1993年11月13日
公文俊平
1985年以来の記事が収録されている三大紙のデータベースを検索してみると、 "時代認識" という言葉を含む記事は、毎日新聞が42件、朝日新聞が36件、読売新聞が24件あることが分かった。これを朝日新聞について、年代別にみてみると、1985年と1986年が各 2件、1987年から1989年までが各 1件、1990年が 4件、1991年が 5件、1992年が 6件、そして1993年が11月までに14件、といった具合に、近年になるほど使用される頻度が増えてきている。ここから見ても、この言葉は、比較的新しい言葉だといってよいだろう。
ついでに、同じ朝日新聞データベースから、いくつかの典型的な用例をも引いておこう。まず、1985年 1月13日の記事では、社公両書記長会談の「確認メモ」の内容の一部に、「八〇年代後半の時代認識と内外の情勢を踏まえての現実的取り組みの課題」という表現が見られる。同じく 7月 3日の記事では、結党30周年を迎える自民党が新たな「特別宣言」と「政策綱領」の作成を行うことになったが、そのさいこれまでの「基本文書は結党時の時代認識を忠実に反映したものであり、そのまま残すべきだ」との意見が強く出されたことを紹介している。
1986年 7月日には、税金党が、「日本の国際的地位など新しい時代認識に立った税制改革」の要望書を中曾根首相に手渡している。1987年11月日には、自民党の新3役の一人に決まった渡辺政調会長が、「挙党態勢の確立のためには時代認識が一致することが大事だ」と語っている。1989年 6月には、自民党幹部と懇談した日商、東商の幹部の中から、「自民党に、雑誌で少年ジャンプが一番売れていることを知っている議員が何人いるのか。時代認識を誤っているのではないか」という苦情が述べられている。1990年の 7月には、海部首相がヒューストン・サミットで「アジア地域では緊張緩和が進んでいない」との趣旨の発言をしたことに対し、社会党が「世界史的な時代認識を欠く」と批判している。他方、1992年の10月には、自民党がまとめた安保問題に関する答申案に対し、公明党は、案そのものには反対だが "時代認識" では共通点がある、という言い方をしている。1990年の12月には、平岩経団連新会長が、「新しい国際秩序を模索する時代であり、地球規模で協力する時代でもある」との時代認識を示している。1991年の 2月には、公明党の石田委員長が、多国籍軍への90億ドル追加支援の財源問題で政府・自民党が予算修正に応じたことに関連して、「参院の与野党逆転などを考えると、政府・自民党が従来のような政治運営をするのは時代認識の誤りもはなはだしい」と述べている。1991年 3月の朝日の社説は、食糧庁が米国産のコメの展示の撤去を要求して「3割の減反と自主流通米の増加で、事実上、形がい化している食管法を振りかざしたことも、時代認識からずれていると言わざるをえない」とコメントしている。
なお、 "時代認識" という言葉は、必ずしも政治家のそれについてだけ言われるわけではない。「7色の煙を繁栄の象徴とした時代認識を覆した公害告発の闘争」といった表現もある。あるいは、戦国時代の武将の時代認識とか、画家のサインに見られる作者の時代認識といった使い方もされるようになっている。
また、より最近の例では、「日本の政治を代表してきた自民、社会両党にそうしたグローバルな時代認識があるだろうか」(92年 7月) 、「社会党が田辺氏の辞任を契機に、時代認識をもって政権政党に脱皮することを願っている」(92 年12月) 、「時代認識や国際情勢から始めて、次第に内政問題へ話を移していくという施政方針演説の常道」(93 年 1月) 、「このような時に、経団連会長は相も変わらず自民党に資金提供をすると言っている。時代認識の欠如もはなはだしい。」(93 年 6月) 、「地球規模の "環境冷戦" が始まったという時代認識に立ち、共生への道を探る」(93 年 7月) 、「おれはもう七十八歳だよ。この年の人間を引っ張り出そうなんて、時代認識が間違ってる」(93 年 7月) 、「連立与党が将来、どのようになるのか、政党政治への時代認識を河野氏がただした」 (93年 8月) 、「首相発言といえば、所信表明演説で "侵略行為" と強調した戦争への反省も、非常に好意的に受け取られていることが分かった。時代認識にも国民の共感がある」(93 年 9月)