1993年1月31日
公文俊平
この間、宮沢内閣は、佐川疑惑や暴力団疑惑を積極的に解明するでもなく、他方竹下氏や金丸氏を擁護するでもない、一種距離をおいた姿勢を取り続けた。それは当面宮沢内閣への支持率の低迷をもたらしたとはいえ、年末から年始にかけてのさまざまな環境条件の変化に助けられて、結果的には政権の延命につながる効果をもったように思われる。
そのような環境条件の変化のいくつかを次に列挙してみよう。
第一に、世論の関心は、政治改革や汚職の疑惑解明(1) から、不況対策を要求する方向に大きく転換した。昨年の秋に政府が鳴物入りで打ち出した10兆円にのぼる不況対策にもかかわらず、不況感はますます強くなる一方である。人びとの消費行動もすっかり変わり、高級衣料や装身具、あるいは高級レストランの需要は激減してしまった。それに変わって、各種のディスカウント・ストアーが人気を集めている。日本にも、ようやく "流通革命" の時代が本格的に訪れそうだという声も出始めた昨今なのである。大幅な減税や赤字国債の発行を要求する声も、日増しに強くなっている。(2) しかし、そうした対策を野党に要求することもできず、また野党の方は、依然として佐川疑惑の追求の旗を下ろすこともできずに政府攻撃の焦点を定められないでいる。今年の通常国会の代表質問(1月25日)では、社会党の山花委員長は、「先の臨時国会での証人喚問で偽証の疑いが濃厚で疑惑はますます深まった」として、竹下氏の再喚問と議員辞職を要求したものの、それに続く衆議院の予算委員会では、予想された審議中断−−証人喚問の確約を取り付けるまでは予算委の質疑には応じない、とするのが通常の野党の戦術である−−もないままで、各党の総括質疑はあっさり終わってしまった。どうやら不況が野党の鉾先を鈍らせてきたのである。国会を空転させようものなら、「この景気低迷下で予算を人質に取り審議を遅らせていてよいのか」という批判が野党に集中するのを恐れ始めたのである。これは、野党の自信喪失状況以外の何者でもないが、そうだとすれば、結局相対的に力を回復するのは、自民党であり、現政権なのである。
12年ぶりの米国での民主党政権の誕生も、結果的に、自民党と宮沢内閣に一息つかせる余裕を与えた。本来ならば、今頃は、米の輸入の関税化問題に最終的な決着をつけざるをえなくなるはずだったが、クリントン政権がとったウルグァイ・ラウンドの延長方針のために、宮沢内閣はその決断を少なくとも半年近く先送りすることができ、それが党内の安定につながったのである。また、クリントン政権には知日派が少なく、日本に対してどちらかといえば関心が薄いように見え、したがって当面日本に対して "難題" を突きつけてくる可能性も小さいように思われることも、自民党に一息入れさせたもう一つの要因である。
さらに、自民党竹下派の分裂によって誕生した羽田 (小沢) 派の新党結成の可能性に対しては、自民党自身の中に、政治改革論議や憲法改正論議を巻き起こすことで、それに蓋をしてしまおうとする戦術が取られ、効果をあげているようにみえる。宮沢首相はまた、自らが強いリーダーシップを発揮して行った12月の内閣改造では、さまざまな意味で世間受けする内閣の編成に意を用いると同時に、党内各派の力を巧妙に削ぐ術策を講じたといわれる。すなわち、首相は、党内の評判はもう一つだが世間での人気は抜群の河野洋平氏 (元の新自由クラブの結成者) を官房長官に任命すると共に、「婦人問題担当」を命ずるという異例の措置を講じた。また、文部大臣には、「女性の起用は民主主義です」という一言で党内の異論を抑えて、森山真弓参議院議員を任命した。法務大臣には、護憲派で平和主義者との定評のある後藤田元晴氏を起用した。小沢・羽田派からは、派閥の推薦リストにはなかった船田元氏(39)を一本釣りして、「戦後最年少閣僚」という目玉とした。宮沢首相は、自らは "護憲" の立場を明確にする一方で、自民党内には、憲法改正を論議する組織を設けることを許した。(3)
