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<title>GLOCOM - publications</title>
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<title>国家、組織、個人における情報セキュリティー</title>
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<summary type="text/plain"> 砂田 薫 国際大学GLOCOM主任研究員 　情報社会を支えるために、私たちが検...</summary>
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<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<dc:subject>200601</dc:subject>
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<![CDATA[<ul>
<li>砂田 薫</li>
<li>国際大学GLOCOM主任研究員</li>
</ul>

<p>　情報社会を支えるために、私たちが検討しなければならない制度面の課題は多岐にわたる。なかでも、セキュリティー関連はとりわけ広範囲に及ぶうえ、緊急性も高い重要課題と言えるだろう。すでに、情報技術（IT）は経済、社会の諸活動を支える不可欠のインフラとして、日本社会に深く組み込まれている。本特集では、国家レベルでの安全保障（土屋大洋論文を参照）、企業を始めとする組織レベルの情報セキュリティー・ガバナンス（同・上村圭介）、そして個人レベルの安心と安全（同・鈴木謙介）、という三つの視点から情報セキュリティーについて考えてみよう。</p>
<h4>国家安全保障と経済政策</h4>
<p>　国家レベルでの安全保障において、現在とりわけ重要な要因となっているのはブッシュ政権の対テロ政策の影響である。2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、米国は愛国者法を制定して、テロ対策を最重要政策の一つと位置付けてきた。その結果、米国を中心として、プライバシー保護よりも安全確保を優先する傾向すら見られるようになっている。日本でも、国家安全保障の一環として、インテリジェンス活動（諜報活動）の促進や重要インフラのセキュリティー確保などが政策議論に上るようになった。</p>
<p>　そもそも日本では、明治時代の「富国強兵」政策によって、近代化が急速に推進された歴史を持つ。しかし、第二次世界大戦後は「強兵」を放棄し、もっぱら「富国」に力点が置かれた。戦後日本の富国政策の特徴は、本来は国防などさまざまな目的で実施される科学技術政策をもっぱら産業発展と直結させた点にある。その背景には、「技術立国」となって強い経済力を持つことが結果的に国の安全保障につながるという「経済的安全保障」の考え方があったためである（産業構造審議会が1980年に発表した『80年代の通商産業政策』と題する答申を参照）。</p>
<p>　しかし、経済と安全保障を結び付けるこのような概念は、産業社会から情報社会への移行が進むにつれて次第に意味が薄れていった。そして、グローバルな規模で被害をもたらず新しいリスクが発生するようになり、日本の安全保障については、根本から見直しを迫られることになったと言えるだろう。憲法九条改正を巡って近年活発な議論が行われるようになったが、情報社会への歴史的転換がその背景にあるのではないかと考えられる。</p>
<h4>自由と安全のバランス</h4>
<p>　新たなリスクは、国家レベルだけでなく、企業を始めとする組織レベル、さらには個人生活のレベルにおいても同様に発生している。</p>
<p>　リスクはサイバーテロやコンピューター・ウィルスといった犯罪だけではない。むしろ、東京証券取引所のシステム障害に代表されるように、コンピューター・ソフトウエアの問題のほうが社会に大きな打撃を与えている。現実問題として、コンピューター・システムの開発・運用段階におけるエラーをゼロにすることはできない。そのため、エラーが発生しても影響を小さく済ませるための事後対策が近年重視されるなど、セキュリティー対策の基本姿勢にも変化が見られるようになった。その結果、情報セキュリティーの分野でもガバナンスの重要性が高まっている。</p>
<p>　安全性と信頼性の高い情報社会を構築するために、私たちはさまざまな観点からセキュリティーを検討する必要に迫られている。ただ、情報の自由な流通こそ情報社会の基本であるはずだ。とすれば、自由と安全のバランスを巡る試行錯誤は、国家、組織、個人の各レベルで今しばらく続くことになるだろう。</p>]]>

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<title>安全保障と情報社会</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/2006/01/post_49.html" />
<modified>2006-11-18T00:14:06Z</modified>
<issued>2006-01-10T05:06:13Z</issued>
<id>tag:www.glocom.ac.jp,2006:/j/publications/2.263</id>
<created>2006-01-10T05:06:13Z</created>
<summary type="text/plain"> 土屋大洋 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教授/国際大学GLOCOM客...</summary>
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<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
</author>
<dc:subject>200601</dc:subject>
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<![CDATA[<ul>
<li>土屋大洋</li>
<li>慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科助教授/国際大学GLOCOM客員研究員/富士通総研経済研究所客員研究員</li>
</ul>
<h4>ブッシュ政権の「盗聴」問題</h4>
<p>　2005年12月16日（金）、米国の『New York Times』紙は、米国のジョージ・ブッシュ大統領が裁判所の許可なしで国家安全保障局（National SecurityAgency :NSA）に通信を傍受させているという記事を掲載した<footnote>Risen, James and Eric Lichtblau, "Bush Lets U.S. Spy on Callers Without Courts,"New York Times, December 16, 2005  [ http://www.nytimes.com/2005/12/16/politics/16program.html ]</footnote>。翌17日（土）、ブッシュ大統領は定例のラジオ演説をテレビでも中継させ、この報道を認めた。大統領は、2001年の対米同時多発テロ（9.11）以降、三十回以上にわたり、米国内と海外との間の国際電話や電子メールなどを、大統領令に基づいて傍受させていたと述べた。『New York Times』の記事によれば、三十回といっても、実際に傍受されたメッセージは数百ないし数千にもなるという。ただし、事前に議会の指導者たちに通知しており、完全に秘密裏に行われていたわけではない。</p>
<p>　この問題のポイントは二つある。第一に、外国情報活動監視法（ForeignIntelligence Surveillance Act:FISA）という法律に基づいて裁判所で手続きをとれば、同様の傍受ができたはずなのに、なぜ大統領令によってこれを簡略化しようとしたのかという点である。FISAの枠組みの中でも緊急傍受は可能で、数時間以内に傍受の許可を出すことも可能である。第二に、米国市民がインテリジェンス活動の対象となった可能性があるという点である。かつてベトナム戦争時代に反戦運動をしている人物や市民団体がインテリジェンス活動の対象となってしまった反省から、明白な理由がない限り、米国市民に対してはインテリジェンス活動をすることは認められていない。外国との国際電話や電子メールが対象であったとはいえ、米国市民の通信が傍受されていた可能性は高い。</p>
<h4>インテリジェンス・コミュニティー</h4>
<p>　この問題をどう考えればいいのだろうか。ブッシュ政権は、9.11から一年後の2002年9月に発表した「米国国家安全保障戦略」、いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」の中で、潜在的な脅威に対しては先制攻撃（preemptivestrike）も辞さないという方針を発表した<footnote>The White House, "The National Security Strategy of the United States of America"[ http://www.whitehouse.gov/nsc/nss.html ]</footnote>。これに基づいて2003年3月には、大量破壊兵器を保有していると考えられていたイラクとの戦争を開始している。そのときに重要となったのが、インテリジェンスである。</p>
<p>　インテリジェンスとは、断片的なインフォメーションを収集・加工・精製することで作られる意思決定のための材料である。これは顧客ないし消費者と呼ばれる組織のトップ、安全保障で言えば大統領や首相などが決定を下すために使われる「製品（product）」である。製品としてのインテリジェンスを作りだすのがインテリジェンス・コミュニティーであり、米国では15の政府機関がコミュニティーを形成している。</p>
<p>　ブッシュ・ドクトリンの中では、先制攻撃ばかりではなく、インテリジェンスの活用も重視されている。35ページの文書の中で16回も「インテリジェンス」という言葉が出てくる。先制攻撃ができるということは、事前に米国にとっての脅威が察知されていなくてはならず、それを行うのがインテリジェンス・コミュニティーの役割である。ブッシュ大統領による通信傍受の拡大は、こうした米国の安全保障戦略の延長の中で出てきた事件であると言えるだろう。</p>

<h4>情報と情報社会</h4>
<p>　一般的に日本語で言う「情報」は「インフォメーション」の訳語として使われているが、もともと情報は「インテリジェンス」の訳語であった<footnote>仲本秀四郎「情報を考える」公文俊平編『リーディングズ 情報社会』NTT出版、2003年、14～25頁。</footnote>。情報社会が、中立的な意味でのインフォメーションがあふれる社会という意味ではなく、インテリジェンスが飛び交う社会という意味だったとしたら、その受け止められ方は違っていただろう。</p>
<p>　しかし、現実には、インフォメーション・ソサエティーはインテリジェンス・ソサエティーにもなりつつある。1989年にベルリンの壁が崩れ、1991年にソビエト連邦が消滅して冷戦が終わると、インテリジェンス・コミュニティーは不必要であるとされた。確かに、米国のインテリジェンス・コミュニティーではリストラが行われ、多くの職員が民間に転出した。その結果、経済分野でのインテリジェンス的な活動が注目されることになる。例えば、『CIA株式会社』という本や<footnote>ラストマン、F・W(朝倉和子訳)『CIA株式会社』毎日新聞社、2003年。</footnote>、『プロファイリング・ビジネス─米国「諜報産業」の最強戦略─』という本も出ている<footnote>オハロー、ロバート(中谷和男訳)『プロファイリング・ビジネス-米国「諜報産業」の最強戦略-』日経BP 社、2005年。</footnote>。ビジネスの世界にもインテリジェンスの考え方と手法が浸透してきている。</p>
<h4>脅威の変化</h4>
<p>　情報社会とはインフォメーションがデジタル化され、それがユビキタスに得られる社会であろう。しかし、それはインテリジェンスがあふれる社会でもある。テロリストたちは情報の洪水の中に自らのメッセージを隠し、インテリジェンス・コミュニティーはその洪水の中から一滴のヒントを探し出さなくてはならない。</p>
<p>　9.11が起きる前から、インターネットを始めとする情報技術がインテリジェンス・コミュニティーの活動に大きな影響を与えることを察知していたのがブルース・バーコウィッツ（Bruce D. Berkowitz）とアラン・グッドマン（Allan E. Goodman） である。二人は2000年に出した『Best Truth:Intelligence in the Information Age（最善の真実：情報時代のインテリジェンス）』という本の中で<footnote>Berkowitz, Bruce D. and Allan E. Goodman, "Best Truth: Intelligence in the InformationAge," New Haven: Yale University Press, 2000</footnote>、ソ連が仮想敵国であった時代とテロの時代とでは、脅威が変化していると指摘している。ソ連が相手の時代は、変化はゆっくりとしていて増分的であった。ソ連内部の権力構造の変化やミサイルの生産状況を丹念に追うことで十分だったのである。敵は大規模に組織化されており、戦略核による攻撃計画の策定には十年単位の時間がかかっていた。
<p>　しかし、生物兵器や化学兵器が使われるテロの時代には、変化は技術革新に応じて急に起こるものであり、相手の組織は小さくてアド・ホックになっている。敵が攻撃計画を練るには数日あれば十分かもしれない。つまり、敵はネットワーク組織であり、ソ連に対応した米国のインテリジェンス・コミュニティーでは対応できないとバーコウィッツたちは指摘していた。</p>




<h4>情報社会における安全保障</h4>
<p>　情報通信技術の発達は安全保障の在り方を根本から変えてきた。RMA（Revolution in Military Affairs）についてはすでにたくさんの研究がある<footnote>原田泉、山内康英編著『ネット社会の自由と安全保障-サイバーウォーの脅威-』NTT出版、2005年、土屋大洋「インターネットと安全保障」Hotwired Japan [ http://hotwired.goo.ne.jp/original/tsutiya/050405/ ]を参照。</footnote>。米軍はクリントン政権時代から、C4I（Command, Control, Communications,Computers and Intelligence）への転換を進めてきた。そして、ブッシュ政権になってからは情報通信技術の活用を前提としながら、米軍全体のトランスフォーメーション（再編）が進んできている。</p>
<p>　情報社会は、一方でバラ色の可能性があふれる社会である。しかし、他方であまり歓迎されない出来事が起こる社会でもあるだろう。安全保障の成果は評価しにくい。安全が保たれている間はその価値には気付きにくい。しかし、いったん安全が損なわれると、われわれはひどく落胆し、責任を追及する。ブッシュ大統領の通信傍受に関する問題は、今後、合憲性および合法性が問われることになるだろう。しかし、そうした活動が行われる可能性を前提として、少なくとも認識して、われわれは情報社会をデザインしていかなくてはならないだろう。</p>]]>

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<title>情報セキュリティーにおけるガバナンス</title>
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<modified>2006-11-18T00:14:06Z</modified>
<issued>2006-01-10T04:06:48Z</issued>
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<summary type="text/plain"> 上村圭介 国際大学GLOCOM主任研究員 　国際大学GLOCOMでは、2004...</summary>
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<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<dc:subject>200601</dc:subject>
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<![CDATA[<ul>
<li>上村圭介</li>
<li>国際大学GLOCOM主任研究員</li>
</ul>
<p>　国際大学GLOCOMでは、2004年秋から情報セキュリティーに関連した研究活動を行っている。学際的な視点から、様々なテーマの下で情報社会研究を進めることがGLOCOMのミッションの一つではあるが、今になって情報セキュリティーがGLOCOMの研究の対象になったということについては、恐らく若干の説明が必要だろう。</p>
<p>　これまで国際大学GLOCOMは、汎用トップ・レベル・ドメイン名の管理・運用を行うInternational Corporation for Assigned Names and Numbers（ICANN）、2000年に開催された九州・沖縄サミットを契機に設置されたデジタル・オポチュニティー・タスクフォース（DOTフォース）、2003年と2005年に国連と国際電気通信連合（International Telecommunication Union:ITU） の共催で開かれた世界情報社会サミット（World Summit on theInformation Society :WSIS）などの場に参加し、ガバナンスのための仕組み作りに貢献してきた。</p>
<p>　ここでいうガバナンスとは、「だれが」「どこで」「何を」決めるかという問題と言い換えてよい。つまり、誰が意思決定に参加するか、どのような場で意思決定が行われるか、そして、その場でどのような意思決定がなされるか、という問題である。</p>
<p>　そして、情報セキュリティーの分野でも、まさにこの意味でのガバナンスが次第に問われるようになっている。情報セキュリティーがわたしたちの研究テーマの一つとなったきっかけも、情報セキュリティーが単なる技術論だけに留まらない、また国家安全保障という大きな枠組みで括りきれないガバナンスという新しい問題として拡大してきたからなのである。</p>
<h4>「ガバナンス」の広がり</h4>
<p>　情報セキュリティーにおけるガバナンスとひと口に言っても、その内容はいくつかの異なる課題を含む。近年特に注目されているのは、企業や組織内の意思決定の流れの中に情報セキュリティーをどのように位置付けるか、という意味でのガバナンスである。しかし、多くの企業や組織にとって、情報セキュリティーは、それ自体が直接利益に結び付くものではなく「後ろ向き」の投資と捉えられがちである。このような一見後ろ向きの投資にポジティブな価値を付加することは、個別の企業や組織だけの努力でできることではない。それには環境問題への取り組みがそうであったように、産業界全体の、あるいは政府や消費者まで巻き込んだ社会全体の取り組みが必要である。</p>
<p>　そもそもインターネットを始めとする情報通信技術は、民間部門主導で構築、整備が進んできた。情報通信インフラの約九割は民間部門によって保有されているという。もちろん、電気通信分野など、伝統的に政府の強い規制の対象となってきた分野もあるが、情報通信全体を考えれば、政府以外の主体、とりわけ民間事業者が構築や運用においては大きな役割を果たしてきた。また、電気通信の分野であっても規制緩和や民営化は世界的な潮流であり、その意味でも、民間部門、あるいは産業界が、情報通信全体に、そして情報セキュリティーという課題において果たすべき役割は大きい。一方で、情報通信インフラが社会経済活動に不可欠な要素と位置付けられ、安定的な運用やセキュリティーが求められるようになっている。そこには政府などの公的な主体の視点からの意思や利害と、企業などの民間の主体の意思や利害が混在し、時には対立することになる。インターネットや情報通信インフラそのものが異種混在（heterogeneous）な環境であるというのと同様に、それを構築・運用する主体にも政府機関、民間企業、研究・教育機関、非政府組織など様々なものがあり、総体として異種混在な環境を構成している。</p>
<h4>一つの例:コンピューター・インシデントの危機管理のための枠組み</h4>
<p>　情報セキュリティーの分野においてガバナンスがどのような問題になりうるか、ここではコンピューター・インシデントの危機管理のために設置されているComputer Emergency Response Team（CERT）あるいはComputer　Security Incident Response Team（CSIRT）と呼ばれる組織体について見てみよう。</p>
<p>　CERTあるいはCSIRTと呼ばれる組織として最初に設立されたのは、アメリカのカーネギー・メロン大学のソフトウエア工学研究所に設置されたComputer Emergency Response Team（CERT）である。これは、1988年11月に発生したコンピューター・ワーム事件が契機になったものだが、その後同様の組織作りは他の国や、他の技術分野にも拡大していくことになる。ちなみに、CERTという名称はカーネギー・メロン大学が商標登録したため、現在では一般的な呼称としてはCERTではなく、Computer Security Incident Response Teamの略であるCSIRTが使われる傾向にある（発音はどちらも同じ）。</p>
<p>　CERTの運営は、国防総省高等研究計画局（Defense Advanced Research Projects Agency :DARPA）の資金を受けて行われた。このことはCERTが国家管理下にあったというよりも、むしろインターネットの開発や運用がDARPAの資金を受けつつも、実質的には技術コミュニティー主導の下におかれたように、インターネット上のコンピューター・インシデントに関する対応もインターネットの技術コミュニティーに委ねられたと解することが自然だろう。</p>
<p>　しかし、このような状況は、その後インターネットが政府機関や民間企業など幅広い主体によって構成され、また社会経済上の役割が変化することで次第に変わっていく。そもそもCERT/CSIRTの組織形態は国によって異なる。アメリカはCERT/CCのように、従来のインターネット技術者コミュニティー中心の活動を進めている。ヨーロッパでは公共、民間といった部門ごとのCERT/CSIRT活動が中心となっているところが多い。日本や韓国では、セクターをまたがった中立的な組織を作り、そこにCERT/CSIRT機能が集約されている。</p>
<p>　コンピューター・インシデントの対応のための枠組みには、このような多様性があるわけだが、ガバナンスということを考える際に重要なのは、どのような組織形態がよいかということではない。問題は、このような異なる設立経緯や組織形態を持ったCERT/CSIRT同士が、どうやったら効果的な情報交換を行えるかという点である。</p>
<p>　情報セキュリティーに関する障害は、その性質上、国家やセクターの境界線を越えた影響力を持つことが珍しくない。そこで、セキュリティーに関する障害を予防し、あるいはその影響力を最小化するためには、情報セキュリティーに関する障害や、それへの対策に関する情報を相互に共有し、公開することが必要とされる反面、情報セキュリティーは、企業秘密、あるいは企業秘密には至らなくても対外的には開示しにくいセンシティブな内部情報を扱うものであり、対策機関の多様性が逆に適切な対策や情報共有を妨げるおそれもある。セクター別のCERT/CSIRT、とりわけ政府機関を対象にしたCERT/CSIRTが設立される背景には、内部情報を他の組織と等しく共有することの難しさがあると思われる。CERT/CSIRTの社会的責任の拡大と、国際協力体制の確立は、インターネットや情報技術の広範な普及とともに重要な課題となってきた。</p>
<p>　CERT/CSIRTがセクター別、あるいは企業別に設立されるようになると、CERT/CSIRTの運営スタッフ同士の親密な人的ネットワークが希薄になる。しかし、従来のCERT/CSIRTの間の信頼関係は運営スタッフの人的ネットワークに大きく依存していたため、それが希薄になるということは、CERT/CSIRT間の相互信頼関係の低下を招きかねない。CERT/CSIRTの間では、Trusted Introducerと呼ばれる制度を導入し、信頼関係の維持を図っている。</p>
<h4>新たな課題</h4>
<p>　ある専門家によれば、かつて、企業の情報セキュリティー担当者にとって最も信頼できる相談相手はライバル会社の情報セキュリティー担当者であったという。同じ業種であれば、情報セキュリティー上の問題点、それに対して取るべき解決策も似たものになるはずである。しかし、情報システムはある企業や組織の事業や業務の中枢を担っていることが多く、その情報システムに関わる情報をライバル企業の担当者と共有することは難しい。</p>
<p>　警察など公的な機関が相手なら情報が共有できるかというと、必ずしもそうではない。企業が持つ企業秘密がライバル企業に漏洩する場合、その多くは内部的な犯行によることが多い。しかし、このようなケースを企業が警察に届けないことも珍しくない。このような事件は企業のブランド力など対外的な評価を左右することにもなるからである。アメリカでは、このような事件を捜査する専門のコンサルタントが活躍し始めている。なかには、ハイテク犯罪捜査を担当する現職の警察官でありながら、副業として企業の情報漏洩事件の捜査を専門としたコンサルタント会社を経営するようなケースさえある。このことは驚きではあるが、情報セキュリティーが非常に扱いにくい問題となりうることを象徴的に表してもいる。</p>
<p>　例えばアメリカでは、参加者を限定し、非開示同意書（Non-DisclosureAgreement:NDA）を交わすことによって、情報セキュリティーに関する意見交換や情報交換を「セキュアに」行うための場を設ける試みなどが行われている。今後は、日本でも法律家、弁護士、セキュリティー技術の専門家、そして企業、組織における情報セキュリティーの実践者の間の対話を進めるための場作りが必要になってくるだろう。</p>]]>

