001020情報文明論研究会レジメ

米国・ヨーロッパの旅から

公文 俊平

 

1.ようやく始まった広帯域サービス

既存の電話線、同軸ケーブル、電力線、衛星を利用。加えて固定体無線や無線LANも。しかし、順調に展開が進まぬ事への不満が噴出:待たされる、相手にもされない

(理由:ISDNへのこだわり、ケーブル会社の電話との競争意識、大言壮語)

  

2.本格的広帯域への志向

  カナダのキャナリーとコンドミニアム・ファイバー、GGEサービス(メナール)

  スウェーデンのストーカブとB2

  米国のメトロメディア、テラビーム、Yipes、エンキドー

日本の有線ブロードバンド

3.無線電話のハイプ:極端な高値落札(償還に30年)、

現実には無惨なWAP(200万台)の実績。一日平均一分以下。

日本はどうなのか?若者は、ビジネスマンは?

  (無線のベルヘッズ⇒太田批判、iモードへの異様な関心)

  ヨーロッパは、音声中心にモバイルを考える傾向が強い。

それとSIM。YACの無料転送サービスも面白い。

4.次のキラー・アップ?

  ボイス・ポータル

(欧州はエリート向けに、米国での実績は家庭から、AOLの苦しい決断)

  新グループウエア

バディ・リストのマルチメディア化=サイバー大部屋的作業環境

ファイル通有システム(ヌーテラ等)

5.P2Pの現状と問題

  ナプスターは、違法行為よりは音楽流通の現状への弱い抗議だが、問題あり

    社会的通貨なのに、一人で集めて楽しんでいる。

それに、MP3の質も悪い。音楽の幻想にすぎぬ。(ラシュコフ)

  ダウンロードばかりで共有地の悲劇になるという批判もある(ゼロックス・パーク)

    しかし、智のゲームの初期形態だとみてはどうか(公文)

    通識の提供なら、費用をかけて無料で出して当然。

    提供者が受け手より少ないのは当然(しかし、市場ほどではない)

    スウェーデンの経験では、受け手もそのうちに第二次出し手になる

  少額(自動)送金システムが発展すると、状況も変わってくるか(お布施)

6.未来のCANの姿

1.免許不要の周波数帯を使う無線LANが光を補完

  光はギガビット・イーサーネットの発展型が基本となる。

  将来的には、世界をバーチャルLANでおおい、IPも不要になる(?)

2.通信事業者抜き、ネット守り役付きの情報通信システム

3.システムの構築はローカル(LAN)からグローバル(WAN)へ

4.システムの運営は、シェア(協働)とトレードの原理

  CPU、帯域、コンテントのすべてで

5.アプリケーションはP2P型情報通有と協働支援用が中心

  インスタント・メッセージングをマルチメディア化したサイバー大部屋環境

6.地域ではラーセン(Learning Center)が活動の中核となる

  韓国のPC房、ミュンヘンのEasy Everythingなどはその原始的な形

7.具体的活動の内容は

  各種コミュニティ・サービスと連動

  地域通貨との連動

7.情報通信革命の現状

1.デジタル・ディバイドの深刻化

  垂直的デバイド:貧困、失業、愚昧、紛争

  水平的デバイド:自由と規制のパラドクス

2.米帝国主義への報復

  チャーマーズ・ジョンソンの反省

  米国はまだ冷戦時代の思考と行動から抜け切れていない

  公文:“冷戦”も実は情報化の最初の国際政治形態だったのではないか?

3.コンピューターの可能性と限界

  ハードにおけるムーアの法則とソフトにおける○○の法則

  どうしても実現できない“人工知能”

4.P2P型インターネットの可能性と限界

  24時間運用のできないウィンドウズ・マシンの限界

  帯域の不足

  ユーザーの未成熟:“違法”コピーに走るコンピューターの可能性と限界

5.しかしネティズン・パワーの発揮も始まった:ギークのアセンションに続いて。

 ジョン・カーツの驚き:いたるところで台頭し始めたギークたち。彼らなしには情報社会はなりたたない。彼らの力の認知とその社会的地位の向上。

 シャピロの発見:コントロール革命のもたらしたもの:生活の基本的な諸側面:会話や学習の仕方、仕事・遊び・買い物の仕方、政治や社会生活への参加の仕方:反体制派は検閲されずに自分のメッセージが流せる。音楽家はレコード会社をバイパスしてファンのためにウェブに自作の歌をのせてダウンロードできるようにする。デイトレーダーは株式市場を混乱させる。

