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1991年6月9日

「文明間対立と文明内対立」

1991年東京会議用ペーパー

公文俊平

「文明」も「文化」も、非常にしばしば用いられることばでありながら、その意味は人によってさまざまである。ここでは、とりあえず、この二つのことばを、生物学での「遺伝子型」と「表現型」との区別に似たような意味で、使いわけることにしよう。  

生物のそれぞれの種に特徴的な形質や行動様式のことは、表現型と呼ばれる。特定の生物種に属する個体がどんな表現型を持つかは、その個体が親からどんな遺伝子型を受け継いでいるかに依存するところが大きいが、だからといって遺伝がすべてを決定するわけではない。その個体がどのような環境の中で成育したかということも決して無視できないのである。たとえば、戦後の日本人は、戦前の日本人に比べて、平均身長が〇〇センチも伸びた。戦前から戦後にかけて日本人の遺伝子型に大きな変化があったと信ずべき理由はないので、このような日本人の形質の変化は、成育時の環境要因の変化、つまり食生活や住生活の変化に、もっぱら帰せられるだろう。  

そこで、社会にとっての「文明」とは、生物にとっての「表現型」に似た特性だと考えよう。つまり、ある特定の社会が自覚的に作り上げ維持している、制度や慣行、技術や製品、思想や芸術などを、「文明」と呼ぼう。これに対して社会にとっての「文化」とは、生物にとっての「遺伝子型」に似た特性だと考えよう。つまり、その社会に生まれた個々人が、その社会的な学習・発達過程で、他のメンバーからほとんど無自覚に学びとる、物の見方・考えかたや評価の仕方、あるいは行為のパターンや社会関係の組織の仕方、を指すと考えよう。この意味での文化は、文明の組織原理だということができる。  

こうした観点からすれば、生物の具体的な表現型が、遺伝子型と同時に環境要因の影響をも受けて定まってくるように、ある社会がもつ文明の具体的な形は、その社会で世代から世代に受け継がれていく文化だけではなくて、その社会を取り巻く自然的・社会的な環境要因の影響をも受けて、選択されてくると考えられる。  

2.近代文明  

さて、明治維新以後の日本が、西欧に学びつつ作り上げてきた文明は、「近代文明」と総称することのできる文明の一つの種に属しているということができる。恐らく、近代文明は、それを支えている「文化」の違いによって、幾つかの異なる亜種や個体に分けられる。たとえば、近代文明を「西型」と「東型」とに大別し、前者をさらに西欧型、東欧型、北米型、南米型、大洋州型等に細分したり、後者をさらに北東アジア型、東アジア型、東南アジア型等に細分したりすることができそうだ。その場合には、日本の文明は、北東アジア型近代文明の、さらに細かい枝の一つとして位置づけることができるだろう。  

しかし、これらのさまざまな文明を「近代文明」として一括してよい理由、いいかえればそれらを他の「非近代ないし前近代文明」とは区別して差し支えない理由、はどこに求められるだろうか。さしあたり二つの基準が考えられる。  

その一つは、文明の形そのものの特質に注目することである。たとえば、近代文明に属する文明は、いずれも「産業」を高度に発達させている、あるいはさせつつある、という特質を通有している。持続的な産業化に成功した文明は、今日でもそう多くはない。(「民主主義」的な政治制度の保有が、近代文明に不可欠な特質であるかどうかについては、論議の余地があるが、ここでは立ち入らない。)  

いま一つは、文明をささえる文化の特質に注目することである。たとえば、近代文明に属する文明はいずれも、「未来に向かっての無限の進歩が可能だ」という(恐らくは何の根拠もない)信念=文化を通有している。これに対し、儒・道教、ヒンズー・仏教、ユダヤ・キリスト教などのいわゆる「有史宗教」を核として成立した中国、インド、ギリシャ・ローマなどの「古典古代文明」には、「進歩」の信念はなかった。黄金時代は常に過去にあり、時間の経過は衰退に等しく、新たな試みは過去の「復興」という形でしかありえないと考えられている。  

このように考えると、現在地球上には、大別して、「近代文明」に属する社会と、そうではない社会の二つのタイプの社会が併存していることになる。  

3.同一文明内の相違  

しかし、ひとしく近代文明に属するといっても、その個々の亜種なり個体が持っている文明の特質は、それぞれ微妙に異なっている。たとえば、日本と米国の間の文明の相違−−とりわけ経済制度の面での相違−−については、近年の「構造協議」の中で、詳細な検討が行われている。  

