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1992年1月03日

「堺屋『知価革命』書評」

公文俊平

20世紀の日本の社会科学、とりわけ第二次大戦後のそれは、長らくマルクス・レーニン主義の圧倒的な影響下におかれ、唯物史観を日本の現実に適用することが、その主要な課題とみなされてきた。他方、マルクス・レーニン主義とは立場を異にする社会科学者の多くは、欧米の最新の学説を翻訳・紹介することに専念してきた。このような知的風土の中では、オリジナルでしかも普遍性をもった社会理論の出現は、ほとんど期待できなかった。  

しかし、少数ながら例外−−偉大な例外というべきだろうが−−もあった。その中でももっとも先駆的かつ代表的というべき業績をあげたのは、動物学者として出発し、人類学・民族学者として頭角をあらわし、さらに、学際的な視点に立って、空間的にも時間的にも人類文明全体を対象とする雄大な理論の展開を試みてきた Umesao Tadao である。Umesaoは、早くも1957年に、論文「文明の生態史観」(1) を発表して、現代世界はふたつの異なる文明群からなるという解釈を提示した。すなわち彼は、世界 (新大陸を除く) は、その辺境に位置する第一地域 (西欧や日本) と、中心部の第二地域 (ロシヤ、中国、インド、アラビア) とに分けることができ、両者はそれぞれ異なる社会変化 (近代化) の型を示している−−前者の変化が autogenic succession だとすれば、後者のそれは allogenic successionである−−と主張した。続いて1963年には、論文「情報産業論」(2) において、人類の文明は、農業から工業の段階をへて、いまや「情報産業」の段階に入ろうとしていると論じた。彼は、文明史のこの三段階を、動物の embryology にいう三胚葉の機能分化とのアナロジーで考えた。すなわち、消化系→筋肉系→脳神経系の各器官系の分化を、農業→工業→情報産業がそれぞれ主力となる時代の交代に対応させたのである。ちなみに、この「情報産業」という言葉は Umesao の造語だが、それが契機となって、「情報社会」という言葉が作られ(3) 急速に普及していった。  

Umesaoは、この二つの論文で、人類の諸文明を空間的に比較すると同時に、「情報」という概念をキーワードとして、その時間的な変化の方向を探ろうとした。彼のこの先駆的な試みは、その後、何人かの論者によって受け継がれ、発展させられた。たとえば、科学史家の It Shuntar は、諸文明の空間的・時間的両面での比較の精緻化を試みる(4) と共に、「比較文明学会」を組織した。また、社会学者のYoshida Tamitoは、彼のいう Pan-Darwinismの立場から、an integrated science としての「情報科学」を構築して、人類文明の進化の理論的な基礎づけを試みた。(5) 同様な試みは、Yoshida がその中心メンバーの一人である、「社会経済システム学会」によって続けられている。  

さて、以下に論評の対象として取り上げる Sakaiya Taichi の『知価革命』は、それが現代文明の全体を取り上げてその行方を予測しようと試みている(6) という意味では、私が上に紹介したような日本の学界の−−これまではどちらかといえば異端的なものにとどまっていた−−流れに沿っているということができる。ただし、 Sakaiya自身が、そのことをどこまで自覚しているかは、明らかではない。(7)

それはともかくとして、本書には、いくつかの積極的な価値を見出すことができる。その第一は、未来の社会について、not "simply to predict that there will be change" but "to know what sort of world will emerge in the wake of these changes" (p.xviii)に努めていることである。第二は、そのための手法として、歴史を過去にさかのぼって、現代の社会や未来の社会に類似した社会をさがしもとめたり、超長期的な社会変化の類型性をひきだしたりすることによって、そこに未来を考える手掛かりをえようとしていることである。第三は、未来社会を「知価社会」として特徴づけようとしている点である。第四は、多くの読者にはおよそ耳慣れない新しい事柄を、ごく分かりやすい表現で、豊富な−−時には豊富すぎて戸惑わされるほどの−−具体例をあげながら、論じていることである。これらの特色があいまって、本書は極めて thought-provokingな本になっている。

