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2010年未来ケータイのビジョンと試作
- 講師: 竹村真一 京都造形芸術大学教授
- 講師: 渡辺保史 智財創造ラボ主任研究員、NPO法人ヒューマン・センター・デザイン・イニシアティブ理事
- 講師: 太田浩史 東京大学・国際都市再生センター特任研究員福冨忠和国際大学GLOCOM主幹研究員・教授
- 鈴木謙介 国際大学GLOCOM研究員
携帯電話(ケータイ)を巡る環境は、ものすごい勢いで進化している。4年後の2010年、私たちはいったいどのようなケータイを使って生活しているのだろうか。2005年12月16日のIECP研究会は、SH-Mobileラボ(エスエイチ・モバイル・ラボ)のコアメンバーである竹村真一、渡辺保史、太田浩史、福冨忠和の4氏、およびGLOCOMの鈴木謙介研究員を講師に、「2010年未来ケータイのビジョンと試作」と題して開催された。
SH-Mobileラボ [ http://shm-consortium.renesas.com/jpn/lab/ ] は、ケータイの将来のアプリケーションのトレンドを探るために、SH-Mobileコンソーシアム
今回の研究会ではプロジェクトの紹介と中間報告が行われ、またそれらの成果をもとにケータイの未来と可能性について参加者とともに話し合った。基調報告:
SH-Mobileラボから展望するモバイル~ユビキタス社会
最初にSH-Mobileラボの座長である竹村真一氏が、研究プロジェクトの概要について基調報告を行った。竹村氏は、「ケータイは技術的な進化や機能的な側面から語られることが多いが、われわれはケータイというツールを社会的・文化的な視点から考えたい」と前置きしたうえで、未来ケータイのビジョンについて議論するなかから見えてきた問題意識は、次の3点であったと述べた。
(1)現実性空間とのかかわりを考える。私たちはいま第三の情報革命の中にいる。第一の情報革命では文字が発明され、アレクサンドリアの図書館に世界中(地中海世界)の文書が収蔵された。第二の情報革命は、グーテンベルクによる活版印刷術の発明である。第三の情報革命は、いま進行しつつあるモバイルあるいはユビキタス社会である。ユビキタス社会では、情報を得るために、特別な場所に出向いたり、書物を読んだりする必要がない。街全体、目に見える現実空間全体が生きた情報空間となりうる可能性を持っている。にもかかわらず、コンテンツ面で、そういうユビキタスの可能性を考えたデザインがなされているだろうか。今は、ケータイそのものが自己完結的で、どこにいても自分のケータイにダウンロードした音楽を聴いてい
- る。例えば六本木を歩いているときと、富士山の周辺を歩いているときとでは、現実空間とのかかわり方は違うはずで、現実空間とのかかわり方を変えていくような、現場性のあるツールとしてケータイが進化しえないだろうか。
(2)脱端末。ケータイに自己完結しない。ケータイには制約があり、それだけで済まそうとすると使いにくい。例えば画面が小さくて読みづらいと思ったときに、壁やテーブルに近づけると、大きな画面で表示してくれる。街の側、環境の側に、そういう個人的なケータイと連動するようなインタフェースをデザインできないか。ケータイに自己完結しないユビキタス情報空間の可能性を考えたい。
(3)ケータイはパーソナルであると同時にコミュナルなツールである。ケータイは、人と人とをつなぎ個人を協働性に開いていく、他者との関係性を開いていく可能性を持っている。情報の公共空間のようなスペースがあって、そこに誰かが自分のケータイで情報を持ち寄る。そこでは寄せられた公・共・私の情報が交差していく。ケータイを使って経験のデータベースを築くことで、個人の暗黙知を社会の公共財に変えていくことができる。そういう意味で、ケータイはコミュナルなツールとしての可能性を持っている。
これらの問題意識から生まれたアイデアが、次のコンセプト映像で示される虫眼鏡のメタファーであり、ウエアラブル・ケータイによる情報発信の実験であり、ユビキターブルだということであった。
