93年度著作へ

1993年3月

「近未来の情報産業 」

第一章:交錯する未来ビジョン:米国の情報化の現状

公文俊平

(一) 情報化への反省  

1990年代の初め、アメリカの経済、とりわけ情報・通信産業は深刻な不況に苦しんでいた。長らく "エクセレント・カンパニー" の座を不動のものとしていたあの巨人IBMですら、コンピューターの "ダウンサイジング" 化や "オープン・システム" 化の趨勢を読み誤り、1992年の決算では年間30億ドル、1993年には史上最大といわれる50億ドルの損失を記録し、エーカーズ会長兼CEO は今年の一月、その責任をとって、キーラー社長およびメッツ最高財務責任者(CFO) と共に、退任を余儀なくされた。世界のIBMグループの中で唯一好決算を記録していた日本IBMもまた減収減益に転じ、1993年の初め、椎名社長は会長に退くことを発表した。エーカーズ会長の後任候補としては、アップル社のジョン・スカリー、インテル社のアンドリュー・グローブ、モトローラ社のジョージ・フィッシャー、GE社のジャック・ウェルチなどの名前があがっている。ロス・ペローの名前をあげる人もいる(2月初旬現在)。  

どうしてそのような事態になったのだろうか。ここでは、情報社会のウォッチャーとして自他共に許す、オーストラリアのグリフィス大学のトム・フォレスター(1) が、1991年の11月にスイスで開かれた情報社会に関する国際会議の冒頭で行った演説 [Forester91] の内容をてがかりに、その問題を考えてみよう。

フォレスターによれば、マイクロチップスの登場と共に始まった "マイクロエレクトロニクス革命" の帰趨をめぐって、1960年代から1970年代にかけて、アルヴィン・トフラーを先頭にさまざまなバラ色の未来予測の花が咲いた。そこでは、未来の波を示す" 未来ショック" "第三の波" "メガトレンズ" "脱産業社会" "余暇社会" などのキーワドの周辺に、 "無人化工場" "ペーパーレス・オフィス" "キャッシュレス社会" "エレクトロニック・コテージ" "テレデモクラシー" "人工知能" などの新しいコンセプトが絢爛とちりばめられると共に、その手段となる無数のホットな新製品やサービスが次から次へとめまぐるしく登場していたのである。曰く、ビデオディスク、テレビ電話、電子メール、テレビ会議、ビデオテックス、マルチメディア、DTP, ISDN, EDI, MIS, FMS, CIM, POS, RISC, CD-ROM, HDTV等々。  

だが、それから20数年の月日がたった今になって反省してみると、当時の有識者たちが期待し意図した情報革命の帰結は、結局何ひとつ実現していなかったことに気づかざるをえない。そればかりか、当時は意図も期待もされていなかった深刻な帰結が、次から次へと生じてきたのである。ソフトウエアの信頼性の低さは、さまざまな事故や障害をもたらしている。各種のコンピューター犯罪や、ソフトウエアの違法なコピーがいたるところに起こっている。電子的なデータ処理のセキュリティをおびやかすさまざまな "ビールス" が蔓延する一方では、人々はコンピューターによって自分たちのプライバシーが侵害される危険に気づき始めている。そうかと思うと、コンピューターを利用した新しい情報処理・通信技術に一種の中毒症状を呈する人も少なからず現れている。携帯電話を手放せなくなった "コミュニカホリック" 、やたらとシミュレーションに熱中する "スプレッドシート・ジャンキー" 、毎日毎日大量の電子メールをばらまく "電子メール狂" 、何かといえばファックスに頼る "ファックス・ポテト" などがそれである。  

このような期待と現実のみじめな乖離の様子をもう少し詳しくみてみよう。まず、オフィスや工場では何が起こったのだろうか。  

第一に、急速に到来するはずだった "余暇社会" はいっこうに到来しなかったし、危惧された大量失業もほとんど発生しなかったし、コンピューターの導入も、予想されたほど急速でも円滑でもなかった。むしろ、資金、技術、経営上の問題のため、コンピューターの導入が逆に雇用の増大をもたらすケースさえあった。(2) 他方、米国の場合、職場での労働はむしろ強化された。すなわち、米国市民の平均余暇時間は、1973から89年までの間に37% 減少したし、労働時間は、通勤時間まで含めると、41時間から47時間に延びたのである。さらに、副業や家庭での労働も増えた。

第二に工場の無人化も実現しなかった。米国のロボット設置台数は、予測では1990年には25万台になるはずだったのに、実際は 3.7万にとどまっている。それも一線を退いたりスクラップ化されたものが多いといわれている。世界のロボット販売高は1987がピークだったが、その理由は、ロボットが人間よりも高くつきすぎたからだった。NC工作機械の普及も予想外に遅く、1988年の報告では11% にとどまっている。米国の工場の53% には、自動化機械は一台も入っていないのである。さらに、次代の生産システムと喧伝されたFMS やCIM の進展も遅れている。前者はブースに展示されるところまではいったが、実用にはならない金食い虫だし、後者となると、せいぜい今後の進むべき方向、ないし望ましい夢の段階にとどまっている。つまり自動化の "島々" が互いに情報的に連結されるのは、まだまだ遠い先の話なのだ。そのためには経営上の専門知識をコード化して意思決定デバイスに入れ、それによって無欠陥機械を無人で制御しなければならないが、そんなことは当分不可能だということが分かってきたのである。結局1980年代の工場の全面自動化の夢は無残に破れ、着実な "改善" の方向へと戦略転換がなされたという。(3)

第三に、一番ひどい予測の失敗の例ともいうべきものが、オフィスのペーパーレス化である。米国の現実では、過去三十年に、実質GNP が2.8 倍になる間に、紙の使用は3.2 倍になった。1986年に消費された紙は2.5 兆ページだったのに対し、1991年には4 兆ページの紙が消費された。その最大の理由は、FAX とコピー機械の普及にある。他方、電子メールや音声メールはそれほど伸びていないし、いわゆるオフィス自動化機械の市場も予想外に伸び悩んでいる。例外はレーザー・プリンターだが、これも紙食い虫以外の何物でもない。今後EDI(electronic document interchange)でも本格的に普及すれば話は別だが、それはまだまだ大分先の話だと思われる。当面、ジャンク・メールやジャンク・ファックスは増加の一途をたどっている。企業が扱う情報の95% は紙だというIBM の推計(1988)もある。銀行も、EFT やカードでの取引も可能にはなったとはいえ、依然として紙に頼っている。(4)

第四に、近年の情報化のもっとも深刻な帰結というべきものは、情報技術の生産性向上効果が、大してないどころか、ほとんどないという事実である。これは、製造業を対象とする多数の実証研究の一致した結論なのである。非製造業、すなわち、銀行、商業、教育、保健などの分野では、概していえば生産性はむしろ低下したと考えられている。その理由としてあげられているのは、

  1. 生産性向上効果を無にしてしまうコンピューターの突然の故障(glitches)の頻発、
  2. 文書の過度の改訂−−なにしろ訂正が簡単にできるようになったのだ−−
  3. 無限に続く再教育−−ソフトやハードの新製品や改訂版が導入されるたびに必要になる−−
  4. コンピューターでゲームをする傾向−−それも勤務時間中にである−−
などである。

では、家庭の変化はどうだったか。何よりもまず、 "第三の波" は、人々を職場から、今や "エレクトロニック・コテジ" となった家庭に返す、というトフラーの有名な予測は、完全に外れたという他ない。現在のところ、フルタイムの在宅勤務者は、米国の労働力のせいぜい10% にとどまっている。電子ブリーフケースなどを使ったテレコミューティングの実験は、ほとんど失敗し中止された。その理由としては、家庭での空間的制約や家庭でやれる仕事の種類の少なさ、あるいは在宅勤務者の管理をどうするかといった問題があげられている。しかし、より深刻なのは、人間関係や個人の心理的な問題、つまり、家庭内での摩擦や近所の騒音のわずらわしさ、孤独の淋しさ、仕事と余暇の区分ができないことからおこるワーカホリズム、ストレスと燃え尽き、といった問題群であろう。結局、在宅勤務は鳴物入りで実験が始まったにもかかわらず、長続きしなかったのである。在宅勤務が増えれば、交通難が解消されるとか、大気汚染が緩和されるといった効果は、せいぜい副次的な効果か、希望的観測にすぎない。考えてみれば、あたりまえのことだが、人は、そのような副次的効果があるからといって動くものではないのである。(6)

人々の家庭での生活自体も、結局のところ大して変わらなかった。いわゆるホーム・オートメーション、つまり、家事ロボットや壁掛けテレビ、家庭内端末、自動点灯システム等々には、消費者は燃えなかった。なるほど、1970年代から80年代を通じて、いくつかの新しい種類の家電製品や情報機器が家庭にも普及していったことは確かだが−−電子レンジ、ビデオ、大型テレビ、CD、留守番電話、FAX 、ワープロ、携帯電話等−−その結果人々のライフスタイルが一変したというまでにはいたらなかったのである。

また、情報化の進展によって、人々は、家庭の中にいながらにしてショッピングやバンキング、あるいは各種の情報サービスの利用などが可能になるという期待ももたれたが、これらも大して普及していない。ホーム情報サービスでいえば、アメリカのビデオテックス・サービスの普及率は、1985年には 5 %に達すると予測されていたのに、実際には 1% 以下にとどまった。なにしろ、後から考えてみると、ビデオテックスは使いにくいし、遅いし、融通がきかない上に、何より高価である。ニュース、天気予報、株価、飛行機の出発時間などといったたぐいの情報の魅力は、大したものではない。この種の情報サービスに金を払う気のある消費者は、少ないのである。ホーム・バンキングは、アメリカだけでなく、ヨーロッパや日本でも試みられたが、いずれも、実験の段階を越えられなかった。(7) 要するに、利用者としては、大して有用性が見出せなかったのである。何よりも現金の出し入れができないのが決定的に不便であった。そのため、銀行にしてみれば、せっかくホーム・バンキングのための資本投下を行っても、それに見合うだけの利用がない結果に終わってしまった。(8) ホーム・ショッピングもみじめな失敗に終わった。フロリダでナイト・リッダー社が行ったビュートロンの実験は、一種の総合型サービスの試みだったが、5000人しか客がつかず、5 千万ドルの損失を出して中止の憂き目をみた。その他、カリフォルニアでのタイムズ・ミラー社のゲートウェー・サービスや、シカゴでのセンテル社のキーファックス・サービスなどの試みも、やはり失敗に終わっている。その技術的な理由としては、スクリーン操作が難しすぎるとか、商品の選択範囲が狭い、支払いの仕方や購入した商品の配達のタイミングなどに問題が残った点があげられているが、より深刻な問題として、ショッピングの心理的・社会的満足がえられないこと、つまり、ホーム・ショッピングだと、家を出て、友人に会い、コミュニティと交わる楽しみがないことを、あらためて反省せざるをえないように思われる。(9)

それでは、より広い社会的な領域で期待された変化は、どうなったのだろうか。ここでも変化は遅々としている。学校に来るといわれた "教室革命" は、どこにも来ていない。アメリカの学校にコンピューターが普及したとはいえ、たかだか30人に一台程度にとどまっており、それすら見直せという声があがっている。むしろ図書費や教師の人件費に振り替えるべきだというのだ。なにしろ、コンピューター用の教育ソフトにはろくなものがなく、 "コンピューター・リテラシー" も言葉だけで内容がないことが分かってきたのである。

パソコン通信のようなシステムが普及すれば、ボタン投票や電子町民大会などが可能になり、 "電子民主主義" の時代が到来するという予測もあった。事実、そのような運動を率先して展開する人々や、そうした方向をめざして市民の啓蒙活動を行う試みもなくはなかった。しかし、そうした試みも、全体としての人々の政治参加意欲の減退傾向を逆転させるものにはなりえなかった。人々は今日、メディアからの情報が多すぎて、かえって政治に無関心になっているのである。それを如実に示しているのが、選挙での投票率の趨勢的低下である。(10)

それでは、情報社会の予言者たちの予測は、どうしてかくも惨めに外れてしまったのだろうか。フォレスターは、過去の技術予測や市場予測の再検討の結果を紹介しながら、その理由を探っている。

まず、シュナールの研究によれば、60年代の未来学者の行った技術予測−−プラスティックの家、個人用垂直離着陸航空機、大陸棚農業、月旅行、家事・農作業・戦争用ロボット等の出現が予測された−−の成功率はせいぜい15% にすぎず、そのほとんどは外れてしまった。その理由として、シュナールは、彼らが技術の驚異に魅せられすぎていたこと、また、技術上の可能性や、消費者の利用意欲を過大評価していたことをあげている。また、アメリカの市場調査会社の予測の不正確さを指摘したブロディーによれば、ロボット、人工知能、CD-ROM、ビデオテッスク、超伝導、ジョセフソン素子、ガリウム砒素チップ等は、いずれもその需要予測が過大にすぎた−−なかには百倍にみつもられたものさえある−−という。その理由として、ブロディーがあげているのは、

