ポスト・セカンドライフ─「3DのWWW」をめぐる標準化競争
井上明人国際大学GLOCOM研究員


セカンドライフとは何か

 今,セカンドライフというものが大きな話題を呼んでいる.「セカンドライフで1億円を儲けた人物が出た」とか,「IBM,日産,ソニー・エリクソン,Dellなどの大企業が続々と参入をはじめている」だとか,そういう情報をすでにご存じの方も多いかもしれない.前号の『智場』(#108)でも取り上げたが,それからこの2,3カ月の間に報道が一挙に過熱した感がある.
 そもそも,セカンドライフとは何か.いろいろな言われ方をしている.「オンラインゲーム」「Web3.0」「立体的で直感的になったWWW」「メタバース」……などだ.このうちのいくつかの説明は正しく,いくつかの説明は正確ではない.
 基本的なイメージとしてはこう考えて欲しい.まず,「セカンドライフ」と名付けられた3次元(3D)の仮想空間がある.映画『マトリックス』(1999)を見たことのある方は,マトリックスの原型のような場所がウェブ上に広がっている,と考えてもらってもかまわない.そして,ウェブ上3D仮想空間に,世界中から450万人の人々がログインしている.ただ,マトリックスほどにリアリティのある空間とは程遠いし,セカンドライフをオフラインの現実世界そのものと混同することは当面,考えられない.
 さて,繰り返すが,セカンドライフはウェブ上に繰り広げられる3Dの空間である.今,ウェブ上に広がる3D空間で最も多くの人がログインしているものといえばオンラインゲーム『World of Warcraft』で,世界中で850万人以上 *1 の人々によって遊ばれている.『World of Warcraft』も,セカンドライフも,そこにログインした人々が自分の分身となるキャラクターを操作することで,3Dの世界を自由に動き回り,そこにログインしている世界中の人々とチャットをしたり,さまざまな共同作業を行ったりすることができる.その点だけを取ると,この二つのものは同じである.しかし,この二つには大きな違いがある.セカンドライフはオンラインゲームではない.セカンドライフは,ただのオンラインゲームと比べると圧倒的に行動の幅に拡がりがあり,自由である.そして,今後のインターネットの世界に対する大きな影響が見込まれている.では,具体的には,今までの単なる3Dのオンライン空間と比べて何が新しいのか.
 まず一点目は,セカンドライフは「ユーザー」の概念が旧来のオンラインゲームのような形とは全く異なるということだ.セカンドライフの中には,建築物があり,人がいて,音楽も鳴り響き,乗り物もあり,セカンドライフの通貨でのショッピングも楽しめる.だが,これらはセカンドライフのサービスを提供するリンデン・ラボ社によって作られたものではない.3D空間上に広がるこれらのものはすべて,「ユーザー」によって作られている.リンデン・ラボ社はただ,3D空間内の土地と,ものを作り出す技術の枠組みを提供しているだけだ.この世界はすべてが「ユーザー」によって作られ営まれている.言ってみれば,インターネット上のウェブページが,すべてインターネットユーザーによって作られているということと同じだ.「インターネットユーザー」が消費者であると同時に,コンテンツの作り手でもあるということと同様,「セカンドライフユーザー」は,消費者であり作り手なのである.
 二点目は,セカンドライフ内に展開されている仮想通貨であるリンデンドルが,現実の米ドルなどと交換可能という点だ.オンラインゲームなどの仮想空間の議論では,仮想通貨と現実に流通している貨幣との交換のことをRMT(リアルマネートレード)と呼ぶ.そして,このRMTと言われるインターネットの新しい経済活動が可能な空間として世界で最も大規模になっているのがセカンドライフなのだ.先ほど述べたように,セカンドライフ内ではユーザーが自由に3D空間内の物体や建築を作り出すことができる.そして,作り出したその物体を自由に売り買いし,現実世界での生計を立てていくこともできる.先ほど紹介した「1億円を儲けた」というユーザーも,このような取引が可能だからこそそれだけ大きな儲けを得るために邁進することができたのだし,ここ1年の間に「セカンドライフ内ベンチャー企業」と言われるようなベンチャー企業も数多く立ち上がってきた.
 そして,三点目はセカンドライフのブラウザソフトがオープンソースになっている,ということだ.これは,特定の企業のサービスするオンラインゲームなどでは到底考えられないことだ.だが,セカンドライフはリンデン・ラボ社が独占することによって広がっているサービスではなく,仕様を可能な限りオープンな形にして,さまざまなデベロッパーからの参入を促すことで,発展の可能性を見せるサービスである.セカンドライフはしばしば「3Dウェブブラウザ」としてとらえられるが,1990年代のインターネットがMosaicにはじまり,各社の多様なブラウザが競争するなかで発展していったように,リンデン・ラボ社は外部のデベロッパーの力を借りることによって大きく発展しようという目論見がなされている.また,ブラウザソフトのオープンソース化の前段階からさまざまなAPI(Application ProgramInterface)の公開もなされており,こうした方向性は以前からのリンデン・ラボ社の方針であったと言える.
 さて,以上がセカンドライフの基本的な特徴である.こうした特徴を持つセカンドライフをごく簡単に,キャッチーに言い表すと「立体的で直感的になったWWW」とか「Web3.0」といった言葉が出てくる.そして,実際にWWWの新しい展開そのものというイメージが持たれはじめているからこそ,世界中の大企業がこぞって参入をはじめ,熱心に報道されているのである.今,セカンドライフ関係の情報を持っている,という人は大手の新聞,雑誌,ネットメディアなどからの取材依頼が舞い込み,てんやわんやである.

