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Center for Global Communications,International University of Japan

不登校問題とコミュニケーション・ライフラインとしてのIT

豊福晋平(GLOCOM主任研究員)

 

 1999年から2003年にかけて筆者は不登校児童生徒の支援とIT活用に関するプロジェクトに関わること になった。なかなか原稿にする機会がなかったのだが、今回はその経緯で考えたことをまとめようと思う。

 ここ十数年の学校長期欠席者、いわゆる不登校児童生徒の増加は文部科学省の統計を見ても著しく、すでに社会 的課題と認識されてから久しい。発生率から考えれば、学級に必ず1人はいる計算となり、教育現場でも、もはや特別なものではないとの捉え方がなされてい る。

 この不登校の問題、昔は「怠学である」「精神鍛錬がなっていない」などと厳しい批判が多い一方で、学校管理 体制批判の象徴的論拠として使われてきた経緯がある。しかし、当の本人や家族にしてみれば、深刻な葛藤や理不尽さ、学校・近隣からのプレッシャーに対し て、そのような表面的な議論は何の助けにもならないことも事実である。

 実際のところ、不登校の原因は様々であるが、いわゆる積極的な意思表明としての不登校(「いまの学校が間 違っているから行かない」)を除けば、学校での対人関係の問題をきっかけとして、家族自体が抱える問題へと帰結することも多い。家族の問題は通常一番弱い 構成員(つまり子供)から噴出する。それがたまたま不登校や身体的症状の形をとって表われるのだから、子供だけを相手にしても根本的解決にならない。不登 校と向き合うことは家族全体と向き合うことと同じ難しさを持っており、解決にはきめ細やかな対応と長い時間がかかるのである。

 さて、このような不登校問題に対して、文部科学省(当時文部省)はITを活用した支援研究を行った。「IT は不登校にどうエフェクトできるか」という問いに対する模索が全国数カ所で始まることとなったのである。問いの答えは、不登校という現象をどう読むかに よって、ずいぶん異なるように思えた。

 答えとしてよく見られたのは、不登校児童生徒に学校学習教材を配信するシステムの開発(自宅学習環境のIT 支援)であった。これは一見もっともなのだが、巷には質のよい教材が氾濫しているにもかかわらず、せいぜい数十名を対象にボランティアで教師が手作り教材 を登録するようなコストを度外視した対応は研究事例としては多いけれども、質量の問題もあって長続きしそうにない。乱暴な言い方をすれば、不登校児童生徒 にとって、本人にとって代え難い情報、すなわち学習進度や単位認定、あるいは、クラスや友達の様子は気になるが、学習情報そのものは代替手段が豊富に存在 するのだから、ありがたみもそれほどではない。

 私の関わった某適応指導教室適応指導教室 : 自治体によって相談指導学級など名称はまちまち。不登校児童生徒に対し て原籍校への復帰を目標とした指導とケアを行う小規模施設で、原籍校とは別の場所に設けられていることが多い。職員はカウンセリング・スキルを持った教職 員、専門職のカウンセラー、大学院生のメンタル・サポーター等で構成される。引きこもりの程度が重くない児童生徒は原籍校の代わりに適応指導教室へ通級す ることもできる。のチームでも、当初前述のプランが優勢であったのだ が、不登校の課題を深く掘り下げるうちに、実は重要なのは学習情報そのものではなく、もっと稀少な事象であるということに気がついた。つまり、不登校で引 き起こされる重大な困難とは対人関係の不全状況を招くということであり、この立場に置かれた子供達に、補完的なオンライン・コミュニケーション・チャネル を複数提供するという発想である。

 当時はまだ、携帯メールもそれほど普及しておらず、個人間がオンラインで自発的につながるという状況にはな かったので、対象となる児童生徒(小学生・中学生計十数名)、保護者、学級担任の先生、カウンセリング担当者、大学院生のメンタル・サポーター、そして我 々のような支援者をどのような手段でつなぎ、コミュニティを形成するか、について議論を重ねた。おもなアプローチは、1)担任・カウンセリング担当者から 対象児へのメールと、2)対象児童生徒複数とメンタル・サポーターを中心とした電子掲示板、3)バックヤードに支援者相互の掲示板の3本立てである。対象 児は個人のメールアドレスを持っているので、基本的には誰にでもアクセス可能である。

 個人間をつなぐメールとしては、担任の地道な努力でほぼ毎日数行ずつ学校での出来事が綴られたメールが対象 児に届けられた。対象児へのインタビューによると、学校の様子がよく分かるので不安の払拭には大変役立ったとのことであった。ただし、ほとんどは先生側か らの一方通行で、対象児から返信が返ることは稀であった(返信をするのは大変なストレスになるということなのだ)。

 別のケースとしては、保護者が外部者と対象児との接近接触を拒絶することで、半ば軟禁状態になっている児童 もいた。そういう児童がメールで適応指導教室のOBやメンタル・サポーターと連絡を取り合ったことも報告された(保護者をバイパスするアプローチとしては 議論があるところだが)。引きこもりとはいっても、外との情報を全て遮断してしまうのではなく、むしろ、コミュニケーションを取りたくても取れない状況に ある、ということが分かる。

 コミュニティを形成する電子掲示板については、企画側として、ただでさえ辛い思いをしていてナイーヴになっ ている子供達が匿名掲示板で心無い怒号と中傷に晒されることだけは避けたいと、クローズドな掲示板にしたのだが、大学院生のメンタル・サポーターが積極的 にモデレートを行い、ここに適応指導教室のOBやカウンセリング担当者が複数参加することで、総勢30名程度の落ち着いたやりとりが継続的に行われた。と にかく相手をよく気遣い、年齢からすれば大人びた丁寧な印象を受ける。彼らは対人関係について傷を負っているがゆえに慎重で、相手との距離も取りたがる が、文字上でのコミュニケーションがかえって彼らにとっては良い緩衝材になっているようである。このなかで気づかされたのは異年齢との対話の重要性であっ た。普段の学校なら、対同年齢、対大人のコミュニケーションが主体だが、適応指導教室や掲示板では、年齢的に近いメンタル・サポーターや児童生徒との関わ りが多い。同年齢では気後れしてしまう子でも、年下の子に世話をして慕われるという関係が出来やすいように思われる。

 教育とITの議論では、とかくバーチャルなコミュニケーションに対する警戒感が強く、二言目には「現実と仮 想の区別がつかないと危険」という話になることが多い。事実、佐賀のバスジャック事件や福岡の猫虐待事件など、ネットワークの持つ暴力性や危険性が懸念さ れていることは事実である。だが、少なくともこの不登校児童生徒支援のケースでは、直接的対人関係に支障があっても、代替的なコミュニケーション・チャネ ルをオンラインで(場合によっては選択的に)構築することが可能であり、子供達にとってはこれがライフラインとなりうることが明らかになった。関係機関が 前向きにこれら課題に取り組み、さらに多くの意義と発展的展望を見いだすことに期待したい。