  1. 発明者や発売者のような既成の利害関係者から得た情報に頼って予測したこと、
  2. 既存の技術の寿命の長さを計算に入れなかったこと、 (よっぽど大きな改善でなければ、消費者は新技術には触手を動かさない)
  3. 過去の傾向を未来に向かって単純に外挿したこと、
  4. 関連分野での発展を考慮にいれていなかったこと、
  5. 技術の動向と市場予測を混同したこと、 (革新技術の普及には長い時間がかかるのに)
という五点である。

それでは、次に、情報革命がもたらした一連のまったく予想外の新しい社会問題について考えてみよう。それは、新たな社会的脆弱性とでもいうべき問題であって、次のようないくつかの事情に由来していると考えられる。

その第一は、コンピューターの誤動作傾向に由来するものである。コンピューターは、在来の電気、テレビ、自動車などの技術とは違って、しばしば、信頼性や安全性や予測可能性に欠け、その管理はほとんど不能である。アナログ装置や機械的装置の場合は、部分的故障が多く、すべてがダウンしてしまうことは少ない。ところが、ディジタル電子装置であるコンピューター・システムは、全面的で破局的な事故を起こしがちである。つまり、ダウンするとなれば完全にダウンしてしまうのだ。そのようなケースは、電話の料金計算や交換ソフト、銀行通帳、現金出納機、電子的資金移転システム、自動車免許データベース、等ですでに経験されている。また、工業用ロボットは時に暴走することがあることも知られている。心臓のペースメーカーやガレージの自動ドア開閉装置は、POS 機械やパソコンあるいはビデオ・ゲーム機などからでる電磁波や "電子スモッグ" のために使えなくなることがある。というわけで、コンピューターのハードやソフトの誤動作は、この産業の専門家がいうよりはずっと頻繁に起こるのだから、過信は禁物である。

その第二は、人間の誤用に由来するものである。世間でコンピューターに帰せられている誤動作の多くは、実は、機械ではなくて人間の間違いによるものである。さらに、単純な誤用というよりは、意図的な悪用、乱用、破壊行為も少なくない。ソフトの違法コピー、ハッキング、ビールスの散布、コンピューターを利用した詐欺、プライバシー侵害等、その例は枚挙にいとまがない。今日のハッカーやデータ泥棒は、もっとも進んだ金融や軍事システムにも侵入できる。ビールス作成者が大学や政府の通信ネットワークを台無しにしたこともある。搭乗券予約のごまかしや携帯電話のチップの再プログラミングのような犯罪例もあれば、秘密にされているはずの医療、金融、犯罪記録がいつのまにか第三者に入手されていたといったケースもある。

その第三は、コンピューター・システムが複雑になりすぎた結果として生じているシステムの管理不能性である。これは、そのシステムを作った人にさえ、どうにもならない場合が多い。(11)そもそもシステムの導入の過程で、当初の予算計画に大幅な狂いが発生することもしばしばある。2000万ドルのシステムのつもりが、6000万ドルの追加支出でもまだ動かず、ついに放棄を余儀なくされたバンク・オブ・アメリカの例もあれば、8 百万ドルのつもりが一億ドルになり、完成までの期間も6 年遅れたオールステート保険会社の例もある。しかもその規模は近年さらに増大傾向にある。また、ようやくシステムが完成したところで、ありうべき事故のすべてを事前に予想することはそもそも不可能である。それなのに、今日では、コンピューター・システムは、航空管制から救命システム、原発運営から巨額の資金移動やミサイル制御等、ありとあらゆる重大な用途に用いられている。これらのシステムは、火事、洪水、地震、停電等にも弱いばかりか、ハッカーの侵入や内部のサボタージュといった人的な攻撃にも弱い。処遇に不満をもっていた従業員が、ブリタニカ百科事典の新版の内容を書き換えたという事件もあった。そうかと思うと、狐やさめが光ファイバーケーブルの被覆をたべてしまったこともある等々。

その第四は、コンピューターを利用した情報処理・通信システムの利用が引き起こした新しい心理的な病弊である。それらは、組織の生産性や健全な人間関係の展開にとっての妨げとなる危険がある。たとえば、有用な情報とそうでない情報との区別がつかなくなる "情報過多 infoglut " 現象はその一つである。今日、米国だけで、一万四千の出版社が年五万点の新刊書を出している。科学雑誌の種類は四万で、年間百万点の論文を出版しているが、それらの数は年々さらに増える一方である。ところが、現在の情報技術は、大量の情報の収集、貯蔵、移動は可能にするものの、その解釈はいっこうにしてくれない。今日必要なのは、それらを知的に処理する技術、つまり、information technologyではなく intelligence technologyなのである。だが、情報解釈の技術の立ち遅れのために、組織でも、入ってくる情報が多すぎて、分析や決定ができないという状態が起こっている。個人の場合でも、米国人のテレビ視聴時間は一日に 7時間と 7分、ビデオ視聴時間は週に 5時間と8 分にのぼっている(1987 年の統計) 。ラジオの平均保有数は一家あたり5.3 台である。これらから、毎日1600の広告が入ってくる。このように一方的に流れ込んでくる大量の情報があるために、30歳以下の世代には、知識と関心の低下が顕著に見られるにいたっている。つまり、積極的な情報入手努力 (読書等) が放棄されつつあるわけだ。

いま一つの深刻な問題は、 "ハイパーコネクテッドネスの病理" とでも呼ぶべき人間関係の歪みである。たとえば、携帯電話やFAX を手離せなくなったコミュニカホリックの管理者が出現しているし、(12)コンピューター上でシミュレーションばかりやっているるスプレッドシート・ジャンキーもいる。そうかと思うと、大した用もないのに大量の電子メールのやりとりをする電子メール中毒もでてきている。しかし、それで仕事がより良くでき、より賢明な決定ができているかは、疑問という他ない。実際、他人との接触がふえすぎると、仕事の上の関係はかえって壊れてしまいかねない。部下は、むしろほっておかれたいのである。                                  フォレスターは、最後に、1970年代から80年代にかけての情報化の問題点を、次のように要約している。すなわち、人間の必要や能力を軽視しすぎたのが、最大の問題であった。それが一方で予測の失敗をもたらすと同時に、他方で、人間的要因にかかわる予想外の問題の頻発を招いたのである。そうだとすれば、今必要なことは、 "われわれの視界に人間を取り戻す" ことでなければならない。いいかえれば、技術 (とりわけ情報通信技術) と人間の関わりの見直しが必要なのである。

実際、生産の現場でさえ、ロボット化は真の解決ではなかった。ロボットは人間以上の問題児だったのだ。実は、一番フレキシブルな製造システムとは、人間自身ではなかったのか。アクセスに値する唯一のデータベースは、生き字引きのような長期勤続従業員の頭の中のそれではないのか。もっとも高度なコミュニケーション技法とは、膝突き合わせた話し合いではないのか。どうやら、近年のコンピューター技術の進歩は、それを利用する人間の能力を追い越して進んでしまっていたのではないか。商取引から看護にいたる広汎な社会的活動のすべてにコンピューターをやみくもに導入しようと焦った結果、それらの社会活動の非人間化を−−キーをポンと叩いて金を盗むという意味では、犯罪さえもの非人間化を−−もたらしてしまったのではないだろうか。コンピューター科学者やその他の熱心なコンピューター利用者に見られる "ナード (おたく) 症候群" とは、人間からゆっくり反省し考える時間を奪ったコンピューターが引き起こした "テクノストレス" の発現に他ならなかったのではないか。そうだとすれば、今なすべきことは、人生の目的の再反省であって、われわれは、自分が何がしたいか、何がほしいかをあらためて熟慮した上で、それに役立つ方向へ技術を向けていかなければならないのである。(13)

フォレスターの以上のような反省の言葉のなかには、聴くべき多くのものが含まれていることは確かである。しかし、基本的には、彼の反省は、後述するコンドラティエフの長期波動の下降期に生じた深刻な不況が触発した反省の典型的なもののように思われる。別の言い方をすれば、現在の事態が、コンドラティエフ長波の下降期を特徴づけるものであることを看取し、さらにこの長波の上昇局面への転換が、さほど遠くない未来に控えていることを予想した場合には、反省のトーンもまたおのずと違ったものになってくるはずである。そこで、次に、後者の系列に含めることが適当だと思われるアメリカでの議論のいくつかを検討してみよう。

  1. 彼には、Forester(ed.)80 や Forester(ed.)85など多くの著書や編著があるが、とくに有名なのは Forester 87である。
  2. フォレスターは、80年代末から90年代初めにかけてアメリカに生じた失業の増大 は、コンピューターの導入の効果というよりは、不況と競争力低下による雇用の減 少のためだとしている。コンピューターの影響は、むしろこれからの景気の回復過程で出てきそうだ。つまり、これから景気が回復しても、元のように雇用がふえることはなさそうだというのである。
  3. いわゆるMAP(manufacturing automation protocol)は機械同士の通信を可能にする技術的突破のはずだったが、うまく進展しないでいる間に、OSI のような、それに競合する互換性のない多数のプロトコルに先を越されてしまった、というのがフォレスターの指摘である。なお、性急にすぎたFMS やCIM 化への反省が起こっているのは、日本でも同様 [平野93] である。私自身も、昨年の秋、たまたま日産自動車の座間工場−−今にして思えば、閉鎖の決定の出る直前のことだったのだが−−を見学する機会をえたが、その組み立てラインでは、あちこちに、それこそ櫛の歯を引くように、これまで据えつけられていたロボットが撤去されて人間の手作業に置き換えられていたのに一驚した覚えがある。
  4. ビジネス・ウィーク誌によれば、世界の情報の1%しかコンピューター化されてないそうだ [BW910603] 。なお、ペンタゴンは、最近、対紙戦争を宣言したという。なにしろ、ハイテク機器のマニュアルが重すぎるらしいのだ。一、二の例をあげれば、米海軍の巡洋艦一隻に搭載されている武器マニュアルだけで、その重さが26dにものぼるという。あるいは、ジェット戦闘機の調達・保守運用のために作成される文書量は初期には一万ページ前後だったのが、1970年代初頭のF14 では30万ページに、70年代中期のF18 では50万ページ以上になってしまったという。これでは確かにたまったものではないだろう。というわけで、この対紙戦争の先頭に立っているのが、国防総省が中心となって推進しているCALS(Computer-aided Acquisition and Logistic Support)と呼ばれている、現在の紙主体の調達業務を、ディジタル・ファイル交換標準に基づいたデータベースの構築によってペーパーレス化しようという計画である [小泉92] 。
  5. フォレスターは、その理由として、昼食時の飲酒の習慣がすたれたことや、オフィス・ラブの減少をあげている。
  6. この種の摩擦は、ある所与の社会における各種の制度間摩擦とでもいうべきものであって、一見望ましく思われる社会的な革新が失敗する最大の理由は、この種の摩擦がもたらす障害にあるように思われる。私自身の体験した例をあげてみよう。私の勤務している国際大学では、自由な研究活動の推進を期待して、大学本体の外に学校法人の理事長直属の研究組織 (グローバル・コミュニケーション・センター) を設立した。ところが、いざ設立してみて明らかになったことは、それでは文部省の考える研究機関の枠からはみ出してしまい−−もちろん、そのような研究組織を設立すること自体にはなんの法律的支障もないのだが−−通常の研究機関に与えられる補助金が受けられないばかりか、そこに勤める研究者は、奨学金の返還猶予の恩典には浴せないとか、文部省所管の科学研究費の申請ができないといったさまざまな "不便" に耐えなければならないということだった。それでも、グローバル・コミュニケーション・センターは何とか頑張って存続しているが、後で聞いたところでは、過去になされたいくつかの同様な試みは、結局すべて挫折してしまったそうである。
  7. 1980年代の初期にアメリカやヨーロッパで行われたものの失敗に終わったホーム・バンキングの実験例として、フォレスターは、サンフランシスコでバンク・オブ・アメリカが行ったもの(15000人対象) 、ニューヨークでケミカル・バンクが行ったプロント・システム(21000人対象、1988年に中止) 、ハンブルグでフェアブラウヒャー・バンクが行ったもの (50000 人対象) などをあげている。
  8. 他方、ATM の利用は大いに伸びた。つまり、キャッシュへのニーズはなくならなかったのである。MIT のリチャード・ソロモン研究員は、レーザー・プリンターがさらに高性能化すれば、家庭のプリンターに銀行が "現金" の印刷指令を送ることによって、 "真の" ホーム・バンキングが実現する可能性を示唆している (グローバル・コミュニケーション・センターでのコロキウムの際の発言) 。たしかに、 "現金" の "コピー" をプリントすると同時に "オリジナル" は破棄することが安全確実にできるならば、その可能性はありそうである。
  9. もちろん、こうした心理的・文化的な難点があらかじめ知られていなかったわけではない。ホーム・ショッピングの可能性に賭けた側としては、それを上回る便利さがあるはずだと考えていたのだろう。しかし、これまで慣れ親しんできた環境やそれがもたらす心理的な満足を犠牲にしても新しい環境を選ぶという気持にさせるためには、新しいシステムの便利さや使い勝手のよさ、費用の安さといった特性はよほど大きなものでなくてはならないだろう。ビデオや電子レンジ等の家電製品に付与されている多種多様な機能のほとんどが利用されないままに終わっているという事実は、それらを利用するために必要とされる僅かな操作上の複雑性の閾が、意外に高いことを示している。これまで、多様な機能の付加された割高な製品を喜んで購入していた−−しかも実際にはそれらの機能をいっこうに利用しなかった−−人々は、恐らく、その気になれば利用できるはずの多様な機能が搭載されているという情報のもたらす心理的な満足に対して、代価を支払っていたにすぎないのであろう。したがって、実際にはそのような機能は利用していないし、将来もあえて利用する気にはなりそうもないことに気づいた時、シンプルな製品への回帰が起こったとしても当然だろう。だが、それにしても、だからといって、ホーム・バンキングやホーム・ショッピングが未来永劫消費者に受け入れられないと決めつけるのもまた誤っているように思われる。今日でも、たとえばビデオゲーム世代の共稼ぎ夫婦2忙しいシングルたちのための、操作が容易でしかも便利なサービスが利用可能になったとしたら、少なくとも大都市では広く受け入れられる素地があるのではないだろうか。つまり、コンセプトとしては、 "ホーム・コンビニエンス" のようなサービスが考えられるのではないだろうか。
  10. フォレスターは言及していないが、広い視野と豊富な情報をもった "電子市民" たちが作る "電子民主政" のかわりに、今日の先進産業社会に急速に台頭しつつあるのが、テレビを媒体とする "トークショー (似而非) 民主主義" である。トークショーに電話してくる市民たちの関心は、ごく狭い特定のイシューに集中しており、しかも理性的というよりは情緒的な反応が顕著に見られる。一つ間違えば、それは "衆愚政治" に堕しかねない危険を孕んでいるというべきだろう。そうしたトークショーの隆盛を見ていると、後述するようなギルダー流の "テレビ時代の終焉" は、まだまだ当分やってきそうにもないのではないかという疑念を容易には拭えなくなる。
  11. フォレスターによれば、英国コンピューター協会は、1989年に、ソフトが複雑になりすぎたので人間の安全は保証できないという趣旨のレポートを出したという。
  12. この点との関連で、フォレスターは、仕事のことで相手の自宅に電話したりすると、仕事と非仕事の境界が曖昧になるという、英国のLoughborough大学の研究に言及している。また、運転と思考を同時に行うことは、もともと無理な話なのだから、自動車電話は交渉と意思決定の技能に重大な損害を及ぼすとも指摘している。これらの論点は、仕事と非仕事の境界をもともと区別せず、仕事の電話を相手の自宅に平気でかける日本の習慣と比較してみると興味深い。また、日本の上級管理者は、運転手つきの車に乗っていることが普通で、外から遮蔽された空間の中からだとかえって落ち着いて電話をかけることができ、交渉や意思決定に有利に作用する−−運転手に話を聞かれたり、電話が盗聴される危険を別にすれば−−という事情も、一考に値するだろう。
  13. フォレスターの講演は、すでに学校ではそのような反省が始まっているとして、それを評価する次のような言葉で結ばれている。

