92年度著作へ

1992年3月15日

「日本型モデルへのネットワーク・アプローチ」

共同研究 「日本型モデルのメリットとデメリット」

公文俊平

1)社会システムとしての「ネットワーク」  

「ネットワーク」ということばは、近年、コミュニケーションやコンピューターの分野で、極めて広く用いられるようになっている。社会科学の分野でも、とりわけ社会学や人類学では、「ネットワーク」ということばは、過去四半世紀の間にすっかり普及し定着してしまった。今日では、それ自身を「国際ネットワーク」と自称する社会的なネットワークの研究者の学会(INSNA=The International Network for Social Network Analysis)も作られ、Social Networks という季刊誌も発行されているほどである。

それにもかかわらず、「社会システムとしてのネットワーク」とはどのような特徴をもつ社会システムなのか、あるいはどのようなネットワークなのかとあらためて問うてみると、充分満足できる答はまだかならずしも与えられていない。我々は、日本社会の分析や説明に「ネットワーク」という概念を応用することが有用だと考えている。だが、このような事情のもとでは、そのようなアプローチを正当化するためには、我々自身が「ネットワーク」や「社会システム」をどう理解しているかについて、ある程度述べておかざるをえないだろう。

数学的な厳密さを別にしていえば、ネットワークという概念のもっとも抽象的・普遍的な定義は、次のようなものであろう。すなわち、任意のもの (たとえば「点」) の集まりと、個々のもの相互の間の関係 (たとえば「点」と「点」とをつなぐ「線」)があったとして、それらの関係 (線) に対して−−および場合によっては個々のもの (点) に対しても−−なんらかの変項が対応させられているもの、それがもっとも一般的な意味でのネットワークである。たとえば、いくつかの都市が、都市間ハイウエーで結びつけられていて、都市に居住する人口や都市間の交通量といった変項が考えられていれば、その全体は、一個のネットワークだということができるのである。

とはいえ、上のようなネットワークの定義はごくゆるやかなものなので、きわめて広い範囲の経験的対象に対して、直接適用できる。そうだとすれば、狭い意味での物理的対象に限らず、ほとんどあらゆる社会的対象も、すべてこの意味でのネットワークだとみなすことができる。しかし、ネットワークという概念を、社会システムのある特定の種類のものだけに対して適用し、それによって、その種の社会システムの特性を他の種の社会システム (たとえば市場や組織) と比較したいといった目的にとっては、上の一般的な定義だけでは足りないことは明らかである。

ただし、ここで我々のいう「社会システム」とは、複数の「主体」が、

  1. 共通の文化−−つまり、基本的な世界解釈・評価原理、行為原理、集団組織原理−−を基盤としつつ、
  2. 恒常的で定型化された規則的な相互行為を通じて、 結びつくことで形成されている一個の全体をさす。この意味での社会システムには、
  3. それ自体が一個の主体とみなすことのできる「複合主体」 (または「組織」) と、  
  4. それ自体は主体とはみなせない「社会型システム」
という二つの基本型が考えられる。

社会システムの要素としての主体、とりわけ近代文明社会の担い手としての主体が通有している文化の中核にあるのは、「手段的能動主義」の信念である。つまり、適当な「手段」を適当な仕方で「使用」すれば、世界 (の一部としての「客体」) にその「作用」が及ぶようにすることができるために、世界の状態−−自分自身もその一部に含まれるが−−は、少なくともある程度までは自分の思うままに変更できる、という信念である。主体は、このような信念に立脚して、世界を認識・評価し、世界との関係での自分の行為の目標を (詳細に、あるいは漠然と) 設定し、その実現に資すると思われる手段とその使用法を選択し、実行する。つまり、主体は、その意味で、「目標追求行動」ないし「主観的に合理的な行動」、あるいは単に「行為」、の主体なのである。

