93年度著作へ

1993年2月13日

「マイクロコズムとテレコズム」

ジョージ・ギルダーの未来の情報通信産業論

公文俊平

ベストセラー『富と貧困』の著者として知られる経済評論家ジョージ・ギルダーは、1080年代の終わりから90年代の初めにかけて、一冊の大著 [Gilder89] と、一冊の小冊子 [Gilder92] とを発表した。前者は、20世紀の科学革命が、産業や生活におよぼす影響を包括的に論じたものであり、後者は、それを前提としたアメリカの情報通信産業への政策提言である。前者については、不完全ながらすでに邦訳が出版されているので、ここでは主として後者の議論を中心に、彼の所論を紹介してみよう。

なお、ギルダーは、現在、1989年に発表した大著の姉妹編にあたる書物 (『テレコズム』) を執筆中である。その内容の一部は、1992年の夏に箱根で開かれたマルチメディア・フォーラムの席上で発表された。また、そのいくつかの章は、米国の雑誌 Forbes ASAPの誌上で逐次発表されているので、そこでの議論も併せて紹介してみよう。

(一) テレビ後の生活

ギルダーの小冊子は、『テレビ後の生活:メディアとアメリカ生活の来るべき転換』と題され、もともとは1990年に出版されている。ギルダーによれば、その背景には、1980年代の後半、高品位テレビ(HDTV)を押し立て、官民一丸となった重商主義国日本の挑戦が始まったのに、それを迎え撃つにはあまりにも年をとり、しかもだまされやすいアメリカがけちくさい老衰状態に落ち込みつつあるのではないか、という危機感の高まりがあった。なにしろ、19世紀が蒸気機関と鉄鋼によるイギリスの世紀となり、20世紀がアメリカの世紀となったように、21世紀は集積回路と高品位テレビによる日本の世紀となろうとしつつあるように見え始めたのである。こうして、米国の世論は、日本をソ連以上の脅威と見始めた。それに対し日本は、こともあろうに、ソ連に半導体を売ろうかといって応酬したのである。しかし、ギルダー自身は、当時のアメリカに拡がりつつあったそのような見解には与しなかった。彼は、それに対抗して、次のようなテーゼを提出してみせたのである。すなわち、アメリカは決して日本に負けてはいない。生産性も日本より50% 高いし、国民の生活水準も依然として高い。テレコムとコンピューター産業の規模も、アメリカの方がはるかに大きい。それなのに、不当な円高にしたことこそ問題であって、これはアメリカの政策の失敗以外の何物でもない。

とはいえ、アメリカにも弱みがあることはギルダーも認めるに吝かでない。アメリカの教育水準は低いし、国民の生活は堕落した大衆テレビ文化におおわれている。金融部門はハイテクに背を向けているし、政治は目先の困難にばかり気をとられ、排外主義的議論に熱中している。それにもかかわらず、伝統的な個人主義と民主主義と市場の原理を活性化させることでアメリカの再生は可能である。なぜならば、アメリカの困難の根源は自国にあるからであって、そうだとすれば、その解決の芽も同様に自国にあるということになる。ただし、現在取られている対策は誤っている。日本を真似たり、日本に追いついたりしようとすべきではない。日本が開発したHDTVへの対抗としての市場閉鎖や日本産業との協力を考えたり、政府に頼る産業再建策を採用しようとするのは、いずれも正しくない。また、巨大企業の時代も過去のものになりつつあるのだ。アメリカとしては、日本の開発したものとは別の自前の技術と、国内市場の可能性に目を開くべきである。なにしろ、HDTVはもともと大したものではないばかりか、そもそもテレビ時代は今や終わろうとしていて、次に来るのは "テレピューター" の時代だなのだ。新時代の到来にさいしては、アメリカの先進技術 (コンピューターとテレコム) がものを言う。この分野では、アメリカは日本よりはるかに先に進んでいるばかりか、アメリカの中小企業、個人企業も優秀であって、新技術の利用によく適している。それに、アメリカの消費者も決してバカではない。テレピューターの導入によって、アメリカは社会生活の様相を一新できる。とりわけ、ビジネスと教育と芸術が変わるだろう。

新時代を生みだす鍵は、規制緩和にある。とりわけ、地域電話会社に活動の自由を与えることが肝要だ.....

以上が、この小冊子でギルダーが展開している主張と提言の骨子である。ギルダーによれば、この小冊子が出版された当初は、円高以後の日本の進撃は止め難いもののようにみえ、彼の議論もなかなか真面目に受け取られなかった。しかし、後に、ソ連がつぶれ、日本もバブル崩壊に苦しむようになると、この予言が生きて来始めたという。

以下、ギルダーの主張をもう少し詳しく見てみよう。

1)テレビの台頭と没落:1939〜89の半世紀

アメリカにテレビが登場した当初は、アメリカ人が平均して一日六時間もテレビを見るようになるとは誰も予測できなかった。しかし、今日では、テレビはアメリカの98% の世帯に普及し、国民的な経験と意識の統合基盤となるにいたった。

メディアとしてのテレビは、次のようないくつかの特性をもっている。

第一に、テレビはトップダウン型のメディアであって、端末受像機には "知性" つまり情報処理能力がない。端末に "知性" をもたせようとしても、高価で嵩張り、寿命の短い真空管は、到底大量には使えなかったのである。

第二に、テレビはアナログ型のメディアであって、受けた信号をそのまま表示する。したがって、元が歪めば結果も歪んでしまわざるをえず、テレビの画像は気象の影響を受けやすく、操作や貯蔵には不便である。テレビは、大量の帯域を食うブタのようなものだ。 第三に、テレビは本質的に全体主義的、侵略的で低俗なメディアである。実際、 [旧] ソ連での各種メディアの普及率を見てみると、テレビだけは30.6% と西欧なみだが、電話は10.2% でドイツの1/6 しかなく、コンピューターにいたっては 0.1% しか普及していない。テレビにあっては、その圧倒的普及力と引換えに、個性と創造性が犠牲にされざるをえない。テレビ番組は低俗なものでないと受けない。そもそも電波に乗せてもらえないのである。

ところで、テレビが普及していく間に、テレビとVCR を時代遅れにする技術もまた次第に開発されていった。1948年にはトランジスターが発明され、画像表示機能以外では真空管にとって代わるようになった。1958年には集積回路が発明され、多数のトランジスターを集積することによって、端末に知性を与えることが可能になった。とりわけ、端末が画像処理能力をもてるようになった。1970年代の終わりには光ファイバーが導入されて、信号の伝送帯域が一気に拡大した。さらに1980年代以降には、ディジタル化技術が普及しはじめた。

こうした技術開発の結果、テレビを超える新しいメディアであるテレコンピューター (テレピューター) の出現が可能になった。テレピューターは高度の情報処理能力をもち、しかも個人利用が可能である。その意味では、テレピューターこそ、個人主義、民主主義、資本主義の体制に適合したメディアなのである。

2)テレピューターの時代:創造的破壊の時代を経て到来

1969年、米国特許局の Alan Kiron は<Domonetics> という新しいコンセプトを提唱した。この言葉は、domicile+connection+electronics の合成語であって、文化と技術の相互作用を表現するために作られた言葉である。キロンは、これによって、新しいコンピューター・通信技術が人々の仕事の仕方やライフスタイルを組み換えるということを言いたかったのである。もっとも、キロンのこの考えは、あまりにも時代に先んじていたために、すぐ忘れられてしまったが、ギルダーは、今こそこれを復活させる必要があると考える。