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<title>個人生活の危機と社会的安全</title>
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<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
<issued>2006-01-10T03:07:33Z</issued>
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<summary type="text/plain"> 鈴木謙介 国際大学GLOCOM研究員 不安感情の増大 　子供たちが犠牲になる事...</summary>
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<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<dc:subject>200601</dc:subject>
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<![CDATA[<ul>
<li>鈴木謙介</li>
<li>国際大学GLOCOM研究員</li>
</ul>
<h4>不安感情の増大</h4>
<p>　子供たちが犠牲になる事件が相次いでいる。2004年の末に、奈良で幼女が誘拐され、殺害されるという事件が起き、2005年の末には、広島と栃木、そして京都で、同じく幼い子供が犠牲になる事件が起きた。栃木の事件を除いて容疑者はすぐに逮捕されたものの、私たちの生活に、「セキュリティー」を意識しなければならなくなる事態が頻発している。</p>
<p>　こうした、子供たちが被害者に（ときには加害者にも）なるのではないかという大人たちの危惧に対応して、「子供を守れ」のかけ声とともに、様々なセキュリティー・ソリューションが提案されている。子供に無線ICタグを持たせ、学校や塾のゲートを通ると保護者に通知されるシステムや、防犯機能を内蔵した携帯電話など、最新技術を駆使したものがその中でも特に目立つ。</p>
<p>　とはいえ、そもそも私たちはそれほどまでに危険な社会に生きているのだろうか。警察庁の発表によれば、犯罪の認知件数、特に凶悪犯は2003年以降減少傾向にあり、現在もその傾向が続いている。「振り込め詐欺」などの知能犯は増加しているものの、未成年者が被害者となる事件だけを見ても、殺人や強盗などの凶悪犯の被害者は、2004年上半期との比較で12～ 16％程度減少しているという（以上、警察庁発表資料『平成17年上半期の犯罪情勢』より）。</p>
<p>　だが、犯罪の減少傾向にもかかわらず、治安に対する不安、いわゆる「体感治安」は悪化している。内閣府が2005年2月に行った「社会意識に関する世論調査」では、日本の「悪い方向に向かっている分野」として、47.9％が「治安」と回答しており、前回から10ポイント近く上昇した。また、博報堂生活総合研究所が毎年行っている調査でも、「日本の誇れること」として「治安」を挙げる割合は、1994年の81.1％から、2004年には47.6％にまで下落した（博報堂生活総合研究所『生活定点』より）。</p>
<p>　また、個人の生活に対する危険は、何も犯罪に限らない。2005年は4月、12月と脱線事故が相次ぎ、アスベスト被害や耐震強度偽装問題が明るみに出るなど、生活を脅かす事故や事件が頻発した。これらの事件は、一見安全であるように思われる日常生活のそこかしこに、未来の危険に繋がる要素が潜んでいることを私たちに思い知らせた。「いつどこで危険な事態に遭遇するとも限らない」という感覚が、大きな不安として私たちの日常を覆い始めている。</p>
<h4>不確実な未来</h4>
<p>　日常生活への不安が私たちの生活にもたらす影響とはどのようなものか。そのことについて考える前に、私たちが未来に対して抱く不安の中身について考えてみよう。松原隆一郎は、F・ナイトの議論を援用しつつ、「リスク」と「不確実性」の差違について述べている（『分断される経済』NHK出版）。彼によれば、私たちが未来に生じうる出来事について予測するときには、その出来事が生じる確率があらかじめ分かっている「リスク」と、どのくらいの確率で出来事が生起するか分からない「不確実性」とが存在しているのだという。松原が日本経済の「失われた10年」を振り返って分析するのは、新古典派経済学の前提、すなわち「人は与えられた情報の中で合理的に振る舞うはずだ」という想定が実際は無根拠なものであり、不確実な未来に備えるためには、「人は合理的な想定以上に消費を手控える」ということだ。</p>
<p>　同じことが、生活のあらゆる場面に当てはまる。年金を払うかどうか、アメリカ産の牛肉を食べるかどうかという問題に対して、私たちは未来の不確実性を前提にする限り、どれだけ「安全性」を強調されても、不安をぬぐうことができない。それゆえ、数値上の安全性を強調することだけでなく、人々の不安の源泉となる未来への不確実性を減少させることが、社会政策上必要となる。要するに、実質的な安全よりも、心理的な安心を回復させなければ、人は不確実な未来に踏み出そうとはしないのである。</p>
<p>　では、その安心を回復するためにはどうすればいいのか。重要なのは、そもそも「リスク」という考え方自体が、未来の不確実性を減少させるために生まれた発想だということだ。例えば、海外から通信販売で商品を送ってもらう場合を考えてみよう。荷物がきちんと届くかどうか分からない不確実な状態では、なかなか通信販売を利用する気にはならないが、郵便事故が起こる確率があらかじめ分かっていれば、その高低に応じて対処することができるようになる。低いのならば海外郵便を利用できるし、高いのならば他の代替手段を用いればいいのだ。</p>
<p>　しかしながら、そうしたリスク計算にも関わらず、人が行動を手控える場合がある。それが、たとえ確率が低くても、一度起こってしまったら取り返しのつかないような事態だ。事故などの、生命に関わるような事態がそれに当たる。例えば、2004年のデータでは、交通事故で死亡した人の数は7,358人、殺人事件で死亡した人の数は699人であるという（警察庁調べ）。だが、殺人よりも交通事故で死ぬ確率の方が10倍高い、と言われても、多くの人は納得しないはずだ。たいていの場合、人はその確率の高低ではなく、自分（あるいは自分に近しいもの）が、その確率の内側にいるのかどうかを気にするからだ。</p>
<p>　実際の犯罪の発生率ではなく、犯罪に対する不安の方がフォーカスされてしまう理由は、まさにこの点にある。たとえ確率としては一パーセントであろうと、個人の側から見れば凶悪犯罪は「絶対に起こってはならない」出来事なのである。</p>
<h4>信頼に基づく協力を</h4>
<p>　そのことがもたらすのは、社会の「安全」を確保するための方策と、人々の「不安」を解消するための方策とが、それぞれ別個の論理で動きうるような事態である。さらに踏み込んで言うならば、たとえ社会的な安全が確保されず、あるいはますます危険を生むような方策であっても、ある人々にとって「不安」が解消されればよい、というような考えが生じてくる可能性すらあるのだ。</p>
<p>　というのも、不安をあくまで心理的な要素だと考える限り、それは様々な帰属処理によって解消されるものだからだ。例えば、「これは天災ではなく人災だ」という物言いがある。重大な事故が生じた場合に、それを偶然の出来事ではなく、人為的ミスによって引き起こされた、あるいは被害の拡大したものである、と見なす発想である。そして、こうした「人為的ミス」が事故の主たる原因だ、とする言説の後には決まって「事前にこうした事故が予見できなかったのか」「対策は十分だったのか」という非難が続くことになる。</p>
<p>　むろん、そうした批判が正当性を持つような場面は、確実に存在する。出来事の因果的な帰属と、責任の帰属を弁別して考えるのも、近代社会では通常の振る舞いだ<footnote>例えば、誰かに脅されて人を殺害した場合、その責任は実際に手を下した人(因果の帰属先)だけでなく、脅しをかけた人(責任の帰属先)にも及ぶことになる。</footnote>。だがここで考えなければならないのは、そうした物言いが持つ別の効果である。すなわち、あらゆる出来事に「偶然」ではなく「人為」を読み込むとき、そこには、どんな微細な出来事であってもなんらかの責任の帰属先がある、という意志が存在している。そのときいわゆる「責任者」は、予見不可能な、あるいは予見できたとしてもコスト的に対策を講じることが不可能であるような出来事に対しても、無限の責を負うことになるのである。</p>
<p>　こうしたパラノイア的に責任の帰属先が要求される社会では、そもそも「責任を取る」という行為そのものが宙づりにされてしまう。結果として生じるのは、たとえ一パーセントであろうとも、一度重大事故が起こってしまったら、責任者としてひたすら謝罪するか、他者に責任を転嫁して開き直るかという選択肢のみが生じ、その「安心」を巡るポリティクスの背後で、「安全」そのものは置き去りにされてしまうという事態なのである。</p>
<p>　必要なのは、個人的な「安心」と社会的な「安全」を峻別し、それぞれに異なった対策が講じられることである。少なくとも安全に関する限り、この近代社会は、危険な出来事を個人にとっての絶対的な視点（私の身に降りかかったらどうしよう！）ではなく、社会の中に一定確率で生起するものだとみなし、それゆえに社会全体でそのリスクをシェアするという発想で営まれてきた。安全が安心と混同され、個人的な出来事として処理される限り、そのリスクは、他者とシェアするためにではなく、より高リスクな集団と自らとを分かつために算定されるものにならざるをえない。</p>
<p>　社会の水準で安全を確保しつつ、一定確率で不幸な出来事が生じるにもかかわらず安心して生活するためには、地域や仲間といった信頼のネットワークの再構築──何かあったときはお互い様──が欠かせない。不安に基づいた治安維持、責任者捜しによる相互不信のネットワークばかりが広がりつつあるが、それは根本的な解決にはならないことを理解しなければならない時期が、遅かれ早かれ来るであろう。</p>]]>

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<title>『ネット社会の自由と安全保障サイバーウォーの脅威』</title>
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<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
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<summary type="text/plain"> 原田 泉 株式会社国際社会経済研究所 調査部長・主席研究員/国際大学GLOCO...</summary>
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<![CDATA[<ul>
<li>原田 泉</li>
<li>株式会社国際社会経済研究所 調査部長・主席研究員/国際大学GLOCOMフェロー</li>
</ul>
<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_25.jpg" alt="" align="left">

<p>　インターネットは1990年代の半ばから急速に発展して国際社会にグローバルな単一の情報基盤を作り出した。そこでの「自由」の概念は、インターネットが世界全体に普及した現在においても、その生い立ちから米国的な性格が色濃く残っている<footnote>拙稿『デジタル・ツナガリ』（NTT出版、2004 年10月）序章「ネット・コミュニティのルールとインターネット・コミュニティの自由」参照</footnote>。それは、一面では普遍性を持つかもしれないが、他面ではやはり米国の歴史的、文化的影響を受けている。また、現実の社会において無前提的な自由が存在することは考えられず、その社会における一定の規律、規範の下、法的規制の範囲内で自由は存在するのである。したがってインターネットにおける「自由」も現実的には、その社会や国家の成り立ち、歴史や取り巻く環境などにより異なることになる。民主主義国においては多くの共通性はあるものの、全て同じ意味合いでの自由が存在するわけではなく、それぞれの国の主権を尊重するのと同じように、それぞれの自由も他国から尊重されるべきものと考える。</p>
<p>　一方、インターネットの急速な普及と踵を接する形でコンピューター・ネットワークを使った犯罪行為やさまざまな社会的・政治的活動が始まっている。サイバーテロリズムのほか、特定の社会的集団が、その政治的主張やアジェンダを実現するために、国際社会の世論の注目を集め、外交政策に影響を与えるような活動としてテロリズムや「行動主義的な政治活動（politicalactivism）」があり、社会的集団が国際社会や外交政策に影響を与える際の活動の一環としてインターネットを利用する例も顕著に増えている。インターネットにこうした犯罪行為や政治活動が目につくようになったことは、インターネットが社会の一部となり、影響力を持ったことの証左とも言えるが、反面、国家としてももはや放置することはできず、セキュリティー対策を強化すると共に、インターネットに対する法的規制を進めることになったのである。特に、常時接続、ブロードバンド化などの普及により、インターネットに対する危機は、一層拡大し深化している。9.11対米同時多発テロ以降、米国では、ネットワークにおける安全保障という名目で、国家によるネットワークの規制や個人の権利をも侵害しかねない動きが起きている。</p>
<p>　以上のような状況を如何に考えていったらいいか、米国と中国の高名なシンクタンクの協力を得て、研究が進められ、出版へと漕ぎ着けたのである。</p>
<p>　米国のランド研究所（http://www.rand.org）には、多摩大学情報社会学研究所の山内教授と2003年11月に、また国際社会経済研究所の棚橋主席研究員とは同年6月と11月に訪問し、ロンフェルト上級政策研究員と議論し、同研究所のスタッフと出版に関しての打ち合わせを行った。その結果、ネット闘争とその主体となるネットワーク組織に関して、第6章「ネットワーク、ネット闘争、未来への戦い」をロンフェルト、アーキラ両氏に寄稿してもらうことになったのである。</p>
<p>　また、中国の現代国際関係研究院とは、当研究所設立以来、毎年情報化や危機管理といったテーマで共同研究を行っており、2003年度は、「安全な国際情報社会の構築」を研究テーマとし、8月には北京で研究会を開催し、2004年2月には東京で成果発表の国際シンポジウムを開催した。ここには中国人民政治協商会議議員である陸忠偉現代国際関係研究院院長にもご出席いただき、活発な意見交換を行った。これらの成果をもとに、中国でのインターネットにおける自由と国家の安全に関する考え方と現状を、第3章「中国のネットワークの自由と国の安全」として楊氏に担当していただき、中国でのインターネット上の犯罪やサイバーテロの現状に関して、第2章「中国の不正サイバー活動の現状および対策」で、張氏に概観してもらった。</p>
<p>　山内氏には第1章「日本の情報化の進展と、ネットワーク社会の政治およびセキュリティ面への影響について」で、米国と中国の議論を踏まえて日本の情報化とネットワーク社会の安全面での状況に関して展開してもらった。</p>
<p>　一方、米国におけるパトリオット法など、米国でのインターネットを巡る個人の自由や人権と国家の安全保障の間の論争を、棚橋氏に第4章「米国におけるネットセキュリティの現状と論争」で整理してもらい、この問題の思想的背景に関し、アジアフォーラム・ジャパンの茶谷氏に第5章「米国における『自由』と『安全』・『秩序』」に書いてもらった。</p>
<p>　そして、これらの前提ともなるべきインターネットにおける自由と安全に関するいくつかの問題点を、原田が序章「インターネットの自由と安全」で展開している。</p>]]>

