1993年3月
公文俊平
(一) 対日批判のトーンの変化
1980年代には、日米のマスコミで、「貿易戦争」とか、「経済摩擦」、あるいは「日本叩き」といった表現が飛び交った。日米の経済格差が縮まり、米国の衰退が云々され、米国経済が "双子の赤字" で苦しみ始めるにつれて、日米関係はひたすら悪化の一途を辿り、ついには避けがたい激突にいたるのではないかといった予想が、とくに日本のマスコミではほとんど固定観念のようになってしまった。その傾向は、現在でもまだなくなっていない。現に、米国の政権が十二年ぶりに共和党から民主党に交代したさいにも、これで日米関係はさらに悪化するとか、クリントン政権は保護主義への動きを抑えられないだろうといった観測が、何度も何度も繰り返された。
その例を、二つだけあげておこう。
第一。共同通信は、2月2日に全国配信されたニュースで、 "日米激突のシナリオ" について次のような趣旨の報道をした。すなわち、「クリントン政権の発足でせきを切ったように、米国の産業界が対日攻勢を強めてきた。背後に一つのシナリオがあるという。日米摩擦の火種に次々と点火し、いまだに明確な対日通商政策を打ち出せないしんせいけんを一気に保護主義へ押しやろうという狙いだ」というのである。この "スケジュール" 闘争の第一弾は、鉄鋼ダンピング提訴の後を受けた、鉄鋼製品に対する高率の反ダンピング税の発表であり、第二弾が自動車メーカーによる "史上最大規模" のダンピング提訴であり、第三弾が、日本市場での外国系半導体シェアに関する日本の "公約" 破りに対する制裁措置だという。そして共同通信は、「今回も日本側が先手を打てないまま危険なシナリオ通りコトが運ばれているように見える。シナリオの最終章は「日米激突」とされている」と結んでいる。(1)
しかし、よしんば米国の産業界の一部に、そのようなシナリオがあるにしても、その最終章が「日米激突」とされていることは、どうにも考えにくい。また、実際の事柄が、そうしたシナリオ通りに進行するとも考えにくい。現に、新政権は、自動車メーカーに働きかけて、ダンピング提訴をやめさせたし、ブラウン商務長官は、かりに昨年十〜十二月期の日本市場での外国系半導体のシェアが二〇% に達していなかったにしても直ちに制裁措置を取る考えはないことを表明したのである(日本経済新聞、3月3日夕刊の報道)。もちろん、逆に、新政権の一部(とりわけカンターUSTR代表やブラウン商務長官)が、産業界の要求に影響されたような、あるいはそれに迎合したような言動を取ることも、ないわけではないだろう。現にそうした兆候もある。(2) しかし、だからといって、大統領までそれに動かされるとか、新政権が全体として保護主義の方向に走り始めるということは、まずないと考えてよいだろう。たとえば、クリントン大統領がこの2月26日に、アメリカ大学の百年祭記念式典で行った演説を見ても、そういえそうである。
第二。2月23日の日本経済新聞夕刊は、一面トップに、「米大統領日本の貿易黒字批判、市場開放強く要求、「構造的問題」解決に全力」という大見出しつきで、小孫特派員のワシントン電を掲載した。それは、2月22日に、クリントン大統領とゴア副大統領がカリフォルニアのハイテク企業、シリコン・グラフィックス社で行った従業員との懇談会でのべた言葉の中に含まれていたという。そのリードに曰く、
「クリントン米大統領は二十二日、遊説先のカリフォルニア州で、「日本は米国が構造的な赤字を抱え続ける唯一の貿易相手国だ」と日本の貿易黒字を名指しで批判した。さらに「対日貿易赤字は工業製品に限れば年間約六百億jに達する」とし、そうした「日本問題(解決)に全力を挙げなければならない」と指摘した。具体的には「市場開放を求め続ける」と述べただけだが、大統領の対日姿勢の厳しさをうかがわせる発言だ。」
しかし、ホワイトハウスから発表された懇談会の詳しい記録(3) を読んでみると、実際の様子はかなり違ったものであったことがわかる。何よりも、この懇談会は、新政権が選挙期間中に発表していた技術政策の改訂版を発表するにあたってもよおしたもので、内容は、シリコン・グラフィックスの従業員との一問一答である。小孫特派員が報道した大統領の言葉は、確かに記録の中に含まれているが、それは、一人の従業員からの、対日赤字をどう思うかという質問に対する答の中に含まれているものにすぎず、事前に大統領がそうした趣旨の発言をすべく準備されていたものではなさそうだ。むしろ、大統領の対日姿勢としては、懇談会の中で、大統領がいわば自発的に日本に言及した他の二箇所を引く方がはるかに意味があるように思われる。他の二箇所というのは、1)日本人はアメリカに学んでQCを導入して、製品の品質の向上、コストの引下げ、従業員の賃金の引上げを同時に実現したが、アメリカも、環境問題で同じようなことができないはずはない、というものと、2)日本人は、行財政改革に成功して、財政赤字を大きく減らした、というものである。いずれも、大統領が日本の実績を高く評価し、アメリカにとっての模範とみなしていることが明らかな形での、日本への言及である。虚心にこの記録を読めば、大統領の対日姿勢としては、こちらの方がはるかにニュースバリューが高いように思われる。(4)
実は、−−といっても、私の印象ではという意味にすぎないが−−日本に対するアメリカの政府や産業界の (少なくとも一部の) 態度は、1990年あたりを境として次第に変わり始めてきている。(5) いいかえれば、米国の日本批判の勢いは、1991年ごろから次第にトーンが落ちてきている−−もちろん、例外はいくらもあるだろうが−−のである。
その大きな理由の一つは、1987年の "ブラック・マンデー" の衝撃を易々と吸収して、決して "バブル" が崩壊することはないのではないかと恐れられていた(6) 日本の経済が、1990年に入って始まった株価の暴落をきっかけとして、地価の大幅下落、さらには出口のみえない不況へと下降を始めたところにあるだろう。しかも、政府や日銀は不況の認知や対策に後手、後手と回り続けた。諸官庁はそれでも以前として縄張り争いをやめず、政治家ときたら、相次ぐスキャンダルで自分の身の始末にせい一杯というありさまである。こうして、 "政治は三流、経済は一流" といわれていた日本の経済と産業は、いっぺんにその評価を国際的に下げてしまったのである。日本恐るるに足らずという見方が台頭して来たとしても当然であろう。
だが、対日批判・攻撃のトーンが落ちてきた理由はそればかりではない。米国は、どうやら自国の産業の未来に自信をとりもどしはじめたようである。なるほど、米国のコンピューター業界は、日本よりもかなり早く不況に突入していたが−−そしてIBM のような巨人は、依然としてその後遺症に苦しんではいるが−−不況からの脱却も日本よりずっと早かった。先に見たギルダーのような米国の情報通信産業の未来に対する楽観論は、米国の中では今や次第に常識化しつつある。それと共に、米国は、第三次産業革命、情報革命のリーダーとしての自信をとりもどしつつある。考えてみれば、コンピューターのハードやソフト、とりわけ、最先端のパラレル・コンピューターやスーパー・コンピューター、あるいは通信のディジタル化やネットワーク化等では、アメリカは、ライバルの日本に何年も先行していることは、日本のマスコミはともかく、その方面の専門家なら誰しも認めるところである。(7) その意味では、これから考えられるアメリカの対日姿勢の変化としては、保護主義に走るというよりも、こうした優位の回復・確立の自信に裏付けられて、通商政策その他で、日本に対して断固として市場開放をせまるといった、一段と“強腰”の態度をとるようになるということではないだろうか。
第三の理由として、米国民のより一般的な社会意識の変化をあげることができる。歴史家のアーサー・シュレジンジャー父子によれば、米国の政治は、ほぼ15年おきに、私的問題から公共的な問題への関心の移行がおこり、ほぼ30年でこれが一巡するという [シュレジンジャー88] 。1970年代の後半から1980年代にかけては、米国人の関心は、もっぱら私的な問題に向かう傾向があった。いわゆる "ミー・ジェネレーション" の時代である [佐藤81] 。それが、1990年代に入るころから、1960年代初頭のケネディ時代と同様に、米国人の関心は次第に社会的問題に向かうようになっていったのである。アメリカの変革を旗印とする民主党のクリントン政権の登場は、まさにこのようなアメリカ人の社会関心の変化に合致したものであった。今やアメリカは、自国の世界的リーダーシップを堅持するという決意に燃えて、冷戦後の "資本主義間競争" に備えるべく、国家安全(National Security)は国家競争力(National Competitiveness)にありという観点から、先端技術の開発や労働者の再教育を通じて自国の産業の再編成に努めようとし始めたのである。(8)
(二) 米国情報通信産業の躍進を示す最近の主要イベント
