1991年6月20日
公文俊平
昨年の五月、アメリカのシアトルで、冷戦後の国際関係をテーマとした米ソの合同シンポジウムが開かれた。シンポジウムは、世界の主要な地域ごとのいくつかのセッションに分かれていたが、結局はどのセッションでも、日本が話題の中心になった。
その席上、ソ連側の参加者の一人が、次のような発言をした。 「確かに冷戦は終わった。しかし、それがソ連の一方的な敗北に終わったという見方は正しくない。ソ連も米国も、共に冷戦に敗れたのではないか。とはいえ、われわれは未来への希望を失う必要はない。第二次世界大戦に敗れた国々が今どうなっているのかを考えてみよう。」
この発言は、ソ連からアメリカに向けての連帯の呼びかけ、敗者復活戦の呼びかけ、ともとれる。このような見方が一面の真実をついているとして、では、冷戦の勝利者は、誰だったのか。この発言が暗示しているように、それは第二次大戦の敗者だった日本と西独なのだろうか。そしてこの二つの国は、かつてのアメリカと同じように、これから少なくとも数十年にわたって、(経済)超大国としての地位を享受できるのだろうか。
おそらくそうはなるまい。確かに、日本と西独のめざましい復興と発展は、自分自身の営々とした努力のためもあったが、なによりも戦後の冷戦体制に助けられていたことは疑いない。現に、この冷戦体制が終わるや否や、両国の優位にはにわかにかげりが見え始めているではないか。西独は、東独との統合でたちまち蹉跌をきたしたし、日本は、湾岸戦争への対応に苦しんで、結局は百三十億ドルもの巨額の戦費を支弁することにしたにもかかわらず、戦争に敗れた国の一つに数えられたほどであった。いったい冷戦後の世界はどこへ行こうとしているのか。その中での日本の運命は、どのようなものになるだろうか。そういった問題を深く検討しようとすれば、第二次大戦との単純な比較よりももう少し長い、歴史的、文明史的なパースペクティブが必要だろう。
「新南北問題の出現」
そもそも、二十世紀末に起こった「社会主義」の決定的挫折は、どのような文明史的な意味を持っていると解釈できるだろうか。マルクス主義の理論では、社会主義は、資本主義の次の社会発展段階である共産主義の初期段階だとされていた。近代化論の観点からは、社会主義は、近代化・産業化の後発国が、それを計画的かつ急速に達成するための制度・政策の体系だとされていた。しかし、現実はそのどちらでもなかったのではないか。
ここでは、社会主義とは、近代文明に対立する古典古代文明帝国が、「近代化・産業化」に名を借りて行った、帝国復興の試みだったと解釈してみたい。それはあたかも、西欧の近代化が、古典古代文明の「復興(ルネサンス)」に藉口して行われた新文明の建設の試みだったのと似ている。ただし、後者は−−少なくとも数百年にわたって−−めざましい成功をおさめたのに、前者は無残に失敗した点が違っているが。
中華帝国、インド帝国、ローマ帝国などに代表される古典古代文明は、近代文明とは違って、未来に向かう進歩・発展が可能だという信念をもたない。文明の黄金時代は遠い過去にあり、時間の経過は衰退を意味するものでしかない。技術にせよ、思想や制度にせよ、「新しい」ものに「良い」ものなどあるはずもなく、「革新」は 「復古」としてしか正当化されない。
古典古代文明はまた、宗教・イデオロギーと社会制度の両面での、統合に高い価値をおく。世界宗教と世界帝国の確立と維持が、その基本的目標なのである。実際、古典古代文明は、クラン(氏族)の原理に立脚して互いに対立・競合していたそれ以前の社会を、広域的に統合することに成功したのである。
このような見方からすれば、今日の「社会主義」の失敗は何を意味するだろうか。
第一にそれは、辛うじて回復ないし維持されていた多種多様な民族や社会集団の間の広域的な統合の、決定的な崩壊を意味する。そうだとすれば、現在世界の各地で噴出している「民族」間あるいは「部族」間の対立は、近代国家の形成をめざした独立への動きというよりは、より古いクラン文明への回帰ないし退行を意味する側面の方が強いかもしれない。
