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中島洋 - April 7, 2008

情報通信とジャーナリズム

April 7, 2008 [ 中島洋 ]

■「新聞記者がキーボードを打っている」だけで驚きだった

―――中島先生はIT分野の研究より先に、まず日経のジャーナリストとして、インターネット草創期から活動されてきた方のお一人なのではないかと思います。先生がどのような関心からIT分野の議論を観察してきたのか、その中で中島先生がどういった役割を果たして来たか、お伺いできればと考えています。
 では、まず中島先生が日経のジャーナリストだった時期のお話から聞かせていただけますでしょうか。

 専門の研究者には私より年輩の方はたくさんいますが、私のような新聞記者、しかも専門の記者ではなく、一般的な経済記者という立場でコンピューター、通信についてここまで報道に携わって来たのは、私がたぶん初めてではないかと思います。
 まず、わたしは大学の倫理学科の大学院、修士を出て、その後に日本経済新聞社に入りました。日経新聞を中心にした経済記者を25年近く経験し、その間の19年ほどをIT分野の記者として過ごしました。コンピューター産業や通信分野の経営トップの方、あるいは技術や研究の最前線の方々に話を聞き、さらにコンピューターと通信という非常に激しい分野がどういう競争状況にあるか、またそれが一般産業の競争条件を変えて、既存産業の盛衰を引き起こすか、企業の競争力や経営手法をどう変えてゆくかなどを多角的に報告してきました。日本経済新聞や日経産業新聞の紙面、あるいは日経BP社(旧日経マグロウヒル社)の『日経ビジネス』とか、『日経コンピュータ』などの雑誌に記事を載せるということを中心にしてきました。
 この分野は、技術的な問題や経済的な問題、それから社会心理的な問題も含めて非常に多方面の知識が必要になってきますので、こういう複雑な知識について取材したりコメントを述べるのが得意な人はそれほど多くありません。私より下の年代になるとパソコンを自分でいじるというのが普通になってきたので、文科系の人でも比較的技術に詳しくなってきていますが、私たちの年代だと、まず自分でパソコンをたたくという人が少なかった。私の年代はちょうど団塊の世代、しかもそのトップで、60歳を越えています。私の同年代でよくメールが返ってくる人たちも、今でこそ自分でたたくようになりましたが、10年ほど前は、「実は部下にやらせている。見る方も秘書にプリントアウトさせている」という人が多かったのです。

―――そのような環境だと、パソコンを使っていた、というだけでも確かにかなり少数派ですね。

 私の場合はパソコンが出たばかりの若いうちから、パソコン通信と言われていたものを触っていました。1980年代の半ばに始めたと思います。PC-8000に、ワープロソフトを入れて使っていました。そのうちに音響カプラというものが出てきて、毎秒300ビットというとてつもない遅さでパソコン通信をしていた。それでもパソコン通信はその当時は画期的で、それまで私たちが持っていた常識を覆す機械でした。その後は専用ワープロでもパソコン通信ができるようになったので、専用ワープロを使うようになりました。
 ある日、地方の講演の依頼がパソコン通信で来たので、講演の要旨をA4で3枚くらい、文字だけの箇条書きを送りました。会場に着くと、プリントアウトされてコピーした要旨がすでに皆さんの手元に配られている。私はその場所に行くのは初めてだし、その会場に行って初めてメールのやりとりをした相手に会うというのに、講演の依頼、承諾、資料の送付が全て済んでいるのです。私の講演の内容も、これからの情報社会はこうなるという話だったので、このようにやったということ自体が大変な革命の到来を予告するように感じられました。それ以前の講演依頼や交渉、さらに資料の作成などは郵便や電話でたいへんな作業で、その後、年間100回以上の講演を引き受けてきましたが、パソコン通信やインターネットがなければ不可能なことでした。

―――確かにそれは、新しいリアリティが拓けた瞬間ですね。

 新聞社ではパソコンで記事を書くトップランナー5人くらいのうち一人が私でした。パソコンで記事を書いた方が当然スピードは速かった。書き直し、修正がすぐできるからです。ただしメールではなく、プリントアウトしてファックスで送らなければいけません(笑)。新聞社で原稿を受けるデスクの側が、そんなものは使わない、ファックスしかないと言っていたからです。その当時、「パソコンでのんびり記事を書いている暇があったらもっと手書きでたくさんの記事を書け」という、とんでもない誤解を受けたことがあります。「私はパソコンで書いているから他の人の2倍は記事を書いている」と反論しましたが、相手は信じられずにきょとんとしていました。

―――キーボードのタイピング速度に対する理解が全く違う(笑)