セカンドライフの可能性─── セカンドライフは流行るのか

 繰り返すが,今(2007年3月末現在)のセカンドライフ報道は,2007年があけてからこの3カ月の間で爆発的に増えてきた.一種の流行ものとしてとらえられつつあると言っていい.筆者は,コンピュータゲームの可能性をめぐる議論を中心的に扱いつつ,その枠組みの中でここ数年RMTやセカンドライフの議論もフォローしてきたが,この原稿を書くことが決まったほんの数週間前には「セカンドライフの報道が流行に飛び乗るような話ばかりになりつつあるので,もう少し具体的に実のある議論をする必要がある」ということをまずは言う必要があるだろうと思っていた.だが,そう思っている間もなく,ネットのニュースメディアでは「セカンドライフ報道は空騒ぎなのでは」という流行ものへのカウンターの議論が注目を大きく集め,その直後,さらにその反論として「いや,空騒ぎと言って水を差すのはいかがなものか」という議論も出てきた.まさに「流行」でなければありえない程の目まぐるしいスピードで議論が回転しつつある.「セカンドライフ」が話題先行で中身のないものなのか,それともウェブの未来像を体現する輝かしい可能性そのものなのか.表面的な議論だけを見ていると,両極端なイメージが語られ,詳しく追っていない人からすればよくわからなくなってきているだろう.
 とりあず,「セカンドライフが有望株かどうか」ということだけで言えば,有望株であるのは間違いない.実は,「空騒ぎでは」と論じている側も,「そうではない」と言っている側もその点については意見にブレはないのだ.Googleが持ち得たほどのインパクトを持つほどの可能性はある.だが,“確実”にGoogleほどのパワーを持つものになるかどうか,とまで言われると,それはわからない.その意味で「GoogleやMicrosoftの次を担う新しいプラットフォーム!」という報道は,やはり話に色を付けているところはある.
 では,何がセカンドライフの普及にとって障害となっているのか.セカンドライフ報道を「騒ぎすぎ」という人々の根拠をまとめると次のようなものだ.
(1)まず,セカンドライフを体験するためには高性能のPCと回線速度が必要で,そのうえ登録するのに根気も必要.なので,現状ではパワーユーザー専用のオモチャとしての側面が強い.
(2)なんでもできる「可能性がある」とは言うものの,海外製のアダルトコンテンツとギャンブルコンテンツに人気のあるコンテンツが集中している.しかも作り出せる映像のセンスが,欧米人向けのものばかりで日本人には馴染みにくい.
(3)「なんでもできる」という汎用性を重視したため,個別のインターフェイスの扱いやすさや映像の美しさという点で言えば,最新のオンラインゲームのほうがクオリティが高い.
(4)いかにオープンなプラットフォームとは言っても,企業の展開するサービスなのでWWW自体の枠組みそのものと比べれば制約が多い.
 これらの指摘は,今のところは,いずれも事実だろう.日本人向けのサービス展開や,セカンドライフを体験するために必要な前提条件といった問題は今後解消されていく可能性はおおいにあるだろうが,現状のセカンドライフのままでは,今後日本向けのサービス展開を本格化させていかないと,日本の土壌でmixiやYouTube並みの普及というのは難しいかもしれない.
 だが,それでもセカンドライフは,この1年間の間に急激な成長を遂げつつあり,その可能性については多くの人が認めている.そして,セカンドライフの持つ特徴がWWWの新しい可能性として強く望まれているものであることも間違いない.「3DのWWW」「豊かな仮想世界」が発展していくのではないか,という「夢」に対して,セカンドライフは今,手を届かせようとしている.この「夢」の価値ゆえに,いくら普及にあたって問題があったとしてもセカンドライフの可能性は決してバカにできない,という声は出てくる.
 つまり,現状を一言で端的に言うならば,「強力な可能性があり,実現しそうな様子もある.しかしまだ数多くの障害がある」ということだ.

「セカンドライフ的なもの」の可能性

 逆説的なことを言うようだが,セカンドライフを論じるうえで「セカンドライフ自体が流行るかどうか」ということは,いったん議論を止めておく必要があるだろうと思われる.
 どういうことか.ここまでの議論で確認した通り,セカンドライフをめぐる報道は「過剰」であり,セカンドライフそのものがどこまで普及するか,については疑問符が付く.しかし,セカンドライフが実現しようとしている方向性については,多くの人が同意し,将来的にはそれが実現されればいいと願っている.このように考えると,「今,セカンドライフは流行るのか」という問題設定はそこまで重要ではない..........

 ……つづきは智場109号で

*1 : 2007年3月に開催されたGame Developers ConferenceでのBlizzard社の発表による。