キロンのいうdomonetic world とは、まさに今日情報化社会の姿にほかならず、その神経系をなしているのがさまざまな情報技術であって、それを体現した各種の情報機器(TV,コンピューター、電話等) は、すでに現代人の居住環境になっている。それにもかかわらず、その意味は、政府にも産業界にも、まだ十分理解されていない。だからこそ、情報技術は、生産性の向上にも結びついていないのである。ギルダーによれば、その大きな理由は、現在出現しつつある集積回路のようなマイクロエレクトロニクスの産物に見られる "マイクロコズム" の法則が理解されていないところにある。これまでの "マクロコズム" (としてのこれまでのネットワーク) の法則は、それに接続される要素の数が増えるとともに、システムの複雑性が指数的に増加するというものであった。だが、 "マイクロコズム" においては、接続される要素の数が増えるとともに、システムの効率性はその二乗に比例して増加し、その結果、システムは、より安く、より早く、より信頼性が高くなるのである。つまり、マイクロコズムにおけるネットワークの新たな分散型アーキテクチャーは、マイクロチップスの上のスイッチと接点はますます大量廉価 (数千万〜数億) になったのに対し、チップを外の世界に繋ぐ線は稀少で高価 (16〜48) なままだという事情を反映しているのである。すなわち、コミュニケーション能力に比べて、個々のコンピューターの情報処理能力が格段に大きくなるので、メーンフレームによる集中的な情報処理よりは、それぞれが高度の情報処理機能をもっているパソコンやワークステーションによる分散コンピューティングに向かう傾向が生まれ、それがネットワークの新たなアーキテクチャーを決定することになる。今や、過去の時代のマクロコズムの法則を反映した集中型のネットワーク−−電話、放送、データベース等−−は、時代遅れのものとなり、その存在理由を失ってしまう。(1) しかも、そのことはまた、今日の自動車のハイウェーの管理者とドライバーの間の力関係と同様に、通信ネットワークにおいても、その建設・管理者よりも、そのユーザーの力が強くなることを意味する。マイクロコズムにあっては、知力も情報も、システム全体に分散してしまうのである。

このようなマイクロコズムの法則は、コンピューターやそのネットワークの在り方を一変させるだけでなく、これまでの産業社会に形成されている独占、階層構造、ピラミッド、権力の網を一挙に吹き飛ばす効果を発揮する。とりわけ、すべての全体主義的政体の基盤を堀り崩してしまう。なぜならば、いまや人民の力の増加が、監視者 (ビッグ・ブラザー) の力の増加を上回ってしまうからである。こうして、社会組織にあったこれまでの階層構造は消滅して、共通のルールの下に平等な主体たちが相互作用する自律分散型の "ヘテラーキー" 構造が出現するようになる。

こうして、群集心理から、多数の個人の創造性とインスピレーションの世界への転換、放送のピラミッドから仲間のネットワークへの転換、が今や起ころうとしている。それが及ぼす社会的影響は、極めて広くかつ深い。たとえば、教育の世界には、最善の教師の授業がどこででも聞けるホーム・スクーリング方式が導入されたり、社会生活の規律の学習は親や教会が運営するマイクロ・スクールで行われたりするようになるだろう。これは、既存の教育システムに強力な競争が導入されることを意味する。娯楽の世界では、無数のストックからの自由な番組の選択や視聴者の多様な要求に応じて制作された個別のプログラムを送信することが可能になってくるだろう。同時に、個々のプログラムの価格はごく安くなり、その市場は世界に拡がるだろう。それは、プログラムのクリエーターの力が、配給者の力よりも強くなることを意味する。ギルダーの予想によれば、後者の取り分は、現在行われているような、売上の30% から 5 %以下になるかもしれない。だがそれでも、取り分の総額はかえって増えるだろう。

ドモネティクスの波の到来は、 "個人主義の新時代" の到来を意味する。各人は、個人用の高度な情報収集・処理機器を持ち、好きなように使うことができるようになる。問題は、それを使って何をするのか、何をしたいのかが、必ずしも明らかでないことだ。なにしろ、近代社会の特質は、人生の目的、価値、規律、意味づけに関する知識が欠落し、もっぱら手段に関する知識だけが先行し肥大してしまったところにある。つまり、近代人は、手段の面でより自由になればなるだけ、その自由を活用する指針となる意味を失いがちなのである。そこから、 "自由からの逃走" や、自由をもたらす "変化への抵抗" が起こってくる。また、新しい技術革新による創造的破壊の対象になる勢力が、政治的に結束して反対するといった動きが起こってくる。こうして、放送会社は「自由で普遍的な放送サービスを守れ」と言い、ケーブルテレビ会社は「電話会社の光ファイバー敷設反対」を叫び、テレビ製造会社は「次は、HDTVの時代だ」と主張する。そうなると、コンピューター業界:「困ったなあ、もう少し待つか」という態度を取らざるをえなくなり、結局、異口同音に、「テレピューターの時代はまだまだ10年か20年先のことだ」と言い立てることになるのである。ギルダーに言わせれば、これこそ、日本に技術のリーダーシップを明け渡す犯罪的な行為にほかならないのである。(2)

3)電話産業の新展開

マイクロコズムの新法則の影響をもろに受ける産業の一つは電話業である。これからの電話産業が生き残る道は、電話線の光ファイバー化による、画像通信への進出以外にないと思われる。このことにいち早く気付いたのは、アトランタのSouthern Bell 電話会社のRichard Snellingであった。スネリングは、1975年ごろ、AT&Tの専門家から、次のような助言を受けた。すなわち、銅が払底してきたので電線のアルミ化が必要である。また、電話機の送話口の音声〜電気信号変換に使う高純度の炭素が欠乏しだしたので、銅に置き換える必要がある。なお、最終的には、銅に代わるのは光ファイバーだが、その実用化には何十年もかかるというのが、当時の専門家の見方であった。しかし、アルミは、南部では腐食しやすい。そこでスネリングは自分で光ファイバーのことを調べてみると、その技術がすでにコーニング・グラスにあることがわかった。これがきっかけで、彼は、光ファイバー推進の "グローバルな十字軍戦士" となる。ところが、1970〜80年代のAT&Tは、ピラミッド型階層構造の集中的システムをとっていて、中西部の "good old boys"に牛耳られていた。その当時のAT&Tは、光ファイバーやディジタル交換などの技術への投資は控えて、パブリック・サービスとパブリック・リレーションに専念していた。そして、中高年者への配当、アファーマティブ・アクションによる少数グループの雇用機会の提供、慈善や政治運動への寄付、その他法律事務所、ロビースト、エコノミスト、社会政策コンサルタント等に毎年何十億ドルも使っていた。それというのも、当時のAT&Tは、FCC(連邦通信委員会) と各州の公益事業委員会の監督下にあると同時に、法務省の反トラスト部に絶え間なく追われていた。つまり、議会と、連邦・州・自治体の判事たちの鋭い監視下にあって、雁字搦めの規制をかけられながら、政治による攻撃と搾取の対象にされていたのである。彼らは、AT&Tのコスト負担の増大と価格の引上げをさせまいとして、積極的な投資は許さないばかりか、既存の設備の耐用年数は、40〜50年とする方針をとっていた。これでは競争力などもてるわけがなく、結局、AT&Tとしては、技術進歩する部門と現状維持部門とを切りわけることによって、それに対応していた。すなわち、中央のエリートたちが、軍事・宇宙部門や長距離・国際部門で技術開発とその実用化に携わる一方、底辺の地域局は、もっぱらPOTS (plain old telephone service)のみの提供に徹していたのである。

