1992年6月3日
公文俊平
冷戦後の世界システムには、二つの構造軸がうまれつつある。その第一は非近代文明圏を近代文明圏からわける南北構造軸であって、そこには文明間対立とでもいうべき "新南北問題" が発生する可能性がある。その第二は、近代文明の三つの進化肢−−東大西洋、アメリカ大陸、西太平洋−−からなる東西構造軸、あるいは三ブロック構造軸であって、そこには文明内対立とでもいうべき "新東西問題" が発生する可能性がある。しかし、それと同時に、世界をおおう情報・知識の通有と協働のための "地球智場" とでもよぶべき分権的な広域社会システムの形成も急速に進行している。この地球智場は、かつて "国際社会" が国家間の国威の増進・発揚競争の場となり、 "世界市場" が企業間の富の獲得・誇示競争の場となったのと同様な意味で、 "智業" とでもよぶのが適切な新たなタイプの社会集団による知的影響力の入手と発揮のための競争の場となることが予想される。
本稿では、これからの国際システムがもつ南北と東西の二つの構造軸の性質を、地球智場との関連に留意しながら分析してみた。その手掛かりとして、冷戦時代の東西対立の一方の極となっていた "社会主義体制" に関するイメージの変遷の経過を追うところから出発し、次いで、梅棹忠夫の「文明の生態史観」にヒントをえながら、包括型の文明と分化型の文明の進化と継起という視点に立って、これからの国際システムがもつ南北構造と東西構造の意味を解釈しようとした。そして、これからの国際システムをとりまく環境状況としては、ガレット・ハーディンのいう "救命艇状況" を想定し、そこでの第一の倫理原則ともいうべき "物的自立" の倫理が、南北・東西関係に対してもつ含意を検討した。同時に、近代文明になお残る発展の可能性は近年の "情報化" に具現されているという立場から、国際社会や世界市場にかわるグローバルな社会システムとしての "地球智場" と、その情報インフラストラクチャーとしての "インターネット" の爆発的な発展に注目し、それが "救命艇状況" での第二の倫理原則としての "情報的連帯" の倫理を実践するための強力な手段となりうることを指摘した。 "物的自立" と "情報的連帯" という一見矛盾する二つの倫理原則をどのように統合させながら、文明の転換期を生きぬいていくか。これが地球智場での "智のゲーム" にとっての最大のテーマになりそうだ。
一.社会主義体制イメージの変遷
冷戦時代を通じて、社会主義体制のイメージ、とりわけ西側の世界でのそれは、ほぼ十年ごとに、次々に変化していった。その変化をまず概観してみよう。
1)資本主義の次の発展段階−−マルクス主義の見方
1930年代から40年代にかけて、マルクス主義者たちは、 "単線的歴史観" にたって、あらゆる社会は、奴隷制→封建制→資本主義→共産主義という "発展段階" をへて発展していくとした [図1]。(1) そして、社会主義を、資本主義の次の段階である共産主義の初期段階だと規定し、ソ連は "社会主義革命" によって、この意味での社会主義の段階にはいったと主張した。もちろん、西側の主流はそのような見方は受けいれず、共産主義計画経済の運営は理論的にも実際的にも不可能だとか、ソ連の革命政権はいずれ崩壊するだろうという見方をとっていた。
2)産業社会のもう一つの運営原理−−比較体制論の見方
しかしその間、経済学者の間では、いわゆる "経済計算論争" とよばれる一連の論争がおこなわれていた。その結果、少なくとも理論的には、計画経済と市場経済は共に存続可能な体制であるという結論が支配的となった [玉野井66] 。また、アメリカとソ連が共に、第2次世界大戦の勝者として戦後の世界に君臨するようになった結果、事実としても、この二つの体制は共に存在し、発展し、競争しているという見方をとらないわけにはいかなくなった。ここから、1950年代の西側には、資本主義と社会主義を、 "産業社会" という同一の範疇に属する社会の、二つの異なる運営原理だとみなして、その長短を比較し、競争の指針としようとする "比較体制論" が生まれた [Leeman63][図2]。
3)産業化の人為的促進体制−−近代化論の見方
第3次世界大戦を不可避とかんがえていたスターリンの死後、ソ連では、フルシチョフが "平和共存" と "経済競争" へと路線を転換した。西側では、産業化の後発国の一つだった日本が、基本的には市場経済に立脚しつつも、政府が指導的な役割を発揮して経済発展への離陸に成功することで、非西欧国の産業化の可能性を実証した。また北欧では、 "福祉国家" を志向する "民主社会主義" 的な経済体制が採用された。
1960年代には、こうした "歴史の教訓"[ティンベルヘン64] に学んだ "近代化論" が、一世を風靡するかにみえた。近代化論者によれば、資本主義が産業化の自然発生的な体制であるのに対し、社会主義は産業化を人為的に促進するための体制であった。どちらも極端な理念型であって、現実には、そのさまざまな中間型がありえた。しかし、産業化の進行につれて、これらの異なる体制は、究極的にはもっとも "合理的" な単一の体制へと "収束" していくと予想された。このような近代化論の合理主義的な立場からすれば、東西のイデオロギー対立は今や "終焉" すべきものとなった。残る唯一の地球問題は、まだ産業化への離陸に成功していない南の諸国の産業化をいかに達成させるかという問題−− "南北問題" −−となった。しかし、これも原理的にはすでに解決されているので、後は実務的に、南の諸国の発展意欲と北の諸国の支援努力を効果的に組みあわせてグローバルな産業化を推進していくだけでよいとされた [図3]。
