1991年3月25日
公文俊平
はじめに
この一、二年の間の国際情勢の変化の急激さは、めまぐるしいとしか言いようがない。つい数年前までの未来予測のほとんどすべては、かりにソ連圏が深刻な経済困難に直面していようと、来世紀の初頭になっても米ソ両超大国の対峙という国際政治の基本的な枠組みは維持され続けていることを、大前提としていた。ところが、変化常ならぬ世界の中では、最も確実なものと見えたこの枠組み自体が、ほんの一年そこそこの間に、それこそ音を立てて崩壊してしまった。西独による東独の吸収の形を取って達成されたドイツの統一も、唐突といいたくなるほどの急速さで進んだ。しかし、事態のそうした急変を前にして、「歴史の終焉」や「平和の配当」論議がかまびすしく起こったわりには、冷戦の終焉が平和の訪れをただちに意味するものではなく、社会主義の崩壊が自由と民主主義への移行や経済運営の正常化をただちにもたらすものでもないという厳しい現実に、人々はやがて直面せざるをえなかった。そして今、クエートの暴力的併合というフセインの野望が、米国を中心とする多国籍軍の実力行使によって阻止された後、「新国際秩序」がどのような形で形成され維持されていくかという問題が、あらためて世界の耳目を集めている。
しかし、冷戦体制に代わる新たな国際秩序が、今あらためてその基礎から組み上げられようとしているわけではない。それどころか、「新国際秩序」の形成過程と呼ぶことができるような世界の政治経済の構造変化は、現実にも、またそれを観察している人々のイメージの中でも、この数年の間にすでに着実に進行していたのである。実は、一見硬直的で安定的であるように思われていた東西冷戦体制そのものが、とりわけその中での社会主義圏や第三世界の位置づけが、かなり急速に変化し続けていて、その中から、ある新たな国際秩序が、いわば自然発生的に生まれ出ようとしていたのであった。「冷戦体制」の急激な崩壊は、その一つの帰結にすぎなかったのである。
以下本稿では、冷戦体制の下での国際社会の構造変化を手短に振り返るところから始めて、それに取って代わろうとしている新たな国際秩序の枠組みとその主要な問題点の素描を試みてみたい。
一、冷戦体制の下での国際社会の構造変化
1)両体制並立論。一九五〇年代の初頭までに成立した東西冷戦体制のイデオロギー的基盤は、資本主義および社会主義という二つの政治経済体制が、それぞれ固有の長所と短所をもちながら、理論的にも現実的にも、共に存続と発展が可能な体制だとするイメージにあった。このようなイメージは、一九三〇年代の一連の理論的な論争(計画経済論争)や、計画経済の運営あるいは第二次世界大戦への参加といった実際上の経験の中から、しだいに生まれてきた。マルクス主義の唯物史観をその典型とする戦前の左翼の社会主義イメージは、社会主義を、一本の直線に沿って進む必然的な社会発展段階の連鎖において、資本主義に続く、資本主義を超えた体制として描き出すものであった。これに対し、資本主義の側では、社会主義を、政治経済的にも軍事的にも安定的な存続・発展が不可能な、一時的な試みにすぎないとみなしがちであった。
しかし、第二次大戦を経て、米ソがそれぞれ超大国として勝ち残ったという現実を前にしては、どちらの陣営も、互いに相手を充分な存続力や破壊力を備えた存在として認知し、対決しつつ共存するという姿勢を取らざるをえなかったのである。他方、両陣営のいずれにも属していない諸国は、いずれはどちらかの体制を選択するようになる潜在的な同盟者ないし敵対者とみなされて、米ソそれぞれが、その好意と支援を獲得しようとして競争することになった。