ここで、米国経済は、情報通信産業を次代の主導産業として再生しようとしており、その戦略的なテコとして期待されているのが、「全国情報インフラ」の建設だ、という仮説をおいてみよう。そして、そのような視角から、過去二年ほどの間の出来事で、重要な意味をもっていると思われるものを列挙してみよう。といっても、以下に掲げるのは、たまたま私の目にとまった出来事だけであって、それが重要な出来事のすべてだというつもりはない。一つの例示として見ていただければ足りる。
1)テレビの新パラダイム:マックワールド・エクスポ・東京とNAB 全国大会
まず、1991年2 月14日、東京幕張で行われた MacWorld Expo/Tokyoで、ジョン・スカリーが「90年代マルチメディアのビジョン」と題して行った基調講演の要旨を紹介しよう。スカリーはまず、コンピューターと通信技術と情報の間に、パラダイム・シフトとでも呼びたくなるような相互収束が起こりつつあると指摘する。すなわち、
また、電話のパラダイム・シフトについていえば、電話は、20世紀の初頭に目新しいものとして登場して以来、20世紀半ば以後にはビジネスに不可欠なツールとなるまでに進化をとげてきたのだが、さらに1980年代以後には、日常生活に不可欠なツールとみなされるにいたった。
同様なパラダイム・シフトが、今、テレビの世界でも起こりつつある。1950年代初頭のテレビは、限られた数のチャネルと番組による「ブロードキャースティング」の手段とされ、視聴者はもっぱら受身の形でテレビに対していた。それが、1980年代には、地上波による放送に、ビデオとケーブルテレビが、さらには衛星放送が追加された、マルチチャネルの「ナローキャースティング」への時代への移行が生じた。これによって視聴者は多数の番組と豊かな色彩を享受できるようにはなったが、まだ受動的な存在にとどまっていた。ところが、1990年代に入るころから、テレビのパーソナル化と対話型化が始まり、同時に、画像のディジタル化によって、自由に画面の大きさを変更できるスケーラビリティもテレビに付加することが可能になろうとしている。しかも、このような変化が、情報伝送のマルチメディア化と並行して進んでいるのである。
今後、マルチメディアを新時代を主導する産業として成功させるためには、メディアの統合化、すなわち、コンピューター技術と家電技術の融合が必要だというのが、スカリーのビジョンである。(1)
テレビのディジタル化のビジョンは、4 月に行われた全米放送業者協会(NAB) −−といっても、今日ではコンピューター業界などもこれに参加するようになっているが−−の全国大会でも確認された [Latta 92] 。半世紀におよぶアナログ・テレビの時代は、20世紀いっぱいで終わろうとしており、米国のFCC(連邦通信委員会) は、その変化を加速させる上で指導的役割を演じている。すでに、あらゆるニューメディアはディジタル化の方向に向かいつつあり、アナログ・ビデオは、旧時代のメディアの最後の砦なのである。テレビのディジタル化は、消費者の金を巻き上げようとするもう一つのたくらみなのでは決してない。それによって、家電機器や番組制作や放送は、根本的な変化をこうむらざるをえない。そして、もう後戻りはできない、というのがNAB の全国大会に結集した関係者たちの、一致した声だった。
そうした変化のきっかけとなったのは、1990年の9 月にゼネラル・インストルメント社が、ディジタル・テレビのシステムを発表してからのことにすぎない。それ以前のHDTVは、日本のNHK が1964年以来 (正式には1970年以来) 、総計千数百億ドルの巨費を投じて開発にあたってきたアナログ方式のものであり、アメリカも不承不承ではあったが、NHK のものに近い方式を取ろうとしていたのだった。だが、1990年の秋以来、ディジタル・テレビは、まさに "週進月歩" の速度で変化につぐ変化をとげており、FCC は、ディジタル・テレビの標準設定のための委員会を設置して、標準化の作業を開始した。もっとも、FCC は、依然として "高度テレビ・システム(Advanced Television System)" という、アナログともディジタルともつかないような紛らわしい呼称を捨てていないが、実際の標準の設定過程では、FCC の選択がディジタル・テレビにしぼられていくことは確実である。 (現在提案されている、五つのシステムのうち、NHK の提案しているもの以外の四つは、すべてディジタルである。) 望ましいシステムについての、委員会の勧告は、1993年の6 月になされるだろう。(2) NAB の全国大会でも、1991年には、人々の注目はさまざまなHDTVシステムの技術的細目に向けられていたが、1992年の大会では、HDTVはすでに現実のものとなりつつあり、放送業界は重大な意思決定をしなければならなくなっているという空気が、支配的であった。ある発言者は、新HDTVの市場が出現するのは、ディジタル・テレビ放送の標準が決まった二年後、つまり1995年だと予想した。 この大会で最も注目を集めたのはMIT のニコラス・ネグロポンテ(Nicholas Negroponte) の、 "テレビの技術的未来" と題する講演であった。彼は、その中で、テレビの進化は、それが "ハイ・ディフィニション" となることで起こっているのではなくて、ディジタル化することで起こっているのだと喝破した。そして、そのさいに起こる根本的な変化は、通信システムのインテリジェンスの存在する場所が、トランスミッターからレシーバーの方に移動することだと指摘した。レシーバーがインテリジェンスをもつディジタル・テレビにおいては、走査線の数やディスプレー画面の縦横比などは問題ならない。それらは、変更可能な "変数" になってしまうからである。そして、受信者は、自分がたとえば20メガビット/ 秒の帯域をもっているとするならば、その割り振りは自分で自由に決められるようになる。アナログのテレビやラジオの受信、データ通信などに分けて使うことも自由なのである。ディジタルHDTVのリアル・タイム受信に必要な帯域をフルに使うことは、フットボールのゲームの観戦といった時くらいだろう。他の大抵の場合には、テレビ番組は、 "バースト" で、ほとんど瞬時に全体を受信してしまうことができるからである、等々。そして、ここでも、ネグロポンテは彼の持論である、 "空と陸の場所の交代" 論、つまり、稀少な資源である無線の周波数は移動体通信用に割り当てられることになり、放送は有線を、それも "交換" 型の通信システムとして利用する方向に変わっていくだろうと予言し、テレビのチャネルの数は一本あれば足りるのであって、何十何百のチャネルができると考えるのはナンセンスだと論じた。(3)
ネグロポンテは、その講演を、次のような予言で締めくくった。日本は、後八ヶ月のうちに−−つまり、1992年中に−−ハイビジョンを棄てるだろう。ヨーロッパは、すでに事実上アナログを棄てている。ヨーロッパのHDTVの方式として決定されたHD-MACとD2-MACに関する法規には、「ディジタルに移行しない場合には」という限定句がすべりこまされている。ヨーロッパは、バルセロナ・オリンピックが終われば、全面的にディジタル化の方向に転換するだろう。米国の状況はより複雑だ。たった五年前には、日本と同じMUSE方式で行くといっていた。二年前にFCC に提出された新方式のテレビの提案は、すべてアナログだった。それをひっこめてディジタルにしようと言いだしたのは、ジェネラル・インストルメント社の勇気ある行為のおかげだった。だが、今FCC に提出されているディジタル・システムは、ハイディフィニションのことばかり考えているシステムなので、どれ一つとしてものの役に立つものはない。大事なことは、日本のシステムか、ヨーロッパのシステムか、アメリカのシステムかといって争うことではなく、真に国際的に協力して発展させられるシステムであって、しかもネグロポンテが上に述べたような "スケーラブル" な特性をもっているディジタル・テレビを開発することであって、現時点でいえば、MPEG( =Motion Picture Experts Group) だけが、その基準を満たしている。そのMPEG Iは問題にならないが、MPEG II には希望がもてる。恐らくこれが、今後の本命になるのではないだろうか [Negroponte 92]。(4)
2)新産業パラダイムに向けて:コラボレーション '92
1991年の秋に制定された "高性能コンピューティング法 (HPCA)"については、次章で解説することにして、ここでは、次に、1992年の 6月にグラフィックスの関係者の団体GCA(=Graphic Communications Association) が主催してサンフランシスコで開かれた "協働(Collaboration) '92"をテーマとする会議について、一言しておこう。