コンセプト映像「OLPM」
「OLPM」は、SH-Mobileラボから生まれたアイデアを統一的なメッセージに仕立てた約七分の映像である。渡辺保史氏によると、OLPMはoverlapping media(重ね合わせるメディア)の略で、フィジカルな空間とデジタルな空間を、多様な人々の知恵と経験を、異なる場所と時間を、技術と文化を重ね合わせるという意味が込められている。
映像の中で紹介されていたのは、次の三つのアイデアである。
- scene1:虫眼鏡街にかざせば、その場所の持つ情報を表示してくれるツール。環境情報をピックアップし、実景に情報を反映させる「センスウエア」的なケータイ
- scene2:テーブル個人のケータイをテーブルに置くと情報がそこに流れて共有することができる。人々のコミュナルな関係性を取り持つインタラクティブなテーブル
- scene3:ドア電話ボックスに代わるユビキタスなボックスで、そこに入れば、行きたい場所に行って、会いたい人と出会うことができる。「どこでもドア」的な通信ボックス
「ウエアラブル・ケータイ」Wearable Mobile Phone Project報告写真1:scene1: 虫眼鏡
写真1:scene1:虫眼鏡
福冨忠和氏によると、ウエアラブル・ケータイ実験にあたっての課題は次の3点である。実験は、ウエアラブル=「身体・環境によりフィットさせてケータイを使うこと」により、これらを解決できるかどうかを検証するために行われた。
- ケータイの技術仕様は今後も進化し、より広帯域・大容量、常時接続の高度なサービスが実現する。そのとき、現在のインタフェースや操作性で事足りるのか。現実離れしていってどこかで破綻するのではないか。
- ケータイに至る電話サービスは、これまでビジネス・ツールとしてのマーケティング提案を裏切ることで広範囲に普及してきた。例えば、ポケベル、トリオフォン、伝言ダイヤル、iモードなどは、女子高生がコミュナルなツールとして利用することで広まった。次世代ケータイは何をどのように裏切るのか。
- ケータイをさまざまな社会問題の原因とする言説がはびこっている。確かに依存や乖離(トランス)の導引となっているにしても、ここまで環境化したケータイを廃止することは現実的ではない。ではどうすればいいのか。
使用機材(表1参照)は一般に市販されている機器で構成されており、HMDやキーボードなどがケータイに直接つながらないために、パソコンを介したモバイル環境となっている。実験では、福冨氏がこれら一式を実装し、関連サイトのQRコードを印刷したTシャツを着て、街を歩きながら、感想や考察などをモブログに書き込んでいった。福冨氏の位置情報は、PHSの位置情報サービスを通して、ユビキターブル上にリアルタイムで表示されたそうである。写真2:機材の実装表1:使用機材
福冨氏によると、この実験で見えてきた問題は次のとおりである。
- 各機材間のコネクションの悪さ。
- 携帯電話のスタンドアローン性(Bluetoothもよく分からない状態)。
- 接続状態の不安定さ。
- ウエアラブル環境は、ケータイやパソコンとは全く違う経験を与える可能性がある。
- 市販品だけで構築したウエアラブル環境で問題も多かったが、技術開発を注力することで解決できるようなことばかりであった。
- ケータイが台頭したためにウエアラブルには10年間技術の進歩がないが、「ユビキタス」と「ウエアラブル」は同じ道を逆からたどっているにすぎない。
「ユビキターブル」パーソナルから、コミュナルへ
ユビキターブルの概念が理解しにくいのは、私たちがまだこのテーブルが生き生きと存在する状況から遠いところにいるからだろうか。太田浩史氏によると、ユビキターブルは、複数の時間と場所をテーブル上の会話にフィードバックさせる装置である。
