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1994年4月2日

「情報化と東アジア:日本の反省 」 

産業経済新聞

公文俊平

日本は大きな転換の時代を迎えている。... 開国と明治維新以来の「追い付き型」の「近代化」の全過程が終わろうとしている。日本は、今のところ非ヨーロッパ文化圏では唯一の「先進国」であり「二十世紀産業文明の最後の成功者」であるが、いまや二十世紀産業文明の克服こそが人類史の課題になりつつある。

日本の政府と国民にとって、「経済」よりも「社会」を、そして「成長」よりも「成熟」と「安定」を、優先目標としなければならない時代が到来している。それは社会の存続の保証を優先するということであり、地球規模の資源および環境の保全と人類の生存の保証を優先するということでもある。(「社会の成熟・安定を優先に」、日本経済新聞、経済教室、1994年 1月 5日号)

これを読んだ時、私は、1978年から80年にかけて日本の総理大臣であった大平正芳が、いまから四半世紀も前、通産大臣をしていたころに、すでにこう書いていたことを思い出しました。

いまやわが国は大きな転換期を迎え、いわば新たな歴史的段階に進み出ようとしていることが感じられる。

明治維新以来のわが国の国家目標は、一言にしていえば欧米先進国に追いつき追い越せということであった。...70 年代を迎えようとしつつある今日、日本は漸くそのキャッチ・アップの段階を終えようとしている。... 従来のような先進国の知識と技術を学びとることによる模倣的発展の時代は、もはや過ぎ去ったとみるべきであろう。すなわち自らの力で新しい領域を切り開き、自力で独自の道を歩む創造的発展への転換のときであるように思われる。しかし開国以来百年の模倣から脱却して、けわしい創造への飛躍は容易ではない。」 (「新通商産業政策の課題」、五行評論第14号 (1970年1 月号))

つまり、この二人は、四半世紀をへだてて、ほとんど同じことを言っているのです。いいかえれば、この四半世紀の間、日本は、結局のところ "新たな歴史的段階" にはいりきれないまま、目標を見失って右往左往していたといえそうです。そしてこの数ヶ月、日本の政治は混乱し、経済は完全に行き詰まってしまいました。そうした状況の中で、ひところ盛んだった "ジャパン・バッシング" は、日本の様変わりをいぶかしみつつ嘲笑する "ジャパン・モッキング" に変わろうとしているのではないか、という印象さえ私は受けます。21世紀はアジアの世紀であることは変わらないにしても、それをリードするのは中国なのではないか、いやそう遠くない将来に、中国もまた深刻な難局に直面するのではないかといった声も聞こえてきます。どうしてそういうことになったのでしょうか。お国、韓国の場合はいかがでしょうか。

さて、日本で転換期の到来にいちはやく気づいていた大平自身は、1979年の 1月、総理大臣としての最初の施政方針演説の中で、「近代化の時代から近代を超える時代に、経済中心の時代から文化重視の時代に至った」という時代認識を示しました。そして、大平のこのような認識にもとづいて、大平内閣は、中堅の学者・官僚を中心とする219 名のメンバーを糾合して、九つの政策研究グループを組織し、21世紀に向けての提言を準備させたのです。私自身も、その中の三つの研究会に参加して、総理の出された課題に応えるべく全力を尽くしたことでした。

いまその時の報告書をあらためて読み返してみますと、次のような思いを禁じえません。すなわち、確かに世界は文明の進化の大きな流れとしては近代から近代を超える時代に入ろうとはしているけれども、それは極めて長期的な視点から言いうることであって、近代それ自体には当面まだまだ成長・発展の余地が残っているのではないか。近代文明がもたらした発展の可能性をすべて汲みつくさないかぎり、実は近代を超えることもできないのではないか。そう思われてならないのです。今にして思えば、1980年代の日本は、自国の "キャッチ・アップ" の達成や、それに引き続いて東アジアに見られるようになった "雁行的経済発展" のめざましさに眩惑される一方、アメリカは再起不能な衰退への途を歩み始めたのだと思い込んで、そのことを忘れがちだったのではないでしょうか。