自民党内で活発にまきおこり始めた、政治改革論議や憲法改正論議に対して、野党は効果的に参加したり反論したりすることができないでいる。社会党では、山花新書記長が、これまでの護憲論とは異なる "創憲論" を打ち出してはみたものの、その内容はほとんど不明で、むしろ党内の混乱の拡大を助長している。社会党は、事実上、政党としては崩壊してしまったのかもしれない。社会党の国会議員たちは、次の選挙での党勢の再建や拡大よりは、個人としての生き残りを最優先せざるをえない状況に追いやられている。また、公明党は、その母体である創価学会が、長年にわたって続けていた日蓮正宗の総本山大石寺との戦いに完勝したことで、池田創価学会会長の個人政党として再編成される方向に向かっている。すでに、矢野元書記長を初めとして、党内のかつての実力派幹部の多くは整理されてしまった。公明党は今、内部の処理で手いっぱいで、対外的な政治キャンペーンを行う力は当分はないというべきだろう。
そういう事情で、宮沢政権は、いまや少なくとも夏のサミットまでは安泰だという見方が強くなっている。憲法改正論議をめぐって、護憲論者の宮沢首相や河野官房長官と、改憲への志向を打ち出しつつある渡辺外相との間に多少の確執はあるにせよ、本格的な対決はやはりサミット後に持ち越されるだろう。それまでの不確定要因の一つは、クリントン政権の新政策が日本に及ぼす影響である。当面、宮沢首相は、一月のASEAN 訪問の後、二月には訪米して、クリントン大統領と会談する予定だといわれている。しかし、先に述べたように、クリントン政権がどのような対日政策を具体的に打ち出してくるか−−急増している日本の貿易黒字批判などを含めて−−、それに対して日本としてはどう対応すべきかいった問題が、日米両国の間で現実の政治日程に上ってくるのは、まだもうしばらく先のことであるように思われる。いずれにせよ、現在の日本の世論の多くは、アメリカの経済の再建はクリントン新政権の予想以上に厳しいことが明らかになるだろう、いやすでに明らかになりつつあるが、いったい新政権としてはどうそれに対処していくのかといった、第三者的な "お手並み拝見" の姿勢を取っている。しかし、日本の一部には、クリントン政権が最優先事項の一つにあげている、国家的経済競争力の維持・回復政策、とりわけその一つとしての "全国情報インフラ" 建設計画が日本に及ぼすインパクトに注目しようとする動きも見られる。日本の情報通信産業は、依然として出口の見えない深刻な不況に悩み続けているだけでなく、80年代に日本で華々しく喧伝された情報インフラ建設の計画は、頓挫もしくは先送りになりつつあるからである。ここで、日本が、アメリカの動きに積極的に共鳴していくことができれば、不況脱出の突破口の一つが開けるかもしれない。
年が明けてからの日本列島での大きな話題は、皇太子の婚約と、外国人横綱曙 (および史上最年少大関貴花田) の誕生である。
皇太子妃に決定したのは、現職の外交官で、外務次官の娘でもある小和田雅子さん(29)である。小和田家は、日本の典型的な中産階級に属し、雅子さんは父が外交官であった関係で外国生活が長く、大学もハーバード大学を卒業している。皇太子はすでに32歳になり、お妃えらびが難航していることに日本の世論はやきもきしていたのだが、今度ようやく決定をみて、国民もほっとした感がある。雅子さんが選ばれたことについても、世論はおしなべて好意的である。宮沢政権は、それにあやかって、世論の支持の少ない政権に浮揚力をつけたいとか、今回の慶事が低迷する景気回復の呼び水になってくれるのではないかなどと期待しているようだが、それはいささか希望的観測にすぎるかもしれない。なお、婚約内定のニュースは、一月六日の新聞、テレビにいっせいに流れた (皇室会議での制式の決定は一月十九日) のだが、そのきっかけは、ワシントン・ポスト紙の報道決定にあった。国内のマスメディアは、宮内庁からの正式の発表があるまでは報道の自粛を申し合わせていたのである。しかし、外国の新聞の突出的行動によって、この申合せはいっぺんにすっとんでしまった。これは、国内で自分たちの仲間うちだけで作っていた秩序が、 "外圧" によって崩れてしまうという、しばしば繰り返されるケースの典型的な一例だったといえよう。