 ハモンド、ラッシュの驚きと期待:電子メールや携帯電話やインターネットのチャット・ルームを使って、かくも多くの人々が地球的な規模で易々と交信し、情報を交換し、相互作用するようになったのは、人類史上初めてのことだ。この新たな過程は、経済的グローバリゼーションの行きすぎを矯正しうるのではないか。一種の市民応託行動(civil accountability)を生み出して、多国籍企業の力を新しい形で抑制してバランスを取ったり、社会的諸価値を表明して強制したりするための新しい方式をもたらせるのではないか。要するに、新しい形のガバナンス(civil governance)を生み出せるのではないか?

6.オープン・ソースの力も発揮されだした

「著作権を持つソフトウェアを扱う企業は、ソフト開発における戦況が突然不利になっていることに気づくだろう。つまり、企業専属開発者という少数の傭兵軍が、インターネットで武装した革命派の大軍と戦っているようなものなのだ」 (フォレスター・リサーチ社のレポート)

8.ネティズンを支える新思想:デジタル・ディバイドの中での反省に立脚。競争や闘争よりも協働を重視するもの

1.アンドリュー・シャピロのコントロール革命論

 情報・経験・資源のコントロール力が政府や企業やメディアの手から個人に移った。今や各人はどんなニュースを見たり、娯楽を愉しんだり、誰と付き合ったりするかを自分で決められる。新しい仕方で生活費が稼げる。新たな政治力までもてるようになった。かくして個人の成長と社会の進歩へのポテンシャルは無限のように見える。

だがそれは不安定で、必ずしも予想された結果はもたらしてくれない。民主主義化が必ずしも進むとは限らない。既存の勢力からの抵抗もある。個人化(personalization)が既存のコミュニティにおよぼす破壊的な作用もある。自分で自分がどんな情報を取り入れるかが選べるようになると、自分の興味のあるものしか選ばなくなる。それは情報の洪水に対処するには有効な方法かもしれないが、その行き過ぎは問題だ。とりわけ地域のコミュニティの力や結合力を掘り崩す危険がある。コミュニティが提供してくれる経験の共有こそ、相互理解や共感や社会的な結びつきの基盤となるのだ。コミュニティを掘り崩すものとしてのマスメディアへの批判は多いが、少なくともそれはある共通な経験をもたらしてくれた。オンラインの経験には、この結合力が欠けている。どんどんより狭い分派に分かれていきがちなのだ。他人を攻撃しても安全だし、攻撃されるとさっさと逃げ出すことも容易にできる。実際の物理的なコミュニティだとそうはいかない。物理的なコミュニティを築いていくのは時間のかかるめんどうな仕事だ。それなら遠く離れた人々との間に流動的で弱いバーチャル・コミュニティの結びつきに頼る方が楽だと人が思うようになると、近くに住む人々との間の永続的で強い結びつきが犠牲にされてしまうのだ。

対応策:ではどうすればいいか。ネオラダイツのいうように、昔に戻るわけには行かない。ディジタル世界での個人的な欲求と共同的な責務との間の調和をはかるためには、よりバランスの取れた現実的な対応が必要だ。一方ではオンラインの冒険やバーチャル・コミュニティに参加することの楽しさを率直に認める必要がある。他方ではその種の結合が永続性をもつとか、われわれの心のもっとも奥深い欲求を満たしてくれる力をもっているといった幻想を抱かないことが必要だ。利己的および社会的な両面の理由から、ローカルなところに焦点を合わせることの重要性を認めよう。理想的とはいえないにしても、真の帰属感をもち、経験を共有しコミットメント感を生み出せるところは、そこしかないのだ。民主主義と社会正義が第一に達成されるべき場所もそこなのだ。まずは自分の住まいをきちんとすることだ。それゆえ、ザ・ネットは、折節の逃避のためだけにではなく、オンラインもオフラインも含めたローカルな責務をより高度にはたすための手段とならなければならない。

