1992年7月04日
公文俊平
Self-organization in the New World Order
The so-called New World Order can be interpreted as a spontaneously emerging world system in the period of transition from modern civilization to post-modern civilization. This new world order is comprised of two problem-axes: the New East-West Problem and the New North-South Problem.
The former refers to the relationship between Euro-American and East-Asian branches of modern civilization and its task is successfully and peacefully to achieve "informatization" of modern civilization through "co-emulation" of the two branches so that the stage for formation of a new universal civilization is meaningfully set.
The latter refers to the relationship between the modern and industrialized North and the pre-modern South who had to realize the impossibility of modernization. The only alternatives left for them is either to return to the fundamentalism endorsing the principles of pre-modern civilization or to look for a new set of integrating and symbiotic principles of civilization. As a matter of principle, it should be possible for the North and the South to co-operate in their endeavor to build a new civilization. But, in reality, the more likely mutual relationship, as far as the forseeable future is concerned, is that of mutual confrontation, with containment of the South by the North or with minimum commitment by the North to alleviate the predicament the South is bound to face.
ここでは、シンポジウムでの吉田民人氏の報告、「人間レベルの自己組織性」、を念頭におきながら、社会主義体制の崩壊以後に出現しつつあるといわれるいわゆる「新国際秩序」の特質についてかんがえてみたい。
まず、ソ連型の社会主義体制あるいは共産主義イデオロギーの崩壊の意義は、どこに求められるだろうか。
一昨年の5月に行われたある米ソ合同会議の席上で、ソ連側の出席者の一人が、次のような発言をした。「確かに冷戦は終わった。しかし、それがソ連の敗北に終わったという見方は正しくない。ソ連も米国も、共に敗れたのだ。しかし、われわれは未来への希望を失う必要はない。第二次大戦の敗戦国が、いまどうなっているかを考えてみよ。」
しばらくしてから、日経新聞紙上に別のソ連人の発言として同様な趣旨の言葉が引用されていたところからみると、このような見方は、旧ソ連のなかでひところ広く受け入れられていたものかもしれない。
さて、この発言は、確かにあるポイントをついているが、十分正確だとはいえない。この発言の中には歴史の反復の可能性についてある興味深い洞察が含まれているにしても、冷戦と第二次大戦の質的区別がおよそ不十分だという点ひとつをとっても、はなはだものたりない。