ただし、このような仕組みも、スイッチが高価で回線が安いという状況にはある程度適合的だったといえる。経営陣は、違法の独占だという告発にもっぱら備えていればよかったのである。しかし、この状況は、まさに70〜80年代にかけて大きく変化していた。すなわち、まさに底辺でのサービスの可能性を抜本的に変えさせるようなマイクロエレクトロニクス革命の波がやってきた。廉価な半導体の普及がスィッチの価格を大幅に引下げる一方、(3) それと並行して生じた銅線価格の急上昇は、既存のシステムの合理性を失わせてしまった。今や、合理的なシステムの構造は、集中型から分散型へと、スター型の構造からLAN 型のリング構造へと、転換したのである。

もっとも、中央のエリートたちからみれば、底辺でのそのような変化は、彼ら自身にとっての脅威以外の何物でもなかった。それを鋭く見抜いたのがスネリングだった。彼は、AT&Tにとっての真の敵は、AT&T自身のR&D 部門だと気付いた。1978年に光ファイバーが利用可能になると、スネリングは、直ちに回線の更新部分にそれを導入し、1979までにアトランラ北西部のほとんどにそれを敷設した。しかしニュージャージーの本社は、1980年になっても光ファイバーには否定的なままで、せっかくのベル研の開発した技術は、さっぱり生かされなかった。その間、日本は光ファイバー化、フランスはディジタル化に走っていた。スェーデンは全国を高度ディジタル化して市内電話料を米国の半額にした。このため、スィッチだけでなく光ファイバーの製造についても、米国のリーダーシップは失われてしまった。

これが、 1980 年代初頭の米国テレコム危機の本質であった。そして、それを結果的に救ったのが、1982年に、米国の連邦裁判所のグリーン判事が下した修正最終審結であった。それによって、AT&Tは、長距離電話と関連機器製造に特化する新AT&Tと、市内電話サービスを独占的に提供する七つの地域電話会社とに分割されたのだが、この分割が競争力の復活につながったのである。たとえば、マイクロウェーブの長距離電話会社として台頭したMCI は、光ファイバー化に関心をもち、コーニング社に62000 マイル分の光ファイバーの発注に踏み切った。それを見て、AT&Tもようやく動きだし、1990年までに長距離と国際回線を光ファイバー化することに決定した。結局、1980年代のアメリカは見事に復活を果たし、テレコムとコンピューター産業で、世界を制覇することに成功した。

しかし、今、1990年代の初頭にいたって、米国は再びテレコム危機の到来に直面している。1990年代の世界のテレコム産業の競争の焦点は、通信回線のディジタル化にある。より具体的には、 ISDN を全国に普及させ、その端末としてコンピューターを利用させるところにある。最終的には、全てのオフィスと家庭に光ファイバーを引き込む(FTTH)ことが、競争の中心になるだろう。その場合のアメリカにとっての問題は、1982年の米連邦裁判所の修正最終審結である。この審結は、当初は米国のテレコム産業の再活性化に貢献したが、今やシステムを麻痺させるものでしかなくなっいる。なぜならば、グリーン判事は、この審結において、AT&TによるFTTHの設置を禁止しているからである。他方、FTTHの推進を許されている地域電話会社は、テレコム機器の製造や、新サービス提供のための光ファイバー回線の利用を許されていないために、せっかくFTTHを行っても、その費用の回収ができないという状況にある。加えて、州公益事業委員会は、市内サービス料金を下げるために地域電話会社の大規模な投資計画を抑えている一方で、議会は、各都市でのCATVの独占を認めてしまったのである。

これはまことに皮肉な結果だ。もともとCATV会社は、アメリカのテレコムの再活性化に貢献していたのだ。つまり、アメリカのテレビの番組内容を大きく改善すると同時に、世界で初めて、同軸ケーブルによる広帯域ネットワークを家庭にまで引き入れたのである。これが、電話会社の光ファイバーの幹線とフィーダーにつながるとすれば、米国のポテンシャルは巨大なものとなる。しかも、それは日本とヨーロッパにはないものなのだ。ところが、この接続・協力が政府の規制によって阻まれている。これが、米国の新たなテレコム危機にほかならない。

スネリングは、1987年に東京で開催されたGlobeCom会議での席上、公然たる反乱声明とでもいうべきものを発表した。すなわち、政府がケーブル独占体との競争を許さないのなら、それはそれでいい。自分としては、ともかく家庭に電話用の光ファイバーを引くつもりだ。なぜなら、それによって、電話線の維持費の引下げと音声伝送品質の改善ができるし、将来の高度テレコム・サービスのための布石になるからだ、と述べたのである。

確かに、光ファイバー・システムは長期的には電話料金の大幅引下げを可能にする。また短期的にも、少しずつ置き換えていく限り、コスト圧迫要因にはならない。しかも、その結果端末が高度のインテリジェンスをもてるようになるので、電話会社によるネットワークの独占の弊害も心配しなくてもよくなる。むしろ、そこに発生する大量の余分の通信能力を利用するために、電話会社としては価格を思い切って下げて、ユーザーを呼び込む誘因とせざるをえないだろう。

それどころか、これからの地域電話会社は、各種の深刻な競争に不可避的に直面することになる。第一に、光ファイバー回線は、空いたパイプや長い土地をもっている会社だと誰でも引けるのだ。現に、アメリカのあるパイプライン会社 (Williams Pipe Line Company) は Williams Tele-communications Group Inc. を設立して、たちまちのうちに、全米第四位の光ファイバー回線所有者になってしまった。第二に、CATV会社の敷設した同軸ケーブルは、電話サービスにも利用できる。第三に、そもそも回線を必要としない形の新たな電話サービスのシステム−−たとえば、セルラー電話システム−−も、いろいろなものが出現し始めている。つまり、電話業界は、セルラー電話とケーブル・テレビに挟み打ちされているのだ。事実、シリコン技術では、価格は7 年で1/10に下がるのが平均傾向だとすれば、近い将来、セルラー電話の料金が通常の電話なみになり、しかもディジタル化して、品質もよくなったとしても、何の不思議もないのである。それに対抗するためには、電話会社はこれまでのPOTS (Pain Old Telephone Service) からPANS (Pictures And New Services)への移行を、合言葉にすべきだろう。その意味では、懸念すべきは、電話会社による独占ではなくて、電話会社の死である。電話会社にとっては、光ファイバーを家庭やオフィスに引き、併せて各種の新しい通信・情報サービスを提供していくことが、これからの唯一の生存策なのだ。

ギルダーのビジョンでは、今日のアメリカの地域電話会社とその共同研究部門であるベルコアは、全体でアメリカのハイテク投資の30% をカバーしていることから考えても、アメリカのテレコム産業、いやアメリカ経済全体の未来にとって、極めて重要な戦略的意義をもっている。彼らは、これから展開されるグローバルなテレコム競争において、主導力となることが期待できる、アメリカの重要な資産−−グローバルな競争でのアメリカのゴリアテ−−なのだ。ところが、その地域電話会社が、今のところは、裁判所や議会の規制によって、雁字搦めの鎖に繋がれている。そうだとすれば、この鎖をはずすこと−−Free the Bell Seven −−ことこそが、当面の最も重要な政策課題でなければならない。これが、小冊子『テレビ以後の生活』におけるギルダーの主張と提言の概要である。

