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『地域情報化の最前線自前主義のすすめ』
- 丸田 一
- GLOCOM主幹研究員
『地域情報化の最前線―自前主義のすすめ―』岩波書店2004年9月発行四六判、236頁税込価格2,310円
地域情報化の10年
わが国の地域情報化は、1990年代前半、インターネット商用化と歩調を合わせ、地方から熱気を帯びて始まった。距離のハンデを克服し、自律分散型社会が作られるという期待から、特に地方に住む先駆者の関心を集めたのである。しかし残念ながら、地域情報化によって地域コミュニティの崩壊や地場産業の衰退がピタッと止まり、地域が見事に再生したという話を聞いたことがない。いくつかの事例で地域コミュニティの再生がみられるというのが実情である。
これまでほとんどの地域には、十分な帯域を持つ通信インフラがなかった。確かに通信インフラがなければ、ITの恩恵を受けようにも受けられない。全国の主要市街地に十分な帯域を持つ通信インフラが行きわたったのが2002年末であるが、これでようやく地域情報化が地域を変える環境が整った。2003年は、e-Japan戦略IIが「インフラの整備から利活用へ」と方針転換したこともあり、第2の地域情報化元年となるというのが私の理解であった。しかし、実際はそれよりもはるかに早く、また違った形で地域情報化は進展していた。そこで拙著では、まずこうした地域情報化の最新動向を紹介することにした。
3つの最新潮流
現在進行しつつある地域情報化には、大きく3つの潮流がある。
1つは、地域のインフラ整備を巡り、情報過疎地域の反乱がみられる点である。インフラ整備は民間事業者が主導したことから、地方や大都市周辺地域は後回しになった。世帯人口比率で9割以上がADSLサービスを享受可能になったといっても、地理空間的にみれば4割がまだADSLすら利用できない情報過疎地域である。いくら待ってもインフラが整備されない強い危機感から、自前でインフラを構築する情報過疎地域が現れた。
「何かにすがりつきたいという思いを市民が共有していた」という福島県原町市では、自前で通信インフラを構築することで地域再生を決意している。そして2年後には世界に前例のない26GHz帯の無線技術によるインフラを完成させ、インターネット接続サービスを開始した。そればかりかインフラを真に市民のものにするため、日本で初めて通信インフラ整備に目的を限定した市民債を発行するに至るのである。
2つ目は、電子自治体の取り組みの画一性が崩れてきた点である。電子化の中核をなす情報システム開発は、自治体職員が内容や技術を理解できず、在京大手ベンダーの言いなりになっている実情がある。これは開発コストを押し上げるだけでなく、地場ベンダーの育成を阻害し、技術者の域外流出を促進し、開発費が東京に還流し東京を潤す経済収奪構造を生み出している。2001年頃の安値落札騒動を契機に、まず中央政府が、次いで自治体が改革に乗り出した。中央政府は米国初のEA (Enterprise Architecture) を輸入・改良して、大手ベンダー支配からの脱却を試みている。これまでの例をひけば、地方自治体が中央政府の導入した日本版EAをまねると考えがちであるが、実際にこれを導入した自治体はなく、自治体それぞれが独自の取り組みを進めている。なかでも特にユニークな取り組みを進めるのが長崎県である。これまで大手ベンダーに全面的に任せていた設計を職員自ら行うことで発注単位を「小分け」するとともに、入札要件から実績等を外すことで地場の中小ベンダーの参入を可能にした。また、ソースコードを公開することで、地場ベンダーが修正を行うことが可能になるなど、これまで大手ベンダーが独占してきた開発機会や開発ノウハウを地場のベンダーに開放した。
3つ目は、地域を変える知識生産工場が各地に誕生している点である。インターネット市民塾(富山)、鳳雛塾(佐賀)、住民ディレクター(熊本)は、どれも地域の人々が集まるプラットフォームとして知られているが、そればかりでなく知識生産工場として大量のコンテンツを作りだし、市民講師、ベンチャー企業、街づくりキーパーソンを生みだしている。インターネット市民塾のみ簡単に説明しよう。これは、「学びのフリーマーケット」と呼ばれる学習の仕組みである。そこで学ぶだけでなく、市民は誰でも教える側に立てる仕組みがあり、講師となる市民にWeb教材づくりや受講者募集などのきめ細かいサポートを行う。また、スクーリングだけでなくネット講座を開き、時間制約のあるサラリーマン等に学習機会を提供する。こうして、地域における知識の還流を促すとともに、地域に眠る知識を発掘するというものである。
