1994年3月19日
公文俊平
第7章:生産現場と情報管理(情報化社会と経営活動)
1970年代以来の日本の経済・経営システムの変化を捉えようとすれば、次の二つの視点を最も基本的なものとしなければならないだろう。
その第一は、 "追い付き型産業化" の達成という視点である。戦後の日本経済は、産業化の後発国として、外来の先進技術や経営方式をひたすら導入・模倣してキャッチアップを達成することに専念してきた。しかし、その過程で、主観的には模倣に努めてきたはずのものが、客観的には、日本独自の変更や工夫を加えて外来の技術や制度を修正・改善する結果になったものが少なくない。1960年代に一応の完成を見たといわれるいわゆる "日本的経営" は、そのいわば制度的な集大成であったといえよう。そして、日本型のQC活動−−いわゆるQCサークル、さらにはTQC 活動−−もまた、海外の先進的な技術や製造方式を日本に導入して定着させる過程での、すぐれた適応方式として生産現場において生みだされ普及していったものであった。
しかし、外来の知識を吸収して必要な換骨奪胎を加えることによってキャッチ・アップをはかるための手法が、それを達成した後の段階、いわば未踏の領域に進出して自ら新しい技術や制度を開発し普及させていくための手法としても適切であるという保証はない。事実、これまでのようなTQC 活動は、突破型の技術や制度の開発・普及の手法としては、不十分なのかもしれないのである。われわれが、一昨年以来見学してきた日本の生産現場の少なからぬ地点で、QC活動が、生産性の向上とはほとんど無関係な職場の一体感を高めるための手法ないし "お祭" と化したり、いやいやながら惰性で何とか継続されている活動に堕したり、本格的な "改善" とは無縁のものとして見放されかけたりしていたのは、そのことと決して無関係ではないように思われる。もちろん、「TQC からTQM へ」というスローガンに象徴されるような、TQC 活動の質的発展をめざす試みまでが無意味であるはずはないにしても、また、少なくとも一部にそのような方向での成功例が見られるかもしれないにしても、どこまで広汎かつ具体的にそうした発展がすでに達成されているかとなると、いささか疑問といわざるをえない。
実際、日本経済がキャッチアップを達成して "転換期" に入ったといわれてから、すでに相当の年月が経過しているにもかかわらず、転換はいっこうに達成されないばかりか、転換して目指すべき方向や到達点自体が、依然としてほとんど明らかになっていない−−少なくともそれについての広汎な合意はほとんどない−−といわざるをえない。ほぼ四半世紀の間隔を置いて書かれた、次の二つのほとんど同趣旨の文章を見ても、その感は深いのである。
いまやわが国は大きな転換期を迎え、いわば新たな歴史的段階に進み出ようとしていることが感じられる。
明治維新以来のわが国の国家目標は、一言にしていえば欧米先進国に追いつき追い越せということであった。...70 年代を迎えようとしつつある今日、日本は漸くそのキャッチ・アップの段階を終えようとしている。... 従来のような先進国の知識と技術を学びとることによる模倣的発展の時代は、もはや過ぎ去ったとみるべきであろう。すなわち自らの力で新しい領域を切り開き、自力で独自の道を歩む創造的発展への転換のときであるように思われる。しかし開国以来百年の模倣から脱却して、けわしい創造への飛躍は容易ではない。」 (大平正芳、「新通商産業政策の課題」、五行評論第14号 (1970年1 月号))
日本は大きな転換の時代を迎えている。... 開国と明治維新以来の「追い付き型」の「近代化」の全過程が終わろうとしている。日本は、今のところ非ヨーロッパ文化圏では唯一の「先進国」であり「二十世紀産業文明の最後の成功者」であるが、いまや二十世紀産業文明の克服こそが人類史の課題になりつつある。
日本の政府と国民にとって、「経済」よりも「社会」を、そして「成長」よりも「成熟」と「安定」を、優先目標としなければならない時代が到来している。それは社会の存続の保証を優先するということであり、地球規模の資源および環境の保全と人類の生存の保証を優先するということでもある。(正村公宏、「社会の成熟・安定を優先に」、日本経済新聞、経済教室、1994年 1月 5日号)