さて、ここで、主体が他主体の行為の制御を主たる目標として行う行為のことを、とくに「政治行為」と呼んでみよう。この意味での政治行為には、

  1. 交渉を伴う要求の形を取って、相手の主体が自らの判断・決定によってそれに対応することを期待するものと、
  2. 相手に対してとくに要求するようなことはしないが、結果的に相手がこちらの思いどおりの動きをすると期待できるようななんらかの作用を相手に加えるものとの、 二種類が考えられる。前者はさらに、次の三つの形式に分けてみることができる。すなわち、
  3. 当方の要求に従わなければ相手を攻撃するぞという条件をつける「脅迫」、
  4. 要求に従えば相手に協力するという条件をつける「取引」、
  5. 要求に従うことがとりもなおさず相手自身のためになることを示す「説得」がそれである。
他方、後者もまた、
  • 相手に有無をいわせずなんらかの行動を取らせてしまう「強制」、
  • 相手の防御のすきをついてこちらの思い通りの行為をしてしまう「搾取」、
  • 相手がこちらの期待通りの行動をとりたくなるような環境条件を設定してやる「誘導」、 の三つの方式に分けてみることができる。そして、「脅迫」は「強制」と、「取引」は「盗み」と、「説得」は「誘導」と、互いに親近性をもつものとすれば、政治行為の基本型は、
    1. 脅迫・強制型、
    2. 取引・搾取型、
    3. 説得・誘導型、
    の三つとなる。そうすると、それに応じて、社会システムや主体の分類についても、上の三つの政治行為のどれに特化しているか、という基準が考えられることになる。  

    さらに、上述したような、複合主体型か社会型かという区別の次元をも併せて考慮にいれるならば、社会システムには合計して六つのタイプのもの区別できることになる。以下、われわれが「ネットワーク」と総称したい社会システムとは、上の分類でいう「説得・誘導型」の行為が、システムの内外での政治行為の基本型となっているものである。個々の主体が「ネットワーク」型の社会システムに参加するのは、なによりも説得や誘導の手段となる有用な情報や知識の通有を求めてであろう。また、脅迫・強制や取引・搾取型の政治行為よりも、説得・誘導型の政治行為に、より大きな正統性を見出しているためであろう。

    「ネットワーク」型の社会システムはさらに、複合主体=組織でもあるものと、社会型システムにとどまっているものとに、区分できる。以下では、前者を「ネットワーク組織」と、後者を「社会型ネットワーク」と、それぞれ呼び分けることにしよう。

    ここで、次のような歴史的仮説を立ててみよう。すなわち、15〜16世紀から始まって今日にいたっている「近代化」の過程では、その時々に支配的な役割を占める社会システム (複合主体と社会型システムのペア) は、次の表に示すような順序で継起し重複しつつ、ついには交代している、という仮説がそれである。

              近代社会における支配的社会システムの交代
    
     |近代化の三局面|主な政治行為のタイプ|複合主体=組織|社会型システム | 
     |  1)軍事化  | 脅迫・強制特化型 |主権国家   |国際社会    |   
      | 2)産業化  | 取引・搾取特化型 |産業企業   |世界市場    |  
     | 3)情報化  | 説得・誘導特化型 |智業     |地球ネットワーク| 
     +−−−−−−−+−−−−−−−−−−+−−−−−−−+−−−−−−−−+ 
    
      

    (ただし、上の表の第三行目は、歴史的な事実ではなくて、近代社会の今後の進化についての我々の予測を示しているものにすぎない。また、いうまでもないが、上の表でいう「智業」は「ネットワーク組織」の、「地球ネットワーク」は「社会型ネットワーク」の、それぞれ一種である。)

    2)日本社会の中のネットワーク  

    以上は、近代社会の進化過程の全体にかかわる一般論である。しかし、近代の主権国家や産業企業 (あるいは国際社会や世界市場)の、いわば原型ともいうべきものが、近代以前の社会のあちこちに点在していたように、近代社会の進化の第三の局面において支配的となるネットワーク組織 (あるいは地球ネットワーク)の原型というべきものも、過去の歴史の中に見いだすことができそうである。私の考えでは、日本、あるいは広く東・南アジアに伝統的に見られる社会システムの中では、複合主体としてのネットワークと、社会型システムとしてのネットワークが、きわめて重要な地位を占め、役割を演じてきた。  

    ここでは、さしあたり、今日の日本社会を念頭において、その点を考えてみよう。  

    今日の日本の社会は、それを構成している個々人や社会システムが、大きくみて三つの階層からなる構造をもった、複雑な社会システムだとみなすことができる。三つの階層というのは、

