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1993年3月

「近未来の情報産業 」

はじめに

公文俊平

"バブル" の崩壊による資産デフレのまっただなかにいる日本は、一種の混迷状態に陥っているようだ。人びとは、金融システムの崩壊のような事態が起こらなくもないという懸念をそこはかとなく抱きながら、パニックに陥っているわけでもない。むしろ、ひところのような派手な消費、高級ホテルやレストランでの食事、海外旅行、高価な車や住宅の購入からはさっぱりと縁を切って、吊るしの服を買ったり、もつ鍋に舌鼓を打ったりするといった "健全な" 消費生活に回帰しつつ、模様眺めを決め込んでいるらしい。これまでの不景気にはつきものだったギャンブル狂いも、あまり起こっていない。競輪や競馬の売上げは、むしろ減少しているという。企業は企業で、そのほとんどが、人員の整理、費用の節減、投資の繰延べといった、ひたすら頭を低くして風雪に耐えるといったタイプの行動様式に徹している。来るべきブームに備えて研究開発を進めておこうとか、これから21世紀にかけての長期見通しを今こそ真剣にたててみようといった気迫は、どこにも見られない。政治家たちは、予算案の審議が長引くと景気に悪影響がでかねないことを恐れて、疑惑の追求には及び腰である。しかし、まなじりを決して、大々的な景気対策の実施を政府に迫るわけでもない。経済企画庁は、今年の初めになって遂に、月例経済報告の中での景気の "減速" という表現を "低迷" に取り替えたが、だからどうということでもないようだ。官庁や民間の大方のエコノミストにいたっては、もっぱら仲間うちで、景気の判断を誤ったことの責任のなすりあいにうつつをぬかしているばかりで、それを見かねたさる大学の経済学者に、そんな余裕はもはやない、今やエコノミストは一致団結して大型積極予算へのかじ取りを政府に迫らねばならない、と一喝される始末である [安場93] 。それやこれやで、このところ水を得た魚のように生き生きと活躍しているのは、外人エコノミストばかりといいたくなるほどだが、その代表者の一人、ピーター・タスカ[92]がいうように、はやくも「日本の時代は終わった」のかもしれない。実際、今、つい数年前にもう一人の外国人観察者によって書かれた次のような日本評を読むと、今昔の感に耐えないのである。

欧米で日本の企業のような投機活動がおこなわれていれば、破滅を予言する者が大勢出てきたであろう。日本にも、近い将来 "バブルがはじける" とか "底が抜ける" と予言する者が少数ながら現れた。だが、短期、中期の悲観的予言者は、重要な要素を見過ごしていた。つまり、日本には官民の間にはっきりした仕切りがないし、日本の管理者(アドミニストレーター)たちの間に協力 (普通なら、共謀というべきだが) があり、そして、いたって簡単に経済的プロセスを政治的に制御できるという状況があることだ。これらすべてを合わせた日本の状況は、 "バブルははじける" という理論を生んだ他の資本主義諸国と、根本的に違うのだ [ヴァン・ウォルフレン90: 下268] 。

ピーター・タスカによれば、日本の企業は、欧米の企業にくらべて固定費の伸びを抑えることは上手だが、削減は下手だ。それに、これまでの日本の経済システムは、企業の低い収益性と高い成長性という組み合わせを許してきた。この戦略は世界経済がインフレの時には、国際競争力の強化に役立つ。しかし、現在のように世界的なデフレの進行という状況の下では、日本企業の国際競争力は低下せざるをえないことになる。コストの削減をめざす企業は、東京集中から地方分散に転換するだろう。地方でも情報化の利点は享受できるし、人手不足の心配はない。国際化という点でも、不便な成田空港しかない東京よりは、かえって便利である。何より、東京の国際金融センターとしての役割は、近年縮小しつつある。かりに "日本の時代" はまだまだ終わらないにしても、 "東京の時代" は間違いなく終わるだろうというのである。

というわけで、これまで東京主導で進んできた日本経済の成長は、ここへ来て大きな転換期にさしかかっているようだ。もっとも全体の雰囲気は、 "迫り来る大不況" に備える [Davidson & Ress-Mogg91] というものでもなければ、次第にその姿を現しつつある次の時代の主導産業 ( "新メガ産業" ) のための社会的インフラ ( "全国情報インフラ" ) の構築や突破技術の開発に全力をあげようというのでもない [CSPP93] 。いってみれば、それは単なるその場凌ぎと模様眺め以外の何物でもない。パソコンの劇的とでもいうべき低価格攻勢にさらされてしばらくは何の対応措置も講じることができなかった日本のさるトップ企業は、 "泰然として腰を抜かしている" のではないかと揶揄されたそうだが、何となく、今の日本全体がそんな状態なのではないだろうか。要するに、 "ハングリー精神" も "戦う姿勢" も見られないのである。(1)                      それとの対比でいえば、今日のアメリカの特徴は、まさに現状の評価と未来の見通しがまっ二つに分かれている点にある。大不況を予想する声と、大きなチャンスの到来を説く声とが、共になり響いているのが、アメリカの現状なのである。(2) 以下、この報告書では、そうしたアメリカの現状の分析−−とりわけ後者の主張に重点をおいた−−から出発して、これからの情報産業の進む方向を占ってみよう。

(1) この部分は1993年の 2月初めに書かれたのだが、その後 3月から 4月にかけて、日本でもようやく、 "新社会資本" 整備論がまきおこり、光ファイバーの設置や教育機関や行政機関の情報化を、社会資本建設の一環として行うべきだといった議論が、とりわけ郵政省の一部から盛り上がってきている。他方では、それに対抗して、光ファイバー・ネットワークの整備は、市内料金の引上げを前提としてNTT にまかせるべきだといった議論が、通産省や大蔵省、そしてNTT 自身から起こっている。政府はまた、4 月になって、13兆円を超える "史上最大" の景気対策を発表した。それやこれやで、NTT の株価は100 万円を越え、ダウ平均株価は一気に 2万円の大台を回復した。景気自体にも、ここへ来て回復の気配が見え始めている。

(2) 不況説の最も極端な例としては、今世紀最長最深の不況の第二局面への移行を予想するエンダール93や、覇権国としての米国の衰退に伴う長期不況の到来を予想するDavidson&RRees-Mogg91 などがあるが、ここではそれらの議論の詳細にはたちいらない。