その第二は、1970年代の後半以来顕著になってきた社会の "情報化" という視点である。それには二つの側面がある。すなわち、@産業社会は、第三次産業革命あるいは情報革命などと呼ばれる一連の技術革新を通じて、 "産業化の21世紀システム" とでも呼ぶことが適切なその発展の第三の段階に入りつつある (産業の情報化と情報の産業化) 。そして、 "マルチメディア" 産業こそが、新時代の産業社会にとっての突破型の主導産業となるという認識、しかも、 "産業の情報化" という言葉が示すように、マルチメディアの最初の主要な需要は、企業や行政の業務上の利用という部面に出現するだろうという認識は、今やアメリカを中心として広く世界に普及しつつある。また、それに伴って、 "バーチャル・コーポレーション" とよばれるような新しい企業の形や、 "ネットワーク産業組織" とよばれるような新しい産業組織の形も生まれつつある。企業の内部では、 "グループ" あるいは "チーム" の活動が注目されるようになり、それを支援するための "グループウエア" とりわけ、 "ネットウエア" の開発と普及の動きもめざましくなっている。コンピューターとそのネットワークによる非定型のチーム業務の支援とその生産性の向上が、急速に実現され始めたのである。A同時に、非営利団体としてのさまざまな "アドボカシー・グループ" あるいは "NGO"−−かつての "ローマクラブ" や今日の "グリーンピース" などを見よ−−の活躍に代表されるように、現代社会には、世界市場での商品の販売を通じての資本主義的な富の獲得競争とは異なる、いわば地球智場 (グローバル・ネットワーク) とでもいうべき場での情報や知識の普及をめざす競争、ひいてはそれを通じて知的な影響力の獲得をめざす競争 (智本主義) が、広く台頭しつつある。これが、 "狭義の情報化" あるいは "智業化" とでもよぶべき社会変化である。資本主義が私有財産権の観念に立脚していたとすれば、智本主義は "情報権" の観念に立脚している。他方、これまでの国家の活動、とりわけ国家がたずさわってきた "国威" の増進・発揚競争は、国家主権の観念に立脚していた。これからの社会では、これまでの国家主権および私有財産権と、新たな情報権の間の関係をどのように打ち立て、相互の調和をはかっていくかが、極めて重要な社会問題となるだろう。
上の二つのタイプの社会変化のいずれにとっても、高速広帯域の情報処理・通信技術の発達・普及と、情報処理・通信基盤 (グローバル情報インフラストラクチャー) の構築とは、重要な要件となる。今日のアメリカには、世界にさきがけて情報革命を進展させることによって、国家としても、産業としても、産業化の21世紀システムに向けての突破を成功させ、その結果として世界的な優位と競争力をまず確保できたことの、またそれがひいては半導体や自動車などの市場シェアでの "日米再逆転" にもつながっていることの、強烈な自覚がみられる。そうした突破のきっかけとなったものの一つは、コンピューターによる情報処理技術やネットワーク化技術の発達であった。いま一つは、 "グループ" "チーム" "サークル" などの言葉に象徴される "日本モデル" ともいうべき、狭くは生産現場での業務の改善やから広くは官民一体となった協働プロジェクトの推進の手法を学びとり、さらにそれに加えて日本モデルをも超えた "リエンジニアリング" や "生産科学" の確立、あるいは "シリコンバレー・モデル" とよばれるような設計思想重視戦略を開発していったアメリカ産業界の活力であった (この第二点については、日本経済新聞の3 月17日号の経済教室欄に掲載されている、志村幸雄氏の論文を参照した) 。
アメリカは、今後とも、これらの優位を手離すつもりはないようだ。そのためにも、情報革命の成果を広く全国民に及ぼす必要があるという認識も、現民主党政権には明確にみられる。同時に、アメリカの社会の中には、情報権の観念に立脚して、情報・知識の普及の自由を主張するグループの活動−−そして、財産権とりわけ知的財産権の強化の主張や、国家主権によって情報・知識の普及過程に干渉しようとする動きなどに対する強い反発−−も顕著になりつつある。
他方、日本においては、とくに1980年代の後半以来、情報化の遅れが著しい。もともと日本では、すでに1960年代に、 "情報産業" や "情報社会" あるいは "情報化" といったコンセプトが世界にさきがけて生みだされ普及していたのだが、現実には、情報化の進展は、産業においても智業においても、遅々として進まなかったのである。情報化における日本の立ち遅れ、とりわけコンピューター・ネットワークの普及の遅れ−−それはしばしば "the Japanese anomaly" とさえ呼ばれるほどなのだが−−は、1990年代の半ばにいたって、あまりにも顕著なものとなってしまった。同じ立ち遅れが日本の生産現場−−工場であれオフィスであれ−−にも今や顕著に見られることはいうまでもないだろう。1980年代のいわばスタンドアローン型のロボットやパソコン・ワープロでは、ネットワーク時代には対応できないのである。 (アメリカの評論家のジョージ・ギルダーによれば、相互に接続されていないコンピューターは、道路のないジャングルの中の自動車のようなものにすぎず、その本来の能力を発揮することはそもそも不可能なのである。) そうだとすれば、日本の企業はなぜ情報化において立ち遅れる結果になったのか、とりわけ、自発的な改善だけでなくその成果の普及と通有を重視していたはずの、現場のQC活動の中から、コンピューター・ネットワークに支援される情報・知識の普及・通有のためのシステムを作り上げようとする動きがどうして出てこなかったのかを、真剣に反省してみる必要があるだろう。 しかし、その文脈でいえば、情報化に対しては、日本社会はかなり根本的な次元で、適合性が低いといわざるをえないのではないだろうか。われわれの社会は、異質な個人や集団あるいはアイデアへの許容性が、外来の圧倒的に優秀なものだと認められているものの場合を除いて、いちじるしく低い。とりわけ、自分達の間から生まれてくる異質な存在やアイデアに対する拒否反応は、絶望的なまでに強い。出る杭は打ち、異物は排除しようとするほとんど遺伝的ないしは文化的に刷り込まれた行動様式が根強いからである。また、誰かが、権威をもって他人の行為を統制しよう指図しようとする試みに対しては、これまた本能的に反発しがちである。 "天皇" や "占領軍" あるいは "外国" の権威は別にして、 "他人の指図は受けたくない" という気持が、日本人の間には強烈である。日本社会での権力の発動形式は消極的なもの−−つまり、相手に勝手はさせないという形のもの−−だとされる所以である。 (ただし、その分、 "外国" 等の権威をかさに着る振る舞いも多いのだが。) 他方、新しい試みやアイデアを提案しようとする人々も、少し抵抗があるとたちまち挫けてしまって、他人を論破して、場合によっては物理的な力を行使しても、自分の意思を実現しようとする気迫や執念に欠けていることが多い。 (実際に力を行使した場合には、抵抗は意外に少なく、人々は屈服しやすい−−長いものには巻かれろ−−が、その場合でも、実は面従腹背的な行動をとることが多く、熱狂的に信服し服従することは少ないように思われる。)
青木昌彦は、 "民主的" な情報処理の仕組みを、
の二つにわけて、日本では後者の仕組みが支配的だが、どちらが良いかは一概にいえず、その優劣は、製品市場の不確実性や生産技術の性質のような社会環境の条件によってきまるので、それらの仕組みを共存させることが望ましいという (日本経済新聞、経済教室、94年1 月4 日号) 。しかし、このような異なる仕組みを、意図的に共存させることがどこまで可能なのか、また共存させることで全体として望ましい結果が確実にえられるかは、容易にはいえないのではないだろうか。 (かつて、ポーランドの経済学者オスカー・ランゲは、 "計画経済" と "市場経済" は共にそれなりの長所と短所をもった経済体制でどちらもかなりの存続力をもっているが、両者を "混合" すると、恐らく存続さえ不能な効率最低の体制ができてしまうのではないかという危惧を表明したことがある。) 他方、近年のアメリカでは、グループやグループウエア、あるいはネットワークへの関心の高まりに見られるように、青木の用語でいえば、情報処理の "集団主義的な仕組み" というべきものの良さが、発見ないしは見直される傾向にある。そうだとすれば、日本の場合は逆に、情報処理の "個人主義的な仕組み" の良さを発見ないし見直して部分的に採用する努力をすることが可能でも望ましくもあるという議論は、あらためて可能になってくるのかもしれない。いずれにせよ、今の私にはこの問題に対して明確な答をだす準備はない。しかし、少なくとも、これまでの日本社会での、とりわけ日本の企業の経営の現場での情報処理の集団主義的な仕組みを、そのまま残すわけにはいかなくなっているということだけはいえそうだ。これからは、情報の取り入れ、通有、発信の過程が、よりオープンで、高度なものにならなければならないだろう。またそれに伴って、職制に代表される経営管理のフォーマルな階層構造と、より平等主義的でインフォーマルな職場生活の集団構造の複合といった日本的経営の基本構造自体も、そのままでは維持できなくなっていきつつあるのではなかろうか。そうだとすれば、一方に職制の存在を前提とした、職場での "自発的" な "サークル活動" というコンセプトも、そのままではもはや存続意義を失いつつあるのかもしれない。日本型経済システムや経営システムのその他の特徴と同様、QCサークルに代表される生産現場の日本型システムも、転換期を迎えているのである。しかし、それでは、新たにどのようなシステムが生まれでようとしているのか、あるいはどこへ転換していくべきかについては、依然として決定的な答が出ていないように思われる。