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<title>『情報セキュリティで企業は守れるのか企業危機管理マニュアル』</title>
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<summary type="text/plain"> 原田 泉 株式会社国際社会経済研究所 調査部長・主席研究員/国際大学GLOCO...</summary>
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<![CDATA[<ul>
<li>原田 泉</li>
<li>株式会社国際社会経済研究所 調査部長・主席研究員/国際大学GLOCOMフェロー</li>
</ul>
<p>
<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_28.jpg" alt="" align="left">
『情報セキュリティで企業は守れるのか─企業危機管理マニュアル─』国際社会経済研究所・特定非営利活動法人危機管理対策機構 監修原田 泉 編著湯川鶴章+ 細坪信二 著NTT 出版2005 年3 月発行四六判、208 頁税込価格1,680 円
</p>

<p>　2001年9月11日の米国同時多発テロ（以降9.11と記述）以降、米国の企業危機管理が大きく変わったと言われている。本書は、2003年5月に時事通信社の湯川論説員と原田が危機管理対策機構の協力のもと、ニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルスを現地調査し、また、同年11月、ニューヨークのジャパン・ソサエティにおいて広く米国と日本の関係者を集め、「情報化時代の危機管理」をテーマにシンポジウムを開催した成果をもとに、9.11以降の最新企業危機管理の動向をまとめたものである。</p>
<p>　9.11の傷跡が未だ生々しいグラウンド・ゼロの周辺の企業や、危機管理専門のコンサルタント等によれば、9.11以前から大企業には危機管理はあったが、その評価には議論があったという。しかし、この事件以降、米国企業の経営層の危機管理に対する関心が確実に強まり、その中でも特に、情報システムや情報資産を如何に守るかという考えから発展して企業全体の存続を守るビジネス継続（Business Continuity）の考え方と、企業の信用や評判、名声を如何に守り高めていくかというクライシス・コミュニケーションの考え方に注目が集まっているという。</p>
<p>　これはまさに企業にとっての二つの資産、すなわち会社自体が持つ有形無形の資産と、企業に対する外部からの評価や名声、ブランドといったイメージ資産の二側面に対する危機管理のそれぞれの最新手法である。</p>
<p>　ビジネス継続（Business Continuity）とは、どんな想定外の危機に見舞われた際にも、その企業にとって中核となる業務を継続できるような体制を作り、企業を存続させ、単なる危機からの回復ではなく、他社との競争においてプラスαがもたらされるような危機管理を行うことを目標とするものである。情報システムや情報資産、顧客データなどは、別のサイトにいわゆるデータ・リカバリーが行えていても、実際にそのシステムやデータを使って顧客に対応する従業員やオフィスがなければ、業務は継続できないのである。従業員やオフィスの存在を前提条件にせず、それらがなくなることも想定した、いかなる危機がおとずれても業務の中断を最小限に抑えることを、ビジネス継続は要求するのである。</p>
<p>　一方、企業にとってのクライシス・コミュニケーション（危機広報）の重要性も指摘された。これは、企業や組織の名声、信用、ブランド、イメージなどに対する危機管理である。物的資産は保険で金銭的に補填できても、顧客への対応の不備や迷惑などで失った信用や企業イメージの悪化は補填できない。危機に直面した際、直接的な緊急対応はもちろん、企業や組織の内外に対するコミュニケーションの対応を誤ったために、長年培ってきた信用やブランドを一瞬にして失い、最悪の場合廃業に追い込まれてしまうことも考えられる。</p>
<p>　訪問した多くの米国企業では、危機の際には、会社へのホットラインの電話番号などの情報をすぐ自社のホームページのフロント・ページに載せたという。また、いくつかの先進的企業では、事前に数パターンの危機発生時を想定した「シャドー・サイト」と呼ばれる専用ホームページを作っておき、危機発生時には必要事項を記入してすぐに通常のホームページと切り替えて対応したという。また、インターネットを利用したこうした対応は、新聞やテレビなどの既存メディアのフィルターを通さずに大衆や関係者に企業の実態を直接知らせることができ、大変有用な危機対応メディアと言える。</p>
<p>　以上のようなビジネス継続、クライシス・コミュニケーションを含め、危機管理を企業において実施する際、これまで最も障壁となったのがコストの問題であり、費用対効果の問題であった。しかし、9.11は、この障壁をクリアして余りある衝撃を米国企業のCEOたちに与えたようである。</p>
<p>　本書は、第一部理論編として第一章「ビジネス継続とクライシス・コミュニケーション　──米国の最新危機管理経営」を原田が担当し、第二章「ネット・セキュリティからビジネスコンティニュイティへ　──情報資産を守るセキュリティ対策の今後──」、第三章「クライシス・コミュニケーション（危機広報）事例」を時事通信社論説委員の湯川氏が担当した。第二部実践編は、企業危機管理マニュアルとして、特定非営利活動法人危機管理対策機構の理事・事務局長の細坪氏に、第四章「従来の企業防災から企業危機管理へ」、第五章「企業危機管理の六つの要素と六つのステップ」、第六章「企業危機管理の体制」、第七章「企業における『情報』の危機管理」、第八章「企業危機管理の計画について」、第九章「企業危機管理の教育と訓練」、第十章「企業危機管理の効果」を担当してもらった。</p>]]>

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<title>『情報セキュリティ理念と歴史』</title>
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<summary type="text/plain"> 名和小太郎 国際大学GLOCOM客員教授 　情報セキュリティーについて、近年、...</summary>
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<![CDATA[<ul>
<li>名和小太郎</li>
<li>国際大学GLOCOM客員教授</li>
</ul>

<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_31.jpg" alt="" align="left">
<p>　情報セキュリティーについて、近年、おびただしい言説が流れている。それらは技術論から制度論に至るが、そのほとんどは、「脅威に対する楯→それに対する矛→それに対する楯→それに対する矛→……」という論理に巻き込まれている。その結果、多くのセキュリティー論は、煩瑣な、そして短命なものとなってしまった。</p>
<p>　煩瑣かつ短命であれば、その議論は、おもむくところ、「木ヲ見テ森ヲ見ズ」ということになりがちとなる。つまり、部分最適の議論になりがちとなる。著者が狙ったのは、このような論に陥ることを避けたい、むしろ、原則的、大局的、長期的な視点でこの課題に接近してみたい、ということであった。</p>
<h4>長期的な視点からの「セキュリティー論」</h4>
<p>　ここで本書の内容を要約しておく。内容の紹介がそのまま著者の意図の説明にもなると思うので。</p>
<p>　まず第1編は「理解の枠組み」ついて。情報システムというものは、その原型においてはオーウェルの「偉大な兄弟」、あるいはフーコーの「一望監視」（以下、あわせて「偉大な兄弟」モデル）の形を持っていた（言うまでもないが、すべてのコンピューターすなわち情報システムではない）。なお、ここに言う「偉大な兄弟」モデルにしても「一望監視」モデルにしても、この本ではこれらの言葉にからむイデオロギー的な意味については、それをはぎとって考えている。</p>
<p>　第2編は「同時代史」について。情報システムにおいても通信ネットワークにおいても、「偉大な兄弟」モデルは崩れてしまった。前者においてはシステムの小型化と分散化が、また後者においてはサービスの多様化とユニバーサル・サービスの崩壊が、これを示している。また、越境データ流通に対する国のコントロールがインターネットによって失われたことも、この崩壊を増幅してしまった。</p>
<p>　第3編は「脆弱性」を扱う。コンピューター・システムの中心にあるソフトウエアは本来的に脆弱であり、また、ネットワーク・システムの基盤となったインターネットもこれまた本質的に脆弱である。どちらも現場の技術者にとっては自明のことであるが、あえてこれを示した。「王様ハ裸ダ」。言うまでもないが、どちらにも「偉大な兄弟」モデル的なコントロールを及ぼすことはできない。</p>
<p>　第4編は「試行錯誤的な制度設計」を扱う。ここでは情報セキュリティーに関する中核的な技術について、それに対する制度設計の意味を検討した。まず「監視」の機能については、これとモニタリング・システム、データ・マイニング、本人認証、ユビキタス・コンピューティングとのかかわりについて考察した。これらの技術においては、「偉大な兄弟」モデルの実現に少しでも逡巡があれば、その技術のメリットは失われるだろう。『情報セキュリティ─理念と歴史─』名和小太郎著みすず書房2005 年10 月発行A5 判、308 頁税込価格3,780 円</p>
<p>　次に「情報資源」については、その保護と流通とのトレード・オフを論じた。ここに言う情報資源には、一方では著作権的な資源を、他方では個人情報としての資源を含む。これらの保護に対する社会の要請は対称的──前者では公開環境における保護、後者では秘匿環境における保護──であるが、それ自体は技術的には区別できないデジタル情報である。これを制度的にどのようにして振り分けるのか。この実現のためには、またしても「偉大な兄弟」モデルを導入しなければならない。</p>
<p>　次は「暗号論争」について。暗号技術は、遵法のユーザーにも脅威エージェントにも役立つ。つまり両用技術である。一方、どんな技術においても、その技術が利用されるためには、その技術が_公開され、その信頼性が客観的に確認されなければならない。だが、その公開は脅威エージェントにも役立つ。この環境のなかで暗号技術をだれにコントロールさせればよいのか──この難問が生じる。「偉大な兄弟」をだれが演じるべきなのか。</p>
<p>　最後は「危機管理」について。情報システムと通信ネットワークとは、いまや社会基盤に組み込まれている。これを情報基盤と呼ぼう。この情報基盤にもし不具合が生じたとき、その責任はだれが負うべきなのか。この課題について、巨大な社会実験が現実に行われた。それはY2Kであった。このときに、図らずも情報基盤には「偉大な兄弟」モデルの組み込まれていないことが露呈された。</p>
<p>　第5編は「管理の文化」について。ここではセキュリティーを管理の文化として扱うことについて考察する。まず「情報基盤のセキュリティー」について。9月11日事件以降、ここでは対症療法的に多様なシステムが技術的、制度的に構築されている。その結果、利害関係者は膨らみ、一方では相互監視が、他方では危険の匿名化が進んでいる。</p>
<p>　次に「信頼の社会装置化」について。ここでは、主として対象をインターネット空間に限り、この空間をどのように実空間に接続するのか、これを考察した。ここでは一連の技術標準が役立つはずである。このためには、インターネットの全空間を対象にすることをあきらめ、コントロール可能の部分空間を切り取り、これを頑健化することがせいぜいの対応策となる。この切り取った実空間にはなんらかの方法で「偉大な兄弟」モデルを組み込まなければならない。具体的には認証機関がこの役目を背負うことになる。だが、「ダレガ番人ノ番人ヲスルノカ」。</p>
<p>　最後は、「情報セキュリティー」の共有について。これについて言及したものがOECDの「セキュリティー文化」論である。対比的に言うと、すでに原子力工学の分野に「安全文化」論があるが、後者においては、実は技術と装置と事業とを技術者と事業者とが独占できる。だが、前者においては然らず。技術も装置も事業も大衆の間に拡散してしまった。この差は決定的である。</p>
<p>　したがって、こと情報セキュリティーについては利害関係者間の関係は錯綜する。具体的には、遵法のユーザーと脅威エージェントとが共存し、遵法のユーザー間に対立──表現の自由、プライバシー保護などを巡って──が生じるということもある。これを冷静に直視しなければならない。</p>
<p>　最後に、情報セキュリティーとは、システムを枯らすことによって、つまり、「世界ヨ止マレ」と命じることにより達成される。とすれば、これは原理的に反自然的なことであり、現実にも犬の年齢で走るIT技術、IT産業と折り合うものではない。</p>
<h4>枯れたシステムのみが情報セキュリティーを実現</h4>
<p>　以上がこの本の要約である。したがって、本書の結論は次の二つとなる。第一に、情報セキュリティーを完全に実現しようとすれば、私たちはなんらかの方法で「偉大な兄弟」モデルあるいは「一望監視」モデルをこの世界に導入しなければならない。第二に、加えて情報セキュリティーの完全な導入は、システムを枯らすことによって、つまりIT技術やその可能性にかかわる歩み──いや、走り──に追従することをあきらめなければできない。</p>
<p>　この著者の結論に対しては、いまさらそんな幼稚なことを言うなかれ、ナイーブにすぎる、現実を知らない、という批判が直ちに現れるだろう。だが、これまでの技術の流れ、制度の変転を子細にたどると、このような結論になる、と答えておこう。多分この点について、本書ほど過去の技術報告、法律論文、判例、行政文書などを引用したものはないだろう。この点について、著者は自負している。</p>
<h4>コンピューター利用史としての性格も</h4>
<p>　もう一つ、米国においても日本においても、コンピューター・メーカーやコンピューター研究者、またコンピューター政策の立案者などの立場からみたコンピューター開発史はあるが、ユーザーの立場からみたコンピューター利用史はほとんどない。仮にあったとしても、それはパソコンのユーザーによるものである。特にコンピューター利用の草創期に活躍したコンピューター・ユーザーの姿は現在ほとんど埋没している。</p>
<p>　この意味で言うと、著者はこの半世紀、コンピューター・ユーザーとして仕事をしてきた。ここにいうコンピューター・ユーザーとは、コンピューターの研究者でも開発者でもない立場でコンピューターに付き合ってきたということである。したがって著者は、コンピューター・ユーザーの小史を残しておきたいという望みをかねて持っていた。これも著者がこの本に託そうとしたもう一つの狙いであった。この点に関しては、この本はコンピューター利用史としての性格も兼ね備えている。ただし、こちらの試みについては、この本はそれをわずかに示しえたにすぎない。それは第2編の「同時代史」と第4編中の「Y2K」に関する部分である。著者としては、まだ多少の余命があれば、この部分を完成させたいと願っている。</p>]]>

