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1994年10月10日

「情報化と国際化」

公文俊平

情報化と国際化

"情報化informatization"と"国際化"という言葉は、日本では、とりわけ1980年代以来、広く用いられるようになってきている。たとえば、一九八〇年代の日本が直面している大きな社会環境の変化として、(高度)情報化と国際化と高齢化の三つをあげるのは、一時期、ほとんど自明のこととされていた。それにもかかわらず、情報化と国際化という言葉自体の意味となると、まだまだ、多くの人々が一致して受け入れるような明確な定義は、必ずしも得られているとはいえないようだ。私自身は、この二つの言葉を、近代文明の進化過程に関連づけて、次のような意味で使うことにしている。

まず、"情報化"は、近代文明の進化の第三局面に出現する、技術革新および社会発展の大きな波を指す言葉であって、第一局面での"軍事化militarization"、および第二局面での"産業化industrialization"に比肩されうる、重要な社会変化過程を表す。

私の解釈では、近代文明の進化の第一局面は、衰退しつつあるローマ帝国の辺境にあったヨーロッパでの領域的な権力単位の自立の過程としてまず始まった。6世紀ごろから始まって15世紀ごろまで続いた、いわゆる"封建化feudalization"の過程がそれである。(中華帝国の周辺にあった日本では、同様な過程は、やや遅れて平安末期から始まったといってよいだろう。)封建領主たちが作り上げた連合国家は、14世紀から16世紀にかけての、大砲の発明や帆船による大洋航行術の開発のような一連の技術革新(軍事・航海革命)をへて、"近代主権国家"としてみずからを再組織していく。これが、"軍事化"の過程である。17世紀の半ばまでには、西欧に成立した近代主権国家群は、国威の増進・発揚をめざす戦争や外交のような相互作用を、一定の規約(国際法)に従ってそれぞれが競争的に行うための、それ自身は非主体型の広域的な社会システム、つまり一種の世界システム−−具体的には"国際社会"とか"諸国家のシステムsystemofstates"などと呼ばれた−−を生みだしていた。つまり、国際社会は、近代主権国家が"威のゲームprestigegame"をプレーするための舞台として形作られていったのである。

"国際化"という観念は、ここで最初に出現してくる。すなわち、上の意味での"国際社会"の形成過程が、あるいは遅れて主権国家としての独立を達成した国家state(ないしその国民nation)が、既存の国際社会の規約を受け入れつつその一員として認められるようになっていく過程が、最も本来的な意味での"国際化"であった。つまり、国際化とは、なによりもまず、近代化の第一局面における世界システムの形成過程それ自体を、表す観念なのである。

近代文明の進化の第二局面は、11世紀から12世紀にかけてのヨーロッパに見られた"商業の復活"−−"商業化commercialization"−−と共に始まる。(念のためにいえば、私は、近代文明の進化の三つの局面は、互いにかなりの期間にわたって重複していると考えている。)その後数百年、着実に進展していったこの商業化の過程は、城壁に囲まれた都市city,Burgに居住して商工業に従事する新たな社会階級−−市民citizen,Brger−−を生みだした。市民たちは、次第に強力な社会的存在となり、17世紀から19世紀にかけて、主権国家の統治過程への参加や、国家の統治構造そのものの改革を要求する、"民主主義革命"、ないしは"市民革命"を、ヨーロッパ各国で実現していった。そのような過程を通じて、都市の住民としての"市民(シティズン)"は、国家の正統なメンバーとしての"国民(シティズン)"に変わっていったのである。

市民たちはまた、18世紀の後半以来、みずからの生業であった商工業の分野での一連の技術的突破−−産業革命、産業化−−を主導し、一定の規約に従って富の入手と誇示をめざして競争する、"近代産業企業modernindustrialenterprise"の経営者となった。これらの企業が従事する"富のゲームwealthgame"の舞台となった広域的な非主体型の社会システム(世界システム)が、"世界市場worldmarketplace"に他ならない。

近代産業企業は、ほぼ百年おきに、技術革新の新たな波(産業革命)を集中的に生みだしつつ、個別国家の統治権の及ぶ範囲を超えて、活躍の範囲を"ボーダーレス"に拡大する一方、その構成員も多国籍化していった。そのような観点からすれば、"産業革命"とは、18世紀末のいわゆる産業革命theindustrialrevolutionだけでなく、19世紀末の重化学工業化(第二次産業革命)や、20世紀末の情報産業化(第三次産業革命)のすべてを指しているということができるだろう。