    It would be nice to think that our schools and colleges are helping make future generations more aware of the choices and the possibilities, rather than fatalistically joining in the uncritical, headlong rush toward an ill-defined and ill-thought-out high-tech future.

(二) 新情報化論  

しかし、米国自身の中には、単に不況を反省するだけでなく、むしろより積極的に情報社会の新しい展開を模索したり構想したりしようとする動きも起こっている。その代表的な例として、ここでは、ゴア副大統領が上院議員であった時代にワシントン・ポスト紙に発表した論文と、著名な経済評論家であるジョージ・ギルダーの議論とを取り上げて、その内容を紹介してみよう。

1)ゴア構想:

まずゴア論文であるが、これは上院の科学・技術・宇宙小委員会の委員長であったころのアルバート・ゴア・ジュニアー(Albert Gore, Jr.) 副大統領が、1990年 7月15日のワシントン・ポスト紙に発表したもの [Gore90] であって、アメリカの経済力の優位に対する挑戦者として立ち現れた日本が、アメリカよりもはるかに自覚的に、情報化政策を策定し実施しようとしているという強い危機感に支えられている。

以下、この論文の要旨を紹介してみよう。

ゴアはまず、一国の経済にとっての各種のインフラストラクチャーの重要性から説きおこし、今日では、その定義を情報インフラストラクチャーにまで拡張すべきだという。今日のアメリカには、情報 "グリッドロック" (がんじがらめ) とでもよぶべき事態が出現している。すなわち、情報政策が不備に由来する情報インフラストラクチャーの欠如のために、過去に農業や道路交通に見られたのと同様な能力の未利用状態が発生している。たとえば、ランドサット衛星が収集するデータの95% は、未利用のままに放置されている。あるいは、いかに大量のデータがあったところで、その意味が適切に解釈されて、データが情報になり、さらに知識となり、理解となり、智恵となってくれないことには、折角のデータも無価値なままとなる。利用されないデータや情報は、かつての余剰穀物のようなもので、"information" というよりは "exformation"とでも呼ぶしかないしろものだろう。

ところが他方では、今日の技術は、これまでの帰納 (理論化) および演繹 (実験) という知識の獲得方式に加えて、コンピューター科学という知識獲得の第三の方式を生みだしてくれた。今日のスーパーコンピューターを利用すれば、 "干草の山の中から針を探し出す" ように、データの山から有用な情報を引出し、さらにそれを知識や智恵に転化していくことが可能になる。今日の技術はまた、コンピューターとコミュニケーションの融合をも可能にしている。いまや、スーパー・コンピューターのネットワークを作って、データの高速伝送と視覚化を行い、高度かつ有用な知識の迅速な形成・交流や理解・普及をはかることも夢ではなくなったのである。これによって、ディジタル・コードの形で通有される知識に立脚した真にグローバルな文明が出現することになるだろうし、その中での各国の国際的競争力は、ディジタル化されたデータの処理能力に依存して決まることにもなるだろう。

しかし、そのためには、大前提として、 "データハイウェー" あるいは" 情報スーパーハイウェー" とも呼ぶべきデータの高速伝送路を構築して、コンピューター同士を互いにつなげたり、誰でもがスーパーコンピューターにアクセスできるようにしておくことが必要不可欠である。その意味では、今やアメリカは、かつて1950年代に自動車のハイウェーの大々的な建設に乗り出したように、データハイウェーの建設に乗り出すべき時が来ているのである。実はゴア自身は、すでに11年も前から、それを提案していたし、議会もそれを超党派的に支持しているが、共和党政権は、その推進に一貫して冷淡な態度をとってきた。これに対し、米国の主要な競争相手である日本は、すでに明瞭なビジョンと計画をもって、すべての工場から家庭にいたる光ファイバー・ネットワークの建設に乗り出し、次の二十年でそれを完成しようとしている。幸い、この分野では、今のところアメリカの優位はハード、ソフトいずれの面でも大きいけれども、うろうろしているとそれは失われてしまいかねない。今日のアメリカは、世界のスーパーコンピューターの三分の二を生産しているにもかかわらず、国内での使用率はそれほど大きくない。スーパーコンピューターは情報時代の機関車のようなもので、機関車は、鉄道ができるまでは大して役に立たなかったのである。だからこそ、情報インフラストラクチャーとしてのネットワークの建設が、戦略的な重要性をもってくる。つまり、アメリカの現在の優位を活用する最善の方法は、まず政府がデータハイウェーの建設を先導することであって、それによって "鶏・卵問題" は一気に解決され、民間もこぞって参入できるようになり、やがてはネットワークが家庭にまでおよぶようになるのである。       以上が、この論文でゴアが展開している議論の要旨である。  

2)ギルダーの情報通信産業論:  

ゴアの前記論文が発表されるしばらく前、ベストセラー『富と貧困』の著者として知られる経済評論家ジョージ・ギルダーは、一冊の大著 [Gilder89] と、一冊の小冊子 [Gilder92] とを発表していた。前者は、20世紀の科学革命が、産業や生活におよぼす影響を包括的に論じたものであり、後者は、それを前提としたアメリカの情報通信産業への政策提言である。前者については、不完全ながらすでに邦訳が出版されているので、ここでは主として後者の議論を中心に、彼の所論を紹介してみよう。  

ギルダーの小冊子は、『テレビ後の生活:メディアとアメリカ生活の来るべき転換』と題され、もともとは1990年に出版されている。ギルダーによれば、その背景には、1980年代の後半、高品位テレビ(HDTV)を押し立て、官民一丸となった重商主義国日本の挑戦が始まったのに、それを迎え撃つにはあまりにも年をとり、しかもだまされやすいアメリカがけちくさい老衰状態に落ち込みつつあるのではないか、という危機感の高まりがあった。なにしろ、19世紀が蒸気機関と鉄鋼によるイギリスの世紀となり、20世紀がアメリカの世紀となったように、21世紀は集積回路と高品位テレビによる日本の世紀となろうとしつつあるように見え始めたのである。こうして、米国の世論は、日本をソ連以上の脅威と見始めた。それに対し日本は、こともあろうに、ソ連に半導体を売ろうかといって応酬したのである。しかし、ギルダー自身は、当時のアメリカに拡がりつつあったそのような見解には与しなかった。彼は、それに対抗して、次のようなテーゼを提出してみせたのである。すなわち、アメリカは決して日本に負けてはいない。生産性も日本より50% 高いし、国民の生活水準も依然として高い。テレコムとコンピューター産業の規模も、アメリカの方がはるかに大きい。それなのに、不当な円高にしたことこそ問題であって、これはアメリカの政策の失敗以外の何物でもない。

とはいえ、アメリカにも弱みがあることはギルダーも認めるに吝かでない。アメリカの教育水準は低いし、国民の生活は堕落した大衆テレビ文化におおわれている。金融部門はハイテクに背を向けているし、政治は目先の困難にばかり気をとられ、排外主義的議論に熱中している。それにもかかわらず、伝統的な個人主義と民主主義と市場の原理を活性化させることでアメリカの再生は可能である。なぜならば、アメリカの困難の根源は自国にあるからであって、そうだとすれば、その解決の芽も同様に自国にあるということになる。ただし、現在取られている対策は誤っている。日本を真似たり、日本に追いついたりしようとすべきではない。日本が開発したHDTVへの対抗としての市場閉鎖や日本産業との協力を考えたり、政府に頼る産業再建策を採用しようとするのは、いずれも正しくない。また、巨大企業の時代も過去のものになりつつあるのだ。アメリカとしては、日本の開発したものとは別の自前の技術と、国内市場の可能性に目を開くべきである。なにしろ、HDTVはもともと大したものではないばかりか、そもそもテレビ時代は今や終わろうとしていて、次に来るのは "テレピューター" の時代だなのだ。新時代の到来にさいしては、アメリカの先進技術 (コンピューターとテレコム) がものを言う。この分野では、アメリカは日本よりはるかに先に進んでいるばかりか、アメリカの中小企業、個人企業も優秀であって、新技術の利用によく適している。それに、アメリカの消費者も決してバカではない。テレピューターの導入によって、アメリカは社会生活の様相を一新できる。とりわけ、ビジネスと教育と芸術が変わるだろう。

新時代を生みだす鍵は、規制緩和にある。とりわけ、地域電話会社に活動の自由を与えることが肝要だ.....  

