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「ライセンシング」の側面からみたオープンソース
東京大学大学院経済学研究科 博士課程 / Debian Project / GNU Project
講演の解題
自分の講演に、『オープンソースの構造と力』という、半分冗談、半分本 気のタイトルを付ける上で影響されたのは、実のところ浅田彰氏のあの著作 ではない。最近注目を集めている音楽家、菊地成孔氏が、近作にやはり『構 造と力』というタイトルを付けているのだが、その作品についてどこかで「リ ズムの構造が力を生み出してゆく、というのがファンク・ミュージック本来 の意味」というような趣旨の話をしておられたのを聞き、そう言えばオープ ンソースもそうだよなあ、と思ったのが全ての発端である。ライセンスの構 造がバザールを支え、オープンソースの力を生み出している、というのは、 オープンソースのリアリティをかなり正確に捉えているのではなかろうか?
巷で流通する「オープンソース」という概念は、すでにさまざまな要素、 さまざまなニュアンスを内包したものになってしまっている。それ自体は普 及に伴う必然であって、別に良くも悪くもないのだが、結果として、オープ ンソースを正面から取り上げても、あるいはその細部を一つ一つ取り上げて も、議論が噛み合わず発散するだけになりやすい。ようするに、皆が皆「オー プンソース」という語に自分が見たいものを見ているのである。
そこで本講演では、オープンソースにおける「ライセンシング」という側 面にのみ着目し、弱いながらも著作権を強制力の源として担保するライセン スが、本講演で言う「積極的な退出」を許すような「機能」を提供しており、 しかもそれが権力者としての著作権者にも事前に分かるため、現在多くの開 発プロジェクトで見られるような「優しい独裁」的な運営方針に至っている のではないか、という仮説について、いくつかの点から論証を試みた。さら に、オープンソース界全体の構成を高めるため、ライセンスをもう一つ上の レイヤーで規定する存在として「オープンソースの定義」を捉え直すという 議論を展開した。これ以上具体的な内容に触れる紙幅はないので、ここから 先は議事録を参照して頂きたい。
ここまでが主要な話だが、もう一つの狙いとして、オープンソースのと りあえずの成功から得られる知見を、他の分野に応用しやすい形で抽出し たいということもあった。「情報社会の倫理と設計」を討議のテーマとする ised@glocom において講演する以上こうした手続は必要だろうし、またこの ことによって、何となく「オープンソース風に」すればなんでもうまく行き そうだと言わんばかりの論調に一矢報い、今後の議論の風通しを良くしたい と考えたのである。
目論見通りに行ったかどうかは参加者、あるいは議事録読者のご判断にお 任せしたい。
共同討議について
共同討議に関しては、東浩紀氏が全く他の文脈で準備していた概念(「監 視社会=情報社会の公準」)と、私の議論の親和性が指摘されたのが興味深 い。また、楠正憲氏に指摘されたイノベーションに関する議論の不在は、 元々意図したものではあったが、今後考えていかなければならない点であ る。鈴木健氏が提供したライセンスの進化生物学的な解釈、メタライセンス と力学系の性質規定の類縁性といった論点も注目に値する。井庭崇氏によ る、オープンソース(というより結果としてのバザール)を生産プロセスの 可視化として捉える視点は、氏の講演に反映され、より詳しく展開されたと 思う。石橋啓一郎、村上敬亮、鈴木謙介の各氏から提供された諸論点に触れ る余裕が無くなったが、私の拙い立論が今後の設計研の展開に若干でも資す ることができれば幸いである。