これに対し、チェコスロバキアのハベル大統領は、今年の 2月にスイスで開かれた世界経済フォーラムの席上でおこなった演説のなかで、正道を踏みはずしていたとはいえ、近代文明の一つの極端であった共産主義が、外部の軍事力によってではなく内部の人民の反乱によって終焉したことは、近代全体の終焉を意味すると述べた。もはや科学技術が発見する客観的な法則を応用すれば、あらゆる問題を解決することができ、人類は未来に向かっての無限の発展と繁栄を続けていくことが可能だという信念は、維持できなくなったという。これからは、世界の "説明" よりも "理解" をめざして、抽象的一般的な法則性ではなしに、個別的で具体的なあるがままの事実の世界、各人の個人的な経験の世界に立ち戻る以外にないというのである。
私は、文人ハベルがこの演説で代弁している近代文明、なかんずく近代科学技術の批判の心情に、そしてまた、人類の知のパラダイムや生活のパラダイムの転換の要請に、少なからぬ共感を抱きはする。しかし、それと同時に、少なからぬ不満をも覚えざるをえない。確かに、フランシス・フクヤマなどのいうような、共産主義の崩壊は、自由と民主主義の原理に立脚している近代文明の終焉どころか、その勝利を意味しており、その意味では「歴史は終わった」のだという歴史観には、私も容易には与することはできない。それどころか、近代文明は、全地球的な規模でのその普及の可能性という面でも、近代文明の先進地域における持続的経済成長の可能性という面でも、ともにその発展の限界にさしかかっているという思いの方が強い。しかし、それと同時に、西側の世界での近年の "情報化" の嵐のような進展ぶりを見るにつけても、近代文明の発展の可能性はまだまだ完全に汲みつくされたわけではなく、むしろ近代文明には、 "産業化" を超えた発展の局面が、少なくとも中長期的には依然として残っているという印象を禁じえない。
そのような観点から、1990年代初めの世界の現状を描写するならば、米ソの対峙を中軸として進んできた20世紀後半の世界の近代化・産業化過程は、ここにきて、四種類の挫折者を生み出しているのであって、後発国の急速な産業化にとっての有力な方式とみなされていた "社会主義" の挫折は、その一つにすぎないといえそうだ。より深刻な挫折を経験させられたのは、産業化をめざす "離陸" の不可能性を自覚せざるをえなくなった南の諸国である。しかも、東西冷戦の終焉によって、これらの諸国は東西両陣営のいずれかから、政治的・経済的な支援を受けるという可能性を、決定的に奪われてしまった。これらの諸国は、近代的な国家や産業を建設したいという願望を最終的に捨て、その存続のためには、むきだしの暴力や権謀術数に依存するのでないとすれば、前近代ないし非近代文明の原理−−イスラム原理主義やヒンズー原理主義のような−−にたちもどらざるをえなくなったのではないだろうか。こうして、近代化による解決の可能性を想定していた1960年代の "南北問題" は、1990年代には、近代文明と非近代文明の間の対立・相剋をその特徴とする "新南北問題" に転換しようとしている。
しかし、そのことは、欧米、とりわけ米国が、冷戦の最終的な勝利者として残ったことを意味するものではない。20世紀後半における近代化・産業化の最先進国としての地位をほしいままにしていた米国もまた、その正面の敵との対決においてはともかく、側面の諸同盟国との競争において後れをとり、増大する失業や双子の赤字に悩むという挫折を経験させられてしまったのである。なかでも、日本を先導者とするNIESやASEAN等の、チャーマーズ・ジョンソンのいわゆる "開発主義体制" を採用したアジアの諸国は、1970年代から80年代にかけて、産業化に関するかぎり、欧米先進国を瞠目させるほどの見事な成功ぶりを示したのである。
もっとも、これらのアジア諸国は、全面的な西欧化という意味での近代化には、必ずしも成功していない。とりわけ、米国が代表する「民主主義、開放市場、自由社会」の政治、経済、社会的な理念や社会構造の移植は、不十分にしか行われていない。あるいはまた、最近の日本での "生活大国" 化構想などにみられるように、増大した経済力に見合うだけの、ゆとりある "生活の質" の達成には、まだまだ立ち遅れているといわざるをえないのである。その意味では、これらの諸国もまた、挫折者の中に数えられてよいだろう。1980年代に見られた、 "日本異質論" や "儒教文明論" などの台頭は、このような "異常" 事態を説明するためのものであった。すなわち、世界のこの地域には、欧米を凌駕しかねない存続・発展力をもつ、あるいは少なくとも欧米に匹敵する国際競争力をもつが、全体としては欧米のそれとは異質の、近代産業文明のいま一つの発展肢が出現しているようだという認識が、広くもたれるにいたったのである。こうして、これまでは近代文明の−−それも基本的にはその欧米型発展肢の−−内部での "資本主義対社会主義" の体制間対立として理解されていた "東西問題" は、1990年代においては、近代文明の "欧米型発展肢" 対 "アジア型発展肢 "の競合としての "新東西問題" に、その様相を変えていこうとしている。