では、近代文明が残していた発展の余地とは何でしょうか。それには、大きくみて二つのものがあると思います。

その第一は、産業化自体、まだまだ終わったどころではない、近代産業社会には、その発展の第三の段階、すなわち "情報産業化段階" があるということです。産業社会は、18世紀の終わりの第一次産業革命から、19世紀の終わりの第二次産業革命をへて、いま、第三次産業革命、あるいは情報革命と呼ばれる、新しい技術革新の波を迎えつつあります。現在の長期不況期、すなわちコンドラティエフ長波の下降期は、その意味では、産業化の21世紀システムとでもいうべきものへの転換期にあたっているのです。ここでの課題は、21世紀初頭に到来すると予想される次の上昇期を主導する突破型の新産業、すなわちマルチメディア産業のための技術の開発と、社会的なインフラ、とりわけ "情報インフラ" の構築にあります。

ちなみにいえば、前世紀の終わりから今世紀の初めにかけて、産業化の19世紀システムから20世紀システムへの移行の混乱期に直面した人々の中には、そこで産業化そのものが、あるいは資本主義的な産業化の仕組みが、終わってしまうと考えた人も少なくありませんでした。カール・ポラーニの有名な著作『大転換』は、その最たるものであったと思われます。

次にその第二ですが、それは、近代文明が、産業化の局面に続くその第三の発展局面に入りつつあるということだと思います。近代文明は、これまで、軍事化および産業化という二つの発展局面を経過してきました。15世紀の終わりに始まった軍事化の局面では、軍事・航海革命を経て近代主権国家が出現して、国際社会を舞台とする "威のゲーム" すなわち、侵略戦争による領土や植民地の獲得を通じて、国威の増進・発揚を行うことを目的とする競争が、広く行われるようになりました。18世紀の終わりに始まった産業化の局面では、産業革命を経て近代産業企業が出現して、世界市場を舞台とする "富のゲーム" すなわち、有用とみなされる商品の販売を通じて、富の蓄積・誇示を行うことを目的とする競争が、広く行われるようになりました。私の見るところでは、20世紀の終わりの現在では、国威の増進・発揚競争の社会的正統性はすでに失われた一方、情報革命を経て、近代情報智業とでも呼びたい新しいタイプの社会的主体が出現して、地球智場とでも呼ぶことが適切な新しいタイプの社会システムを舞台として、 "智のゲーム" すなわち、価値ある情報や知識の普及を通じて、知的な影響力の入手と利用を目的とする競争が、始まろうとしています。これが、近代化の第三の局面、すなわち "情報化" あるいは "情報智業化" の局面の開始にほかなりません。

威のゲームが主権の観念と脅迫・強制型の行為に立脚し、富のゲームが財産権の観念と取引・搾取型の行為に立脚していたという意味では、智のゲームは "情報権" とでも呼ぶことが適切な新しい権利の観念と、説得・誘導型の行為に立脚してプレーされることになるでしょう。智のゲームのプレヤー、すなわち "智業" の具体例としては、1970年代に活躍したローマクラブや、現在その影響力をグローバルに拡大しつつあるグリーンピースなどが、すぐに思い浮かびます。

19世紀の産業化が、企業と国家の協働関係に支えられて進展したように、21世紀の情報化は、智業と企業の協働関係に支えられて進展すると思われます。そのことを、もっともよく示しているのが、情報通信産業、とりわけコンピューター産業の発展過程に見られる智業家と企業家の協働関係です。また、国家が産業の発展によって、新たな力の源泉を獲得したように、企業もまた、これからは智業の発展によって新たな富の源泉を獲得していくことになるでしょう。

情報産業が自らの情報インフラを必要とすると同様に、いやそれ以上に、情報智業も情報や知識の普及のための情報インフラを必要としています。その中核になるのが、 "インターネット" とか "ザ・ネット" と呼ばれている "コンピューターのネットワークのネットワーク" です。19世紀に "万国の労働者の団結" が叫ばれてその世界組織としての "インターナショナル" が活躍したのと幾分似たような意味で、21世紀には "地球上のコンピューターの連結" が叫ばれて、そのグローバルな連結体としての "ザ・ネット" およびそれを支える智業型の組織としての "インターネット協会" が、大活躍することになるでしょう。インターネットが、かつての "共産主義の妖怪" (共産党宣言) にも似た存在とみなされていた時代はすでに終わりました。一昨年の夏ごろ以来、欧米ではインターネットの爆発的な成長と普及が始まっています。昨年は、多数の企業がインターネットへの接続に踏み切りました。つい二三年前まで、多くの企業が、インターネットのことをまったく知らないか、知っていてもそれを "下水道" かなにかのような汚らしいものとみなし、自社の専用ネットワークは "上水道" なので、いっしょにするわけにはいかないといっていたのが、嘘のようです。