この会議の開催の呼びかけの中で、議長のクリストファー・ロックが行っている次のような指摘は、注目に値する。すなわち、1980年代に喧伝された数々のハイテクは、何一つとしてアメリカの産業界の救いにはならなかった。しかし、ここへ来て、 "真のパラダイム・シフト" が生じつつあるという自覚のもとに、産業界は必死になってこの決定的な変化と取り組み始めている。なるほど、この変化がつまるところ何を意味するかという点については、まだ大方の合意がえられるにはいたっていないが、今日の産業の競争力を規定している中心的な要因が、純粋に技術的なものや経済的なものというよりはむしろ、産業の抱えている人的資本の効果的な開発配置力にあることだけは、はっきりしてきた。ロックはそう述べた後で、今日の企業組織の中での人間的な理解という面に焦点をあわせたいくつかのバズワード、つまり専門的なひびきのする流行語、を紹介している。曰く、
トータルな品質管理、組織の再設計、コンカレント・エンジニアリング、リーン・プロダクション、柔軟な専門化、学習する組織、 "無境界" 組織、 "情報化(informated)" 組織、従業員のかかわり合い(involvement) 、参加型管理、自己管理型作業チーム、協働技術、作業グループ・コンピューティング
そしてロックは、これらのバズワードのどれ一つとして、現在進行中の転換の本質を把握しきっているわけではないにしても、そのおのおのが、人間のする仕事とより人間的な仕事場についての首尾一貫した強力な新ビジョンの出現を示唆しているという。しかも、これらのバズワードを全体としてみれば、そのような新ビジョンの普及を真に妨げているものは、技術的な要因というよりはもっぱら [アメリカ特有の] 文化的な要因だということに、内々ではあれ合意できるだろうという。そして、必要とされてはいるが困難でもあるこの変化は、われわれがどのようなコンピューター/コミュニケーション技術、つまり "情報技術" を今日採用するかによって、推進されもすれば阻害されもする、と断言しているのである。つまり、ロックは、アメリカの産業界の "パラダイム・シフト" を推進する戦略的な要因を、アメリカが採用する "情報技術" に求めているのである。
3)インターネットの指数的成長:INET '92
1992年の 6月に神戸で開催されたインターネット協会の第一回国際大会には、私もたまたま参加する機会を得た。この大会は、世界70ヶ国から600 人以上が参加して行われたが、そこでは、全体共通のセッション以外に、四つのトラック
1.各地域の現状 2.政策問題 3.アプリケーション 4.技術 に分かれた分科会が同時並行的に行われ、私は、もっぱら政策問題のトラックに参加した。以下は、私自身のごく限られた見聞と、そのさいに作成した主観的な記録に基づいた、大会の紹介である。
まず、 "インターネット" について、ごく概括的な説明を加えておこう。インターネットとは、個々のコンピュータとそのユーザーたちが、局所的・地域的なネットワークを作り、さらにそれらが全国的・世界的に連結するところに生まれる、ネットワークのネットワークがそれである。それは、単一の中心がないという意味で分散的な、また、全体の一元的な管理者もいないという意味で分権的な、ネットワークである。
相互に連結したコンピューターのネットワークのネットワークといっても、実はいくつも存在する。一つに連結しているものでも、内部の通信プロトコルが複数個存在しているものもある。ここでは、ごくおおまかに、アメリカを中心として、主としてTCP/IPとよばれるプロトコルによって結び付けられているインターネット (ジ・インターネットと通称されている) に話を限定しよう。
この意味でのインターネットの形成は、1980年代の初めに米国の研究機関を中心に起こり、ヨーロッパがそれに続いている。1988年ごろから、年々倍増の勢いにあり、今年の 6月には、互いに連結したコンピュータ(ホストという)の数は、90万台をこえた。インターネット協会のサーフ会長(Vinton Cerf) によれば、今世紀末までに、ホストの数は数十億からことによると数百億にも達するかもしれない。(実際、年々倍増する成長が10年続けば、10年間の総増加率は軽く1000倍をこえてしまうのである。)コンピューターの数が世界人口を上回ってしまう可能性があるのは、オフィスに、自宅に、車に、ポケットにと、一人が何台ものコンピューターをもって使いだすと考えられるからだ。いたるところにコンピュータがあり、それがいたるところのコンピュータとつながっていくのである。
では、それで何ができるようになるのか。まず、ネット上のどの個人や集団に対しても、電子メールが出せる。公開されているどのデータベースからも、情報が引き出せる。よそのコンピュータの情報処理能力を借りることができる。しかもそれが自分の目の前のコンピューターを動かすのと、事実上変わらない速度で可能になる。要するに、誰でもが情報を自由に処理して、知らせたいことを知りたい人に、すばやく、安価に、そして安全確実に知らせられる仕組みが作られようとしているのだ。
以上はインターネットの基本サービスだが、それをもとにして、これからはさらに高度で多様な情報処理サービスが付加されていくだろう。たとえば、自分が関心をもっている情報を世界中のデータベースから自動的に集めてきたり、それを自分の理解できる言語に翻訳したり、グラフその他のみやすい表示に変換したりしてくれる、といった具合に。また、世界中にちらばっているグループのメンバーたちのための、活発な情報交換や効果的な協働作業を支援するサービスも、さまざまな形のものが提供されるようになるだろう。この種のサービスを多くの人が気軽に利用できるようになる時、そこに出現する情報サービス市場の巨大さは、想像にあまりある。
インターネットは、未来の情報社会の最も基本的な情報インフラになるだろう。私の予想では、情報社会では、商品の生産販売を通じて富を追求する "企業活動" とならんで、情報の創造通有を通じて智(的影響力)を追求する "智業活動" が普及する。企業活動の場が "世界市場" だとすれば、智業活動の場は "地球智場" とでもよべるものになるだろうが、インターネットはなによりもまず、この地球智場にとって不可欠な情報インフラになるだろう。情報の通有の場としてのインターネットの中核に、広義の "研究教育" ネットワークがおかれることの積極的な意味は、そのような文脈で理解すべきだろう。
さて、ジ・インターネットを利用している人々が集まって1991年の 6月に結成したInternet Societyは、1992年 5月現在、1000人と少しの会員をもっている (米国750 、欧州150 、日本100)。インターネット自体には、92年 6月現在、107 国の 500万以上のユーザーと 918500 のホストが接続している (そのおおまかな内訳は、BITNET 3500, FIDONET 12000, UUCP 13000, TCP/IP 890000 といったところである) 。
協会の著名な会員の一人Landweber の報告によれば、インターネットの普及に関して、今一番エキサイティングなことが起こっている地域はアフリカと東欧だという。冷戦後体制の特徴として、旧ソ連とバルト三国が熱心に加入しようとしており、それと共に西欧への普及も加速して、現在、西欧だけでもIPホストは 182000 にのぼったという。将来は太平洋地域でも顕著な進展が見られることが期待されている。今は世界の国の中の半分しかネットワークに接続していないが、近い将来世界のすべての国が接続するようになり、グローバルな情報サービスが可能になるだろう。そうなると、コミュニケーションによる紛争解決も夢ではなくなるかもしれない。
次に、ネットワークの接続政策をめぐるバネル討論の中でのめぼしい発言を拾ってみよう。まず、これまでは、ネットワークの成長が線型だと思って政策を考えてきたが、実際は、これからの成長は指数関数的になっていくので、それへの対応が必要だという指摘があった。また、1987年に英・独・米の少数の関係者が集まって作った組織であるCCIRN における国際研究ネットワークの調整の教訓として、当初は、地域内の通信なら費用も安く、大量に行うことができ、関係者の間の合意もえやすいと想像していたのが、大きな間違いだったと分かったという発言もあった。通信の費用はむしろ大陸間が−−つまり米国とつなぐ方が−−安いくらいだったというのである。いずれにせよ、欧州では、資金や政策の問題はさっぱり解決されていないが、これが、アジア太平洋になるとさらに大変だろうと予想されている。米国では、欧州に比べて、ネットワークの利用に対する規制が少なく、研究開発機関への開放も進んでいる。ところが、欧州内部の接続に対しては、さまざまな規制や制約が多い。ということは、ネットワークの階層の上にいくほど制約が少ないという構造があることを意味する。もっとも、アメリカ自体の内部でいえば、欧州と逆に、ネットワークの階層の上になるほど、政策的制約が強くなっている。また、ネットワークの構造としては、アメリカでは当初、ネットワークのバックボーンにあたる部分について、二層のツリー構造を構想していたのだが、実際に実現したのは、ツリーではなく、横の接続のある構造だったし、ナショナル・バックボーンも一つではなく三つできたという (NSF,エネルギー省、およびNASAのバックボーンがそれである) 。この三つは、それぞれが別の運用政策をもちながら、しかも相互接続している。さらに、それらが欧州および太平洋とつながっているので、その複雑さは想像にあまるものがある。しかし他方では、この現状は "creative anarchy" だという意見もある。それにしても、インターネットの利用は、これまで研究目的に限られていたのが、近年では、商用利用も認められつつあるので、それに伴うネットワークの規模と多様性の増大の結果、当初の相互接続性が失われたり、動作が不安定になったりする状況も出てきている。相互の協力によるやり直しが必要ではないだろうか。指数的成長の時代に、協力がなければ、すべてが壊れてしまう危険がある。だが、そうはいっても、世界的なインターネットのレジームとしては、ヨーロッパの考えたPTT 中心の制約の多いものではなくて、米国の考えた "自由な" インターネット方式が拡がってきていることは、注目に値する。今後も恐らくこのレジームが世界の主流であり続けるだろう。