 そうなんです。いまでも、タイピングの速度があるボーダーを超えることができない人は未だに手書きのほうがはやい。ある一定の速度を超えてしまえば楽なのですけれどね。
 象徴的なエピソードがあります。ある日小さなノート型のワープロを持ってある講演に行きました。ちょうどグローコム2代目所長の公文俊平先生もパネル討論のパネリストの一人で、一緒になった。休憩時間中、控え室にいるとき私がワープロで新聞記事の原稿を打ち、送信したのを見た公文先生がパネル討論の冒頭でこう言ったのです。「私は驚くべきことを目撃しました。それは、新聞記者がキーボードを打っている、という場面です。社会の人がみんなパソコンやキーボードで記事を書くとしても、新聞記者だけは手書きだと思っていた。今日から考え方を改めます」。それくらい、新聞記事をキーボードで打つことが想像しにくい時代でした。その頃に経験したさまざまな事が、情報通信をベースにした新しい時代がくることを確信するきっかけとなりました。今やパソコンで記事を書かない人はいません。

――――ジャーナリストとして、新聞以外にテレビのお仕事もされていらっしゃいますね。

 はい。テレビの場合は、テレビ東京の『ガイアの夜明け』に、最初から一緒に係わってきました。テレビ番組と連動した日経新聞の連載の企画をしています。最近、連載が100回を越えました。インターネットにも番組の概要や参考記事、参考データを載せています。こういう企画はメディアミックスと呼びますが、新聞やインターネットの中身は編集出身の私が全て作り上げています。最近ではクロスメディアなどとも呼びますが、その最先端の実験を進めています。。
 NHKや民放テレビでもIT関連のニュース解説や討論番組の司会もしていますがITベンチャーの流れや住民基本台帳ネットワーク、個人情報保護法などについての番組に出演しています。また最近ではマイクロソフトがヤフーを買収するという提案をしたことについて解説をしました。全体としては、情報関係の社会問題が生じたときに専門家としてコメントを述べるということが多いですね。

■「社会の諸関係を根本から作り直してしまうことを、革命と言うんだ。」

 当時、日経新聞で書いた記事の中で私が自慢に思っているのは、1990年代前半のBPR(Business Process Re-engineering)という経営手法が流行った時のことです。BPRは企業の業務フローを情報ネットワークベースにすることで効率化・簡素化が可能になり、会社の企業力も上げると言われて話題になりました。その記事を書いた後、次に私は「ビジネスプロセスだけではなく、企業と企業、企業と消費者、企業と従業員、企業と行政、いろいろな主体との間でもネットワークが発達して、社会の関係が大きく変わるだろう」と書きました。まだインターネットが出る前だったのでパソコン通信をベースに考えていましたが、当時すでに航空会社と消費者が直接パソコン通信で繋がりチケットを買うというサービスがアメリカで普及していました。
 そこから「旅行代理店が不要になる、旅行代理店に限らず中間が排除されていく」と予測していた。企業間、企業と個人、企業と行政の間での取引のあり方が大きく変わることも含めた社会全体の仕組みの再構築、つまり、これは私の造語ですが、ソーシャルプロセスのリエンジニアリング、SPR(Social Process Reengineering)というものが引き続き起こるだろう、社会の諸関係がネットワークをベースにもう一度作り直されるんだという主張をしました。
 この時、私の親友が日経新聞の私の記事を読んで「SPR(ソーシャル・プロセス・リエンジニアリング)と書かれているが、これを日本語にするとどうなるのか」と電話で聞いてきました。日本語にするには複雑だなと言っていると、彼は「こういうのを一言で表す言葉がある。マルクスは『革命』と呼んでいる」と言った。「社会の諸関係を根本から作り直してしまうことを、革命と言うんだ。つまり中島さんは『情報通信は革命を起こす』と言っているんだ」と指摘しました。彼は今Google Japanの社長をしている村上憲郎です。当時はDEC Japanの取締役をしていた。その彼が、そういう冗談をわざわざ言ってきました。今起きているのは情報通信をベースにして諸関係を作り直すこと、つまり「革命」が起きているのだ、というのが新聞社にいた頃からの実感です。まさに「革命」が進行している。

―――なるほど。

 私の興味は、情報通信をベースにして、さまざまな社会の関係が変わっていくことにあります。企業と企業の関係も変わるし、企業と個人の関係も変わる。個人の中には消費者も従業員もいる。行政と企業、行政と個人、住人、市民とその行政、政府との関係など、あらゆるものが変わっていく。しかし一瞬にして変わるわけではなく、20年30年経つとがらりと変わるのです。その点がいわゆる革命と違って、時間のかかる変化ということになると思います。情報通信の新しい環境が出来上がったときに、人間の価値観がどう変わるのか、社会の関係が変わっていくありさまを目撃し、報告することが私の最大の関心です。GLOCOMはこの変化の観察をするにあたって、非常に良い場所になっていると思います。