4)テレフューチャー:テレコムの未来

ギルダーの上記のような見解は、1989年の初めに最初に発表され、たちまち激しい拒絶反応にであってしまった。一般産業のリーダーたちばかりか、電子産業のリーダーたちさえ反発したのである。とりわけ、放送関係者は narrowcast の利点を認めず、ケーブル関係者は、電話会社との競合の可能性を認めようとしなかった。放送仕様とISDN仕様は別だから、ケーブルは二本になると主張したのである。データベース業者は、商売が繁盛していると断言したし、コンピューター業界は、かつてコンピューターを家庭に売り込もうとして失敗したことに言及しながら、現在でもテレビとコンピューターは、別々の部屋にあるという調査結果を引用してみせた。好まれるディスプレーの大きさも違うといった。チップ業界は、日本の家電と競争するよりはそれにチップを売り込むことで満足し、日本がダンピングさえ止めればいいといった。電話業者は、光ファイバーで放送用ケーブルを置き換えよという議論自体に神経質になり、ケーブルテレビと放送業界の政治力に言及した。テレビ受像機で、複数の "窓" を同時に見るのはアナログでしかできないが、消費者はその特徴を望み続けるだろうともいった。電話会社にしてみれば、テレビの時代はまだまだ終わりそうもなく、光ファイバーは30年がかりで音声とデータ用にゆっくり導入していく方針だといった。そして、本当は、テレピューターにこそ新聞の未来があるのにはずの新聞業界は、ともかく変化を恐れて、最も先鋭な反対者となった。

現実には、これまでの自分たちの存続基盤そのものが音を立てて崩れ去ろうとしているその時に、どの業界も、日本との目先の競争に頭がいっぱいで、情報産業の全体を再編成しようとしている技術変化には考えがおよばぬまま、現状維持に汲々としている、あるいは現状の構造を変えないままでの拡大しか考えていなかったのである。

他方、1989年のギルダーには、日本は、さまざまな点でアメリカに遅れはとりながらも、未来を見据えて着々と手をうっているように見えた。すなわち、紀元2000年までに、1200億jを投資して光ファイバーの家庭への引込み(FTTH)を実現すると同時に、1500億jを投資して情報都市を作ろうとしているようにみえた。ギルダーの考えでは、FTTHは、光ファイバーでの国際競争にとって決定的な重要性をもつ。なぜならば、学習曲線効果によって、累積生産高が倍になると光ファイバーの生産コストは20〜30% 低下するからである。ところが、米国は、幹線を光ファイバーにしてそこでストップしてしまったために、光ファイバーの生産は停滞し、コストも下がらない。他方、日本は、FTTHに邁進するために、生産が増加しそのコストも低下し続ける。これは、コンピューター、チップ、エレクトロニクス産業にも大きな刺激になるだろう。「米国の電話とコンピューター業界の幹部は、アメリカのネットワークの完成目標年次を2010年もしくは2030年におくというが、冗談もほどほどにすべきだ。アメリカがより迅速に行動しなければ、アメリカのネットワークは日本人が、日本製の光ファイバーと光エレクトロニクス機器を使って−−そしてことによると日本のコンピューターを入れて−−建設することになるだろう。(p.108) 」

しかし、日本に先を越されまいとしてアメリカが光ファイバーネットワークの建設に乗り出すとして、恐らく1000〜3000億jにのぼる、その建設費用は誰が負担するのか。もちろん政府に負担させることはできないし、その必要もない、とギルダーはいう。その費用は、それによって結果的に利益があげられる、コンピューター、ケーブル、電話産業−−とりわけ地域電話会社とケーブルテレビ産業が負担すべきだ。必要なことは、規制の緩和 (参入の自由) だけであって、アメリカの産業には、それだけの投資をする力は十分あるはずだ。今の米国の誤りは、コンピューターでは勝っているのに、日本のテレビにばかり気を取られているところにある。むしろ自分の弱点を知っているのは日本人の方なのだ。彼らは「情報と娯楽の世界を最初に一つにできる(converge)国が、世界のコンピューターとテレコムのリーダーとなることを知っている。(p.110) 」のである。(4)

以上の分析をふまえて、ギルダーは、米国に対して次のような提言をしている。

アメリカは、80年代の熾烈なコンピューター産業競争に勝ち抜いた自信を取り戻すべきだ。他国は官民一体でやってきたが、アメリカのシェアは落ちなかった。競争力はむしろ強まった。この力の根源は、多数の中小企業(20000, うちソフト会社が14000)間の激烈な競争にある。これに対し、テレビは寡占になっているから弱いのだ。今日のアメリカには、ディジタル・イメージ処理をやる会社が 800、マルチメディアをやる会社は1000社もある。だから、アメリカにはテレピューターを作る技術がすでにあるのに、それに気づいていないのが問題なのだ。

アップル社のスカリー会長は、1991年初頭に東京で開かれたマックワールド・イクスポで、放送、ケーブルに続く第三のテレビ・パラダイム(P3TV)のコンセプトを発表した。それは、スケーラブルでインターアクティブでパーソナルなテレビであり、これこそ、テレピューターそのものなのだが、誰もそれを作ろうとしていない。また、アップルとIBM が合弁で設立したマルチメディア会社の Kaleida社は、もっぱら企業を対象とするビジネスばかり考えているが、それは、Ampex 社が30年前にVCRでおかしたのと同じ過ちだ。P3TVを本気で製造しようとした唯一の会社は、1988年にアンディ・ハーツフェルド、アンドリュー・ベクトルシャイムとピーター・コステロ (サンの創立者たち) 、ハーマット・エスリンガー(NeXT box のデザイナー) が、ニコラス・ネグロポンテの助言をえながら創立したフロックス社(Frox Inc.) だった。オランダとスイスの資金で発足したこの会社は、発足にあたってアップルにも声をかけたが、スカリーは IBMとの提携に夢中になっていたために、反応しなかった。フロックス社は、91年の秋に、200MIPS の速度をもち、価格は7000jのP3TVを発表したのである。これを先駆者として、今や、何千もの起業家たちが、テレピューターに参入し始めた。SiggraphやComdex、あるいはMacWorld等を見ればそれは明らかである。(5)

なるほど、アナログでは、テレビ、ビデオ、レーザーディスク、ウォークマン、ビデオカメラ、ニンテンドーのゲーム・ボックス等に見られるように、日本が依然として圧倒的な強さを誇っている。しかし、アナログ機器の相互接続には複雑なコンバーターが必要なために、機器は単品として生産・販売され使用されがちである。これに対し、ディジタル通信にあっては、同質の信号が送られるために、信号の貯蔵、圧縮、訂正、編集、操作が容易なばかりか、相互接続も容易である。つまり、ディジタルだと、コミュニケーションがより容易になるのだ。たとえば、ディジタル・テレビは、画像そのものではなく、画像に関する情報を送る。それを受け取ってイメージ化するのが、テレピューターなのだから、ここでは、画像の解像度などは、第二義的な問題にすぎない。解像度は、画面の大きさにあわせて自由に変えられる、つまりスケーラブルなのである。また、受けた信号の貯蔵や変更も自由だで、双方向通信も容易にできる。また、信号の圧縮送信や貯蔵もできるので、回線の帯域にもしばられない。もちろん、光ファイバーは、事実上無限の帯域をもっているのだが、コンピューター自体やその外部記憶装置はそうはいかない。そこで、圧縮が重要になる。恐らく、1990年代のディジタル・テレビの鍵は、圧縮技術になるだろう。この圧縮技術は、現在アメリカで急速に進歩しており、これがアメリカの強みになっている。