しかし、著者のそうした試みが、結果的にどこまで成功しているかは別である。少なくとも私は、次のいくつかの点で、大きな不満を覚えざるをえない。  

第一に、 Sakaiyaのアプローチは、あまりにも二項対立的にすぎる。1960年代初めの Umesao の先駆的な問題提起の後、日本では「情報化」をめぐる議論がひとしきり賑やかに行われたが、その当時の未来論は現実よりも先行していた感があり、いったん下火になっていた。しかし、1980年代に入ると、近代産業社会に何か大きな質的変化が起こり始めたという自覚を、多くの人々がもつようになり、再び「情報化」論議がさかんになった。ところが、 Sakaiyaによれば、それらの人々は、この変化を特徴づけるにさいして、次の二つの立場のいずれかをとっている。その一つは、近年の変化を、従来からも進行していたのと同じ種類の変化(産業化)が、より高度な段階に入りつつあるとする立場である。いま一つは、従来とは質的に異なる新しいタイプの社会を生み出すような変化の最初の段階が起こっているとする立場である。そして Sakaiya自身は、この二つの立場は両立しえないと考え、後者の立場にたって、「新社会」の内容を具体的に予測しようとする。しかし、私の考えでは、この二つの立場は、必ずしも二律背反的ではない。そればかりか、そのいずれとも異なる第三の立場も、同時に成立しうるのだが、この点については後述する。 第二に、 Sakaiyaは、社会変化の発生する仕組みとして、次のようなものを考えている。すなわち、一方には、technology, resource supply, population のような, いわば人間の外部にある客観的な要因がある。他方には、彼が "ningen no j chi"と呼ぶ主観的な要因がある。(8) 後者は、「豊富な者を沢山使うことを恰好よいと感じる美意識と不足なものを節約するのは正しいことだと信じる倫理観」(p.20)を育て上げる人間の精神の働きである。この主観的な要因が、客観的な諸要因のある特定の組み合わせに出会う時に、ある特定の美意識と倫理観が形作られてくる。たとえば、人口に比較して相対的に豊富な資源に恵まれ、資源を人間にとって有用な物財に変換する技術も利用可能になっている工業社会では、豊富な資源をどんどん消費することが恰好よいとする美意識と、不足がちとなる人手を節約するのは正しいことだという倫理観とが育ってくるというわけだ。  

そして Sakaiyaは、このいわば普遍的で不変な仕組みを適用して、工業社会だけでなく、古代や中世、あるいは未来社会における人間の美意識と倫理観の変化を説明しようとするのだが、残念なことに、彼の説明はいささか一貫性を欠いているように思われる。たとえば、工業社会の倫理観としては、彼は「不足なものの節約」よりはむしろ、「資源の多消費を可能にすることを正義と考える倫理観」を強調している (p.32,p.55等) 。他方では、彼は中世については、それを "cultures with too few things and much time" (p.173)として、あるいは "a lack of goods, a surfeit of time" の時代として特徴づけている。しかし、中世において、本当に時間はありあまっており、時間を大量に消費することが恰好いいとされていたのだろうか? また、不足するモノをできるだけ節約するのが正義とされていたのだろうか? Sakaiyaが実際に言及し強調しているのは、中世人の"antimaterialistic spirit"(p.174) であり、"medieval societies founded on the guiding assumption that material goods are of little improtance"(p.201)である。しかし、「不足なものを節約しようとする心」と、「物財の所有や消費に関心を払わない」心とは、はたして同じだろうか。人間は、むしろ、物財が充分豊富になってきた時に、それに対する関心を失いがちになるのではないか。逆に、資源の有限性が自覚されるようになると、物財に対する関心はかえって高まり、それを貴重なものとみなすようになるのではないだろうか。そう考えると、彼の説明が一貫性を欠いているように見えるのは、説明の仕方が悪いからではなくて、彼が社会変化の基本的な仕組みだと考えた理論−−もっぱら何かの不足と豊富というタームでものごとを解釈していこうとするアプローチ−−自体に欠陥があるためだと結論せざるをえない。工業文明の後にくる社会を、"a society with a shortage of things and an abundance of wisdom" (p.234)だと特徴づける Sakaiyaの論旨が、いま一つ説得力に欠けるのもそのためであろう。