次に、Lotus Corporation の創立者で、現在は EFF (Electronic Frontier Foundation) の会長をしているMitch Kapor の基調講演を紹介してみよう。彼によれば、現在最も 広く普及しているコミュニケーションの方式である電子メールは、お互の連絡程度ならともかく、本格的なグループ活動にはむかない。したがって、これからは、インターネットの上で、すぐれた電子会議用のアプリケーションが提供されるなど、各種のグループウエアが開発・利用されていくことが望ましい。また、ネットワークの運営を純技術的に行うことはやめた方がよい。より広い展望をもって、コミュニティの形成をめざしていくことが大切である。ネットワークに関する研究テーマももっと拡げる必要がある。たとえば、より有効なコミュニケーションの仕方を研究することは、緊急の課題の一つである。電子会議は討論には便利だが、決定に到達するには不便なので、この困難を解決してくれるコミュニケーションの方式の出現が望まれるのである。
インターネットの利用政策に関するセッションでは、次のような発言が私の関心を引いた。プリンストン大学で、ジョン・フォン・ノイマン・ネットの運営にたずさわってきたSergio F. Heckerによれば、インターネットはこの六年間にすばらしく発達した。技術的に大きく変わり、ネットワークの統合が可能になったばかりか、運営面にも変化があった。プロトコルやツールがより容易なものになった。法的な側面でいえば、これまでは政府の全面支援ネットワークだけだったのが、範囲が拡がり、部分支援のものや、商用ネットワークまで、インターネットに入れるようになり、ほぼ同様なサービスを提供し始めている。このため、インターネットに関連する新しい市場が開け、多様な価格で多様なサービスが提供されるようになってきた。現在インターネットに加入している世界中の5000にのぼる自律的なネットワークの中には、営利目的での使用を制限しているものが多いが、中にはまったく規制のないものも少なくない。そのため、エンド・ユーザーにはどこにどんな規制があるか分からないのが現状だ。他方、利用の目的や仕方が悪いといってこれを強制的に規制する実際的に有効な方法はないことも事実だ。そうだとすれば、営利目的での利用に対する制限の方を、むしろ撤廃すべきだろう。
基調講演を行っただけでなく、このセッションの発表者ともなったMitch Kapor の考えでは、今後の鍵となる政策問題は、研究ネットワークを研究用と商用のハイブリッド・ネットワークにすることである。これがうまくいけば、いまだに商用インターネットのない日本にも、それを作ることが可能になるだろう。現に、大学や研究所の外にいてインターネットを利用したがっている人の数はふえる一方だ。またその権利もある。インターネットの利用を研究教育目的だけに限定しようとする政策は、一見単純に見えるが、実際問題としては目的の分けようがない。つまり、理論と実際は乖離しているのである。しかもインターネットは分権的なネットなので、かりに、研究教育以外の目的に利用しているユーザーがいることが分かったとしても、強制的にその人を排除することはできない。結局、正直者が損をするのが現状なのだ。それに、インターネットの上での各種のサービスの提供をビジネスにしている人がいるとして、そのサービス自体は誰のためのサービスなのか。もちろん研究教育関係者を対象として、営利としてのサービスを行っている場合も考えられる−−大学の中の食堂や売店のように−−が、研究教育関係者に有用なサービスまで規制しろというのだろうか? Kapor たちが作っているインターネット・サービスを商業的に提供している会社の連合体であるCIX(Commercial Internet Exchange) の場合、研究教育目的での利用に限定されているバックボーンはバイパスしている。従って、そこでの規制とは無関係にビジネスをしている。いってみれば、自由貿易ゾーンのようなものだ。概していえば、ネットワークの商業化はよいことだと思うが、人々がインターネットを利用する目的はいろいろありうることにも注意すべきだろう。たとえば、インターネットが布教の場として使われるとすればどういうことになるか? これは、非常に興味深いケースである。(5)
Kaporはまた、日米を比較して、アメリカの電話の失敗はISDNを作れなかったところにあり、この点では日本にしてやられたが、逆に日本の問題は、データ通信のネットワークのバックボーンや国際的連結を作れなかったことにある、とも指摘した。
次に、インターネットの未来をめぐるセッションでは、サーフ会長が、インターネットは現在すでに指数的に成長中だとした後で、次のような予測を示した。すなわち、インターネットは、現在すでに、ホストが百万、ネットが万、ユーザーが500 万、ルーターが万、ファイル、メール、双方向コンピューティング、データベース等のサービス−−音声と画像のサービスはこれからだが−−の提供者が百から千、のオーダーになっている。今後10年の間には、10の巾乗数でいうと、ユーザーが9(9)、ネットが8(8)、ホストが 8(10)、ルーターが6(8)、サービス提供者が 3〜4 ということになりそうだ (括弧の前が普通の予測、括弧の中がいわゆる "遍在モデル" を前提とした予測である) 。現在の電話は、世界に 6億ほどあるが、今後ネットワークの数が、10の8 乗とか9 乗といった数になると考えると、これからの世界は電話の代わりにネットワークがあって、リモート・アクセスや音声・ビデオやTV会議のサービスをしているという未来イメージができそうだ。さらに、未来のネットワーク・サービスは、ディジタル図書館/ 出版、ノーボット・サービス、マルチメディア郵便から、CAD/CAM 、ネットワーク製造、取引、情報サービス、さらには、分散ゲーム、移動個人コミュニケーション、録画済みビデオの注文送信などへとひろがっていくだろう。いずれにせよ、インターネットの進化の方向は、急速な発展と多様性と相互接続性をその特徴とするものになる。
なお、Cerf会長のプレゼンテーションを受けた後の討議の中で出された論点では、電子メールにはプライバシーが欠如しているという問題や、今後は国際制裁の手段として、情報通信インフラを機能させなくする可能性−−今、ユーゴーへの国際航空を制裁としてとめているのと似たようなことが電気通信に起こる可能性−−、あるいは、小説を電子的に送ることは、コピー権の違反にはならなくても、実演権の違反になるとか、電子メールに「封」をするにはどうすればよいか−−それもそもそも政府に解読の鍵を提供しないで通信文を暗号化することは違法な国もあるという状況の下で−−などが、私の興味を引いた。(6)
次に、ネットワークの地球的拡大に関する討論の中から、いくつかの論点を紹介しておこう。まず、国際組織としてのCCIRN ( "カーン" と発音する) は、1988年の 5月、真に開かれたグローバルなネットワークを構築すべく、とくに米国と欧州の間の調整を行うために、ネットワーキングの政策問題を議論する場として設立されたが、その後次第にそれに加入する地域代表の範囲が拡がり、アジア太平洋地域の代表 (豪州、日本、韓国) も加わって、現在では 140ヶ国が加入しているという (南アメリカの加入はペンディング) 。アジア太平洋地域のCCIRN の議長は、日本の浅野正一郎教授となっているが、韓国の委員の発言によれば、実際には機能していないようである。CCIRN は、フォーマルな構造のない、ボランタリーな組織であるために、組織としての意思決定はしない。強制力のない合意形成機関にとどまっている。しかし、政策や立場について声明を発表したり、戦略的な選択について推薦を行ったり、調整のためのガイドラインを提案したりすることで、それなりに機能している。最近ここで議論されたテーマには、 "アクセプタブル・ユース" の問題やネットワークの管理問題、マルチプロトコルの支援問題、ディレクトリーやファイルのサービス問題、国字セットの問題、アクセスのコントロールやネットワークの統合性などの問題がある。会合は年二回定期的に行われて、協働作業の促進に努めているが、最近では、自分自身の技術的な腕(the IEPG)もつくった。これまでの実績としては、大陸間専用線に関する政策の決定と採択や大陸間リンクの調整と計画などがある。今後の役割としては、当面のイシューとなっているインターネットの地球化、商業化、地域化などの問題に対処しつつ、アクセプタブル・ユースの問題やネットワーキングの倫理、規制などの問題を議論していくことが期待されている。
