グローコムフォーラム2005
グローコムについて

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予稿集
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予稿集設計の時代20世紀が社会秩序の「計画と開発」の時代であったとすれば、21世紀はその「設計」の時代になりそうだ。「設計の時代」は、二つの面から特徴づけることができるだろう。 その第一は、社会秩序の形成が「実験」可能になったことだ。コンピューターとネットワークの発達によって、多数のリアルな人間たちをプレーヤーとするゲーム、とりわけオンライン・ゲームが設計され実行できるようになった。ゲームの設計者は、プレーヤーの間のさまざまな相互作用に関するルールを設定し、プレーの進行状況、つまりゲームの場での秩序の形成状況を観察しながら、ルールを適宜変更した新しいバージョンを作っていく。こうした試みは、「ゲーミング」と総称できよう。あるいは、人間のかわりに、ソフトウエア的に構築された「エージェント」にゲームをプレーさせることもできる。すなわち、ゲームの「シミュレーション」を行うのである。このような「ゲーム」には、それ自体がリアルな社会生活、社会活動の一部として設計され実行されるものも少なくないのである。 その第二は、参加型の情報発信が可能になったことだ。20世紀の一対多の「マスコミュニケーション」に代わって、21世紀には「多対多」の「グループコミュニケーション」が社会的コミュニケーションの主流になる。それに伴い、たくさんのゲーム設計者たちがさまざまなゲームを設計し、ありとあらゆる人々が自分たちの参加したゲーミングや自分たちが試みたシミュレーションの結果を発信する。その結果として、社会のあり方も変化し、新しい秩序が生まれて進化していくのである。 つまり、21世紀の「智民」たちは、政府や巨大企業による「計画」や「開発」と称する「上」からの秩序の形成・変革の試みのモルモットとなるのではなく、自分たち自身がさまざまなゲームの設計者やプレーヤー/シミュレーターとなって、「下」からというよりは「横」から、さまざまな社会秩序を創り出し創り直していく中で、さらにそれらの秩序自身を相互作用させあっていくのである。それは最終的な秩序のあり方を念頭においた計画/開発者が、その構成要素の挙動をひとつひとつ指令/制御することで、秩序の創出をはかるような直線的な過程ではない。今日のゲームのほとんどの場合、その設計者は、最終的でグローバルな秩序(均衡)のあり方を直接念頭においてプレーヤーの従うべきローカルなルールを設計するというよりは、まずはなんらかのローカルなルールを決めて、それがどんなグローバルな秩序を「創発」させるかをゲーミングやシミュレーションによって観察しようとする。さらにいえば、ルールの制定や変更の過程自体も、単一の設計者による専制的な過程というよりは、多数の設計者の間での、さらには設計者にプレーヤーまで加わった複雑で「民主的」な相互作用過程(合意形成過程)となっている。しかも、そうして決められたルールやそこから創発してくる秩序は、「社会選択」の結果として存続したり消滅したりする。さらに新たな「進化」も起こっていく。 もちろん現実には、完全な「計画/開発」がありえなかったように、完全な「(民主的)設計」もありえないだろう。それでも、20世紀と21世紀の社会秩序の形成過程には、単なる程度の違いという以上の質的な違いがあるように思われる。 そのような状況の中で、われわれや、われわれの生きている社会自体が、未来人(それとも「神」?)が設計したゲームのシミュレーション過程に他ならないという思想も生まれていることは、興味深い。いまやわれわれはみな「シムズ」かもしれないのである。 情報社会の合意形成と設計の知:司会方針このシンポジウムでは、情報社会の合意形成を「なめらか」にするために知になにができるかという視点から、学際的な討議を試みたい。 私たちはいままで、公と私、ウチとソト、仕事と余暇、ビジネスとアカデミア、国内と国外、「私たち」と「彼ら」など、いくつもの境界を設定することで社会のダイナミズムを調達してきた。しかし、情報技術革命は、その境界をさまざまな場面で溶解させつつある。