    1. 間柄主義の文化の通有者としての「個人」ならぬ「間人」が構成する基層、b)中世以来日本の社会構成単位の中核をなしてきた「イエ型組織」によって構成されている中層、
    2. そのほとんどが公式的にあるいは準公式的に制度化されている多種多様なネットワーク (ムラ) が重層的に重なりあっている表層、
    である。その意味では、日本の社会は、この三つの階層のどこに注目するかによって、「間人主義社会」、「イエ社会」、あるいは「ネットワーク (ムラ) 社会」としての特徴づけが可能になるような社会なのである。そのことを、もう少し詳しく説明してみよう。  

    間人主義。日本人は、欧米人ほどはっきりと確立された「個人」ではないにせよ、それなりの自我意識をもっていて、一個の主体として行為することができる。しかし、その場合の「自我」あるいは「主体性」は、日本社会を覆っている間人主義の文化に強く制約されている。日本人は、自分を個として意識する以上に、なんらかの社会的な間柄の一部 (=自れの分、自分) を担う存在として意識している。「自我」意識や「個性」は、個々人のレベルよりはむしろ、集団指向型の社会的な間柄、とりわけその中核をなす「イエ」型の組織の中に、深く根づいている。  

    間人主義文化の中心的な特徴の一つであって、ネットワーク型の社会システムにとりわけよく適合するものは、恐らく母子関係にその原型を持つと思われる、他者との強い同化欲求である。すなわち、一方には、子どもの母親に対する態度に似た、自分の好きな人物にいわば受動的に同化し一体化して、その人に愛されたい、その人に依存することを許されたい、という強い願望がある。それは、自分もまた、回りの人間と同じ程度には相手に甘えたい、という欲求だといってもいい。しかし、他方には、母親の子どもに対する態度に似た、自分の方から能動的に他人を愛し、受入れ、できる限り差別することなく、ひとしく面倒を見てやりたい、という願望もある。それは、回りの人間の世話を焼いてやりたいという欲求だといってもいい。この二つの欲求に基づいて織りなされる社会関係は、それぞれを別々に観察する場合には、いずれも、階層的な関係とまでは言えないにしても、非対称的な関係のように見える。しかし、両者を一体として見ると、それらは、同一人物が、ある時はある相手に対する依存者となるが、別の時には別の (あるいは同じ)相手に対して世話を焼く側に回るという形で、一種の相互依存関係を作り上げているということができる。このような、相手と同化したいという欲求や、その欲求が満たされたという満足感は、人々の間の密度の高いコミュニケーションとネットワーキングにとっての、強力な誘因になるだろう。(1)  

    イエ型組織。私たち(村上泰亮、公文俊平、佐藤誠三郎)は、鎌倉時代以降の日本で、最も重要な役割を果たしてきた社会的な主体は、「イエ」型のさまざまな組織だったと考えている。(2) 具体的には、それらは、

    1. 平安末期から鎌倉時代にかけて東国に広く出現した開発領主とその一族郎党からなる武装農民団(私たちの用語では「原イエ」)、
    2. 室町末期から戦国時代にかけて形成され、徳川時代には「藩」と呼ばれるようになった大名家 (私たちの用語では「大イエ」)、
    3. 大名の家臣となることで存続できた個々の武士の家 (私たちの用語では「小イエ」)、
    4. 徳川時代の豪商、豪農の家(私たちの用語では「準イエ」)、
    5. 明治維新の後、とりわけ第一次世界大戦以降になって伝統的なイエ型の組織原則を復活・導入していった「日本型経営」(私たちの用語では「イエ型企業」)、
    などである。  

    これらのイエ型組織は、機能的に分化した役割の階層構造をもち、集団とその構成メンバーが要求する生存上必要な機能を、それぞれが包括的に満たそうとする (したがって、個々の組織は互いに良く似た性質のものになり、割拠型の行動を取りがちとなる)。とくに、初期のイエ型組織は、その生き残りと発展のために、脅迫・強制型の相互行為を営むことをためらわなかった (切取り強盗は武士の習い)。その意味では、イエはもともと、西欧の近代主権国家に似た存在だったということができる。イエはまた、独立、自律、自己充足といった個人主義的な価値観 (文化)を通有しているという意味では、西欧個人主義社会における「個人」に似た存在でもある。  