第二にそれは、「近代化」という、いわば不純で異質な原理を援用した「復興」の試みが、有効ではなかったことを意味する。そうだとすれば、それに代わる統合の回復の試みは、古典古代文明そのものの構成原理に立ち戻る、文字通りの 「復古」あるいは「原理主義」しかありえないことになる。 ここから得られる結論は明瞭である。これからの世界秩序にとっての大きな脅威は「新南北問 題」とでもいうべきものになる。新南北問題がこれまでの南北問題と決定的に異なるところは、これからの「南」の地域は、社会主義的な方式であれ、資本主義的な方式であれ、「近代化」をもはや追求しなくなるという点にある。むしろ、「南」は、自らに固有の文明の原理を押したてて「北」に対抗し挑戦するようになる。同時に、自らの支配する領域の内部での反統合勢力をも、同じ原理で再統合しようと試みるようになるだろう。
近代文明の「成長の限界」
他方、アメリカだが、冷戦の過程で西側陣営の中でのアメリカの優位が失われたとか、アメリカは今や衰退に向かいつつあると判断するのは、いかにも早計である。むしろ、ここで問われているのは、近代文明そのものの「成長の限界」、とりわけその外的限界であり、そのリーダーとしてのアメリカの世界指導力のかげりではないだろうか。
近代文明、とりわけ近代産業文明が、環境・資源・人口問題に直面して、その成長の自然的限界に達しつつあるという指摘は、もう二十年も前にローマクラブが行った。その後、近代文明は、全人類社会にあまねく普及するだけの普遍妥当性を持っていないという事実、つまり近代文明の拡大には社会的限界というべきものもまた存在するという事実が、明らかになってきた。近年では、近代文明の先頭を切って進んできた社会で、犯罪や麻薬常用者の増加や、教育システムの破綻といったさまざまな社会問題が深刻化してきている。近代文明の発展を支えてきた欧米の個人主義文化、あるいはデカルト主義に代表されるような近代科学の理念には、根本的な疑問が呈されるようになっている。そればかりか、多くの近代社会では、人口のゼロ成長どころかマイナス成長が起こることは不可避なレベルにまで、出生率が低下してしまった。もはや近代文明は、あるいはその具現としての「アメリカ的生活様式」は、世界人類にとってのモデルとしての輝きを失ったかに見える。その結果、体制の転覆や革命というよりは、体制からの離脱や独立の試みがあちこちで見られ始めているとはいえないだろうか。社会的統合の喪失は、何も社会主義、あるいは前近代文明だけには限らない。近代文明社会自体も今やその存続の危機を迎えようとしているのである。
アジア異質論
それでは、日本の経済的発展や社会的安定、あるいは日本を急速に追い上げてきているNIEsやASEAN諸国の発展ぶりは、どのように解釈できるだろうか。この東・東南アジア地域に出現しつつある文明は、すでに近代文明の限界を乗り越え、全人類的な普遍妥当性をもった新文明なのだろうか。
そこまでは言わないにしても、一九八〇年代に入ってにわかに声高に唱えられるようになった、「日本異質論」や「儒教・漢字文化論」は、文化ばかりでなく、文明のレベルでも、日本や東南アジアの社会は欧米と異なっているという判断に立脚しているようだ。この地域の文明をかりに「東アジア文明」と総称するならば、この東アジア文明は、産業でこそかなりの発展を示しはしたが、その本質は社会主義などと同様な、近代文明とは異質の前近代文明なのだろうか。それとも、それは近代文明の限界を乗り越えることに成功した超近代文明であって、今後、長期間に渡って存続・発展し、その普及範囲を拡げていくポテンシャルをもっているのだろうか。 おそらくそのどちらでもあるまい。
なぜなら、第一に、この「東アジア文明」、とりわけその産業文明は、まぎれもなく近代文明の一つの発展肢に含まれるからだ。もちろん、東アジア文明は、欧米文明の基盤にあるような、個人主義文化はもっていない。また、文明のレベルで見ても、欧米文明に広く見られるような民主主義や自由市場の制度が、深く根づいているとはいいがたい。しかし、科学・技術の発達や社会的な役割の専門化・分化の促進による、産業や社会の無限の進歩・発展が可能だという、近代文明を特徴づける最も基本的な価値観を、欧米文明と通有していることは疑いない。第二に、その意味ではこの東アジア文明も、前近代的な古典古代文明とは対立する文明であり、その普及にはやはり社会的な限界があるだろう。
そうだとすれば、東アジア近代文明にとっての人類史的課題は、欧米近代文明と協力し切磋琢磨しつつ、新南北問題への対処に努めると同時に、近代文明自身の限界を乗り越えた新たな文明の構築に力を尽くすことではないだろうか。古典古代文明が、分化と発展よりは統合と存続を指向する後期農耕牧畜文明としての性格をもっていたとすれば、この新文明は、やはり統合と存続を指向する後期産業情報文明だと特徴づけることができるのではないか。
世界征服をめざす日本?