2)近代化論。第三次世界大戦を不可避と考えていたスターリンの死後、「平和共存路線」がその後継者のフルシチョフによって打ち出されるなかで、東西両体制の対立イメージには実質的な変化が起こった。すなわち、資本主義も社会主義も、「近代化・産業化」という共通の社会進化目標を達成するための可択的な制度・政策にすぎないと考えられるようになった。とりわけ社会主義は、資本主義の下で生じた自生的な近代化・産業化過程をより短期間に実現するために後発国が採用する、意図的・合理的な発展戦略だと考えられた。また、合理的な最適戦略は恐らく一つしかない以上、近代化が進展すれば、両体制の間の差異は次第に減少し、両体制は一つの体制へと「収束」していくという期待も生まれた。これが、一九六〇年代に、北欧の民主社会主義の理論家たちを代表として唱えられるようになった「近代化論」あるいは「収束理論」である。
この立場からすれば、まだ近代化・産業化への「離陸」を達成しえていない「南」の諸国といえども、それが不可能だという原理的な理由はどこにもないことになる。必要なのは、すでに近代化・産業化を達成した、あるいはしつつある「北」の諸国からの適切な支援と、なんとしてでも発展をなしとげようという「南」自身の強烈な意欲だけである。こうして、世界の政治・経済問題は原理的にはすでに解決され、後には「南北問題」という実際的な問題の解決だけが残されているにすぎないことになった。
3)従属理論。しかし、一九六〇年代の後半から七〇年代にかけての現実は、このような楽観論に冷水を浴びせた。第一に、南の諸国の「離陸」はいっこうに実現せず、むしろ南北格差は拡大する一方であった。第二に、北の諸国では、資本主義圏での社会的混乱 (その典型が六〇年代の終りに西の世界で同時多発した「学園紛争」や「対抗文化」現象であった)と、社会主義圏での経済的混乱 (経済成長の急激な減速と、それに対処しようとした制度改革の試みの失敗)とが起こり、人類の発展のモデルとしての近代文明の魅力が損なわれてしまった。第三に、地球の環境や資源の制約は、人口増加や経済発展にとっての究極的な「成長の限界」をなすという見方が、急速に広く受け入れられるようになった。 ここに台頭したのが、南の停滞を新たな視点から説明しようとするいわゆる「従属理論」ないし「資本主義世界システム論」であった。この理論によれば、「資本主義」は、一個の全体=世界システムとして、すでに「南」の地域をもその中に組み込んでいる。「南」は、世界資本主義の「中心」をなす西の世界の「周辺」として、中心に従属し、これに搾取され続ける運命にあり、この資本主義世界システムそのものの世界革命による転覆−−それはまだまだ遠い未来にしか起こりえないが−−なしに、発展は不可能であるとされた。また、いわゆる「社会主義」とは、この世界システムの周辺に位置していた一部の地域が、何とか中心に近づこうとして採用した発展戦略であって、本質的には「資本主義」的なものにとどまっているとされた。
4)修正主義。だが、このような悲観論もまた、一九七〇年代の後半から一九八〇年代の前半にかけての現実によって、裏切られてしまった。すなわち、この期間には、少なくともかつては「南」に属するとされていた地域の一部に、過去の日本の高度経済成長をも上回る急速で持続的な経済成長が実現されたのである。いわゆる、「NICS」とか「NIES」と呼ばれる地域がそれであった。さらに近年では、ASEAN諸国やその周辺地域にも「雁行的経済発展」の波が押し寄せている。こうして、「南」の世界には明らかな二極分化が進行しつつある。 他方、「北」の諸国の、とりわけ後発産業国の間にも、二極分化の傾向がますます顕著になった。すなわち、社会主義陣営に属するこれまでの「東」の諸国は、耐久消費財部門での産業化に挫折したばかりか、今日の産業社会に到来しつつある「情報化」と呼ばれる技術革新と社会変化の大波に決定的に乗り遅れてしまったために、いまや「北」というよりはむしろ「南」の一員とみなさざるをえないような状態にまで転落してしまった。これに対し、第二次世界大戦の敗戦国となった西欧のドイツとイタリア、および極東の日本は、資本主義的な経済発展戦略を採用して、急速な復興に成功したばかりか、「情報化」の面でもトップランナーのグループに入ることに成功している。とりわけ日本は、高度成長を実現した、あるいは開始しつつある周辺諸国との間に、良循環を実現してくれる経済的な相互補完関係を打ち立てることによって、この地域全体として、さらに大きな経済発展のポテンシャルを生み出している。