以上が、この小冊子でギルダーが展開している主張と提言の骨子である。ギルダーによれば、この小冊子が出版された当初は、円高以後の日本の進撃は止め難いもののようにみえ、彼の議論もなかなか真面目に受け取られなかった。しかし、後に、ソ連がつぶれ、日本もバブル崩壊に苦しむようになると、この予言が生きて来始めたという。  

以下、ギルダーの主張をもう少し詳しく見てみよう。

a)テレビの台頭と没落:1939〜89の半世紀

アメリカにテレビが登場した当初は、アメリカ人が平均して一日六時間もテレビを見るようになるとは誰も予測できなかった。しかし、今日では、テレビはアメリカの98% の世帯に普及し、国民的な経験と意識の統合基盤となるにいたった。

メディアとしてのテレビは、次のようないくつかの特性をもっている。

第一に、テレビはトップダウン型のメディアであって、端末受像機には "知性" つまり情報処理能力がない。端末に "知性" をもたせようとしても、高価で嵩張り、寿命の短い真空管は、到底大量には使えなかったのである。

第二に、テレビはアナログ型のメディアであって、受けた信号をそのまま表示する。したがって、元が歪めば結果も歪んでしまわざるをえず、テレビの画像は気象の影響を受けやすく、操作や貯蔵には不便である。テレビは、大量の帯域を食うブタのようなものだ。 第三に、テレビは本質的に全体主義的、侵略的で低俗なメディアである。実際、 [旧] ソ連での各種メディアの普及率を見てみると、テレビだけは30.6% と西欧なみだが、電話は10.2% でドイツの1/6 しかなく、コンピューターにいたっては 0.1% しか普及していない。テレビにあっては、その圧倒的普及力と引換えに、個性と創造性が犠牲にされざるをえない。テレビ番組は低俗なものでないと受けない。そもそも電波に乗せてもらえないのである。

ところで、テレビが普及していく間に、テレビとVCR を時代遅れにする技術もまた次第に開発されていった。1948年にはトランジスターが発明され、画像表示機能以外では真空管にとって代わるようになった。1958年には集積回路が発明され、多数のトランジスターを集積することによって、端末に知性を与えることが可能になった。とりわけ、端末が画像処理能力をもてるようになった。1970年代の終わりには光ファイバーが導入されて、信号の伝送帯域が一気に拡大した。さらに1980年代以降には、ディジタル化技術が普及しはじめた。

こうした技術開発の結果、テレビを超える新しいメディアであるテレコンピューター (テレピューター) の出現が可能になった。テレピューターは高度の情報処理能力をもち、しかも個人利用が可能である。その意味では、テレピューターこそ、個人主義、民主主義、資本主義の体制に適合したメディアなのである。

b)テレピューターの時代:創造的破壊の時代を経て到来

1969年、米国特許局の Alan Kiron は<Domonetics> という新しいコンセプトを提唱した。この言葉は、domicile+connection+electronics の合成語であって、文化と技術の相互作用を表現するために作られた言葉である。キロンは、これによって、新しいコンピューター・通信技術が人々の仕事の仕方やライフスタイルを組み換えるということを言いたかったのである。もっとも、キロンのこの考えは、あまりにも時代に先んじていたために、すぐ忘れられてしまったが、ギルダーは、今こそこれを復活させる必要があると考える。

キロンのいうdomonetic world とは、まさに今日情報化社会の姿にほかならず、その神経系をなしているのがさまざまな情報技術であって、それを体現した各種の情報機器(TV,コンピューター、電話等) は、すでに現代人の居住環境になっている。それにもかかわらず、その意味は、政府にも産業界にも、まだ十分理解されていない。だからこそ、情報技術は、生産性の向上にも結びついていないのである。ギルダーによれば、その大きな理由は、現在出現しつつある集積回路のようなマイクロエレクトロニクスの産物に見られる "マイクロコズム" の法則が理解されていないところにある。これまでの "マクロコズム" (としてのこれまでのネットワーク) の法則は、それに接続される要素の数が増えるとともに、システムの複雑性が指数的に増加するというものであった。だが、 "マイクロコズム" においては、接続される要素の数が増えるとともに、システムの効率性はその二乗に比例して増加し、その結果、システムは、より安く、より早く、より信頼性が高くなるのである。つまり、マイクロコズムにおけるネットワークの新たな分散型アーキテクチャーは、マイクロチップスの上のスイッチと接点はますます大量廉価 (数千万〜数億) になったのに対し、チップを外の世界に繋ぐ線は稀少で高価 (16〜48) なままだという事情を反映しているのである。すなわち、コミュニケーション能力に比べて、個々のコンピューターの情報処理能力が格段に大きくなるので、メーンフレームによる集中的な情報処理よりは、それぞれが高度の情報処理機能をもっているパソコンやワークステーションによる分散コンピューティングに向かう傾向が生まれ、それがネットワークの新たなアーキテクチャーを決定することになる。今や、過去の時代のマクロコズムの法則を反映した集中型のネットワーク−−電話、放送、データベース等−−は、時代遅れのものとなり、その存在理由を失ってしまう。(1) しかも、そのことはまた、今日の自動車のハイウェーの管理者とドライバーの間の力関係と同様に、通信ネットワークにおいても、その建設・管理者よりも、そのユーザーの力が強くなることを意味する。マイクロコズムにあっては、知力も情報も、システム全体に分散してしまうのである。

このようなマイクロコズムの法則は、コンピューターやそのネットワークの在り方を一変させるだけでなく、これまでの産業社会に形成されている独占、階層構造、ピラミッド、権力の網を一挙に吹き飛ばす効果を発揮する。とりわけ、すべての全体主義的政体の基盤を堀り崩してしまう。なぜならば、いまや人民の力の増加が、監視者 (ビッグ・ブラザー) の力の増加を上回ってしまうからである。こうして、社会組織にあったこれまでの階層構造は消滅して、共通のルールの下に平等な主体たちが相互作用する自律分散型の "ヘテラーキー" 構造が出現するようになる。

こうして、群集心理から、多数の個人の創造性とインスピレーションの世界への転換、放送のピラミッドから仲間のネットワークへの転換、が今や起ころうとしている。それが及ぼす社会的影響は、極めて広くかつ深い。たとえば、教育の世界には、最善の教師の授業がどこででも聞けるホーム・スクーリング方式が導入されたり、社会生活の規律の学習は親や教会が運営するマイクロ・スクールで行われたりするようになるだろう。これは、既存の教育システムに強力な競争が導入されることを意味する。娯楽の世界では、無数のストックからの自由な番組の選択や視聴者の多様な要求に応じて制作された個別のプログラムを送信することが可能になってくるだろう。同時に、個々のプログラムの価格はごく安くなり、その市場は世界に拡がるだろう。それは、プログラムのクリエーターの力が、配給者の力よりも強くなることを意味する。ギルダーの予想によれば、後者の取り分は、現在行われているような、売上の30% から 5 %以下になるかもしれない。だがそれでも、取り分の総額はかえって増えるだろう。  

ドモネティクスの波の到来は、 "個人主義の新時代" の到来を意味する。各人は、個人用の高度な情報収集・処理機器を持ち、好きなように使うことができるようになる。問題は、それを使って何をするのか、何をしたいのかが、必ずしも明らかでないことだ。なにしろ、近代社会の特質は、人生の目的、価値、規律、意味づけに関する知識が欠落し、もっぱら手段に関する知識だけが先行し肥大してしまったところにある。つまり、近代人は、手段の面でより自由になればなるだけ、その自由を活用する指針となる意味を失いがちなのである。そこから、 "自由からの逃走" や、自由をもたらす "変化への抵抗" が起こってくる。また、新しい技術革新による創造的破壊の対象になる勢力が、政治的に結束して反対するといった動きが起こってくる。こうして、放送会社は「自由で普遍的な放送サービスを守れ」と言い、ケーブルテレビ会社は「電話会社の光ファイバー敷設反対」を叫び、テレビ製造会社は「次は、HDTVの時代だ」と主張する。そうなると、コンピューター業界:「困ったなあ、もう少し待つか」という態度を取らざるをえなくなり、結局、異口同音に、「テレピューターの時代はまだまだ10年か20年先のことだ」と言い立てることになるのである。ギルダーに言わせれば、これこそ、日本に技術のリーダーシップを明け渡す犯罪的な行為にほかならないのである。(2)

c)電話産業の新展開

マイクロコズムの新法則の影響をもろに受ける産業の一つは電話業である。これからの電話産業が生き残る道は、電話線の光ファイバー化による、画像通信への進出以外にないと思われる。このことにいち早く気付いたのは、アトランタのSouthern Bell 電話会社のRichard Snellingであった。スネリングは、1975年ごろ、AT&Tの専門家から、次のような助言を受けた。すなわち、銅が払底してきたので電線のアルミ化が必要である。また、電話機の送話口の音声〜電気信号変換に使う高純度の炭素が欠乏しだしたので、銅に置き換える必要がある。なお、最終的には、銅に代わるのは光ファイバーだが、その実用化には何十年もかかるというのが、当時の専門家の見方であった。しかし、アルミは、南部では腐食しやすい。そこでスネリングは自分で光ファイバーのことを調べてみると、その技術がすでにコーニング・グラスにあることがわかった。これがきっかけで、彼は、光ファイバー推進の "グローバルな十字軍戦士" となる。ところが、1970〜80年代のAT&Tは、ピラミッド型階層構造の集中的システムをとっていて、中西部の "good old boys"に牛耳られていた。その当時のAT&Tは、光ファイバーやディジタル交換などの技術への投資は控えて、パブリック・サービスとパブリック・リレーションに専念していた。そして、中高年者への配当、アファーマティブ・アクションによる少数グループの雇用機会の提供、慈善や政治運動への寄付、その他法律事務所、ロビースト、エコノミスト、社会政策コンサルタント等に毎年何十億ドルも使っていた。それというのも、当時のAT&Tは、FCC(連邦通信委員会) と各州の公益事業委員会の監督下にあると同時に、法務省の反トラスト部に絶え間なく追われていた。つまり、議会と、連邦・州・自治体の判事たちの鋭い監視下にあって、雁字搦めの規制をかけられながら、政治による攻撃と搾取の対象にされていたのである。彼らは、AT&Tのコスト負担の増大と価格の引上げをさせまいとして、積極的な投資は許さないばかりか、既存の設備の耐用年数は、40〜50年とする方針をとっていた。これでは競争力などもてるわけがなく、結局、AT&Tとしては、技術進歩する部門と現状維持部門とを切りわけることによって、それに対応していた。すなわち、中央のエリートたちが、軍事・宇宙部門や長距離・

国際部門で技術開発とその実用化に携わる一方、底辺の地域局は、もっぱらPOTS (plain old telephone service)のみの提供に徹していたのである。

ただし、このような仕組みも、スイッチが高価で回線が安いという状況にはある程度適合的だったといえる。経営陣は、違法の独占だという告発にもっぱら備えていればよかったのである。しかし、この状況は、まさに70〜80年代にかけて大きく変化していた。すなわち、まさに底辺でのサービスの可能性を抜本的に変えさせるようなマイクロエレクトロニクス革命の波がやってきた。廉価な半導体の普及がスィッチの価格を大幅に引下げる一方、(3) それと並行して生じた銅線価格の急上昇は、既存のシステムの合理性を失わせてしまった。今や、合理的なシステムの構造は、集中型から分散型へと、スター型の構造からLAN 型のリング構造へと、転換したのである。

もっとも、中央のエリートたちからみれば、底辺でのそのような変化は、彼ら自身にとっての脅威以外の何物でもなかった。それを鋭く見抜いたのがスネリングだった。彼は、AT&Tにとっての真の敵は、AT&T自身のR&D 部門だと気付いた。1978年に光ファイバーが利用可能になると、スネリングは、直ちに回線の更新部分にそれを導入し、1979までにアトランラ北西部のほとんどにそれを敷設した。しかしニュージャージーの本社は、1980年になっても光ファイバーには否定的なままで、せっかくのベル研の開発した技術は、さっぱり生かされなかった。その間、日本は光ファイバー化、フランスはディジタル化に走っていた。スェーデンは全国を高度ディジタル化して市内電話料を米国の半額にした。このため、スィッチだけでなく光ファイバーの製造についても、米国のリーダーシップは失われてしまった。

これが、 1980 年代初頭の米国テレコム危機の本質であった。そして、それを結果的に救ったのが、1982年に、米国の連邦裁判所のグリーン判事が下した修正最終審結であった。それによって、AT&Tは、長距離電話と関連機器製造に特化する新AT&Tと、市内電話サービスを独占的に提供する七つの地域電話会社とに分割されたのだが、この分割が競争力の復活につながったのである。たとえば、マイクロウェーブの長距離電話会社として台頭したMCI は、光ファイバー化に関心をもち、コーニング社に62000 マイル分の光ファイバーの発注に踏み切った。それを見て、AT&Tもようやく動きだし、1990年までに長距離と国際回線を光ファイバー化することに決定した。結局、1980年代のアメリカは見事に復活を果たし、テレコムとコンピューター産業で、世界を制覇することに成功した。