しかし、残念なことだが、欧米での東アジア、とりわけ日本のイメージは、それとはかなり隔たっている。このところフランスのクレッソン新首相の歯に衣きせぬ対日批判のすさまじさに、「もういい加減にせんかい(週刊文春)」とうんざりさせられている日本人は少なくないようだが、実は何もクレッソン女史だけが特別の対日強硬論者というわけではない。彼女は、欧米のエリートの間に、かなり以前から広く普及している日本イメージを代弁しているにすぎない。
そのことを如実に示すレポートが存在する。三菱総研が一九八〇年に発表した、日米欧シンクタンクの共同研究「海外における日本企業のイメージ」がそれである。その中でもとりわけ、ヨーロッパ三ケ国の官僚や実業家三六人を対象にセマ・メトラインターナショナル社が行ったインタビューのまとめに見られる日本企業のイメージは、まぎれもなく世界征服者のそれである。日本企業は、ドイツ的完全性とロシヤ的気長さとアメリカ的能率を一身に備えた完璧な征服者で、徹底した調査と長期的観点に立った非情な戦略によって、いったん相手の弱点をついて橋頭堡を築くと、嵐のような侵略を開始する。行動は官民一体で、銀行・商社・メーカーの一矢乱れぬ団結によって着実に目標を達成するが、得られた成果を現地人に分け与えるつもりはなく、すべてを自分たちのものにしてしまうというのである。これではまるで、日本人はジンギスカンの末裔だといわんばかりだ。
このレポートの行間からは、これは理想的な征服方式だが、自分たちにはとてもできない、自分たちは産業化の無理をそろそろ感じ始めているのに、彼等は平然としてその無理を押し通すエーリアンなのだ、といった溜め息が読み取れる。ただし、なぜか日本は、世界征服の試みにあたって、経済的な手段しか用いようとはしない。ここに日本の弱点がありはしないか、という印象ももたれているようだ。(レポートの中には「征服者」という言葉は直接には使われていない。しかし、その執筆にあたったセマ社の担当者の話では、実は皆そう言っているのだが、日本に提出するレポートなので、そこは遠慮したのだということだった。)
「新東西問題」への移行
実際、もし日本が経済的手段による世界の征服を企んでいるとするならば、ポスト冷戦期の世界にとっての最大の脅威は日本だ、とする見方が、欧米や南の世界に出現しても不思議はない。あるいは、NIEsやASEANもまた、日本の驥尾に付して同様な企みをしているとすれば、日本を先頭とする「東アジア」の全体が、これからの世界にとっての脅威とされることになるだろう。つまり、冷戦期の東西対立は、ポスト冷戦期の新たな東西対立に置き換えられることになるわけだ。
「西」の世界にとってみれば、この新たな東西対立に対処するには、相手の弱点をつくにしくはないだろう。つまり、日本、あるいは「東」の侵略の手法が、自分が得意とする経済的手段にもっぱら限られているとすれば、それへの対抗措置としては非経済的手段、つまり政治・軍事的手段を動員するのが、さしあたり最もてっとりばやいと考えられても当然だろう。もちろん、相手の手法に学ぶというやり方−−産業政策を導入して、国際競争力の強化をはかるなど−−も考えられるが、そうした措置が効果を発揮するには時間がかかるだろうし、何より、自分まで手をしばることはないのである。
もしも日本がそうした対策を予想するならば、日本人が 「合理的」である限り、自分たちもまた政治・軍事的手段によって対応しようとせざるをえなくなるはずだ。これが、最近の日米戦争不可避論の論法である。
このような議論に対して、「それは自分の尺度で他人をはかるものだ」と反論するのはやさしいし、事実その通りなのかもしれない。しかし、それなら日本人もまた、自分の尺度で他人をはからない方が安全だろう。
衝突路線?