第三に、 Sakaiyaは、依然として経済的な観点に縛られすぎている。彼がキーワードとして採用した「知価」という言葉にも、それが表れている。 Sakaiyaは、本書の日本語版への序文で、本書の表題である「知価革命」とは、「 "知恵の値打ち" が経済の成長と資本の蓄積の主要な源泉となる知価社会を創り出す技術、資源環境および人口の変化と、それによって生じる人々の倫理観と美意識の急激な変化全体がもたらす社会の大変革」のことだ、と説明している。 Sakaiyaのいう「知価」とは、結局のところ、知識あるいは情報の経済価値であり、その価格−−たとえ、その決定の仕組みが通常の商品の場合とは大きく異なってくるにせよ−−にほかならないのである。もちろん、 Sakaiyaのいうこれまでの産業社会とは異なる「新社会」においても、経済活動がなくなることはないだろう。しかし、そこで人間活動のもっともおおきなウェートを占めるようになるのは、経済活動以外の活動であるはずだ。そうだとすれば、 Sakaiyaの未来社会論の中核は、そのような非経済活動の内容は何であり、どのような社会的な仕組みの中でそれが行われるようになるかの分析でなければならなかったのではないか。

第四に、 Sakaiyaは、近代化とは産業化のことだと考え、さらに「近代西欧文明」という言い方で、近代化と西欧化を事実上同一視している(pp.37-38)。これは、近代化という現象、あるいは近代文明を、不当に狭く解釈していることにならないだろうか。かつて Umesao が指摘したように、近代化を東欧をも含むヨーロッパと東・東南アジアとでほぼ同時並行的に発生した現象とみなすことは、決して不可能ではない。実際、近代文明の基本的な価値観が、未来に向かっての進歩の可能性への信念、進歩を実現する手段としての科学技術への信頼、国家の独立や職業の専門分化に与える高い評価などにあるとすれば、日本やアジアNIEsあるいはASEAN の諸国などは、確かに近代文明の価値観を共有している。また、多くの国際政治学者や歴史家が認めるように、「近代化」は「産業化」よりもはるか以前から生じていた現象であり、たとえばヨーロッパで16世紀から17世紀にかけて起こった「近代主権国家」の誕生−−「産業化」との対比でいえば「軍事化」とでも呼ぶのが適切な事態−−は、近代化の重要なメルクマールの一つである。(9) さらにいえば、近代化は、軍事化と産業化だけで終わるのではなく、産業化の後に、近代化のもう一つの局面−−たとえば「情報化」とでも呼ぶのが適切なような−−が出現すると考えてみることも可能である。

第五に、 Sakaiyaが試みた文明の時代区分は、どうにもうなづけない。彼は、人類の文明を五つの時代に分ける:すなわち、今日までの primary, ancient, medieval,および modern という四つの時代と、そしてこれからやってくる知価社会である。そして、古代と近代とは、物財の豊かさが求められたという点で互いに類似し、中世と知価社会とは、物質文明の否定という意味で互いに類似していると考えている。このような見方を取る場合には、「古代」は相対的に短くなり、その分「中世」が長くなってこざるをえない。すなわち、 Sakaiyaは、中国では二、三世紀に、地中海周辺では三、四世紀に、古代文明の衰亡と中世文化の形成が見られたとしているのである(pp.160-161)。