4)世界資本主義の一環−−近代世界システム論(従属理論)の見方
しかし、現実には南北問題は解決されるどころか、1960年代を通じて、南北格差はむしろ拡大した。だが北でも、産業化の前途には不吉な兆候が次々にあらわれていた。ソ連の経済成長率は一貫して減速を続けたし、ヨーロッパ経済は "イギリス病" に代表されるような停滞に悩み、アメリカはベトナム戦争の泥沼に足をとられた。60年代の後半には、北の世界のいたるところで若者の反乱が頻発した。70年代の初めには、 "成長の限界" を指摘するローマクラブの報告書が出版された。産業社会は、世界的な普及の面でも、未来に向けての発展の継続という面でも、共に深刻な壁に直面した。
こうして1970年代には、新マルスク主義的な "近代世界システム論" あるいは "従属理論" の台頭がみられた[Wallerstein79] 。そこでは、 "社会主義" は、再び、 "資本主義" が世界革命によって倒れた後に登場する、人類社会のより高い発展段階にあたる理念的体制として復権した。しかし同時に、 "資本主義" は依然として強い生命力をもっていることも確認された。この "資本主義" は、世界全体をおおう巨大なシステムとして、 "中心、準周辺、周辺" という階層構造をもって発展している。この立場からすれば、いわゆる "第三世界" は、すでに "近代世界システム" の不可欠の一環として組みこまれており、たとえば "モノカルチャー" 経済に転換する形でそれに "従属" している。したがって、この地域の産業化は、 "近代世界システム" そのものが崩壊しないかぎり、原則として不可能である。その例外にあたるのが "社会主義" を自称する諸国であって、その意味での "社会主義" とは、近代世界システムの "周辺" にある国が、なんとか "準周辺" の地位によじのぼろうとして採用した体制にすぎない。つまり、現実としての "社会主義" は、世界資本主義の一部に他ならないとされたのである [図4]。
5)非近代文明が採用しようとした近代化体制−−比較文明論の見方
1980年代の世界は、さらに大きな変化を経験した。社会主義を自称していたソ連圏の諸国は、レーガン政権がいどんだ軍拡競争にやぶれた。1970年代の後半からはじまった "情報化革命" にも決定的に乗りおくれた。その結果、ソ連圏での "社会主義体制" は、ついに崩壊してしまい、戦後の "冷戦" 時代がここに終りをつげた。(2) 他方、西太平洋地域では、急速な産業化過程が日本を先頭として "雁行" 的に進行し、NIESからASEAN 諸国へ、さらに中国の一部へと拡大を続けている。こうして、 "従属理論" の誤りは事実によって証明されたことになる。だからといって、どの国、どの地域でも産業化が可能なことが証明されたわけではない。むしろ、ソ連圏の経験や、第三世界の他の地域の経験は、逆のことをしめしているようだ。
さらにより深刻な疑問も提起されている。その一つは、たゆみない発展をつづけている西太平洋地域の産業社会、とりわけ日本は、欧米の近代社会とどこまで同質なのかという疑問である [van Wolferen89, Fallows89]。あるいは、同質か異質かはともかくとして、西太平洋地域の発展は、欧米社会にとっての深刻な脅威になりはしないかという懸念である [Friedman and LeBard91]。いま一つは、かりに産業化が今後も推進可能だとしても、そうするのが本当に良いことかどうかという疑問である。近年では、地球全体としての環境問題や資源問題はますます深刻化の一途をたどっている。そのために、産業化自体の是非の問いなおし、あるいは産業化をその一部としてふくむより大きな過程としての "近代化" の意義の反省が、地球的な規模でおこりはじめているのである。近代文明を非近代文明との比較において反省しようとする、また近代文明自体の内部にさまざまに異なる発展肢を見出しれらを比較しようとする、 "比較文明論" は、そうした疑問に正面から答えようとする知的な試みの一つである。その立場からすると、 "社会主義" の解釈も従来のものとは大きく違ってくる。これまでの見方はすべて、 "社会主義" を、近代産業文明の一種あるいは一環だと解釈していた。例外は、マルクス主義的な見方で、その場合には "社会主義" は "資本主義" の次の発展段階にあるとされていた。しかし、ここでいう "比較文明論" の立場−−その立場からの解釈の具体的内容は次節以降で述べるが−−は、 "社会主義" を、非近代文明世界の一部が、産業化の推進のために採用したが、結局はそれに失敗して放棄せざるをえなくなった体制だと解釈するものである。そうだとすれば、これからの世界システムは、産業化への離陸に失敗した "南" の世界と、産業化の "限界" に直面した "北" の世界によって構成されることになる。
