1991年11月16日
公文俊平
これから21世紀にかけて、近代化の第三局面にあたる、グローバル・コミュニケーションの時代がやってくる。そこに出現する地球大の新しい社会システムが、グローバル・ネットワークである。グローバル・ネットワークは、「智業 intelprise 」とでも呼ぶことのできる新たな社会的な主体にとっての、智的影響力の拡大をめざす競争ゲーム (智のゲーム) の場となる。
このような社会変化の意味を理解するには、近代化の過去の歴史をふりかえってみるとよい。近代化の第一局面 (17〜18世紀) に登場したのは、「国家主権」を神聖なものとする観念に立脚して、古代から中世にかけての西欧世界を支配していたローマ帝国とローマ教会の権威からの独立をめざした主権国家群だった。これらの国家は、戦争と外交を通じて領土や植民地の獲得に励み、国威の増進と発揚に努めたのである。そのような競争ゲーム (威のゲーム) の場が、「国際社会」にほかならなかった。
それに続く近代化の第二局面 (19〜20世紀) に登場したのは、「私有財産権」を神聖なものとする観念に立脚して、商品の生産と販売を通じて利潤を獲得し、富の蓄積と誇示に努める産業企業群だった。これらの企業が演じた競争ゲーム (富のゲーム) の場が、「世界市場」だった。
そしていよいよ、世界は近代化の第三局面に入ろうとしている。ここでは、「情報権」とでも呼ぶべき新たな権利観念に立脚して、知識の創造と普及を通じてその信奉者を獲得し、広い範囲の知的影響力の拡大と発揮に努める主体群 (智業) が出現してくる。これらの智業が行う智のゲームの場が、グローバル・ネットワークなのである。その意味では、未来のグローバル・コミュニケーションの中核は、智業による知識の創造と普及によって占められるだろう。
それでは、智業による知識の普及活動の対象になるのは誰だろうか。ここでも、前の時代との比較が役にたつ。企業が生産する商品の最終的な買い手は、「家計」であった。家計とは、財を購入し消費することによって、その効用の増大をはかる存在である。それと似たような意味で、知識を受容し応用することによって、自分の厚生を増大させようとする主体の存在ないし出現を想定してみることができるだろう。私の考えでは、それは伝統的な家族や地域共同体とは性格を異にする新しいタイプの社会集団、いってみれば高度なコミュニケーションで結ばれた共同体型のネットワーク、とでもいうべきものになりそうだ。私は、とりあえず、それを「コネクティブ」と呼んでおきたい。
いうまでもないが、新しい競争ゲームが出現したからといって、既存の競争ゲームやそのプレヤーが、すぐに消滅してしまいはしない。現に、産業企業が出現しても、主権国家と、国家間の戦争は残り続けたし、産業化の初期には国家と企業の間の協働・補完関係が顕著に見られた。国家と企業 (とりわけ多国籍企業) との間の関係が競合的な性格を強くしたり、国家が行う「威のゲーム」の正統性が、広く否定されるようになったりしたのは、20世紀に入ってからのことだった。
同様な意味で、「智のゲーム」が普及しはじめたからといって、「富のゲーム」がにわかに正統性を失ったり消滅したりするとは考えにくい。すくなくとも、しばらくの間は、智業と企業との間には協働・補完関係が展開されるだろう。しかし、それは同時に企業のたずさわるビジネスの性格を、変えずにはおかないだろう。たとえば、企業自体が、智業的な性格を備えはじめるかもしれない。また、商品の販売も、市場で行われるものよりは、コミュニケーション・ネットワークでの、智業に仲介されたコネクティブを対象とするものの比重が、しだいに大きくなっていくかもしれない。