「インターネットの目標は、われわれの知っている世界を複製することではなく改善することだ」

[以下は公文の解説:これからの社会では、これまでの現実世界に見られた「自他分節」の境界は、なくなりはしないが、部分的に溶解する。「公私」の二元的な世界に対して「共」の第三次元が追加される。そこが知己と信頼、情報・知識の通有、説得と協働、の空間となる。「間人」の側面が優越する空間、つまり真のコミュニティ空間となる。そこでは「共権」としての情報権の原理が支配する。財やサービスは互酬の関係をプラットフォームとして、その上に交換の世界が乗る形になる。しかし、まさにそのために、「コミュニティ内商品=エコモディティ」の範囲は、通常の共同体間、個人間関係としての商品取引に包摂されるものよりは、はるかに広く、深くなりうる。]

2.テクノリアリスト、デービッド・シェンクのデータ・スモッグ13の法則論

情報スモッグの法則(1998)

1.かってはキャビアのようにありがたがられた情報も、情報過多の現代にあっては、ありふれたジャガイモのように取りあつかわれている。     .

2.シリコンチップの電子回路は、人間の遺伝子よりはるかに速く進化する。

3.コンピュータは人間でもないし、人間的でもない。

4.教室という教室にコンピユータを設置するのは、家庭という家庭に発電所を設置するようなものだ。

5.情報業界が売っているのは情報技術ではなく、情報不安心理である。

6.多すぎる専門家は明快さをそこねる。

7.すべての刺激的な道はタイムズ・スクェアに通ず。

8.ヴアーチャルな世界でも、類は類を呼ぶ。

9.議事進行を高速化する「エレクトリック・タウンホール」は、悪い政策決定をもたらす。

10.信用情報機関があなたをひそかに見張っている。

11.すべての問題を解決できるという話には要注意。

12.情報ハイウェイでは、多くの路線でジャーナリストが迂回される。

13.サイパースペースは自由論者を生みだす。

「われわれは、これまでになく多くの情報をこれまでにないスピードで広く流通させているが、この現象は、コンピュータやインターネットが非常な発展を見たここ数年のあいだに急に始まったものではなく、ここ何十年かずっと進行してきたものである。今、人類はすばらしい時代を体験している。

しかし、われわれは喜んでばかりいられない。いいものはたくさん持つことはできないという決まり文句に反し、情報はいくらでも持つことができるが、ある閾値を境に手持ちの情報を増やすメリットは減衰し、われわれは情報過多が原因のストレスに悩んだり、情報的に混乱したり、かえって物事が理解できなくなったりする。情報過多は、われわれの考えるカを弱めかねない。消費者としての立場を弱めかねない。社会のライフスタイルを細分化しかねない。こういった弊害は意図されたものではないが、現在進行中の情報革命を本当にすばらしいものとするためには、われわれは最大限の努力を払い、それらを是正しなければならない。

われわれは、これまでにもさまざまな過剰問題に直面してきた。そして今度は、情報技術の進展によって、情報スモッグという暗雲がわれわれの情報生態系にたれこめている。われわれはその有害な側面を認識し、適切な対策を考えださなければならない。本書はまさにそのために書かれている。情報を持つことは理解することではない。本書は、この違いを明確にし、情報過多を実感していない人たちでも実は情報過多の犠牲者であることを示す目的で書かれている。その意味で、本書は、テクノロジーを賛える技術理想論の観点から書かれたものではない。技術破壊を目指すネオ・ラッダイト主義の観点から書かれたものでもない。本書は、情報テクノロジーのすばらしさを認めたうえで、それが生み出す予期せぬ弊害を公正な観点で論じ、解決策を見い出そうとするテクノリアリズムの立場から書かれている。」

NB:1950年代に始まった情報化の予言者は、バンネバー・ブッシュ、H. G. ウェルズ、ティヤール・ド・シャルダンなど。そして情報化が始まるや否や、われわれは情報過多時代に突入した。

テクノ理想論の典型:1980年のニューズウィーク記事

「産業革命が人類の手足の力を劇的に強化したのと同様、コンピューター革命は人類の脳力を強化するであろう。われわれが国家をかたちづくり、娯楽や旅行を楽しみ、さらにはいろいろ思考する方法までも画期的に変えてしまうような頭脳革命が現在進行している」