残念なことだが、これから二一世紀の初頭にかけて、東西の経済対立が文化・文明対立に深化し、政治・軍事対立に拡大していく可能性は、決して小さくない。経済的相互依存関係が発展しているではないかといっても、相互依存が常に対称的であるはずもないし、競合関係も当然存在する。ましてやナショナリズムや人種主義の情念がそれに加われば、東西経済対立が国家機構まで巻き込んだ政治・軍事的対決にいたらない方がむしろ不思議というべきかもしれない。
実際、近年の日本は、自らが自覚している以上に、そういった衝突路線を走り始めているようだ。ちょうど、第一次大戦後の日本が、とりわけ昭和に入ってからの日本が、国際世論の変化の動向に鈍感なまま、軍事行動を突出させてしまったように、石油危機以降の日本は、経済行動を突出させてしまったといえるのではないか。それも、国民の生活の質の向上やゆとりの増大を擬制にして、日本経済の「生命線」ともいえる一部の輸出産業や企業の体質と競争力を格段に強化する方向に、驀進していったのではないか。事実、貿易面での日本の優位には「絶対的」なものがあるとはいうものの、そのような優位を保っているのは、鉄鋼、自動車、半導体、家電など、ごく少数の産業にすぎない。国際競争力という観点から見た日本の産業構造は、そのいびつさがむしろ際立っている。さまざまな点で、今日の日本の「経済大国主義」の台頭は、六〇年前の日本の「軍国主義」の台頭によく似ているように思われる。
たしかに、湾岸戦争の展開に怯えて、「駝鳥の平和」よろしく、自分だけの小さな幸せの世界にたてこもり、外国には出ていかず、はっきりした対外コミットメントもせず、脅しあげられると宥めたり、すり寄ったり、金ですませようとしたりする状態が、長続きするわけはない。また、それでもやってくる外からの批判や軽蔑に対して、欲求不満の念を強くして、断固「ノー」と叫ぶべきだと仲間うちで気勢を上げたり、ふつふつと沸き起こるナショナリズムの心情に身をゆだねたりしているだけで足りるとも思えない。
それでは、われわれは今こそ本気になって、衝突路線に備える準備を整え始めるべきだろうか。いいかえれば、局地的あるいはグローバルな覇権を−−経済的だけでなく、政治的、軍事的にも−−追求すべきだろうか。しかし、そのためには、今日のアメリカに匹敵する、いやそれを上回る海空軍の保有が不可欠だろう。さらに、SDIまがいの宇宙軍の建設も必要とされようし、当面は核武装も考えないわけにはいかないだろう。そのための費用は莫大なものになる。日本がいかに経済大国になったとはいえ、ここまでの軍事支出を賄い続けるだけの経済力は維持できまい。覇権追求路線は、その経済基盤を考えるだけでも槿花一朝の夢に終わるほかないことは明らかである。覇権の追求に踏み切る日は、日本の寿命の尽きる日だといってもよい。
しかし、それにしても、外国の理不尽ないいがかりや日本叩きに膝を屈するのは嫌だという心情は、抑え切れないかもしれない。そこで、ある程度の備えはやむをえず、それを背景にして「毅然たる態度」を維持しようという考えかたもありうる。もちろん、外国、とりわけ米国との間に、なんらかの同盟や協調関係が結べればそれにこしたことはないし、全面的な衝突については、前の戦争の時と同様に、最後までその回避に努力するのである。とはいえ、全面的な屈伏は到底肯んじられないので結局は衝突も仕方がなかろう、いや、今回もまたうまくはめられて衝突に追いやられてしまうだろう、しかし今度こそが東西の最終戦争で、これによって始めて世界人類の平等互恵が可能になる、いったんは惨めに敗れても、今度もまた、生き残った人々が日本を不死鳥のように復活させてくればいいのだ、大いなる悲観は大いなる楽観に通ずる、等々といった考え方も、それに付随して出てきそうだ。
それはそれで、一つの覚悟である。しかし、今日のわれわれに、本当にそんな覚悟ができるものだろうか。かりにできたとしても、それは余りにも手前勝手な覚悟ではないだろうか。それよりはむしろ、東西衝突不可避論とは異なる世界解釈を示し、その中での日本の果たすべき役割、および役割を果たす覚悟を明らかにしていく方が良くはないか。事実、そのような別の解釈は充分に可能だし、世界解釈としても妥当性が高いと思われる。
救命艇状況
