91年度著作へ

1991年7月11日

「書評 『梅棹忠夫著作集』」

梅棹忠夫著作集 第5巻 比較文明学研究、中央公論社、1989年

公文俊平  

わたしは三日がかりでこの本をよみおえて、今こころよい知的興奮に身をゆだねている。大著を通読するのは骨がおれることである。とりわけ書評のために是が非でも通読しなければならないとおもって読むのは、しばしば非常な苦痛でさえある。しかし、この本は、本当に読みやすく、たのしく読める本であった。  

どうしてそんなに読みやすいのか。もちろん、梅棹の文章の内容が、比類ないほどに明晰であるためもあろう。しかしそれだけではない。あきらかに、文章の形式もそれに関係している。つまり、ひとつひとつの文章がみじかいばかりか、漢字がすくないのだ。それを確認するために、わたしは、梅棹の「諸文明における宗教の層序学」の「はじめに」の部分を、たまたま手元にあった自分の文章(新国際秩序考)のでだしの部分と比較してみた。  

「層序学」の「はじめに」の部分は、全体で1067字、 7つのパラグラフと24の文章からなっている。つまり、ひとつのパラグラフの長さが、平均して150 字強、文章の長さは、45字弱なのである。そのなかで、漢字は(年号数字を除いて)326 字が使用されているにすぎない。これは、率でいえば、全体のほぼ30%にあたる。これに対し、わたしの文章のでだしの部分は、910 字あって、3 つのパラグラフと11の文章からなっている。つまり、ひとつのパラグラフが300 字強、文章が83字弱あるので、どちらも梅棹のそれの 2倍くらいの長さがある。また、漢字は334 字、率でいえば37% 弱使用されている。梅棹の場合よりも、断然おおい。まさにその差歴然というところで、わたしはうなりこんでしまった。(というわけで、この書評は、なるべく文章をみじかく、漢字をすくなくすることを心がけて書いている。)  

この本ではじめて活字になった「生態史観からみた日本」と題する報告のなかで、梅棹は、日本の知識人の「べき」ごのみに辟易して、生態史観は「べき」の議論ではないことを強調している。「それは、世界の構造とその形成過程の認識の議論であって、現状の価値評価ないしは現状変革の指針ではございません」といいきっている(p.118)。それはそうだろう。しかし、そのことは、梅棹の議論が、世界の現実のうごきからはなれた、迂遠なものであることを、いささかも意味していないとわたしはおもう。  

この本が出版されたのは、1989年の10月だが、ちょうどそのころから、世界の冷戦構造は音をたててくずれはじめた。アメリカの衰退が論じられるようになっていたそのやさきに、社会主義陣営の威信が決定的にうしなわれてしまったのである。そして、冷戦構造にかわる「新国際秩序」の構築がうたわれだしたのだが、その秩序の内容や意味については、共通の理解はまだ成立していない。むしろ、あらゆる予想をこえる現実の展開のはやさに、それをフォローしていくだけで息がきれ目がくらんでしまうというのが、正直なところではないだろうか。  

ところが、梅棹の比較文明論のアプローチは、まさに現在の世界の構造変化の意味をあきらかにしてくれるものである。すくなくとも、そのようなこころみにとっての、ひとつの有力なてがかりをあたえてくれるものである。その意味で、梅棹の比較文明論は、すぐれて今日的な意義をもち、示唆に富んでいる。Thought-provoking である。  

なかでも決定的なのが、 (旧) 世界を、「それぞれが特有のサクセッションの型をもつ」「第一地域と第二地域」とにわけるという視点である。つまり、世界をふたつのことなる文明群にわけるという視点である。ひとしく「近代化」とよばれる社会の変化過程も、それがどちらの地域でおこるかによって、その性格がおおきくちがってくる。第一地域の近代化が「オートジェニック (自成的) なサクセッション」の過程であるのに対し、第二地域のそれは「アロジェニック (他成的) なサクセッション」だというのである。  

梅棹はかつて、『文明の生態史観』のなかで、現代をこう特徴づけていた。「現代は、ひとくちにいえば、第二地域の勃興期だ。..つぎつぎ、強力に近代化、文明化の方向にすすんでゆくだろう。」(p.87) 「第二地域における共産主義・社会主義は、第一地域において高度資本主義のはたした役わりを、つとめようとしているのではないか。」 (pp.86-87)