    イエ型組織の進化という観点から見ると、明治維新以後の日本の社会変化は、新国家建設の父祖たちが、徳川国家 (=大イエ連合国家)を構成していた個々の大イエ (藩)を解体して、天皇を頂点とする高度に集権化された単一のイエ国家を作り上げようとした試み、しかしそれほど成功しなかった試みだった、と解釈することができる。むしろそれは、天皇親政のタテマエの下に、実質的には、相互にかなりの自立(律)性をもち、分権的ないくつものイエ型ないしムラ型の組織 (陸軍、海軍、各省、議会、枢密院など)を構成要素とする、「ネットワーク組織」としての国家を生み出してしまったのである。この新国家が導入した立憲政治、官僚機構、軍事・産業・教育制度などの西欧原産の観念や制度は、しだいに伝統的なイエ・ムラ型の組織原則と習合して、日本独自の組織や機構を生み出していった。いわゆる「日本的経営」は、その代表的なものである。これらの分権性の高い組織は、ときに自らの意思で、ときに政府当局の奨励・認可の下に、さまざまなタイプのネットワーク型の社会システム(ネットワーク組織あるいは社会型ネットワーク)を、公式的あるいは非公式に編成して、自らの存続と発展に役立てようと努めてきたが、そのために自分の主体性を失うことには極度に警戒的であった。  

    ネットワーク社会。こうして、明治維新以後の日本の「近代社会」は、間人をメンバーとする各種のイエ型組織を核とするさまざまなネットワーク (=ムラ)の複合体として形作られてきた。その傾向は、戦後さらに顕著になり、近年では、イエ型組織そのもののネットワーク組織化(ムラ化)とでも呼びたくなるような現象が随所に見られる。(3)

    さて、全体として見た時、日本という社会は、一個の国家(つまり、最上位の組織=複合主体)となっていることを否定する者はいないだろう。しかし、この「日本 国」という組織は、多くの人が指摘しているように、欧米流の近代主権国家というよりは、むしろネットワーク組織(つまり、「ネットワーク国家」)に近い。対外的には、日本は、その憲法によって、国際紛争の解決の手段としての戦争(脅迫・強制型行為)の利用や、そのための戦力の保有を自ら禁じている。自国の安全保障は、米国に多くを依存する形の非対称的な安保条約 (と限定された自衛力)によって確保する政策を取っている。内政面でも、統治の手段としての暴力はもとより法的強制措置の使用は、最小限にとどめようとしている(「伝家の宝刀」)が、それにもかかわらず、今日の他の先進諸国にはその例をみないほどの、社会的統合と国民生活の安全ととが、経済的繁栄と共に、維持されている。  

    どうしてそんなことが可能になっているのだろうか。その大きな理由は、「ネットワーク国家」と重なりあったような形で、全国的な「社会型ネットワーク」が作られているところにあるのではないだろうか。私は時々、日常用語としての「ニホン」あるいは「ニッポン」とは、この意味での「社会型ネットワーク」を指しているのではないか、あるいは、「ネットワーク国家」と「社会型ネットワーク」が互いに重なりあってできている全体社会を指しているのではないか、と思うことがある。  

    この意味での「ニホン」は、その上層で、政治、産業、官僚、教育、スポーツ、芸術、などさまざまな「界」へと「タテ割り」され、それぞれの「界」はさらに多数のより下位の界 (たとえば、「初等教育界」、「高等教育界」などといった)に分かれている。それらは、そこで支配的な相互行為のタイプからいっても、参加の動機という面からいっても、「社会型ネットワーク」の典型的な例だといってよいだろう。  

    それらはまた、さらに下位のさまざまな「ネットワーク組織」に分けられ、最終的には、なんらかのイエ型組織に (あるいは場合によっては、もっとも個別的なネットワーク組織に)いたっている。たとえば、一個のイエ型組織としての合成繊維メーカーは、ネットワーク組織としての「日本化学繊維協会」に加入しており、この協会は、これまた一個のネットワーク組織である「日本繊維産業連盟」の構成員であり、さらにこの連盟は、これも一個のネットワーク組織である「経済団体連合会 (経団連)」の一員となっているのである。しかも、これらの団体はすべて、公式に組織化され認可された法人の形態を取っている。  