以上手短かにみてきたような、社会主義イメージの変遷、ひいては世界システムイメージの変遷は、同一不変の対象をめぐる理解の変化ないし深化にとどまるものではないだろう。むしろ、イメージの変化は対象そのものの変化と密接に関係していたし、それと相互作用していたということができるのではないか。その意味では、冷戦の後の世界システムについてどのようなイメージをわれわれが抱くかということは、どのような世界システムが生まれてくるかということと決して無関係ではない。
二. 梅棹理論−−文明の生態史観と宗教の層序学−−の示唆するもの
前節の最後に言及したような "比較文明論" 的な見方には、梅棹忠夫という先駆者がいる。梅棹は、1957年に発表した論文「文明の生態史観」の中で、 "旧世界" を、その東西の周辺にある極東と西欧からなる "第一地域" と、その中心部をしめる中国、ロシヤ、インド、および地中海・イスラム世界からなる "第二地域" とにわけた。この二つの地域では、社会変化(サクセッション)のあり方が違うというのである。すなわち、第一地域では「歴史は、主として、共同体の内部からの力による展開として理解することができる」のに対し、第二地域では「歴史はむしろ共同体の外部からの力によってうごかされることがおおい」。その上で、梅棹は、現代を次のように特徴づけた。「現代は、ひとくちにいえば、第二地域の勃興期だ。..つぎつぎ、強力に近代化、文明化の方向にすすんでゆくだろう。」「第二地域における共産主義・社会主義は、第一地域において高度資本主義のはたした役わりを、つとめようとしているのではないか」 [梅棹89:85-87] 。
梅棹のこのような見方は、今日の (旧) 世界が二つの異なる文明群からなっているとするものだといえよう。そして、 "共産主義・社会主義" を、第二地域での産業化・近代化の "アロジェニック (他成的) な" 試みだとしたのは、まさに梅棹の卓見であった。
しかし、1989年以降の世界の動きをも視野にいれるならば、梅棹のこのような解釈は、若干の修正を必要としそうだ。たとえば、つぎのように。
なるほど、20世紀は、第一地域の挑戦に対して、第二地域が応戦をこころみた時代ではあった。その試みは、植民地が解放され、第二地域の独立が回復されたという意味では、たしかに成功した。つまり、近代化の第一の局面である主権国家の形成については、第二地域は、広域にわたる帝国の再建という形をとる場合が多かったとはいえ、ともかくも応戦に成功した。しかし、近代化の第二の局面である産業化については、第二地域は部分的な成功はおさめたものの、結局は挫折してしまった。そして、近代化の第三の局面である情報化については、第二地域は決定的に立ちおくれてしまった。結局、第二地域は "近代化" には失敗した。
それでは、第二地域の今後の社会変化は、どのようなかたちをとるだろうか。もはやそのための理念は "近代化" でも "社会主義" でもありえないとすれば、それに代わる途はなんだろうか。
それについては、梅棹のもう一つの論文「諸文明における宗教の層序学」が、示唆に富んでいる。梅棹によれば、第二地域での宗教の交代は、第一段階での "エンデミック (風土病的) " なものから、第二段階での "エピデミック (流行病的) " なものへ、そして第三段階での "エンデミック" なものの再生へと進んでいく。ところが第一地域では、この第三段階は生じなかった。(3)
第二地域のうちで、この三段階のサクセッションが最も典型的にみられたのは、1)バラモン教、2)仏教、3)ヒンズー教とすすんだインドと、1)ユダヤ教、2)キリスト教、3)イスラム教とすすんだオリエントである。これに対し、中国では、第一段階の儒教の後、第二段階では外来の仏教が拡がり、仏教は、第三段階にあたる道教のまきかえしにも、完全には屈服しないままで残った。スラブ世界では、第二段階としてのキリスト教が、第一段階の民族宗教を圧倒した後、第三段階のまきかえしはついにおこらなかった。その意味では、スラブ世界は第一地域に似ている。
梅棹の説くところは以上だが、この考え方を延長すれば、 "共産主義" を、キリスト教や仏教につづくもうひとつの "エピデミック" な宗教だとみなせないだろうか。すなわち、共産主義は、第一地域の中での近代化の後発地方でうまれたが、第一地域自体のなかではそれほどつよい伝染力をしめすことはなく、むしろ第二地域に急激に伝播し、第二地域の文明の伝統にあわせて変容をとげていったのではないか。共産主義の普及が、梅棹のいう "第三段階の宗教" をもたなかったロシヤ帝国と、不徹底なかたちでしか第三段階を経験しなかった中華帝国でとくにはげしかったのには、それなりの理由がありそうだ。