二、新東西問題と新南北問題
このような観点からすれば、一九八〇年代の後半に生じた国際社会秩序の大変動は、冷戦体制の枠組みの奥で発生し進展していた一連の構造変化の、究極の帰結とみなすことができそうだ。それでは、こうした一連の変化とその帰結の意味するところのものはなんであろうか。それを次に考えてみよう。
第一に、どうやら「社会主義」は、それ自身としては、「近代産業文明」の一員に属する後発国が急速な近代化・産業化を実現しようとして採用した発展戦略ではなかったのかもしれない。むしろそれは、「近代産業文明」とは異なる文明−−恐らくはロシヤ帝国や中華帝国の伝統を受け継いでいる「古典古代文明」−−に属する地域が、近代文明の成果を取り入れようとして採用したそれ自身は非近代的な戦略 (全体主義的戦略)であり、そういうものとしては失敗が運命づけられていたのではないだろうか。そうだとすれば、これらの諸国が社会主義戦略の失敗によって、それらが本来属していた「南」の一員に戻ることは事実上不可避だと言わざるをえないだろう。そればかりではない。近代化・産業化への離陸に成功した極東の一部の地域を別にすれば、今日の「南」の地域には、その意味での離陸の展望は、おしなべて無くなってしまったのではないだろうか。少なくとも「北」の世界には、そのような失望感が強まって来ているように思われる。それは同時に、「南」の離陸にとって恐らくは必要とされる無限といいたいほどの巨額の援助の提供能力に対する、自信の喪失でもある。同時に、「南」の諸国もまた、自分自身での近代化・産業化を実現しようとする意欲を−−贈与や購入によって、その運用まで「北」に依存する近代兵器や近代的工業プラントあるいは都市施設等を、手っとり早く入手しようとする意欲まではともかく−−失ってしまったのではないだろうか。
つまり、近代文明の原理は、世界全体を「野蛮」や「貧困」から救うだけの普遍妥当性を持ちえなかったのである。近代文明の恵沢を世界に均霑させようとした「北」の努力は、こと志に反して、地球的な規模での人口問題や環境問題を新たに生み出してしまう結果に終わったのである。だとすれば、そこに生じている地球的な状況は、生物学者ガレット・ハーディンが、すでに一九七〇年代の初頭に指摘していた「救命艇状況」に他ならなくなっている。いいかえれば、近代文明の原理に立脚する限り、全員の協力・協調によって全員を救うことはもはや不可能で、せめて、相互の競争による「適者生存」をはかる他なくなっている。あるいは、ことによるとそれすら不可能で、協調しようが競争しようが、全員の滅亡は不可避という「共倒れ」状況に近づいているのかもしれない。(しかし、そのことは、「前近代」文明になら世界を救う能力があることを、直ちに意味するものではない。)
そうだとすれば、「北」の諸国としては、今後は、近代文明の恵沢を全世界におよぼすよりは、ある限られた領域の内部だけでそれを享受していこうとする戦略に転換せざるをえなくなるだろう。他方、「南」の諸国はそれに対抗して、近代文明のそれとは異なる原理 (たとえば「アラブ原理主義」のような、古典古代文明の復興)によって生き延びることを、めざす他なくなるのではないだろうか。その場合の「南北問題」の性格は、一九六〇年代のそれとは、非常に違ったもの、協調的というよりは対決的な性格の強いもの、にならざるをえない。そういうわけで、私は、今日の南北問題に対しては「新南北問題」という名称を与えて、過去のそれと区別しておきたいと思う。