しかも、アメリカの場合、一般人のコンピューターの普及や利用では、世界一である。また、1980年代にはアメリカのコンピューター科学者は年々43% ずつ増加した。「だから、今日のアメリカは、テレビのコンピューター化を可能にする標準を確立することによって、コンピューター分野での自国の優位を活用する絶好の機会に直面しているのだ (p.119)」

結局、今日のアメリカの進路は、

それとも、

のいずれかなのだが、選択すべきは明らかに前者である。なぜならば、それによってのみ、アメリカがもっている何千・何万のソフト技術者や、周辺機器製造者の力が結集できるからである。つまり、アメリカとっての正しい選択は、アナログのHDTVではなくて、ディジタル・テレビだ。これこそ、米国の技術、労働力、企業でやれることだし、個人主義と自由・民主主義の米国の文化にも合致した方向なのだ。それはまた、大規模システムの集中型から分散型に向かう傾向にも合致している。その意味では、電話のシステムも当然分散化すべきものだ。

これに対し、ヨーロッパは自前のコンピューター産業を持たず、わずかに保護主義頼って、日本の家電と対等に戦っているという自己欺瞞をしているにすぎない。また家電型の産業をもつ日本は、アナログに強いものの、それらの機器は相互閉鎖的であって、未来の大きな発展の可能性を欠いている。

ところで、ギルダーの見るところ、米国はようやく、未来に向かっての前進を開始した。第一に、ディジタル・テレビへの未来ビジョンができた。すなわち、米国の連邦通信委員会 (FCC)は Alfred J. Sikes委員長の下で、ディジタル・テレビに賭けることにして、まず6 メガヘルツの自由な帯域を新技術テレビのために確保して、新しい提案を待った。ところが、出された提案は、日本のハイビジョンとは互換性のないアナログ型ばかりだった。しかし、締切り期限(910601)ぎりぎりになって、General Instruments Corporation から、完全ディジタルのテレビ(DigiCipher)の提案が入った。それに力をえたSikes は、期限を延長し、再提案を待ったところ、その後の16ケ月に五つの提案があり、そのうちの四つがアメリカからで、これらはすべてディジタルだった。残る一つが日本からで、これは依然としてアナログだった。いずれにせよ、これでアメリカは、ディジタル・テレビに向かうきっかけを掴んだのである。

第二に、廉価なマルチメディア・コンピューターの製作に本腰が入りだした。すなわち、コモドール、アップル、シリコン・グラフィックスの各社が、一台一万j以下の機種を発売したが、これらは数年前の5 万jのグラフィックWSに匹敵する性能をもっている。しかも、その価格は、数年で1000jになるだろう。

第三に、安価なディジタル・テレビ用光ファイバー回線の開発が始まった。その先頭を切っているのは、ノースカロライナ州の RaleighにあるBroadband Technologies社である。恐らくその究極の形は、交換機能付き(switched)光ファイバー・ネットワークであり、これで、テレビ放送の完全な個別化が可能になると思われる。

もっとも、アメリカが走り出したからといって、日本を侮ってはならない。日本は、当面、

とをとっているように思われる。だから日本はここしばらくは、何といわれようと、ハイビジョンの旗を下ろさないだろう。(6)

(二) "マイクロコズム" の法則

ギルダーの上のような議論の背景には、その著書『マイクロコズム』 (邦訳題名は『未来の覇者』) で詳しく展開されている、20世紀の科学技術、とりわけ情報技術の特質の広汎な分析がある。その詳細は、直接本書に当たっていただくとして、ここでは、上の議論を補足する意味で、そのエッセンスだけを紹介しておこう。

1)量子時代の到来:四段階の展開

ギルダーの考えでは、現代は量子時代、すなわち、物の優位が覆って、心が優位に立つ時代であって、この時代は、次の四段階にわたって展開する。すなわち、

マイクロコズムでは、燃料や材料の費用は比べものにならないほど少なくてすむようになる。物に対して支払っていた代価は、今度は頭脳に対して払われるようになる。今や、ワークステーションの前に坐った企業家一人でも、世界規模の企業活動が開始できる時代、すなわち知的資本がものを言う時代となった、   第四段階:国家間の力の配分の決め手となる天然資源や領土の価値が失われる段階。今日、優勢を誇る国家や会社は、土地や物的資源の支配者だというわけではない。優れたアイディアと科学技術を自分のものにした者である、

がそれである。以下、それに関わる論点のいくつかに、もう少し立ち入ってみよう。

2)マクロコズムの法則とマイクロコズムの法則

コンピュータの速度をあげるのには、二つの対照的な方法がある。その一つは、従来のマクロコズム的な方法で、より大きな電力でより速いスイッチを作るものだが、これは熱が蓄積するという難点をもっている。これに代わるマイクロコズム的な方法が、低電力だが動作は遅いスイッチを、非常に小さく作って高密度で並べる、というものである。今日のコンピューターは、後者を採用することによって、ダウンサイジングと低価格化に成功した。それは、マイクロコズムにおける "カーバー・ミードの法則" に従った展開であった。ミードによれば、

「マイクロコズムに入り込むにつれて、何でも小さくなるほどより良くなり、速くなるほどより冷たくなり、価値の高いものほどより安くできるようになる、と。電子の往来がより密に、より高速に、より複雑に、そしてより多量になるほど、事故や不良品の数は減り、なにひとつ摩損を起こさなくなる」 (訳書、p.37、訳文は若干変更した、以下同様)

のである。

マイクロコズムではまた、 "学習曲線の法則" が劇的に作用する。すなわち、ある製品の単位あたり製造費用は、その累積生産量の増加と共に減少していくのである。フェアチャイルド社は、この法則を利用して、テレビのUHF チューナーとして半導体を売り込むことに成功した。すなわち、テレビにUHF チューナーがつく時代が来た時、RCA は、UHF 発振器として使える新型真空管 "ニュービスタ" を、一個一ドル五セントで発売した。他方、フェアチャイルドは、UHF チューナーとなる半導体1211 [原価100 ドルあるいは50ドル以上とある] を、軍には150 ドルで売っていた。それを5 ドルで、売り出そうとした。同社のセールスマンのサンダースは、これを一ドル五セントで売る許可を社長のノイスに貰って、売り込みに成功した。二年後には50セントになった。しかし、サンダースたちは、香港に製造工場をうつし、一個15セント以下の原価で製造することによって、値段を15セントまで下げたのである。(p.161-5) また、TI社は、七〇年代初め、電卓市場になぐり込みをかけるに当たり、やはり同様な戦略 [“ダンピング”“原価以下で売る”“略奪的価格設定”などと非難されやすい戦略] で臨み、爆発的に市場が成長した一〇年間に、最大のシェアを獲得することに成功した。(p.168)

3)ギルダーの日本企業観

ギルダーは、上のような観察から、とかく批判の対象となりがちな日本の企業の行動について、次のような肯定的な議論を展開している。曰く、  

「しかし今日、日本が学習曲線をふんだんに活用して、次から次へと市場で優勢に立っているかたわらで、多くの米国の会社や経営専門家たちは、この戦略はいくぶん古くさくなった、あるいは非難されべきものとなったと信じている。ジェリー・サンダース自身でさえ、日本を“原価以下で売る”と非難し始めた。多くのアナリストたちが、TIや他の米国の半導体会社が近年時として見せるつまづきを、学習曲線と結びつけて考える。今日、多くのビジネススクールでは、学習曲線戦略は失敗したということが、流行になってしまった。(p.166)

