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情報社会の「倫理」と保守主義中心的価値を巡って
GLOCOM 研究員
倫理研、そしてised全体のスタートとなる本報告では、以後の議論のベー スとなる論点について確認すべく、「情報社会」の定義と現状、そして、そ の背景となる思想史的な見取り図について論じた。 まず指摘しなければならないのは、我々の課題とする「情報社会」が、 いわゆるテクノロジーによる社会変動とその帰結のみを対象とするのではな く、資本主義社会における権力の移譲を含む、ラディカルなプロセスである ということだ。経済活動において流通する財がモノから情報へとシフトした ことと、その流通を支える商品の価値を創出する力が、一般の個人でも行使 可能になったこと、この二つの出来事により、経済システムのみならず、政 治システムにまでも影響を及ぼす変化が、私たちの社会に生じた。現在もな お進行中であるこうした過程が生起する世界が、我々の言う「情報社会」な のである。
情報社会において、もっとも重要な課題となるのは、「国家」という枠組 みを超えていく二つの力と、どのように対峙するかという問題である。一方 の力は「リバタリアニズム」と呼ばれる。リバタリアニズムは、例えば道徳 すらも、特に経済的自由の実現によって選択され、実現されるものに過ぎな いと見なす、自由至上主義の思想だ。 リバタリアニズムは、個人の自由を社会的な運動の全ての基礎と見なす点 で、個人主義的であり、同時に、個人の行う経済活動を自由の行使の一般的 な形態と見なす点で、グローバル化する経済システムと親和性が高い。これ に対し、いわばリージョナルな視点で、情報化の恩恵を受けようとする力 が、もう一方のそれに当たる。それが「コミュニタリアニズム」と呼ばれる 思想だ。
コミュニタリアニズムは、1980年代から90年代にかけての英米圏におけ る政治哲学上の論争から注目されることになった、個人のアイデンティティ の基盤を、可視圏での対面のコミュニケーションによって醸成されるものと 見なし、そのためにコミュニティが果たす役割を重視する立場だ。情報化の 進展は、これまで国家の枠内において相対的に低い地位に甘んじるほかな かった地域コミュニティに対して、その独自の価値を発信するという力を与 える。
いずれの思想も、歴史的には18世紀ないし19世紀にまで遡ることの出来 る知的伝統を有しているが、重要なのは、こうした思想が現出する背景に、 21世紀における国家の力の退潮と、その一つの契機としての情報化が存在 するという点だ。そのため報告においては、現在新たに生起しつつあるこの 古い思想の21世紀版を、それぞれ「サイバー・リバタリアニズム」、「サイ バー・コミュニタリアニズム」と呼び変えて、今後の重要な対立点になりう ることを指摘した。
以上のような報告を受け、討議では非常に興味深い論点がいくつも提示さ れたが、報告者としてもっとも興味深かったのは、白田委員による「保守主 義」のリニューアルとしての「サイバー保守主義」の可能性についての議論 だった。確かに保守主義はこれまでも、常に暴走の危険を孕む民主政治に対 し、伝統と、社会を支える超越的な理念の重要性を訴えてきた。サイバー保 守主義は、こうした思想的立場も、情報化によってエンパワーされる路へと 開かれるべきだとする。非常に興味深い提案だと言えよう。 国家という大きな制度的、価値的枠組みが後退していく21世紀の社会に おける対立軸は、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、保守主義とい うそれぞれのエージェントが、情報化を背景にサイバー化したところに生じ るのだとすれば、そのパワー・バランスはどのようなものになるのか、そし て、その上で私たちは新たな倫理を構想できるのか。議論のスタートに相応 しい、大変刺激的な討議の交わされた研究会であったと言えよう。