第二に、旧い東西対立−−その一部は解消されたのではなくて、「新南北問題」に吸収されてしまったのだが−−に代わる、新しい東西対立が、発生しかねない状況が現れている。たとえば、最近のアメリカの世論調査では、ソ連への脅威感が減少し好意が増大するのと表裏の関係で、日本を脅威とみなし、不信感を強める傾向が顕著になりつつある。この傾向は、今回の湾岸戦争で日本が取った煮え切らない態度や、ウルグァイ・ラウンドで日本が取っている硬直した防衛的な態度によってさらに強まりこそすれ、近い将来に改善されるとは考えにくい。また、貿易や技術革新の面で日本があげためざましい成果は、アメリカ経済の国際競争力の低下と相俟って、「日本異質論」を台頭させる契機となっている。日本は、欧米とは異なる文化および文明を持ち、恐らくはそれに根ざした欧米とは異なる制度や政策を一貫して採用し続けている国であって、そのおかげで、自由で開かれた世界経済秩序の中では日本だけが一方的に有利な成果を享受することができているというのである。日本のこうした特性は容易には変化させられない。したがって、日本と付き合っていくためには、日本だけに特別なルールを適用し、厳しいハンディを付ける以外にない。規則違反を厳しく監視し、罰していかなければならない、というのがこの立場を取る論者の結論である。最近では、このような見方は、日本だけでなく、日本の周辺にあって急速な経済発展を実現している極東の諸国−−「儒教文明圏」あるいは「漢字文化圏」ないしは「開発資本主義国」などと呼ばれているが−−に対しても、等しく適用される傾向を示している。
確かに「文化的」には−−つまり基本的なものの見方、考え方、あるいは行動洋式の面では−−これらの新しい「東」の地域は、「西」の地域と大きく異なったものをもっている。しかし、これらの地域は同時に、「近代文明」の信念体系に含まれる多くの要素を、西の地域と通有している。すなわち、未来に向かっての発展の可能性を信じ、技術革新を奨励し、分業や競争の有用性を理解している。そして、「近代文明」のいっそうの発展のために、貢献しうる多くのものをもっている。その意味では、両者は、共に近代文明に属する別々の「発展肢」だとみなすことができる。つまり、現在出現し始めている「新東西問題」は、異なる体制の間の、あるいは異なる文明の間の、新たな「対立」にいかに対処し対決すべきかという問題ではなくて、両者の間に「協力的な競争」や「相互学習・補完」の関係をどのように展開していくべきかという問題でなければならない。とりわけ、ますます対決的な様相を強める可能性の強い「新南北問題」に効果的に対処していく上では、両者の緊密な協力は不可欠である。
二、救命艇状況の下での新国際政治経済秩序
私の判断では、既存の「東西関係」や「南北関係」が、冷戦体制という大きな枠組みの中で次第に変質していく過程で、一つの新しい三極ブロック型の国際政治経済秩序が、自然発生的に生まれつつある。思い切って単純化して比喩的に言えば、それは、難破にひんした「宇宙船地球号」から脱出した三隻の高性能救命艇−−北米艇、ヨーロッパ艇、東アジア艇−−というようなイメージによって、把握することができるだろう。
それぞれの救命艇には、「艇長」の役割を果たす中心国(アメリカ、ECあるいはドイツ、日本)と、その周辺の地域が含まれていて、それらが新たな「ブロック」を構成しようとしている。北米艇の場合でいえば、ブロックに属するのは、「自由貿易協定」によって結ばれたカナダとメキシコ、それに中東および中南米の一部ということになるだろうか。ヨーロッパ艇のそれには、東欧の他に、ソ連、近東、アフリカの一部が含まれていそうだ。東アジア艇のそれは、NIESとASEAN、それから大洋州、さらにそれに加えて、インドシナ、中国の一部、ソ連極東地方の一部、といったところだろうか。恐らく、乗員の最終的な選別はまだ完了していないと思われるが、それぞれの艇で、乗員として選び取られたのは、文化的・歴史的な理由で親近性が強い地域であって、しかも政治的・経済的な重要性ないし有用性をもっている地域に限られている。現在の「国際新秩序」建設の動きは、この三隻の救命艇の乗員の選別ないし再選別や、救命艇間の相互関係や対外関係の設定の試みとして理解してみることができそうだ。