近代化の第二局面において見られるようになった、世界市場の形成過程、あるいは企業および企業の経営者ないし従業員の活動のこのような世界的world-wideな拡大の過程は、近代化の第一局面における"国際化"との対比でいえば、"世界化worldnization"とでも呼ぶことが適切だろう。しかし、一般には、この過程もまた"国際化"として総称されているといってよさそうである。私はここでは、本来の意味、第一の意味での国際化と区別して、近代化の第二局面での"国際化"(世界化)のことを、"第二の意味での国際化"と呼んでおきたい。つまり、第二の意味での国際化とは、貿易や対外直接投資の“マルチラテラル”な発展、企業の所在地や構成人員の多国籍化などを意味するのである。

私はここで、近代文明には、その進化の第三局面が存在すると主張してみたい。それは、13世紀から17世紀にかけての、"ルネサンス"や"印刷革命"および"宗教革命"や"科学革命"などといった、"人文化humanization"とでも呼ぶことが適切な社会進化過程の出現と共に始まった。近代社会で活躍したさまざまな社会的主体にとって、封建化が、脅迫threatや強制coercionを通じての対人的な統制や支配を"主権"の名において正当化していく過程−−対社会的自立過程−−であり、商業化が、取引tradeや搾取exploitationを通じての対物的な統制や支配を"財産権"の名において正当化していく過程−−対自然的自立過程−−であったとすれば、人文化は、説得persuasionや誘導inducementを通じての対自己的な統制や支配を"情報権"の名において正当化していく過程−−対自己的(反省的)自立過程−−であったといってよいだろう。

商業化が新しい生業や社会関係に立脚した、新しい社会階級としての市民を生みだしたように、人文化もまた新しい生業や社会関係に立脚した、新しい社会階級を生みだす。人文化によって生まれた新しい生業は、芸術や宗教や科学などの面での情報や知識の創造と通有sharingあるいは普及にもっぱらたずさわる営みであって、"智業intelprise"といった言葉で呼んでみることができるだろう。(ここで"智業intelprise"とは、"企業enterprise"と照応する形で作られた私の造語である。)智業の従事者たちは、情報や知識の創造と通有のために、新しい社会関係−−バーチャルな知の共同体あるいは知のネットワーク−−を生みだしていく。その一つの典型が、16世紀のイギリスの文人たちのあいだに作られていた、"書簡のコミュニティcommunityofletters"である。ここでは、このような新しい社会関係およびその場としての社会システムのことを、"ネットワーク"と総称しよう。そして、ネットワークに棲んで知や情報の創造と通有に従事するひとびとのことを、都市の住人としての"市民citizen"にならって、"ネティズンnetizen"と呼ぶことにしよう。昔のネティズンの活躍が、"サロン"での会話や書簡の交換の中に見られたとすれば、今日のネティズンは、コンピューターのネットワークあるいは"ネットワークのネットワーク(インターネット)"を基盤として形成される、“社会システムとしてのネットワーク”(“バーチャル・コミュニティ”などとも呼ばれる)の中での、コミュニケーションやコラボレーションを、その主たる活動形態としている。("ネティズン"という言葉自体は、私の造語ではなく、インターネットの中で生まれて、いま急速に普及しつつある言葉である。)

近年では、新しい社会階級としてのネティズンたちの活躍の場は、ますます広域化し、グローバル化し始めている。私は、その意味での広域的な知識や情報の通有の場のことを、"市場marketplace"にならって、"智場intelplace"と呼ぶことを提唱したい。あるいは、世界市場に対して、地球智場globalintelplaceと呼ぶことを提唱したい。今日の世界では、"NGO"や"NPO"などと呼ばれる新しいタイプの社会集団の活躍が目立ってきている。しかし、政府(ないし国家)ではない組織体(NGO)とか、営利を目的としてはいない組織体(NPO)といった名称は、これらの社会集団の特性の消極的な特徴づけでしかない。他に、"アドボカシー・グループ"という名称が用いられる場合もあるが、この方がよりよく事態の本質を表現しているといえよう。私が先にあげた用語でいえば、これらの集団こそ、"智業"と呼ぶことがふさわしい集団である。

ネティズンの登場は、どのような社会的含意をもつだろうか。市民の登場と対比しながらその点を考えてみよう。先に述べたように、商工業が生みだした新たな社会的パワー(一般的な取引・搾取力としての富の力)を身につけた市民たちは、一方では市民革命の、他方で産業革命の担い手となった。それと同じような意味で、知識や情報の創造と通有を業とするネティズンたちは、国家や企業が持っているのとは異質な社会的パワー(一般的な説得・誘導力としての智の力)をもっている。その意味では、既存の官僚や大企業ではなしに、彼等こそが、新時代の真の"情報強者information-haves"なのである。