ここで取り上げたいのは、アメリカの生物学者ガレット・ハーディンが論文「救命艇上に生きる」(一九七四年)で示した世界解釈である。ハーディンは、第一次石油危機直後の世界を、本船(地球丸)がすでに難破した後、人々は個々の国家という「救命艇」に乗り移っている状況だと捉えた。個々の救命艇には、収容力、航行能力、乗員数などの面で格差がある。ハーディンは問う。
「豊かな国は、それぞれ比較的豊かな人でいっぱいな救命艇と考えることができる。これに対して、世界中の貧しい人々は、別の、はるかにごった返している救命艇に乗っている。四六時中、貧乏人は救命艇から転び落ち、しばらくは海面で泳ぎながら、金持ちの救命艇に引き上げてもらえるか、船上の『甘い菓子』を何とかして恵んでもらえないかと願っている。金持ちの救命艇上の乗員はどうすべきか。」
この問いへのハーディン自身の答えは、「救命艇の倫理」すなわち、「これ以上、誰も船に乗せず、小さな安全因子を確保せよ」というものであった。なぜならば、そうしない限り、結局は全員が溺れ死ぬからである。また、自分が幸運なのをやましく思う「良心」の持主が、自ら艇を下りて、そのようなやましさを感じない他人を乗せてやることは「奇行」以外の何物でもない。
冷戦終焉後の今日、この意味での世界の「救命艇状況」は、解消したどころかさらに悪化しているのではないか。ハーディンの比喩を借りていえば、冷戦後の世界に自然発生的に生まれ出つつある「新国際秩序」は、北米艇、ヨーロッパ艇、東アジア艇という三隻の高性能救命艇を中心として形作られつつあるといえそうだ。
それぞれの救命艇には、「艇長」の役割を果たす中心国 (アメリカ、ECあるいはドイツ、日本)と、その周辺の地域が含まれていて、それらが新たな「ブロック」を構成しようとしている。北米艇の場合でいえば、ブロックに属するのは、「自由貿易協定」によって結ばれたカナダとメキシコ、それに中東および中南米の一部ということになるだろうか。ヨーロッパ艇の乗員には、東欧の他に、ソ連、近東、アフリカの一部が含まれていそうだ。東アジア艇の乗員は、NIESとASEAN、それから大洋州、さらにそれに加えて、インドシナ、中国の一部、ソ連極東地方の一部、といったところだろうか。恐らく、乗員の最終的な選別はまだ完了していないと思われるが、それぞれの艇で、乗員として選び取られるのは、文化的・歴史的な理由で親近性が強い地域であって、しかも政治的・経済的な重要性ないし有用性をもっている地域に限られよう。現在の「新国際秩序」形成の動きは、この三隻の救命艇の乗員の選別ないし再選別や、救命艇間の相互関係や対外関係の設定の試みとして理解してみることができよう。
この世界の新たな「ブロック化」は、次の二つの点で、一九三〇年代のそれとは本質的に異なっている。
第一に、三隻の救命艇相互間の関係、とりわけそれらの中心部の相互関係は、一九三〇年代に見られたような閉鎖的な保護貿易のそれではない。完全な自由貿易とはいえないにしても、ヒト、モノ、情報の流れは相対的に自由である。そこではむしろ、「ボーダレス化」とか、「グローバル化」といわれるような、相互の協調的交流関係が支配的である。しかし、いうまでもないが、「ボーダレス化」といい、「グローバル化」といっても、それはあくまでも、世界の中での比較的限定された一部に対してのみ妥当する傾向にすぎない。比喩的にいえば、三隻の救命艇は、互いにバラバラに航行しているのではなくて、その中心部においては、そして中心部においてのみ、互いに緊密に連結されているのである。
第二に、今日の世界の中には、この三隻の高性能救命艇に乗り組むことの出来ない、沈没寸前の装備劣悪な救命艇の乗員や、すでに海に投げ出されて溺れかかっている人々、が多数存在する。しかし、高性能救命艇の側には、これらの人々をすくい上げる意思も能力もない。一九三〇年代の「南」の地域は、産業化の先進国にとっては、稀少な資源の産地や自国の製品の市場と見なされ、獲得あるいは分割の対象となっていた。「持てる国」対「持たざる国」の間の世界の再分割戦争は、こうした地域を抱え込んでおこうとする先発国と、分捕ろうとする後発国との間の生存競争−−それ以外の大義名分がまったくなかったわけではないにせよ−−という性格が強かった。しかし、現在進行中の世界の再分割は、抱えておけば「荷物」になるだけの地域は救命艇から切り離そう、そして救命艇の航行に役立つ地域だけを取り込もうとする試みだと解釈でき、その意味で一九三〇年代の世界の再分割とは決定的に異なっている。
