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パソコンで指導できる教員が増えないのはなぜか
- 豊福晋平
- GLOCOM主任研究員
文部科学省が2004年7月に発表した調査結果によると、コンピュータで指導できる教員数はまだ全体の約6割に過ぎない。e-Japan戦略では2005年度までに全公立学校教員のIT活用指導力の向上が目標とされ、各種事業が行われてきたものの、年度末までの実現は非常に厳しい状況にある。だが、これは単に教員個人や学校に責任を押しつけて済まされる課題ではない。筆者が考えるのは、この数字が示すもっと根本的な問題である。文部科学省は、情報教育関連政策の成果指標として毎年7月下旬に「学校における情報教育の実態等に関する調査結果 *1 を公表している。これは、前年度末3月31日時点の数値を各自治体から取りまとめるもので、学校の情報機材・ネットワークインフラ環境整備、ソフトウェア、各種サービス、および教員の情報分野の操作・指導力に関わる項目等で構成されている。
2004年に一部マスコミで槍玉に上げられたのは、コンピュータで指導できる教員数が全体の60.3%(2003年度52.8%)に過ぎないということであった。国のe-Japan重点計画2002(2002年6月発表)で、全公立学校教員のIT活用指導力の向上は2005年度中の目標とされ、教員研修をはじめとした各種事業が行われてきた。ところが、年限まで残り1年しかないのに実態がたったの6割では年度中の目標実現がほとんど不可能であることから、失策ではないかと批判されているわけである。
さてこの問題、どこに責任の所在があるのか。文部科学省やマスコミの論調では、学校現場や教員個人の問題に帰結したそうだが、筆者にとってみれば、単に学校や教員の尻を叩けば済む話とは思えない。笛吹けど踊らずといった現象が起こっている時は、ふつうなら政策側の問題であることが多い。
筆者がこの原因背景としてあえて提起したいのは、中学高等学校の教科担任制と旧態依然とした教科枠組みの問題である。
コンピュータを操作できる教員と指導できる教員の統計(1998~2003年)をグラフにしたものが図1である。仮に数字が正しく実態を反映しているとして、どちらも単純増加の直線になっていることが分かる。2001年はIT活用指導力向上プラン、特別非常勤講師配置事業費補助など比較的多くの予算が配分されたが、前後で傾きが変わっていないことを見れば、特別な対策によって目立った効果が上がったとは言えないことが分かる。もっとも、この傾きは世代交代のスピードよりも急であることから、地道な効果は一定上がってきていると評価すべきだろうか。
このグラフで不思議なのは、操作できる教員数と指導できる教員数の格差が常に一定(約30%)で推移していることである。ここから先はデータがないので推測に過ぎないが、この30%を「技能的習熟や不安があって操作できるが指導できない」一群と単純に考えることは難しいだろう。
そこで、2003年度の結果(表1) *2 を詳細にみると、つぎのような点が指摘できる。小学校教員の操作できる・指導できる割合は93.3%対72.7%で-20.6%であるのに対し、中学校は92.7%対53.8%で-38.9%、高等学校は93.6%対46.1%で-47.5%となっており、中高のほうの差が著しい。さらに、中高の担当教科別統計をみると、操作面では教科に関わりなくほぼ90%を超えているのに対して、指導面では情報関連科目以外は著しく低い(表2・表3)。つまり、操作と指導の格差を生む要因は、技能の問題というよりは、むしろ中高の教科の棲み分けにあることが分かる。コンピュータを使うのはもっぱら情報科目で、自分の教科は関係ないという訳だ。
| 表1:学校種別・操作できる/指導できる教員割合(2003年) | |||
|---|---|---|---|
| コンピュータを操作できる 教員数の割合(A) | コンピュータで指導できる 教員数の割合(B) | A‐B(%) | |
| 小学校 | 93.3% | 72.7% | 20.6% |
| 中学校 | 92.7% | 53.8% | 38.9% |
| 高等学校 | 93.6% | 46.1% | 47.5% |
文部科学省2003年度データを組み替えた。
| 表2:担当教科等別コンピュータ活用等の実態(中学校) | ||
|---|---|---|
| コンピュータを操作できる教員数の割合 | コンピュータで指導できる教員数の割合 | |
| 国語 | 88.3% | 41.7% |
| 社会 | 91.0% | 55.6% |
| 数学 | 93.6% | 60.9% |
| 理科 | 94.4% | 68.4% |
| 音楽 | 89.2% | 39.4% |
| 美術 | 88.2% | 47.2% |
| 技術 | 97.5% | 95.5% |
| 家庭 | 89.5% | 48.3% |
| 保健体育 | 88.8% | 38.6% |
| 外国語 | 91.6% | 44.7% |
| その他教科等 | 82.5% | 31.7% |
文部科学省としては、コンピュータを教育の目的だけでなく、教科の教育手段としても使わせようとする意図がある。たしかに、一部ではコンピュータやネットワークを用いた教科指導が取り入れられつつあるが、中高の現場の反応はどちらかといえば冷ややかである。そもそも教科担任制で分業化されているうえに、過重なカリキュラムに受験指導が加わって余裕がないとなれば、単に目先を変えただけのコンピュータ利用に説得力がないのは当たり前の話だ。
