94年度著作へ

1994年5月4日

「ネットワーク・コミュニティ−
"地域主義" を超える地域コミュニティの視点−」

電子の国「COARA」

公文俊平

ネットワーク・コミュニティと尾野徹さん

 私がコアラの尾野さんに始めて出会ったのは、手元の日記によると、1986年の9月10日の夜だった。当時、会津泉さんや中村広幸さんたちがやっていたネットワーキング・デザイン研究所での研究会に参加した時のことである。会場には北矢行男さん――北矢さんにもこの晩が初対面だった――他20人ばかりの方々が集まっていたのだが、その中で、ほとんど "異様に" といいたいくらいキラキラと輝く眼をもった人がいて、この人はいったい何者だろうと内心いぶかしんだ。それが尾野さんだったのである。尾野さんからすれば、この本の第四章にも書かれているように、「東京で認めてもらおうと上京を開始して」から、半年ばかりたった時のことになる。

 それまでにも、尾野さんたちが始めた大分のBBSのコアラのことは、会津さんや中村さんからたびたび聞いていた。単に聞いていたとか認めていたというようなものではない。この時点ではもう、コアラの名声は東京のネットワーカーたちの間では鳴り響いていたのである。その夜の尾野さんの熱っぽい話ぶりに接して、「これは、この人の入れこみようは半端ではないな」とあらためて実感した。聞きしにまさるすばらしい試みが、大分では行われているようだ。そこで、私も早速コアラに入会させていただくことにして、300番というとても覚えやすい番号を頂戴したのだが、それがコアラの方々や、大分という地域とご縁のできたきっかけであった。

 大分がどういうところなのか、私はまったく知識がなかった。なにしろ、大分には、高校の修学旅行で別府に一泊したことがあるだけだった。しかし、コアラでの活発なオンライン・コミュニケーションに接しているうちに、どんなところか訪ねてみたいものだという気持にもなってきた。そこへ尾野さんから、1987年の5月末のコアラの二周年記念の例会に参加しないかというご招待をいただき、喜んでお受けした。平松知事にも初めてお目にかかり、それまでは名前しか存じあげなかったコアラのメンバーの多くの方々にも、例会とその後の二次会で直接お話をすることができたのは、とても嬉しかった。その少し前に、PC−VANを使って第一回の "ネットワーキング・フォーラム" (1987年4月開催、この時のテーマは、ネットワークのビジネス利用だった)のための電子会議を始めたところが、何人かの方々から強い反発を受けてどうにもならなくなってしまったことがあった。これは主に、他の多くのBBS同様、ハンドルネーム主義が支配的だったPC−VANに、実名で議論しましょうと呼びかけて後から "乗り込んで" いった私たちへの反発ということらしかった。それに対して、コアラは最初から実名でのやりとりと、オフラインでの例会やその後の飲み会がセットになっているという運営のスタイルで、それも「ネアカ、マエムキ、ハキハキ」をモットーにしている人たちの集まりだというところが、実に新鮮で、感じがよかったのである。私は、コアラの場合、オフラインでの顔合わせがきっかけとなって、本気で参加しようという気持が強まったように思う。ここに "ネットワーク・コミュニティ" があるなという実感は、電子的なコミュニケーションもさることながら、尾野さんや藤野さんという生身の人間を通じて、また、例会に――大分県外からもはるばる参加された方も少なくなかった――集まって来られた方々との直接の接触から得られた面が、より強かったといえそうだ。

 そして、ネットワーキング・フォーラムの二回目は、「ワープロ/パソコン通信ネットワークによる地域社会の活性化」をテーマとして、同じ1987年の秋に大分で開かれることになったのだが、このフォーラムの "歴史的" な意義は、その第二部で、 "ネットワーク・コミュニティ" について議論するパネルが持たれたこと、またフォーラムの準備のために開かれた二つのオンライン会議の標題にも、 "ネットワーク・コミュニティ" および "新しい地域コミュニティ" という言葉が使われたことにあると思う。