結局、今日形成されつつある新たな世界秩序は、世界的な救命艇状況に対応した秩序である。
そこには、第一に、高性能救命艇に搭乗できた地域ないし国々と、搭乗できなかった地域ないし国々との「ボーダーフル」な区分が事実としてある−−その事実がどれだけ明言されているかはともかくとして。
第二に、高性能救命艇自体は、一隻ではなくて三隻あるが、それらはその中心部を通じて、「ボーダーレス」に緊密に連結され、相互依存・補完しあっている。なるほど救命艇状況にあっては、グローバルな相互依存関係の展開は、システム全体としての生存の安全因子を小さくするという逆機能をもつが、だからといって、あらゆる部分的な相互依存・補完関係まで否定すべきことにはならない。
第三に、それぞれの救命艇の内部には、一種の階層秩序 (中心と周辺、あるいは先発国と後発国といった)が見られ、資本や技術の一方的移転関係や、産業の発展段階に見合った分業関係が展開されている。
第四に、三隻の救命艇は、互いにまったく対等な関係にあるのではなくて、少なくとも軍事的には、その中の一隻(北米艇)だけが、卓越した優位をもっている。しかし、北米艇といえども、経済的に自立していくことはできない。あるいは、自らの資源だけに頼って、軍事的なリーダーシップを発揮し続ける(国際的公共財を提供し続ける)ことはできない。とすれば、結局のところ、政治的には、これらの救命艇は、相互協調体制、つまり、それぞれの中心部同士による集団指導体制を取って進む以外にないだろう。
救命艇状況の中での安全保障
それでは、このような秩序の中にある個々の救命艇としては、みずからの存続、安全保障のためには、どのような点に配慮しなければならないだろうか。
第一に配慮すべきは、救命艇の外部から来る直接的な攪乱要因に的確に対処していくことである。救命艇を乗っ取ったり、強引に乗り込んで来ようとしたり、救命艇の中に貯蔵・生産される資源を奪取したりする試みを許すわけにはいかない。もちろん、「死なばもろとも」といった破壊活動を許すわけにもいかないだろう。そのような侵略あるいは破壊の試みに対しては、三隻の救命艇は一致協力して、そして北米艇の軍事的リーダーシップを尊重しつつ、対処する必要があるだろう。(この意味での「集団的自衛」機能は、良くいわれる「世界の警察」としての機能よりも、遙かに具体的で特別な意味をもっていることに注意しよう。それが、既成の国際連合の枠組みになじむかどうかは、大いに問題があるといわざるをえない。国際連合の役割が新国際秩序の下で失われることはないにしても、その性格は変化する可能性が強い。良くも悪しくも、国際連合は「高性能救命艇連合」ではないのである。)
外部から来る攪乱要因には、もう一つの間接的ともいうべき側面がある。それは、救命艇から閉め出された、あるいは自前の高性能救命艇を建造できなかった地域が、みずからの生存のための絶望的な努力を重ねる結果として、地球の自然環境や社会環境がいっそう悪化し、ついには全体としての 「共倒れ」が不可避となる状況が訪れることである。そうした危険はどうすれば回避できるだろうか。ある範囲内での支援も一つの方策だろうが、より積極的な介入が必要とされるかもしれない。いずれにせよ、それは容易に対処しうる問題ではないが、無視できない重要な問題であることは否定しがたい。
第二に配慮すべきは、「救命艇連合」それ自体の堅実な運営である。地球的な規模での資源の浪費や環境の汚染の元凶が、救命艇連合自身であっては、どうにもならない。同時に、それぞれの救命艇は、他の救命艇との生存条件のバランスにも留意しなければならない。自分の艇だけが、不釣り合いな豊かさを享受することはできない。また、米国を中心とするその集団指導体制が、内部の不和のために崩壊するようであってもならない。なるほど、「救命艇連合」という政治理念は、甚だ利己主義的な響きがする。しかし、ハーディンもいうように、それは、ある種の厳しい環境条件の下では、生命体の生存を保障するほとんど唯一の正しい「倫理」に基づいた理念なのだ。少なくとも、実際の行動面ではこの理念に準拠しながら、自分の「良心のやましさ」(実は無知)を紛らわせるために、口先でだけこの理念を否定してみたり、連合のリーダーを批判していさえすれば免罪符が得られると思いこんだりする態度は、百害あって一利ないものである。