現在、広帯域の通信インフラを手に入れた多くの地域が、そこに流すべきコンテンツがなくて困っている。しかし、これら知識生産工場を持つ地域では溢れるようにコンテンツが生まれるばかりか、コンテンツが地域問題の解決に貢献し始めている。これらの先進事例は、インフラがなければ始まらないという私の理解が間違いであることを教えてくれた。不利な条件を逆手に取って地域づくりに不可欠な主体性を手に入れ、自前でインフラを整備したり、それぞれの地域が直面する地域問題を解決するために、中央政府からの借り物の知識や横並びの知識を使うのではなく、自前で知識生産工場を構築している。拙著では、こうした地域の内部構造を、知の創造パターンや野中郁次郎のSECIモデル *1 等を用いて詳しく説明した。
伝播する地域づくりの道具
そして、この「地域づくりの道具」は全国各地に広がりつつある。地域づくりの道具とは、地域問題の解決手段として使われる仕掛けや社会装置である。“道具”という名前からもわかるように、ご当地だけでなく、他の地域でも十分に効果を発揮する。
しかし、他地域がそれらクセのある道具を使いこなすためには、それを生み出したご当地の風土や社会を知る必要がある。そのため、道具の伝播は、例外なく盛んな地域間の交流の後に生まれることに特徴がある。「地域づくりの道具」は、中央を経由することなく、L2L (local to local) に伝播している。
自前主義という生き方
拙著では最後に、先進地域に共通にみられるアクティビズムを取り上げた。私はこの態度を「自前主義」と呼んでおり、①自前で目標を設定し、②自前で道具を開発し、③仲間と協調して実現する、という特徴がある。
「①自前で目標を設定」するのは特筆すべき性格ではないように思える。しかし、これまで強い意志を持つ首長でもいない限り、地域が独自に目標を掲げることはできなかった。そもそも目標等の自己決定には、「再想像(recollective imagination)」という作業が隠れている。自分は自立しているつもりでも、共同体的文脈から完全に自由になるのは難しく、自己決定する場合は共同体的状況をできる限り明らかにする必要がある。しかしこれまで近代人は、再想像は無駄な時間を費やす無用の作業であるとして、いとも簡単に省略してきた。そもそも再想像は、自分自身を発見する愉しみを与えてくれる作業である。自分を取り巻く共同体や過去に思いを馳せて、目標を掲げたり下ろしたりして今ここの自分を規定する。主体にとって目標実現の達成感以上に充実した時間である。地域もこのようにスローに決定することで、足もとの問題や現場に関心が向かい、横並びあるいは受け売りの目標ではなく、地域を起点に目標が設定されるようになる。
次に、目標実現する手段として「②自前で道具を開発」する。情報過疎地域のインフラや知識生産工場などが典型である。自前で道具を開発する意義は、これまで一部専門家が独占していた道具の解放であり、それによって予期しない新用途の発見が可能となり、さらに道具を使いこなすことで愛着・好み・こだわりが生まれ、道具を使うこと自体が愉しみになることにある。これらはイヴァン・イリイチがいうコンヴィヴィアリティ *2 な状態を創りだすためといってもよいだろう。道具と人間との相互依存を再生させることで、節制ある愉しみを実現するのである。
こうして地域は、目標を自前で設定し、道具も自前で開発する。しかし、目標実現は一人で行うのではなく「③仲間と協調して実現」する。一般に自立を目指す場合、独力で目標実現するのが基本であり、協力者がいたとしても彼らをコントロールすることが求められる。しかし、先進事例では協力者として仲間をコントロールしない、上下関係を作りたがらないという特徴がみられる。また、協調のあり方も、責任やリスクをある程度共有することも含んでおり、個が確立されていることが前提とはなっていない。このように、地域情報化の先進地域や、その担い手たちには「自前主義」という共通した態度が備わっていた。自前主義とは、なるべく肩の力を抜いて、自分でできることは自分で行い、他人と協調すべきは他人と協調しながら、一貫して愉しみを追及する能動的態度である。そして、これは国家が行ってきた威のゲームや、企業が進める富のゲームに代わる、愉のゲームとでもいうべき新しいタイプの社会ゲームの登場を予感させるものである。
*1
: SECIモデル:組織内における暗黙知と形式知の交換と移転のプロセスを表した知識生産モデル。 一橋大学大学院教授の野中郁次郎らが示した。
*2
: コンヴィヴィアリティ:「節制ある愉しみ」、あるいは「優雅な遊戯心」。