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<title>『デジタルコンテンツ白書2005知的財産立国の実現、アイデンティティーの刷新をめざして』</title>
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<issued>2006-01-09T23:09:40Z</issued>
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<created>2006-01-09T23:09:40Z</created>
<summary type="text/plain"> 講師: 福冨忠和　国際大学GLOCOM主幹研究員・教授/デジタルハリウッド大学...</summary>
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<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<dc:subject>200601</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/">
<![CDATA[<ul>
<li>講師: 福冨忠和　国際大学GLOCOM主幹研究員・教授/デジタルハリウッド大学教授</li>
<li>講師: 平林久和　株式会社インターラクト代表取締役/ゲームアナリスト</li>
<li>講師: 津田大介　IT・音楽ジャーナリスト/ネオローグ代表</li>
</ul>
<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_37.jpg" alt="" align="left">
<p>　2005年9月22日、『デジタルコンテンツ白書2005』をテーマ書籍として、財団法人デジタルコンテンツ協会（DCAJ）とIECP読書会の合同特別セミナーが開催された。</p>
<p>　『デジタルコンテンツ白書』は、DCAJが編集・発行している国内唯一のコンテンツに関する白書で、デジタル・コンテンツを中心に、メディア・コンテンツ産業の市場規模や産業動向が紹介、解説されている。編集委員長を務めた福冨忠和GLOCOM主幹研究員によると、2005年版の制作にあたっては、編集委員および執筆陣になるべくコンテンツの制作現場に近い方々に参加していただき、現場のリアルな情報を組み込むことに努めたということであった。</p>
<p>　本セミナーでは、最初に福冨氏よりデジタル・コンテンツ市場の概況について説明があり、続いてゲームについて執筆された平林久和氏より「次世代ゲーム機の登場によるゲーム産業、コンテンツ産業の今後」と題して、また音楽について執筆された津田大介氏より「iTunes Music Storeの登場による音楽配信サービスの今後」と題して、それぞれ講演が行われた。</p>
<h4>デジタル・コンテンツ市場の概況</h4>
<p>　白書の定義によると、コンテンツとは「様々なメディア上で流通する［映像、音楽、ゲーム、図書］など、動画・静止画・音楽・文字・プログラムなどの表現要素によって構成される"情報の内容"」であり、このうちデジタル形式で記録されたものをデジタル・コンテンツという。</p>
<p>　2004年（一部2003年値を含む）のコンテンツの国内市場規模は13兆3,362億円で、これは過去5年間、ほぼ横ばい状態である。このうちデジタル・コンテンツについては2004年2兆4,685億円で、前年比11.1%増と順調な伸びを見せている。これは、国内のコンテンツ消費が飽和状態にあるなかで、デジタル・コンテンツの市場が拡大し、そのぶんアナログ系のコンテンツ市場が縮小していることを示している。この傾向は、ハード・ディスク・レコーダーや地上波デジタルの登場によってますます拍車がかかると言われている。今後、日本の人口が減少に転じるのは確実で、国内市場の拡大が期待できない以上、コンテンツ産業は海外市場に出るしかない。</p>
<p>　ここで海外に目を向けると、世界全体のコンテンツ市場規模は約百三十兆円であり、米国が約半分、日本が約一割を占めている。現在、アジア太平洋地域では市場規模の約半分が日本であるが、中国や韓国の追い上げが著しい。</p>
<p>　日本のコンテンツの国際収支は2001年の統計で、約九百億円の輸出超過『デジタルコンテンツ白書2005―知的財産立国の実現、アイデンティティーの刷新をめざして―』経済産業省 商務情報政策局 監修財団法人 デジタルコンテンツ協会 編集・発行2005 年8 月発行A4 変型、266 頁税込価格4,500 円である。しかし、これを「ゲーム・ソフト」「出版」「映画」「放送番組」「音楽ソフト」の分野別に見ると、ゲーム・ソフトを除いては大幅な赤字であり、ゲーム・ソフトだけで黒字を稼いでいる状況にある。しかし、このゲーム・ソフトについても衰退傾向が顕著で、1980～90年代前半には世界のゲーム市場で圧倒的なシェアを誇っていたものが、2004年には六分の一程度に落ちているそうである。</p>
<p>　このような状況のなかで、福冨氏は日本のコンテンツ市場を巡るトピックとして、以下が挙げられるのではないかと述べた。（1）映画、アニメ、Jポップなど多くの日本発コンテンツが海外で高い評価を受けたことにより、日本ブランドが定着してきた。（2）ライブドアによるニッポン放送買収問題がきっかけとなり、番組のブロードバンド配信に取り組む放送局が増えた。（3）iPod発売以後、音楽配信ビジネスが大きく展開した。（4）ブログやSNS（ソーシャル・ネットワーキング・サービス）から書籍や映画が生まれ、ネット経由のコンテンツが旧メディアに広がった。（5）ニンテンドーDS、ソニーPSPと二つの携帯ゲーム機が発売され、また2005年末から06年にかけて次世代ゲーム機3機種が発売される予定で、新たな展開が注目されている。</p>
<h4>講演1: 次世代ゲーム機の登場によるゲーム産業、コンテンツ産業の今後</h4>
<p>　Xbox360（マイクロソフト）、プレイステーション3（ソニー・コンピュータエンタテインメント）、Revolution（任天堂）と、次世代ゲーム機主要3機種の発売が相次いで発表された。平林氏の講演では、「E3 2005」<footnote>「E3(Electronic Entertainment Expo)2005」は2005年5月18～20日、米国ロサンゼルスにて開催。</footnote>や「東京ゲームショウ2005」<footnote>「東京ゲームショウ2005」は2005年9月16～18日、幕張メッセにて開催。</footnote>で公表された新機種の最新情報に加えて、白書に現れにくいゲーム産業の実態などが紹介され、次世代ゲーム機が今後のゲーム業界に与える影響や未来のゲームの方向性について分析が行われた。</p>
<p>　白書の記事の冒頭で、平林氏はゲーム市場における現在の「三つの奇異な光景」について述べている。</p>
<ul>
<li>ゲーム・ソフトが売れない。1997年をピークにして国内ゲーム・ソフト市場は頭打ち、ないしは縮小傾向にある。</li>
<li>海外、特に北米地域におけるゲーム・ソフト市場は1998年頃から急拡大し、なお伸び続けている。</li>
<li>ゲーム・ソフトは売れないのに、ハードはよく売れている。プレイステーション2は国内で2,104万台（2005年6月現在）を出荷。</li>
</ul>
<p>　この現況を読み解くために、平林氏は「ゲームとは何か」という問いから始める。ゲームをプレーヤーに強い緊張感や刺激を与える製品ととらえ、ゲームが市場に浸透するに伴って必然的に起こる「刺激のネタ」の逓減が、ソフトの売れない最大の原因だとするのである。他方、ハードのほうは、テレビ・ゲーム機を「わが家にあって当然」と考える家庭が増えたために、堅調な売れ行きを見せているのではないかという。また平林氏によると、ゲームのユーザーは、比較的単純なゲームで気軽に遊ぶカジュアル・ゲーマーと、会費を払ってMMORPG（Massively Multiplayer Online Roll PlayingGame）で遊ぶマニアックなゲーマーに二極化していく傾向がみられるそうである。</p>
<p>　こういった状況のなかで発売される次世代ゲーム機とは、いったいどういうものなのだろうか。</p>
<p>　まず任天堂のRevolutionの特長は、テレビのリモコンのような小型のコントローラーである。先端部にダイレクト・ポインティング・デバイスを備え、画面との距離やひねりといった操作情報をワイヤレスで伝える。「東京ゲームショウ」のデモでは、コントローラーを画面に向けて動かすことで、フライパンの映像を自在に操って料理してみせたそうである。また、平林氏の推測によると、DVD3枚分の厚さという本体サイズや充電器が用意されていることから、携帯できるゲーム・サーバーという位置付けがされ、ニンテンドーDSなどとWiFi通信で接続して、複数でゲームをするような遊び方が提案されるのではないかということであった。</p>
<p>　またプレイステーション3の特長は、実写並みのCGである。CPUにCell（IBM・東芝との共同開発によるスーパーコンピューター並みの性能を持つチップ）を搭載し、GPU（グラフィック・チップ）はNVIDIAと共同開発、全体で2テラフロップス級の処理能力を持つ。このほか物理シミュレーション、リアルタイム・レンダリングなどの技術により、実際に撮影したかのような映像を描き出すことを可能にしている。これまでの3DCGの描画法とは全く思想が異なり、平林氏によると「CGに革命を起こす可能性がある」（詳しくは白書を参照されたい）。販売戦略的に強調されてはいないが、このCG革命については、Xbox360についても同様だということであった。</p>
<p>　ここで指摘されているのが、ソフト開発費の高騰である。実写並みのCGを作るために一本のソフトにかかる資金は最低十億円とも言われ、ゲーム・ソフト業界の再編はますます加速すると言われている。しかし平林氏によると、問題は資金だけではない。「今後はゲーム・ソフトを作るのに、解剖学、物理学、建築学、心理学など広範な専門知識が求められるようになる。ルネッサンス期にダヴィンチがそう称せられたように『万能の天才』、もしくはそれに類するプロフェッショナル集団が、コンテンツ開発の設計段階から必要となるだろう」。そして、「象徴的に言うならば、ダヴィンチのような天才的作家性を発揮するか、カジュアル・ゲーマーたちの声なき声に敏感な市場の黒衣となる謙虚な心を持つか。企業経営者も現場にいる開発者も、大胆な選択を迫られている」（白書、p.121）。</p>
<p>　最後に、1994年秋季COMDEXにおけるビル・ゲイツの基調講演の中で使われた映画が紹介された。十年後（すなわち2004～05年）の社会を予測して制作された映画で、携帯端末（ウォレットPC）による電子決済、カーナビによる移動体通信、ブロードバンド、大型の壁掛けディスプレー、インタラクティブTVなどが日常に溶け込んでいる様子が描かれていて、予見された未来が確実に実現しつつあることが実感されるものであった。</p>
<h4>講演2:iTunes Music Storeの登場による音楽配信サービスの今後</h4>
<p>　音楽CD市場の落ち込みとは対照的に、高い成長が見込まれているのが音楽配信サービスである。津田氏の講演では、白書を執筆された後の今年8月に日本でのサービスが始まったために、白書では詳しく扱うことができなかった "iTunes Music Store（ iTMS）"についてお話をうかがい、実際にiTMSで曲を検索して購入する様子も見せていただいた。</p>
<p>　iTMSは米アップルコンピュータによる音楽配信サービスで、"iTunes" という専用の音楽管理ソフト上でサービスが提供される。音楽を一曲単位で購入することができ、米国では値段が1曲99セントで統一されている（ただし、日本では1曲150円もしくは200円の二本立て）。著作権保護機能にはアップル社独自の "Fairplay" が採用されていて、購入した曲はiPodに何度でもコピーでき（iPodはもともとiTunesを補完するものとして発売されたそうである）、CD-Rに書き込むこともできる。</p>
<p>　現在20カ国でサービスが展開されており、全世界の音楽配信市場の八割以上（アップル社の発表による）を占めている。日本でも8月4日のサービス開始後、4日間で百万曲を販売したということである。</p>
<p>　津田氏は、iTMSの特徴として以下の3点を挙げ、「音楽CDよりも便利な世界をユーザーに提示したこと」がユーザーに支持された理由だと述べた。</p>
<ul>
<li>豊富なカタログ</li>
</ul>
<p>　米国では4大メジャー・レーベルとインディーズを合わせて二百万曲以上</p>
<ul>
<li>購入しやすい価格</li>
</ul>
<p>　米国では1曲99セント。ワン・コインで気軽に購入できる感覚が重要</p>
<ul>
<li>使いやすいDRM（Digital Rights Management：デジタル著作権管理）</li>
</ul>
<p>　iPodとの連携。CD-Rに書き込み可（カー・ステレオ用には必須）</p>
<p>　つまり、CDショップに出かけていって欲しい曲を探して買ってくるよりも、よほど便利だということである。津田氏によると、iTMSの背景には「もっと音楽を広めたい」というスティーブ・ジョブズの思想があったそうである。アップル社が米国でiTMSをスタートさせた2003年当時にも、1曲99セントという値段は破格であり、またコピー制限が緩いなど、レコード会社としてはとても呑める条件ではなかった。ただ、レコード会社が自ら行っていた音楽配信サービスがうまくいかなかったという事情があり、そこにスティーブ・ジョブズが粘り強く交渉した結果、一年間アップル社に任せてみようとなったということである。もともとマッキントッシュがアーティストに親和性が高く、スティーブ・ジョブズの思想に共鳴する大物アーティストがいたことも大きかったということである。</p>
<p>　実は日本版iTMS以前から、日本でもbitmusic、Moraなどの音楽配信サービスが行われてきたが、ユーザーへの浸透はいま一つであった。理由は、カタログが貧弱で、価格が割高で、DRMの使い勝手が悪い（携帯音楽プレーヤーへの転送回数に制限がありCD-Rへの書き込み不可とする曲が多い）からである。</p>
<p>　この違いはどこから生じるのか。津田氏は「カタログ数」「価格」「DRM」のそれぞれについて、いくつか理由を挙げて説明を加えた。長くなるのでここでは詳細を省くが、原盤権の在り方の違い、そのために配信許諾の権利処理が複雑なこと、レコード会社とプロダクションの関係、売上分配率の問題、再販制度、価格決定の仕組み、レンタルCDというシステムの存在、DRMに対する業界の姿勢など、さまざまな問題が複雑に絡み合う。しかし、いずれにしてもユーザー側というより業界内部の事情であり、ユーザーの利便性よりも「業界の慣習や法的問題、既得権益」を優先させる体質が、新しいビジネスの普及を妨げてきたことは否めない。</p>
<p>　最後に津田氏は、iTMSがもたらす可能性について次のように述べた。</p>
<ul>
<li>セールス・プロモーションがネット上で完結するために、アーティストの海外進出が容易になる。</li>
<li>原盤制作や流通のコストがかからないために、従来リリースしにくかった音源の積極的なリリースが可能になる。</li>
<li>単価が安いので「試聴」感覚で購入するユーザーが多い。従来のパッケージ（音楽CD）との共存もありうる。</li>
<li>音楽配信では1曲単位で購入できるため、ベスト・アルバム、コンピレーション・アルバムの存在意義がなくなる。</li>
<li>CDレンタル・ビジネス解体の可能性。</li>
<li>iTune上ではメジャー/インディーの垣根がないため、作り手にとっても受け手にとっても公平な世界をもたらし、音楽が多様化する。</li>
</ul>
<p>　iTMSおよび音楽配信ビジネスの今後については、アップル社による動画配信サービスの可能性、米国の一部レーベルによる値上げ要求の動き、ヨーロッパで伸びているMP3系の音楽配信サービス、日本では「着うた」ビジネスとの競合、タワーレコードとの合弁によるNapster（聴き放題サービス）の日本進出、ソニーミュージックの動向などが気になるところだということであった。</p>
<ul>
<li>2005年9月22日開催（編集部）</li>
</ul>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>若者論とメディア論の間に</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/2006/01/post_43.html" />
<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
<issued>2006-01-09T22:10:03Z</issued>
<id>tag:www.glocom.ac.jp,2006:/j/publications/2.256</id>
<created>2006-01-09T22:10:03Z</created>
<summary type="text/plain"> 講師: 斎藤 環　爽風会佐々木病院精神科診療部長 　2005年11月1日のIE...</summary>
<author>
<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
</author>
<dc:subject>200601</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/">
<![CDATA[<ul>
<li>講師: 斎藤 環　爽風会佐々木病院精神科診療部長</li>
</ul>
<p>　2005年11月1日のIECP研究会は、精神科医の斎藤環氏を講師に迎え、「若者論とメディア論の間に」と題して開催された。斎藤氏の専門は、思春期・青年期における精神病理、および病跡学で、現在、青少年健康センターで「実践的ひきこもり講座」と「ひきこもり家族会」を主宰されている。ひきこもりや若者文化についての著書も多く、若者とメディアの関係についても積極的に発言をされている。</p>
<p>　研究会における斎藤氏の講演は、臨床から見たひきこもりの実態、諸外国での事情、若者に蔓延する「負けた教」について、若者の「ひきこもり系」と「自分探し_系」への二極分化、メディアの影響、社会の心理学化と流動化、「中景」の喪失、家族の変容と期待される機能、等々、非常に多岐にわたる内容であった。その中から一部を以下に紹介する。</p>
<h4>非社会化する若者たち</h4>
<p>　少年による凶悪犯罪が増えている、と言われる。しかし、斎藤氏に言わせると、むしろ「日本の青少年は穏健化している」。確かに平成14年版『犯罪白書』には、「少年の刑法犯検挙人員は、昭和26年（16万6,433人）、39年（23万8,830人）及び58年（31万7,438人）をピークとする三つの大きな波が見られる。59年以降は当初、減少傾向を示し、平成7年には二十万人台を割り込んだ後、8年以降増加していたが、11年と12年は、ともに減少し、13年には、前年比2.9％増の19万8,939人となっている」<footnote>平成14 年版『犯罪白書』〈第4 編〉少年非行の動向と非行少年の処遇 [ http://www.moj.go.jp/HOUSO/2002/hk1_4.html#4-0 ]</footnote>とあり、昨今になって少年犯罪が急増しているとは言い難い。凶悪化しているのではないかという印象もあるが、平成14年に殺人で検挙された少年は83人で（平成15年版『犯罪白書』）、ピーク時の四分の一以下である。</p>
<p>　斎藤氏によると、飲酒・喫煙・ドラッグなどの非行は広がりを見せているが、傷害事件を起こすような非行は減少しており、よりプライオリティーの高い問題は、若者の「反社会化」よりも「非社会化」の方にあるのではないかという。</p>


<h4>急増する若年無業者</h4>
<p>　若者の非社会化を表徴するキーワードとして、斎藤氏は、「おたく」「フリーター」「非婚化」「パラサイト・シングル」「ニート」「ひきこもり」を挙げた。</p>
<p>　このうちニート（NEET:Not in Education, Employment or Training）とは、「仕事も求職活動もせず、教育も職業訓練も受けていない若者」である。厚生労働省の『労働経済の分析』（労働経済白書）では「若年無業者」（非労働人口のうち、年齢15～34歳、卒業者、未婚であって、通学・家事をしていない者）として集計されており、平成15年52万人、16年64万人である。ただし、家事手伝いをどう考えるかといった定義の違いがあり、内閣府では84.7万人（平成14年）としている。</p>
<p>　労働政策研究・研修機構の小杉礼子氏は、日本のニートの特徴として次の点を挙げている。</p>
<ul>
<li>男女比はほぼ同率。</li>
<li>最終学歴は中学卒もしくは高校中退が多い。</li>
<li>親との同居率が高い。</li>
<li>六割以上が現状にあせりを感じている。</li>
<li>休職活動をやめてしまった理由として「なんとなく」（43.4%）が最多。</li>
<li>一度も就職活動をしてこなかった理由としては「人付き合いなど会社生活をうまくやっていける自信がない」（43.1%）が最多。</li>
</ul>
<p>　ニートは不況が原因とも考えられがちであるが、この最後の項目に見られるように、個人の対人関係の問題という側面も無視できないということである。</p>
<h4>ひきこもりの定義と特徴</h4>
<p>　このニートの一部が、いわゆる「ひきこもり」である。斎藤氏は「社会的ひきこもり」という用語を用い、「六カ月以上社会参加せず、精神障害を第一の原因としないもの。ただし社会参加には、『就学』『就労』のほか親密な仲間関係も含まれる」と定義している。すなわち、就労せず通学していなくても、一緒に遊ぶ仲間がいればひきこもりではない。ただしこの場合も、二十歳代後半以降、仲間が就職や結婚などで離れていくことによって、ひきこもり化していく可能性が高い、と斎藤氏は指摘する。</p>
<p>　日本のひきこもり人口は、数十万人とも百万人とも言われる。最近のデータでは、岡山大学が平成14年に岡山・鹿児島・長崎の1,646人を対象に行った面接調査から、全国で41万人と推定されている<footnote>平成14 年厚生労働科学研究費補助金(特別研究事業)分担研究:地域のメンタルヘルス指標の検討 研究協力報告書 地域疫学調査による「ひきこもり」の実態調査 [ http://eisei.med.okayama-u.ac.jp/hp/H14TOKUBETSU/分担研究報告書3-2.pdf ]</footnote>。ただし、調査地域に大都市圏が含まれていないこと、ひきこもりを抱える家族の多くが調査に協力的でないことを考えると、この数は下限値と考えるのが妥当だろうということであった。</p>
<p>　このほか、ひきこもりの特徴として、斎藤氏は次の点を挙げた。</p>
<ul>
<li>不登校との関連性が高い。</li>
<li>1970年代後半から増加。</li>
<li>男性に比較的多い。</li>
<li>どのような家庭のどのような子供にも起こりうる。</li>
<li>しばしば著しい長期化（数年～十数年）に至る。</li>
<li>長期化とともに精神症状や家庭内暴力などの問題行動が出現しやすい。</li>
<li>ひきこもるきっかけは多様だが、長期化のパターンには共通点が多い。</li>
<li>長期化に至った事例が自力で社会参加を果たすことは著しく困難。</li>
</ul>
<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_46a.jpg" alt="">
<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_46b.jpg" alt="">
<p>図 1：ひきこもりシステム模式図（講演資料より）</p>
<p>　ひきこもりが長期化しやすく、しかも長期化すると自力で抜け出せなくなるのはなぜだろうか。これを斎藤氏は、「ひきこもりシステム」という模式図を使って説明する（図1）。すなわち、社会、家族、個人という三つのシステムが相互に交わらず、連動しなくなると、［ひきこもり状態］が［家族の不安・焦燥感］をあおって［外出・就労への圧力］となり、それが［本人の不安・焦燥感］を高めて、ますます［ひきこもり状態］になるという悪循環に陥るのだという（図2）。</p>
<p>　この悪循環を解消するには、本人や家族以外の第三者による介入が必要である。すでにひきこもりが長期化して四十歳代となっている例もあり、このまま放置すれば将来、社会参加の経験がないひきこもり独居老人や在宅ホームレスが増加するのは確実だということであった。</p>
<h4>ひきこもりは日本固有の現象か</h4>
<p>　斎藤氏によると、若者の非社会化の背景には、個人の成熟の遅れがある。これは日本では1970年代後半から進行している現象で、社会の成熟と大きなかかわりがある。すなわち、成熟した社会、物質的に豊かな社会では、個人が早くから労働に携わる必要がない。修学期間が延び、モラトリアム期間が長期化した結果、個人のアイデンティティー（自分が自分であるという感覚）が拡散し、成熟を難しくしているのだという。未成熟な文化をもてはやすメディアの影響もあるだろう。斎藤氏の言うように、「社会の成熟度と個人の成熟度は反比例する」のである。</p>
<p>　だとすると、日本より先に社会が成熟化した欧米にも、ひきこもりはあるのだろうか。斎藤氏によると、欧米では若年無業者の問題は、ひきこもりではなくヤング・ホームレスの増加となって現れている。斎藤氏は、これは自立に対するイメージの違いによるのではないかと述べた。すなわち、欧米における自立は家から出て行くことであるのに対し、日本の自立は家を継いで親孝行することである。欧米型自立の失敗がヤング・ホームレスであり、日本型自立の失敗がひきこもりだとも言える。</p>
<p>　日本と同じ儒教文化圏にある韓国ではどうだろうか。韓国では、ひとりぼっちを意味する「ウェットリ」という言葉が使われている。学校には通っているが友人関係がないことを「活動型ウェットリ」、どこにも行かずに自宅にひきこもることを「隠遁型ウェットリ」と呼び、ともに異常行動だと考えられているそうである。日本のひきこもりに相当するのは後者である。周知のように韓国には徴兵制があり、健康な男性は20歳になると二～三年間の兵役につかなければならない。徴兵制という実体験を強制するシステムが、必ずしもひきこもりの抑止になりえていないということは興味深い。</p>
<h4>「負けた教」の蔓延</h4>
<p>　斎藤氏は、著書『「負けた」教の信者たち』<footnote>斎藤環著『「負けた」教の信者たち―ニート・ひきこもり社会論』中公新書ラクレ、2005年4月刊</footnote>の中で、「若者たちの中に『確固たる自信のなさ』とでも言うべき気分が蔓延しつつある」と述べている。斎藤氏はこの気分を「負けた教」と命名し、次のような特徴があるとしている。</p>
<ul>
<li>さほどの根拠もなく、自分は負け組であるという思い込みに固執している。</li>
<li>自分が負けていることははっきりしているが、勝ち組のイメージは欠けている。</li>
<li>自分の成長や可能性が信じられない。</li>
<li>実体験が内面に影響しない。</li>
<li>成功体験が自信をもたらさない。</li>
<li>意味の曖昧な体験はマイナスに解釈する。</li>
<li>高い社会的成功に自らを同一化できない。</li>
<li>「自傷的自己愛」の問題。</li>
</ul>
<p>　このうち、「実体験が内面に影響しない」「成功体験が自信をもたらさない」ということは、「個人がさまざまな体験を通して成長していく」というモデルが通用しにくくなっていることを示唆している。斎藤氏は、ここにメディアの影響を見る。つまり、成功体験や身体が変容するような強烈な体験を、メディアを通じて先取りしてしまっているために、実際に自分でそれを経験したときに、すでに体験済みであるかのような感覚で受け止める。そういう既視感のために、体験が自分を変えたり成長させたりすることに結び付きにくい。メディアが一種の免疫のように作用しているというのである。また、自己を変容させるような体験はすべてトラウマ的であるために、心を分裂させたり、違う自分にモード・チェンジさせたりして傷つくことを避けようとする仕組み、つまり体験をたくみに受け流す心的な装置ができあがってしまっているということも考えられるという。</p>
<p>　最後の「自傷的自己愛」というのは、「自分はダメだと言うことで、とりあえず自分の確実性だけは確保しようとする自己愛のかたち」ではないかという、斎藤氏による仮の概念だそうである。自己愛がある以上、彼らは本当に自分に絶望しているわけではない。自己愛があるにもかかわらず、否定的イメージに固執するというねじれた身振りをどう解釈していくのかと、斎藤氏は問う。</p>