そうした相違の中には、主として、日米両国がおかれている環境条件の違いに帰着させられるものもあれば、文化の違いに帰着させられるものもあろう。たとえば、日本の文化は、アメリカとの比較でいえば、第一に、他者(モノをも含めた)への感情移入の傾向が強く、好意を抱く他者に対しては、それとの一体化を志向(世話を焼いたり甘えたりしようとする)しがちである。第二に、環境との関係では、自分の意思や目標を積極的に打ち出して環境を制御することでその実現をはかるというよりは、「状況倫理」などといわれるように、環境の状態に対応して自分自身を変えて行こうとする傾向が強い。第三に、社会組織の面では、高度に集権的な組織を作ることには概して消極的であり、部分の自律化、分権化を志向しがちである。日本の文化のこのような特質は、日本の文明に対して、無視しえない影響を及ぼしていることは確実である。  

4.文明間対立  

比較的最近まで、近代文明の移植=近代化は、どのような文化(および文明)を持つ社会にとっても可能なはずだと考えられていた。いわゆる「南北問題」とは、近代化を達成しえていない社会がこの地球上に多く存在しているという現状認識と、充分な努力と支援とがありさえすれば、近代化はどの社会にとっても可能なはずだという未来予測、の表明であった。社会主義的な一党支配体制と計画的産業化は、少なくとも近代化の初期局面については、近代化の促進のための有力な手法となりうるのではないかという見通しも、1960年代には広くもたれるようになっていた。  

しかし、1970年代初頭のローマ・クラブによる『成長の限界』レポートの発表を契機として、近代文明の普遍妥当性や無限の発展可能性に対する信念は、揺らぎはじめた。1980年代に入って、人口問題や地球環境・資源問題の深刻化が人々の注目を集めるようになると、近代文明への懐疑はさらに強くなった。1980年代の末に明らかになった社会主義の挫折は、それを決定的なものとした。すなわち、近代化は、多くの社会にとって、可能でも望ましくもないのではないかという疑問が生じてきた。実際、「社会主義」は、「近代文明」の一亜種だったのではなくて、むしろ「古典古代文明」に属する社会(ロシヤや中国)が、近代文明に対抗するために便宜的に採用した−−そして結局は有効でないと分かった−−疑似近代的手法だったと解釈できるかもしれない。(そして、社会主義の挫折は、古典古代文明帝国の統合の崩壊、いいかえれば古典古代文明の統合力によって辛うじて抑えていた、より起源の古い民族的、地域的な対立の噴出・爆発を意味するものかも知れないのである。)

イラン革命の主導力となっているイスラム原理主義の運動は、そのような疑問に答える試みの−−そして古典古代文明の自覚的な「復興」の試みの−−一つの典型例だといえそうである。恐らくこれからも、「南」の世界では、同様な試みが繰り返されていくのではないだろうか。その必然の帰結として、1990年代以降の「新南北問題」は、近代文明対非近代文明の対立という、「文明間対立」の様相の濃いものとなってくるだろう。  

5.文明内 (文化間) 対立  

1970年代に明らかになった「南北問題」の解決の失敗は、その当初は、いわゆる「従属理論」型の説明の試みを生み出した。従属理論によれば、南の地域は、近代化・産業化以前の状態に止まっているのではなくて、実は「世界資本主義」の不可欠な一部として組み込まれ、中心諸国による搾取の対象とされているのである。したがって、「世界資本主義」が存続している限り、その「周辺」として位置づけられた南の諸国の発展はまったく起こりえないことになる。  

しかし、現実には、1970年代から80年代にかけての世界は、従属理論の予測に反するいくつかの展開を見せた。第一に、「準周辺国」の一つであった日本は、円の大幅な切上げおよび二度の石油危機というハードルを乗り越えて、エネルギー消費の節約と公害問題への対処という二つの課題に同時に応えながら、しかもいくつかの主要産業の国際競争力を格段に強化するという離れ業を演じ、世界経済の中心国アメリカの経済的覇権を揺るがすにいたった。第二に、「周辺国」と見なされていたはずの一部のアジア諸国(NIES)は、1970年代を通じて、かつての日本の高度成長過程を上回るような、持続的経済発展を実現した。1980年代に入ると、この経済発展の波は、ASEAN諸国をもおおい始めた。  

そこから、「新東西問題」の出現とでも呼びうるような、二つの新しい展開が生じた。第一に、西太平洋地域に見られる持続的な経済発展の事実を、文化(および/もしくは文明)の違いを根拠として説明しようとする、新しい理論的な試みが行われるようになった。日本については、アメリカのいわゆる「修正主義者」たちの「日本異質論」がその典型だし、より広くは、ヴァンデルメールシュの「漢字文化圏」論あるいはリトルとリードの「儒教文化圏」論などがそれである。これらの論者が、西太平洋地域の新興産業社会を欧米の「近代文明」社会と、単に文化的に異なるだけでなくて、文明としても質的に異なるグループに属するとみなしているかどうかは、必ずしも明らかでない。もちろん、「近代文明」そのものをどう定義するかによっても、結論は異なってきうる。しかし、概していえば、これらの分析の多くは、東西の文明よりは文化の次元の違いに着目しているか、あるいは文明の次元ではあっても、大きくは近代文明に属するものの中での細かな違いに着目しているといえそうである。少なくとも、西太平洋地域が「近代産業文明」を発展させたことには、論議の余地はないだろう。  