インターネットに関わる国際組織としては、その他に、1990年に発足したIntercontinental Engineering and Planning Group というのがある。このグループには、100 万以上のコンピューターが接続していて、 4〜6 カ月で倍増する勢いにある。会議では、グローバルなrouting, DNSとディレクトリー・サービス、登録問題等が議論されている。また、 UUCP, OSI, その他の非IPのインテグレーションも考えている。
インターネットの利用政策をめぐる議論に関しては、現在NSF の委嘱を受けてネットの運営にたずさわっている団体であるANS のGuy Almes の発表が参考になった。彼は、研究教育用のネットワークト商用のネットワークは、今後調整され統合さるべきだと主張し、その論拠として次の点をあげた。
まず、インターネット自体の歴史だが、1969年から85年までのいわゆるARPAnet の時代のそれは、すべてDARPA (Defense Advanced Research Project Agency)の資金に依存し、国防にかかわるコンピューター科学関連の研究と資源の共同利用が中心だった。つまり、狭い焦点と狭い資金基盤がその特徴であり、回線速度も50KBしかなかった。その間、次第に拡大が見られ、非コンピューター科学の研究、教育や、企業でのDARPA 関連の研究などにも用いられるようになったが、資金基盤の拡大はなかった。ようやく1986年になって、ネットワークのバックボーンがNSF(National Science Foundation)の資金でまかなわれるようになり、ARPAnet はNSFnetへと模様替えした。また、ミドレベルのネットワークには、NSF の資金の他に、それ以外の多様な資金が入り、支援される研究の範囲が広がったばかりか、教育もや産業でも使われ始め、回線速度も早くなった (バックボーンには、1.5 メガのT1が入った) 。さらに近年では、地域ミドレベルネットの急速な拡大が起こると共に、バックボーンの回線速度もT3 (44メガ) へと増大した。現在ではさらに、支援される研究教育(RE)の範囲の急拡大やユーザーの多様化 (種類、地域) が進行している。営利目的での利用(CO)も容認される方向が出てきたし、ネットワーク自体はグローバルな広がりを見せ始めている。そこで、未来の姿だが、一方の極は、RE/CO が統合されると共に、RE中心で拡大を続けることだろう。中間の形は、REとCOが一応区別されつつ、その間の調整と完全な相互接続が実現することである。他方の極は、両者が別々なままに発展して、規模の経済 (資金と市場の相乗効果) のえられない形だろう。その中では、中間形が最善ではないだろうか。大切なことは、研究開発ネットワークと生産ネットワークが結合することであって、それに反対して、企業が営利目的で研究ネットを搾取するというのは、とんでもない誤りである。その意味では、これからのインターネットの健全な発展をうながすためには、その調整者として、これまでのCCIRN とIEPGに加えて、商用ネットの運営者の団体(CIX=commercial internet exchange) も加える必要がある。なにしろ今後は、大学でインターネットを使って育った学生が、企業に入っていくのだし、彼らは当然、日々のビジネスの中でもインターネットを使いたがるようになるだろう。また、ネットワークが今日ではグローバルな拡がりを見せつつあるという点から考えると、インターネットのグローバルな調整機構は絶対に必要である。電話でも郵便でもそれがあることを考えれば、その必要性は明らかだろう。インターネットは今、その歴史の中での大きな転換点にたっている。(7)
大会の最後には、インターネットにかかわるグローバルな問題を論議するパネル討論が開催され、パネラーからは、次のような論点が提示された。
三日にわたる大会に参加して、私は、インターネットの未来に関して、次のような感想をもった。
@全体としての感想
INET'92 はとてもインプレッシブだった。 "exponential growth" という言葉を久しぶりに聞いた。プロフェッショナル・グループの暖かい雰囲気も感じがよかった。なにより、1992年は、インターネットの爆発の年、あるいは変質の年として記録されるだろう。
それにしても、インターネットへの接続の遅れている日本で第一回の大会がどうして開かれることになったたのか不思議だったが、会議の運びや事務局の献身的な世話ぶりをみて、こういうところに、日本の長所があるのかなとあらためて思った。つまり、日本あるいは日本人は、グループ活動の "幹事役 (manager, secretariat)"としては、非常にすぐれた才能を発揮しがちなのだ。
A日本でのデータ通信ネットワークの特徴についての感想。
米国の場合、広域的なコンピューター・ネットワークとしては、次の四つがからみあって発展してきた。
Bインターネットの未来についての私の評価
インターネット型のコンピューターの "ネットワークのネットワーク" は、私のいう "智のゲーム" 時代のゲームの場、つまり "地球智場" になる可能性がある。つまり、インターネットは、グローバルな、知識の通有・評価の場所となって、そこで、そして、知的影響力の獲得競争が行われ、それを通じて、未来のポスト・モダン文明が生まれていくのではないだろうか。今日のわれわれは、そのフロンティアを開拓しているのだ。その意味では、インターネットと産業とも関係−−産業社会の情報インフラとして、あるいはソフトウエアの流通市場としての−−も重要だとはいえ、第二義的なものでしかない。ましてやインターネットと国家との関係−−国防力や国際競争力を増進するためのインフラとしての−−は、第三義的なものでしかない。これからの国家は、国防や国際競争力の増進の主体というよりは、国際協力の主体になってほしいものだ。真に重要なのは、企業と智業の間の協働であり、また、智のネットワークを通じての各種の主体相互間の "コエミュレーション" なのだ。その意味で、アメリカがインターネットの構築やそのための標準の形成にに先鞭をつけたことは、高く評価したい。
4)ディジタル・ワールドの形成:第三回ディジタル・ワールド大会
次に、1992年の 6月にロサンゼルスでシーボルド社の主催で開かれた、第三回ディジタル・ワールド大会で行われた議論の一部を、その模様を報告したニューズレター [Seybold92]からの要約によって紹介しよう。
この会議の意義は、通信のディジタル化への収束の方向がもはや決定的であることが、確認された点にある。そのことは、ニューズレターの編集者 Denise Carusoが、その序文の表題を「決定的瞬間での出会い−−転換期を目撃する」としているところからも知られよう。もちろん、収束が、どのような経路をへていつごろ完了するかは、まだ不明確であり、大会参加者の間での意見もさまざまだった。それでも、次のいくつかのコンセプトの重要性については、参加者の大方の意見が一致したのである。
まず、インテル社社長のアンドリュー・グローブは、この“収束”を駆動しているのは人々の恐怖と貪欲、「乗り遅れては大変」という意識だと喝破した。この時期の特徴は、現実の成長率がその期待値より低くなる点にあり、実際問題としては、企業間の競争や食い合いが激しくなるとグローブはいう。そして、マルチメディア通信において、消費者が満足する品質の画像を送信するための圧縮が可能になるまでにはまだまだ時間がかかるので、収束の開始は、消費者でなくてビジネス界の強い必要に答えられるようになった時、つまり、高価で低品質の画像ではあっても、企業用にならば何とか我慢できるだけの質をもった電子メールとテレビ会議が可能になった時に起こるとした。たとえば、インテル社は現在、双方向のビデオ処理を可能にするDVI =digital video interactive を製造するにいたっており、テレビ会議用のソフトも、まだ速度は遅いが、企業用にはそれで十分だろうと述べた。いいかえれば、消費者市場は当分立ちあがらないにしても、企業の需要であれば、インテル社のチップをのせたPCですでに満たせるとした。
