Web2.0と新しいフォード主義
鈴木健 国際大学GLOCOM研究員


 Web2.0という言葉は,ネット業界にとどまらず,一般の人々も口にするような言葉へと瞬く間に広まった.これはティム・オライリーの言説の影響力と,その絶妙なタイミングの賜物だが,日本においてその役割を担ったのは,『ウェブ進化論』(ちくま新書,2006年)を著した梅田望夫である.
 Web2.0の構成要素となる一つ一つの技術や概念は,いずれも1990年代後半に既出のものであり,真新しさは少ない.むしろ,オライリーや梅田らの言葉が「通用」するようになったのは,一般の人々がこれらの新しいインターネット・メディアに絶えず触れつづけ,すでに身体的に薄々気づいていたところに,あらためて言葉が与えられたからにほかならない.
 ネットバブル崩壊後,「革命」という言葉を素面で論じられる土壌がはじめて復活したのである.しかも,ニューエコノミー論のような「生産性の向上」に偏った視点ではなく,正しいかたちでコミュニケーション革命論を論ずる土壌が生まれた意義は大きい.
 ティム・オライリーのWeb2.0を「バズワード」と言ったり,梅田が行なう大胆な二元論を批判することはたやすいが,大まかにおいて彼らが主張していることは正しい方向性を指し示しているし,細かい論点で揚げ足を取ることにはほとんど価値はない.
 問題は,この革命があくまでもネットの中に閉じたものなのか,われわれの社会全体に広く影響を与えるようなものなのか,という点である.もし後者であるならば,どのような社会的問題が発生するのかを考えてみることにも,十分に意味があるだろう.
 梅田望夫は情報技術に起こるであろう次の10年の三大潮流として,インターネット,チープ革命,オープンソースの三つを挙げ,そのうえで次の三大法則があると主張している.

 第一法則:神の視点からの世界理解
 第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
 第三法則:無限大×ゼロ=something

 この第二法則と第三法則は,Google AdSenseやAmazonアフィリエイトが作り出したロングテール経済圏から割り出されたことに,異論の余地はないだろう.ネットでブログを書くだけで月数千円から数万円を稼ぐことは,決して難しいことではなくなった.
 このような経済圏の登場は,「マイクロペイメント」と呼ばれる非常に大きなうねりのほんのはじまりにすぎない.マイクロペイメントは,今までの決済では対価を支払うことが不可能であったような小さな仕事に対しても,相応の対価を支払うことを可能にし,ロングテール経済圏を構築する.2005年の夏に発表されたAmazon Mechanical Turk(図1)と呼ばれる実験的な試みも,仕事の粒度を小さくしていく仕組みづくりのはじまりの一つである.図1:Amazone Mechanical Turk
 そもそも仕事には,人間が得意なタスクと機械が得意なタスクとがある.このうち,機械が得意とするタスクはプログラミングで処理し,人間が得意とするタスクはプログラムの中で「ここは人間がやる」と書いてしまう.すると,実行時にそのタスクが市場でマッチングされ,3セント程度の非常に安い値段で取引され,ネット上にいるどこかの人間がこなす.
 この「Mechanical Turk」とは,そもそも18世紀末にヨーロッパで話題をさらったチェスを指す機械に由来している.このTurkは世界中を巡業して,フランクリンやナポレオンにも勝利をおさめたらしいが,実際には,この機械の中には人間が入ってチェスを指していた.
 Amazon Mechanical Turkのエンドユーザから見えるのは,あくまでもプログラミングされた機械にすぎない.しかし,これは機械の「あちら側」にいる不特定多数の「人間GRID」を組織化し,従来のAIやコンピュータができないようなタスクを「コーディング」して,いわば現代版「中国語の部屋」(サール)を作ろうという計画なのだ.
 アプレッソのCTOを務める小野和俊は,これらの動向を踏まえて,自らのブログの中で「この先10年で,働くことの意味がきっと大きく変化する」というエントリーを書き,はてなブックマークで290人からブックマークをされるほど注目を集めた.

ジョブ端末

 それでも会社との新しい関わり方をする人たちを,「こちら側」の人はきっと「あちら側」と見るだろう.この感覚を大きく変えるきっかけとなるのは,現在のATMのようにコンビニに設置される「ジョブ端末」になるだろう.
 コンビニでお金を下ろす感覚で,自分の適性にマッチした仕事をタッチパネルの操作で引き受ける.引き受けることができる仕事は,一つの会社が把握できる範囲に限られたものだけでなく,大小様々な依頼主と仕事を請け負う側とが,ネットの仕組みによってダイナミックにマッチングされる.
 仕事の期間や大きさは,「ジョブセット」を選択することで自分で調整することができる.2時間の仕事,成果を達成すれば何時間でも良い仕事,1ヶ月の仕事,1年の仕事(今で言う年俸契約),3年以上の仕事(今で言う多くのケースにおける就職)等々.
 仕事の完了が確認され次第,仕事の報酬をジョブ端末から,ATMでお金をおろすような感覚で引き出せる.(中略)これから先10年の新しいワーキングスタイル
 この先10年の新しいワーキングスタイルの特徴をまとめると次のようになる.
 1. 仕事の単位が細粒度になり,個人も企業もその大きさを柔軟に設定することができる.
 2. 仕事を求める人と仕事を提供する人とが企業の枠を超えてダイナミックにマッチングされる.
 3. 個人の能力の評価は,上司や部下によってではなく,成果を受け取った相手からの評価の蓄積によって行われる.
 4. お金の流れを管理する会社は,仮想的組織の財務部門として機能する.
 5. ソフトウェアの一部として仕事がリクエストされ,ソフトウェアの一部として仕事の成果が受け取られるケースが出てくる. *1