しかし、始まったのは“データ戦争”(マイケル・キンズリー)事実は操作しねつ造される。

ニッチ・マーケティング(1976年にジョナサン・ロビンが、画期的データベースPRIZMを開発)。地理情報学的選挙手法(1978年、マット・リースがPRIZMの選挙用独占利用権を獲得)、超効率的非同期資本主義(ビル・ゲイツの考えたビデオ・オン・ディマンドと留守番電話の世界)へ。人々の生活の分断化。

彼は、情報社会の全面否定ではなく、情報の賢明な利用を説く

3.ハワード・ラインゴールドの「新相互行為主義宣言」

(The New Interactivism: A Manifesto for the Information Age)

 新パワーの出現への理解:「インターネットが可能にしたメディアに限らず、あらゆるコミュニケーション・メディアは本来的に政治的なものだ」

性急なサイバーコミュニティ論への反省=智場と智民の本来的なあり方の自覚:「市民の関与のもっとも歴然たる表明が戦争や選挙であるとはいえ、われわれはほとんどの場合、自発的・非公式に形成される暗黙の合意や諸関係あるいはコミュニケーションの、網の中で暮らしている。アメリカの市民社会は、さまざまな自発的な組織によって、とりわけ、社交クラブから慈善団体、さらには教育や政治のロビイング・グループにいたる、さまざまな親近性をもとに作られた驚くほど多様な組織によって、織りなされている。」

性急なビジネス利用への反省=前期智場としての“公共圏”とその中での交流と協働への注目:「人々が争点をめぐって議論しあい、行動のために結束し、問題を解決しようとする時、彼らはハバーマスが“公共圏”と呼んだある重要な領域における市民として行動しているのだ。[中略]“公共圏”とは、なによりも、そこで世論が形成されるようなわれわれの一生活領域を意味する。公共圏へのアクセスは原則としてあらゆる市民に対して開かれている。私人たちが寄り集まって公衆となるあらゆる会話の中で、公共圏の一部が形作られていく。その時彼らは、みずからの私的な業務を営むビジネスマンあるいは職業人として振る舞っているのでもなければ、国の官僚機構による法的規制に服したり命令への服従義務を負ったりしている法的結合体として振る舞っているのでもない。市民たちは、強制されることなしに一般的な関心事にかかわっている時には、すなわち、自由に集まって連体し、自分たちの見解を自由に表現し公開してよいという保証のもとにある時には、公衆として振る舞っているのである。」

前期智業の発見=トクビルの“結社”への注目:「結社とは単に、複数の人々が一定の信条に対して与える公的な同意の中に、また、それらの信条の普及を一定の方法で促進するために結ぶ契約の中に、存在する。このような形で結社を作る権利は、出版(press)の自由とほとんど重なるものだが、こうして形成される様々な社団(societies)は、報道機関(press)よりも高い権威をもつ。ある一つの意見が一つの社団によって代表されるとき、その意見は必然的により精確で明示的な形をとる。それは、その支持者を結集し、彼らをその大義の実現にかかわらしめる。そうする一方で彼らは互いに知り合いになり、その熱意は仲間の数と共に増大していく。結社は、異なる考え方の持ち主たちの行う努力を一つの方向に団結させ、結社が明確に指し示す単一の目標に向かって活発に活動するよう彼らを駆り立てる」

4.ジャロン・レニエの反サイバー全体主義半宣言(One Half of a Manifesto)

過去二十年、情報革命のまっただ中にいながら、その華麗なドグマの外にいた筆者が、情報革命が経済の乗っ取りを通じて社会の主流を捉えて従属させた今、異端の声をより声高にあげようとしたのが、この宣言だ。

それは、過去のいかなるイデオロギーや宗教や政治システムよりもより強力に人間の経験を転換させる力をもつ、彼のいわゆるCybernetic Totalismに対する、反対論だ。

