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木村忠正 - December 1, 2009
デジタルネットワークと文化人類学
December 1, 2009 [ 木村忠正 ]
■研究のきっかけ
―――文化人類学が専攻分野ですが、もともとどういった経緯から今のような関心をもたれるようになったのでしょうか
高校時代にクロード・レヴィ・ストロースの『野生の思考』を読み、80年代のニューアカデミズムの影響を受け文化人類学の研究をしたいと思いはじめました。今から思えば、学生時代は知覚・推論・理解・コミュニケーションといった、ヒトがモノを知るという認知の側面と社会・文化との関係に関心を持っていたのではないかと思います。しかし、20代前半は自分でもよくわかっていなくて、アメリカに留学し、認知人類学者チャールズ・フレイクのもとで学ぶことで認知人類学を学びたいということに気がつきました。
―――認知人類学という言葉は聞きなれないのですが、留学のときには実際にどのようなことを研究なさっていたのですか
アメリカでは、西洋医学における臨床場面で医師と患者の間でのコミュニケーションについて研究していました。患者と医者両方とも回復というゴールを目指していることは同じです。しかし、背景にある知識構造が違います。そのことから、医師と患者が何を病気と認識し、何を回復と認識するのかが違ってきますし、行動や発話も違ってくるわけです。
実際には、赤ちゃんの母親と小児科医の認識と行動の選択肢の違いについてアメリカ・イギリス・日本の三カ国で比較して研究しました。
―――医療の現場での認知の問題を研究なさっていたわけですが、まったく研究分野の違うGLOCOMで研究なさるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
1994年ごろたまたま公文俊平先生や村上泰亮先生と縁がありまして、GLOCOMに出入りするようになりました。もともと私が関心を持っていたことは先にも述べましたとおり認知とコミュニケーションについてのことでした。GLOCOMに関わる中で、それにデジタルネットワークが介在することでどう変わるのかに関心を持つようになりました。ただ当時は、数百しかウェブサーバがない時代でGLOCOMのAdam Peakさんが、世界各地にあるサーバのすべてを把握しているような時代でした。そしてGLOCOMの助手としてこの分野の研究を始めました。
―――サーバーが数えられるような時代は今と環境が違ったと思うのですが、その当時はどのような研究をなさっていたのですか。
ちょうどそのころクリントン政権は活発に情報通信政策を行っており、アメリカの通信法改正の流れをウォッチしていました。人々の行動から政治まで扱える人類学の幅広さ、多元性をいい方向に生かし、デジタルエコノミーやデジタルデモクラシーなどいろいろな角度から研究することができました。これまで、私は人類学という雑多なことをやってきた訳ですが、公文先生が言うような産業社会の後に来る情報社会という大きな歴史的展望に影響を受けました。
また、社会科学の理論と方法という観点から面白いと思うのは、90年代からのネットワークの革新と社会的普及は、研究「対象」が動態的で、生成して変化する研究対象を言葉にしていくこと、自分なりに何が問題なのかということをたてていく必要があることです。GLOCOMの研究活動に関わることは、そうした生成的でダイナミックな社会・文化・技術の関係を考えることで、それはとても刺激的でした。
■デジタルデバイドとカルチュラルモデル
―――情報社会を人類学という切り口で研究するのはあまり一般的ではないように思われるのですが、人類学からデジタルデバイドを研究するというのはどういうことなのでしょうか
人類学の基本的な関心のひとつに、やはり構造的な劣位の問題があげられます。デバイドや格差というものに私が関心を持っていったのは、この人類学の問題意識の影響だと思います。とはいえ実際には、人類学者に経済的支援を与える側には帝国的野心を持っているという側面はあります。であったとしても人類学者には社会的正義という意識があることも多いのです。
私は、いわゆる「未開社会」に強い関心があるというよりもむしろ、自分自身の社会、自分たち自身を反省的に考えたい、現代社会を分析するツールとして人類学を活用したいという思いがありました。そういう意味でGLOCOMの情報社会研究は自分に合っていました。また、「人類」の学だとするならば新しいサイバースペースという社会活動空間も議論の中に含み込む必要があると考えています。