 後年、第一回日出会議(1990 年開催) に参加したアメリカのハワード・ラインゴールドさんは、彼がサンフランシスコでメンバーになっている "WELL" という電子会議グループと、大分のコアラとが、いろいろな面で非常に良く似ていることに強い感銘を受け、『バーチャル・コミュニティ』という本を書いた(1993 年出版) 。この本は、出版される前から前評判が高く、10月に出版されたかと思うとすぐに、その年の10冊の主要なビジネス書の一冊にも選ばれた。この事実は、近年のアメリカで、 "グループ" や "コミュニティ" あるいはその中で展開される "協働 (コラボレーション)"、とりわけコンピューターとそのネットワークによって媒介され支援されているグループやコミュニティへの関心が、とみに高まってきているという傾向と符節を合わせている。私たちのいう "ネットワーク・コミュニティ" や、ラインゴールドのいう "バーチャル・コミュニティ" とは、そのようなグループあるいはコミュニティの謂いに他ならない。

 しかし、これまでのような "パソコン通信" 型のネットワーク、つまり一台のホスト・コンピューターを中核にして、そこにグループのメンバーが電話線を使ってアクセスしてきて、そこに残されたメッセージやデータを読みとったり、新しく追加したりしていくというシステムは、どうしても閉鎖的になりがちというか、やや融通のきかないところができてしまう。それを防ぐために、パソコン通信のネットワーク間の相互接続を試みたとしても、仕組みが物々しいものになったり、発言者がそれぞれ自分の属しているネットワークを代表して発言しがちになるといった気負いの強いものになったりしかねない。そこへ行くと、近年のいわゆる "インターネット" 型のシステムは、比較的小規模な局地的ネットワーク(LAN) を単位として、それらが互いに対等な形でつながりあって、全体として巨大な "ネットワークのネットワーク" を形成するという構造を作っているだけに、柔軟性も高いし、拡大もしやすいように思われる。しかし、その点は後でもう一度考えることにして、ここでは、1987年という時点で私たちの考えていた "ネットワーク・コミュニティ" の理念をふりかえってみよう。まず、電子会議のために準備した私の問題提起発言は、次のようなもの(一部省略してある)だった。

ネットワーク・コミュニティ―― "地域主義" を超える地域コミュニティの視点――

このところ、日本には東京に向かう新しい集中化の動きが急激に進んでいる。過去の集中化は、統一された近代的な軍事・産業国家の建設に伴うもので、政治的な中央集権化がその中核にあった。舶来の優れた文物制度はすべて東京経由で、中央政府の権威とリーダーシップのもとに、民間や地方に拡められたのである。

 しかし、今回の集中化は、いささか様相が違っている。それは、政治的というよりは、経済的・情報的な活動と力の集中である。また、日本が知識や商品を一方的に取り入れるためにではなく、日本と世界が互いに双方向の交流を深めていくための集中化である。

 その背景には、二つの大きな流れがある。一つは、世界のとくに先進地域に等しく見られる情報化と地球化の新しい流れである。もう一つは、日本の地位のめざましい向上である。この二つの流れが重なったところに、世界の新たな産業・金融・情報センターとしての東京の急速な台頭が生じているのである。

 もっとも、今の集中化の傾向が、そのまま未来に向かって続くとも断定し難い。東京の空港や道路事情の悪さは日本の中でも異常なものがあるし、地価やオフィス・ビルの賃貸し料、ホテルやレストランの料金の高さは、まさしく "犯罪的" である。航空運賃や郵便電話料金の高さも世界に冠たるものがあるし、日本の政策的あるいは文化的な閉鎖性も、外国の批判の的になっている。こういった問題点が解決されない限り、東京とそして日本が21世紀の世界の新しい中心になることは既定の事実だとは、とても言っていられないだろう。

 だからといって、センター自体をなくしてしまって、すべてを地方分散させてすむものでもあるまい。日本が21世紀に向かって一段と大きく飛躍していくためには、なんらかのセンター的な機能や、それを担う特別な地域が、日本の中になくてはならないことは確実である。その意味では、現在進んでいる新しい集中化の動きを単に拒否したり、その挫折を期待したりしているわけにはいかない。今必要なのは、センターはセンターで順調に発展させると同時に、それぞれの地域もまたそれと共存共栄できる途を探ることではないだろうか。

 それは、充分に可能でもあると私は考える。そのための技術的・経済的な基盤は、現在進行中の情報通信技術の革新や、それに伴う産業構造の転換の中に見出される。また、心理的・社会的な基盤は、近年のネットワーキング運動に代表される人々の意識の変革や、それに伴う新しい社会システムの形成・普及の中に見出される。こうした変化は、従来の "地域主義" 的な発想に、大きな転換をもたらそうといている。