これに対し、米国のCATVの85% をおさえている、CATVコンソーシアムの研究部門であるCableLabs のリチャード・グリーン社長は、消費者が満足する水準のビデオ圧縮技術は、もうほんのそこまできている(just around the corner)と述べた。彼は、1994年までにビデオ伝送をディジタル化して、"pay-per-view digital movies" を提供することによって、現在110 億ドルの規模に達しているレンタル・ビデオ市場を食いたいと述べた。グリーンの目論見では、ディジタル信号化すると必要伝送容量は8 倍になるが、回線の光ファイバー化によってそれに対応することが可能 (価格は同軸ケーブルと同程度にまで下がってきた) なので、電話会社のように広帯域需要の立ち上がりを待ったりはしないで、まずFSA =fiber to the service area (250〜500 世帯) からスタートする。それ以後順次、HDTVや双方向通信などを提供していくつもりだが、そのためにも、他産業、とりわけコンピューター業界の協力に期待したいという。彼の考えでは、個人、家庭、企業、政府を結ぶ高速データ・ネットワークとして第一の優先度を与えられるべきものは、
コンピューター+ケーブル+公衆ネットワーク
という組み合わせのものであって、そのための規格 (プロトコル、パケット構造、誤り訂正等) のガイドラインをCableLabs が作って、広くクロスライセンスすることによって、 "協力による遍在" を狙う。相互接続のための作業はすぐにも開始するつもりだが、その対象となる電話、セルラー電話、衛星、コンピューター・ネットなどの間の協力のための開放的姿勢を堅持するつもりだ。なにしろ、ケーブル業界が外からの提案に対してこんなに開かれた姿勢になったのは、これまでついぞなかったことなのだ。
第三のスピーカーは、ソニー・アメリカのロン・ソマー社長である。彼は、今やソニーもディジタル領域に参入しようとしているとして、家電と情報通信の境界がなくなったことの問題を、次のように述べた。つまり、古いニッチが消滅して、消費者向けとか企業向けといった境がなくなってしまうために、突然勝手がわからなくなってしまい、自分がこれまでいた業界に今や入っていないという感じをいだくようになるというのである。したがって、これからは、古いニッチの神通力などもはやあてにしないで、
{コンピューター、通信、家電}という三つの業界が、 →{個人娯楽、情報通信関連製品、双方向の家庭用情報娯楽システム}をめざした連合を組み、失敗を恐れず試行錯誤する以外に生き残る道はない。 続いて、アップル社のジョン・スカリー会長は、昨年中に共通の了解に達したこととして、
こうした未来を実現すべくIBM が準備する技術は、彼女によれば、scalable high-speed servers やgigabit digital switchesからset-top decoder box にまで及んでいる。そのさい、IBM としては、ビデオの圧縮規格にはこだわらず、標準になったものをサポートするつもりである。IBM は今、このような未来ビジョンにもとづいて、広く提携相手を物色中であり、カナダのRogers Cableと、Bell Southとの提携は、すでに確定し、今、Time Warner と交渉中だという。
基調講演のしんがりをつとめたのは、芸術家であって映画製作者のアリー・ウィリスである。彼女は今、 CD-ROM ベースのインターアクティブ・マルチメディアに夢中なのだが、既成のものは退屈だという。なぜならば、今のインターアクティブ製品は、情緒、暖かさ、hipness[新しい物好き] 、洗練などを求めるテレビ・ラジオ世代の高度な要求には答えていないからである。そこで彼女は、その種のマルチメディア製品の制作に芸術家を参加させよと主張する。そうすると、全く新しい芸術形態が生まれ、映画もテレビも音楽も、永久に変わってしまうだろうというのである。しかも、そうした作品への需要はすぐにでも生まれるのだから、要するに供給さえあればよい、というのが彼女の結論であった。
次に、この大会の最終セッションでの発言者の発言を見てみよう。
まず、マイクロソフト社のネイサン・ミールボルド副社長は、ディジタル・ワールドへの道は、ディジタル・メディアであって、これは、印刷、コピー、DTP 以上の革命だと述べた。ただし、その道は平坦ではなく、いろんな利害の衝突や見解の食い違い、あるいは産みの苦しみでいっぱいの道でもある。ともあれ、ディジタル化の第一段階はCDオーディオであり、第二段階が専用システム(PDAやマルティメディア・プレヤー) になるだろう。しかし、同時に彼は、かつてのワープロ専用機が、今は姿を消してまったことを忘れてはならないとも警告した。
続いて、アップル・アドバンスド・テクノロジー・グループのマイク・リープホールドは、未来の "wired home" は、各社単独ではやれない、日本式の "後に競争するための協力" が、今こそ必要だと主張した。そして、この wired home の内部は、四つ、すなわち
最後に、ニュース・コープのジョン・エバンズは、彼の企画で大成功したものとして、ニューヨーク・マガジンのビレッジ・ボイス欄をあげた。これは、雑誌に個人広告欄を作って、多額の収入をあげたものである。こうした経験から考えると、電子ネットワークで個人用新聞が提供されるようになるなどといった話は、ハッカーのアプローチ、ないしはエリーティストの空想にすぎない。なぜならば、それは、次の三つの点を見忘れているからである。すなわち、
以上の発言の他、ニューズレターの編集者は、討論セッションでの討論の内容を、次の10点に要約している。
@電話会社のアイデンティティ危機。公衆ネットワークか情報サービス提供者か?
時代と共に変わっていくためには、彼等は闘うことを学ぶべきだ
a)グリーン判事の決定:かれは地域ベル電話会社が、情報サービスのコモンキャリアーとしてとどまるべしという理由で、これらの会社に情報サービスの提供を禁止した。その結果、地域電話会社には広帯域光ファイバーの建設誘因がなくなったのだが、今度、いよいよその規制は廃止されるだろう。もっとも、だからといって、光ファイバー投資が加速されるかどうかは、まだはっきりしない。
b)電話会社の長所と短所。ケン・トンプソンがあげた電話会社の長所と短所は、次の通り。
長所:顧客との関係が緊密 短所:部内者による経営
一地域あたり千万以上の加入者 戦略的思考がない
年中24時間操業 規制志向型意識
課金システムが比較的正確 企業家精神の発露は抑えられる 財務力あり 市場知識がない
従業員は熟練度が高く忠実 なわばり志向型
グリーン修正最終審決の制約
c)電話業の現状。もはや単一のネットワークではなくなりつつある。 互いに競合する多数のネットワーク、地域電話会社、地域間電話、移動体・衛星、ケーブル会社等がしのぎを削り始めた。
d)電話回線の特質。 どこにでもある(ubiquitous)。信頼性は高い。めったに切れない。しかし、1.5 Mbpsが精一杯。これはビデオ一チャネル分でしかない。広帯域ディジタルサービスにすぐ移れるところと、そうでないところとがある。
e)ケーブルの特質。 ほとんどどこにでもある(90%) 。広帯域。しかし、ビジネス地区にはほとんど張られていない。信頼性も低い。一マイルごとに増幅器が必要な上に、既存のものは一方向のみなので通信には不向き。しかし、規制がないので、リスク・テーカーとして行動できる。情報サービスの提供ができる。 (もっとも電話会社も、もとのベル会社以外は情報提供できる。また、どの電 話会社も、どんな情報でものせて送ることはできる。)
f)電話会社の競争の現状。 データ通信とビデオがやってきて、マーケットはいくつもの垂直のレヤーに分けられた。そこで手をしばられて競争せねばならぬという状況におかれた。
g)電話会社(RBOC) の収支とその改善策。 収入の40% は市内電話、20% は市外接続料、20% がその他の“高度”サービス料。ネットワーク使用料の伸びは年率 1〜3 % 。しかし公衆保有の会社としては、利益は年率 6〜8 % 成長してほしい。 とすると、値上げが最善の政策になる。なぜならば、情報サービスは、中短期の利益増進には寄与しない (地域会社だから) 。 とはいえ、長期的には、値上げばかりしてはいられないので、広帯域サービスに乗り出す必要があるが、今の電話会社の保守的経営体質では、それは期待できない。
h)パネリストの合意。
3.当面の問題。ISDNのユニバーサル・サービス化を阻んでいるものは、RBOC間の共通インターフェース規格の欠如だ。ただし、規格についての合意は、最近できた。それゆえ、後一年半で、ミシシッピーの東なら、どの都市にもISDNが利用可能になるだろう。そうなれば、ビデオは無理でも、広範囲の高速通信サービスが利用できるようになるだろう。
A消費者用の新デバイス。消費者はどうしてそんなものを欲しがるのか? それによって、ビジネスや生活が根本的に変わることは確かだ。もっとも、アップルのPDA (personal digital assistants) は、まだそこまでは低価格化してない。700 j はする。
a)“消費者用デバイス”の中身は、古典的な収束を具現している。すなわち、 PDAにしても、家庭用 (消費者用) マルティメディアプレヤー+ハンドヘルド・コンピューター型のデバイスにしても、
b)カレイダ社の新 CEOのナット・ゴールドハーバーのビジョンは、次のとおり。
c)東芝のハセ・コージの“消費者用マルティメディア・プレヤー”観。
アップルと共同開発中。コアとなるソフト技術は、カレイダからライセンスするが、それには二つの基本的難点がある!
