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Center for Global Communications,International University of Japan

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コミュニケートする自由と技術

土屋大洋(GLOCOM客員研究員)

 

 どこかで聞いた「Freedom to Communicate」という言葉が何となく気になる。「コミュニケートする自由」は、従来「表現の自由」や「通信の秘密」として論じられてきた概念をまとめて表現したような言葉だ。しかし、そこにはもう少し違い意味合いもあるような気がする。というのも、最近、二つの出来事が重なってこの言葉の意味を改めて考えるようになったからだ。

知り合いの経験から

 一つは、知り合いの大学教員が、突発性難聴によって片耳の聴力を失ったことだ。医学的な原因はよく分からないらしいが、そうなるに至った個人的な状況をその人はウェブに書いている。そして、何よりもつらいのはインタラクティブな授業をしにくくなったことだという。聴力を失った側の耳では聞こえないのはもちろん、大きな教室での対話はしづらいのだそうだ。

 そうしたつらい経験を他人と共有する勇気を彼は持っている。そして、それを手助けしているのはインターネットだ。彼は電子メールなら通常の人と変わらないコミュニケーションができる。音や画像を多用したリッチ・コンテンツも増えてきているが、ベーシックなウェブや電子メールならば耳が不自由でも問題ない。

 しかし、インターネットを使いたいのは耳の不自由な人ばかりではない。さまざまな不自由を持った人たちを助ける情報アクセシビリティ技術の研究も進んできている。そうした技術が不自由を補う自由をもたらしてくれれば情報技術の社会的価値はもっと高まる。

ある国の通信事情

 もう一つの出来事は、最近訪れた国での通信トラブルだ。その国は大統領が憲法で定められた任期を終えてもその座に居座り、権威主義的な政治を行っている。大統領の顔がデカデカと写ったポスターが街のあちこちに貼ってある。街の雰囲気は和やかで、反政府デモが吹き荒れているわけではない。目抜き通りでは朝からオープン・カフェがにぎわっている。しかし、政治の話はタブーだ。

 この国のホテルでインターネット接続を試みた。日本で使っているプロバイダーのローミング番号を持っていたから、あっさりつながるものだと思っていた。確かに数度トライするとつながった。スピードは24Kbpsほどだから遅いが、つながらないよりもましだ。

 しかし、何かおかしい。いろいろ事情があって私は四つの電子メール・アカウントを一つのメーラーで併用している。どうやら届かないメールがあるようなのだ。自分宛にメールを出したり、一つのアカウントから別のアカウントにメールを出したりしてテストしてみると、どうやらある一つのアカウントから出されるメールは届かないらしいということが分かってきた。

 そのアカウントはAPOP(Authenticated Post Office Protocol)という一種の暗号を使っている。一般的に使われているPOP(Post Office Protocol)だとパスワードをネットワークに垂れ流してしまうため、ネットワークの途中で盗まれる恐れがある。そこでパスワードを暗号化して安全性を改善したのがAPOPである(ただし、メール本文は平文で送られるのでそれほど安全というわけではない)。

 慌ててウェブを検索してみると、確かにその国は暗号規制をしているらしい。インターネットで暗号を使うには事前登録が必要だというのだ。この国では政情不安というわけではないが、大統領にしてみれば反政府勢力の存在が気になる。そうした勢力を野放しにしておくと、いつ自分が政権の座から追われるか分からない。だから秘密の通信を許さないということらしい。この国とは、来年世界情報社会サミット(WSIS)をホストするチュニジアだ。なぜチュニジアが WSISをホストする気になったのか不思議で仕方がない。

コミュニケートする自由に向けて

 コミュニケーションする自由は基本的な人権で当たり前だと思っていたが、身近なところでも、世界でも、それは簡単には通用していない。しかし、コミュニケーションする自由がまったくなくなったら人間はどうなるのだろう。言葉を持つ前の原始人に戻り、協力のための合意ができなくなるから自己の欲するがままの闘争の世界へと戻るのだろうか。

 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という表現の自由と、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」という通信の秘密を定めた日本国憲法第21条は実にありがたい。

 しかし、それだけでは何かもの足りない。「コミュニケートする自由=表現の自由+通信の秘密+α」だとすると、αとは何なのか。それは「技術を追求・利用する自由」とでも言えないだろうか。ハンディキャップを持つ人々を助ける情報アクセシビリティ技術の追求は、高齢化する日本にとっても重要になる。新しい技術が民主主義に貢献できる可能性も論議されている。

 日本国憲法に「技術」という言葉は出てこない。米国憲法にも「technology」という言葉は出てこない。もし憲法を改正する機会が本当に訪れれば、技術立国日本としては、「技術を追求・利用する自由」を盛り込むぐらいの気概を見せてもいいのではないだろうか。人類の進歩を促す技術をわれわれは支持すると宣言するのだ。