 一九七〇年代に盛んになった地域主義の代表的論客の一人、故玉野井芳郎教授は、地域主義を、「一定地域の住民が、その地域のコミュニティに一体感をもって行政的、経済的、文化的な自立性を追求すること」だと規定していた。この意味での地域主義は、中央集権的な政治体制と、大量生産の工業技術に立脚した広域的な市場経済などがもたらした人間疎外や自然破壊への反省から生まれていた。それは、政治的・行政的には地域分権を志向し、経済的には土と水の生命系に則した "中間技術" を利用する中小企業としての地場産業に立脚し、文化的には地域の歴史と風土に根ざした "生活感覚" を守り育てていこうとしていた。

 地域主義のこうした考え方は、高度成長期の大衆民主主義や工業文明に対する、あるいは過度の管理化や都市化に対する、反省としては少なからぬ意味があった。しかし、今にして思えば、それは比較的狭い範囲の "生命系" の制約や、 "等身大の生活世界" の快さをいささか意識しすぎたあまり、小規模なシステムの自立性やローカルな価値の重要性を強調することが急な、閉鎖的で固定的な性格のものになりがちだったように思われる。少なくとも、新たに開けようとしていた情報と通信の世界の巨大で柔軟な可能性に対する目配りに、多少欠けるところがあったのではないだろうか。

 なぜならば、今日の情報通信技術の革新は、まさに人類史上初めて、多種多様な情報を思うままに収集し処理して、その結果を文字・画像・音声などさまざまな形で表現し、多数の受け手に距離と時間の壁を超えて伝達することを可能にしつつあるからである。物質的な生産・流通・消費に専ら立脚した活動とは質的に異なる、精神活動を中心とする新たな活動の広大な領域を、われわれの眼前に拡げつつあるからである。物理的なシステムとしての情報通信のネットワークは、それを支える新しいインフラストラクチャー(下部構造)である。そして、私のいう第三の社会システムとしての "ネットワーク" は、それを実現するための社会的な仕組みに他ならない。

 これまでの人類社会で広く知られている "組織" や "市場" のような社会システムとは違って、 "ネットワーク" は、そのメンバー相互の間の、事実の認識や評価にかかわる、あるいは望ましい目標の設定やその実現の手段の選択にかかわる、情報や知識の通有を目的として形成される。ネットワークのメンバー達は、通有された知識や情報をもとにしながらも(つまり、仲間の意見や行為を大いに参考にはしながらも)、自分自身の意思決定や行為については、基本的には個々別々に、主体的に行う自由をもっているのである。

 もともと、日本の社会では、この意味でのネットワークが非常に重要な役割を果してきた。昔のムラの寄り合いや、今の審議会の仕組みなどは、やや閉鎖的な色彩が強いとはいえ、典型的なネットワークのそれだといってよかろう。私の予想では、来るべき21世紀は、このようなネットワークが、それも情報通信技術の革新および個人主義や地域主義を超えた意識変革に支えられて開放的でグローバルな展開を志向するネットワークとそのさまざまな複合体とが、中心的な社会システムとしての役割を果たす時代になる。それぞれの地域社会はもちろん、国家や国際社会も、ネットワークをベースに再編成されていく。 そういった観点から、これからの地域コミュニティのありかたを考えてみると、従来の地域主義の主張とは性質の異なる、次のような原則をあげることができよう。

これらの原則に従って構成されている地域コミュニティのことは、 "ネットワーク・コミュニティ" と呼ぶのがよかろう。このようなコミュニティやその構成要素としてのネットワークは、一方では他と区別しうる明確な個性をもちうるし、またもつように努めてしかるべきである。しかし他方では、その境界は、空間的、人的、機能的等々のあらゆる外的基準からみて曖昧である。最近の流行の用語を借りていえば、それは "ファジー(曖昧)集合" なのである。それぞれのネットワークは、その活動の過程で、他のさまざまなネットワークとの間にさまざまな結びつきを作っていく。そして、競争や協力の関係を発展させていく。さらに、部分的に重なりあったり、連合・合体したり、あるいは分離・分裂したりしていくかもしれない。個別的にも、成長・発展するものもあれば、衰退・死滅するものもあろう。そうした中で、ネットワークの個性にますます磨きがかかるものもあれば、個性を失った魅力のないものに変質してしまうものもあろう。いずれにせよ、これからのネットワーク・コミュニティは、開放的であると同時に流動的な存在となって、 "等身大の生活世界" には必ずしもこだわらない、伸縮自在、変幻自在の柔軟性を、ますます強めていきそうである。これからの地域社会の活性化は、このようなネットワーク・コミュニティをめざしたその積極的な再編成によって、初めて可能になるのではなかろうか。