「多くの米国人は、かつて米国のものであった量子技術を日本がくすね取ったか、模倣したものと思っている。しかし、もしマイクロコズムが一国で占有するには大きすぎるものであるならば、それはどこの国の財産でもなく、また別々の運命をたどるわけにもゆかない。米国人と日本人は、その政府と国民がともにマイクロコズムの普遍的な法則と原理を守る限り、ひとしくその成果を享受できる。(p.172)

「第二次大戦以降、米国と日本とは、量子経済の発展に適した場所としての位置を交代で占めて来た。米国が日本にその座を譲るようになったのは、それまで中心的な位置から初めてすべり落ちた七〇年代後半のことであった。(p.190)

「こうして[AMDの] サンダースと [インテル] のグローブは、米国の半導体企業は敗北者だという考えを、その意図はなかったにせよ、強力に広めてしまった。だが実際には、米国はいまだに半導体の世界総生産のほとんど半分を占めており、そのもっとも先端的な市場のほとんどを制している。もし彼らが大幅な政府援助なしにはやっていけないとすれば、いったい誰がやっていけるというのか。(p.198) 」

ギルダーの見るところでは、この日本の優位は、70年代の後半から80年代の前半いっぱいくらいしか続かなかった。すなわち、とくに70年代後半から80年代前半にかけて、日本はCMOS技術の応用に成功し、それを一般消費者向け製品に利用して、米国に先行した。驚いた米国は、80年代前半は、日本のダンピング、政府融資、不公正貿易などという非難を日本に投げかけるばかりだったが、後半になって、ようやくCMOSの差を縮めた。そして、再び首位の座を奪回したのである。それなのに、米国の半導体企業は、依然として不満をいうことをやめないのはどういうことだろうか。

「 [かつて] 「われわれは技術では勝っているが、インテル社のマーケティング力にはやられたぜ」とAMS のトム・ロイドはいった。モステックのL.J.スパンも似たような主張をした。今日、米国企業は、日本を打ち負かせないことの理由として、同様なアリバイを探し求めている。しかし、七〇年代初めのインテル社と同様に、日本人は、マイクロコズムのシリコンゲートをより速くくぐりぬけるべく、ある決定的な仕方によって、数年にわたる努力を続けたにすぎないのだ。(p.208) 」

ところで、この日本のテレコム産業には、一つの決定的な弱点がある。それは、「マクロコズム時代のアナログの異物」であるテレビが今や死のうとしている時代に、依然として旧いアナログ技術を改良したHDTVの開発にこだわり続けている点である。ギルダーは指摘する。

「だが、技術としてはテレビはもう死んだものだ。その本質的なアナログ性をどう化粧しようと、もはや問題にならない。技術の生死は、その普及度や人気で決定されるものではない。それは技術の将来展望によって決まるのだ。....もしテレビが死んでいるならば、HDTVは死産せざるをえない。(p.341)

「テレビの死の前兆として、関連技術がいっせいにデジタル化に走っていることがあげられる。もっとも将来性のある記憶媒体はすべて−−磁気であれ電子あるいは光学媒体であれ−−本来的にデジタルである。すべての双方向型の技術も本来的にデジタルである。すべての光ファイバーチャンネルもそうである。同様に重要なのは、新しいオーディオ技術−−鮮明な画像にとっての必須の相補物−−もまた、ますますデジタル化していることであるる。(p.345)

「もし明日の画像技術が、テレビの誕生以来用いられているのと同じ空中波での放送技術の単なる改良版にすぎないとすれば、日本人は家電の分野を支配し続けるだろう。人は過去二十年間より進んだテレビ技術の開発に力を集中し続け、今ではその市場のほとんどを制覇している。ハイビジョンでは、日本はアメリカに少なくとも十年先行している。....しかし、過去三〇年の間に、マイクロコズムの力のおかげで、コンピュータ技術は、テレビ技術の何千倍、いや、何万倍も早く進んだ。(p.346)

「ハイビジョンとは違って、新しいビデオ・コンピュータは、ドラッカーの言っている一〇倍の改善という基準を容易にクリアするだろう。(p.347) 」

ギルダーは、米国が誇りうる画像処理技術のすでに実用化された例として、インテル社のDVI (Digital Video Interactive) をあげている。この技術は、一枚のCDにまるまる一本の映画を記録できるばかりか、画面をランダムにアクセスし、インタラクティブに操作することを可能にする技術なのである。だから、日本を恐れることはない。

「米国の産業は、もっとも重要なコンピュータおよびテレコム技術の多くの分野でリードを奪うことによって、将来のテレコンピュータ分野のビジネスを支配すると期待できるあらゆる根拠をもっている。(p.353) 」

そのさい注意すべきなのは、アナログテレビを政府が支援するといった時代錯誤をしないことである。

「そうではなくて、議会が光ファイバで結ばれたアメリカというビジョンにコミットしさえすれば、米国は勝利を収めることができよう。なぜなら、米国はコンピュータ分野において、多くの点で日本勢より何年も先に進んでいるからだ。問題は、現在の政府の政策が、進歩の名の下に過去を支持していること、つまり、日本勢と闘う名目でマイクロコズム的な変化に抗っていることなのだ。(p.354) 」

4)ギルダーの産業政策論

以上に見たように、ギルダーは、日本のハイテク企業のシェア争いや価格戦略を、概して肯定的に捉えている。しかも同時に、米国の共和党政権下での1980年代の経済政策についても、肯定的な見方をしている。ギルダーによれば、米国のハイテク産業、とりわけコンピューターおよびテレコム産業は、70年代の後半から80年代の前半にかけて、一度は日本に優位を奪われるかに見えたものの、80年代の後半にいたって巻き返しに成功し、再び優位を回復したのである。このような米国の "成功" の鍵は、米国がヨーロッパ (あるいは日本) のような、誤った産業政策を採用しなかったところにある。そこで、次に、ギルダーのユニークな産業政策論をも、簡単に見ておこう。

ギルダーはまず、 "米国の挑戦" をまるで誤って理解してしまったフランスのセルバン= シュレベールの産業政策論を、厳しく批判する。曰く、

「彼が見た挑戦というのは、米国の多国籍企業および政府の技術開発研究所、そして国防総省の資金とハイテク最前線分野の管理とが結びあわさった、産軍複合体のそれであった。(p.357) 」

そして、ヨーロッパ諸国の政府は、そうした誤った見方に立脚したセルバン= シュレベールの処方箋を採用してしまったのである。

「ヨーロッパ諸国の政府は、多国籍カルテルが主導する一連の大プロジェクトを発足させて、新技術を開発しようとした。ユーレカやエスプリ、プレステル、テレテキスト、インフォーマティック、アンティオープ、エアバス産業、アルベイ、JESSI 、シリコン・ストラクチャーズ・プロジェクト等の政府主導型のプロジェクトは、米国の挑戦に対抗しようとするヨーロッパの挑戦であった。(p.357-8) 」

ヨーロッパ諸国は、これらのプロジェクトを、巨大コンピュータと巨大組織で管理しようとしたが、無残な見込み違いに終わった。ミードの法則が作用したのである。

「セルバン= シュレベールの産業政策によって、ヨーロッパの技術はいろいろな略号からなるアルファベットのスープにひたされる一方、ヨーロッパの企業家たちは、サボタージュする労働者を解雇したり、陳腐化した工場を閉鎖する権利を認めてもらうべく、官僚や労働組合の幹部と折衝しなければならなくなった。彼の意見を取り入れたヨーロッパ諸国は、マクロコズム的な制度や技術を残したまま、マイクロコズムへの突入を試みなければならなくなり、第二次世界大戦後、最悪の不況に陥った。彼の著作が発表されて以後ほとんど二十年にわたって、ヨーロッパ大陸では雇用の純増は起こらなかった。この間ヨーロッパは、国家の産業政策が目標とした情報技術それ自身において、大きな遅れをとってしまったのだ。(p.360-1) 」

