GLOCOM - publications

Center for Global Communications,International University of Japan

国家の縮小と憲法改正

丸田 一(GLOCOM主幹研究員)

 先の参院選では、少し後ろめたさを感じながらも投票に行かなかった。それは、一票を投じたからと行って何も変わらないという無力感からではなく、今行われるべき選択とかけ離れているという違和感を抱いたからである。

 行われるべきは「国家の範囲」についての選択であり、願うべくは「国家の縮小」である。国を小さくしなければならないのに、大きな国の枠組みの中で国の行方をうらなうのは本末転倒であり、大きな抵抗がある。まして、マニフェストに示された政策をどれほど忠実に実行してもらっても逆効果でしかない。

 ただし、国家の範囲を見直すには、憲法を改正しなければならない。憲法とは、国民が従う最高原則ではなく、国家の方が従うべき国民の意思である。国民が統治権力を規定するために表明した憲法意思にもとづいて、国家は権力を行使する。参院選で感じた違和感に忠実に行動するとしたら、また選挙権の放棄に責任を持つとしたら、憲法改正へのアクションを起こすのが正しい道ではないかと思うようになってきた。

 国家の縮小は、二つの側面から説明できる。

 一つは、地方分権に伴う国家の縮小である。2003年にスタートした三位一体の改革では、政府が地方6団体にボールを投げ、補助金削減の代替案作成を依頼するという予想外の展開になっている。いずれにせよ、地方分権改革の本丸である税財源移譲に着手したのは大きな前進である。この調子で改革が進んでいけば、内政のほとんどがそれぞれの地域に委ねられる分権国家が実現する。さらに、地域が主体的に地域を統治する地域主権国家(連邦国家)の実現も夢ではない。その場合、国民は、国とも憲法を通じて社会契約を結ぶが、同時に邦民として邦とも社会契約を結ぶ必要が生まれる。

 もう一つは、ラストモダンへの移行に伴う相対的な国家の縮小である。情報社会学によると、近代は国家化、産業化を経て、情報化が進展する成熟局面(ラストモダン)へと移行しつつある。昭和憲法が制定された約60年前、日本は国家化から産業化へ歩みはじめた段階であった。戦後社会が目標達成するためには、国家システムを利用するのが効率的であり、現に日本は開発主義的な政策をとって短期間に経済成長に成功した。そして現在は、情報化の局面へ移行しようとしている。今後、日本社会が目標を達成するには、国家システムばかりか、市場システムを使うことも十分可能であり、さらに国家でも、市場でもない第三のシステムに頼ることも可能になってきた。

 例えば、教育を考えてみよう。生涯学習といわれるように、今や質的な広がりをみせる国民の教育ニーズを、国家による教育だけで満たすことはできない。企業による教育学習サービスが不可欠であるのはもちろんのこと、インターネット市民塾(富山県)や鳳雛塾(佐賀県)にみられるように、地域から竹の子のように勃興してきた新しい教育装置が多くの支持を集めている。国から与えられる教育でもなく、企業から金で買う教育でもない、第三の教育システムが誕生しつつある。

 このように三つの異なる主体による教育が併存することで国民の教育ニーズが満たされるとすれば、教育に関する国家の権能を大雑把にいって三分の一に限定してもよいということができる。

 こんなところから、憲法改正の議論をはじめたい。