なお、電子会議自体の中で私が試みた議論の中間的なまとめ、および議論の流れを参考にしながらフォーラムの場で行った基調講演の要旨については、尾野さんがこの本の中に載録して下さってあるので、ここでは繰り返さない。

あれから七年。今、これらの記録を読み返してつくづく思うのは、事態は当時私が予想・期待した方向には進まなかったということである。1987年に策定された第五次全国総合開発計画は、紆余曲折のあげく、 "東京一極集中の是正" をスローガンとした。結局、世界の新たな産業・金融・情報センターとしての東京の整備は不十分にしか進まず、その後のバブルの崩壊の過程で、世界の中での東京の役割は大幅に縮小してしまった。成田は世界の一ローカル空港にすぎないし、情報・通信のグローバルなネットワークの展開という点から見れば、国際専用線価格が異常に高い東京(日本)はどうやら置き去りにされようとしている。この数年の間に、日本は、せっかくのチャンスをみすみす逸して、情報化・地球化の流れに大きく立ち遅れてしまったのだ。他方、地域でのネットワーク・コミュニティの形成も――パソコン通信自体はさまざまなニューメディアの中では成功した部類にはいるとはいえ――思ったほどには進展していない。

 しかし、世界の流れは違う。あきらかに、あのころ私達が予想し期待していたような流れが、情報通信技術の新しい展開や人々の意識の変化と共に、急速に大きなものになりつつある。とくにアメリカでは、1980年代の終わりごろから、先に述べたように、グループやコミュニティへの関心の新たな高まりが起こってきている。また、同じころから、情報社会のインフラストラクチャーの本命的な原型ともいうべき "インターネット" の爆発的な普及が始まった。とくに、1992年あたりから、インターネットは当初の研究・教育の世界での利用に加えて、企業や行政の実務の世界へ、また市民生活の中へと急速な浸透・拡大を始めている。現在では、インターネット――今や "ザ・ネット" とも呼ばれるようになりつつあるが――は、世界の137ヵ国に拡がり、220万台のコンピューターを結びつけ、そのユーザーの数は2000万人を超えたという。こうしてようやく、「世界中のコンピューターが一つに結ばれる」時代、そしてその基盤の上に、世界中の人々が一つに結ばれる時代が、私達の視野の中に入って来はじめた。21世紀の初頭には、ザ・ネットに結ばれているコンピューターの数は、世界の人口を上回ってしまうのではないかという予測さえある。日本でも、ようやく、先進産業社会の中でただ一つ、 "異常" に立ち遅れてしまった日本の情報化、ネットワーク化の現状を自覚し憂慮する声が高まり始めてきた。

 私たちは再出発しなければならない。新しい飛躍のきっかけを作らなければならない。1990年と92年に続いて、今年の春に大分で開かれた第三回の別府湾会議を終わるにあたって、毎回出席してきたハワード・ラインゴールドは、今度私が日本に来た時には何百もの "コアラ" ――つまり、彼のいうバーチャル・コミュニティ――が、日本に生まれていることを期待している、と述べた。そうなのだ。今こそ、コアラは脱皮して生まれ代わらなければならない。あるいは、コアラは何十にも何百にも "分蜂" することによって、大分中、いや日本中のすべての市民が、組織が、世界に向かって開かれたいくつものネットワーク・コミュニティに、それぞれ加入しているような状態の実現をめざして、発展していかなくてはならない。そのためには、これまでのコアラやその他のネットワークにとっての通信インフラの役割を果たしてきた "豊の国ネットワーク" も、よりいっそう高速・広帯域の通信ネットワークに、作り替えていかなくてはならないだろう。そのための機は、確実に熟しつつある。長年、 "コアラの事務局長" として自他共に許してきた、尾野さんには、今回の著書の出版を機会に、もう一段の飛躍をお願いしたい。そして、 "地域の全面的な情報化" のリーダーとしての新しい役割に挑戦し、それを立派にやりとげていただきたいと思う。もちろん、私達も、そのためにはできる限りの支援を惜しまないだろう。