しかし、今、1990年代の初頭にいたって、米国は再びテレコム危機の到来に直面している。1990年代の世界のテレコム産業の競争の焦点は、通信回線のディジタル化にある。より具体的には、 ISDN を全国に普及させ、その端末としてコンピューターを利用させるところにある。最終的には、全てのオフィスと家庭に光ファイバーを引き込む(FTTH)ことが、競争の中心になるだろう。その場合のアメリカにとっての問題は、1982年の米連邦裁判所の修正最終審結である。この審結は、当初は米国のテレコム産業の再活性化に貢献したが、今やシステムを麻痺させるものでしかなくなっいる。なぜならば、グリーン判事は、この審結において、AT&TによるFTTHの設置を禁止しているからである。他方、FTTHの推進を許されている地域電話会社は、テレコム機器の製造や、新サービス提供のための光ファイバー回線の利用を許されていないために、せっかくFTTHを行っても、その費用の回収ができないという状況にある。加えて、州公益事業委員会は、市内サービス料金を下げるために地域電話会社の大規模な投資計画を抑えている一方で、議会は、各都市でのCATVの独占を認めてしまったのである。  

これはまことに皮肉な結果だ。もともとCATV会社は、アメリカのテレコムの再活性化に貢献していたのだ。つまり、アメリカのテレビの番組内容を大きく改善すると同時に、世界で初めて、同軸ケーブルによる広帯域ネットワークを家庭にまで引き入れたのである。これが、電話会社の光ファイバーの幹線とフィーダーにつながるとすれば、米国のポテンシャルは巨大なものとなる。しかも、それは日本とヨーロッパにはないものなのだ。ところが、この接続・協力が政府の規制によって阻まれている。これが、米国の新たなテレコム危機にほかならない。

スネリングは、1987年に東京で開催されたGlobeCom会議での席上、公然たる反乱声明とでもいうべきものを発表した。すなわち、政府がケーブル独占体との競争を許さないのなら、それはそれでいい。自分としては、ともかく家庭に電話用の光ファイバーを引くつもりだ。なぜなら、それによって、電話線の維持費の引下げと音声伝送品質の改善ができるし、将来の高度テレコム・サービスのための布石になるからだ、と述べたのである。

確かに、光ファイバー・システムは長期的には電話料金の大幅引下げを可能にする。また短期的にも、少しずつ置き換えていく限り、コスト圧迫要因にはならない。しかも、その結果端末が高度のインテリジェンスをもてるようになるので、電話会社によるネットワークの独占の弊害も心配しなくてもよくなる。むしろ、そこに発生する大量の余分の通信能力を利用するために、電話会社としては価格を思い切って下げて、ユーザーを呼び込む誘因とせざるをえないだろう。

それどころか、これからの地域電話会社は、各種の深刻な競争に不可避的に直面することになる。第一に、光ファイバー回線は、空いたパイプや長い土地をもっている会社だと誰でも引けるのだ。現に、アメリカのあるパイプライン会社 (Williams Pipe Line Company) は Williams Tele-communications Group Inc. を設立して、たちまちのうちに、全米第四位の光ファイバー回線所有者になってしまった。第二に、CATV会社の敷設した同軸ケーブルは、電話サービスにも利用できる。第三に、そもそも回線を必要としない形の新たな電話サービスのシステム−−たとえば、セルラー電話システム−−も、いろいろなものが出現し始めている。つまり、電話業界は、セルラー電話とケーブル・テレビに挟み打ちされているのだ。事実、シリコン技術では、価格は7 年で1/10に下がるのが平均傾向だとすれば、近い将来、セルラー電話の料金が通常の電話なみになり、しかもディジタル化して、品質もよくなったとしても、何の不思議もないのである。それに対抗するためには、電話会社はこれまでのPOTS (Pain Old Telephone Service) からPANS (Pictures And New Services)への移行を、合言葉にすべきだろう。その意味では、懸念すべきは、電話会社による独占ではなくて、電話会社の死である。電話会社にとっては、光ファイバーを家庭やオフィスに引き、併せて各種の新しい通信・情報サービスを提供していくことが、これからの唯一の生存策なのだ。

ギルダーのビジョンでは、今日のアメリカの地域電話会社とその共同研究部門であるベルコアは、全体でアメリカのハイテク投資の30% をカバーしていることから考えても、アメリカのテレコム産業、いやアメリカ経済全体の未来にとって、極めて重要な戦略的意義をもっている。彼らは、これから展開されるグローバルなテレコム競争において、主導力となることが期待できる、アメリカの重要な資産−−グローバルな競争でのアメリカのゴリアテ−−なのだ。ところが、その地域電話会社が、今のところは、裁判所や議会の規制によって、雁字搦めの鎖に繋がれている。そうだとすれば、この鎖をはずすこと−−Free the Bell Seven −−ことこそが、当面の最も重要な政策課題でなければならない。これが、小冊子『テレビ以後の生活』におけるギルダーの主張と提言の概要である。

d)テレフューチャー:電気通信の未来

ギルダーの上記のような見解は、1989年の初めに最初に発表され、たちまち激しい拒絶反応にであってしまった。一般産業のリーダーたちばかりか、電子産業のリーダーたちさえ反発したのである。とりわけ、放送関係者は narrowcast の利点を認めず、ケーブル関係者は、電話会社との競合の可能性を認めようとしなかった。放送仕様とISDN仕様は別だから、ケーブルは二本になると主張したのである。データベース業者は、商売が繁盛していると断言したし、コンピューター業界は、かつてコンピューターを家庭に売り込もうとして失敗したことに言及しながら、現在でもテレビとコンピューターは、別々の部屋にあるという調査結果を引用してみせた。好まれるディスプレーの大きさも違うといった。チップ業界は、日本の家電と競争するよりはそれにチップを売り込むことで満足し、日本がダンピングさえ止めればいいといった。電話業者は、光ファイバーで放送用ケーブルを置き換えよという議論自体に神経質になり、ケーブルテレビと放送業界の政治力に言及した。テレビ受像機で、複数の "窓" を同時に見るのはアナログでしかできないが、消費者はその特徴を望み続けるだろうともいった。電話会社にしてみれば、テレビの時代はまだまだ終わりそうもなく、 光ファイバーは30年がかりで音声とデータ用にゆっくり導入していく方針だといった。そして、本当は、テレピューターにこそ新聞の未来があるのにはずの新聞業界は、ともかく変化を恐れて、最も先鋭な反対者となった。

現実には、これまでの自分たちの存続基盤そのものが音を立てて崩れ去ろうとしているその時に、どの業界も、日本との目先の競争に頭がいっぱいで、情報産業の全体を再編成しようとしている技術変化には考えがおよばぬまま、現状維持に汲々としている、あるいは現状の構造を変えないままでの拡大しか考えていなかったのである。

他方、1989年のギルダーには、日本は、さまざまな点でアメリカに遅れはとりながらも、未来を見据えて着々と手をうっているように見えた。すなわち、紀元2000年までに、1200億jを投資して光ファイバーの家庭への引込み(FTTH)を実現すると同時に、1500億jを投資して情報都市を作ろうとしているようにみえた。ギルダーの考えでは、FTTHは、光ファイバーでの国際競争にとって決定的な重要性をもつ。なぜならば、学習曲線効果によって、累積生産高が倍になると光ファイバーの生産コストは20〜30% 低下するからである。ところが、米国は、幹線を光ファイバーにしてそこでストップしてしまったために、光ファイバーの生産は停滞し、コストも下がらない。他方、日本は、FTTHに邁進するために、生産が増加しそのコストも低下し続ける。これは、コンピューター、チップ、エレクトロニクス産業にも大きな刺激になるだろう。「米国の電話とコンピューター業界の幹部は、アメリカのネットワークの完成目標年次を2010年もしくは2030年におくというが、冗談もほどほどにすべきだ。アメリカがより迅速に行動しなければ、アメリカのネットワークは日本人が、日本製の光ファイバーと光エレクトロニクス機器を使って−−そしてことによると日本のコンピューターを入れて−−建設することになるだろう。(p.108) 」  

しかし、日本に先を越されまいとしてアメリカが光ファイバーネットワークの建設に乗り出すとして、恐らく1000〜3000億jにのぼる、その建設費用は誰が負担するのか。もちろん政府に負担させることはできないし、その必要もない、とギルダーはいう。その費用は、それによって結果的に利益があげられる、コンピューター、ケーブル、電話産業−−とりわけ地域電話会社とケーブルテレビ産業が負担すべきだ。必要なことは、規制の緩和 (参入の自由) だけであって、アメリカの産業には、それだけの投資をする力は十分あるはずだ。今の米国の誤りは、コンピューターでは勝っているのに、日本のテレビにばかり気を取られているところにある。むしろ自分の弱点を知っているのは日本人の方なのだ。彼らは「情報と娯楽の世界を最初に一つにできる(converge)国が、世界のコンピューターとテレコムのリーダーとなることを知っている。(p.110) 」のである。(4)  

以上の分析をふまえて、ギルダーは、米国に対して次のような提言をしている。

アメリカは、80年代の熾烈なコンピューター産業競争に勝ち抜いた自信を取り戻すべきだ。他国は官民一体でやってきたが、アメリカのシェアは落ちなかった。競争力はむしろ強まった。この力の根源は、多数の中小企業(20000, うちソフト会社が14000)間の激烈な競争にある。これに対し、テレビは寡占になっているから弱いのだ。今日のアメリカには、ディジタル・イメージ処理をやる会社が 800、マルチメディアをやる会社は1000社もある。だから、アメリカにはテレピューターを作る技術がすでにあるのに、それに気づいていないのが問題なのだ。

アップル社のスカリー会長は、1991年初頭に東京で開かれたマックワールド・イクスポで、放送、ケーブルに続く第三のテレビ・パラダイム(P3TV)のコンセプトを発表した。それは、スケーラブルでインターアクティブでパーソナルなテレビであり、これこそ、テレピューターそのものなのだが、誰もそれを作ろうとしていない。また、アップルとIBM が合弁で設立したマルチメディア会社の Kaleida社は、もっぱら企業を対象とするビジネスばかり考えているが、それは、Ampex 社が30年前にVCRでおかしたのと同じ過ちだ。P3TVを本気で製造しようとした唯一の会社は、1988年にアンディ・ハーツフェルド、アンドリュー・ベクトルシャイムとピーター・コステロ (サンの創立者たち) 、ハーマット・エスリンガー(NeXT box のデザイナー) が、ニコラス・ネグロポンテの助言をえながら創立したフロックス社(Frox Inc.) だった。オランダとスイスの資金で発足したこの会社は、発足にあたってアップルにも声をかけたが、スカリーは IBMとの提携に夢中になっていたために、反応しなかった。フロックス社は、91年の秋に、200MIPS の速度をもち、価格は7000jのP3TVを発表したのである。これを先駆者として、今や、何千もの起業家たちが、テレピューターに参入し始めた。SiggraphやComdex、あるいはMacWorld等を見ればそれは明らかである。(5)

なるほど、アナログでは、テレビ、ビデオ、レーザーディスク、ウォークマン、ビデオカメラ、ニンテンドーのゲーム・ボックス等に見られるように、日本が依然として圧倒的な強さを誇っている。しかし、アナログ機器の相互接続には複雑なコンバーターが必要なために、機器は単品として生産・販売され使用されがちである。これに対し、ディジタル通信にあっては、同質の信号が送られるために、信号の貯蔵、圧縮、訂正、編集、操作が容易なばかりか、相互接続も容易である。つまり、ディジタルだと、コミュニケーションがより容易になるのだ。たとえば、ディジタル・テレビは、画像そのものではなく、画像に関する情報を送る。それを受け取ってイメージ化するのが、テレピューターなのだから、ここでは、画像の解像度などは、第二義的な問題にすぎない。解像度は、画面の大きさにあわせて自由に変えられる、つまりスケーラブルなのである。また、受けた信号の貯蔵や変更も自由だで、双方向通信も容易にできる。また、信号の圧縮送信や貯蔵もできるので、回線の帯域にもしばられない。もちろん、光ファイバーは、事実上無限の帯域をもっているのだが、コンピューター自体やその外部記憶装置はそうはいかない。そこで、圧縮が重要になる。恐らく、1990年代のディジタル・テレビの鍵は、圧縮技術になるだろう。この圧縮技術は、現在アメリカで急速に進歩しており、これがアメリカの強みになっている。

しかも、アメリカの場合、一般人のコンピューターの普及や利用では、世界一である。また、1980年代にはアメリカのコンピューター科学者は年々43% ずつ増加した。「だから、今日のアメリカは、テレビのコンピューター化を可能にする標準を確立することによって、コンピューター分野での自国の優位を活用する絶好の機会に直面しているのだ (p.119)」

結局、今日のアメリカの進路は、

  1. open interactive system に立脚するパーソナル・コンピューティング路線をとるか、 それとも、
  2. すべてのインテリジェンスは工場で供給されるような proprietary systemsを前提 とする情報家電(consumer electronics)でいくか
のいずれかなのだが、選択すべきは明らかに前者である。なぜならば、それによってのみ、アメリカがもっている何千・何万のソフト技術者や、周辺機器製造者の力が結集できるからである。つまり、アメリカとっての正しい選択は、アナログのHDTVではなくて、ディジタル・テレビだ。これこそ、米国の技術、労働力、企業でやれることだし、個人主義と自由・民主主義の米国の文化にも合致した方向なのだ。それはまた、大規模システムの集中型から分散型に向かう傾向にも合致している。その意味では、電話のシステムも当然分散化すべきものだ。