その溶解は、短期的には混乱を生み出すが、長期的には新たな秩序に落ち着いていくことだろう。パネラーのなかでもっとも若い経済学者、鈴木健は、その秩序の鍵が「なめらか」だと主張する。ウチとソト、仕事と余暇、ビジネスとアカデミアが、ただ繋がるだけではなく、なめらかに連なり増殖していく、多様で生産力に溢れる社会。それはひとつの理想である。 では、その実現のためになにが必要だろうか。 いま日本でもっとも注目されている経営学者、國領二郎は、「プラットフォーム」というコンセプトを提案している。「私たち」と「彼ら」の境界が消え去ったあと、それでも個人が《孤人》(*)として切り離されないためには、ネットワークの整備だけでは不十分だと國領は考える。プラットフォームは、ネットワークに対しては上部構造に、コミュニティに対しては下部構造となる。それは、あらゆるものを繋げてしまう情報技術のインフラと、逆にあらゆるものを分散させてしまうポストモダンの多元志向のあいだを「なめらか」に媒介する、一種のミドルウエアの構想だ。 情報社会の合意形成は、プラットフォームのうえで「なめらか」に行われる。 この意味は大きい。20世紀の合意形成は、多様な意見をまとめあげ、ひとつのコミュニティ(たとえば国民国家)を、言い替えれば、「私たち」と「彼ら」の境界を再設定する過程だった。しかし、いま夢見られている合意形成は、まったく異なったコミュニケーションの可能性を指し示している。私たちは、プラットフォームを介して、ばらばらに多様な合意形成を行う。そこでは、いくらコンセンサスが得られても、「私たち」がひとつになることはない。21世紀は、イデオロギーによって分割されるのではなく、無数のコミュニティが無数のプラットフォームを介して連なりあう、別種の秩序を模索しているのだ。 情報社会の多層的世界。そこでは、知のかたちも変わらざるをえない。この地点において、情報社会学の先駆者、社会学者の吉田民人と経済学者の公文俊平は、ともに「設計の時代」を予言する。コミュニティに奉仕する「分析の知」ではなく、新たなプラットフォームを生み出す「総合の知」へ。世界と人間が退治する認識科学から、世界と人間とのインターフェイス=ネットワークを所与の環境とした「ゲーム」「シミュレーション」の実験科学へ。情報社会の学は、それみずからがひととひととを繋げる、合意形成の媒介として機能しなければならないのだ。 その構想の豊かさに迫ることができれば、このシンポジウムは成功したことになるだろう。 (*)アニメーション作品『攻殻機動隊 S.A.C.』の表現 ネットワーク時代におけるプラットフォーム設計インターネットは現場の問題解決能力を高める一方で、社会的混乱が急激に世界中に拡散しうる状況を作りだしており、新しい統治(ガバナンス)の姿を描くことが急務となっている。分散し自律しながらも共鳴し、協調行動を取る個人や小組織のネットワークの統治には影響力-見識-の行使が必須の要件であり、学問はその方法を提供するものでなければならない。見識による統治の時代において、アカデミアは客観的な分析者であることを超えて、統治の主たる構成要素である「見識」の発信者-すなわち行為者-となる運命にある。その中で学問のあり方そのものも見直していかなければならない。これまでの社会科学には起こった社会現象を事後的に分析(analysis)しメカニズムを客観的に理解することに力点があったとすれば、これからはリアルタイムに「今」を分析し、諸要因の総合(synthesis)を通じて主体的、能動的に知を現場に反映させる、設計、執行、評価のサイクル確立を強調しなければならない。 知の現場への反映のさせ方の一つの形態として「プラットフォームの設計」というアプローチがあることを提案したい。ここでプラットフォームをやや狭義に、主体間の相互作用を促す共有された言語空間のことと定義し、言語の共有を共同体の成立要件とみるならば、ネットワーク上でプラットフォームを共有している集団がネットワークコミュニティということなる。プラットフォームは語彙、文法、文脈、規範によって構成される。(1)語彙によって概念が共有され、(2)文法によって伝達のプロトコルが共有され、(3)文脈=共通体験によって伝達されたメッセージの共通の解釈が醸成され、(4)規範によって行動が決定される、というメカニズムだ。