<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_47.jpg" alt="">

<h4>「ひきこもり系」と「自分探し系」</h4>
<p>　もう一つ、若者に顕著に見られる傾向として斎藤氏が挙げたのは、次のような「ひきこもり系」と「自分探し系」への二極分化である<footnote>斎藤環著『若者のすべて―ひきこもり系VSじぶん探し系』(PHPエディターズ・グループ、2001年7月刊) 参照</footnote>。</p>
<p>　　○ひきこもり系</p>
<ul>
<li>一般にコミュニケーションが苦手であるが淡白</li>
<li>比較的安定した自己イメージ</li>
<li>クリエーターや作家向きのタイプ</li>
<li>不適応パターン：ひきこもり、ニート、家庭内暴力</li>
</ul>
<p>　　○自分探し系</p>
<ul>
<li>コミュニケーションが得意で友達の数も非常に多い</li>
<li>対人関係から離れると自己イメージが不安定になりがち</li>
<li>リーダーシップを発揮してまとめ役となるタイプ</li>
<li>不適応パターン：境界性人格障害、リスト・カット、自殺、カルト</li>
</ul>
<p>　ここにメディアが介在する。一人でいると自己イメージが不安定になりがちな自分探し系の若者は、つながりを維持するために携帯電話やインターネットを駆使する。ここにネットの匿名性、フレーミングなど特有の問題がからみ、ネット心中、ネット殺人、出会い系殺人など、かつては考えられなかったような事件や犯罪が急速に広まりつつある。また、つながりやすさは嗜癖（中毒）に結び付きやすく、メール中毒、オンライン・ゲーム中毒などが顕在化しつつある。</p>
<h4>おたく文化の可能性</h4>
<p>　最後に斎藤氏が紹介したのは、おたくの部屋の写真である。四畳半ほどの部屋に約二千アイテムのフィギュアなどが整然と整理、収納されていて、部屋自体が一種の創作作品となっている。斎藤氏は、こういった部屋を再現してミニチュア化し、作家としてヴェネチア・ビエンナーレに出品されたそうである。</p>
<p>　野村総合研究所によると、日本のおたく人口は推計172万人、市場規模は4,110億円である<footnote>野村総合研究所、ニュースリリース、2005年10月6日 [ http://www.nri.co.jp/news/2005/051006_1.html ]</footnote>。おたく文化人の急増により、おたく批判は影を潜め、スティグマ性が緩和されつつある。市場規模の拡大により、また日本唯一の輸出文化として、行政もおたく文化に関心を示し始めている。斎藤氏は、おたくという主体の特異性として次の点を挙げ、もはやここにしか希望はないのではないかと問題提起して、講演を締めくくった。</p>
<ul>
<li>高いメディア・リテラシーを持ちながら、過度のネットワーク化に至らない。</li>
<li>過度に流動化しにくいコミュニティーを形成する。</li>
<li>再帰性が症状化（自己嫌悪、内省性）をもたらし、その結果として再帰性が過度の悪循環につながらない。</li>
<li>ひきこもり的ライフスタイルを主としながら、必要に応じて対人関係を確保可能。</li>
<li>情報ネットワーク内で完結する欲望のエコノミー。</li>
<li>成長も家族も必須ではない。2005年11月1日開催（編集部）</li>
</ul>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>コンテンツ専門職大学院の可能性</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/2006/01/post_42.html" />
<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
<issued>2006-01-09T21:10:39Z</issued>
<id>tag:www.glocom.ac.jp,2006:/j/publications/2.255</id>
<created>2006-01-09T21:10:39Z</created>
<summary type="text/plain"> 講師: 髙橋克三映画専門大学院大学設立準備委員会代表/ 東放学園キャリアサポー...</summary>
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<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
</author>
<dc:subject>200601</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/">
<![CDATA[<ul>
<li>講師: 髙橋克三映画専門大学院大学設立準備委員会代表/ 東放学園キャリアサポートセンターセンター長</li>
<li>講師: 高橋光輝株式会社ワオ・コーポレーション</li>
</ul>
<p>　コンテンツ専門職大学院が2校、2006年春開校を目指して準備を進めている(認可申請中)。学校法人東放学園大学による映画専門大学院大学と、株式会社ワオ・コーポレーションによるWAO大学院大学である。</p>
<p>　2005年11月9日のIECP研究会では、それぞれの大学院の設立準備に携わっておられる髙橋克三氏と高橋光輝氏を講師に迎え、設立趣旨や概要についてお話をうかがい、コンテンツ専門職を大学や大学院で育成するための課題や展望について参加者とともに話し合った。(注)本記事における名称・肩書きなどは2005年11月9日時点のもの。「WAO大学院大学」は11月22日、文部科学省が同大学院の設置認可を不可としたため、2006年度の開学は予定されていない。</p>
<h4>映画専門大学院大学</h4>
<p>　映画専門大学院大学<footnote>[ http://www.filmproducer.jp/ ]</footnote>は、「金融、法律、企画開発、街おこし、映像リテラシーに優れた映画プロデューサーおよび映像の公共政策の専門家の育成」を目標に掲げる。西新宿に新校舎を建設中（2005年12月完成予定）で、設置学科・専攻は映画プロデュース研究科映画プロデュース専攻（定員80人）である。</p>
<p>　ではなぜ、いま映画プロデューサーなのか。</p>
<p>　知的財産戦略本部・コンテンツ専門調査会の資料<footnote>知的財産戦略本部・コンテンツ専門調査会『我が国のコンテンツビジネスの飛躍的拡大に向けて(現状編)』2003年10月15日</footnote>によると、日本のコンテンツ産業の規模は対GDP比2%である（2000年）。これは、世界のコンテンツ市場の半分を占める米国の5%に及ばないのはともかく、世界全体の3%に比べても低い水準にある。また日本のコンテンツ産業の海外収支を、「ゲーム・ソフト」「出版」「映画」「放送番組」「音楽ソフト」について見ると、映画は輸出108億円に対して輸入910億円（2001年）、他のコンテンツも、ゲーム・ソフトを除いて大幅な輸入超過にある。「Japan's Gross National Cool」<footnote>Douglas McGray, "Japan's Gross National Cool," Foreign Policy, May/July 2002.</footnote>と言われ、日本のコンテンツが欧米で高い評価を受けているにもかかわらず、産業という点からは成功しているとは言いがたい。</p>
<p>　映画専門大学院大学設立準備委員会の髙橋克三氏は、この原因をプロデュースのできる人材の不足にあるとする。「芸術と産業、文化と経済という相対するものを合一させ、より大きなクリエイティビティーを実現するプロデューサーが求められている。日本は小説、マンガ、イラストなど原作の宝庫で、優れた映像技術、世界有数の資本力、市場もある。法律とファイナンスを駆使できるプロデューサーがいれば、映画を世界商品として日本のブランドにできる」</p>
<p>　髙橋克三氏によると、映画制作には、［企画開発］→［プリプロダクション］→［制作］→［ポストプロダクション］→［マーケティング］→［流通・公開］という一連の工程があり、それぞれに図1のような仕事がある。ここから、プロデューサーがかかわる仕事を抜き出すと図2のようになり、法律や税務の知識を必要とするものも少なくない。</p>
<p>　では実際の現場で、プロデューサーがうまく機能しているのだろうか。髙橋克三氏は、次のような問題を指摘する。</p>
<a href="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_54a_large.jpg"><img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_54a_small.jpg" alt=""></a>
<p>図2：映画制作における人材の現状</p>
<a href="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_54b_large.jpg"><img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_54b_small.jpg" alt=""></a>
<p>図3：プロデューサーの仕事</p>
<ul>
<li>契約書や権利処理の意識が乏しく、ビジネスとして未成熟。</li>
<li>制作現場の管理、法的処理や資金調達・管理、流通戦略などが不十分。</li>
<li>マーケティングを可能にする産業データが公開されていない。</li>
<li>映画に代表されるコンテンツ産業の学問体系化ができていない。</li>
<li>シナリオや映像言語など制作メソッドが確立されていない。</li>
</ul>
<p>　すなわち、「企画開発」「プロジェクト・マネジメント」「流通戦略の構築」ができる人材が不足しているということである。ここに、映画プロデューサーを育成する専門職大学院の整備が求められる理由がある。</p>
</ul>
<p>　また、映画専門大学院大学は育成目標として、映画プロデューサーとともに「映像の公共政策の専門家」を掲げている。これについて髙橋克三氏は次のように述べた。</p>
<p>　「日本は世界一、映像コミュニケーションのインフラ整備が進んでいる。人口減や高齢化が進むなかで、映像インフラを街おこしや観光、福祉、医療に利用しようという地方自治体も多いが、それを活用できる人材が行政にいるだろうか。映像の時代になって、コミュニケーションが言葉から映像に変わろうとしているにもかかわらず、映像の分かる公共政策の専門家、映像リテラシーを駆使できる人材が行政に不足している」。このために、公共政策、映像言語、マネジメント、企画開発に優れたプロデューサーの育成が急がれているということであった。</p>
<h4>WAO大学院大学</h4>
<p>　WAO大学院大学<footnote>http://www.wao-graduate.com/</footnote>は、構造改革特区を活用して東京都杉並区に開校が予定されている株式会社立の専門職大学院である。目標として、「世界品質のアニメーションを作り出せる『演出家・監督』、世界市場に向けた戦略構築と企画を立案できる『プロデューサー』の育成」を掲げている。設置学科・専攻は、デジタルアニメーション研究科デジタルアニメーション専攻（演出・監督領域15人、企画・プロデュース領域30人）である。</p>
<p>　設置主体である（株）ワオ・コーポレーションは、能開プレスクール、能開センター、能開予備校、スタッド学習塾、WAO高等学院、WAO資格カレッジなど、子供から社会人までを対象に教育事業を展開している企業である。また、「エデュテインメント（educationとentertainmentの融合）文化の創造」をテーマとして、エンターテインメント事業にも取り組んでいる。1997年にWAOクリエイティブカレッジを設立し、アニメ、CD、映像、イラスト、Webデザインなど制作現場で活躍する人材を養成するとともに、2000年に（株）ワオワールドを設立し、アニメーション映画、eラーニング教材などのコンテンツ企画・制作を行っている。劇場用アニメーション映画としては、2003年に『NITABOH～仁太坊　津軽三味線始祖外聞～』を制作、現在は2作目の『ふるさと─ Japan─』を、2005年冬の完成を目指して制作中だそうである。</p>
<p>　WAO大学院大学が開校を予定している杉並区は、アニメ産業の集積地である。杉並区もアニメ産業振興に力を入れており、区役所にはアニメ・新産業係という、全国で唯一「アニメ」の付く部署が設けられている。こうしたことから杉並区は、構造改革特別区域法に基づいてクリエイティブ教育推進特区を申請し、2005年3月に認可された。</p>

<p>　現在のアニメーションは、CGを始めとするデジタル技術抜きには語れない。（株）ワオ・コーポレーションの高橋光輝氏は、「アニメ、CG、実写が統合されたデジタル映像をすべて教える大学院にしたい」と述べた。</p>
<p>　WAO大学院大学は育成目標として、「演出家・監督」と「プロデューサー」を挙げている。これに合わせて、カリキュラムも「演出・監督領域」と「企画・プロデュース領域」に分かれる（基礎科目を除く）。「演出・監督領域」では、シナリオ開発、プリプロダクション、動画技法演習、アニメーション、CG描写研究、演出といった制作専門科目を、もう一方の「企画・プロデュース領域」では、コンテンツ企画開発、プロデュース・テクノロジー、コンテンツ・ビジネス法務・著作権、財務・ファイナンス、メディア・マーケティング、マーチャンダイジング、海外マーケティング戦略といったビジネス専門科目を学ぶ。高橋光輝氏によると、修了の2年次には、監督志望の学生とプロデューサー志望の学生がプロジェクトを組み、デジタル・アニメーション制作のための出資も含めたプランをつくって、一つの作品を仕上げていくような機会を設けたいということであった。</p>
<h4>暗黙知を形式知に変えるために</h4>
<p>　両氏ともに大学院開設に当たって最大の問題として挙げたのは、コンテンツ産業が学問として体系化されておらず、教えるメソッドもテキストも確立されていないということである。</p>
<p>　高橋光輝氏は、「プロデューサーという資格があるわけでも、明確な定義があるわけでもない。プロデューサーにはどういう能力が求められるのか、そういうところから始めなければならないのが現状」だという。</p>
<p>　また、髙橋克三氏によると、教授陣に日本の映画界を代表するプロデューサーをそろえても、彼らが持っているのは経験によって体に染みついた暗黙知であり、普遍的に学ぶためにはそれを言語化して形式知にする必要がある。そのために映画専門大学院大学がとった方法は、実務家教員と研究家教員のコラボレーションである。具体的には、映画プロデューサー、市長、弁護士、公認会計士、金融マンらコンテンツ制作にかかわる実務家の知識を、ミクロ経済学、民俗学、経営学、歴史学、文化人類学などの研究者を通して、学問のフレームでとらえようとする。髙橋克三氏は、「これは新しい学問を作り上げようとする試みであり、一つの大学だけでできることではない。研究会を作って、できるだけ多くの大学を巻き込んでいきたい」と述べた。</p>
<p>　2006年、07年と、複数の大学でコンテンツ系の学部・学科の新設が予定されており、数年後には、コンテンツ専攻の学生が大量に輩出されると言われている。会場には内閣官房知的財産戦略推進事務局のデジタル・コンテンツ担当者、慶應義塾大学、駒澤大学の関係者も参加されていて、コンテンツ産業学の体系化、カリキュラムの問題や教員の確保、教科書・教材の作成、そのための産業界と大学の連携などについて意見が交わされた。大学と大学、業界と研究者との間でどう協力体制を組んでいくのかを考えるうえで、今後の展開に向けて有意義な会になったと考える。2005年11月9日開催（編集部）</p>]]>

