1992年1月18日
公文俊平
著作権と特許権の歴史を通じて、思索家たちが自分のアイデアの財産権に関心をいだいたのは、それらのアイデアが、本としてであれ発明品としてであれ何らかの具体的な形をとった時点でのことだった。実際問題として、法的な保護は、表現されたアイデアよりも、それを入れておく有形の容器に対して−−つまりワインよりはその瓶に対して−−与えられてきたのである。
だが今や、情報は精神の本来の住処であるサイバースペースに入り、その容器は消滅しつつある。つまり、表現はオンライン上で飛び交い、オンライン上にとどまっている。情報時代の財は、純粋の思考、あるいは思考にきわめてよく似たもの−−たとえば光速でネットの中を飛翔していく電圧の状態−−として存在する傾向を、ますます強めるだろう。これらの財は、紙片であれCD-ROMであれ、われわれが手に触れることのできる入れ物の中にはいっさい入れられていないのである。
表現されたアイデアを物質的な媒体に入れるという従来の方式を用いない場合に、精神活動による仕事の対価をどのようして支払えばよいのかという問いに対する答を、われわれは持ち合わせていない。今日の事態をさらに一層混乱させているのは、これまでの太陽光や鉱物資源にかわって、人間の精神活動が新しい富の主要な源泉になりつつあるという事実である。
われわれが現在作り出しつつある経済の中では、主要な商品は、いくらでも複製し、瞬時にして地球の裏側にまで送りとどけることができる。しかも、それがごく僅かな費用で、そのもともとの創作者や現在の所有者の同意のあるなしにかかわらず、行われうる。場合によっては、もとの商品は創作者や所有者の手に残ったままで、その複製が盗み取られてしまうのである。
さりとて、無許可の書物を出版停止にすることも、秘密の印刷物を押収することもできないままに、既存の著作権法をひたすら強制適用しようとすれば、知的財産の究極の源泉であるアイデアの自由な交流は、危殆にひんしてしまうのではないだろうか。すなわち、経済の中で交換の対象とされる主要な商品が、事実上従来の言論と区別がつかないものになってしまうとき、また、そのような商品については、その所有権を保護するための伝統的な仕方がますます不適切なものになっていくとき、知的財産権を強制しようとする努力は、必然的に言論の自由を侵害することにならざるをえないのである。
将来のわれわれの自由に対する侵害は、政府からではなく、次第に、企業の法務部から来ることになるのかもしれない。実際にかかる費用や一般の社会通念によってはもはや守りきれなくなったものを、強制力に頼って守ろうとしているのが、企業の法務部なのである。
さらに状況を複雑にしているのは、ディジタル技術の発達によって、知的財産権の保護の対象となる物理的な入れ物だけでなく、物理的世界の法的な管轄権すら抹消され、この世界が、境界線のない、その大部分がまだ無法状態の、サイバースペースの大海に変わりつつあるという事実である。
サイバースペースにおいては、犯罪の現場を囲い込み、訴追の方式を決めるための国家や地方行政の境界線は存在していない。それどころか、何が犯罪なのかという明確な文化的合意すらない。欧米とアジアの間の、知的財産権をめぐる文化的理解の埋め難い相違は、サイバースペースにおいてはますます深刻の度を加えるだろう。というのは、ここでは、ほとんどの取引が東西両半球にわたって−−しかも、ある意味ではそのどちらでもない場所で−−行われているからである。
今日では、財産、価値、所有権等の概念が、さらに富の性質それ自体が、根本的に変わろうとしている。それは、シュメール人が粘土板に穀物の貯蔵量を示す楔形文字を刻み込んだ時以来の、大きな変化である。それなのに、今、この時点で、この差し迫った変化の巨大さに気付いているのは、ほんの少数の人にすぎない。新しい形の財産を、古い方式で保護しようとする試みが目に見えてますます空しいものになり、しかもそのゆえにますます断乎としたものとなっていくところに噴出する、法的・社会的な混乱に対する備えを開始することは、これらの少数者の義務でなければならない。
人類社会は、これからの世界経済を、いわば無形の財の上に築こうとしているようにみえる。しかし、これらの財の創造者と、その財から他の人々が引き出す効用や快楽に対して支払われる正当な代価との間に、何らかの予見可能な結びつきを作り出さないかぎり、われわれは、未来を、逆上と訴訟沙汰の上に、また、暴力に訴えられる場合以外は支払いを制度的に回避しようとする試みの上に、築こうとしていることになるだろう。これでは財産権の確立していなかった野蛮な時代への回帰になりかねない。