第三に、自分が乗り組んでいる救命艇(つまり自分の属している「ブロック」)内部の状態にも、注意を怠ってはならない。とりわけその中心国には、救命艇内部の和と安全を保つ責任がある。「自由・平等・友愛」の理念は、運命共同体としての救命艇内部の政治理念としては、一定の妥当性・有効性をもちうるだろう。同時に、中心国は、救命艇全体の性能を向上させるような技術・知識の開発に努めなければならない。また、同じ救命艇内の乗員相互の効果的な分業・相互補完関係の開発や維持にも、そのリーダーシップを発揮すべきだろう。さらにいえば、救命艇の乗員の選別も、一度限りで終りということでもないだろう。新たな乗員の乗船を認めたり、既存の乗員の下船を要求したりする可能性は、考慮にいれておいた方がよい。そして、そのさい起こりうべき紛争への対処についても、充分な備えが必要だろう。
もしも世界の現状を以上のように解釈することが妥当だとしたら、新たな東西対立が不可避だなどといっている暇はないことになる。むしろ、世界の共倒れを防ぐためには、東西の協調は絶対の条件とされるだろう。救命艇状況に関わる議論を冷静かつ率直に行うことは容易ではない。しかし、今の日本に必要なのは、世界が直面している状況を正確に認識し、そこから要請される行為の倫理的基盤についての確固とした信念をもった上で、自らの引き受ける世界的な役割を他国に対して明示し、それを忠実に実行していく覚悟を決めることだろう。しかし、今の日本にそれがどこまで実行可能だろうか。
近代化第三期の日本
日本の歴史を振り返ってみれば、開国以後の日本の近代化過程は、ほぼ六十年を単位とする三つの時期にわけてみることができる。すなわち、開国から第一次世界大戦までの第一期(ほぽ一八五五〜一九一五年)、第一次世界大戦から高度成長の終焉までの第二期(ほぼ一九一五〜一九七五年)、およびそれ以降の第三期(一九七五年ごろから)である。
それぞれの六十年期は、ほぼ十五年を単位とする四つの時代に細分できる。すなわち、
第一に、内外の環境変化にいちはやく気づいて、それに対応すべく既存の政策や制度の改革を試みたのは、いずれも体制側(第一期は幕府、第二期は政党内閣)だったが、世論の広汎な支持の調達には失敗し、「革新」的(実は反動的?)な政治路線の台頭(第一期は尊皇攘夷路線、第二期は軍事冒険路線)をゆるしたこと。
第二に、新政治路線では、紛争の時代を乗り切ることができず、結局さまざまな混乱の後、それぞれの時期の後半にいたって、当初の構想に近い政策や制度が、国民的な合意と支持とをえて、ようやく本格的に採用されるにいたること。
第三に、いったん国民的な合意が形成された後では、急速な発展が達成されること。
これまでのところ、一九七〇年代の後半から始まった第三期においても、高度成長の終焉以降の内外の環境変化にいちはやく気づいて「行政改革・財政再建」を志したのは、与党の自民党政権だった。しかし、前の二つの時期との違いは、自民党政権の改革路線が、国民および党内からの広汎な反対に出会ったわりには、自民党の統治の正統性は、少なくともこれまでのところ、決定的に否定されずにすんでいることだろう。むしろ、「変化への対応」を旗印として、「国際化・情報化」の理念の下に試みられてきた自民党の改革路線は、国内的には一定の成果をあげてきているように見える。そうだとすれば、一九九〇年代に突入することになると思われる近代日本の三度目の「紛争の時代」の性格は、過去の二度とはかなり異なってくるかもしれない。いいかえれば、日本は、国内の革命も大きな対外戦争も経験することなく、新時代への軟着陸に成功するかもしれない。しかしそのためには、より徹底した国内の制度改革と、対外的な協調関係の維持とが不可欠である。それなしには、国内政治の大混乱、あるいは対外的な大衝突(あるいはその両方)を回避することは困難だろう。果たしてこれからの日本にそれが可能かどうか、それはひとえにわれわれ一人一人の自覚と覚悟にかかっている。
日本の寿命
しかし、そうした期待は、いかにも楽観的にすぎる。むしろ、実際はその逆であって、今度の紛争の時代こそ近代日本の寿命がいよいよ尽きる時代にあたるという見方を支持せざるをえないような、いくつもの理由がある。