こうして、冷戦後の新しい国際秩序は、一方における新南北問題と、他方における新東西問題という二つの問題軸の交錯する間に、自然発生的に出現しつつあると思われる。しかしどちらの問題軸についても、少なくともここ当分は、そこでの "秩序" は、むしろ "無秩序" ないし混乱・紛争の方向に向かって進む可能性が、小さくなさそうだ。いいかえれば、悲観的な予想の方が当てはまる確率が高そうだ。
たとえば、新東西問題の軸についていえば、昨年、日米間の軍事衝突を予想した『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン』なる書物が出版されたが、そのような予想の荒唐無稽性を指摘するあらゆる識者の声にもかかわらず、日米関係が衝突路線を辿る可能性は、完全には否定しきれないように私には思われる。もちろん、望ましさという点でいえば、新しい東西関係は、対立よりは競合、競合よりは協力と相互学習(co-emulation) をその特徴とするものになることが望ましい。また、われわれの意識的な努力によって、そのような望ましい関係を現実化することも、決して不可能ではないだろう。
そのために重要なことの一つは、吉田の言葉でいえば、社会システムの「構造情報」と「遂行過程」を明確に区別することだろう。社会システムの「構造情報」とは、社会システムを実際に組織していくための設計図にあたる情報、つまり社会システムの組織原理のことだとすれば、これを「文化」という言葉で言い換えることもできるだろう。他方、社会システムにおける情報処理および資源処理の具体的過程としての「遂行過程」は、生物の場合でいえばその表現型の機能過程に対応している。そうだとすれば、これを「文明」という言葉で言い換えることもできるだろう。大きくみれば同種の近代文明の発展肢に属する二つの亜種ないし分肢としての欧米と東アジアの社会システムは、それぞれが依拠している構造情報のレベル、つまり文化のレベルでは、互いに異質性が強い。そうした文化の違いは、欧米の個人主義文化に対する東アジアの間柄主義文化といった言葉で対比してみることもできるだろう。つまり、理性のレベルでは互いに理解しあうことは不可能ではない。しかし、感性のレベルで、相手の文化を受け入れたり愛したりすることは、容易なことではない。まして、自分の文化を相手の文化に合わせて変化させるようなことは、意図的にはできることではない。われわれは、ここでいう意味での文化が決して不変のものではないことは知っていても、それを意図的、計画的に変化させるすべは知らないのである。 "間柄主義" の文化を受け継いでいる人々が、今日から "個人主義" の文化を取り入れて "個人主義者" になろうと決心することはできても、実際にそうなることは至難のわざだろう。かりに個人のレベルではある程度可能だとしても、社会システムのレベルでは不可能に近いだろう。それは、文化のレベルでも "西欧化" を試みてはそれに挫折してきた日本近代の歴史が証明しているところである。
他方、「遂行過程」すなわち「文明」にかかわる社会システムの諸要素−−イデオロギー、法律・制度、物財等−−は、近代文明の諸分肢の間では、互いによく似ているものが多い。ほぼ同一の外的環境のもとで、情報処理や資源処理を効率的に遂行しようとすれば、そのための仕組みが類似したものになることは当然といえば当然だろう。しかも、文明の諸要素は、文化の諸要素にくらべると、模倣や受容がはるかに容易であると思われる。もちろん、その場合でさえ、一部の近代化論者や合理主義者が予想したような形で、まったく同一の文明が築きあげられていくことは、実はないだろう。ヴァン・ウォルフレンが指摘した日本社会の "権力構造" の西欧社会と比較しての異質性や、シュミーゲロー夫妻が指摘している日本の制度や政策のもつ「戦略的プラグマティズム」ともいうべき諸特性は、文明のレベルでの日本社会の特性である。とはいえ、いったんそうした特性の対環境合理性が認識された暁には、近代文明の他の分肢がそれらを模倣しようとすることは、充分に可能なのである。あるいは、自分たちのもっている文化的特性をも意識的・無意識的に考慮に入れた上で、文化との不適合性があまり大きくならないように、しかるべき変更を加えてそれらを採用しようとすることも考えられる。事実、近代化日本が欧米の文明に学びつつ行ってきた "文明開化" の試みは、まさにそのようなものであった。だからこそ日本は、大きくは近代文明の一分肢とみなすことが可能でありながら、細部では欧米のそれとはいろいろな点で異なっている、しかし産業化の効率という点では、欧米に勝るとも劣らない面をもった、文明のシステムを作り上げてきたのである。