これに対し、ヨーロッパは自前のコンピューター産業を持たず、わずかに保護主義頼って、日本の家電と対等に戦っているという自己欺瞞をしているにすぎない。また家電型の産業をもつ日本は、アナログに強いものの、それらの機器は相互閉鎖的であって、未来の大きな発展の可能性を欠いている。

ところで、ギルダーの見るところ、米国はようやく、未来に向かっての前進を開始した。第一に、ディジタル・テレビへの未来ビジョンができた。すなわち、米国の連邦通信委員会 (FCC)は Alfred J. Sikes委員長の下で、ディジタル・テレビに賭けることにして、まず6 メガヘルツの自由な帯域を新技術テレビのために確保して、新しい提案を待った。ところが、出された提案は、日本のハイビジョンとは互換性のないアナログ型ばかりだった。しかし、締切り期限(910601)ぎりぎりになって、General Instruments Corporation から、完全ディジタルのテレビ(DigiCipher)の提案が入った。それに力をえたSikes は、期限を延長し、再提案を待ったところ、その後の16ケ月に五つの提案があり、そのうちの四つがアメリカからで、これらはすべてディジタルだった。残る一つが日本からで、これは依然としてアナログだった。いずれにせよ、これでアメリカは、ディジタル・テレビに向かうきっかけを掴んだのである。

第二に、廉価なマルチメディア・コンピューターの製作に本腰が入りだした。すなわち、コモドール、アップル、シリコン・グラフィックスの各社が、一台一万j以下の機種を発売したが、これらは数年前の5 万jのグラフィックWSに匹敵する性能をもっている。しかも、その価格は、数年で1000jになるだろう。

第三に、安価なディジタル・テレビ用光ファイバー回線の開発が始まった。その先頭を切っているのは、ノースカロライナ州の RaleighにあるBroadband Technologies社である。恐らくその究極の形は、交換機能付き(switched)光ファイバー・ネットワークであり、これで、テレビ放送の完全な個別化が可能になると思われる。

もっとも、アメリカが走り出したからといって、日本を侮ってはならない。日本は、当面、

  1. ソニーのようなソフト (プログラム=番組・映画) を抑える戦略と、
  2. コンピューター技術の遅れを取り戻すべく時間をかせぐ戦略、
とをとっているように思われる。だから日本はここしばらくは、何といわれようと、ハイビジョンの旗を下ろさないだろう。(6)

e)ギルダーの上のような議論の背景には、その著書『マイクロコズム』 (邦訳題名は『未来の覇者』) で詳しく展開されている、20世紀の科学技術、とりわけ情報技術の特質の広汎な分析がある。その詳細は、直接本書に当たっていただくとして、ここでは、上の議論を補足する意味で、そのエッセンスだけを紹介しておこう。

ギルダーの考えでは、現代は量子時代、すなわち、物の優位が覆って、心が優位に立つ時代であって、この時代は、次の四段階にわたって展開する。すなわち、

第一段階:物体的固体性の否定。物は、さまざまな形状に変化する波動と粒子からなると見る量子論が登場する段階、

第二段階:内側から物体に迫り、その内部構造を人間の目的に合うように適応させる "マイクロコズム" の法則が働き始める段階。 (機械の製造にさいしての、重さ、熱、力などの物質的制限が克服される段階で、その典型が、物的資源の制約を受けないマイクロチップである。これに対し、産業化時代は、重力に逆らい、摩擦に逆らって物を動かし、溶かしたり焼いたりしてその形状を変えていたのである) 、

第三段階:膨大にふくらんだ物的資本の価値が低下する段階。

マイクロコズムでは、燃料や材料の費用は比べものにならないほど少なくてすむようになる。物に対して支払っていた代価は、今度は頭脳に対して払われるようになる。今や、ワークステーションの前に坐った企業家一人でも、世界規模の企業活動が開始できる時代、すなわち知的資本がものを言う時代となった、   第四段階:国家間の力の配分の決め手となる天然資源や領土の価値が失われる段階。今日、優勢を誇る国家や会社は、土地や物的資源の支配者だというわけではない。優れたアイディアと科学技術を自分のものにした者である、

がそれである。以下、それに関わる論点のいくつかに、もう少し立ち入ってみよう。

コンピュータの速度をあげるのには、二つの対照的な方法がある。その一つは、従来のマクロコズム的な方法で、より大きな電力でより速いスイッチを作るものだが、これは熱が蓄積するという難点をもっている。これに代わるマイクロコズム的な方法が、低電力だが動作は遅いスイッチを、非常に小さく作って高密度で並べる、というものである。今日のコンピューターは、後者を採用することによって、ダウンサイジングと低価格化に成功した。それは、マイクロコズムにおける "カーバー・ミードの法則" に従った展開であった。ミードによれば、「マイクロコズムに入り込むにつれて、何でも小さくなるほどより良くなり、速くなるほどより冷たくなり、価値の高いものほどより安くできるようになる、と。電子の往来がより密に、より高速に、より複雑に、そしてより多量になるほど、事故や不良品の数は減り、なにひとつ摩損を起こさなくなる」 (訳書、p.37、訳文は若干変更した、以下同様) のである。  

マイクロコズムではまた、 "学習曲線の法則" が劇的に作用する。すなわち、ある製品の単位あたり製造費用は、その累積生産量の増加と共に減少していくのである。フェアチャイルド社は、この法則を利用して、テレビのUHF チューナーとして半導体を売り込むことに成功した。すなわち、テレビにUHF チューナーがつく時代が来た時、RCA は、UHF 発振器として使える新型真空管「ニュービスタ」を、一個一ドル五セントで発売した。他方、フェアチャイルドは、UHF チューナーとなる半導体1211 [原価100 ドルあるいは50ドル以上とある] を、軍には150 ドルで売っていた。それを5 ドルで、売り出そうとした。同社のセールスマンのサンダースは、これを一ドル五セントで売る許可を社長のノイスに貰って、売り込みに成功した。二年後には50セントになった。しかし、サンダースたちは、香港に製造工場をうつし、一個15セント以下の原価で製造することによって、値段を15セントまで下げたのである。(p.161-5) また、TI社は、七〇年代初め、電卓市場になぐり込みをかけるに当たり、やはり同様な戦略 [“ダンピング”“原価以下で売る”“略奪的価格設定”などと非難されやすい戦略] で臨み、爆発的に市場が成長した一〇年間に、最大のシェアを獲得することに成功した。(p.168)

f)ギルダーの日本企業観。

ギルダーは、上のような観察から、とかく批判の対象となりがちな日本の企業の行動について、次のような肯定的な議論を展開している。曰く、   

「しかし今日、日本が学習曲線をふんだんに活用して、次から次へと市場で優勢に立っているかたわらで、多くの米国の会社や経営専門家たちは、この戦略はいくぶん古くさくなった、あるいは非難されべきものとなったと信じている。ジェリー・サンダース自身でさえ、日本を“原価以下で売る”と非難し始めた。多くのアナリストたちが、TIや他の米国の半導体会社が近年時として見せるつまづきを、学習曲線と結びつけて考える。今日、多くのビジネススクールでは、学習曲線戦略は失敗したということが、流行になってしまった。(p.166)

「多くの米国人は、かつて米国のものであった量子技術を日本がくすね取ったか、模倣したものと思っている。しかし、もしマイクロコズムが一国で占有するには大きすぎるものであるならば、それはどこの国の財産でもなく、また別々の運命をたどるわけにもゆかない。米国人と日本人は、その政府と国民がともにマイクロコズムの普遍的な法則と原理を守る限り、ひとしくその成果を享受できる。(p.172)

「第二次大戦以降、米国と日本とは、量子経済の発展に適した場所としての位置を交代で占めて来た。米国が日本にその座を譲るようになったのは、それまで中心的な位置から初めてすべり落ちた七〇年代後半のことであった。(p.190)

「こうして[AMDの] サンダースと [インテル] のグローブは、米国の半導体企業は敗北者だという考えを、その意図はなかったにせよ、強力に広めてしまった。だが実際には、米国はいまだに半導体の世界総生産のほとんど半分を占めており、そのもっとも先端的な市場のほとんどを制している。もし彼らが大幅な政府援助なしにはやっていけないとすれば、いったい誰がやっていけるというのか。(p.198) 」

ギルダーの見るところでは、この日本の優位は、70年代の後半から80年代の前半いっぱいくらいしか続かなかった。すなわち、とくに70年代後半から80年代前半にかけて、日本はCMOS技術の応用に成功し、それを一般消費者向け製品に利用して、米国に先行した。驚いた米国は、80年代前半は、日本のダンピング、政府融資、不公正貿易などという非難を日本に投げかけるばかりだったが、後半になって、ようやくCMOSの差を縮めた。そして、再び首位の座を奪回したのである。それなのに、米国の半導体企業は、依然として不満をいうことをやめないのはどういうことだろうか。

「 [かつて] 「われわれは技術では勝っているが、インテル社のマーケティング力にはやられたぜ」とAMS のトム・ロイドはいった。モステックのL.J.スパンも似たような主張をした。今日、米国企業は、日本を打ち負かせないことの理由として、同様なアリバイを探し求めている。しかし、七〇年代初めのインテル社と同様に、日本人は、マイクロコズムのシリコンゲートをより速くくぐりぬけるべく、ある決定的な仕方によって、数年にわたる努力を続けたにすぎないのだ。(p.208) 」

ところで、この日本のテレコム産業には、一つの決定的な弱点がある。それは、「マクロコズム時代のアナログの異物」であるテレビが今や死のうとしている時代に、依然として旧いアナログ技術を改良したHDTVの開発にこだわり続けている点である。ギルダーは指摘する。

「だが、技術としてはテレビはもう死んだものだ。その本質的なアナログ性をどう化粧しようと、もはや問題にならない。技術の生死は、その普及度や人気で決定されるものではない。それは技術の将来展望によって決まるのだ。....もしテレビが死んでいるならば、HDTVは死産せざるをえない。(p.341)

「テレビの死の前兆として、関連技術がいっせいにデジタル化に走っていることがあげられる。もっとも将来性のある記憶媒体はすべて−−磁気であれ電子あるいは光学媒体であれ−−本来的にデジタルである。すべての双方向型の技術も本来的にデジタルである。すべての光ファイバーチャンネルもそうである。同様に重要なのは、新しいオーディオ技術−−鮮明な画像にとっての必須の相補物−−もまた、ますますデジタル化していることであるる。(p.345)

「もし明日の画像技術が、テレビの誕生以来用いられているのと同じ空中波での放送技術の単なる改良版にすぎないとすれば、日本人は家電の分野を支配し続けるだろう。人は過去二十年間より進んだテレビ技術の開発に力を集中し続け、今ではその市場のほとんどを制覇している。ハイビジョンでは、日本はアメリカに少なくとも十年先行している。....しかし、過去三〇年の間に、マイクロコズムの力のおかげで、コンピュータ技術は、テレビ技術の何千倍、いや、何万倍も早く進んだ。(p.346)

「ハイビジョンとは違って、新しいビデオ・コンピュータは、ドラッカーの言っている一〇倍の改善という基準を容易にクリアするだろう。(p.347) 」

ギルダーは、米国が誇りうる画像処理技術のすでに実用化された例として、インテル社のDVI (Digital Video Interactive) をあげている。この技術は、一枚のCDにまるまる一本の映画を記録できるばかりか、画面をランダムにアクセスし、インタラクティブに操作することを可能にする技術なのである。だから、日本を恐れることはない。

「米国の産業は、もっとも重要なコンピュータおよび電気通信技術の多くの分野でリードを奪うことによって、将来のテレコンピュータ分野のビジネスを支配すると期待できるあらゆる根拠をもっている。(p.353) 」

そのさい注意すべきなのは、アナログテレビを政府が支援するといった時代錯誤をしないことである。

「そうではなくて、議会が光ファイバで結ばれたアメリカというビジョンにコミットしさえすれば、米国は勝利を収めることができよう。なぜなら、米国はコンピュータ分野において、多くの点で日本勢より何年も先に進んでいるからだ。問題は、現在の政府の政策が、進歩の名の下に過去を支持していること、つまり、日本勢と闘う名目でマイクロコズム的な変化に抗っていることなのだ。(p.354) 」

g)ギルダーの産業政策論。  

以上に見たように、ギルダーは、日本のハイテク企業のシェア争いや価格戦略を、概して肯定的に捉えている。しかも同時に、米国の共和党政権下での1980年代の経済政策についても、肯定的な見方をしている。ギルダーによれば、米国のハイテク産業、とりわけコンピューターおよび電気通信産業は、70年代の後半から80年代の前半にかけて、一度は日本に優位を奪われるかに見えたものの、80年代の後半にいたって巻き返しに成功し、再び優位を回復したのである。このような米国の "成功" の鍵は、米国がヨーロッパ (あるいは日本) のような、誤った産業政策を採用しなかったところにある。そこで、最後に、ギルダーのユニークな産業政策論を簡単に見ておこう。