日本の "国技" といわれる大相撲に、外国人の横綱が誕生したのは、もちろん今回が初めてである。日本の大相撲に外国人が最初に参入したのは、1964年の高見山が最初だった。それから昨年の五月までに合計八七人の外国人が入門し、そのうち現役にとどまっているのは三一人で、全力士の3.8 % に達している。大相撲での外国人の活躍は、近年しだいに目立つようになり、とくに現大関の小錦が三度にわたって優勝する中で、外国人横綱の誕生が次第に現実性を帯びてくるようになった。そうなると、外国人横綱不要論が一部に称えられたり、逆に外国人への風当たりの強さに対して差別だという反発の声がでたりするなど、かまびすしい論議がおこっていた。相撲協会の出羽海理事長は、こうした中で、すでに一年にわたって横綱の空位状態が続いているにもかかわらず、あえて安易に横綱や大関を作らない方針を鮮明にしていた。今場所では、一場所15日の中の11日目になった時点で、曙が二敗、貴花田が三敗となり、昇進は絶望と見られていた。ところが、場所が終わってみると、協会の方針は一転して、意外にも、横綱と大関の "ダブル昇進" が実現した。それでも、史上六四人目の横綱となった曙の場合は、星の数はともかくとして、二場所連続優勝という横綱審議委員会の昇進条件の内規は満たしているので、恐らくは賛否両論の存在を意識して取られたと思われる出羽海理事長の当初のポリシーを別にすれば、昇進は当然ということができる。多くの相撲ファンと共に、横綱曙の誕生を喜び、今後のいっそうの活躍を期待したい。問題はむしろ貴花田で、従来の慣例からすれば、今回の昇進はいささか不自然という感が否めない。相撲協会としては、世間の話題が外国人横綱の誕生に集中することを避けようとしたとか、スターを二人作ることで、大相撲の人気の盛り上げをはかったなどといった配慮を働かせたのかもしれないが、その結果かえって少なからぬ人びとを白けさせてしまった。一部には公然たる批判も出ている。貴花田はまだまだ若く、かりに今回の昇進が見送られていたとしても、いずれは大関・横綱となる十分な実力の持主でもあるだけに、ファンたちの心からの祝福のえられないような不自然な昇進は残念というほかない。
(1) 東京地検特捜部は、東京佐川急便の渡辺元社長から金丸氏が受け取った 5億円のヤミ献金の配分先について、政治資金規制法違反との告発を受けて再捜査を行っていたが、12月22日、嫌疑不十分で不起訴処分とした。これで、佐川急便事件をめぐる捜査は終了した。
(2) 経済企画庁は一月の月例経済報告で、「日本経済は調整過程にあり、引続き低迷している」と述べ、初めて "低迷" という表現を使った。なお、92年11月の工作機械受注は、前年同月比29.8% 減少した。92年12月の東京地区百貨店の売上高は、前年同月を11.2% 下回った。92年を通じて、卸売物価が四年ぶりに下落する一方、中古車登録は、過去最高 (534 万台) に達した。輸出超過額は、年間で初めて一千億ドルを突破した。企業倒産件数は二年連続で一万件を超えた。
(3) ここでの記述の多くは、文芸春秋、二月号、赤坂太郎、「宮沢 "意趣返し" 内閣の落とし穴」によっている。この筆者は、改造内閣について、全体として次のような評価を与えている。「新人事体制は党内各派に濃淡の差こそあれ、深刻なキズを残すことになった。佐川事件で国民の顰蹙を買っているさなかであるだけに、党内の非難の声は表にはほとんど出てこないが、鬱積した不満がいつ爆発するか。宮沢新体制は大小の爆弾をいくつも抱えた再出発となった。」