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<title>希望格差社会の中の青少年</title>
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<issued>2006-01-09T20:11:02Z</issued>
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<summary type="text/plain"> 講師: 山田昌弘 東京学芸大学教育学部教授 　̶̶そういう雰囲気の中、まるでそ...</summary>
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<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<![CDATA[<ul>
<li>講師: 山田昌弘</li>
<li>東京学芸大学教育学部教授</li>
</ul>
<p>　̶̶そういう雰囲気の中、まるでそのことをあらかじめ知っていて、それを待っていたかのように、ポンちゃんは静かに話し始めた。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」（村上龍『希望の国のエクソダス』より）</p>
<p>　2005年11月22日のIECP研究会は、東京学芸大学教授の山田昌弘氏を講師に迎え、「希望格差社会の中の青少年」と題して開催された。</p>
<p>　山田氏の専門分野は家族社会学、感情社会学で、「パラサイト・シングル」という造語の生みの親としても知られている。また近著『希望格差社会』<footnote>山田昌弘著『希望格差社会─「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』筑摩書房、2004 年11月</footnote>では、1990年代後半から日本社会が変質し、若者の多くから希望が失われていく状況を「希望格差社会」と名付け、公的な取り組みが必要であると説いている。</p>
<h4>希望格差社会とは何か</h4>
<p>　山田氏は、「希望」という言葉を手がかりにして、現代の日本の青少年が置かれている状況を読み解こうとする。将来に希望を持ち、生きがいを感じている若者がいる一方で、多くの若者が希望を持つことができず、やる気や活力を失っている。彼らの出身階層や受けた教育にそれほどの差があるわけではないのに、なぜ、このような格差が生まれているのか。</p>
<p>　まず、希望とは何かというと、社会心理学者ランドル・ネッセが、「希望という感情は、努力が報われるという見通しがあるときに生じ、絶望は、_努力してもしなくても同じとしか思えない時に生じる」と述べているそうである。つまり、現在の状況がどうであれ、努力が報われると信じられれば希望があり、いくら努力しても報われないと思うと絶望しかないということである。</p>
<p>　日本の若年層の雇用を巡る問題として、フリーターやニートの急増がある。『平成15年版生活白書』（内閣府）によると、フリーター<footnote>15～34歳(ただし学生と主婦を除く)のうち、パート、アルバイト(派遣などを含む)および働く意志のある無職の人</footnote>は1990年の183万人から2001年の417万人へと大幅に増加している。また、『若年無業者に関する調査』（内閣府、2004年中間報告）によると、仕事にも学校にも職業訓練にも通っていない若年無業者<footnote>15～34歳、配偶者のいない独身者であり、通学も仕事もしておらず職業訓練も受けていない者のうち、求職活動を行っていない者</footnote>（ニート）は約85万人（2002年）で、1997年からの5年間で13万人増えている。フリーターもニートも経済的な基盤が乏しいため、親元を離れて自立したり、結婚して新しい家庭を築いたりすることが難しい。生涯モラトリアムが続き、安定した生活を営むことができない。</p>
<p>　他方で、正社員として企業に就職できた若者や起業して成功した若者は、雇用や経済的基盤が安定しているために、自分で将来設計を描くこともできるし、それを実現させるために努力もするだろう。</p>
<p>　ここに「希望格差」が生まれる。一方は、自分の努力が報われると感じて希望を持つことができるが、他方は努力が報われることがないと感じて、ますますやる気を失っていくことになる。</p>
<p>　ここで問題は、希望の有無にとどまらない。希望がない人間は、つらさや苦しさに耐える力が弱いために、何かトラブルがあると自暴自棄に陥りやすい。例えば、教育の領域では学力低下、不登校、中退などが、家族の領域では離婚、児童虐待、ひきこもりなどが問題となっている。また、自殺、嗜癖（アルコール、ドラッグ、ゲーム、性風俗など）による現実逃避、新興宗教や原理主義の台頭、自暴自棄型犯罪の増加などは、社会を不安定化させる要因となる。さらに、無年金のフリーターやニートを放置すると、将来、ホームレスや高齢者ひきこもりが増えることは確実である。</p>

<h4>社会のリスク化と二極化</h4>
<p>　なぜ、若者が希望を持ちにくい社会になってしまったのか。山田氏によると、その原因は1990年代の経済・社会の大変動にあるという。</p>
<p>　90年代のバブル崩壊、ニュー・エコノミーの台頭によって、日本の産業構造は大きな変革を強いられた。経済のグローバリゼーションが進み、企業はさまざまな商品をより安く提供する圧力に曝されている。IT化、ネットワーク化によって、求められる職種は、企業の中核を担う専門的労働者と、現場でマニュアルどおりに働く単純労働者とに二極化している。すなわち、一部の優秀な若者は正社員として採用され、基幹社員として育成されるが、大多数の平凡な若者は、いくらでも代わりのきく人材として、安く使い捨てられるようになったのである。</p>
<p>　90年代後半以降、日本社会が不安定化していくプロセスを、山田氏は「リスク化」と「二極化」という言葉で説明している。「リスク化」とは、「いままで安全、安心と思われていた日常生活が、リスクを伴ったものになる傾向を意味する」（『希望格差社会』p.13）。例えば、不登校になるリスク、学校を中退するリスク、卒業しても就職できないリスク、就職してもリストラされるリスク、会社が倒産するリスク、_結婚できないリスク、離婚のリスクなどが、90年代後半からいずれも高くなっていることが、さまざまな統計や意識調査からみてとれる。</p>
<p>　また「二極化」とは、社会がリスク化した結果、学力格差、賃金格差、職業の格差、生活の質的な格差などが拡大して、社会のさまざまな領域で「勝ち組」と「負け組」とに分かれていく現象である。山田氏によると、この二極化はあらゆる階層で起きており、例えば、大学院博士課程修了という超高学歴にあっても例外ではない。毎年一万人以上の大学院修了生に対して、大学教員や研究者の求人は三千人ぐらいだそうである。修了と同時に就職できない修了生のほうが多く、非常勤の講師にはなれても生活は苦しく、長く続けても常勤に採用されるという保証はない。</p>
<p>　山田氏は、若者へのインタビュー調査などから、「量的格差（経済的格差）」が「質的格差（職種やライフスタイルの格差、ステータスの格差）」「心理的格差（希望の格差）」へとつながり、不安定な状況にある若者たちの多くが未来や人生に対する希望を喪失していることを明らかにしている。</p>
<h4>個人的、社会政策的課題</h4>
<p>　こういった状況に対して、私たちは何をすべきだろうか。この点について山田氏は、講演では時間的な制約もあって詳しくは言及しなかったが、著書『希望格差社会』の中で、「資格取得や就職予備校といった個人の努力だけでは不十分だ」と述べている。そして、個人的対処に対する公共的な支援が必要であり、次のような対策を総合的に、しかも早急に行うことが有効ではないかと論じている。</p>
<ul>
<li>学校や職業訓練のシステムを、勉強という努力が仕事や収入につながるように再編</li>
<li>どのような雇用形態であってもキャリア・アップできるシステム</li>
<li>職業カウンセリング</li>
<li>コミュニケーション能力の訓練</li>
<li>さまざまなリスクに対処可能な社会保障制度</li>
<li>新しいライフスタイルを目指す人に対する具体的な実現支援策</li>
</ul>
<p>　講演後の質疑応答の中で山田氏は、「個別利益の追求が全体利益につながりにくくなったのは、日本のシステムが包摂から排除に変わったからではないか」と述べていた。今後、若者たち自身は、日本の社会がどういう方向に進むことを選ぶのだろうか。いずれにしても、子供が優良債権か不良債権かで親の人生が決まるという山田氏の言葉は、年頃の子供を持つ親にとって重いものがある。事態を楽観視することなく、真摯な取り組みを望みたい。</p>
<ul>
<li>2005年11月22日開催（編集部）</li>
</ul>]]>

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<title>ブログが変えるネット・コミュニケーション</title>
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<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
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<summary type="text/plain"> 講師: 関 信浩 シックス・アパート株式会社代表取締役 　ブログという言葉を初...</summary>
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<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<![CDATA[<ul>
<li>講師: 関 信浩</li>
<li>シックス・アパート株式会社代表取締役</li>
</ul>
<p>　ブログという言葉を初めて聞いたのは、二年ぐらい前だったと思う。米国でウェブログ（ブログ）が流行っていて、伊藤穰一氏がそれを使って論文を書いたという話だった。日本でも、（株）はてなの「はてなダイアリー」やニフティ（株）の「ココログ」などが話題になり始めていて、何かネットの言論空間が大きく変わろうとしている、といった気配があったように思う。</p>
<p>　それから二年たって、ブログはすっかりネット上のメディアとしての地位を固めてしまった。イラク日本人人質事件、ライブドアによるニッポン放送買収問題、2005年衆議院議員選挙など、事件やイベントがあるたびに、ブログを使った言論がネットにあふれた。ブロガーと呼ばれる一部のオピニオン・リーダーだけでなく、ごく一般的なネット・ユーザーが日記や備忘録としてブログを利用していることも多い。総務省の『ブログ・SNSの現状分析及び将来予測』<footnote>[ http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/pdf/050517_3_1.pdf ]</footnote>によると、ブログ・サービスを提供している事業者の数は115社に上り（2005年5月現在）、国内ブログ利用者数は2005年3月末で335万人だったのが、同9月には473万人となり（2005年10月のアップデート情報）、2007年3月には782万人になると予測されている。ブログの勢いは当分止まりそうにない。</p>
<p>　2005年12月2日のIECP研究会では、シックス・アパート（株）代表取締役の関信浩氏を講師に招き、ブログが普及した背景と現状、今後のブログ利用動向などについてお話をうかがった。シックス・アパート（株）は米Six Apart Ltd.の日本法人で、日本でのブログ・ブームの火付け役となったブログ・ソフト「Movable Type」およびブログ・サービス「TypePad」の日本語版を提供している。</p>
<h4>開設・更新が簡単なブログ</h4>
<p>　「ブログって何？」と聞くと、ネット上のツールだと言う人もいるし、カルチャーだと答える人もいる。どうも「ブログ」は、技術であったり、ウェブ・サービスであったり、ウェブのページを毎日更新する行為であったりと、いろいろな意味合いを含んで使われている言葉らしい。</p>
<p>　関氏によると、ブログについて明示的な定義があるわけではないが、最大の特徴として「ホーム・ページを簡単に開設・更新できる」ということが挙げられるという。ブログを使うと、文章を打ち込むだけで、デザイン性の高いホーム・ページを手軽に開設・更新することができる。この「開設・更新が簡単」という点は、ブログが急速に広まった大きな理由だと言えるだろう。実際に「意気込んでホーム・ページを開設したものの、更新が面倒でついつい放置している」という話をよく聞く。その点、ブログなら、サイトにアクセスして思い付いたことを書き込むだけで更新ができる。そこに誰かからコメントが付けば、その場でコミュニケーションが始まるし、さらにブログを更新しようという動機付けにもなる。</p>
<h4>情報の流れを双方向にするトラックバック</h4>
<p>　トラックバックの機能を備えていることも、ブログの特徴の一つだと考えられている。しかし関氏によると、これはシックス・アパート社の「MovableType」で初めて導入された機能なのだそうである。ここで仕様をオープンにしたことで、トラックバックという仕組みがブログの世界全体に広まっていき、いまや日本ではブログにとって欠かせない機能とみなされるようになった。</p>
<p>　トラックバックとは、ブログ同士が自動でリンクを張り合う仕組みである。自分のブログで誰かのブログの記事を参照する（リンクを張る）ことを知らせるために参照元に通知を送ると、通知を受け取ったブログは、トラックバック一覧として参照先URLなどの情報を自動的に表示する。</p>
<p>　かつてリンクは、自分のサイトからしか張ることができなかった。相手サイトから自分のサイトへのリンクを張ってもらおうとすると、相手にその旨を知らせて→同意してもらい→手動で張ってもらう、という手続きが必要だった。トラックバックは、この手続きを強制・自動化したとも言える。相手ブログのトラックバック機能がオンになっていれば、相手の記事に自分の記事へのリンクを張ることができ、張られた相手も、誰がどういう形で自分の記事を参照したのかをすぐに知ることができる。</p>
<p>　関氏によると、これはネット上の情報の流れを変える可能性を持っている。リンクは、情報の豊富なサイト、多くの人が興味を持つサイトに向かって張られることが多いため、どうしても、大手サイトや有名サイトに集中しがちである。しかしトラックバックは、相手がどんなに超大物ブログであっても、記事が関連していれば自分のブログとの間に相互リンクを張ることができる。どんな小さなブログに向けても情報の道をつくることができるわけで、情報の流れをより遍在化させるとも言える。</p>
<h4>ブログはどのように利用されているのか</h4>
<p>　米国でブログが流行したきっかけは、9.11同時多発テロであった。マス・メディアが一斉に愛国的な報道に傾くなかで、知りたい情報がなかなか報道されないと考えたフリーランスのジャーナリストたちが、ブログを通じて情報や意見を公開するようになり、盛り上がりを見せたということである。一方、日本にはもともと日記ホーム・ページという文化があり、ブログはその文化も引き継ぐ形で広まっていく。すなわち、ジャーナリスティックな情報発信や意見表明だけでなく、日記や日々の近況報告のためのツールとしても、ブログは利用されるようになったのである。また、ブログのコミュニティー的な側面を、少人数のコラボレーションに活用することも行われている。</p>
<p>　関氏は、ブログの利用形態として次の四つを挙げた。</p>
<ul>
<li>ジャーナリズム型：世の中に自分の意見を問う</li>
<li>日記型：個人の備忘録</li>
<li>コラボレーション型：小グループでの意見共有</li>
<li>メール代用型：親しい人や家族への近況報告</li>
</ul>
<h4>企業のブログ利用動向</h4>
<p>　更新が簡単で双方向コミュニケーションが可能というブログの特徴を、ビジネスに活用したいという企業も多い。『インターネット白書2005』<footnote>『インターネット白書2005』インプレス、2005年6月。</footnote>によると、40％以上の企業がブログのビジネス利用を検討しているそうである。</p>
<p>　関氏によると、最近注目されているブログのビジネス利用として、次のような事例を挙げることができる。</p>
<ul>
<li>社長ブログ：社長自らがプライバシーや企業姿勢をブログに綴ることで、企業の広報活動に利用する。</li>
<li>マーケティング：商品のマーケティングやプロモーションにブログを利用する。</li>
<li>eコマース：eコマース・サイトで商品のセールス・プロモーションにブログを利用する。</li>
<li>CRM（Customer Relationship Management）：既顧客との関係維持にブログを利用する。芸能人ブログで、ファンとのコミュニケーションに使って成功している例は、一種のCRMの成功例である。</li>
<li>社内ブログ：社内ネット（イントラネット）にブログを置いて、社員のコミュニケーションや情報共有に利用する。</li>
</ul>
<p>　また、個人のブログと連動して、ネットの口コミ効果をマーケティングに生かす仕組みについても検討がされているそうである。</p>
<p>　さらに関氏は、イントラネットの社内ブログについて、「個人ブログの延長」という段階から進んで、「企業のナレッジの入力ツール」ととらえて活用を始めている企業の例を紹介した<footnote>「カシオ計算機がMovable Typeを使う理由」[ http://www.sixapart.jp/business/intrablog/00991.html ]</footnote>。この企業では、つぶやき程度の情報でも気軽に書き込めるというブログの利点を生かし、従来はそぎ落とされていた「暗黙知」を明らかにして、トラックバックやコメントを使って流通させることで、新たなアイデアを生み出そうとしているということであった。2005年12月2日開催（編集部）</p>]]>