■ジャーナリズムの世界から、大学へ

―――日本経済新聞の記者時代の後、慶應やGLOCOMで教授職を務められますね。その経緯はどういったものだったのでしょうか。

 新聞社に行った後半の頃からは、GLOCOMが非常に幅広い学者、ジャーナリストを集めて情報通信政策研究会を立ち上げました。電電公社がNTTになり、またいろいろな新しい通信会社が出てきたところで、どのような産業構造にするのか。そういうことが議論になった時に、私も当時の公文俊平所長に呼ばれて、研究会のメンバーとして議論に参加しました。
 そのほか、対外的にはテレビ局、ニュース解説等々の出演をすることになります。また、地方自治体や政府の各種の委員会の委員として政策立案の議論にも参加しました。自分の活動の舞台が日経新聞だけではなくなってきたため、10年ほど前に日経新聞を退職し、慶應義塾大学のSFCの教授に5年間の契約で就任します。公文先生からGLOCOMに来ないかと誘われましたが、残念ながら慶應の方が先に決まったので、期間が終わったらGLOCOMに参ります、ということになりました。今から5年ほど前に、約束通りGLOCOMの教授に就任しました。
 ジャーナリズムの分野では、いつも情報通信に関する連載記事や特集記事が組まれていました。私も日経新聞時代は非常に多くの特集記事の責任者をしたり、日経新聞社編という形で出版物もたくさん出したりしてきました。個人としても筑摩書房から『マルチメディア・ビジネス』とか、『イントラネット』等、日経新聞以外からも単行本の執筆、出版を続けてきました。その実績が評価されて、慶應大学の教授、あるいは国際大学GLOCOMの教授として招かれたということだったと思います。

■情報通信の新しい環境をつくるために

―――近年の中島先生の活動は、大学やジャーナリズムという枠にとどまらず、日本のIT業界全体に資するような活動を幅広くされていらっしゃいますね。いくつか代表的な活動について教えていただけますでしょうか。

 一つは、ASP・SaaS普及促進協議会というものがあります。日本の中小企業の情報化、特に経営の情報化が進まないということで、この分野が取り残されるのではないかとずいぶん心配されている。それに対して、ソフトウェアを共同物化して、必要な時だけネットワークを経由して安価に使えるサービスが登場しつつあります。なかなか良い、ということで、思い切って力ずくで促進、普及させようという協議会が総務省の管轄で出来ました。今その副会長をしており、実質的なリーダーをしています。
また、経済産業省のIPA(情報処理推進機構)というところで、未踏ソフトウェア創造事業の審議委員もしています。そこで若い情報技術のエンジニア―――何か新しいものを開発するという意味のエンジニア―――の方々の研究を見させていただいています。そこで、それを育てる多くのプロジェクトマネージャの方々の指導方法はどうあることが適切か、あるいは指導法をこうしてはどうか、というアドバイスをしています。日本の若いエンジニアたちに多くの可能性が眠っているということを見させていただいています。
 GLOCOMと共同してやっていることでは、社会経済生産性本部というところで、情報化推進国民会議という組織があります。先ほどお話した住民基本台帳ネットワーク、住基カードを普及させようということで、啓蒙活動や政府に対しての提言をしてきています。これも特別委員会の委員長をしています。
また「J-KIDS大賞」という、小学校のホームページを評価するものがあります。評価方法はGLOCOMの豊福晋平准教授が十数年前に構築し、それをリファインしてきたものです。その評価方法を使い、全国各地の小学校のホームページを評価し、ランキングして表彰するという制度で、その審査委員を長くやっています。このプロジェクト自体は慶應義塾大学SFCの村井純教授が企画委員長、審査委員長を兼ねて進めています。小学校の段階からホームページに親しんでもらい、日本のITリテラシーを刺激して底上げをして行くというもので、これはGLOCOMがSFCと協力して立ち上げた優れた業績の一つだと思います。

■人々のハブとしてのGLOCOM

―――GLOCOMでは情報社会での革命を見られるというお話がありましたね。

 そうですね。十数年前に初めて公文先生から声を掛けられてGLOCOMに初めて研究会のメンバーに参加した当時の良さは、今ではさらに深まっていると思います。それは何かというと、GLOCOMが情報社会研究の国内外の学者、研究者、行政マン、ジャーナリスト、現場で実践している活動家たちの中心地として機能していることです。場所も六本木という東京の中心にあり、全国から集まりやすい。現在は当時よりネットワークが発展し、離れたところでも活発に情報交換が行われます。しかし時々実際に出会って、顔を見ながら議論をすることで違う価値が生まれます。その点でGLOCOMではたくさんの研究会活動が定期的に行われている。これがGLOCOMの持っている価値であり、社会に対して貢献できる機能であろうと思います。今後も情報通信のジャンルではいろいろな場所でいろいろな方がその得意分野で活躍されておられると思います。GLOCOMがそういう人たちを束ね、総合的に情報通信、情報社会、情報技術の発展について議論しあえる場所として、これからも日本社会、あるいは国際社会にさまざまな事を発信できるのではないかと期待しています。

2008年4月7日 GLOCOMにて
聞き手:井上明人