難点その一:ニーズがない! とくに疲れたカウチポテト族には、
難点その二:二つの違う気持の流れがあり、それが一つになることはない?
しかし、可能性もある。もともと、新技術・新製品は、新ライフスタイルと結びつく時、始めてヒットするものだ。たとえば、ビデオは一種のタイム・マシンであって、見る時間が動かせるから、買う価値があるのだし、自動車は一種のラウンジとなっているからこそ、高品質のオーディオを装備する価値があるのだ。それでは、PDA はどんな新ライフスタイルと結びつきうるか? “インターアクティブ・ポテト”は出現するか? 受動的な“ブロードキャースト”から自分で選ぶ“ナローキャッチ”への転換は起こるのか?
d)インテル社のアブラム・ミラーのいうPC革命の進化論。
これまでのPCは、垂直端末から水平単独使用が可能な機器となり、さらに、移動・連結も可能になろうとしている。もっとも、そのためには、他機種ともつながり、似たように使え、単純で、信頼度も高いことが必要だ。これらの要求に答えるには、半導体メーカーと家電メーカーの協力が不可欠となる。
e)SMSGグループのトリップ・ホーキンズの提案。
消費者用デバイスの市場を、家庭内オフィス機器、ポータブルな機器、および大型スクリーンの三つに分けて、それぞれに特化したデバイスを安価に提供せよ。
Bテレビをめぐる大論争点として、新たなプラットフォームの必要性の有無がある。これまでに達成された合意点は、
ViacomはすでにCastro Valley で、17,500軒を、ギガヘルツの双方向ネットワークで結んでいる。これだと、600 の圧縮ディジタル・チャネルを、500 軒に送ることができる。しかも、この回線には余分の能力があるので、電話にも使える。もっとも、こんなものを使うと、個人の好みが全部知られてしまう危険がある−−電話した相手が誰かということまで含めて。
Dマルティメディア・コンピューティング。
パネルは、マルティメディアの中核は物語にあることで合意をみた。しかし、どんなやり方にするかはまだ分らない。そもそもどんなものが売れるかも分っていない。もっとも、リニアーな物語がバックボーンとしてなくてはならぬという意見は多い。それを残しつつ、インターアクティブ性をどう入れていくかが鍵かもしれない。
E結局、誰が国民をつなぐ(wire)ことになるのか。ケーブルか、衛星か、セルラーなのか? 1989年までは、それは電話会社の仕事だということが自明視されていた。ししかし電話会社によるISDNの展開は遅れたし、電話会社は、FTTHにも本気にならなかった。そこで、その他の可能性が浮かび上がってきたのだ。すなわち、
a)同軸ケーブルの利用。FTTN型はすでに実施され始めている。その場合には、1 ギガヘルツの容量で、75本の在来型アナログチャネルと200 以上のディジタルチャネルが入ることになる。しかも、後者はさらに500 以上にもなる。将来は、各家庭が自家用チャネルをもてるようになるだろう、
b)直接放送衛星(SkyPix 等) 。放送衛星のこれまでの弱点は、受像機のコストの高さと通信の一方向性にあった。しかし、今は値段が下がった (アンテナ+デコーダーで$850)し、双方向性は、電話でカバーできるようになった、
c)セルラー会社。すでに、ビジネス用にニュースを提供している、シアトルの Oracle Data Publishing社の例などがある。この会社は、"the Henry Ford of data" たらんとしている、 などがその例である。これに対し、電話会社の反撃もようやく始まった。すなわち、
Fニューメディアと芸術。
a)ニューメディアによって、感情の通有が可能になりそうだ。芸術とは感情を経験させるものだという定義があるが、ニューメディアは、その経験を高める手段となる。また、インターアクティビティは、芸術家が鑑賞者と感情をシェアする手段となるし、さらに、作品に鑑賞者が手を加えることができるようになると、トータル・エンターテーンメント経験がえられる。
b)芸術家が機材を使うチャンスが少ないという問題への対策として、作品への権利を放棄しなくても機材を自由に使えるようにする工夫がありうる。たとえば、
G娯楽分野でのマルチメディアの応用例としては、いくつかのものが考えられる。
a)テーマパークやVRのように、特定の場所に結びついた娯楽の提供。たとえば、オフィスで仕事をしていて、疲れるとその場でリモート・プレゼンスによるサーフィン感覚を味わうというものがある。また、大スクリーンの映画を見せながら、椅子を揺さぶったり匂いを出したりするやり方もある。その一例として、93年末までにベールを脱ぐといわれている、世界60箇所のCinetropolis計画がある。これは、大スクリーン、“ターボ・ツアー”、360 度パノラマ・音楽ビデオ劇場、VR劇場等の組み合わせになるらしい。
b)その他の立場もある。たとえば、感覚刺激よりも、グループ参加やコントロール、知的シミュレーションを重視する人もいる。コントロールされた社会から抜け出して、自分がコントロールする体験を与えたいというのである。その一例として、1991年のSIGGRAPHショーでのPong en masse がある。これには、5000人が参加して、、一辺二インチの Reflexiteで30×40フィートの画面でのアクションを集団でコントロールした。これだと、施設はぐっと安くできる。日本では、これを応用したテーマ・パークが建設中(93 年春オープン) で、「タイム・アンド・スペース・マシン」での旅に使うことになっている。その他、“ロケーション”を特に重視した“代用旅行”のアイデアもある。そこに行けない人のために、実際に行って環境を汚したくない人のために、「地球を救って金儲けしよう」というわけだ。もっとも、そうなると、逆に、熱帯雨林をVRで体験できるなら、現物がなくなってもいいではないかという人が現れるかもしれない。
H技術は教育を変えられるか? この問いに対する多数意見は、学習の内容と方式は、技術によって変わろうとしている、というものだ。たとえば、ジム・ブリンの "Project Mathematics は、コピー自由なビデオ教材を提供している。また、CCC(Computer Curriculum Corporation)のILS (Interactive Learning Systems)は、一日20分一年やれば、数学で二年分、読書力で一年半分先に進むと称しているが、それに対する批判も強い。あるいはまた、これまでの“学習”仮説に対して“問題解決”仮説を対置しようとする人もいる。後者は、学習は意図的な勉強の結果としてでなく、問題解決の副産物として生ずるというのである。そうだとすれば、生徒にはプロジェクトをやらせるのが最善で、その方が面白くもあるというわけだ。
Iディジタル化=無料化か? 知的財産権はどうなるか? ここには一つの深刻なディレンマがある。すなわち、一方では、個別の著作権にすべて対応しようとしていると、いいマルティメディア作品は到底作れない。しかし、他方では、知的財産権を無視すると、折角作った作品が容易にコピーされてしまう、というディレンマがそれである。いずれにせよ、これまでの法体系 (1791年に作られた) では対応できそうもない。これに対しては、ジョン・バーローのように、ともかく待っていて様子を見ていようとする立場がある。著作家たちが、自分の作品へのライセンスをグループとして与える方式を考えるのがよいという、テービッド・ニマーのような人もいる。Picture Network International がその例だが、いずれにせよ、まだ、満足すべき解は、どこにもない。
5)新メガ産業としてのニューメディア:箱根マルチメディア・フォーラム
それでは、最後に、1992年の7 月末から8 月初めにかけて開催された箱根マルチメディア・フォーラムの印象を紹介しておこう。(13)この会議は、アップル社のスカリー会長が呼びかけて実現したもので、欧米の代表的な情報通信産業数十社のトップが参加した。会議の劈頭の挨拶の中で、スカリーは、今やマルチメディア、あるいは敢えていうならば "ニューメディア" は(14)真にグローバルな産業として発展中だとのべ、それを主題とする今回のフォーラムの場所として日本を選んだのは、日本の経済が強いからだと説明した。そして、この会議自体はアップルのイベントではなくて、参加者皆さんの会議であり、このニューメディア産業は、関係者の範囲が広く、おたがいに知らない人が多いので、お互いに知り合いになることも、この会議の目的の一つだとした。