近い将来、このネットワーク化の波は東アジアにも及んでくることでしょう。いや、すでにかなり及んできているのに、日本が相対的に立ち遅れているだけの話かもしれません。インターネット経由のトラフィック量は、日本の場合、台湾と同程度にすぎません。日本でのインターネットの普及率は、一人あたりGNP の規模で予想されるそれの1/10でしかなく、 "ジャパニーズ・アノマリー" と呼ばれているほどです。だが、それはそれとして、東アジアが21世紀の情報産業化と情報智業化を主導する地域の一つになれるかどうかは、私達が、どこまで力を合わせて、この地域に高度なインターネットを構築していけるかにかかっていると思います。そのさい、私達が言語と文化の壁をどのようにして乗り越えていくことができるかが、私達にとっての大きな挑戦となることでしょう。

さて、現在のところ、情報産業化と情報智業化の両面で、共に世界の最先端に立っているのは、いうまでもなくアメリカです。1989年に冷戦が終焉した時、冷戦の真の勝者は日本とドイツだったのではないかといった見方が、一時ですが、出されたことがありました。しかし、今となっては、やはりアメリカこそが、その真の、そして唯一の勝者だったことは明らかです。アメリカは、19世紀のイギリスが、いちはやく産業革命に成功して、新しい力の源泉を獲得し、百年におよぶパクス・ブリタニカの礎を築いたように、今いちはやく情報革命に成功して、新しい力の源泉を獲得し、 "パクス・アメリカーナ・マークU" の時代の到来を視野に入れはじめたように見えます。昨年の九月、米国の新政権は、全国情報インフラの構築のための行動計画の発表にさいして、「知は力であり、力が雇用をもたらす」と断言すると共に、アメリカが情報革命によって手に入れた国際競争力の面でのこの優位を今後手離す気はないこと、その成果を全国民に均霑させることによって、新しい階級分裂や対立の発生を防ぐと共に、アメリカの優位をより確かなものにしていくこと、を言明しました。また、トフラー夫妻は、アジアはアメリカを排除すべきではないとして、つい最近、次のように述べています。

流行の「アメリカ衰退」論をうのみにして、排外主義に走るのは大きな過ちと言わざるをえない。アメリカの現在の苦悩は衰退の結果ではなく、第三の波の先頭に立つ役割を引き受けた結果だということを、認識しなくてはならない。衰退しているのは、アメリカではなく、今や時代遅れとなった第二の波、すなわち工業社会である。... 経済的にも軍事的にも、アメリカは将来のカギとなる「情報の優位」を確保している。 (『ニューズウィクー』94年1 月16日号)

私は、 "第二の波" とか "第三の波" といった見方については、トフラー夫妻とは見解をいささか異にするものですが、彼等のこのような指摘自体については、共感するところが大きいものを覚えます。

冷戦の終焉に話を戻しますと、旧ソ連は、近代化のうちの軍事化については、アメリカに匹敵する成功を収めました。また、産業化についても、重化学工業化の段階までは、何とかアメリカに追い付こうとすることができました。しかし、情報革命にいたって、アメリカの軍門に下らざるをえませんでした。ちょうど、かつての日本人の多くが、アメリカの技術力と生産力に敗れたと考えて、経済発展に専念して再起をはかったのと似たような意味で、今日の旧ソ連圏には、アメリカの情報化の力に敗れたと考えて、情報化に専念することで再起をはかろうとする人々が少なくありません。先日クリントン大統領とと共に旧ソ連圏を訪問したゴア副大統領は、次のようなエピソードを語っています。キルギスタン共和国のアカーエフ大統領の八歳になる坊やが、「お父さん、ぼく英語を勉強しなくちゃ」といいました。「なぜ」ときかれると、「だって、コンピューターは英語を話すんだもん」と答えたというのです。確かに、インターネットの上での標準語は英語です。それでも、アメリカの「文化的帝国主義」を批判する声は、インターネットのどこからも聞こえてきません。むしろ聞こえてくるのは、「英語の苦手な日本人は、インターネットへの参加を諦めて、情報的に鎖国するつもりなのか」といったような声なのです。他方、日本の中では、情報化に遅れをとったのかもしれないという自覚は、ごく最近になって、ようやく出てきはじめたにすぎません。お国の場合は、どういう状況なのでしょうか。