しかし、共産主義・社会主義は、結局のところ挫折してしまった。ヒンズー教やイスラム教の強い地域では、そもそも充分な伝染力さえもちえなかった。そうだとすると、今後第二地域の未来にとっての指針となりうるのは、既成のものとしては、 "第三段階の宗教" ないしその改訂版しかありえないのではないだろうか。現に、近年のイスラム原理主義やヒンズー原理主義の台頭は、その証左ではあるまいか。いずれにせよ、21世紀の "新南北問題" は、1960年代の "南北問題" とはちがって、近代化にいちはやく成功した地域と、近代化の "途上国" とのあいだの "発展格差" をめぐる問題というよりは、近代化過程を "自成的" にすすめていくことのできる文明と、そうできない文明とのあいだの "文明間対立" のかたちを、より顕著にとるものになっていきそうだ。
21世紀の世界システムの根幹にかかわるもうひとつの問題は、ともに第一地域 (近代文明) に属する東西の進化肢相互の間の競合と協力をめぐって展開する "新東西問題" であろう。この点についても、すでに1950年代のなかばに、「現代の日本文化は、... 高度の近代文明のひとつであることはまちがいない」 [梅棹89:71]と喝破していた梅棹の先見性には、脱帽のほかない。というわけで、梅棹理論に敬意を表しながら、次に筆者の立場からの比較文明論的解釈をのべてみよう。
三. 文明の多系的発展図式
私は以前、村上泰亮、佐藤誠三郎と共同で、文明の多系的発展論を提唱した [村上他79] 。その後、その内容を多少修正して、今では次のような見方をとっている。
ここで "文明" とは、社会がもつハードウエアとソフトウエア−−思想、科学技術、法律制度、財・サービス、等−−の総体をさすとかんがえておこう。この意味での文明の個々の構成要素は、新たに生まれたり消滅したりすると同時に、社会から社会に伝播もしうる。同時に、それらをあわせた総体としての文明は、あたかも一個の有機体のように、ある時期にある社会に発生して、その中で、時間の経過とともに、さまざまに変化・進化する、つまり、成長・発展したり、成熟・停滞したり、衰退・死滅したりする、という言いかたもできるだろう。
こういった見方からすると、時空のなかに分布して、誕生や変貌、そして死滅を繰り返しているさまざまな文明種(および下位文明種)の集まり、という世界イメージがえられる。そして、個々の文明の "進化" の過程については、 "一般進化" と "特殊進化" の二つの側面が区別できる [サーリンズ他76] 。
一般進化とは、通文明的に適用できるような、なんらかの客観的で普遍的な尺度の上で生ずる進化のことをさす。そのような尺度として連続的・定量的な数値指標をとることにはなにかと無理があるが、段階的・定性的なものならば、かなり有用なものがとれそうである。ここでは、村上泰亮の考え [村上88] を参考にして、
それに対し、特殊進化とは、ある所与の環境の中に存続しているある特定の文明が、その環境と相互作用しながら、その在りかたを変化させていく歴史的な過程をさす。この意味での特殊進化には、全体としての社会やその中の個々の集団を組織するための基本原理あるいは基本志向の違いによって、いくつかのタイプが区別できそうだ。ここでは、最も単純な二分法をとって、 "限定・発展志向型" と "包括・存続志向型" という分類を採用してみよう。
"限定型" というのは、既成の包括的な文明社会から分離・自立して独自の社会を形成したり、既成の普遍的イデオロギーに対抗して、より特殊化された原理に立脚する信念・知識体系を構築したりしていこうとするような、社会組織の志向性をさす。社会変化が、その社会のメンバーのあいだでは、暗黒で野蛮でまずしい過去から光りかがやく開化されたゆたかな未来にむかう不断の進歩の過程として意識されるのは、この限定型の社会にみられる特徴である。つまり、限定型の文明は、空間的には自分自身の限定・分離・独立(そしてそれを前提とした自己拡大)を志向すると同時に、時間的には未来に向かって無限に発展していこうとする発展志向型の文明でもあるということができる。したがって、一般進化の段階の上昇は、限定形の文明の特殊進化の途中で発生するとかんがえられる。
これに対し、 "包括型" というのは、さまざまな個別の社会のメンバーシップの境界や、さまざまな個別の思想・イデオロギーのあいだの境界をいわば融かしてしまって、より包括的で普遍的な社会や思想体系に統合しようとする、社会組織の志向性をさす。その場合には、そこでの社会変化過程は、過去の黄金時代に達成された完全な統合 (帝国形成) や、過去に発見され啓示された究極的・絶対的な真理 (聖書や教典) からの乖離、退歩、衰退、堕落の過程でしかありえないだろう。つまり、包括型の文明は、空間的には統合を志向すると同時に、時間的には過去を志向する、あるいは過去のある時点に準拠点をもとめつつ将来にわたってはその水準の持続につとめ存続志向型の文明でもあるということができる。したがって、包括型の文明は、ある一般進化の段階にはいった限定型の文明が、その特殊進化の過程で "成長の限界" に直面したところに出現するとかんがえられる。
以上にみたような一般進化の三つの段階と特殊進化の二つの方向を組みあわせると、文明には六つの "種" があるという見方がえられる [図5]。それにしたがえば、 "産業化" への段階突破に成功した今日の近代文明は、 "初期軍事・産業文明" と位置づけることができる。また、梅棹のいう "第二地域" に存続している非近代文明 (古典文明) 群は、 "後期農耕・牧畜文明" と位置づけることができる。(4)