ギルダーはまず、 "米国の挑戦" をまるで誤って理解してしまったフランスのセルバン= シュレベールの産業政策論を、厳しく批判する。曰く、

「彼が見た挑戦というのは、米国の多国籍企業および政府の技術開発研究所、そして国防総省の資金とハイテク最前線分野の管理とが結びあわさった、産軍複合体のそれであった。(p.357) 」  

そして、ヨーロッパ諸国の政府は、そうした誤った見方に立脚したセルバン= シュレベールの処方箋を採用してしまったのである。

「ヨーロッパ諸国の政府は、多国籍カルテルが主導する一連の大プロジェクトを発足させて、新技術を開発しようとした。ユーレカやエスプリ、プレステル、テレテキスト、インフォーマティック、アンティオープ、エアバス産業、アルベイ、JESSI 、シリコン・ストラクチャーズ・プロジェクト等の政府主導型のプロジェクトは、米国の挑戦に対抗しようとするヨーロッパの挑戦であった。(p.357-8) 」  

ヨーロッパ諸国は、これらのプロジェクトを、巨大コンピュータと巨大組織で管理しようとしたが、無残な見込み違いに終わった。ミードの法則が作用したのである。

「セルバン= シュレベールの産業政策によって、ヨーロッパの技術はいろいろな略号からなるアルファベットのスープにひたされる一方、ヨーロッパの企業家たちは、サボタージュする労働者を解雇したり、陳腐化した工場を閉鎖する権利を認めてもらうべく、官僚や労働組合の幹部と折衝しなければならなくなった。彼の意見を取り入れたヨーロッパ諸国は、マクロコズム的な制度や技術を残したまま、マイクロコズムへの突入を試みなければならなくなり、第二次世界大戦後、最悪の不況に陥った。彼の著作が発表されて以後ほとんど二十年にわたって、ヨーロッパ大陸では雇用の純増は起こらなかった。この間ヨーロッパは、国家の産業政策が目標とした情報技術それ自身において、大きな遅れをとってしまったのだ。(p.360-1) 」

これに対し、米国の方は、1970年代後半以来、規制緩和、減税、投資自由化などを柱とする、新しい産業政策を採用した。

「その結果、失業が増加するとの予想に反して、一五〇〇万人の新しい雇用が創出され、八八年には成年人口の六七% が労働力化するという記録 (ヨーロッパでは五八%)が達成された。一人当たり実質可処分所得も二〇% 上昇した。米国の工業生産さえ、八一年から八九年にかけて三〇% 増大した。これは、産業政策を採っていたヨーロッパ地域よりも三倍速い成長であった。(p.362)

それにもかかわらず、ほかならぬ米国自身の専門家たちが、米国の産業政策の転換を要求しているのは、ギルダーにとってはまことに解せないことである。

「彼らは、新技術の開発のためには、従来よりもはるかに思い切った政府の指導と支援が必要だと主張する。彼らは、日本の第五世代コンピュータ・プロジェクトやヨーロッパの類似の計画に言及し、米国の貿易収支の不均衡をなげき、DRAMやHDTVにおける日本のリードにパニックを起こし、技術の前線での米国の一貫した後退を予測したのだ。(p.362)

「だが、彼らはまたまた誤っている。彼らは、量子時代の意味や展望には無縁な、通俗的な懐古主義の犠牲者に過ぎない。まず第一に彼らは、近年のコンピュータと半導体の歴史的事実をを読み誤っている。さらに重要なのは、彼らがマイクロコズムの意味を全く誤解して、将来の見通しをも誤っていることだ。(p.362)

「米国の会社は、世界のコンピュータ市場において七〇% のシェアを占め、しかもさまざまな面で技術的なリードを拡げている。技術進歩の加速と共に、コンピュータ産業の付加価値は、ハードウエアから、それをうまく使うためのソフトウエアに、急速にシフトしてきている。(p.362)

「ソフトウエアは、主として、最低限の資本しかもたないで働く一人または小さなチームによって作られる。七五年から八五年の一〇年間に、米国全土で一万四〇〇〇社もの新しいソフトウエア会社が設立され、世界のソフトウエア市場に占める米国のシェアは、三分の二以下から四分の三に増加した。八五年以来、米国のソフトウエアの生産の伸び率は、日本のそれを上回っている。コンピュータ産業全体の売上に占めるソフトウエアの比率は、米国が日本より四倍高く、市販ソフトウエアの生産高も、米国は日本の四倍以上にのぼっている。(p.363) 」

一九八〇年代のアメリカ経済、とりわけコンピューター業界が示したこのような実績を虚心に見るとき、一つの教訓が得られるはずだとギルダーは考える。   

「教訓とは、一九八〇年代に、米国の競争力は、主に、国家主義的な恐怖や迷信や国家中心の産業計画を無視したおかげで増大したということである。その代わりに、米国は、地球規模のマイクロコズムに適合した戦略を追求していたのである。米国は、市場を無視した巨大な国家プロジェクトによって、コンピュータ産業での自給自足を目指すよりは、輸入品に対し膨大な付加価値を新たにつけ加えることによって、輸入品の代価を支払ってきたのである。米国の企業家たちは、自分たちのシステムやソフトウエアを具体化してくれる諸部品の最善の供給者を、地球の隅々まで探し求めることによって、米国をコンピュータ産業の中心とし、また、世界経済の成長の主たる源泉にしたのだ。(p.368 )」  

つまり、ギルダーに言わせれば、米国の貿易赤字や産業空洞化を心配するのは、およそピントの狂った話なのである。しかも、この成長はさらに続いているし、これからも続く可能性をもっている。コンピューター産業の成熟論は、およそ誤っているのである。

「コンピュータ産業の成長は減速していないし、その技術も "成熟" (つまり硬直化)してはいない。大企業がその地歩を固めているということもない−−新たに参入した会社がその規模を大きくしているということはあるが。コンピュータの進歩のペースは、まさにいま、思い切り加速されようとしているところなのだ。p.369

「また、批評家たちの分析とは逆に、この産業はより資本集約的になってはいない。デバイスの一機能当たりの資本費用−−顧客への価値の提供に必要な投資額−−で測れば、コンピュータ産業の参入コストはますます小さくなっている。シリコンコンパイラやその関連技術によって、力は大企業から個人の設計者や企業家に移っている。のである (p.369 )」  

結局、ギルダーは次のように結論する。

「米国の経済学者は競争力の衰退について泣き言をいっていた間に、我々は競争の第一局面で勝利したのだ。将来何が起きようと、この成功の教訓に学ぶべきであって、衰退論に心気を病むあまりにこの教訓を忘れてしまってはならない。我々が勝利したのは、その力を数千の起業家の間に分散したからであって、コングロマリットや官僚機構に集中したからではない。成長機会を逃さなかったからであって、貿易黒字を出そうとしたからではない。勝利は、一度にすべてのことをしようとしなかったからこそ、また国際分業を恐れなかったからこそ得られたのである。われわれは一国の産業政策よりも世界を指向してきたのだ。...ヨーロッパ人たちが資本と専門家を糾合する国家の能力にますます大きく依存していたまさにその間に、世界の力のバランスは個人にとって有利な方向にへと大きく動いた。世界の産業組織は−−その点ではまさしくセルバン= シュレベールの言った通り−−新技術の性質に従って形作られていくのである。  

マイクロコズムの新技術は−−人工知能であれ、シリコンコンパイラであれ、並列処理であれ−−すべて起業家や小企業に有利に働く。これら三つの技術はすべて、起業家が知識の力を利用して資本を節約し効率を高めるのを可能にする。彼らが、砂 [シリコン] とアイデアを混ぜ合わせて、世界中の人々にとっての新しい富と力を生みだすことを可能にするのである。 (p.374)」

このような観点からすれば、アメリカの産業界の一部に、それも情報通信業界の一部にさえ、見られる保護主義の要求や、新規参入企業に対する訴訟、知的財産権の強調、ライシュやサローなどの批判する米国の "過剰な起業家精神" −−それは、私ならアメリカ版 "過当競争" と呼んでみたくなるような現象だが−−、あるいは官民協力による共同研究のよびかけなどは、従来の "マクロコズム" 的なパラダイムを捨てられない立場からする "マイクロコズムへの反抗" に他ならず、失敗することが運命づけられている政策でしかない。米国の半導体産業の復活の原動力となったのは、まさにこの "過剰な起業家精神" の発露としての中小企業の新規参入であり、また開放的な企業文化や大学の研究システムだったのだ。

私の解釈では、それは、いってみればマクロコズムで従来いわれて来た "規模の経済" あるいは "範囲の経済" から、マイクロコズムにおける "ネットワークの経済" [林89] と軌を一にする現象だともいうことができる。すなわち、21世紀の産業社会にあっては、技術は、20世紀の産業社会に見られたような、 "カンパニー・スペシフィック" なもの、会社の外では通用しないもの、あるいはつぶしがきかなくなるようなものではなくなる。むしろ、新しい技術は、会社の境界を超えて、関心を共通にする多くの人々の間に通有されて、いわば "ネットワーク・スペシフィック" な技術となり、その中での情報交流を通じて、さらに高い創造の段階へと飛躍していくのである。ネットワークでの情報・知識の通有と、その中での人々の切磋琢磨を通じて進行するその高度化こそが、 "ネットワークの経済" の本質に他ならないだろう。

h)付録:ギルダーの未来展望

以上に見たのは、1990年当時のギルダーの考えかたである。ギルダーはいま『テレコズム』と題する新著を執筆中だが、ここに要約したような未来に対する彼の確信は、ゆらぐどころか、ますます固まってきているように思われる。なぜなら、彼は、1992年の夏、箱根で開かれたマルチメディア・フォーラムの席上で行った記念講演の中で、ますます加速するコンピューター、テレコムの技術革新について、 "砂とガラスと空気の技術進歩" というメタファーを使って、概略次のような展望を示したからである。(7)

すなわち、第一に、 "砂" つまり集積回路の技術は、これからもさらに発展を続けて、10年後には、一個の価格が100 ドルを切る一つのチップに、10億のトランジスターが入るようになると予想される。つまり、今一台が何億ドルもしているスーパーコンピューターなみの機能が、一個のチップのうえに凝縮されることになる。その暁には、数億のオフィスに、また数十億の家庭に "スパコン" が入り、それによって画像の高速処理が可能になるだろう。これは、コンピューター・システムの中でハードウエアがコストに占める割合が一貫して低下する[Dave Nagel]ばかりか、"ubiquitous computing,"

"nomadic computing systems," あるいは "disposable computers" などと言われている事態が、一般化することをも意味するはずである。

第二に、ガラス、つまり、光ファイバーの技術も依然として進歩していき、やがては75テラヘルツ、つまり75000 キガヘルツの帯域能力が実現するようになる。これは、現在空で使われている帯域の3000倍に相当する。光は銅線を置き換えるのてはなく、空気にとって替わり、そこに "ファイバースペース" が生みだされるのだ。そのことは同時に、通信にさいしてのスイッチングが不必要になることを意味する。あるいは、少なくとも固定点間の通信に関する限り、ファイバースペースが電話網を駆逐するといってもよい。先に紹介したネグロポンテの予言が、いよいよ実現するわけである。

それはともかく、通信回線の容量の現状は、ICでいうと1970年代にあたる程度にすぎないので、それから考えても、これからの発展の余地の大きさが想像できるというものである。こうして、 "マイクロコズム" の法則によってICが事実上タダになったのと同様に、 "テレコズム" の法則によって、帯域もまた事実上タダになろうとしている。しかも、光通信や光コンピューティング用の部品は、電子部品よりもさらに単純でさらに安くなるので、光化の経済に与える影響は電子化のそれよりもさらに大きくなると予想される。

第三に空気の技術、つまり電波による通信の技術は、ネグロポンテの言った通り、放送よりも移動体通信をカバーする方向、携帯電話型の双方向通信に進んでいく。そのさい、現在では稀少な資源とみなされて国家的監理の対象とされている周波数も、帯域と同様、事実上無限になっていく。しかも、こうしたシステムは、これまでの電話の交換システムのように巨大化される必要はない。むしろ、比較的小さな、相互接続可能なシステムのネットワークができあがる方向に進んでいくだろう。ここでは、これまでのような "規模の経済" は、生じないのである。

