1991年3月4日
公文俊平
一九八八年の暮れから一年半ばかり、シアトルのワシントン大学に二度目の滞在をする機会があった。最初の半年は客員教授として、「日本の社会」や「日本のビジネス」などの授業と、「ネットワーク社会論」の演習を持った。その後の一年は、研究教授として情報社会の研究に励む一方、ハーバード大学のロソフスキー教授といっしょに、日本の政治経済をテーマとした日米共同研究の最後の巻 (文化と社会を扱った巻)の編集に取り組んだ。共同編集となると、電話やFAXだけでは充分な詰めはできないために、時々顔を合わせる必要があったが、同じ国の中にいると、そういう時には何かにつけて便利だなあとあらためて思った。
一九八九年の秋から翌年の初めにかけてのソ連圏の劇的な変容は、ソ連研究からはとっくに足を洗っていた私にとっても、驚天動地といいたくなるような事件だった。このころシアトルに見えたロソフスキー教授が、自分がこれまでソ連圏を理解するためにもっていた枠組みが、なんだか全部崩れてしまったような気がするよ、としみじみ言っておられたのが、今でも鮮明に記憶に残っている。
しかし、それはそれとして、米ソ関係の急激な親密化自体は、さらにそれ以前から起こっていた。八九年の五月に開かれた国際的な電子ネットワーカーの大会で、「グローバル・ダイアローグ」の要として、ソ連圏とのネットワーキングを支援・推進しようという提案が圧倒的な支持を受けたことを昨日のように思い出す。また、九〇年の五月に開かれたある米ソシンポジウムでは、ソ連側の参加者がほとんど卑屈なといいたいほどの敬意と親愛の念を、アメリカ側に対して披瀝していたのが、はなはだ印象的であった。そして、その一人は、何と次のような趣旨の発言をした。「ソ連が冷戦に敗れたのは事実だが、それがアメリカの勝利を意味するわけではない。アメリカもまた敗れたのではないか。しかしわれわれはそれで良かったと思う。考えても見よ。第二次世界大戦の敗戦国が、今日どんな境遇にあるのかを。」
概していえば、そうした動きが同時に、「日本脅威論」の台頭とそのまま連動してきたのは、憂鬱なことではあるが、否定できない事実だった。シアトルのような、アメリカの他の地域に比べて相対的に良好な対日イメージが持たれているといわれる都市でさえ、地元の新聞には、ほとんど系統的といいたくなるくらい、日本を批判する記事や論説がひんぱんに掲載・転載され始めたのである。日本からの留学生の一人は、授業での日本批判があまりに激しいので、身の置場がない思いがすると語っていた。
しかし、少なくとも私の日本社会論やネットワーク社会論の授業に出てきた学生たちは、日本に対してかなり違った見方をしていた。彼等の多くは、すでに日本に旅行した経験を持ち、将来は日本で働きたい、あるいは日本とビジネスをしたいという気持ちをもっているために、日本のことをさらによく学びたいと考えていた。日本は単なる経済大国であるばかりか、技術面での、とりわけ情報化の面での、ことによるとアメリカ以上の先進国だ、と考えていた。彼等は、日本が生み出している、生産や流通の、あるいはR&Dの「新しいパラダイム」に、またそれを支えていると思われる日本の伝統的な文化や社会の特質に、強い関心を寄せていた。そして、私の次のような主張に、素直に共感してくれた。 「日本とアメリカはいってみれば同じ近代文明に属する二つの異なる発展肢のようなもので、お互いに学ぶべき多くのものをもっている。なるほど、日本は "追いつき型の近代化過程" では、欧米のさまざまな文明要素の移植を試み、それを自分流に咀嚼し変形させていった。アメリカ原産のQCが日本に入るとTQCとして発展していったのは、その典型的な例だ。その限りでは、日本は最初全面的な欧米化を試みた後で、しだいに独自のものを生み出していったのだから、相互の相違はかえって大きくなっていったとも言える。しかし、その過程が一段落すると、今度はいわば対等な立場に立って、お互いに相手の長所を学習し摂取しようとする試みが、あらためて始まるのではないか。そして、今度こそ近代文明の二つの異なる発展肢の間の「収束」が起こっていくのではないか。そしてそこに、近代文明よりもさらに高度の普遍妥当性と存続力とを持つ新しい文明への展望が開けてくるのではないか。」
アメリカ滞在中に、このような趣旨の話を、ボストンとフェイエットビル (アーカンソー州)とサンフランシスコでする機会があり、多くの励ましと賛同の言葉を頂戴して、意を強くした。とくに、アメリカの西海岸で、情報産業に関係したりネットワーキングに取り組んだりしている人々の価値観や行動様式に接すると、「新しいアメリカ」の誕生の息吹きに触れる思いがして興奮させられた。彼等が今熱中している新しい技術、とりわけ、コンピューターの支援によって相互理解や協働作業を効果的に推進していくための技法の集まりとしてのいわゆる「ハイパーメディア」や「グループウエア」の技術、あるいは、人間の思念を、人間の感覚器官にとっては「現実」と区別できないくらいに、いや現実以上に現実的な形にまで具体化してみせるいわゆる「バーチャル・リアリティ」などの技術の開発は、自然と人間の共生を可能にする新しい文明を築き挙げるための突破口になるかもしれないと思った。
しかし、同時に、それとは正反対の経験も何度かした。とくに、日本研究の専門家の一部に、「アメリカが日本から学ぶことがあるとは、何というおこがましい言いぐさだ」とか「日本とアメリカに共に妥当するような一般的な社会理論の枠組みが存在するなどという主張は、根拠のないイデオロギーにすぎない」といった見方が強くなっているらしいことを知って、強いショックを受けた。どうやら、アメリカ人の日本観あるいはアジア観は、大きく二つに分かれつつあるようだ。もっとも、日本の欧米観も似たような意味で大きく二つに分かれつつあるようなので、お互い様ということかもしれない。
ともあれ、そんな経験をする中で、私は、冷戦後の世界の主要な社会問題は、今や「新東西問題」と、「新南北問題」に集約されつつある、という展望を持つようになった。前者は、いうまでもなく、古い東、つまり「近代文明の共産主義型発展肢」、が挫折した後に台頭してきている「新しい東」、つまり日本、NIES、ASEAN等をメンバーとする「近代文明の東アジア型発展肢」と、「新しい西」、つまりこれまでの欧米諸国に東欧やソ連 (の一部?)を加えたものとの間の競合と協調の中に発生するさまざまな問題である。後者は、「新しい南」、つまり、自力での近代化の展望も、その強力な支援者も共に失って、むしろ近代以前の文明の原理に立ち戻ろうとしている諸地域と、「新しい北」、つまり、これまでの近代国家や産業社会の運営のノウハウに加えて、さらに強力な情報化技術の革新の波に乗ろうとしている諸地域との間の競合と協調の中に発生するさまざまな問題である。これから二一世紀にかけての世界は、この二つの問題が交錯する場となりそうである。