後期農耕・牧畜文明としての古典文明は、初期農耕・牧畜文明としての古代都市国家文明が発展の限界に直面した時に、おそらくは遊牧民と農耕民の大々的な接触を契機としてうまれた。そこでの支配的なイデオロギーは、 "有史宗教" とよばれる壮大な思想体系であり、集団や社会がそのメンバーを加入させる場合の基準は、それ以前の文明がもっていた "血縁 (クラン) " 原則をこえる、より抽象的・観念的な基準−−同一の宗教の信者ならだれでもメンバーとしての加入をみとめるといった−−であった。その結果、古典文明は広域にわたる大世界帝国の建設と、かなりの長期間にわたるその維持に成功したのだが、技術知識の面では、めざましい発展や突破はしめすにいたらなかった。 (あるいは、現実には技術の発展が生じた場合でも、それを発展として理解し受けいれるための文化、つまり観念の基本的な枠組みをもっていなかった。) 伊東俊太郎が指摘しているように、有史宗教が統合した知識のほとんどは、個別的には以前の文明がすでに発見し、共通の知識のストックとして蓄積していたものにすぎなかったとおもわれる [伊東88, 江上、伊東84:ダイアローグT、伊東85:第四章など] 。
初期軍事・産業文明としての近代文明は、古典文明が衰退していく中で、その周辺地域に出現した。その契機となったのは、自己限定=分離・独立の志向にもとづいて、世界帝国の支配や模倣から脱して自立的な集団を形成 (封建化) したり、そのさらに上位の集団を形成したり (主権国家化) しようとする試みだった。ここでは、集団がそのメンバーを受けいれるさいの基準としては、ゆるやかな血縁関係を基礎とした地縁関係ともいうべき "民族 nation " の観念や、血縁関係を擬制し拡大適用した社縁関係ともいうべき "イエ" 型集団への加入の意思、などがもちいられるようになった [村上他79] 。思想・宗教のレベルでは、普遍的な世界教会の支配に対抗して、みずからの宗派や教会の独立性を主張しようとする "宗教改革" 運動が、近代文明の進化をささえた。さらにそれにくわえて、宗教的な真理の体系からは独立して進歩しはじめた科学や技術が、既存の世襲的な職業の体系からは独立した商工業の発展とあいまって、経済技術の面での人類史の画期をなす産業革命という一大技術的突破を、すくなくとも近代文明種に属する社会進化肢の一つ (近代西欧文明)において、自生的に可能にした。いったん達成された産業化は、近代文明の他の社会進化肢にも急速に伝播していった。しかし、残存する古典文明群への産業化の伝播は、深刻な困難に直面せざるをえなかった (産業化の普及の限界) 。また、近代文明自身の内部でも、産業化はやがてその発展の限界に直面することになっていく。
それにしても、近代文明は、国家の形成や経済発展などの面で、少なくとも一時期著しい成功をおさめ、古典文明に属する地域を、その植民地や従属国としてつぎつぎに支配下におさめていった。それは、古典文明の側での反発や羨望を引きおこし、 "独立" や "経済発展" をめざす社会運動となってあらわれた。なかでも、それらの地域にひろがった "社会主義革命" は、近代文明が生みだした最も先端的な "近代化" の方式をその旗印とする、古典文明の "復興" 運動だったと解釈できる。それはあたかも、古典文明の周辺に生まれた近代文明が、古典文明の "復興 (ルネサンス)" をその旗印としつつ、実質的には新たな発展をめざしたのと同様な、文明史上の逆説だったのではないだろうか。(5) 両者の違いは、後者が、結果的に新しい文明を構築することに成功したのに対し、前者は、いったんはめざましい成功をおさめたかにみえながらも、結局は旧い文明の復興にすら失敗してしまったというところにありはしないだろうか。
そうだとすれば、依然として古代文明の枠組みをのこしながら、もはや近代化に藉口した復興は不可能なことを、あるいは望ましくないことを、認識した社会にとって、のこる選択肢は、つぎの二つしかないだろう。すなわち、その一つは、近代文明と全面的に対決する中で、古典文明の原理と過去の栄光の復興を、自覚的に追求する "原理主義" の選択肢であり、いま一つは、近代文明と積極的に協働しつつ、新しい包括・存続志向型の文明としての後期軍事・産業文明の、一足飛びの構築をめざすという選択肢である。(6) ただし、現状では、後者の選択肢が採用される可能性はほとんどないようにおもわれる。こうした協働の方向が模索されるようになるのは、二つの文明の対決の行き過ぎが反省されるにいたった後のことであって、当面は、これからの国際システムは両文明の対決の様相を濃くしていくのではないだろうか。それが、私のいう "新南北問題" である。
近代文明に話をもどせば、それ自体はいくつかの亜種というか分肢からなっているはみることができる。ここでは、その三つの主要な分肢として、