しかし、1989年以降の世界の動きをも視野にいれてかんがえるならば、梅棹のこのような解釈は、いまや若干の修正を必要とするだろう (おそらく梅棹自身、もうそうしているとおもうが)。たとえば、つぎのように:

なるほど、20世紀は、第一地域の挑戦に対して、第二地域が応戦をこころみた時代ではあった。そのこころみは、植民地が開放され、第二地域の独立が回復されたという意味では、たしかに成功した。つまり、近代化の第一の局面である主権国家の形成については、第二地域は、広域にわたる帝国の再建というかたちをとる場合がおおかったとはいえ、ともかくも応戦に成功した。しかし、近代化の第二の局面である産業化、あるいはとりわけ市場経済の形成については、第二地域は部分的な成功はおさめたものの、結局は挫折してしまった。そして、近代化の第三の側面である情報化については、第二地域は決定的にたちおくれてしまった。結局、第二地域の「アロジェニックなサクセッション」は、「近代化」の実現の方向にはすすまなかった。  

それでは、21世紀における第二地域のサクセッションは、どのようなかたちをとって進行していくだろうか。もはやそれは「近代化」でも「社会主義化」でもなくなることは、ほぼ確実だろう。だとすれば、もうひとつの途は、なんだろうか。ことによると、それは、近年のイスラム原理主義やヒンズー原理主義の台頭にみられるような、「第三段階の宗教」の復古・強化の形をとるのかもしれない。いずれにせよ、21世紀の「新南北問題」は、近代化にいちはやく成功した地域と、近代化の「途上国」とのあいだの格差をめぐる問題というよりは、近代化過程を「自成的」にすすめていくことのできる文明と、そうできない文明とのあいだの「文明間対立」のかたちを、より顕著にとるものになっていきそうだ。

なお、この点との関連でいえば、梅棹の「宗教の層序学」も、このうえなく刺激的なかんがえかただ。このかんがえかたを延長すれば、「共産主義」を、キリスト教や仏教につづくもうひとつの「エピデミック」な宗教だとみなせないだろうか。それは、第一地域のなかでの近代化の後発地方でうまれたが、第一地域自体のなかではそれほどつよい伝染力をしめすことはなく、むしろ第二地域に急激に伝播し、第二地域の文明の伝統にあわせて変容をとげていったのではないか。共産主義の普及が、梅棹のいわゆる「第三段階の宗教」をもたなかったロシヤ帝国と、不徹底なかたちでしか第三段階を経験しなかった中華帝国でとくにはげしかったのは、梅棹の立場からすれば、十分に理由のあることではないだろうか。梅棹の見解をたずねてみたいところだ。  

21世紀の国際秩序の根幹にかかわるもうひとつの問題は、ともに第一地域 (近代文明) に属する東西の近代文明の亜種のあいだの競合と協力をめぐって展開する「新東西問題」であろう。この点についても、すでに1950年代のなかばに、「現代の日本文化は、... 高度の近代文明のひとつであることはまちがいない」 (p.71) といちはやく断定していた梅棹の先見性には、脱帽のほかない。  

1980年代の世界が日本をみる目は、それまでとはおおきくかわってきた。その先頭をきったのがチャーマーズ・ジョンソンやクライド・プレストウィッツなど、アメリカの「修正主義者」とよばれるひとびとだった。オランダのジャーナリスト、ヴァン・ウォルフレンの『日本権力構造の謎』は、そうしたみかたのひとつの集大成だということができる。そこには、日本は近代化の後発国のなかでの優等生だという1960年代の典型的な日本観は、かげをひそめている。日本の近代化の成功を、日本の伝統文化の特質から説明しようとする日本人論的アプローチも否定されている。それにかわって前面にでてきたのが、日本はその「システム」つまり文明のありかた自体が、欧米のそれとは異質なのだという解釈である。はたして、日本は「近代文明」の一員なのか、それとも「旧文明」の一員なのか。それとも、そのいずれともにてもにつかぬ鬼子なのか。そのこたえがなんであるかによって、21世紀の国際秩序や日本の進路に関する「べき論」の内容も、左右されざるをえないだろう。 梅棹の提唱した比較文明論が、はかりしれないほどおおきな今日的意義をもつというゆえんである。