実は、 "情報化" とか "情報社会" といったコンセプトを最初に作りだしたのは、1960年代の日本でした。その後の20数年間、日本人は、主観的には官民を上げて情報化に邁進し、世界の先頭を切って進んでいると思っていました。ところが、1990年代にいたって、その失敗が明らかになったのです。マキナニーとホワイトが最近出版された "Beating Japan"という本で行っている分析によれば、日本は情報化という的は正しくしぼったものの、その実現の戦略において誤ってしまいました。半導体ではメモリーに、コンピューターではメーンフレームに、通信では端末に力を注ぎ、MPU やWSあるいは並列プロセッサーの開発をおろそかにしてきました。ハードウエアに機能やアプリケーションを埋め込もうとして、標準化の流れを無視しました。そして、コンピューターのネットワーク化では、完全に立ち遅れてしまったのです。アメリカのある評論家の言葉を借りれば、ネットワーク化されていないコンピューターは、ジャングルのなかの自動車同様、ほとんど無用の長物にすぎません。スタンドアローンのパソコンやワークステーションをいくら導入しても、オフィス・ワークの生産性の向上にはほとんど結びつかないのです。少なくともそれが、1980年代のアメリカが学んだ苦い教訓でした。日本はまた、自動車やカメラのような、すでに成熟した産業では健闘したけれども、金融、航空宇宙、化学薬品、コンピューター・サービス、通信サービス、ソフトウエア等、成長力の高いハイテク分野では、世界市場で見るべきシェアを占めるにはいたりませんでした。日本は、できもしない情報技術の開発に力を入れるのはやめて、今後は、これまでも成果をあげてきた環境技術、公害防止技術の開発に専念した方がよくはないかというのが、マキナニーとホワイトの日本に対する助言です。

これは適切な助言なのでしょうか。また、同様な評価は、韓国や中国に対しても妥当するのでしょうか。そうだとしたら誠に残念なことといわなければなりません。しかし、私達東アジアの諸国民は、少なくとも個々人としては、学習能力や創造力を欠いているとは思われません。問題があるとすれば、社会システムのレベルにありそうです。たとえば、日本人は、仲間の創造的な貢献をなかなか評価しません。あるいは、その足を引張ったり出る釘を打ったりしがちです。日本にはかつて、アメリカに学んで、企業の創造的な技術開発を支援するための組織を作ったある官僚がいました。ところが、この人は、やっと誇るべき成果を出したと思った企業が、私達の作品を見て下さいといってきた時、お前たちにそんなものが作れるわけがないといって一顧だにしなかったという話があります。私自身も、自分が何かを発言したいときに、相手の関心を引きたければ自分の意見としてではなく、外国の権威の言葉を引用する形でいおうとする癖から、なかなか抜け出せません。皆様はいかがでしょうか。

アメリカ人たちは、1980年代の日本経済の "発展" ぶりに接した時、 "日本叩き" を試みる一方では、日本人の産みだした技法やシステムを真剣に研究し学びとろうとしました。日本人の経験を、普遍妥当性をもつと思われる概念や理論や手法に変換した上で、自らのものとして取り入れていきました。カンバン方式が "lean production system" になり、下請け会社と緊密な情報交換をしながら協働して行う開発は、 "concurrent engineering" として理論化されました。後には競争するにしても、まず協力から始めようという "precompetitive cooperation" のコンセプトも作られました。このような態度には、私達もあらためて学ぶべきだと思います。

私達は、21世紀の情報産業化や情報智業化を推進していくにあたって、今こそ真剣に過去を反省してみるべきでしょう。 "キャッチアップ" には適していた思考、行動様式や法律制度が、情報化という未踏の世界に乗り出すにさいしても有効であるという保証はどこにもありません。また、1980年代のアメリカが、多大の社会的な犠牲を払いながら、苦労して生みだした成果それ自体を、またしても模倣して追いつこうというのでなく、新しいものを創造する仕組みそのものを研究し学習していくことが必要なのではないでしょうか。私達は、21世紀のアメリカやヨーロッパと、良い意味で競争できるようになるために、真剣な反省と学習をしなければなりません。また、21世紀の東アジアにおいて、互いに競争し切磋琢磨できるようになるために、今真剣に相互協力の仕組みを作り上げていかなければならないと思います。私達の近代文明をして、その有終の美を飾らせるためにも、そのことは必要不可欠ではないでしょうか。