近代文明種に属する個々の分肢の間の関係は、大局的・長期的にみれば協調を基盤とする競争の関係だったということができる。近代主権国家間の関係でいえば、国際社会での "勢力均衡のゲーム" を通じて達成される "平和" がその理念であった。近代産業企業間の関係でいえば、世界史上での "自由貿易のゲーム" を通じて達成される "繁栄" がその理念であった。現在では、 "勢力均衡のゲーム" は衰退してしまったが、それに代わって、 "近代智業" とでもよぶべき新しいタイプの集団が、その知的影響力の拡大をめざしておこなう "智の普及ゲーム" とでもよぶべき新しいタイプの競争ゲームに、たずさわろうとしているようにおもわれる。恐らく、そこでの理念は "覚醒" とでもよぶのが適切なものになるだろう。つまり、近代文明は、 "軍事化" の局面から "産業化" の局面をへて、いまやその第三の、そして最終の局面ともいうべき "情報化" の局面にはいっていこうとしているのである [Kumon and Tanaka88, 公文88] 。
しかし、局所的・短期的にみれば、競合・対決型の関係もしばしばみられた。それがとりわけ顕著となったのは、近代化の後発国が、先発国に追いつき追いこそうとするかにみえた時期、あるいはその余勢をかってより独占的・支配的な地歩を固めようとするかにみえた時であった。19世紀初頭のナポレオン戦争や、20世紀前半の二度の世界大戦は、その典型である。そして、 "社会主義" との間の "冷戦" が終焉した後の今日から21世紀の初頭にかけて、 "西太平洋分肢" に属する後発国と、その他の先発国との間に、軍事的な対決はともかくとして、経済的・文化的な対決がおこる可能性は、決して小さくはない。それが、私のいう "新東西問題" である。
そういうわけで、これからの世界システムにあっては、近代文明と古典文明との間の対立関係を主軸として、それに近代文明内部の競合・対立関係がからみあってくるという構図が、みられそうである。
四. "救命艇状況" のもとでの新国際秩序
以上の考察を前提にして、最後に、これからの世界システムでの秩序の形を予想してみよう。それは、一言でいえば、地球的な "救命艇状況" [Hardin74]に対処すべく、ほとんど自然発生的にうまれつつある秩序であって、近代文明の三つの主要な分肢による、一種の三極ブロック型−−といっても後述するように、1930年代の世界のブロック化とは、その性格を大きく異にしているが−−の国際政治経済秩序である。比喩的に言えば、それは、難破にひんした "宇宙船地球号" から脱出しようとする三隻の救命艇−−東大西洋艇、北米艇、西太平洋艇−−のつくる秩序である。
それぞれの救命艇には、 "艇長" の役割をはたす中心国(米国、ドイツ、日本)と、その周辺の地域がふくまれていて、それらが新たな "ブロック" を構成しようとしている。北米艇の場合でいえば、ブロックに属するのは、 "自由貿易協定" によってむすばれたカナダとメキシコ、それに中南米および中東の一部になりそうだ。東大西洋艇のそれには、東欧の他に、ソ連、近東、アフリカの一部がふくまれていそうだ。西太平洋艇のそれは、NIESとASEAN、それから大洋州、さらにそれに加えて、中国・極東ロシヤ・インドシナの一部、といったところだろうか。それぞれの艇で乗員として選びとられるのは、文化的・歴史的な理由で親近性が強い地域であって、しかも政治的・経済的な重要性ないし有用性をもっている地域に限られそうだ。冷戦後の "国際新秩序" 建設とは、実はこの三隻の救命艇の乗員の選別ないし再選別や、救命艇間の相互関係や対外関係の設定の試みだと解釈できよう。もちろん、今の時点では、マーストリヒト条約の批准に反対したデンマークの例に見られるように、乗員の最終的な選別も完了していなければ、救命艇の数も必ずしも三隻と決まったわけでもなさそうだ。西太平洋艇については、そもそもそれが救命艇としての体をなしているかについても、異論の余地があるだろう。それにしても、世界の大勢は、徐々にそのような方向に向かって進んでいくのではないかというのが私の予想である。
この "新秩序" は、次のような特徴をもつことになりそうだ。第一に、そこには、救命艇に搭乗できた地域ないし国々と、できなかった地域ないし国々との "ボーダーフル" な区分が事実としてある−−その事実がどれだけ明言されているかはともかくとして。第二に、これらの救命艇は、ばらばらに航行しているのではなくて、政治的、経済的、情報的には "ボーダーレス" に連結され、相互補完しあっていく。第三に、それぞれの救命艇の内部には、一種の階層秩序(中心と周辺、あるいは先発国と後発国といった)がみられ、資本や技術の一方的移転関係や、産業の発展段階に見あった分業関係が展開されていく。第四に、三隻の救命艇は、互いにまったく対等な関係にあるのではなくて、少なくとも軍事的には、その中の一隻(北米艇)だけが、卓越した優位をもっている。しかし、北米艇といえども、経済的に自立していくことはできない。あるいは、みずからの資源だけにたよって、軍事的なリーダーシップを発揮しつづける(国際的公共財を提供しつづける)ことはできない。とすれば、結局のところ、政治的には、これらの救命艇は、相互協調体制、つまり、それぞれの中心部同士による集団指導体制をとってすすむ以外にない。