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<title>2010年未来ケータイのビジョンと試作</title>
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<issued>2006-01-09T18:11:52Z</issued>
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<summary type="text/plain"> 講師: 竹村真一　京都造形芸術大学教授 講師: 渡辺保史　智財創造ラボ主任研究...</summary>
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<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<dc:subject>200601</dc:subject>
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<![CDATA[<ul>
<li>講師: 竹村真一　京都造形芸術大学教授</li>
<li>講師: 渡辺保史　智財創造ラボ主任研究員、NPO法人ヒューマン・センター・デザイン・イニシアティブ理事</li>
<li>講師: 太田浩史　東京大学・国際都市再生センター特任研究員福冨忠和国際大学GLOCOM主幹研究員・教授</li>
<li>鈴木謙介　国際大学GLOCOM研究員</li>
</ul>
<p>　携帯電話（ケータイ）を巡る環境は、ものすごい勢いで進化している。4年後の2010年、私たちはいったいどのようなケータイを使って生活しているのだろうか。2005年12月16日のIECP研究会は、SH-Mobileラボ（エスエイチ・モバイル・ラボ）のコアメンバーである竹村真一、渡辺保史、太田浩史、福冨忠和の4氏、およびGLOCOMの鈴木謙介研究員を講師に、「2010年未来ケータイのビジョンと試作」と題して開催された。</p>
<p>　SH-Mobileラボ [ http://shm-consortium.renesas.com/jpn/lab/ ] は、ケータイの将来のアプリケーションのトレンドを探るために、SH-Mobileコンソーシアム<footnote>SH-Mobileコンソーシアム [ http://shm-consortium.renesas.com/jpn/ ]:SH-Mobileは、株式会社ルネサステクノロジ [ http://japan.renesas.com/ ] が提供する携帯電話用アプリケーション・プロセッサー。SH-Mobileコンソーシアムは、このSH-Mobileを核として、さまざまなパートナーとのコラボレーションにより携帯電話のシステム・ソリューションを追求、創出するために設立された会員組織。</footnote>に開設された2年間の研究プロジェクトである。2010年におけるモバイル利用のビジョンを研究テーマに据え、2004年度にはワーク・セッション、アンケート調査、インタビュー調査などを通してユーザーの感性やコミュニケーション・スタイルの変化を予測するという作業を行い、いくつかのアイデアとビジョンを提示した。また、2005年度には、それらのアイデアを形にするために、2010年のモバイル利用のビジョンを盛り込んだコンセプト映像の制作、ウエアラブル・ケータイによる情報発信の実験、コミュニケーション用テーブル「ユビキターブル」の制作などを行っている。</p>
<p>　今回の研究会ではプロジェクトの紹介と中間報告が行われ、またそれらの成果をもとにケータイの未来と可能性について参加者とともに話し合った。基調報告：</p>
<h4>SH-Mobileラボから展望するモバイル～ユビキタス社会</h4>
<p>　最初にSH-Mobileラボの座長である竹村真一氏が、研究プロジェクトの概要について基調報告を行った。竹村氏は、「ケータイは技術的な進化や機能的な側面から語られることが多いが、われわれはケータイというツールを社会的・文化的な視点から考えたい」と前置きしたうえで、未来ケータイのビジョンについて議論するなかから見えてきた問題意識は、次の3点であったと述べた。</p>
<p>　(1)現実性空間とのかかわりを考える。私たちはいま第三の情報革命の中にいる。第一の情報革命では文字が発明され、アレクサンドリアの図書館に世界中（地中海世界）の文書が収蔵された。第二の情報革命は、グーテンベルクによる活版印刷術の発明である。第三の情報革命は、いま進行しつつあるモバイルあるいはユビキタス社会である。ユビキタス社会では、情報を得るために、特別な場所に出向いたり、書物を読んだりする必要がない。街全体、目に見える現実空間全体が生きた情報空間となりうる可能性を持っている。にもかかわらず、コンテンツ面で、そういうユビキタスの可能性を考えたデザインがなされているだろうか。今は、ケータイそのものが自己完結的で、どこにいても自分のケータイにダウンロードした音楽を聴いてい</p>
<ul>
<li>る。例えば六本木を歩いているときと、富士山の周辺を歩いているときとでは、現実空間とのかかわり方は違うはずで、現実空間とのかかわり方を変えていくような、現場性のあるツールとしてケータイが進化しえないだろうか。</li>
</ul>
<p>　(2)脱端末。ケータイに自己完結しない。ケータイには制約があり、それだけで済まそうとすると使いにくい。例えば画面が小さくて読みづらいと思ったときに、壁やテーブルに近づけると、大きな画面で表示してくれる。街の側、環境の側に、そういう個人的なケータイと連動するようなインタフェースをデザインできないか。ケータイに自己完結しないユビキタス情報空間の可能性を考えたい。</p>
<p>　(3)ケータイはパーソナルであると同時にコミュナルなツールである。ケータイは、人と人とをつなぎ個人を協働性に開いていく、他者との関係性を開いていく可能性を持っている。情報の公共空間のようなスペースがあって、そこに誰かが自分のケータイで情報を持ち寄る。そこでは寄せられた公・共・私の情報が交差していく。ケータイを使って経験のデータベースを築くことで、個人の暗黙知を社会の公共財に変えていくことができる。そういう意味で、ケータイはコミュナルなツールとしての可能性を持っている。</p>
<p>　これらの問題意識から生まれたアイデアが、次のコンセプト映像で示される虫眼鏡のメタファーであり、ウエアラブル・ケータイによる情報発信の実験であり、ユビキターブルだということであった。</p>
<h4>コンセプト映像「OLPM」</h4>



<p>　「OLPM」は、SH-Mobileラボから生まれたアイデアを統一的なメッセージに仕立てた約七分の映像である。渡辺保史氏によると、OLPMはoverlapping media（重ね合わせるメディア）の略で、フィジカルな空間とデジタルな空間を、多様な人々の知恵と経験を、異なる場所と時間を、技術と文化を重ね合わせるという意味が込められている。</p>
<p>　映像の中で紹介されていたのは、次の三つのアイデアである。</p>
<ul>
<li>scene1：虫眼鏡街にかざせば、その場所の持つ情報を表示してくれるツール。環境情報をピックアップし、実景に情報を反映させる「センスウエア」的なケータイ</li>
<li>scene2：テーブル個人のケータイをテーブルに置くと情報がそこに流れて共有することができる。人々のコミュナルな関係性を取り持つインタラクティブなテーブル</li>
<li>scene3：ドア電話ボックスに代わるユビキタスなボックスで、そこに入れば、行きたい場所に行って、会いたい人と出会うことができる。「どこでもドア」的な通信ボックス</li>
</ul>
<h4>「ウエアラブル・ケータイ」Wearable Mobile Phone Project報告写真1：scene1: 虫眼鏡</h4>

<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_69.jpg" alt="">
<p>写真1：scene1：虫眼鏡</p>
<p>　福冨忠和氏によると、ウエアラブル・ケータイ実験にあたっての課題は次の3点である。実験は、ウエアラブル＝「身体・環境によりフィットさせてケータイを使うこと」により、これらを解決できるかどうかを検証するために行われた。</p>
<ul>
<li>ケータイの技術仕様は今後も進化し、より広帯域・大容量、常時接続の高度なサービスが実現する。そのとき、現在のインタフェースや操作性で事足りるのか。現実離れしていってどこかで破綻するのではないか。</li>
<li>ケータイに至る電話サービスは、これまでビジネス・ツールとしてのマーケティング提案を裏切ることで広範囲に普及してきた。例えば、ポケベル、トリオフォン、伝言ダイヤル、iモードなどは、女子高生がコミュナルなツールとして利用することで広まった。次世代ケータイは何をどのように裏切るのか。</li>
<li>ケータイをさまざまな社会問題の原因とする言説がはびこっている。確かに依存や乖離（トランス）の導引となっているにしても、ここまで環境化したケータイを廃止することは現実的ではない。ではどうすればいいのか。</li>
</ul>
<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_70.jpg" alt="">
<p>　使用機材（表1参照）は一般に市販されている機器で構成されており、HMDやキーボードなどがケータイに直接つながらないために、パソコンを介したモバイル環境となっている。実験では、福冨氏がこれら一式を実装し、関連サイトのQRコードを印刷したTシャツを着て、街を歩きながら、感想や考察などをモブログに書き込んでいった。福冨氏の位置情報は、PHSの位置情報サービスを通して、ユビキターブル上にリアルタイムで表示されたそうである。写真2：機材の実装表1：使用機材</p>
<p>　福冨氏によると、この実験で見えてきた問題は次のとおりである。</p>
<ul>
<li>各機材間のコネクションの悪さ。</li>
<li>携帯電話のスタンドアローン性（Bluetoothもよく分からない状態）。</li>
<li>接続状態の不安定さ。</li>
<li>ウエアラブル環境は、ケータイやパソコンとは全く違う経験を与える可能性がある。</li>
<li>市販品だけで構築したウエアラブル環境で問題も多かったが、技術開発を注力することで解決できるようなことばかりであった。</li>
<li>ケータイが台頭したためにウエアラブルには10年間技術の進歩がないが、「ユビキタス」と「ウエアラブル」は同じ道を逆からたどっているにすぎない。</li>
</ul>
<h4>「ユビキターブル」パーソナルから、コミュナルへ</h4>
<p>　ユビキターブルの概念が理解しにくいのは、私たちがまだこのテーブルが生き生きと存在する状況から遠いところにいるからだろうか。太田浩史氏によると、ユビキターブルは、複数の時間と場所をテーブル上の会話にフィードバックさせる装置である。</p>
<p>　研究会の会場には、ユビキターブルの試作品が運び込まれ、タンブラーやマグカップを使ったデモンストーションが行われた。ユビキターブルの表面はタッチパネルでできており、東京の地図が表示されている。地図のところどころにマークがあって、そこに手で触れると、誰かがその実際の場所に置いた情報を見ることができる。パネル上の時計マークを操作すると、別の時刻における情報を見ることもできる。例えば、時刻をいったん逆戻りさせてから少しずつ進めると、東京を移動していくモバイラーの軌跡が、テーブルの地図上に描かれていく。</p>
<p>　また、シドニー（都市）のマグカップというものがあり、それをテーブルに置くと、そこから現在のシドニーの情報（時刻、天候、気温など）がユビキターブル上ににじみ出てくる。同様にコペンハーゲンのマグカップを置くと、コペンハーゲンの情報が出てくる。これらの情報はネットにつながり、サーバーの情報にしたがってリアルタイムに更新されていく。さらに、個人のツールとしてタンブラーがあり、私はマイ・タンブラーの情報をユビキターブル上にドラッグすることもできるし、ユビキターブル上の欲しい情報をマイ・タンブラーに入れて持ち帰ることもできる。</p>
<p>　印象的だったのは、太田氏がテーブルとデスクの違いについて述べたことである。「建築的には、デスクは個人用のものであり、テーブルは人が集まるもの、コミュニケーションのためにあるものと言える。パソコンはその名のとおり個人のものであり、テーブルはコミュナルなもの。したがって、パーソナル・コンピューターがコミュナル・コンピューターになったとき、メタファーはデスクトップではなくテーブルトップなのではないか」</p>
<h4>身体-空間-伝達</h4>

<img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_72.jpg" alt="">
<p>写真3：ユビキターブル</p>

<p>　ラボの研究報告を受け、GLOCOMの鈴木謙介研究員が、社会関係の「脱-埋め込み」（de-embedding）と「再-埋め込み」（re-embedding）をキーワードとした発表を行った。</p>
<p>　本来、コミュニケーションという行為は、身体や空間と無関係ではありえなかった。目で見える範囲、声が届く範囲でしか会話はできないし、もし何かの理由で声が出せなければ音声以外の方法で伝達しなければならない。メディアは、私たちの感覚や能力を拡張させることでこの制約を緩くしたが、少なくともメディアにつながっている個人は空間的に固定されていて、空間写真3：ユビキターブルのコンテクストの中でコミュニケーションせざるをえなかった。ところが、メディアがモバイル化したことで、どこにいても、違う場所にいる人とコミュニケーションができるようになる。一方で、同じ場所にいながら、それぞれがモバイル・メディアで別の空間とつながっているという現象が起きるようになる。彼らは、同じ空間にいても、互いにコミュニケーションすることなく交差していくかもしれない。これを鈴木氏は、社会関係の「脱-埋め込み」と呼ぶ。モバイル・メディアによって、身体や空間から切り離されたコミュニケーションが可能になったのである。</p>
<p>　しかし、社会関係の「脱-埋め込み」が進むと、次は「再-埋め込み」の欲求が高まってくるのではないかと鈴木氏は言う。相手の顔が見えないから言いやすいということがある一方で、相手の反応が見えないためにどう言ったらいいか分からない、ということもある。また、制約を解かれてさまざまな関係に開かれていくことで不安定になった自我は、「再-埋め込み」された安定したコミュニケーションを求めるようになるかもしれない。</p>
<p>　身体や空間から切り離されたコミュニケーションは、モバイル・メディアの「不健全さ」の理由の一つともされてきた。身体や空間から切り離されることで自我が不安定になりやすく、また歯止めがないことからトラブルや事件の原因ともなりやすい。しかし、私たちの社会は、すでにモバイル・メディア抜きでは語れなくなっている。とすれば、いたずらに排除しようとするのではなく、モバイル・メディアが「再-埋め込み」された関係をこそ築くためのツールとなるような可能性について考えなければならない。モバイル・メディアのコミュニケーションは、空間や身体から切り離されているが故に、二次的なものにとどまるという評価を変えるべき時であるというのが、鈴木氏の主張であった。</p>
<p>　鈴木氏の発表の後、ラボのメンバー、会場の参加者とともに意見の交換が行われた。</p>

<p>2005年12月16日開催（編集部）</p>]]>

</content>
</entry>
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<title>世界のメガキャリア、電話網の次を語る</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/2006/01/post_39.html" />
<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
<issued>2006-01-09T17:12:38Z</issued>
<id>tag:www.glocom.ac.jp,2006:/j/publications/2.251</id>
<created>2006-01-09T17:12:38Z</created>
<summary type="text/plain"> 講師: 松原 敦 日経コミュニケーション副編集長 　2005年10月11日のベ...</summary>
<author>
<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
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<dc:subject>200601</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/">
<![CDATA[<ul>
<li>講師: 松原 敦</li>
<li>日経コミュニケーション副編集長</li>
</ul>
<p>　2005年10月11日のベストネットワーク研究会は、日経コミュニケーション副編集長の松原敦氏を講師に、「世界のメガキャリア、電話網の次を語る」と題して開催された。今回は、日本で開かれた「BBWFA（BroadbandWorld Forum Asia）」を機に集まった世界の大手通信キャリアの首脳へのインタビューを踏まえて、電話網の今後についてお話を伺った。</p>
<h4>電話網のIP化に取り組む世界のキャリア</h4>
<p>　電話網のIP化は2004年あたりから世界的に急激に加速した。最初に電話網をIP化すると発表したのは英ブリティッシュ・テレコム（BT）であり、2004年6月のことだった。日本ではKDDIが2004年9月にIP化を発表したあと、NTTも同年11月に発表した。各社によって時期や投資コストは違うが、世界の大手通信キャリアの多くは、それぞれIP化を進めていく段階に入りつつある。</p>
<p>　電話網のIP化を各キャリアが進める理由は、コスト削減が図られるからである。従来の固定電話網の交換機と比べると、IP電話網で使うルーターは安価で維持費も安い。BTによるIP網への移行投資額の試算をみてみると、年度ごとの支出額は一時的に増えるものの、2010年には、現状の固定網に比べて半減するとしている。また、2015年度までの累積支出額は、固定電話網を維持した場合と比較すると、二割以上のコスト削減になるとしている。</p>
<p>　BTはなぜIP化を急いだのだろうか。松原氏によると、「BTは経営状態が悪く、コスト削減が急務であった上に、古い交換機が多く、いずれにしろ設備投資が必要だった」ということである。それに比べてNTTはそれほどIP化を急いでいない。「交換機の寿命は近づいているが、BTと比べると、部品交換などでまだまだ使える交換機が多い」からだという。NTTは新たなIP網の構築費用は現状の維持費の削減でまかなうとしている。交換機をだましだまし使いながら、順を追ってリプレースしていくのだ。NTTが2004年11月に発表した中期経営計画では、2010年までにユーザーの半数である約三千万回線をIP網に移行すると発表している。</p>
<p>　各国のIP化への温度差をみてみると、前述の英BTを始め、ヨーロッパは先んじてIP化を進めたがっているのが分かる。また、韓国も韓国テレコム（KT）を中心にIP化に積極的である。韓国はADSL普及時もそうであったが、国策として情報通信の先進国になろうとしているのだ。それに対して、米国はIP化にはそれほど興味がない。大きな理由としては、米国の場合、電話会社と競合しているのは「トリプル・プレー・サービス」（video, voiceand broadband）が好評のケーブル・テレビ会社であり、電話会社はそれに対抗することに関心が高く、コスト削減のためのIP化にはあまり興味がないからだ。</p>
<h4>期待されるFMC</h4>
<p>　Fixed-Mobile Convergence（FMC）が新たな収益源として期待されている。FMCには多種多様なサービスがある。代表は「ワンフォン（OnePhone）」であり、携帯電話の端末を固定の端末としても使えるサービスである。これについては、韓国のKTが「DU」を、英国のBTが「BT Fusion」を先駆けてサービス開始している。両者のサービスは共にBluetoothを固定アクセス・ポイントとの通信に使っており、外にいる時には携帯電話として、屋内にいる時は無線で固定電話として使う。</p>
<p>　日本では、NTTとKDDIの双方がFMCに力を入れていくと公言している。NTTは「グループ力を結集してFMCを推進する」と発表しており、「PASSAGE DUPLE」という無線LANによるIP電話と携帯電話のデュアル・サービスなどを開始している。一方、KDDIは携帯電話（3G）網を発展させた「ウルトラ３G構想」を打ち出している。この構想によると、2010年をメドにIP化された電話網に有線のブロードバンド回線や無線LANなどを含む多様なアクセスを相互接続し、統合されたサービスを提供していく予定である。</p>
<p>　なぜ各国はFMCに力を入れるのだろうか。それは、固定電話の_通話料収入の目減りを防ぐためである。携帯電話を固定電話の代わりに使う人は、年率約十％で増えている。固定電話の通話料収入を、これ以上携帯電話事業者に奪われたくないのだ。また、携帯電話事業者にとっても、新しく出てきたWiMAXなどの高速な無線ブロードバンド・サービスに携帯電話のデータ通信部分が奪われる可能性があり、それを防ぐ意味合いがあるだろう。松原氏は、「まだ現時点では見えてきていないが、これから二、三年後には動きがあるはずである」と予想していた。</p>
<p>　このような状況を踏まえ、総務省もFMCに向けて動きを見せており、「IP時代における電気通信番号の在り方に関する研究会」を発足させた。この研究会では、FMCで使う番号に関する議論を行っている。電話番号は、03などの固定サービス向けの0ABJ、移動体通信サービス向けの090、IP電話サービス向けの050など、サービスごとに特定の統一番号が使われている。ユーザーの混乱を招く可能性や通話料金の課金問題などを検討した上で、年内にでも統一見解を出す予定である。松原氏は、「今のところは、FMCの統一番号を作るのではないか」と話していた。</p>
<h4>鍵はNGNの標準化</h4>
<a href="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_79_large.jpg"><img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_79_small.jpg" alt=""></a>
<p>図１：NGN標準化の主な関係団体と動き【<a href="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_79_large.jpg">図を拡大</a>】</p>
<p>　Next-Generation Network（NGN）とは、電話網の次を担う次世代ネットワークのことで、電話網のIP化やFMCサービスの提供を支える技術的基盤のことである。電話網をIP化した時やFMCサービスを提供する時などは、今の固定電話と同じように相互接続する必要がある。相互接続するためには、プロトコルなどの標準を策定する必要があり、その標準となるのがNGNである。</p>
<p>　NGNの標準化の経緯をみてみると、まず初めに欧州電気通信標準化機構（European Telecommunications Standards Institute:ETSI） のプロジェクト「TISPAN」（Telecommunications and Internet converged Services and Protocolsfor Advanced Networking） が、2003年9月に標準化団体として発足している。次に2004年5月に国際電気通信連合の電気通信標準化部門ITU-Tで「FGNGN」（Focus Group Next Generation Network）が発足した。NGNの標準を策定している主体は、前述のとおりTISPANとITU-Tがあるが、現状はTISPANの方が先行している。TISPANはフランステレコムやBTなどのヨーロッパの通信事業者が強い発言力を持っている。それに対し、ITU-Tは発展途上国などを含めた多くの国が参加しており、日本に限らずアジア、特に最近は中国が力を入れている。今後、どちらの方が優勢になってくるかで標準化の動向が変わってくるだろう。</p>
<p>　また、インターネット技術の標準化を行うIETF（Internet EngineeringTask Force）との関係もあるだろう。NGNでは、IETFが作成したSIPプロトコルを使う。ところが、IETFとITU-Tでは考え方が違う。IETFは、基本的にはインターネットの文化であり、ネットワークは管理されず、端末に機能を持たせ、ユーザーに自由を与える。しかし、NGNはIPベースであるとはいえ、電話のネットワークであり、管理されており、端末にはあまり機能を持たせない。今後、双方のバランスをとっていく必要があるだろう。また、IETFは国際的な機関だが、アメリカが一番強い発言力を持っており、NGNはTISPANで始まったことに象徴されるようにヨーロッパの発言力が強い。背景には、アメリカ対ヨーロッパの構図もあると言える。</p>
<p>　さらに、管理のコストの問題も重要である。通信サービスの管理は、今は各事業者が個別に対応しているという状況であるが、実際にNGNが効果的図1：NGN 標準化の主な関係団体と動き に機能するためには、どれだけうまく標準化し、通信事業者全体のコスト削減につながるかが重要になってくる。松原氏は、「NGNは標準化が鍵を握ってくる。様々なメーカーが標準に準拠した商品を出すことで、機器の調達や管理コストが削減できる」と述べていた。事業者は、NGNを採用するタイミングや標準化の動向に乗り遅れないことが重要だろう。</p>
<p>　最後に松原氏は、業界団体であるTMF（TeleManagement Forum）のJames Warner会長の「このままではゆでがえる<footnote>「煮沸した湯では逃げてしまうが、かえるを冷水から徐々に加熱してゆくと、ゆでがえるboiledfrogになる」という意味。</footnote>」という言葉を紹介した。「今のところ通信事業者は、管理の問題にはまだ熱心に取り組んでいない。しかし、この言葉には他が取り組んでいないからと放っておくと、共倒れになってしまうという警告が込められている」と、ネットワークの標準化だけでなく、管理の標準化に積極的に取り組むことの重要性を指摘していた。</p>
<ul>
<li>2005年10月11日開催</li>
<li>（報告：霜島朗子GLOCOM主任研究員）</li>
</ul>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>面展開した公衆無線LAN の真価を問う</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/2006/01/lan_1.html" />
<modified>2006-11-18T00:14:05Z</modified>
<issued>2006-01-09T16:13:18Z</issued>
<id>tag:www.glocom.ac.jp,2006:/j/publications/2.250</id>
<created>2006-01-09T16:13:18Z</created>
<summary type="text/plain"> 講師: 松本敏明　日経コミュニケーション副編集長 講師: 武部健一　日経コミュ...</summary>
<author>
<name>noc</name>

