匿名性を排除し,人間関係の可視化を進めるので,ネット社会にみられる炎上や誹謗中傷を抑制し,信頼や秩序ある安定的なコミュニティを形成することができる.また,これらのコミュニティは巧みにゾーニングされており,例えばゲーテッド・コミュニティと同様,伝統的な地域社会では考えにくい柔軟な社会秩序の形成に役立つ可能性がある.
二つ目が,「地域アイデンティティの再生」の可能性である.人々の回りでは生活を支える物理空間的な広がりはあるものの,人々がそれを「地域」として意識することはほとんどなく,既に地域の実体は希薄化している.この中でも,住民が地域イメージを共有することができれば地域は再生するきっかけを持つことができる.ただし従来,地域イメージは,豊かな地域資源を持つ特別な地域だけが広告代理店を通じて戦略的にかたちづくるものであった.これに対して地域SNSは,地域イメージを地域内で,それも創発的に生み出していくものである.ごろっとやっちろのユーザは80%が地域住民であるが,そこで展開される住民同士のコミュニケーションや,コミュニティ活動の連なりや積み重ねにより,これまでに見られない地域イメージが創発する可能性が高い.
三つ目の可能性は,「地域情報のコレクション化」である.地域SNSはGISやGoogle Maps APIにより地図機能を持つものが多く,SNS上に生成される膨大なコミュニケーション情報が地図情報として蓄積される仕組みを持つ.これは従来型の図書館のように,横並びで同じデータ(蔵書)を蓄積してきたのとは正反対に,蓄積された地図情報がコレクションになる.これが唯一無二の地域情報,観光情報として世界中から参照されるばかりか,ロバート・パットナム(Robert DavidPutnam)言うところの「ソーシャル・キャピタル(人間関係資本)」となり,当該地域でデータを蓄積し,データベースを共有する必然性が生まれるのである.なお,データベースと知識生産の場とが地理的に近接していると,知識管理(ナレッジマネジメント)のループが回りやすいことは,インターネット市民塾(http://toyama.shiminjuku.com/)や,鳳雛塾(http://www.digicomm.co.jp/sagaventure/)で検証されている.苦労して地域ごとにSNSを立ち上げなくとも,mixiで地域コミュニティをつくればよいという考え方は,少なくともこの点で否と言わざるをえない.
このように地域SNSは,人間関係情報を地域(コミュニティ)が所有する分散型SNSである.そして最近では,地域SNS同士が連携する動きが活発になりつつある.実際に,ごろっとやっちろのソースコードopen-gorottoには,分散するopengorotto同士を連携する機能が搭載されている.分散する地域SNSが連携することで得られるメリットは,災害時のリダンダンシーの確保や,観光振興,災害ボランティア派遣,共通の地域課題解決など計り知れない.
三つの世界観
第134回芥川賞を受賞した絲山秋子『沖で待つ』(文藝春秋)は,少々問題のある作品と言われるが,主題には共感できる.同期入社の友人関係でしかない異性同士が,相手の死後,相手が所有する個人PC(ハードディスク)の物理的破壊を請け負う約束を交わし,実行するという物語である.ここにみられるのは,人間関係情報を含む自己情報は自らの身体とともにあるべきであり,死後,身体の消滅とともに自己情報も消滅させねばならないという信念である.このことは,ネットワーク時代のデータベースの所在とデータコントロールのあり方を考えさせる.
これまでみてきたように,少なくともSNSは発展の過程で,三つの異なるネットワーク世界観を提示してきた(図1).それは,データベースの所在をみれば明らかである.mixiなどの既存SNSの人間関係情報は,当該サイトのサーバーに集中しており,「集中・囲い込み型」と言える.「『個』が『あちら側』でオープンにした情報をサービス提供者が集積し『全体』としての新たな価値を創出する」
一方,Affelioの人間関係情報は全世界に拡がる無数の個人サイトに分散し,それら個人サイトが協調する「完全分散協調型」のネットワークで,既存SNSと同程度以上の場の機能を提供する.『沖で待つ』の信念に最も合致するのは,このネットワーク世界観である.
| タイプ | 事例 | データベースの所在 |
|---|---|---|
| 1.集中囲い込み型 | mixi(ミクシィ) | 中央 |
| 2.分散(協調)型 | 地域SNS | 地域 |
| 3.完全分散協調型 | Affelio(アフェリオ) | 個人 |
さらに,地域SNSは,地域コミュニティのサーバーに人間関係情報が分散する「分散型」と言える.将来的にはAffelio同様,地域SNSサイト同士が連携し,「分散協調型」に発展していくことが想定される.地図情報にみられるように,ここで人間関係情報はクラブ財(排除可能性と非競合性を持つ財)と位置づけられており,クラブとしての地域コミュニティがそれを所有することには必然性がみられる.そして,地域コミュニティが地域SNSによって結ばれる世界は,インターネット初期にみられた自律分散協調の世界観に酷似している.また,公文 俊平氏が90年代半ばに提唱したCAN(Community Area Network)の思想そのものである.
最近では,「Web2.0」がネットワーク世界を席巻する勢いがみられるが,果たしてそうなるだろうか.データベースの所在とデータコントロールのあり方から,ネットワーク世界観を今一度考え直す必要があろう.
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投稿者 noc : 06:43