    個々の企業 (とりわけ大企業)はまた、業界団体のメンバーとなっている以外に、銀行や商社をリーダーないし後見人とする「企業集団」あるいは「 (水平)系列」と呼ばれる、準公式的に組織されたネットワーク組織の一員となっていることが多い。産業界のネットワーク組織のさらにもう一つの例としては、大企業が中心となって、子会社や下請け企業、あるいはディーラーのような中小企業をその参加に収めている「 (垂直)系列」がある。  

    また、それに加えて、公式・準公式に制度化されている一連の「界間ネットワーク」があり、これによって個々の産業界は、政治、マスコミ、学術、消費者団体など他の界に属するさまざまな組織(あるいはそれらの構成メンバー)と、多くの場合はその所管官庁の仲介によって、互いに結びついている。その最も代表的なものが、中央・地方の各レベルで法的な根拠にもとづいて設置されている各種の「審議会」である。また、審議会ほど公的な性格が強くない「私的」な懇談会や研究会も、各省庁や自治体の長や幹部の下に設けられている。それらの審議会や研究会のメンバーは、関係官庁のOB、関係業界団体・労働組合・消費者団体等の代表、学識経験者などであり、当該の省庁がその事務局(世話役)をつとめる。  

    これらの組織は、定期的に会合を開き、メンバーや事務局が有用な情報を持ち寄ってそれを全員に通有させるという意味で、典型的なネットワーク組織である。そのメンバーたちは、そこで通有された情報にもとづいて、自分たちを取り巻く国の内外の状況についての共通の認識を作り上げ、将来の変化の傾向を予測し、関係する公共部門や民間部門がそうした状況やその変化にいかに対応すべきかについての合意を形成しようとする。情報の交換と討議を経た後の最終的な結論は、通常は一定の合意文書として確認され、記録として残される。(4)  

    にもかかわらず、こうした審議会や研究会の決定や結論は、そのメンバーに対してすら法的拘束力を持ってはいない。また、その進言によって、必ず新たな法律や政策が生まれるとも限らない。審議会等の決定をどう受け取って対処するかは、原則としてはあくまでも個々のメンバーの自由に委ねられているのである。それでも、各メンバーは、多くの場合、会の決定に則した行為を「自発的に」選択する。それは、各メンバーが他のメンバーや所管の省庁との間に、将来にわたって良好な関係 (間柄)を維持していきたいと考えているため、あるいは「仲間はずれ」にされないようにするため、であろう。  

    それでは、多種多様な互いに交錯するネットワークによって成り立っている「ニホン」で、個々の「界間ネットワーク」がカバーする範囲を越えた、社会的な統合や秩序の維持はどのようにして果たされているのだろうか。それは、ことによると中枢神経のない生物が、隣あった個々の器官の間の局所的なコミュニケーションや協調行動を通じて、部分の行動がいわば自然に全体としての統制の取れた行動へと同期化させられていくような働きにも似た、社会を構成する各部分の間の自律的で局所的なコミュニケーションと協調行動に立脚しているのかもしれない。(5) それを私なりの表現でいえば、日本の間柄主義文化には、ネットワークのすべてのメンバーが、隣人のもっている、あるいはネットワーク全体がもっている認識や評価、あるいは感情(いわゆる空気)を、自ら進んで感知し、それを自分のものとして受入れた上で、その空気から当然生まれるはずの行為の指向や決定に対して、他のメンバーよりもより積極的に(あるいは他のメンバーに遅れずに)賛同し実行することで、ネットワークの中での自分の立場を良くしよう(あるいは維持していこう)とする傾向があって、これが全体的な秩序の形成と維持を容易にしている、といえそうである。  