この世界の新たな「ブロック化」は、次の二つの点で、一九三〇年代のそれとは本質的に異なっている。
第一に、三隻の救命艇相互間の関係、とりわけそれらの中心部の相互関係は、一九三〇年代に見られたような閉鎖的な保護貿易のそれではない。完全な自由貿易とはいえないにしても、ヒト、モノ、情報の流れは相対的に自由である。そこではむしろ、「ボーダレス化」とか、「グローバル化」といわれるような、相互の協調的交流関係が支配的なのである。しかし、いうまでもないが、「ボーダレス化」といい、「グローバル化」といっても、それはあくまでも、世界の中での比較的限定された一部に対してのみ妥当する過程にすぎない。比喩的にいえば、三隻の救命艇は、互いにバラバラに航行しているのではなくて、その中心部においては、そして中心部においてのみ、互いに緊密に連結されているのである。
第二に、今日の世界の中には、この三隻の高性能救命艇に乗り組むことの出来ない、あるいは乗り組ませてもらえない国々(新しい「南」の国々)が多数残されている。そうした国々に対しては、沈没寸前の装備劣悪な救命艇の乗員とか、すでに海に投げ出されて溺れかかっている国々、といった比喩が妥当しそうだ。いずれにせよ、高性能救命艇の側には、これらの国々をすくい上げる意思も能力もない。一九三〇年代の「南」の地域は、産業化の先進国にとっては、稀少な資源の産地や自国の製品の市場と見なされ、獲得あるいは分割の対象となっていた。「持てる国」対「持たざる国」の間の世界の再分割戦争は、こうした地域を抱え込んでおこうとする先発国と、分捕ろうとする後発国との間の生存競争−−それ以外の大義名分がまったくなかったわけではないにせよ−−という性格が強かった。しかし、現在進行中の世界の再分割は、抱えておけば「荷物」になるだけの地域は救命艇から切り離そう、そして救命艇の航海に役立つ地域だけを取り込もうとする試みだと解釈でき、その意味で一九三〇年代の世界の再分割とは決定的に異なっている。
こうした見方が妥当するとすれば、今日形成されつつある新たな世界秩序は、世界的な救命艇状況に対応した秩序である。そこには、第一に、高性能救命艇に搭乗できた地域ないし国々と、搭乗できなかった地域ないし国々との「ボーダーフル」な区分が事実としてある−−その事実がどれだけ明言されているかはともかくとして。第二に、高性能救命艇自体は、一隻ではなくて三隻あるが、それらはその中心部を通じて、「ボーダーレス」に緊密に連結され、相互補完しあっている。第三に、それぞれの救命艇の内部には、一種の階層秩序(中心と周辺、あるいは先発国と後発国といった)が見られる。資本や技術の一方的移転関係や、産業の発展段階に見合った分業関係が展開されている。第四に、三隻の救命艇は、互いにまったく対等な関係にあるのではなくて、少なくとも軍事的には、その中の一隻(北米艇)だけが、卓越した優位をもっている。しかし、北米艇といえども、経済的に自立していくことはできない。あるいは、自らの資源だけに頼って、軍事的なリーダーシップを発揮し続ける(国際的公共財を提供し続ける)ことはできない。とすれば、結局のところ、政治的には、これらの救命艇は、相互協調体制、つまり、それぞれの中心部同士による集団指導体制を取って進む以外にない。
それでは、このような秩序の中にある個々の救命艇としては、みずからの存続、安全保障のためには、どのような点に配慮しなければならないだろうか。