研究会の会場には、ユビキターブルの試作品が運び込まれ、タンブラーやマグカップを使ったデモンストーションが行われた。ユビキターブルの表面はタッチパネルでできており、東京の地図が表示されている。地図のところどころにマークがあって、そこに手で触れると、誰かがその実際の場所に置いた情報を見ることができる。パネル上の時計マークを操作すると、別の時刻における情報を見ることもできる。例えば、時刻をいったん逆戻りさせてから少しずつ進めると、東京を移動していくモバイラーの軌跡が、テーブルの地図上に描かれていく。
また、シドニー(都市)のマグカップというものがあり、それをテーブルに置くと、そこから現在のシドニーの情報(時刻、天候、気温など)がユビキターブル上ににじみ出てくる。同様にコペンハーゲンのマグカップを置くと、コペンハーゲンの情報が出てくる。これらの情報はネットにつながり、サーバーの情報にしたがってリアルタイムに更新されていく。さらに、個人のツールとしてタンブラーがあり、私はマイ・タンブラーの情報をユビキターブル上にドラッグすることもできるし、ユビキターブル上の欲しい情報をマイ・タンブラーに入れて持ち帰ることもできる。
印象的だったのは、太田氏がテーブルとデスクの違いについて述べたことである。「建築的には、デスクは個人用のものであり、テーブルは人が集まるもの、コミュニケーションのためにあるものと言える。パソコンはその名のとおり個人のものであり、テーブルはコミュナルなもの。したがって、パーソナル・コンピューターがコミュナル・コンピューターになったとき、メタファーはデスクトップではなくテーブルトップなのではないか」
身体-空間-伝達
写真3:ユビキターブル
ラボの研究報告を受け、GLOCOMの鈴木謙介研究員が、社会関係の「脱-埋め込み」(de-embedding)と「再-埋め込み」(re-embedding)をキーワードとした発表を行った。
本来、コミュニケーションという行為は、身体や空間と無関係ではありえなかった。目で見える範囲、声が届く範囲でしか会話はできないし、もし何かの理由で声が出せなければ音声以外の方法で伝達しなければならない。メディアは、私たちの感覚や能力を拡張させることでこの制約を緩くしたが、少なくともメディアにつながっている個人は空間的に固定されていて、空間写真3:ユビキターブルのコンテクストの中でコミュニケーションせざるをえなかった。ところが、メディアがモバイル化したことで、どこにいても、違う場所にいる人とコミュニケーションができるようになる。一方で、同じ場所にいながら、それぞれがモバイル・メディアで別の空間とつながっているという現象が起きるようになる。彼らは、同じ空間にいても、互いにコミュニケーションすることなく交差していくかもしれない。これを鈴木氏は、社会関係の「脱-埋め込み」と呼ぶ。モバイル・メディアによって、身体や空間から切り離されたコミュニケーションが可能になったのである。
しかし、社会関係の「脱-埋め込み」が進むと、次は「再-埋め込み」の欲求が高まってくるのではないかと鈴木氏は言う。相手の顔が見えないから言いやすいということがある一方で、相手の反応が見えないためにどう言ったらいいか分からない、ということもある。また、制約を解かれてさまざまな関係に開かれていくことで不安定になった自我は、「再-埋め込み」された安定したコミュニケーションを求めるようになるかもしれない。
身体や空間から切り離されたコミュニケーションは、モバイル・メディアの「不健全さ」の理由の一つともされてきた。身体や空間から切り離されることで自我が不安定になりやすく、また歯止めがないことからトラブルや事件の原因ともなりやすい。しかし、私たちの社会は、すでにモバイル・メディア抜きでは語れなくなっている。とすれば、いたずらに排除しようとするのではなく、モバイル・メディアが「再-埋め込み」された関係をこそ築くためのツールとなるような可能性について考えなければならない。モバイル・メディアのコミュニケーションは、空間や身体から切り離されているが故に、二次的なものにとどまるという評価を変えるべき時であるというのが、鈴木氏の主張であった。
鈴木氏の発表の後、ラボのメンバー、会場の参加者とともに意見の交換が行われた。
2005年12月16日開催(編集部)