しかし、このような見方は、さきにあげた Umesao やIt の見方、あるいは Murakami や私の見方(10)とは、非常に違っている。これらの論者は、「前七世紀から四世紀にかけて、ギリシア、イスラエル、インド、中国にほぼ並行して」(11)出現した新しい文明 (恐らくは「古典古代文明」あるいは「後期農耕・牧畜文明」とでも呼ぶのが適切であろう) を生み出した要因として、いわゆる historical religions に注目している。It の用語でいえば、この古代文明は「精神革命」の結果として誕生したのである。他方、農業革命や都市を中心とする国家の形成、あるいは鉄器や文字の使用などは、 Sakaiyaの用語でいえば始代 [the primary era]に属する、古典古代文明に先行する文明 (血縁の原理に立脚する文明であって、その進化過程で農耕・牧畜革命が起こったという意味では、初期農耕・牧畜文明と呼ぶのが適切であろう) によって行われたとする。その意味では、物質的な豊かさの追求は、古代文明よりはむしろ始代文明の特色だったといえるのではないだろうか。他方、古代文明の精神的基盤となった historical religions の教えの方が、むしろ物質文明や進歩の観念を否定する傾向が強かった。独立や分化よりは統合と世界化を指向した古代文明にとっての「黄金時代」は遠い過去にあり、時間の経過は衰亡と堕落を意味するものでしかなかった。新しいものは、「復古」あるいは「復興」の名のもとにしか容認されなかったのである。そして、この古代文明は、少なくとも梅棹のいう「第二地域」においては、ごく最近まで−−いやことによると今日でさえ−−その基本的な枠組みを維持してきた。つまり、 Sakaiyaのいう「中世」的な美意識や倫理観は、私にいわせると、「古代」文明のものなのである。  

そうだとすれば、近代文明の次の「新社会」あるいは「新文明」は、古典古代文明と、その美意識や倫理観を共有する傾向が強くなりそうだ。その意味では、新文明のもつ美意識や倫理観の内容を積極的に予測しようと思えば、historical religionsの教えを再検討してみることが有用ではないだろうか。  

だがそうはいっても、近代文明から新文明への転換が、短期間に一気に進むとは考えにくい。あるいは別の言い方をするならば、今日まで進行してきた「産業化」の勢いが、一気に衰えてしまうとは考えにくい。さらにいえば、先にもふれたように、産業化の勢いが衰えたとしても、別の形の近代化が依然として続いていくかもしれない。もちろん、それらのさまざまな社会変化は、新文明への転換といってみれば同時並行的に発生してもいっこうにさしつかえないし、事実そのように見る方が、現在進行中の巨大な社会変化の正確をより正確に捉えることができると私は思う。  

そこで最後に、 Sakaiyaが本書で展開している未来社会論とは異なるタイプの、私の未来社会論の枠組みだけを簡単に提示してみよう。それは、「情報化」を次の三種類の社会変化が同時並行的に、複合して生じている社会現象だとみなす立場にたっている。  

第一に、産業化の勢いはまだ当分衰えないばかりか、産業化は、ほぼ百年を画期とするその第三の段階(21 世紀システム) に入りつつある。産業化の第一段階(19 世紀システム:1775〜1875) は、産業的には蒸気機関と鉄製の機械に支えられた軽工業の段階であり、制度的には、自己調整的市場 [self-regulating market](Karl Polanyi) と自由主義国家に支えられた自由競争の段階であった。第二段階(20 世紀システム:1875〜1975) は、産業的には電気・石油エネルギーと人工の素材に支えられた重化学工業の段階であり、制度的には政治と経済の「混合体制」に支えられた寡占的競争の段階であった。第三段階は、産業的にはコンピュータと各種の新素材に支えられた情報・通信産業の段階となり、制度的には各種のネットワーク型の社会システムに支えられた協働[collaboration] の段階に入ると思われる。(12)