第一に配慮すべきは、救命艇の外部から来る直接的な攪乱要因に的確に対処していくことである。救命艇を乗っ取ったり、強引に乗り込んで来ようとしたり、救命艇の中に貯蔵・生産される資源を奪取したりする試みを許すわけにはいかない。もちろん、「死なばもろとも」といった破壊活動を許すわけにもいかないだろう。そのような侵略あるいは破壊の試みに対しては、三隻の救命艇は一致協力して、そして北米艇の軍事的リーダーシップを尊重しつつ、対処する必要があるだろう。(この意味での「集団的自衛」機能は、良くいわれる「世界の警察」としての機能よりも、遙かに具体的で特別な意味をもっていることに注意しよう。それが、既成の国際連合の枠組みになじむかどうかは、大いに問題があるといわざるをえない。国際連合の役割が新国際秩序の下では失われることはないにしても、その性格は変化する可能性が強い。良くも悪しくも、国際連合は「高性能救命艇連合」ではないのである。)
外部から来る攪乱要因には、もう一つの間接的ともいうべき側面がある。それは、救命艇から閉め出された、あるいは自前の高性能救命艇を建造できなかった地域が、みずからの生存のための絶望的な努力を重ねる結果として、地球の自然環境や社会環境がいっそう悪化し、ついには全体としての「共倒れ」が不可避となる状況が訪れることである(拙著、『転換期の世界』、講談社学術文庫、第四章参照)。そうした危険はどうすれば回避できるだろうか。ある範囲内での支援も一つの方策であろう。あるいは、より積極的な介入が必要とされるかもしれない。ここではとりあえず、それは容易に対処しうる問題ではないが、無視できない重要な問題であることを指摘するだけにとどめておこう。実際、かりに全体としての「南」の世界を救うことは絶望的に困難だとしても、だからといって、「南」のどこか一部に、新たな高性能救命艇が自力で、あるいは「北」からの適切な支援によって、建設される可能性まで絶無だということにはならないだろう。
第二に配慮すべきは、「救命艇連合」それ自体の堅実な運営である。地球的な規模での資源の浪費や環境の汚染の元凶が、救命艇連合自身であっては、どうにもならない。同時に、それぞれの救命艇は、他の救命艇との生存条件のバランスにも留意しなければならない。自分の艇だけが、不釣り合いな豊かさを享受することはできない。また、米国を中心とするその集団指導体制が、内部の不和のために崩壊するようであってもならない。なるほど、「救命艇連合」という政治理念は、甚だ利己主義的な響きがする。しかし、ガレット・ハーディンもいうように、それは、ある種の厳しい環境条件の下では、生命体の生存を保障するほとんど唯一の正しい「倫理」に基づいた理念なのである。少なくとも、実際の行動面ではこの理念に準拠しながら、自分の「良心の疚しさ」(実は無知)を紛らわせるために、口先でだけこの理念を否定してみたり、連合のリーダーを批判していさえすれば免罪符が得られると思いこんだりする態度は、百害あって一利ないものというべきであろう。そんな暇があれば、むしろ「救命艇状況」が生存競争型のものから、それよりも一段と厳しい共倒れ型のものに移行した場合には、どのような国際秩序が必要とされるようになるかを真剣に想像・構想すべきであろう。
第三に、自分が乗り組んでいる救命艇(つまり自分の属している「ブロック」)内部の状態にも、注意を怠ってはならない。とりわけその中心国には、救命艇内部の和と安全を保つ責任がある。「自由・平等・友愛」の理念は、運命共同体としての救命艇内部の政治理念としては、一定の妥当性・有効性をもちうるだろう。同時に、中心国は、救命艇全体の性能を向上させるような技術・知識の開発に努めるなければならない。また、同じ救命艇内の乗員相互の効果的な分業・相互補完関係の開発や維持にも、そのリーダーシップを発揮すべきだろう。さらにいえば、救命艇の乗員の選別も、一度限りで終りということでもないだろう。新たな乗員の乗船を認めたり、既存の乗員の下船を要求したりする可能性は、考慮にいれておいた方がよい。そして、そのさい起こりうべき紛争に対処するための方策についても、準備を怠ってはならないのである。