さて、近い将来にこのような "秩序" をもった世界システムが形成されていくものとすれば、その中におかれる個々の救命艇あるいはその乗員としては、みずからの存続と安全のためには、どのような点に配慮しなければならないだろうか。
第一は、救命艇の外部からくる直接的な攪乱要因への対処である。救命艇を乗っとったり、強引に乗りこんできたり、救命艇の中に貯蔵・生産される資源を奪取したりしようとすする試みを許すわけにはいかない。もちろん、 "死なばもろとも" といった破壊活動を許すわけにもいかない。そのような侵略あるいは破壊の試みに対しては、三隻の救命艇は一致協力して、そして北米艇の軍事的リーダーシップを尊重しつつ、対処する必要があるだろう。(7)
外部から来る攪乱要因には、もう一つの間接的ともいうべき側面がある。それは、救命艇から閉めだされた地域が、みずからの生存のための絶望的な努力をかさねる結果として、地球の自然環境や社会環境がいっそう悪化し、ついには全体としての "共倒れ" が不可避となる状況がおとずれることである [公文78] 。そうした危険はどうすれば回避できるだろうか。ある範囲内での支援も一つの方策であろう。あるいは、より積極的な介入が必要とされるかもしれない。ここではとりあえず、それは容易に対処しうる問題ではないが、無視できない重要な問題であることを指摘するだけにとどめておこう。
第二は、 "救命艇連合" それ自体の堅実な運営である。地球的な規模での資源の浪費や環境の汚染の元凶が、救命艇連合自身であっては、どうにもならない。同時に、それぞれの救命艇は、他の救命艇との生存条件のバランスにも留意しなければならない。自分の艇だけが、不釣合いな豊かさを享受することはできない。また、米国を中心とするその集団指導体制が、内部の不和のために崩壊するようであってもならない。むしろ、互いに他艇がもつすぐれた装備や航行の技術−−つまり、他の分肢がもつ文明の長所−−の習得に努力しなければならない。なるほど、 "救命艇連合" という政治理念は、甚だ利己主義的な響きがするかもしれない。しかし、ガレット・ハーディンもいうように、それは、ある種の厳しい環境条件の下では、生命体の生存を保障するほとんど唯一の正しい "倫理" に基づいた理念なのである [Hardin74] 。少なくとも、実際の行動面ではこの理念に準拠しながら、自分の "良心の疚しさ" (実は無知)を紛らわせるために、口先でだけこの理念を否定してみたり、連合のリーダーを批判していさえすれば免罪符がえられると思いこんだりする態度は、百害あって一利ないものというべきであろう。そんな暇があれば、むしろ "救命艇状況" が生存競争型のものから、それよりも一段と厳しい共倒れ型のものに移行した場合には、どのような国際秩序が必要とされるようになるかを真剣に考えてみるべきであろう。
第三に、自分が乗りくんでいる救命艇(つまり自分の属している "ブロック" )内部の状態にも、注意を怠ってはならない。とりわけその中心国には、救命艇内部の和と安全を保つ責任がある。 "自由・平等・友愛" の理念は、運命共同体としての救命艇内部の政治理念としては、一定の妥当性・有効性をもちうるだろう。同時に、中心国は、救命艇全体の性能を向上させるような技術・知識の開発につとめなければならない。また、同じ救命艇内の乗員相互の効果的な分業・相互補完関係の開発や維持にも、そのリーダーシップを発揮すべきだろう。さらにいえば、救命艇の乗員の選別も、一度限りで終りということでもないだろう。新たな乗員の乗船をみとめたり、既存の乗員の下船を要求したりする可能性は、考慮にいれておいた方がよい。そして、そのさい起こりうべき紛争に対処するための方策についても、準備を怠ってはならないのである。
もっとも、以上の三点は、いってみれば "希望的観測" にすぎず、現実に生まれつつある国際秩序のなかで、そのような条件が満たされるという保証はない。個々の救命艇の内部の和が崩れるかもしれないし、救命艇の内外での生活条件の圧倒的格差や、外部からの厳しい批判や要求を前にして、乗員たちの倫理的な信念の基盤が崩壊してしまうかもしれない。さらにより大きい可能性としては、三隻の救命艇相互間の格差や利害の対立のために、救命艇連合が政治的に二極分裂してしまう危険がある。私が先に "新東西問題" とよんだのは、その一例であって、西太平洋艇が、北米艇との間に、あるいは北米艇−東太平洋艇連合との間に、修復不能な亀裂を生じさせ、相互の対決・紛争に走るばかりか、その結果として世界の "共倒れ状況" を招来する危険をさしている。いずれにせよ、 "新国際秩序" をとりまく環境は、さかまく怒濤と激しい暴風雨がいつやむともしれず続く荒海のそれであり、その先にはいずれは平穏と静謐の世界が待っているにしても、そこになんとか辿りつくだけでも、満身創痍となることを覚悟している必要がありそうだ。
五.地球智場の役割