そのような試みは、今後は欧米分肢の側からも行われることが望ましい。それが私のいう「相互学習 co-emulation 」である。近代文明が今後もう一段の発展を見せることができるかどうか−−つまり、産業化・企業化の局面を超える情報化・智業化の局面を経過できるかどうか−−は、この意味での相互学習の成功の如何にかかっていると私は思う。そして、そこにまた、近代文明とは異なる価値観、異なる社会的パラダイムに立脚した "近代後文明" への移行が成功するかどうかの第一の鍵がある。古典古代文明は、それに先立つ古代都市国家文明が作りだした文明要素のほとんどを自らのものとして採用した。古典古代文明が追加したのは、 "有史宗教" に代表される、諸文明要素の偉大な統合原理であった。近代後文明もまた、古典古代文明と類似した統合志向型の文明であるとすれば、近代文明の人類史的課題は、統合の対象としての個々の文明要素のなるべく良質なものをなるべく多く準備しておくことにあるといえよう。近代文明は、いわばその "有終の美" を飾るためにも、情報化・智業化の過程で、まだまだ数多くの新しい文明要素を作りだしていかなければならないのであって、その意味からも東西の相互学習の重要性は大きい。
これに対し、新しい南北関係は、昨年の湾岸戦争や、現在の西欧諸国と新ユーゴスラビア連邦との関係などに見られるように、相互協力よりは対決衝突に向かって進む可能性が、新しい東西関係にくらべるとより高そうである。あるいは、全面的な対決は回避した、棲み分けないし "封じ込め" の性格を強くしていきそうである。つまり、北からの介入は、南の内部での混乱や紛争のレベルのある限度以下への引下げや、その悪影響−−たとえば難民などの流入−−の外への拡大の防止などを目的とするものに限られそうである。少なくとも、北からの支援によって南の "近代化" ないし "発展" が始動し進行するという保証は、いまやどこにも見られない。 (先進地域からの経済的、政治的支援が積極的な意味をもちうるのは、新たに北の一部に組み込まれようとしている地域−−アジアでいえばASEAN や中国沿岸地域、ヨーロッパでいえば東欧やソ連の一部、アメリカ大陸でいえば中米諸国−−に限られるのではないだろうか。) もちろん、北による南の軍事的制圧や経済的管理にも、成功の保証はない。北の諸国は、南の地域に発生する諸問題へのオーバーコミットメントを避けつつ、南の混乱 (紛争、難民、環境破壊等) が北に波及するのを避けるための最小限度の経済的支援や軍事的介入を行うにとどめようとするのではないだろうか。
もちろん、このような北のエゴイズムの発露ともいうべき "限定的関与" の秩序が、グローバルな政治的、経済的安定を実現してくれると期待する根拠はない。しかし、北の諸国には、それ以上のコミットメントの準備も意欲も、そして恐らくは能力もないとすれば、それ以外の何が望めるというのだろうか。
ひるがえって思えば、そもそも、近代文明それ自身、この惑星のすべてを全面的に管理する能力はもっていない。近代文明のアジア型の発展肢といえども、地球の環境・資源問題に象徴される、近代文明一般の "成長の限界" を近代文明の枠組みの中で乗り越えるポテンシャルをもっているかどうかは疑わしい。むしろ、これらの地域をも含めて、近代文明の全体が、究極的には深刻な挫折の可能性に直面しているというのが、人類が直面している事態の本質であろう。いいかえれば、今日の近代文明は、現存する前ないし非近代文明との対決において、自明の優越性を主張しうる立場にはない。それどころか、前ないし非近代文明の原理 (有史宗教の原理) の中には、とりわけその死生観の中には、近代文明の自己超克、あるいは自己再組織にさいして学ぶべき、あるいは少なくとも参照すべき、重要な要素が含まれているかもしれないのである。そうだとすれば、近代文明としては、南の諸国に残されている前ないし非近代の文明の諸要素を、無視したり軽視したりするのではなくて、真剣に再検討し学習しなおしてみる必要がありそうだ。もちろん、そのことがただちに前ないし非近代文明への回帰を意味するものではないにしても、である。そうした学習がいかに効果的に行われるかどうかに、近代文明から "近代後文明" への移行の成功の第二の鍵がある。
その意味では、世界は、近代文明をしてその有終の美を飾らしめると同時に、できるかぎり速やかに、外界の征服・支配による無限の成長・発展を指向する近代文明とは異なる、外界との調和・共生による安定・存続を指向する近代後文明の樹立に努めなければならない。冷戦後の新国際秩序の歴史的意義は、そうした二重の意味での "大転換" のための過渡的な秩序となるところに求められるべきであろう。