第二に、「近代化」過程を、人間が自らの目標をよりよく実現するための手段の獲得をめざして競争するようになる過程だと解釈するならば、近代化には三つの局面が区別できる。その第一は、主権国家が主体となって、国際社会という arenaで、prestigeすなわちcoercion/threat のための抽象・一般化された手段の入手をめざして、ある共通なルールの下で競争する「軍事化/国家化」の局面である。この競争ゲームは、the prestige game と呼ぶことができる。その第二は、産業企業が主体となって、世界市場というarena で、wealthすなわち exploitation/exchangeのための抽象・一般化された手段の入手をめざして、ある共通なルールの下で競争する「産業化/企業化」の局面である。この競争ゲームは、the wealth game と呼ぶことができる。その第三は、智業[intelprises] とでも呼ぶことが適切なタイプの組織が主体となって、global networkという arenaで、wisdomすなわち inducement/persuasionのための抽象・一般化された手段の入手をめざして、ある共通なルールの下で競争する「情報化/智業化」の局面である。この競争ゲームは、the wisdom game と呼ぶことができる。これら三つの局面は、大きくは継起するが、互いにかなりの期間にわたって重複してもいる。現在は、the prestige game の−−つまり侵略戦争や植民地獲得競争の−−社会的正統性が最終的に否定されたところである。しかし、the wealth game の正統性については、多くの疑念が提出され始めてはいるが、まだ否定されてはいない。他方、the wisdom game については、まだそのルールも確定していない。その意味では、現在は、丁度産業化の初期のように、あちこちにさまざまな勇気ある個人智業家が−−世間からは多少いかがわしい存在とみられながら−−輩出している段階であろう。私の考えでは、Sakaiya 氏は Ohmae Ken'ichi 氏や Ohkawa Ry h 氏らとならぶ、日本の代表的初期智業家の一人である。(13)

第三に、近代文明は、その成長の過程で産業化や情報化を生み出したという意味では、初期産業・情報文明と呼ぶことができる。これに対して、古典古代文明=後期農耕・牧畜文明と少なからぬ類似性をもつと思われる新文明を後期産業・情報文明と呼ぶならば、現代は、上の二つの社会変化とならんで、第三の社会変化としての、後期産業・情報文明への移行のきざしが見え始めた時代でもあるということができる。成長よりも存続を重視する価値観の台頭、地球環境の保全への関心の高まり、宗教への新しい関心の高まりなどは、この意味での移行の始まりを示唆している。しかし、この新文明への移行のきっかけをなすのは、Alvin Toffler のいう意味での「the Third Wave」すなわち、人類史の第四段階の到来を告げるような技術革新の波ではないと思われる。新文明の価値観に従えば、それまでに開発蓄積された科学技術を総合的に理解し運用すれば足りるのであって、新技術の開発に対してはむしろ抑止する姿勢が取られるのではないだろうか。(14)

以上の考察を前提にして、あらためて Sakaiyaの本書での試みを位置づけるならば、それはもっぱら私のいう第二と第三の意味での情報化の諸側面のみを、互いに区別しないままで論じようとしたものだということができる。

(1) 『中央公論』、1957年 1月号.

(2) 『放送朝日』、1963年 1月号 (『中央公論』、1963年 3月号に再掲).

(3) たとえば、Umesaoの論文が最初に掲載された『放送朝日』の1964年 1月号には、当時 Umesao と同じく京都大学人文科学研究所にいた Kuwabara Takeo が、「情報社会のソシオロジー」という題の論文を発表している。

(4) It Shuntar , 『文明の誕生』、講談社、1988 (その原型は1974年に出版されている) 、『比較文明と日本』、中央公論社、1990.

(5) Yoshida Tamito, 「情報科学の構想−−エヴォルーショニスト[evolutionist]のウィーナー[Wiener]的自然観」、in Yoshida Tamito, Kat Hidetoshi, and Takeuchi Ikuo, 『社会的コミュニケーション』 (今日の社会心理学/4)、培風館、1967.