これに対し、米国の方は、1970年代後半以来、規制緩和、減税、投資自由化などを柱とする、新しい産業政策を採用した。

「その結果、失業が増加するとの予想に反して、一五〇〇万人の新しい雇用が創出され、八八年には成年人口の六七% が労働力化するという記録 (ヨーロッパでは五八%)が達成された。一人当たり実質可処分所得も二〇% 上昇した。米国の工業生産さえ、八一年から八九年にかけて三〇% 増大した。これは、産業政策を採っていたヨーロッパ地域よりも三倍速い成長であった。(p.362)

それにもかかわらず、ほかならぬ米国自身の専門家たちが、米国の産業政策の転換を要求しているのは、ギルダーにとってはまことに解せないことである。

「彼らは、新技術の開発のためには、従来よりもはるかに思い切った政府の指導と支援が必要だと主張する。彼らは、日本の第五世代コンピュータ・プロジェクトやヨーロッパの類似の計画に言及し、米国の貿易収支の不均衡をなげき、DRAMやHDTVにおける日本のリードにパニックを起こし、技術の前線での米国の一貫した後退を予測したのだ。(p.362)

「だが、彼らはまたまた誤っている。彼らは、量子時代の意味や展望には無縁な、通俗的な懐古主義の犠牲者に過ぎない。まず第一に彼らは、近年のコンピュータと半導体の歴史的事実をを読み誤っている。さらに重要なのは、彼らがマイクロコズムの意味を全く誤解して、将来の見通しをも誤っていることだ。(p.362)

「米国の会社は、世界のコンピュータ市場において七〇% のシェアを占め、しかもさまざまな面で技術的なリードを拡げている。技術進歩の加速と共に、コンピュータ産業の付加価値は、ハードウエアから、それをうまく使うためのソフトウエアに、急速にシフトしてきている。(p.362)

「ソフトウエアは、主として、最低限の資本しかもたないで働く一人または小さなチームによって作られる。七五年から八五年の一〇年間に、米国全土で一万四〇〇〇社もの新しいソフトウエア会社が設立され、世界のソフトウエア市場に占める米国のシェアは、三分の二以下から四分の三に増加した。八五年以来、米国のソフトウエアの生産の伸び率は、日本のそれを上回っている。コンピュータ産業全体の売上に占めるソフトウエアの比率は、米国が日本より四倍高く、市販ソフトウエアの生産高も、米国は日本の四倍以上にのぼっている。(p.363) 」

一九八〇年代のアメリカ経済、とりわけコンピューター業界が示したこのような実績を虚心に見るとき、一つの教訓が得られるはずだとギルダーは考える。

「教訓とは、一九八〇年代に、米国の競争力は、主に、国家主義的な恐怖や迷信や国家中心の産業計画を無視したおかげで増大したということである。その代わりに、米国は、地球規模のマイクロコズムに適合した戦略を追求していたのである。米国は、市場を無視した巨大な国家プロジェクトによって、コンピュータ産業での自給自足を目指すよりは、輸入品に対し膨大な付加価値を新たにつけ加えることによって、輸入品の代価を支払ってきたのである。米国の企業家たちは、自分たちのシステムやソフトウエアを具体化してくれる諸部品の最善の供給者を、地球の隅々まで探し求めることによって、米国をコンピュータ産業の中心とし、また、世界経済の成長の主たる源泉にしたのだ。(p.368 )」

つまり、ギルダーに言わせれば、米国の貿易赤字や産業空洞化を心配するのは、およそピントの狂った話なのである。しかも、この成長はさらに続いているし、これからも続く可能性をもっている。コンピューター産業の成熟論は、およそ誤っているのである。

「コンピュータ産業の成長は減速していないし、その技術も "成熟" (つまり硬直化)してはいない。大企業がその地歩を固めているということもない−−新たに参入した会社がその規模を大きくしているということはあるが。コンピュータの進歩のペースは、まさにいま、思い切り加速されようとしているところなのだ。p.369

「また、批評家たちの分析とは逆に、この産業はより資本集約的になってはいない。デバイスの一機能当たりの資本費用−−顧客への価値の提供に必要な投資額−−で測れば、コンピュータ産業の参入コストはますます小さくなっている。シリコンコンパイラやその関連技術によって、力は大企業から個人の設計者や企業家に移っている。のである (p.369 )」

結局、ギルダーは次のように結論する。

「米国の経済学者は競争力の衰退について泣き言をいっていた間に、我々は競争の第一局面で勝利したのだ。将来何が起きようと、この成功の教訓に学ぶべきであって、衰退論に心気を病むあまりにこの教訓を忘れてしまってはならない。我々が勝利したのは、その力を数千の起業家の間に分散したからであって、コングロマリットや官僚機構に集中したからではない。成長機会を逃さなかったからであって、貿易黒字を出そうとしたからではない。勝利は、一度にすべてのことをしようとしなかったからこそ、また国際分業を恐れなかったからこそ得られたのである。われわれは一国の産業政策よりも世界を指向してきたのだ。...ヨーロッパ人たちが資本と専門家を糾合する国家の能力にますます大きく依存していたまさにその間に、世界の力のバランスは個人にとって有利な方向にへと大きく動いた。世界の産業組織は−−その点ではまさしくセルバン= シュレベールの言った通り−−新技術の性質に従って形作られていくのである。

マイクロコズムの新技術は−−人工知能であれ、シリコンコンパイラであれ、並列処理であれ−−すべて起業家や小企業に有利に働く。これら三つの技術はすべて、起業家が知識の力を利用して資本を節約し効率を高めるのを可能にする。彼らが、砂 [シリコン] とアイデアを混ぜ合わせて、世界中の人々にとっての新しい富と力を生みだすことを可能にするのである。 (p.374)」

このような観点からすれば、アメリカの産業界の一部に、それも情報通信業界の一部にさえ、見られる保護主義の要求や、新規参入企業に対する訴訟、知的財産権の強調、ライシュやサローなどの批判する米国の "過剰な起業家精神" −−それは、私ならアメリカ版 "過当競争" と呼んでみたくなるような現象だが−−、あるいは官民協力による共同研究のよびかけなどは、従来の "マクロコズム" 的なパラダイムを捨てられない立場からする "マイクロコズムへの反抗" に他ならず、失敗することが運命づけられている政策でしかない。米国の半導体産業の復活の原動力となったのは、まさにこの "過剰な起業家精神" の発露としての中小企業の新規参入であり、また開放的な企業文化や大学の研究システムだったのだ。

私の解釈では、それは、いってみればマクロコズムで従来いわれて来た "規模の経済" あるいは "範囲の経済" から、マイクロコズムにおける "ネットワークの経済"[林 89] と軌を一にする現象だともいうことができる。すなわち、21世紀の産業社会にあっては、技術は、20世紀の産業社会に見られたような、 "カンパニー・スペシフィック" なもの、会社の外では通用しないもの、あるいはつぶしがきかなくなるようなものではなくなる。むしろ、新しい技術は、会社の境界を超えて、関心を共通にする多くの人々の間に通有されて、いわば "ネットワーク・スペシフィック" な技術となり、その中での情報交流を通じて、さらに高い創造の段階へと飛躍していくのである。ネットワークでの情報・知識の通有と、その中での人々の切磋琢磨を通じて進行するその高度化こそが、 "ネットワークの経済" の本質に他ならないだろう。