とはいえ、人類学に議論の積み重ねがないのは事実です。人類学の研究者は、デバイドというものを単純なべき乗法則としてではなく、地縁・血縁などが複数に絡み合った社会の組織編制のロジックとして捉えています。それを研究するためには、ミクロなケーススタディを重ねていかなければなりません。デジタルデバイドは大切な問題だと人類学者は認識していますが、まだそこまで研究はなされていないのです。それが故に人類学的なミクロな議論だけでなく政治経済学的なマクロな議論に依拠する必要があります。
―――情報社会を規定するものって何なのでしょうか。人類学の視点から考えてどう思われますか
私は、人々の価値観や行動を規定する力、すなわち文化だと思います。もちろん、直接的には法制度かもしれませんが、それをつくる人間の側に目を向ける必要があると思います。私は「カルチュラルモデル」と呼んでいるのですが、その社会である程度共有されている人の思考や推論、行動をモティベートする文化的認知モデルがあります。人々が何かに出くわした時に、このモデルを使って解釈して、法制度というものを作っているのではないでしょうか。
実際にAdamさんと一緒に研究した北欧圏でもそこでの「カルチュラルモデル」が見られたように感じます。90年代後半にIT化が進んだのはアメリカと北欧なのですが、背景にある富とリスクの社会的分配に関するモデルというものが大きく違います。
北欧圏の場合、富とリスクの社会的分配は、「市民」として共有するというユニバーサリズムが基底にあります。そして、ITという技術も、人々をエンパワーする道具、強力な富を生み出す機会(逆に疎外されると大きなリスクとなる)と認識され、アクセスとリテラシーが市民に共有されるべきものと捉えられています。その結果、90年代半ばから、初等教育から授業の中に取り入れられるとともに、社会全体に普及させるための政策が立案、実施されていました。また、教育で面白いと感じたのは、こどもたちよりも、教える側の教育こそ問題だと認識している点でした。こどもは機会を与えれば親しみ、身につけていくけれど、教員は、十分にケアしないと使えるようにならないということをしっかりわかっていました。だから教える側の教育に多大な予算をかけていました。
他方、アングロサクソン的な社会では、自助努力を重視し、伸びる人には制約を少なくして伸ばすことを尊びます。そして、社会的富、リスクの分配に関しては、困窮者のみに政府が手を差し伸べる残余的アプローチをとります。そのため、ITベンチャー企業が10年足らずで数兆円規模の大企業に成長しますが、3割4割といった人口は、「ネットワークからこぼれ落ちる」ことになります。それぞれの文化の違い、それに基づく解釈モデルの違いが政策に大きく反映されています。その点で資本主義の多様性論のようなものに関心を持ちました。政治経済学の人は制度の方に重点を置いていますが、私は文化の力の方に重点を置いています。もちろん、この解釈が唯一正しい解釈だとは思いませんし、いろいろな立場からいろいろな研究がなされることが大切であると思います。そして、人類学という分野の独自の視点があってさまざまな議論が生み出せていけたらと思います。
■研究手法について
―――木村先生の研究対象というのはどの程度のタイムスパンなのでしょうか
世の中には、長い年月変わらないものと時々刻々と移りゆくものがあります。例えば、深い海を想像してみましょう。深いところは、一万年近く変わらないかもしれません。他方表面では激しく波が立っています。その間に千年近く変わらない層や百年近く変わらない層などなど様々な層があります。研究者は自分がどの辺りを研究したいのか意識する必要があります。私の場合は、10年から四半世紀のスパンで変化していくところを捉えようとしています。研究者はコンサルタントやアナリストやジャーナリストではないので1週間とか月の単位で考えることはしません。しかし、私の研究は、たとえば、宇宙の本質を解き明かそうとする理論物理学や、ヒトの本質を思索する哲学研究のような長い年月変わらない層を対象にしたものでもないのです
―――先生が現在取り組まれている「バーチャルエスノグラフィー」という研究プログラムもそうしたタイムスパンに位置づけられるものでしょうか