このような共通基盤がないと、ネットワーク上で多様な主体が相互作用を行なうことはできない。 プラットフォーム設計に着目するのは、膨大な情報がやり取りされ、自律分散的に行為が発生している中で、ネットワーク上の相互作用そのものに直接的に働きかけることが極めて困難であるのに対して、プラットフォームは設計可能な対象であるからだ。たとえば組織が形成されるとき、なんらかの綱領(社是、定款)を制定し、組織としての言葉遣いや規範や物語を共有することで、一体間を醸成することがよく行なわれるが、これはプラットフォームづくりと言える。より広い国家などを考えても国民国家の形成過程で、国民国家としての歴史が変遷され、国語の統一運動が展開されたりしてきた。2チャンネル内で、個人情報の取り扱いの明示的ルールが設けられ、別途暗黙のルールとして固有の言葉づかいや、コミュニケーションのプロトコルが成立しているのも、同じくプラットフォーム形成がなされている状態といえる。 学問や教育はそれに関係する人々の間に共通の言葉の理解や、同じことについて議論を行なった文脈を形成することを通じてプラットフォーム形成につながる。地域情報化などに関連して、教育を語る場合、知識を伝達する面が強調されがちであるが、それよりも、同じ目的を持った人間が共通の話題を通じて思索をし、議論をすることによって、共通の語彙、文法、文脈、規範を持つことで協働が自生しやすい状況を作り出す面が大きいといえる。筆者の研究室ではそのような「偶発(創発)的な協働を誘発する」プラットフォームの構造を解明し、それを現実社会に埋め込むことを通じて、さらに新たな知見を獲得する活動を志している。
なめらかな社会の設計 ~その一例としての伝播投資貨幣PICSY~情報革命は、今後数百年かけて進展する長いプロセスの総称であり、ひとことで言うとコミュニケーションの革命に他ならない。より具体的にいえば、なめらかな社会へ向かっていくものと考えられる。 なめらかな社会とは、いったいなんでないのかを説明しよう。なめらかでない社会の例として、ステップな社会とフラットな社会を挙げることができる。ステップな社会とは、切り立った二者関係、つまり二元的なものと考えてよい。たとえば消費者と生産者の関係は二元的でステップなのに対し、それに対してプロシューマーはすごくなめらかな感じがする。 ここで重要なのは、ステップを拡大していくと、なめらかになるということである。つまりステップなものは実際には存在しない。スケールを変えていくと、どのようなものもなめらかに見えるということであり、ことは認知的な問題なのである。 内側と外側を分ける切り立った二元的な関係を、通常はよくないものだと私たちは考えがちである。つまり、敵と味方を区別するのはよろしくない、と。しかしかといって、フラットにも問題がある。というのも、フラットな世界には非対称性・差異がないため、ここには文化が発生しない。逆に、世の中はフラットだといってしまう欺瞞も存在してしまう。たとえば完全市場というのは公平でフラットな社会だといわれますが、実際にはフラットじゃない。完全市場なんぞどこにも存在しないわけだから、そういう欺瞞性がフラットにはある。 そこで出てくるのが「なめらか」である。「生と死」、「人工と自然」など、本当はなめらかな関係だけれども、なめらかではない概念がこの世の中にはたくさんあり、組織の内側と外側を分けるという概念はそのひとつである。 なめらかな社会を設計し、実現するためのひとつの方法として、貨幣レベルから組織を仮想化してしまう貨幣を発明してみた。伝播投資貨幣(PICSY)は、すべての取引を投資としてしまうことによって、取引価値が組織を超えて伝播する貨幣システムである。 このような貨幣を導入することによって、組織の仮想化や公平性の向上の他に、コミュニケーションのダイナミクスが変化することが期待される。 組織境界に対して、透過して貨幣価値や情報が伝播する仕組みを採用することによって、「異なったインタレストを持ったアクター」の合意形成の仕方が変容するはずだ。なぜならば、「異なったインタレストをもったアクター」という概念自体がなめらかでない社会の産物に他ならないからだ。 貨幣のように社会のOSに当たるレイヤーを差し替えるには、数百年スパンで考えていく必要があるが、いまわれわれにはそのような議論が必要である。 |