ネティズンたちは、こうした新たなパワーを背景として、一方では既存の社会的権力機構に対して、参加を要求したり異議を申し立てたりする。すなわち、国家機構に対しては、中央集権的な統治機構を地方分権的な統治機構に変えることを要求する。国連のような国際機関の活動に対しては、さまざまな形での参加を求める。あるいは、自分たちの声が国連の場での意思決定に反映されることを期待する。また、これまでのような"代表制民主主義"の政治システムに対しては、より"直接民主主義"的な方向への構造改革を推進しようとする。政府情報をふくむさまざまな情報源や情報発信手段への自由なアクセスを要求する。同様に、近代産業企業に対しては、企業内の階層的な権力構造の廃止あるいはそのフラット化を要求する。個別企業や業種の壁を超えた、他の企業あるいは顧客との自由なコミュニケーションや自発的なコラボレーションの展開を志向する。さらには、企業組織そのものの"バーチャル化"や、"テレコミューティング"のような勤務形態の変更を推進したりしようとする。私は、このような試みを、かつての"市民革命"にならって、"ネティズン革命"の試みと呼びたい。

市民革命が、イギリスの名誉革命やアメリカの独立戦争、あるいはフランスの暴力革命のようなさまざまな形態をとったように、ネティズン革命も、比較的平和的なものから暴力的なもの−−たとえば、"ハッカー"の反乱によるコンピューター・ネットワークへの襲撃を想像してみよ−−にいたるさまざまな形をとって発生しそうである。ある意味で、アメリカでの民主党政権の登場は、イギリスの名誉革命に匹敵するような、ネティズンたちの平和革命としての意味をもっているといえそうだ。この政権が昨年の暮れに発表した全国情報インフラ(NII)構築のための五原則−−この五原則は今年の三月にブエノスアイレスで開かれたITUの世界開発会議において、地球情報インフラ(GII)構築のための五原則としても採用された−−の中には、"オープン・アクセス"の原則と"ユニバーサル・サービス"の原則とが、ペアになって入っている。前者は、情報強者としてのネティズンに、情報源と情報発信手段への自由なアクセスを保障する原則であり、後者は、情報化時代の情報弱者information-have-notsのために、基本的な情報および情報サービスへの最低限のアクセスを保障する原則だと解釈できる。その意味では、この二つの原則は、すでにネティズンたちの社会的な影響力がある程度確立したことを前提として、今後の新たな階級分裂や対立の発展の可能性を防止するための原則だということができるだろう。それは丁度、市民革命を達成した政権が、将来の"ブルジョワジーとプロレタリアート"との間の階級分裂の発生を防止しようとする政策をとるのに似ている。民主党政権は、いわば産業社会の進化の歴史の教訓に学んで、来るべき情報社会に対処しようとしているのである。

実際、クリントン=ゴア政権には、選挙キャンペーン期間からすでに、多数の若い"ネティズン"たちが積極的に参加して、電子メールその他の先端的なコミュニケーション手段を駆使して活動していることはよく知られている。政府情報の公開に積極的に努めている、政権内のボランティアー・グループであるACE(AmericansCommunicatingElectronically)の活躍も目立っている。しかし、他方では、民主党政権による暗号化方式の標準化や暗号解読と盗聴の可能性を制度的・技術的に保障するための一連の立法化の試みが、一部のネティズンたちの激しい反発を引き起こしているところからも知られるように、現政権が遂行しようとしている"ネティズン革命"は、さまざまな点で不徹底というか妥協的なもの−−だからこそ現実主義的でプラグマティックだともいえそうだが−−であることも否定できない。

近代化の第二局面で、市民たちは自らの営む生業(商工業)自体の領域での技術革命や制度革命−−産業革命−−を主導したように、近代化の第三局面では、ネティズンたちが、情報や知識の創造・普及の領域での技術革命や組織革命−−情報革命−−を主導する可能性が強い。いわゆる"商業資本"が、産業革命を通じて"産業資本"、つまり、産業技術を駆使しつつ"富"の蓄積と誇示をめざす"近代産業企業"に変身していったように、今日までのいうならば"初期智業"は、情報革命を通じて、情報技術を駆使しつつ"智"、すなわち智的影響力(一般的な説得・誘導力)の獲得と発揮をめざす"近代情報智業"に変身していくといってよいだろう。それが私のいう"情報化"の過程に他ならない。*軍事化を通じて、"威のゲーム"のプレヤーとしての近代主権国家modernsovereignstateが誕生し、産業化を通じて、"富のゲーム"のプレヤーとしての近代産業企業modernindustrialenterpriseが誕生したとすれば、情報化は、何よりもまず、"智のゲームwisdomgame"のプレヤーとしての近代情報智業moderninformationintelpriseを生みだすような社会変化過程なのである。