(三) テレコズムとファイバースペース

以上に見たのは、1990年当時のギルダーの考えかたである。ギルダーはいま『テレコズム』と題する新著を執筆中だが、上に要約したような未来に対する彼の確信は、ゆらぐどころか、ますます固まってきているように思われる。しかし、同時に、それに加えて、彼は、 "テレコズム" と彼が名付ける世界と、そこに妥当する新しい法則をも発見したのである。今や、彼の予想では、未来の情報通信の世界は、

マイクロコズムの法則に立脚した "電子計算" と、テレコズムの法則に立脚した "光通信" とが、

相互補完する形で構築されていくことになる。IBM に代表される大型汎用機にこだわり続けたコンピューターのメーカーが、マイクロコズムの法則を具現した1980年代のダウンサイジングとオープン・アーキテクチャー化の波に乗り遅れて苦難の道を歩むことを余儀なくされたように、1990年代に苦難の道を歩む運命にあるのは、集中交換型の通信システムこだわって、ネットワークの方にインテリジェンスと付加価値をつけようとし続けるあまり、テレコズムの法則を具現したダーク・ファイバー化とそれを利用した光通信化の波に乗り遅れる電話会社であろう。

ギルダーのこのようなビジョンは、1992年の7 月末から8 月の初めにかけて、アップル社のスカリー会長の呼びかけによって、欧米数十の情報通信企業のCEO たちを集めて箱根で開かれた "マルチメディア・フォーラム" での基調講演の中で、いちはやく発表された。彼は、この講演の中で、ますます加速するコンピューターとテレコムの技術革新について、 "砂とガラスと空気の技術進歩" というメタファーを使って、概略次のような展望を示した。(7)

すなわち、第一に、 "砂" つまり集積回路の技術は、これからもさらに発展を続けて、10年後には、一個の価格が100 ドルを切る一つのチップに、10億のトランジスターが入るようになると予想される。つまり、今一台が何百万ドルもしているスーパーコンピューターなみの機能が、一個のチップのうえに凝縮されることになる。その暁には、数億のオフィスに、また数十億の家庭に "スパコン" が入り、それによって画像の高速処理が可能になるだろう。これは、コンピューター・システムの中でハードウエアがコストに占める割合が一貫して低下するばかりか、"ubiquitous computing" "nomadic computing systems" あるいは "disposable computers" などと言われている[Dave Nagel]事態が、一般化することをも意味するはずである。

第二に、ガラス、つまり、光ファイバーの技術も依然として進歩していき、やがてはたった一本の光ファイバーの中に、75テラヘルツ、つまり75000 ギガヘルツもの帯域能力が実現するようになる。これは、現在空で使われている周波数帯域の3000倍にも相当する。光は銅線を置き換えるのてはなく、空気にとって替わり、そこに "ファイバースペース" が生みだされるのだ。そのことは同時に、通信にさいしてのスイッチングが不必要になることを意味する。あるいは、少なくとも固定点間の通信に関する限り、ファイバースペースが電話網を駆逐するといってもよい。これによって、ネグロポンテの予言したテレコムにおける "空と陸の場所の交代" が、いよいよ実現するわけである。

それはともかく、通信回線の容量の現状は、ICでいうと1970年代にあたる程度にすぎないので、それから考えても、これからの発展の余地の大きさが想像できるというものである。こうして、 "マイクロコズム" の法則によってICが事実上タダになったのと同様に、 "テレコズム" の法則によって、帯域(bandwidth) もまた事実上タダになろうとしている。しかも、光通信用の部品は、電子部品よりもさらに単純でさらに安くなるので、光化の経済に与える影響は電子化のそれよりもさらに大きくなると予想される。

第三に空気の技術、つまり電波による通信の技術は、ネグロポンテの言う通り、放送よりも移動体通信をカバーする方向、携帯電話型の双方向通信に進んでいく。そのさい、現在では稀少な資源とみなされて国家的監理の対象とされている周波数も、波長分割多重通信の技術の発達によって、帯域と同様、事実上無限になっていくだろう。しかも、こうしたシステムは、これまでの電話の交換システムのように巨大化される必要はない。むしろ、比較的小さな、相互接続可能なシステムのネットワークができあがる方向に進んでいくだろう。ここでは、これまでのような "規模の経済" は、生じないのである。(8)

というわけで、情報通信産業が依然として急テンポの技術革新の波のただ中にあることには、疑問の余地がないようだ。しかし、ギルダーのいう、 "石と砂と空気の技術" の革新のもたらす意味が、情報通信産業の関係者たちやアメリカの政府によって、どこまで正確に理解されているかどうか−−ギルダーの分析や予測が正しいとして−−は、疑問の余地がある。たとえば、すぐ後で見るように、アメリカの電話会社の多くは、ギルダーの指摘するポイントをほとんど理解していないか、理解しようとしないでいるように思われる。また、今年成立した米国民主党の新政権も、新しい技術開発の可能性は十分気づいているとはいえ、その場合に政府はどのような役割を果たすべきか、そのさいの未来の情報通信の産業構造はどのようなものになるかといった点については、必ずしも的確な理解をもっているようには見えない。とりわけ、新政権が推進しようとしている "産業政策" や "通商政策" が、上にみたようなギルダー流のものになるかどうかは、かなり疑わしいところがある。むしろ、新政権にはギルダーの批判しているエコノミストたちの "産業政策" の影響が少なくないようである。もちろん、ローラ・タイソン、ロバート・ライシュ、あるいはアラン・ブラインダーといった、新政権を支える経済学者たちは、従来正統派とみなされてきた新古典派流のマネタリストでもなければケインジアンでもない。いってみれば、 "反古典派" 的な政治経済学者たちであり、彼らの唱道する産業政策は、村上のいう "開発主義" [村上92] との対比でいえば、 "新開発主義" とでも呼びたくなるような性格のものである。その意味では、ギルダーの、 "ハイテク指向型自由主義" とでもいうべき産業政策への姿勢は、もっともむきだしの "マクロコズムの反抗" ともいうべき保護主義的政策の対極に立つものであることはもちろんだが、だからといって "新開発主義" と同一とはいえないのである。 "新開発主義" はむしろ、ギルダーの "ハイテク指向型自由主義" と保護主義との中間にたつものだということができるだろう。そして、現在のところ "新開発主義" と "ハイテク指向型自由主義" との間の開きは、決して小さくないように思われる。この両者の関係が、今後どのように展開していくかは、米国の情報通信産業の未来を占うという観点からしても、極めて興味深い問題である。

ギルダー自身が認めているように、そのマイクロコズム論を背景とする「テレビの死」論、およびそこから引き出された米国の地域電話会社に対する規制緩和論は、発表の当初は、まったく異端的な考え方だとして、悪評さくさくであった。しかし、その後次第に、ギルダーの所論に真剣に耳を傾ける人々が増えてきているらしい。現に、上に紹介した箱根のマルチメディア・フォーラムにギルダーが基調講演者として招待されたという事実も、今や、情報通信産業の少なくとも一部の有力企業 (後述するCSPPに参加しているような) の間には、ギルダー説の信奉者が増えつつあることの証左ではないだろうか。だとすれば、 "ハイテク指向型自由主義" が "新開発主義" におよぼすインパクトは、決して小さくないものがありそうだ。