<email>web-dept@glocom.ac.jp</email>
</author>
<dc:subject>200601</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.glocom.ac.jp/j/publications/">
<![CDATA[<ul>
<li>講師: 松本敏明　日経コミュニケーション副編集長</li>
<li>講師: 武部健一　日経コミュニケーション記者</li>
</ul>


<a href="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_82_large.jpg"><img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_82_small.jpg" alt=""></a>
<p>図1：ライブドア・ワイヤレスのパートナー</p>
<p>　2005年10月25日のベストネットワーク研究会は、日経コミュニケーション副編集長の松本敏明氏と担当記者の武部健一氏を講師に、「面展開した公衆無線LANの真価を問う」と題して開催された。今回は、東京・山の手線圏内で提供するライブドアの公衆無線LANサービスや、台湾・台北市のプロジェクトを含め、公衆無線LANの実用性についてお話を伺った。</p>
<h4>ライブドア、公衆無線LANサービス開始</h4>
<p>　ライブドアは2005年6月15日に「D-cubic」という公衆無線LANサービス（その後、サービス名を「ライブドア・ワイヤレス」に変更）を発表した。このサービスは、エリア内を無線LANの電波でくまなく覆って面展開し、山の手線圏内の八割のエリアをカバーする計画である。エリア内では、ほぼどこでもインターネットに接続できるようになる。目玉は、月額たったの525円で、最大54メガビット毎秒の高速な無線通信を実現することにある。確かにこの値段なら「ダメもとで契約してもいいかな」と思わせるだろう。</p>
<p>　まず2005年７月末から東京の六本木や新宿周辺で無償試験サービスを始め、順次都内に広げていき、10月から有料サービスを始めるはずであった。しかし、総選挙などもあり、11月に延期となった（その後さらに延期され、12月に有料サービスが始まった）。</p>
<p>　サービスを提供するに当たっては、アイコム製のアクセス・ポイント（AP）を電柱の上に2,200台置くこととし、初期投資は7億円と算出された。この数値はAPからの電波到達範囲を半径100メートルとし、山の手線内の地図上に半径100メートルの円を画いて算出したと言う。</p>
<p>　なぜライブドアが公衆無線LANサービスを始めることになったのか。もともとはライブドアの堀江貴文社長が車で移動している最中に「車でメールできたら便利だよね」と何気なく言ったことから始まったという。「実際にサービスが実現できるかどうか」というよりは、「こういうサービスがあったら便利だ」という単純な発想だったのだ。また、堀江社長は「料金は最初から500円でやろう」と言っていたという。実際にこの料金で実現するには様々な障壁があったが、大きな転機となったのは、パワードコムの中根滋社長がこの話に乗ってきてくれたことだった。おかげで、東京電力の電柱とパワードコムの光ファイバーを使うことができた。その有線のバックボーンにライブドアの無線LANのAPを接続して、有線と無線のハイブリッド型でサービスを提供するという案が出てきたのだ。ライブドアは、サービスの発表会でもパワードコムの中根社長を登壇させ、著名なパートナー企業と組んでいることをアピールし、信頼性を醸し出していた。松本氏は、「中根社長が協力を惜しまないと言ったことはインパクトがあった」と語った。</p>
<h4>公衆無線LANの展開事例</h4>
<p>　米国では公共サービスとして、都市単位で無線LANサービスが展開され図1：ライブドア・ワイヤレスのパートナーている。例えばペンシルベニア州のフィラデルフィア市やアリゾナ州のテンペ市などだ。テンペ市では、8×14キロメートルにストリックス･システムズ製のAPを300台以上設置している。テンペ市は地方都市で、ADSLや光などのインフラも不足している。そういう環境では、公衆無線LANが通信インフラのラスト・ワン・マイル（ユーザー宅と最寄りの通信事業者の局舎を結ぶ末端の加入者回線）のアクセス手段として役立つ。</p>
<p>　日本でも、岐阜県の旧岩村町（現恵那市岩村町）では、第三セクターである岩村町振興事務所が主導して、2005年6月から公衆無線LANサービスが提供されている。地方には、デジタル・デバイドの問題が残っており、その解決を図るために無線を使ってカバーする仕組みが出てきているのだ。</p>
<p>　しかし、日本の場合は、ADSLや光などのブロードバンド網が既に普及しているので、ラスト・ワン・マイルとしての利用よりも、移動中にパソコンを利用するための手段として考えられることが多い。例えば、2004年3月には野村総合研究所とインテルが進める「Digital City OSAKA」のプロジェクトが開始された。このプロジェクトでは、大阪市内南港コスモスクエア地域一帯を無線LANでカバーする計画だ。また、産業能率大学でも2005年秋から無線LANでキャンパス一帯をカバーするサービスが始まった。</p>
<h4>ライブドアは「ひたすら設置型」</h4>
<p>　公衆無線LANの面展開には、(1)メッシュ型、(2)広域無線技術との組み合わせ型、(3)ひたすら設置型──の三つの方法がある。今回、ライブドアがとったのは、(3)ひたすら設置型である。この方法は光ファイバーを引けるだけ引いて、インターネット網とつなぎ、その先に無線LANのAPを多数設置するやり方である。全APまで有線の回線が必要になるので、コストが高くなるという欠点がある。ライブドアの場合は前述のようにパワードコムの全面協力が得られたので、東京エリアでは敷設済みの光ファイバー網を低コストで調達できている。</p>
<p>　一方、台湾・台北市や米国のテンペ市は、低コストで構築できる(1)メッシュ方式を選択している。これは無線LANのAP同士をメッシュ構成でつなぎ、バケツ・リレー方式でデータ転送を行って端末とインターネット網を接続する仕組みである。</p>
<p>　もう一つの方法は、(2)広域無線技術WiMAXやFWAで中継し、有線ネットワークまで転送するという方法である。有線の回線数を減らせるので低コストで面展開できるが、WiMAXは実績が無く、技術的にも未熟なので、現実的にはまだ難しいだろう。</p>
　
<h4>面展開には疑問の声も</h4>

<a href="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_84_large.jpg"><img src="http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/105_84_small.jpg" alt=""></a>
<p>　公衆無線LANサービスを面展開することについては疑問の声もある。従来は、生活動線を考えて、駅や空港など、沢山の人がいて足を止めるところに絞ってAPを置いてサービス提供してきた。例えば、理経が提供している公衆無線LANサービス「BizPortal」などを見てみよう。「BizPortal」は、一日や一週間などの一定期間で課金する仕組みとなっており、利用者は必要な時だけ利用できる。このサービスでは、売上の九割は利用者の滞留時間が長い成田空港から得ているという。このことは、公衆無線LANの利用需要は場所によって極めて大きな差が出るということを表している。こうした状況を踏まえると、「面展開でどこでも使える」ことにどれだけニーズがあるか、まだ不透明である。</p>
<p>　さらに、技術面でも課題がある。現在、屋外で利用可能な公衆無線LANの方式である2.4GHz帯には様々な干渉の恐れがある。2.4GHz帯は、電子レンジやBluetooth（10メートル程度の近距離無線通信のインタフェース規図2：公衆無線LAN の面展開の三方式格）などに幅広く使われている。そのため、場所によっては、干渉を受けてうまく通信できない場合もあるだろう。また、2.4GHz帯は、電波出力を10ミリワット以下に制限されているので、なかなかうまく電波が届かない可能性が高い。今後、2005年末あたりには5GHz帯が屋外でも使えるようになる予定ではあるが、5GHz帯も電波の直進性が強いので、回り込みにくく、障害物に弱いという欠点がある。公衆無線LANを面展開するには、こういった電波の欠点を克服する必要もあるだろう。</p>
<p>　また、面展開するには、歯抜けでは意味がないため、一気に膨大な量のAPを設置しなくてはならない。それだけの投資に見合う需要があるかどうかがポイントだろう。松本氏は、「現状では収益はまだまだ厳しいが、将来を見込んでサービス展開している状態だろう」と今の動向を捉えていた。</p>
<h4>PC以外の端末が普及のカギ</h4>
<p>　今後の普及のカギは、PC以外の端末で公衆無線LANを利用するサービスが出てくることだろう。無線LANのメリットは、「高速に通信できる」ということである。そのメリットを活かし、ゲーム機などを無線LANに接続し、リアルタイムに対戦ゲームを行ったり、デジタル・カメラで撮った写真データを高速で送信したりすることが考えられる。</p>
<p>　例えば、任天堂は2005年11月から無線LANを小売店1,000店舗に無料設置して、「ニンテンドーDS」を使ってコンテンツ配信や対戦ゲームを街中でできるようにするサービスを始める。また、ニコンのコンパクト・デジカメ「COOLPIX P1」は、世界で初めて無線LANを内蔵しており、撮影したデータを外出先からも無線で送れる。その他、NTTドコモがビジネスFOMAに、無線LAN機能を内蔵した端末「M1000」を出した。この端末はNTTドコモが提供する無線サービス「M－ ZONE」に接続できる。日本では、PDAはあまり普及していないが、このような携帯電話と無線LANをダブルで使うサービスが打開策になるのではないかとされている。松本氏は、「携帯端末で無線LANに接続できるようになると、面展開によって街中で利用できるようになり、だいぶ変わってくるだろう」と期待を述べていた。</p>
<p>　さらに無線LANを使ってIP電話ができる携帯型無線IP電話も出てきている。例えば、アイティフォーの「MoIPサービス」は、フュージョン・コミュニケーションズのIP網を経由して、公衆無線LANによるIP電話が利用できる。さらに、このサービスはアイティフォーが050番号を基に端末を呼び出す仕組みを作りこんでいるため、050番号で発信・着信ができる。ただし、総務省は、「IP電話事業者は、端末までの通話品質を確保する必要があるとしており、問題がないとは言えない」とコメントしている。</p>
<p>　現状では、携帯型IP電話機から無線LANのAPまでの接続部分の通信品質を確保することが困難であるため、端末レベルでIP電話専用番号の050を取得することには、どこの企業も及び腰であった。しかし、ここにきてNTTコミュニケーションズは、企業内などエリア限定で実施したいと名乗りを挙げた。これを受け、総務省も050番号を携帯型IP電話サービスに付与する可能性が出てきた。課題としては、携帯電話のようなスムーズなハンドオーバー（瞬時に接続する基地局を切り替えること）を実現し、途切れることなく通話ができるかどうかということだろう。松本氏は、「無料に近いかたちで使える無線IP電話が出てくると、大きなインパクトになるだろう」と期待を述べていた。</p>
<h4>官民挙げて無線LANを展開している台湾</h4>
<p>　台湾は国が音頭をとって無線LAN展開を行っている。2005年6月14日、台北市内で開かれた公衆無線LANのシンポジウムでは、台湾・経済部（日本の経済産業省に相当）の施顔祥次長が「点から面へ、面から台湾島全土へ」と述べ、無線LANの展開に意欲を見せた。台湾では国家プロジェクトとして、25カ所に及ぶ全ての県と直轄市それぞれにおいて、無線インフラを敷設しようという施策が進められている。</p>
<p>　なかでも台北市がやっている取り組み「網路新都」は、世界最大規模の公衆無線LANの面展開を計画しており、2006年1月までに約一万のAPを台北市内に設置し、人口の90％をカバーするとしている。網路新都の当初の予算は30億台湾元（約百五億円）だ。</p>
<p>　網路新都で採用したAPは、ノーテル製のメッシュ型無線LAN機器で、台北市の街中の街灯などに設置されている。一つのAPで半径120メートル程度をカバーすると言う。最終的には、このAPを屋外に8,830台、屋内に1,000台設置予定である。</p>
<p>　メッシュ型にした理由は、光ファイバーを節約できるため、運用コストが十分の一で済むからであるという。台北市内では道路を掘るのが難しいので、APごとに光ファイバーを敷設する工事はコストがかかり過ぎるのだ。構成は、バックボーンとなる一本の光ファイバーに約三十台のAPをつなぎ、AP間はIEEE802.11aで中継し、端末へのアクセスはIEEE802.11b/gで通信する。</p>
<p>　このサービスは既に「WIFLY」というサービス名で提供されている。料金は月額300～400台湾元（約千～千四百円）の予定だ（現在は月額399台湾元）。気になる実効スループットは、1.2メガビット毎秒程度と言われている。台湾の有線ブロードバンドの主流が512キロビット毎秒程度のADSLであるため、1メガビット毎秒以上が出る公衆無線LANは、ラスト・ワン・マイル用途としても使える。</p>
<h4>無線LAN展開を後押しする三要素</h4>
<p>　このような台北市全域を覆う無線LANサービスが成り立つ理由は三つある。一つは政府主導であるという点である。網路新都は民間の力を使ってインフラ整備を進めているが、政府のプロジェクトとして台北市の強力なバックアップを得ているのだ。二つ目は無線LANサービスの需要が高いことである。インターネットの利用率は74％と高いが、有線のブロードバンドの速度が512キロビット～ 1メガビット毎秒程度と遅いため、公衆無線LANがラスト･ワン・マイルとしての役割も果たせる。三つ目は、台湾には無線LANの機器を作っているメーカーが多いということである。世界に出回っている無線LANデバイスの約95％は台湾で製造されていると言われている。そのため、無線LANのデバイスを安く入手できる。これら三つの理由で、台北市を無線で覆うというプロジェクトが成り立っていると言えるだろう。</p>
<p>　台北市全域をカバーする網路新都で、キラー・アプリケーションとして注目されているのが無線を使うIP電話サービスである。エリア内ならば、携帯型IP電話機によって、無線LANを経由して無料で通話できるようになる。台湾政府ではIP電話専用番号として検討中の「070」番号を、携帯型IP電話機でも使えるよう議論している。ただ、面展開しているとはいえ、台湾全土が無線LANで覆われているわけではない。そこで、台湾では政府の研究所が音頭をとって、無線LANを使うIP電話を実用化するために、携帯電話と無線LANの双方が利用できる「デュアル端末」を押している。無線LANを使えないところでは、携帯電話が利用できれば利便性を保てるからだ。</p>
<p>　実際、台湾では携帯電話と無線LANのデュアル端末の開発が盛んである。例えば、BenQ社は6月に台湾で幅広く使われているGSMと無線LANのデュアル端末「P50」を発売した。「P50」ではSkypeを利用できる。無線LANのエリア内でSkypeを利用すれば、無料通話が可能になる。これは注目すべき取り組みだろう。</p>
<p>　台湾の通信事業者としては、IP電話サービスを提供すると、従来の固定電話や携帯電話のトラフィックが減ってしまい、利益が減るため、あまり積極的ではない。しかし、政府としては国際競争力を付けるために、ぜひやりたいという意志が強い。武部氏は、「無線LAN経由で携帯型のIP電話機を利用する時代がやってくるのは必須である。ユーザーにとっては、既存の携帯電話よりも音声・データ通信ともに安価となる可能性が高いので大歓迎だが、事業者にとっては、どこで利益を出すのかが課題になるだろう」と述べていた。</p>
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<li>2005年10月25日開催</li>
<li>（報告：霜島朗子GLOCOM主任研究員）</li>
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