ギルダーのこのような見通しに対して、同じ会議に参加していたネグロポンテは、多くの点で共感しながらも、帯域が交換にとってかわるというギルダーの見通しには反対した。ネグロポンテによれば、コンピューターの知性は交換においてこそまさに発揮されるのであって、未来の通信は、コネクションレスになるどころか、交換と接続を前提として、大量のデータの通信が瞬時に、バースティーな形でなされるようになるところに、その特徴があるという。確かに、MIT のリチャード・ソロモンによれば、今日のインターネットなどに見られる "コネクションレス" のパケット交換方式は、たとえATM のようなより高度なパケット交換が実現したところで、動画像の送受信には向かないという。それが正しいとすれば、未来のマルチメディア通信の方式は、必ずしも完全に "コネクションレス" なものにはならないかもしれない。(8)

だが、その点は別にして、情報通信産業が依然として急テンポの技術革新の波のただ中にあることには、疑問の余地がないようだ。今年成立した米国民主党の新政権も、そのことを十二分に意識しているように思われる。ただし、新政権の "産業政策" が、上にみたギルダーのいう意味のものになるかどうかは、いささか疑わしいところがある。むしろ、新政権にはギルダーの批判しているエコノミストたちの "産業政策" の影響が少なくないようである。もちろん、ローラ・タイソン、ロバート・ライシュ、あるいはアラン・ブラインダーといった、新政権を支える経済学者たちは、従来正統派とみなされてきた新古典派流のマネタリストでもなければケインジアンでもない。いってみれば、 "反古典派" 的な政治経済学者たちであり、彼らの唱道する産業政策は、村上のいう "開発主義" [村上92] との対比でいえば、 "新開発主義" とでも呼びたくなるような性格のものである。その意味では、ギルダーの、 "ハイテク指向型自由主義" とでもいうべき産業政策への姿勢は、もっともむきだしの "マクロコズムの反抗" ともいうべき保護主義的政策の対極に立つものであることはもちろんだが、だからといって "新開発主義" と同一とはいえない。 "新開発主義" はむしろ、ギルダーの "ハイテク指向型自由主義" と保護主義との中間にたつものだということができるだろう。そして、現在のところ "新開発主義" と "ハイテク指向型自由主義" との間の開きは、決して小さくないように思われる。この両者の関係が、今後どのように展開していくかは、米国の情報通信産業の未来を占うという観点からしても、極めて興味深い問題である。

ギルダー自身が認めているように、そのマイクロコズム論を背景とする「テレビの死」論、およびそこから引き出された米国の地域電話会社に対する規制緩和論は、発表の当初は、まったく異端的な考え方だとして、悪評さくさくであった。しかし、その後次第に、ギルダーの所論に真剣に耳を傾ける人々が増えてきているらしい。現に、上に紹介した箱根のマルチメディア・フォーラムにギルダーが基調講演者として招待されたという事実も、今や、情報通信産業の少なくとも一部の有力企業 (後述するCSPPに参加しているような) の間には、ギルダー説の信奉者が増えつつあることの証左ではないだろうか。だとすれば、 "ハイテク指向型自由主義" が "新開発主義" におよぼすインパクトは、決して小さくないものがありそうだ。

  1. ギルダーによれば、マイクロコズムの新法則の破壊的影響をもっとも直接に受けるのは、大型コンピューターを使った集中型のオンライン・データベース業である。現在のオンライン・データベースは、探すデータが見つけにくい上に、使用料が高価である。データの検索は、コンピューターに接続したままで行うので、通信費ばかりがかさんでしまう。情報自体の料金は、通常、使用料総額の1/10程度にすぎないといわれるほどである。 このような現状を改革するひとつの試みが、Cryptologics International Inc. のCEO であるPeter Sprague によって行われている。彼は、QuoTrek 社の株価データ放送システム、すなわち、株価データの全体をまず放送し、携帯ターミナルをもったユーザーは、それをスキャンして自分がキーインした特定の会社のデータだけを拾いだし、その分だけの料金を払うというシステムにヒントを得た、新しいデータベース業のアイデアをえた。すなわち、放送やCD-ROM等によって、データベースの全体を暗号化して、まず提供 (その改訂は放送やオンラインで行う) し、ユーザーは、デコーダーを購入して、特定のデータを解読した時だけその使用料を支払うというシステムがそれである。
  2. 問題は、マイクロコズムの新法則が作用し始めたからといって、古いシステムが必ずしも鎧袖一触に破壊されてしまうとは限らないところにある。ギルダーは、それに関する警告として、つぎの二つの言葉を引用している。その一つは、上に言及した Spragueが自分のオフィスの机上にかかげてある、マキァベリの『君主論』からの引用である。 「新たな制度の創出ほど、その計画が困難で、その成功が疑わしく、その管理が危険なものはないことは、肝に銘じておかねばならぬ。なぜならば、その提唱者は、旧い制度の存続によって利益を得ている者のすべてを敵に回す一方、新しい制度によって得をする人々は、中途半端な支援しかしてくれないからである。」  いま一つは、Peter Drucker の言葉である。 「新たなシステムは、既成のシステムよりも十倍は良いものでないかぎり、それにとって代わることはできない。そうでない限り、既成のシステムは、新たなコンセプトを排除するに十分なだけの、資金力、慣性、専門知識、法的な力、資本設備、確固たる基盤、および満足した顧客を持っているだろう。」
  3. ギルダーの上げている数字によれば、1956年に一個 7jしていた半導体スイッチの価格は、1975年には 3セント となり、85年には0.01セント にまで下がった。半導体スイッチは、事実上タダになってしまったのである。
  4. 現時点で見れば、ギルダーのこの日本評価は、明らかに過大評価だったという他ない。今や、立ち遅れを心配し始めたのは、むしろ日本なのである。郵政省は、今になって、不況に苦しむNTT 等の電話会社が光ファイバーネットワークの建設資金の調達に苦しむことを心配して、公的資金でネットワークを建設して民間に貸与する計画を検討しだしたと報道されている [たとえば、日本経済新聞、93年 2月28日の一面記事を参照] 。しかし、 "情報インフラ" としての光ファイバーネットワークを政府資金で建設することは、本当に適切なのか。少なくともギルダーは、政府が乗り出す必要はないと考えている。この論点については、より議論を深める必要がありそうだ。  なお、この部分以下のギルダーの分析や提言は、この小冊子の新版が1992年に刊行された機会に、彼が書き加えたものであろう。
  5. ギルダーは、それでも大企業の動きは鈍いと批判しているが、1992年になると、大企業もかなり動きだした。後述するDigitalWorldや箱根のマルチメディア・フォー ラムなどに、それが現れている。
  6. たとえば、メディアラボの Andrew Lippman は、日本やヨーロッパは「盲人のためのTV」を作ろうとしていると揶揄しているそうだ。なぜならば、アナログのハイビジョンの技術は、それが完成した時には、受像機もプログラムもなくなっている技術だからである。
  7. 私は、たまたまこのフォーラムに招待されて、ギルダーのこの講演を直接聞く機会に恵まれた。
  8. 1992年11月のグローコム・コロキウムでの講演による。彼は、動画伝送にさいしては、ナノセカンド単位で、瞬間的な "コネクション" を次から次へと設定して、その間に信号を送る方式の方が、より期待がもてそうだという。

(三) 沸き立つ米国の情報通信産業  

以上に見たのは、米国の情報通信産業それ自体の現状というよりは、その来し方行く末の評価をめぐる二様の見解であった。ところで、米国の情報通信産業の現状自体についても、二様の見方あるというか、二つの側面が交錯しているようなところがある。すなわち、一方では "情報雁字搦め(information gridrock)" という言葉に象徴されるような、関連業界の利害の対立と交錯の結果、未来の飛躍をめざした大胆な動きが官民共に取れないという状況がある [Solomon/Rutkowski 92] 。しかし、それと同時に、他方では、政治と技術の両面から、現状を大きく変える可能性も出現しつつある。

政治的な変化の要因は、いうまでもなく、変革を指向する民主党新政権の登場である。とりわけ、 "情報産業のツァー" とも呼ばれるアル・ゴア元上院議員の副大統領への就任である。これによって、ゴアが多年にわったて推進してきた、 "データハイウェー" の建設と、その国民的な利用構想は、一気に法案化され、予算化される勢いを示すようになった。(1)

技術的な変化の要因は、主なものが二つある。その一つは、これまでの集中的・階層的・閉鎖的な交換型の電話のネットワークとは異なる、コンピューターのネットワークのネットワークとしての、分散的・開放的な非交換型のデータ通信ネットワークの出現−−その最たるものが、米国を中心に今や爆発的な拡がりを世界全体にわたって見せつつある "ザ・インターネット" である。これは、これまでのアナログの電話が、ディジタル(ISDN)になるという変化とは、質的にまったく異なっている。いま一つは、市内電話というか、移動体通信あるいは個人通信の領域に発生しつつある、従来の市内電話システムと競合するさまざまな新技術の登場である。すなわち、静止軌道の通信衛星や低軌道を利用した電話システム、マイクロウェーブを利用したセルラー電話システム、あるいはPHP (personal handy phone)と呼ばれるシステムなどがそれである。これらの新たな技術的可能性の展開とそれがもたらす潜在的あるいは顕在的な競争状況は、1980年代の初めにAT&Tの分割問題が論議されていたころには、予想もされていないものであった。(2) それはともあれ、以上の二つの理由で、アメリカの情報通信産業はにわかに活況−−それこそ "過当競争" 状況を呈し始めているのだが、米国連邦通信委員会(FCC) は、このような競争状況をさらに積極的に推進し現実化する政策を打ち出しているといわれる。だが、これらについては、章をあらためてさらに詳しく観察してみよう。

  1. もっとも、後述するように、ゴア構想が、そのままの姿で実現するという保証はない。民間の一部に、とりわけ既成の長距離電気通信業者の雄である AT&T の側に、 "データハイウェー" の建設にさいして政府が主導的な役割を発揮することへの異論と抵抗があるからである。
  2. 筆者はまだその現物を見る機会に恵まれていないが、『テレコム・トリビューン』紙の報道[93 年2 月1 日号] によれば、AT&Tの分割三年後の事業範囲の制限の見直しに関する公式報告書 (『ジオデシック・ネットワーク』、1987年) の執筆者であったピーター H. ヒューバーが、このほど、あらためて第二次の見直しの報告書を今度は私的な形で、『ジオデシック・ネットワーク II 』という題で発表したそうだ。同紙によれば、この報告書の要旨は、次のとおりだという。すなわち、「1982年にベルシステムをAT&TとRBOC七者に分割することに決定されたが、このAT&T分割の根拠は、“トラックの少ない市内通信は自然独占、トラックの多い長距離通信は競争」という前提であった。だが、この前提は全く間違っており、“独占になるのは長距離通信であり、市内通信は近く競争になる”」というのである。 同紙の説明によれば、1980年代に出現した市内電話分野での競争要因としては、1)自営機器業者によるPBX や屋内配線の提供、
  3. 無線通信会社による、市内加入者回線に代わる回線の提供、
  4. 長距離通信会社によるLATA内市外通信サービスの提供、
  5. 競争アクセス提供業者(CAP) によるユーザーと長距離通信会社間のバイパス 回線の提供、
  6. CATV事業者による、家庭向け双方向通信の提供、 などがある。なかでも、既存の有線電話システムと競合する無線通信の伸びは、1980年代の後半にいたって、極めて顕著なものになった。1984年のAT&Tの分割当時は、セル式無線免許は32システム、加入者が9 万強にすぎなかったものが、現在では、加入者が1000万に達している。さらに、1992年8 月現在で140 社以上のPCS 免許がすでに出されている。FCC では、米国のPCS のユーザー数は、今後十年間で6000万に達すると予想している。なにしろ、加入者回線の投資額は、メタルの場合、一回線あたり1200〜2000ドルが必要なのに対し、セル式だと、1000ドルですみ、足回り回線に無線を有効利用する将来のPCS では、その額はさらに小さくなると予想されているのである。他方、長距離通信の方は、AT&Tの分割時にはマイクロ無線による競争が経済的に可能だと考えられていたのが、その後光ファイバーが主流になったことで、状況は大きく変化してしまった。すなわち、光ファイバーはいったん布設されるとほとんど無制限にトラヒックを伝送でき、増分コストはほとんどゼロである。このため、トラヒックの多いAT&Tが圧倒的に有利となる。現在は、AT&Tと規制機関の両者が、AT&Tの独占を希望していないために、FCC の規制を前提とした、みせかけの競争が続いているが、自由競争になれば、AT&Tの独占に逆戻りすることは確実である。AT&Tは、92年の5 月にFSS へ提出したPCS 申請書の中では、「光ファイバーの使用によって不要になったマイクロ無線鉄塔や建物をPCS などの市内サービスに転用できる」とのべているほどなのである。結局、「1982年当時、AT&T分割を計画した人たちは、市内・長距離通信における無線と光ファイバーの役割を基本的に誤解していたわけだ」。