(6) 彼はいう。"My purpose in writing this book was to talk about the gigantic transformation contemporary society is undergoing and to give a clear sense of the essence of the new society that will emerge from it." p. xvii

(7) 「評論家」と総称される日本の多くの著作家の作品がそうであるように、 Sakaiyaのこの本の日本語版には、比較的詳しい目次があるだけで、索引はない。先行する業績についての、とりわけ日本での同種の試みについての言及も、皆無である。英語版には、さすがに索引がつけられている。ただし、この索引には多少の問題がある。たとえば、索引には"Medieval era"という見出し項目があって、12該当箇所が指示されているが、"Medieval"という単語が大文字で始まっている箇所は一つもない。また、 "medieval era" が出てくるのは、このうち三箇所にすぎない。それ以外の箇所では、"medieval"という形容詞の後に、"man" "society" "environment" "civilization"など、"era" 以外の名詞がついている。

(8) 英語版の訳者たちは、 Sakaiyaの基本概念である "ningen no j chi"を、どう英語に翻訳すべきかに悩んでいる。確かに、"j chi" という言葉は Sakaiyaの造語であって、辞書にはない言葉である。訳者たちは、それは "literally, the `felt knowledge' or `informing instinct' of man" だと述べた上で、それに対して、 "the empathetic impulse" or "enlightened self-interest"という訳語をあてている。しかし、私には、この "j chi"という言葉が、人間の精神作用のうちで、感情あるいは評価の側面をあらわす "j " ということばと、理知あるいは認識の側面をあらわす"chi" ということばの合成語であることは、ほとんど明らかであるように思われる。 もう一つ、訳者たちは、技術、資源、人口という三つの要因を"`the disruptive elements' that undermine civilizations"(p.128) と呼んでいる。これは、 Sakaiyaの"bunmei no hannin"−−文字どおりには "the culprits of civilization" −−という表現の英訳なのだが、これは訳しすぎであろう。なぜなら、 Sakaiyaの文脈では、これらの要因は、 "the factors that accompany significant cultural [日本語原文ではcivilizational] transitions" (p.79) 、つまり、既存の文明を "undermine"する要因でもあると同時に、新しい文明を生み出す要因でもある、とされているからである。

(9) その意味では、15世紀から16世紀にかけての日本の「戦国時代」も、日本列島という小宇宙の中ではあったが、独立国家群とそれらを要素とする競争社会の生まれた時代だったとみることができる。   

(10) Murakami Yasusuke, 「文明の動学序説」in『比較文明 1』、T sui Shob , 1985 を参照。

(11) It Shuntar ,『比較文明と日本』、中央公論社、1990年、p.251.なお、「古代文明」の出発点のとりかたについては、 Sakaiyaとこれらの論者との間の違いはほとんどない。 Sakaiyaはいう。"The ancient form of civilization first developed by societies in the Middle East, northwest India, and the Yellow River valley of China during the eighth and seventh centuries B.C. persisted and expanded for roughly a millennium." (p.103)

(12)制度面から産業化の三つの段階について最初に論じた書物としては、Kumon Shumpei 、『転換期の世界 [The World in the Period of Transition]』、講談社、1978年がある。また、各段階を特徴づける技術パラダイムの違いに注目しながら産業化の21世紀システムの予測を試みた書物としては、Murakami Yasusuke を主査とするチームによる共同研究『二十一世紀システムの展望』、大蔵省印刷局、(1985 年の刊行のはずだが、刊行日時の記載はない) がある。

(13)ここで述べた三つの競争ゲームについて最初に論じた書物としては、Kumon Shumpei 、『社会システム論』、日本経済新聞社、1978年がある。

(14)たとえば、核エネルギー操作技術や遺伝子操作技術などは、環境を破壊する危険が高い技術として、むしろ開発を抑制する政策が取られるようになるのではないだろうか。その意味では、さらに高度な技術革命が生じて、人類が超人類になり宇宙に向かって飛び出すようになるのは、「後期産業・情報文明」のさらにその先にある文明の段階が始まった後のことになると私は想像している。