前節でのべたような苦難に満ちた時期を通過していくさいの一つの希望は、私がさきに "地球智場" とよんだ社会システムの形成と、それが可能にする情報・知識の広汎な通有と各種の協働行為であり、それを基盤とする "智のゲーム" とでも呼ぶべき知的影響力の獲得競争である。近代文明は、物的には成長の限界に到達しつつあるかもしれないが、知的な発展はまだまだ可能だと思われる。現在急激に進行中の、産業の情報化や、産業化を超える "智業化" の動きが、まさにそれにあたる。包括型の "後期軍事・産業文明" への移行は、限定型の "初期軍事・産業文明" としての近代文明のもう一段の発展を前提として初めて可能になるのであって、その停滞や崩壊を通じて起こるのではないのではないか。
そうした可能性を、いま最も如実に示しているのは、一昨年あたりからその傾向が現れ、今年になって "爆発的" ともいいたいような速度で進行し始めた、コンピューター・ネットワークのグローバル化 [Harasim92]である。いまや、「万国のコンピューターが団結」する時代 [Economist92]が、こようとしているのである。 "ネットワールド" [ブレッサン91] とか、 "マトリクス" [Quarterman90] とか "インターネット" [INET92]などさまざまな名称でよばれるこのコンピューター・ネットワーク−−より正確には、各地に散在するローカルなコンピューター・ネットワークがさらに相互接続したところに出現するメタネットワーク−−は、私のいう "地球智場" のための "情報インフラストラクチャー" [Kahin92]にあたる。この地球大のネットワークは、計画的に生まれたものでもなければ、集中的に管理されているものでもない。それはまさしく自然発生的に出現し、拡大し、分散的に管理されているシステムなのである。ごく近い将来に、スーパーコンピューターからポケットコンピューターにいたるすべてのコンピューターが相互接続し、しかもコンピューター内部の情報処理・流通速度とコンピューター間のそれとが等しくなることによって、個々のコンピューターをへだてる境界は事実上消滅してしまうことになるだろう。そうなった暁には、コンピューターのユーザーたちは、世界中のコンピューターを一つにつないで利用することが可能になる。あらゆる人と電子メールをやりとりし、あらゆるデータベースから情報を検索し加工し、自分の意見や発見をあらゆる人に伝達し通有することが可能になる。つまり、あらゆる人々が、自分の知らせたいことを、それを知りたい人に、自由かつ容易に知らせることができる、というコミュニケーション環境が出現するのである。このようなコミュニケーション環境は、同時にありとあらゆる協働行為 (コラボレーション) の強力な支援環境ともなるだろう。すでに、あるCIA 職員は、冷戦後の世界ではこれまでのスパイや職業外交官にもっぱら依存してきた外交政策に代わって、コンピューター・ネットワークを充分に活用すると同時に、民間の組織や個人に依拠した“現代情報技術 [を活用した] 外交政策”を構想する必要があると提唱しているほどである [News92] 。
もちろん、このような高度なコミュニケーション・コラボレーション環境が、この地球に生きるすべての人々の生活環境となりうるわけではない。しかし、そのような環境は、すくなくとも、前節で想定したような "救命艇" の乗員よりは遙かに広範囲の人々にとって利用できるものとなるだろう。また、それぞれの救命艇は、物的・経済的にはともかく、情報的には可能なかぎり多くの人々が同一のコミュニケーション・コラボレーション環境を利用できるようにするための支援を惜しむべきではないだろう。なるほど、 "救命艇状況" にあっては、経済面での全面的な相互依存や支援は、 "共倒れ" を招くという意味で、倫理に反した行為とみなされざるをえない。その限りでは、物的な自立と自力救済が、そこでの倫理原則とされざるをえないだろう。しかし、そのことは、世界が情報的にも分裂し寸断された地域に分かれなければならないことを意味するものではなかろう。逆である。われわれは、悲惨な条件の下でも自力で生きのびようとする人々の苦悩に、目を塞ぎ耳を塞ぐべきではない。できるかぎりの声援を送ると同時に、不運にも生きのびることができなかった人々の情念や絶望を、せめて情報的にわかちあい、記録し記憶することに努めるべきだろう。物的に生きのびることのできない人々に関する情報は、生きのびることのできた人々が収集し保存し伝えていくこと、その意味での情報的連帯は、生命とともに心をもつ存在にとっての "救命艇の倫理" の、もう一つの柱ではないだろうか。近代文明の後継文明としての "後期軍事・産業文明" への移行は、どうやらグローバルな救命艇状況の中で行われざるをえないようだが、その移行に成功するかどうかは、物的な自立と情報的な連帯という一見相矛盾する救命艇の二つの倫理原則に、われわれがどこまで忠実かつ誠実に従いうるかにかかっている。恐らく、地球智場での智業による "智のゲーム" にとっての最大のテーマは、この二つの倫理原則をいかに統合しつつ実践していくべきか、というものになるだろう。
〔付記〕本稿の第一節と第四節は、筆者の旧稿、「新国際秩序考」(『晋和』、1991年夏季号)を一部利用している。
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