1994年3月19日
公文俊平
1979年の施政方針演説の冒頭には、現代を "地球社会の時代" および "文化の時代" と見るという "時代認識" が述べられている。1980年代の日本ではまず "国際化" が叫ばれそれから "地球化" とか "グローバル" とかいった言葉が普及していったことを考えれば、世界を一つの共同体として捉えることが必要になった "地球社会の時代" の到来という時代認識の先見性には、あらためて脱帽せざるをえない。
大平はまた、通産大臣をしていた1970年の1 月に、「欧米先進国へのキャッチ・アップ」をなしとげた日本が、「大きな転換期を迎え、いわば新たな歴史的段階に進み出ようとしていることが感じられる」と、いちはやく述べていた。これを、経済学者の正村公宏が今年の初めに書いた「日本は大きな転換の時代を迎えている...開国と明治維新以来の "追い付き型" の "近代化" の全過程が終わろうとしている」というほとんど同じ言葉と並べてみると、予言者のような大平の姿の上に、この四半世紀の間いっこうに "大転換" を実現できないままに混迷し右往左往してきた日本の姿が、二重写しになって浮かび上がってくる思いがする。この間いったんはアメリカに追い付いたはずの日本が、気がついてみると、とりわけ情報化の分野で、再びアメリカに大差をつけられていたのである。
どうしてそうなってしまったのだろうか。1970年代の初頭に、いったんは転換期の到来を感知した大平が、その後の "激動と混乱の1970年代" を経過する中でたどりついた "文化の時代の到来" という時代認識に、ことによると何か基本的な読みちがいがなかったのだろうか。私はそういった疑問を抱きながら、今回、大平の時代認識の展開の跡をたどりかえすと共に、大平のイニシァティブによって組織された九つの「政策研究会」の報告書を読み返してみた。そして、 "楕円の哲学" に裏打ちされている複眼的ともいうべき大平の時代認識にくらべて、これらの報告書の基調が、とりわけわが国における経済発展と技術進歩の持続の可能性についていささか一面的・楽観的であったことに気づかされた。
今にして思えば、大平が "近代を超える" "文化の時代" の到来を予感したことは、疑いもなく正しい。しかし、われわれが真に近代を超えて進んでいくためには、情報産業化に代表される "スーパー産業化" や、智業と智のゲームの台頭に代表される近代文明の内部での "トランス産業化" (村上泰亮) の努力を着実に押し進めることによって、いわば近代文明をしてその "有終の美" をなさしめることが必要なように思えてならない。その意味で私は、大平の思想の根底にあった "楕円の哲学" の視点の重要性に、あらためて思いをいたさせられたのである。