そうですね。「エスノグラフィー」というのは、年月をかけてじっくりその社会にアプローチする現地調査、および、そうした現地調査にもとづいたモノグラフ(研究報告)のことです。かつて人類学者は自文化から遠く離れたフィールドに何年間か住み込み、その直接的経験をもとにモノグラフを書いていました。ところが、そうした研究スタイルは、現在難しくなっています。グローバル化、ヒト、モノ、マネー、情報の流通が進展するなか、かつてのような閉鎖的なコミュニティは消滅し、社会文化変容も激しく、考慮にいれるべき変数は複雑、多様になっています。エスノグラフィーは、一定の地理的空間(「フィールド」)に集積する人々の集団(「コミュニティ」)を前提としてきました。そして、その集団成員(メンバー)たちに共有される行動規範・様式、価値体系を研究対象としてきたのですが、現在フィールド、コミュニティ、メンバーといった概念が有効性を喪失しつつあります。数年かけて調査を行い、数年かけて包括的な研究報告を行うという形では、不完全な化石標本をつくるようなものなのです。また、大学を取り巻く環境は、長期にわたるフィールド調査実施を困難にしています。
他方、人類学だけでなく、さまざまな学術分野、さらには産業界からも、エスノグラフィーへの関心、期待が高まっています。社会学はもとより、教育学、経営学、心理学、看護学などでエスノグラフィー、また、広く一般に質的調査に関心を持つ研究者が増え、概説書、専門書も次々と出版される状況です。産業界でも、例えばXeroxのパロアルト研究所は1980年代からエスノメソドロジストを雇っていました。Intelは、2000年代に入り、人類学者を中心とする社会科学研究者を100名以上リクルートすることを計画し、2007年夏の時点では、40名以上の社会科学者がIntelで調査研究活動に従事しています。その大半は人類学者だといいます。
「バーチャルエスノグラフィー」というリサーチプロジェクトは、こうした状況を踏まえ、サイバースペース、バーチャル空間研究に端的に現れるいくつかの特性に向き合おうとします。それはつまり、グローバルな移動性、多所性。地理的場所と境界によるフィールドではなく、フローと接続性にもとづく人々の集積としてのフィールド。時間的連続性ではなく、調査対象、調査者双方にとって断続的活動、全体性を断念した断片性。こうした特性は、従来のエスノグラフィーが成立基盤としたコミュニティ、地域とは大きく異なるものです。そして、調査対象、対象と調査者との関係が絶えず流動的であることを認識しながら、10年から四半世紀程度の時間軸で、こうしたテクノロジーと社会文化との関係性を考究しようとするものです。
また、「バーチャル」の言葉には「実質的な」という意味があり、バーチャルエスノグラフィープロジェクトは、「バーチャル空間の」という意味に、「実質的な」という意味も掛け合わされています。古典的な研究をしている人類学者からは「薄口」だと批判されるかもしれません。しかし、伝統的な人類学のやり方は「理想」であって現実には困難となってきており、人類学は、「バーチャル」なエスノグラフィーに積極的に取り組む必要があると感じています。
―――「バーチャルエスノグラフィー」に関連して、先生は人類学的質的調査法と量的調査法の融合に取り組まれています。「バーチャルエスノグラフィー」とそうした融合調査法とはどのような関係にあるのでしょう
「バーチャルエスノグラフィー」というプロジェクトは、もともと科学技術社会論(STS)の分野で提起されたものです。バーチャル空間は、デジタルネットワークであり、定量的データの取得、分析に適しています。さらに、ネットワーク媒介活動のほとんどが定量的データとして捕捉可能であり、しかも、それをサンプリングではなく、巨大なデータ全体を分析対象とする解析技術と資源を私たちは手にしました。以前は、少数のサンプルから母集団を推測する手法として統計手法は発展してきた部分が大きいと思いますが、現在は、巨大な全数データを取得し、その構造を解析する手法が飛躍的に拡大してきています。
しかし、だからこそ、情報ネットワーク研究、コミュニケーション研究においても、定性的アプローチ、質的研究の重要性、エスノグラフィーの可能性は広く認識され、高まっていると思います。たとえ莫大なログデータであったとしても、定量的分析は、例えば、「リンク」を、「リンク数」といった個数でのみ扱い、それぞれが持つ、個別的文脈を捨象せざるをえません。あるいは、ネットワークを介した行動をログとして捕捉することはできても、行動する際の人々の思考、心理、感情などはネットワークに流れ出ることはありません。
STSの一部の研究者たちは、こうした点に着目し、サイバー空間を介した社会的活動を質的に研究しようと試みており、それを「バーチャルエスノグラフィー」と呼んだのです。しかし、エスノグラフィーという方法に長年携わってきた文化人類学の立場から見ると、STSや先に触れた他分野、産業界からの「エスノグラフィー」に対する期待は、満たされていない欲求のように思えます。つまり、多くがスナップショットデータで、限定された変数しか対象にしない定量的調査への不満に対して、新たなソリュージョンを与えてくれる万能薬、魔法の薬のようにエスノグラフィーを捉えている面があります。