以下では、例によって、私の主観的な関心を引いた話題のいくつかを紹介してみる。ただし、私がもっとも興味をひかれたギルダーの基調講演の内容は、すでに第一章で紹介したので、ここでは省略することにして、MIT のメディアラボのネグロポンテ所長の講演の概要だけをまず紹介してみよう。(15)
ネグロポンテはまず、家庭やオフィスへの情報の伝送経路として、@地上波、A衛星、Bケーブル、C電話線、Dパッケージの五つをあげて、その持論である電話とテレビの間の空と陸との経路の交換についてのべた (下図参照) 。
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
| [経路の交換] |
| |
| 空中 電 話 |
| 地中 テレビ |
| −−−−−−−−−−−−−−−−− |
| 1990 2010 |
+−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−+
そして、彼はギルダーを批判して、スィッチングは依然として重要だが、帯域(bandwidth) は問題ではなくなると述べ、
帯域+インテリジェンス=定数 という関係を示した。ネグロポンテによれば、テレビは帯域が広いものの典型的な例であり、したがって、インテリジェンスは低いことになるのである。彼はまた、ディジタル通信の諸側面として、マルチメディアの他に、@圧縮性、Aエラー訂正、Bスケーラビリティ、C注釈追加、D自己記述、の五つをあげた。そして、テレビの配信は、交換型のアーキテクチャーで行われるようになるべきであって、その場合は、チャネルの数は一本あれば足りると強調した。なにしろ、これからは、一時間のビデオ番組や映画なら、必要十分に圧縮した信号を5 秒でバーストして送れるようになり、それを受け取った側が、信号をコンピューターで処理して、受け取った情報のビットを音にするか、絵にするか、どんな縦横比や大きさにするかを決めて表現させればよいのである。(16) つまり、人間は、手元に送られてくる大量の情報にフィルターをかけて、自分の見たいものや聞きたいものだけを残すというこれまでのやり方とは違って、あらかじめ選別して−−自分の要求に応じて−−送られてきた圧縮された自分を、自分の手元で拡大するようになるのである。だからこそ、テレビもラジオも新聞や雑誌も、一人一人のニーズにあった別々のものにすることが可能になるが、その場合でも広告がなくなると考える必要はなく、むしろその方が広告収入も増えるはずである。
そう論じたネグロポンテは、結局、未来のテレビはコンピューターになる−−それがアップルのコンピューターになるかIBM のそれになるかはともかく−−ことは確実で、日本のハイビジョンは未来のテレビにはなりえないと言い、ハイビジョンの命は後数ケ月だと断言した。(17)
次に、パネリストの発言や、フロアーからの発言の中で、私が興味深く思った論点を紹介しよう。
まず、アップル社の上席副社長、デービッド・ナーゲルが、近年の情報技術の進歩速度が加速していて、ソフト技術も急速に発展中であること、他方、ハードがコストに占める割合は一貫して下がっていること、に聴衆の注意を喚起した。ナーゲルによれば、その結果、コミュニケーション過程のコントロール力は、生産者の手を離れて、消費者の方に向かってゆくことになる。そして、ユーザーも、機器のデザインも、ハードやOSの在り方の如何からは解放されていき、人々の関心も、これまでの "ease of use"から "ease of doing"へと移っていくだろう。つまり、デバイスから、行われる仕事の内容自体へと、関心の焦点が変わっていくだろうと述べて、 "nomadic computing systems"および "disposable computers" という二つの新しいコンセプトを紹介した。このメタファーによれば、近未来の人々は、かつての遊牧民のように、家畜ならぬコンピューター・システムを携帯して移動し、個々のコンピューターは、使い捨てられる道具になってしまうことになるわけだ。
電通の田中は、既成のマスメディアのもっている資産として、@映像資産、Aタレント、Bクリエーターの三つをあげた。また、ニューメディア産業の場合でも、これまでのマスメディアと同様、広告収入はやはり50% くらいは必要ではなかろうか、と述べた。
クリストファー・サーフは、未来予測が犯しがちな二つの誤りの方向として、 @それに対する市場が見込めないために新しい技術は絶対に伸びないとする予測の誤 り (その典型が、コンピューターやビデオの市場予測だった) と、 A新しいものができた瞬間に、旧いものは生きのびていかれなくなるとする予測の誤 り (その典型がラジオ、演劇、テレビ等の死滅に関する予測だった) 、 をあげた。
ハーバード大学のオッティンガー教授は、 "リテラシー" はもはや19世紀のコンセプトにすぎないので、それに代わる20世紀のコンセプトが必要だと主張した。それは、絵や音楽や文章を作ったり鑑賞したりする能力、コンピューターとネットワークを上手に使って情報を集め、処理し、新たな知識を付け加える能力、および、説得力等々である。教授はまた、コンピューターは、何にでも使えるメディアとして、他のメディアにはない重要性をもっていると指摘した。(18)
NHK の鈴木は、15歳以下の世代は、今のNHK の番組はみなくなると予想し、その理由として、 @彼らはマスメディアを拒否して、ポルノに走る、あるいはメディアの多様化に走る傾向があること、 A受信よりも発信に興味があること、 の二点をあげた。他方、人々がニューメディアの新技術を受け入れる社会的準備が、ほとんどなされていないことも問題だと指摘した。
討論の中で、ニューメディアの内容は何であって、誰がそれを作れるのかという論点が出されたが、それに対して、ある参加者が、ドイツの文学者ヘルマン・ヘッセの作品『ガラス玉ゲーム』を引用して、ニューメディアの内容を作るのは、このゲームのプレヤーだと述べたのは、非常に興味深かった。私の考えでは、ニューメディアの提供する "内容" は、恐らく、私のいう "智業" が提供する情報だろう。つまり、智業が、最終的には自分自身の説得力の獲得を目的として一般の人々に提供する、他人を説得するための説得材料がそれだろう。それは、ニューメディアの形式で提供される必要がある。なぜならば、その方が圧倒的に説得力が強くなるからだ。(19)
会議の最後に、スカリーは、二日にわたる討議の結果を、次の六つの行動ステップにまとめることを提案して、了承された。
なお、私自身は、このフォーラムでの議論に耳を傾けている間に、コミュニケーションには、次の四つの方式を区別した方がよさそうだという気持がしてきた。すなわち、
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掲示型 | leave search-find-get
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放送型 | casting, spectrum filtering, catching
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受信型 | とどける 〜 うけとる
郵便型 | addressing, delivering receiving
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対話型 | つなぐ,よぶ 〜 はなす
電話型 | switiching, connecting talking
| calling
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