サイバー全体主義の教義:コンピューターが生命と物的世界双方の超インテリジェントな主人となる近未来に生起する終末論的大変動への驚くべき信仰

1.情報のサイバネティックなパターンは、現実を理解するための究極かつ最善の方法を与えてくれる

2.人間はサイバネティックナパターン以上のものではない

3.主観的経験なるものは、一種の周辺的な効果にすぎないために、実在しないか重要性をもたない

4.ダーウィンが生物学ないしは何かその種のものの中で述べたのは、実は、あらゆる創造性と文化についての、非凡で優れた記述である

5.情報システムの量的および質的な諸側面は、ムーアの法則によって加速される

6.生物学と物理学はコンピューター科学と融合して(バイオ技術やナノ技術となり)生命と物理的宇宙を共に活性化させ、コンピューター・ソフトウエアがもっていると考えられている性質をそれらに与える。しかも、それらのことすべてが、極めて速みやかに起こる。コンピューターは非常に急激に改善されているので、人間のようなその他全てのサイバネティックな過程はコンピューターによって圧倒され、この地球の身近なところで起こる事柄の性質を根本的に変えてしまう。それが、起こるのは、新たな“臨界”に到達するとき、恐らく2020年ごろであろう。それ以後には、人間であることはもはや不可能になるか、われわれがいま知っていることとは非常に違ったことになるだろう。(『ゲデル・エッシャー・バッハ』や『霊的機械の時代』を見よ。)

この思想の系譜:Richard Dawkins, Daniel Dennettから、Raymond Kurtzweil, Moravec, Drexlerへ。

これらのサイバー・アルマゲドニストの決定的な過ちは、理念上のコンピューターと現実のそれとを混同してしまったところにある。現実のコンピューター、とりわけソフトウエアは、どうにも信用ならないものに過ぎない。

NB:私(レニエ)が自分の宣言を“半宣言”と呼んでいる理由は、それがコンピューターやデジタル技術の全否定論ではないためだ。私はいま、以前にも増してコンピューター科学の世界で働くことを喜んでいて、デジタルなツールの設計にさいしてより人間的な枠組みを取り入れることはむしろ容易だと思っているからだ。美しくまたグローバルなコンピューター文化の開花は、すでに始まっている。それは技術エリートの活動とはほとんど独立に発生し、私がここで攻撃している考えをそれとなく拒否している。いずれはその側面をも取り入れた完全な宣言を書きたいものだ。

5.ベルナール・リェターの新通貨構想:『マネー崩壊 新しいコミュニティ通貨の誕生』。世界通貨と地方通貨の相互補完論。

「私たちは、心の中にある「協働」と「競争」への欲求を見事に調和し、みんなが豊かになれる社会をつくりだす可能性を持っている。それは、「持続可能な豊かさ(sustaiable abundance)を実現するということである。これが単なる机上の空論ではないことは、米国における株価の異常な乱高下や、すでに三大陸でおきた金融システムの破綻といった、予断を許さない変化と不安定のさなかで、「お金」を根底から変革するものが静かではあるが確かに進行していることからわかる。この本で「補完通貨」と呼んでいるもの(コンプリメンタリー通貨)がそれである。国家が発行する通貨とはまた別に、世界で一九〇〇を越えるコミュニティが独自に通貨を発行しはじめている。この本では、それがいかに雇用、温もりのある共同体、地球の存続性を促進しているかを明らかにしよう。

これまで国家によって管理されてきた通貨を補完し、サポートしながらわれわれを長年悩ませた問題群を解決していくこの新しいタイプの通貨は、これまでより“女性的な”価値観といわれてきたものを促進する。競争が激しくなる一方の社会で、もっと人々が協力して温もりのある共同体をつくつたり、自然と共生関係を築いたりというように、「他人と協力して何かにとりくみたい」というわれわれの内なる思いが、未来を創造していくうえで大切であることを男性も女性も気づいている。これまでの経済では、「競争が最も大切だ」という価値観があまりにも強く支配してきた。今後、「協働も大切なのだ」という新しい価値観が社会的立場を得て、競争一辺倒へと傾っていた世界のバランスを回復していくために補完通貨は重要な鍵となる。補完通貨のもとでは、これまでの通貨では起こりようがなかった取引や人間の関わり合いが可能になり、経済と社会の新しい富が生まれてゆく。こうして、新しい経済が誕生する。私たちは、この新しい未来の一部を担って、豊かさ[が]持続する世界を生み出して行くことができるはずだ。」