なによりもまず、一九八〇年代に行われた日本の国内改革の試みは、政治改革はいうまでもなく、行財政改革、教育改革、税制改革のどれをとってみても、不徹底きわまる。逆説的にいえば、自民党が今日なお政権の座につき続けていられるのは、改革に成功したからではなくて、不徹底な改革しかできなかったからである。それだけ国民が目先の痛みを覚えることもなく、反発も少なかったからである。いいかえれば、今の日本は、来るべき「紛争の時代」に対処するための準備が決定的に不十分なままだといわざるをえない。
その背景には、各省庁や省庁内部局間の過度の平等主義にもとづく既得権意識とと競争意識がある。それがどうしようもない硬直状態を生んでいる。かつての行政改革でも、財政再建のためには、援助や国防など対外的にコミットしたごく少数の分野を除いて、一律にマイナスあるいはゼロ・シーリングをかけるという手法しかとれなかった。あるいは、どこかの分野を大きく伸ばしたければ、自分の担当分野のなかでどこか大きく切るところを見つけてこいというしかなかった。公共事業の分野別予算配分比率や、陸海空三自衛隊の間の予算配分比率は、見事なまでに固定的である。日本の「ムラ社会」には、自分の脱落を甘受するくらいなら、ライバルの突出を許すくらいなら、全体がつぶれた方がまだよい、という意識が脈脈と流れ続けているのではないか。大東亜戦争のさなかに戦意高揚のための講演にやって来た陸軍報道部の将校が、「大日本帝国陸軍は、全力をあげて海軍を撃ち、余力をもって米英を撃滅す」と豪語したという話が思い起こされる。また、近年の大学改革の試みに反対する教職員組合のリーダーが、教授会の席上で「われわれは、できるところからでも改革を進めて行こうという考え方には断固反対する。そんなことをされたら、できないところはどうなるのか」と叫んだ話が思い起こされる。
それをさらに悪化させているのが、戦後の対米従属と甘えの意識である。もともと日本社会には、外の世界を制御しようとするよりは、外の世界に対応して自分の在り方や行動を−−最小限度−−調整することで、外との均衡や調和をはかっていこうとする傾向が根強い。行政改革のスローガンも「変化への対応」であった。また、自国産のものは大して評価しないが、舶来の文物ならば高く評価するという伝統がある。さすがに近年では、ハードな工業製品についてはそうでもなくなったが、理論や政策、スポーツや芸術などといったソフトの分野では、今でも依然としてその傾向が強い。この二つの傾向が合わさるところに、ライバルの弱点についての情報をアメリカに提供して、そこから「外圧」をかけて貰うことで自分の有利な地歩を確保しようとするおなじみの手法がはびこる。最近の構造協議でも、米国側は、日本の産業界の制度や慣行についての情報を驚くほど豊富に持っていたが、そのほとんどは日本の各省庁が競って提供したものだったという有名な話がある。アメリカが善意の親分ないし兄貴分である間はまだしも、そうでなくなった場合には、このような手法は百害あって一利ないものになるだろう。
日本人は、これまで時に荒ぶり、予想を越えた動きをすることがあっても、基本的には恵み深い自然環境の中で生きてきた。大きな災害は、首をすくめてそれが通りすぎるのを待ち、復興の槌音を響かせれば克服できた。社会環境の面でも、四面を海に囲まれた日本は、外敵の侵略をさほど恐れないで過ごしてくることができた。中華帝国の文明は、元のような例外を別にすれば、概してそれほど侵略的、好戦的なものではなかった。こうした経験を積み重ねるなかで、「まあ何とかなるだろうよ」とか「そのうちに神風が吹いてくれるだろう」といった運まかせや神頼みが、習い性となった。唯一注意すべきは、不吉な予測を口にしないことであった。そんな不謹慎なことをしようものなら、それが現実化しかねないからである。ここからは、最悪の事態を予想して予めそれに備えるという思考、行動様式は、出てきようがない。
幸か不幸か、原爆まで落としたアメリカも、戦後はもっぱら、寛大で慈愛深い指導者としての顔を見せてくれたばかりか、ソ連との冷戦のおかげで、日本を重要な同盟国として遇してくれ、日本の復興と発展に力を貸してくれた。こうして日本は、伝統的な思考、行動様式を変更する必要を認めなかったばかりか、むしろいっそうそれに淫してしまったとさえいえる。そして、今度こそ、日本は、絶対絶命の時を迎えようとしているのである。