人類史の暗黒な時代を通じて、財産の所有と配分は、主として軍事的な出来事だった。「所有権」は、拳であれ武器であれ、最もおぞましい手段をもち、しかも最も断乎としてそれを使用する意思をもつ人々の手に帰した。その時代の財産とは、ならず者たちの神聖な権利に他ならなかったのである。
西暦1000年ごろから、商人階級と地主貴族の出現に伴って、財産権をめぐる係争の解決に役立つようなさまざまな倫理的な相互了解が積み上げられていった。そして中世後期になると、イギリスのヘンリー二世のような開明君主が、これらの慣習法を、成文の法典として制定しはじめた。それらの法律の適用範囲は地域的に限定されていたが、その主たる対象が移動しそうにもない形の財産、つまり不動産だったために、そのことは大した障害にはならなかった。また、富の源泉が農業であった間は、この間の事情の変化もなかった。
しかし、産業革命の到来と同時に、人々は、目的に加えて手段にも注目するようになった。道具や機械が、新たな社会的価値物となり、また、道具や機械自体の発達のおかげで、それらを大量に複製し市販することが可能になった。道具や機械の発明を奨励するために、ほとんどの西欧諸国では著作権法と特許法が発達した。その結果、発明者は、その発明品を他人が使用することで得られる価値に対する、報償を得ることが確実になった。
特許法と著作権法のいずれにおいても、元来の法的保護は、アイデアそれ自体ではなしに、アイデアの表現に対して向けられていた。洋の東西を問わず、物事の性質に関するアイデアや事実は、人類の共有財産だと考えられていたのである。
したがって、たとえば著作権に関していえば、原著者がフランチャイズ〔一手販売・複製権〕を与えることができたのは、自分のある特定のアイデアを表現する語句の厳密な並び方、もしくは、自分の発見した諸事実を提示するさいのその順序に対してであった。内容自体に対しては、何の要求もできなかったのである。しかも、このフランチャイズが成立する瞬間というのは、表現者のアイデアが彼の心から出て紙の上のインクに変わることによって "言葉が肉となる" その瞬間であった。そこから後のメディアの展開は、それが文章、画像、あるいは音声のいずれの形をとることになろうと、上記の瞬間の持つ法律的な重要性を変更するものではなかった。法律は表現を保護したのであって、その場合の表現とは〔観念の〕物質化を意味していたのである。
精神的なものから物質的なものへの転換のこのような重要性は、特許法の場合には、さらにより中心的な位置を占めていた。ごく最近まで、特許といえば、文字通り、ある素材が何らかの用に供される際にそれが取る形を、記述したものであった。その場合、ある形をもって出現する対象が、世間にとってとくに新しいものだとはみなされなかったり、なんらかの物的な制約のために素材にそうした形を取らせることがそもそも不可能だったりすれば、特許は与えられなかったのである。つまり、クラインの壺や絹のシャベルでは、特許は取れなかった。特許の対象となるものは、ちゃんと動く必要があったのだ。
したがって、発明や著作に関する権利は、物的世界でのなんらかの行為や一連の動作に付着していた。人々は、そのアイデアに対してではなしに、アイデアを実行する能力に対して、報酬を得たのである。
物的な表示が要求されていたかぎりでは、表現は、そのために必要とされる労力や費用によっても保護されていた。実際、本を一冊作ることでさえ、困難で金のかかる仕事だった。しかも、その種の表現形式は、比較的変更されにくかった。要するに、物理的に変更が難しかったのである。たとえば、ある著者が他人の本の中の語句に十分大きな変更を加えて、それを自分の著作だと主張したいと思ったとしても、実際にそうするための労力の大きさを考えると、とても引き合わなかったのである。
だが今や、そうした制約はすべて消滅してしまった。今日では、アイデアに物理的な形式を与えることなしに、それを人の心から心へと伝達することが可能になったために、われわれは、アイデアの表現だけでなく、アイデアそれ自体の所有権を主張しはじめた。また同様に、今日では、物理的な形態を決してとることのない有用な道具を作りだすことも可能になったために、われわれは、製法や一連の事象、あるいは数式に対してまで、特許を取ろうとしはじめたのである。 (第一部 了)