ですが、エスノグラフィーが万能薬であるはずはないのです。むしろ、2000年代、顕著になってきたのは、定性的調査、定量的調査をいかに組み合わせるかが、社会科学、人間科学を発展させるカギではないかという認識だと思います。実際、バーチャル空間のように、絶えず変化していく調査対象を、その都度概念化し、ある程度具体的にデータ化し、その構造や意味を定式化するためには、定量的アプローチも利用しながら、エスノグラフィックな肌理の細かい探究を行っていく必要があります。バーチャル空間ほど、定量と定性を融合するのにふさわしい研究対象はないわけです。
―――質的調査と量的調査を融合するに当たって、先生はどのような理論的な位置にたっていらっしゃるのですか
現在私は、後期実証主義という立場に立って考えています。1960年代から、実証主義、経験主義、行動主義への攻撃が激しくなり、1980年代以降、ポストモダニズム、社会構成主義、フェミニズム、解釈主義、批判理論、ディスコース分析、カルチュラルスタディーズ、ANT (actor network theory)など、実証主義を批判する様々な知的潮流が勢いを増してきました。2000年代に入り、こうした知的潮流を「ポスト実証主義(post-positivism)」として包括的に捉え、批判的に検討する議論が提起されています。
確かに、単純な実証主義はナイーブであり、もはや維持しがたい信念だと思います。しかし、研究者というものは経験の積み重ねのうえに立っているわけであって、ポスト実証主義のラディカルな批判は、経験的考究という学術的営為の基盤それ自身を堀り崩してしまうことになるのではないかと危惧しています。「後期実証主義(postpositivism)」(ハイフンがない点に留意してください)は、そうした危惧から、ポスト実証主義の批判も考慮しつつ、実証的な経験の積み重ねに基づいて研究していこうという立場です。
量的調査と質的調査の融合というのは以前になかったわけではありません。むしろ、アクションリサーチのような変革主義的、アドボカシー的研究や実践的研究では、有用と思われる方法を、定性、定量問わず、組み合わせて利用してきたといってよいと思います。それに対して、定性・定量融合法を、後期実証主義という科学的知識に関する理論的立場にもとづかせる議論が2000年代に展開されてきました。定性・定量融合法としてのバーチャルエスノグラフィーは、こうした科学知識に対する後期実証主義的立場に基づくと考えています。
■GLOCOMについて
―――木村先生にとってGLOCOMはどんな場所でしたか
GLOCOMは自主財源で国際大学や文部科学省から運営資金、研究資金をもらわないことで研究の自立性や独自性を保っています。その為に、逆に言えば自分たちが知識を持って稼いでいかなければいけません。当時は、訳もわからずやっていたこともあり、締め切りに追われてGLOCOMに寝袋を持ち込んで寝泊りしたこともありました。企業の方との接点ができ今でも交流させてもらっています。大変なところもありましたが、得るものも大きかったです。
当時手作りだった『智場』の編集を担当し二ヶ月に一回ぐらい自分で書くことになりました。その時GLOCOMに出入りしていたジャーナリストの方に文章の書き方を指摘されることもあり、人類学の冗長になりやすい細かい記述とは違った簡潔な書き方を訓練することができました。
研究者は自分の学術的関心があり、また所属している学術的なコミュニティにのっかっています。ただ、GLOCOMで活動したことにより、学術的コミュニティだけではなく、社会的ニーズと知的関心をどう接合させるかという点で企業や官公庁と協力することをポジティブに考えるようになりました。GLOCOMは企業や官公庁からの受託研究など一種のコンサルティングファームのような側面も持ち合わせていますが、同じようなことが今の大学に必要だと思います。研究者は、ビジネスや行政機関といった外の方々とコラボレーションしていく必要があります。しかし、理系でも30年前は企業と組むことには抵抗がありました。それが変わったのは、80年代後半にサッチャー・レーガン両政権の新自由主義に基づく規制緩和の流れが学術の世界にも入ってきたことがきっかけだと思うのですが、GLOCOMはその流れに単に迎合するだけでなく、自分たちが面白いと思うことをやるという側面があり非常にありがたかったです。
―――本日はどうもありがとうございました。
(インタビュアー:井上明人+小山剛)