1992年2月24日
公文俊平
ソ連型の社会主義体制はほとんど瞬時に瓦解したが、資本主義体制は安定した発展を続けているといえるだろうか。近年の日本異質論などがしめすように、資本主義体制の内部にも、新しい東西対立といいたくなるようなきしみや確執が生じている。それに、資本主義体制が今後、第三世界の発展にとってのモデルとなりうる可能性も、あまり大きいとはいえない。そのため、第三世界には前近代文明の伝統に復帰しようとする原理主義的な動きも台頭しつつある。
しかし、それと並んで、一九七〇年代の半ばごろから、「情報化」と総称されるような新しい技術革新と社会変化の波が、先進産業社会をおおいはじめた。どうやら、近代産業文明そのものが、ある転換期を迎えつつあるらしい。そして、「情報文明」とでもよぶことのできる新しい文明が、しだいに姿をあらわそうとしているのではないか。深刻さを増している南北問題や地球環境問題も、また、産業社会の内部での「自由主義体制」と「開発主義体制」の競合の問題も、実は、近代産業文明の転換と新しい文明の出現という視点にたつことで、はじめて効果的な対処が可能になるとおもわれる。
情報文明をとらえる視角
そこで、本誌の紙上をかりて、これから一年の予定で、国の内外のいろいろな筆者にお願いして、来るべき「情報文明」の姿を、さまざまな視角から解明していきたい。
私の考えでは、「情報文明」をとらえる視角としては、少なくとも次の三つのものが必要である。
その一つは、近代文明、それも産業文明としての近代文明を反省する視角である。近代の産業社会は、一七七〇年代の後半あたりに生じた〔第一次〕産業革命以来、ほぼ百年に一度のわりで、主要な技術基盤や産業構造、あるいは経営組織の在りかたを、おおきく変化させてきている。近年の「情報化」の一つの意味は、一九七〇年代の後半以来、産業の技術や生産物、あるいは企業組織のなかで情報のしめる比重が、いちじるしく増大しはじめたということにある。それは、一八七〇年代の後半以来の重化学工業化や電化をもたらした「第二次産業革命」に匹敵する重要性をもつ変化であって、「第三次産業革命」とよんでもよかろう。それがもたらす「産業の情報化」あるいは「情報の産業化」は、これからどのような形をとって進行し、未来の情報文明にどのような影響をおよぼしていくだろうか。
いま一つは、産業化をその一段階としてふくむ、より長期間にわたる「近代化」過程の全体をみわたす視角である。西欧や日本に生じた近代化の最初のうねりは、広域的な政治権力や宗教的権威からは独立の自律・自立的な主体の形成だった。それが、いわゆる近代主権国家や国民国家の形成をもたらし、さらにそれらの国家は、国際社会を舞台として、互いに国威の増進・発揚をめざす競争にくわわるようになった。これを「軍事化」あるいは「国家化」とよぶとすれば、産業企業が主体となって、世界紙上を舞台として、互いに富の蓄積と誇示をめざす競争をおこなうという意味での「産業化」あるいは「企業化」は、近代化の第二段階にあたるということができるだろう。そうだとすれば、「情報化」の第二の意味として、近代化の第三段階への移行をかんがえてみることはできないだろうか。つまり、「国家」とも「企業」とも違うタイプの社会集団(たとえば「智業」とでもよぶことが適切な集団)が出現して、国威とも富力とも異なるタイプの力−−たとえば智的影響力−−の拡大と行使をめざして互いに競争しはじめる、といった事態も想像できる。この意味での「情報化」あるいは「智業化」は、未来の情報文明の形成にとって、どのような役割を演じるだろうか。
「情報化」の第三の意味として、近代文明とは異なる原理に立脚する新しい文明、つまり「情報文明」の出現、ということがありそうだ。近代文明が立脚している基本的な信念は、独立と分化・分業がもたらす未来に向かっての無限の進歩・発展の可能性への信念であった。しかし、この信念は、近年の環境破壊や資源危機、あるいは経済成長の停滞などによって、ゆらぎはじめている。どうやら近代文明は、その成長の限界に達しつつあるらしい。だとすれば、近代文明の限界をこえる新文明の原理は、独立よりも包括、分化よりも統合、発展よりも存続、未来よりも過去、をより重視するものになりそうだ。ふりかえってみれば、古代の中華帝国やインド帝国、あるいはローマ帝国やイスラム帝国が築いた前近代の文明(古典古代文明)は、まさに包括・統合・存続・過去志向型の信念に立脚していた。今日のわれわれは、これらの古典古代文明の原理から何が学べるかを、真剣に再検討すべきかもしれない。
未来の文明は、決して何もないところから突然発生したりはしない。ちょうど古典古代文明の構成要素のほとんどすべては、それに先だつ古代都市国家型の文明の遺産であったように、未来の情報文明の構成要素も、そのほとんどはそれに先だつ近代文明からの遺産であろう。現在急激に進行している技術革新と、それがもたらす産業化や近代化の新段階の人類史的意義は、きたるべき情報文明による統合のための素材を準備するというところにありはしないだろうか。
近代文明は、その最終局面で何を新しく生み出し、それが情報文明にどのように取りこまれていくのか、これが今回の連載でのわれわれの主要な関心事である。