 このような社会が,本当にわずか10年で実現するかどうかはわからない.しかし,近い将来に,少なくともある一定の層がそのような生き方をすることは,もはやSFの域を脱している.
 Google AdSenseやAmazon Mechanical Turkは,新種のフォード主義を社会にもたらすかもしれない.フォードは20世紀初頭に,部品の規格化,製造工程の細分化(流れ作業化)とベルトコンベア方式を採用して,T型フォードを安価に大量生産することに成功した.
 この生産方式をフォード・システムというが,フォードがもう一つ革新的だったのは,彼が独特の労働観を持っており,当時としては破格に高い賃金を労働者に支払い,自社の労働者が自社のT型フォードを買えるようにしたことである.フォード・システムにより低価格で高品質な製品を大量生産し,労働者に高賃金を払う経営理念を「フォード主義」という *2
 Google AdWords(あるいはその起源となったOverture)は,検索連動型広告という手法によって,広告ニーズのマッチングを飛躍的に高め,従来と比べて破格に高い広告料を広告掲載サイトに支払うことを可能にした.広告主からGoogleに支払われるお金の半分が広告掲載サイトに支払われる.一つ一つのクリックはわずか数円-数十円しかもたらさないが,このマイクロペイメントの積み重ねが,まとまったお金を生み出す.
 フォードは確かに当時としては革新的な賃金を提供し,Googleは現在においては革命的な高価格で掲載料を支払っているかもしれない.しかし,「資本主義社会では,人間が最低限再生産可能な程度にまで賃金は引き下げられる」というマルクスの指摘から帰結するように,労働基準法が最低時給を決めて守ってあげなくては,やはりこの社会においては社会保障を実現できない. 
 昔,わたしの友人の母親が自宅で,服飾のボタンをつける内職をしていた.ボタン一つをつけてわずか数円の仕事なので,1時間の時給がわずか250円にしかならない.Google AdSenseやアフィリエイトのような歩合制は,公平な競争ではあるものの,歩合制の内職ように,最低労働賃金よりはるかに低い価格での労働を可能にする.
 ネット上での知の流通は,リアル世界よりもはるかに低い価格にとどまっている.すでにウェブサービスを閉じた老舗「ksquare」にしても,新興の「はてな」にしても,リアルマネーに換算するとわずか数十円で情報が交換されている.しかし,その情報をつくるのに数十分から1時間程度かけたものも少なくなく,リアル世界の労働の10分の1程度の対価しかもらえない.
 多重帰属による収入元の分散は,革命前においては自由の象徴あるいは帰結として語られているが,革命後においては,フォードが成したのとは逆に,100年前の近代社会が直面していたような,深刻な貧富の差をもたらすかもしれない.
 もう一つの問題は,このように極度に分業化が進んだ社会においては,人間が,働くことの意味から切り離されてしまうことである.自分のやっている仕事の意味が見えなくなり,社会から想像力が失われていく.著者が提唱する伝播投資貨幣PICSYは,貨幣レベルに伝播性を導入することにより,このような社会においても想像力が展開されることを目指したものだ.
 今回掲載の対談において,公文俊平は,情報社会で展開されるのは極度の分業ではなく,むしろDo it yourselfのような自前主義を促進する個パーソナル・フアブリケーター人用工作機械であると言う.これは,フォード生産方式ではなく,最近流行しているセル生産方式に近い.セル生産方式とは,屋台のような作業場で,一つの製品を一人もしくは数人で,最初から最後まで組み立てるというものだ.
 どちらが正解というわけでもないのかもしれない.労働と意味の関係は,東浩紀の言う動物的/人間的という二分法によって分析が可能である.フォード生産方式の人間疎外は,労働から意味を剥奪して動物的にする.セル生産方式においては,労働は意味と結びつきやすく,したがって人間的である.東が指摘するのは,動物的,人間的のどちらが正しいとかどちらかが生き残るという問題ではなく,この二つが「人間という動物」に必然的に伴う現象であり,片方を抜きにして議論が不可能であるという現代性をわれわれは認識しなければならない,という点である.
 機械化する社会において人間がどのように生きるべきかという問題は,100年前から考えられてきた古い問題ではあるが,コンピュータという特別な機械は,プログラム可能であることによってありとあらゆる機械をシミュレート,エミュレート可能にするという特徴を持っている.この新種の機械が,Amazon Mechanical Turkのような新たな人間と機械の関係を生み出すことは,歴史的必然のように思えてくる.
 人間という生命体が40億年の歴史を引きずっている以上,社会や技術をいかに早く展開させようとも生物学的な限界が人間には存在し,理念型のように社会は進化しないであろう.しかし社会の変化が人間の生物的変化を誘引するという長期的な視点に立てば,われわれは明らかに革命前夜に生きていると言えよう.

*1 : 「この先10年で,働くことの意味がきっと大きく変化する」,小野和俊のブログ,2006年03月30日,http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50092799.html.
*2 : ここでは,レギュラシオン学派での「フォード主義」のような意味では用いない.