    日本の間柄主義文化のもう一つの顕著な特徴は、ネットワークの上での合意の形成・誘導にさいして、事実の的確な認識や理性的な判断よりも、共通の価値観に立脚した好き嫌いの感情や美醜の判断のような情緒的要因(リクツ抜きの判断)が、はるかに大きな役割を果たしている点にある。そのような共通の情動の発現という仕組みを通じて、局所的な情報が、急速に全体的な情報として通有されていくように思われるのである。  

    そうはいっても、社会全体としてのコミュニケーションが、局所的なコミュニケーションの総和だけに頼っているのでは、大規模な社会での合意形成のプロセスは、ごく遅々としたものにならざるをえないだろう。その意味では、近年のマスメディアの普及は、全国規模の社会型ネットワーク「ニホン」にとっての、全体的なコミュニケーションの手段として、極めて重要な役割を果たしてきたといえよう。しかも、「ニホン」のマスメディアの報道は、事実判断の通有よりは、価値判断 (喜怒哀楽)の通有や再確認−−「税金を払うのは嫌だ」「自衛隊はろくでなしだ」「濡れ手に粟の儲けとはなにごとだ」「わが国の若者をもう一度戦場に送れというのか」などといった−−の方に、より大きな力点を置いているように思われる。先年の消費税法案や、自衛隊潜水艦衝突事件、リクルート事件をめぐる報道、あるいは最近の国連平和協力隊法案などをめぐる報道などにも、その傾向は顕著にあらわれていた。  

    3)日本型システムのメリットとデメリット  

    さて、ごく簡単にではあったが以上に述べたような文化的背景や制度的特質をもつ日本社会は、さまざまな長所と同時に、いくつかの短所をも併せもっている。たとえば、日本社会の長所としては、

    1. 個々の組織 (とくにイエ型組織)に見られる自立(律)指向性や、
    2. 外部環境の変化に対する受動的ではあっても高い適応力・自己改善能力、
    3. メンバー相互の共感と相互理解にもとづいた暖かい気配りや協調、
    4. それと同時に見られるメンバー相互の活発な競争、
    5. 異質者との棲み分けを許容する (各々がその「所」を得ることを理想とする)傾向、
    などをあげることができそうだ。他方、短所としては、
    1. 内部の和を重視する一方で、良く知らない部外者の侵入、とりわけ「野放しの競争」の発生、を恐れることに由来する対外的な閉鎖性、
    2. あまりにも受動的で状況依存的な、無原則とも見える行動様式、
    3. 非理性的で情緒優位の思考と行動、
    4. 組織の意思決定に時間を要しすぎたり場合によっては決定不能におちいったりする傾向、
    5. 組織の内部での過当競争傾向、
    などをあげることができるだろう。  

    厄介なことに、これらの長所と短所は、それぞれ別々のものというよりは互いに表裏一体をなす性質のものであるように思われる。その意味では、「長所を伸ばし短所を捨てる」ことは、想像以上に困難なことかもしれない。しかし、幸いなことに、今起こっている情報処理・通信面での技術革新は、既存のネットワーク社会の短所の少なくともいくつかについては、それを克服する強力な条件を与えてくれている。いいかえれば、既存のネットワーク社会の進化の未来にある「ハイパーネットワーク社会」とでもよぶのが適切なは、既存のネットワーク社会の短所を補い、そのグローバルな普遍妥当性を一段と高めた社会となることが期待されるのである。しかし、そのような未来社会の味するものを次に考えてみよう。


    1. 間人主義については、浜口恵俊『「日本らしさ」の再発見』、日本経済新聞社、1977年、同、『間人主義の社会 日本』、東洋経済新報社、1982年などを参照。
    2. 村上、公文、佐藤『文明としてのイエ社会』、中央公論社、1979年。
    3. たとえば、今井賢一・金子郁容『ネットワーク組織論』、岩波書店、1988年や、公文俊平『ネットワーク社会』、中央公論社、1988年を参照。(4) その種の文書は、しばしば特定の業界のための「ビジョン」と呼ばれる。
    4. この点については、鈴木良次の分散的自律制御に関する一連の研究(その解説は、鈴木『生物と機械の間』、創元社、1977年、第2部、第6章を参照)、およびそれに触発された、中根千枝、『タテ社会の力学』 (講談社現代新書、1978年)における日本社会のヒトデの行動とのアナロジーを参照されたい。