これは現場で実際に聞いた話だが、「コンピュータは教具のひとつなのだから、あえて理由がなければ使わない」という。そもそも従来教科のほとんどは、旧来の黒板とチョークの授業で十分こなせるよう配慮されている。コンピュータが必ずしも得意でない教員にとってみれば、慣れない道具・不完全な道具はリスク以外のなにものでもない。教員に科せられた最大のタスクは、所期の教育目標を達成することなのだから、厳しい縛りがあるか、よほどすばらしい教育効果が期待できるか、扱いにくい機材を強引にねじ伏せるくらいの実力がなければ、合理的判断としてリスクの低い教授方法を採るだろう。
| 表3:担当教科等別コンピュータ活用等の実態(高等学校) | |||
|---|---|---|---|
| コンピュータを操作できる教員数の割合 | コンピュータで指導できる教員数の割合 | ||
| 国語 | 90.2% | 28.1% | |
| 地理歴史、公民 | 90.4% | 33.1% | |
| 数学 | 94.5% | 50.3% | |
| 理科 | 95.0% | 53.9% | |
| 音楽 | 89.5% | 30.4% | |
| 美術・工芸・書道 | 83.9% | 31.3% | |
| 家庭 | 91.4% | 41.8% | |
| 保健体育 | 88.7% | 25.7% | |
| 外国語 | 92.9% | 32.9% | |
| 情報 | 100.0% | 100.0% | |
| 専門教科・科目(計) | 94.9% | 78.6% | |
| 内訳 | 農業 | 92.2% | 66.6% |
| 工業 | 95.9% | 78.3% | |
| 商業 | 95.8% | 90.3% | |
| 水産 | 91.5% | 71.0% | |
| 家庭 | 92.6% | 64.0% | |
| 看護 | 85.4% | 36.9% | |
| 情報 | 100.0% | 100.0% | |
| 福祉 | 97.3% | 60.0% | |
| その他教科等 | 89.0% | 24.1% | |
注)複数教科を担当している教員は、主たる担当教科に記入。 「その他教科等」の教員は養護教諭、主たる担当教科が特定できない教員等である。
つまり、「コンピュータで指導できない」というのは、現状のカリキュラムに照らして、現場がそれだけのメリットを認めていないというメッセージにほかならない。「指導できない」のではなく、「コンピュータで指導する意味がない」ということである。
しかし、だからといって「中高の情報教科以外にはコンピュータを導入する意義がない」と早々に結論するのも考えものだ。生活全般に情報分野の知識スキルが普及する昨今で、鬼っ子のような情報科目に情報に関わるすべてを押し込めてしまえるのだろうか。ひとつ気になる例がある。小中学校のパソコン作品審査や学校ホームページの評定に関わって毎年思うことだが、中学校より小学校の方が完成度も熟練度も高いと感じることが一度や二度ではない。中学校作品の大半はせっかくの題材を活かしきれず、表現の質としても未熟な段階に留まるケースが多い。年齢に応じて知識スキルがアップするものと考える我々にとって、この逆転現象は衝撃的でもある。
指導面からみれば、小学校では合科(複数の教科内容をひとつの授業で扱うこと)的発想を実践に持ち込みやすく、児童の表現活動も多様なため、知識スキルの統合度も高くなるように見えるが(もっともそれは指導教員の名人芸の域に当たるのかもしれないが)、中学校では教科別の知識習得に重きが置かれているために、十分な時間がないうえに教員も身動きがとれず、結果、生徒の表現力自体が退化してしまうかのようだ。
情報の知識スキルが知的生活・知的活動全般に与える影響は、もはや無視できないものがある。加えて、それらはもっぱら能動的な表現活動を通して身につけられるものと考えれば、情報科目だけにこれらを任せるのはナンセンスだ。中高でこのままの教科枠組みを続けていたのでは、社会と学校との知の乖離はますます大きくなり、生徒達の失望は増すばかりか、将来の重大な社会的損失となる可能性もある。
むしろ、我々が今行うべきことは、現代の知的生活・知的活動にあわせて、教科枠組みをもドラスティックに変えることではないだろうか。たとえば、様々な表現活動や問題解決に直接関わる領域を切り出して表現基礎科目とし、相応の時間数を配分する方法はどうか。この科目では知的活動のフロントエンドを扱うわけだから、情報機器を文具として位置付け、生活実態にあわせて数年おきにカリキュラムをアップデートする。各教科ではその応用部分を扱い、より実践的課題に取り組む形とする方法が考えられるだろう。このように、「コンピュータで指導できる」教員がなかなか増えないのは、中学高等学校で教科別の棲み分けがあり、従来教科においては「コンピュータで指導する意味がない」と認識されていることが大きな理由であると筆者は考える。定められたカリキュラムに照らせば、教員の反応はいたって真面目で素直であり、けっして奢りや怠業といった類のものではないことに注意すべきだ。したがって、ただ教員研修の回数を増やしたり、教科指導にコンピュータを無理矢理ねじ込んだりするような小手先のやり方では、第一、教育現場は歓迎しないし、効果も十分上がらないだろう。
むしろ、この問題に踏み込むなら、必然的に教科の改編をも含めた根本的かつ大がかりなものにならざるを得ない。背景にある知的生活・知的活動と教科枠組みとのミスマッチを解消するような、積極的かつ大胆な改革を模索したいところだ。
[2004.11.04]
*1
: <http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/07/04072101.htm >
*2
: < http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/07/04072101/004.pdf >