第二に、冷戦の終焉に伴って、これらの新興産業社会は、とりわけそのトップ・ランナーとしての日本は、欧米先発産業諸国の、とりわけそのリーダーとしての米国の、最も主要な脅威の源泉とみなされはじめた。すでに、太平洋をはさんで対峙する二大経済大国の軍事的な衝突は、地政学的にみて必然だという議論(『ザ・カミング・ウォー・ウイズ・ジャパン』)さえ出現するにいたっている。  

こうして、冷戦後の世界の対立構造は、一方の「新南北問題」を軸とするそれと、他方の「新東西問題」を軸とするそれとによって織りなされはじめている。前者を文明間の対立と呼ぶならば、後者は文明内の対立あるいは文化間の対立と呼ぶことができよう。

5.対立の展望  

一般論としていえば、文明間の対立が文明内の対立よりも深刻で激しいものになる必然性は、ないだろう。同じ近代文明に属する諸国が戦火を交えた例は枚挙にいとまがない。他方、かつてのインドや中国と近代西欧文明との間の関係は、生死を賭けた闘いといった性格のものにはならなかった。  

そうだとすれば、冷戦後の世界でのこれからの対立関係の展開の形を、文明間対立対文明内対立といった一般図式に頼って占うことはできそうにない。  

そこで、より歴史的具体的な要因を考慮にいれるとすれば、今日の新南北問題が、近代文明そのものの「成長の限界」に発しているという事実は無視するわけにはいかないだろう。近代文明は、単にその恵沢に浴する能力のない部分を切り捨てれば存続できるというものではない。近代文明は、今やそれ自身がその成長の内的限界とでもいうべきものに直面しており、近代文明を支えてきた信念体系(近代文化)それ自体の再構築の必要に迫られている。そのことが、同時にまた、近代文明の普及の外的限界ともなっているのであって、近代化の失敗を非近代文明にのみ帰するわけにはいかない。むしろ、非近代文明の原理の中には、近代文明の反省の糧となる要素が含まれているかも知れないのである。  

しかし、そのことは、近代文明と非近代文明が容易に平和共存できることを保証するものではまったくないだろう。非近代文明がその生き残りのために払うさまざまな努力−−援助を求めたり、難民を放出したり、資源や土地を入手しようとしたりする努力−−は、近代文明の存続にとっての、ゆゆしい脅威となる可能性さえある。  

そうだとすれば、近代文明に属する諸国あるいは諸社会としては、これまでのような、グローバルな覇権の追求競争はもちろん、より限定された意味での領土や市場の防衛ないし獲得競争にも、血道をあげている余裕はないのではないか。むしろ、大きくは同じ近代文明に属するとはいえ、それぞれ異なる文化の背景の上に作り上げられた制度の長所や短所を真剣に検討して、取り入れるべきものは取り入れる努力を重ねながら、とくに文明間の対立への対処という面で相互の協調と協力に努めることが、緊急の必要事であろう。そして、そのような協調と協力の努力を積み重ねるなかで、近代文明そのものの再構築の方向もまた、次第に明らかになってくるのではないだろうか。                    提言                                                      公文 俊平−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1)問題の確認  

なによりもまず、冷戦後の世界にとって、何が最大の問題あるいは脅威なのか、主要な対立関係が存在するとすればそれはどこにあるのかを、検討・確認するところから始めてはどうだろうか。  

そうした作業を前提として、日本は、世界の現状および未来についての、日本としての判断や覚悟を、他国に対して明示することが望ましい。同時に、他国の意見にも注意深く耳を傾け、もし意見の重要な食い違いがあれば、充分議論を尽くして合意の達成に努力しなければならない。それによって始めて、グローバルな問題に対処するための方策や機構をめぐる論議も、現実的なものになるだろう。  

2)文明と文化の棚卸し  

今日の世界に存在する主要な文明の種、およびそのさまざまな亜種がもつ、もろもろの特質を同定すると同時に、相互に比較検討する試みに真剣に取り組むべきである。それが、相互理解のために必要なことはいうまでもないが、そればかりではない。今日の世界が直面している諸問題は極めて深刻なものなので、世界は衆知を集めてそれに対処しなければならないが、そのためにも、人類が生み出したさまざまな制度や政策、思想や技術の棚卸しを行った上で、互いに捨てるべきものは捨て、摂取しうるものはするように努めることが大切である。  

同じことは、文化についても行われなくてはならない。文化の自覚的な取捨選択は、ほとんど不可能であろうが、せめて自分や他人がどのような文化的制約の中に生きているのか、それが現存する文明にどのような影響を及ぼしているのかについては、自覚的な理解をもっていることが望ましい。  

そうした努力によって、文化摩擦や文明対立の少なくとも一半は回避することが可能になり、グローバルな協調と協力の可能性が高められるであろう。