*ただし、普通には、"情報化"ないし、"情報革命"という言葉は、トフラー流に、前近代の農業社会から近代の産業社会へ、さらに産業文明を超えた情報社会へと進む社会進化の"第三の波"をさす、と理解されているようである。そうでなければ、ここでの文脈からいえば、近代化の第二局面の最終段階にあたる"情報産業化"の段階−−産業化の"21世紀システム−−をもたらすような産業革命の一つ、すなわち、技術的・組織的革命だと理解されている。私は、"広義の情報化"という概念の中には、後者を含めてもよいと思う。しかし、今日の情報化が、人類の進化史の中で、農業社会や産業社会に匹敵する発展段階としての情報社会への移行を意味するという解釈には、にわかに賛成しかねる。私はむしろ、"狭義の情報化"は、近代を超える現象というよりは、近代社会ないし近代文明それ自体の進化の第三局面の中で生じている一つの社会変化を意味するという解釈をとりたい。いいかえれば、"近代文明"を、"軍事・産業・情報文明"として理解したい。この点をめぐるより詳細な議論としては、拙著、『情報文明論』(NTT出版、1994年)を参照されたい。

このような近代情報智業が、新たな情報や知識の創造にたずさわる場所は、LAN(localareanetwork)としての"オフィス"−−いやむしろ、距離の制約を超えたほとんど"バーチャル・オフィス"でもいうべきネットワークかもしれないが−−だといってよいだろう。それは、近代産業企業にとっての生産の場所としての"工場"に対応している。近代産業企業が自己の生産した"商品commodity"の"市場"での販売を通じて、商品の社会的な有用性を人々の評価に委ねるとすれば、近代情報智業は、自己の創造した情報や知識−−それは、広く通有されることが予想されているという意味では、"通識sharable"と呼ぶのがふさわしい−−の"智場"での通有ないし普及を通じて、その社会的な有用性を人々の評価に委ねる。そして、それによって、"智"すなわち、一般的な説得・誘導力の獲得と発揮に成功することを期待するのである。その意味では彼等は、情報企業ではない。すなわち、情報や知識を"商品"として生産し販売しようとする存在ではない。

近代産業企業の発展に伴って、市場が世界大に拡がっていったように、近代情報智業の発展は智場の"地球化globalization"をもたらすだろう。近代文明の進化過程に出現する、第三のタイプの広域的な非主体型の社会システム(世界システム)にあたる、地球智場の形成過程と、それに対する智業やネティズンたちの自己適応過程とが、それにあたる。もっとも、先に指摘したように、智場ばかりでなく、そもそも情報や知識の生産の場としての"オフィス"自体ですら、コンピューター・ネットワークの発展によって、地球化してしまうかもしれない。あるいは、オフィスも智場も共に、物理的な場所を超えた"サイバースペースcyberspace"の中に移っていってしまうかもしれない。

それはともかく、ここでもまた、"国際化"という言葉は残して、その意味の範囲を拡げるというのであれば、近代化の第三局面において生ずるこの意味での"地球化"ないし"サイバー化cybernization"のことは、"第三の意味での国際化"と呼ぶことが許されよう。

そのような観点からすれば、今日の近代文明社会においては、"国際化"は、国家ないし国民のレベルと、企業ないし市民のレベルと、智業ないしネティズンのレベルのそれぞれで、異なった意味合いをもちながら進行しているということができるだろう。また、それぞれのレベルでの国際化のありかたは、近代化の各局面の進展に伴って、その様相を変化させてきているということができるだろう。

まず、国家のレベルでの"国際化"についていえば、20世紀の二度の世界大戦をへて、私のいう"威のゲーム"の社会的正統性、つまり侵略戦争や植民地獲得競争の社会的正統性は、ほぼ完全に失われたといってよいだろう。そのことは、"国際社会"のあり方自体が、その構成要素としての個々の主権国家のあり方と共に、変質していかざるをえないことを示している。

そのことは、一方で、20世紀における国際連盟や国際連合のような超国家的組織体の形成に見られるように、従来の国家よりも上位の主体に対する、国家主権の(少なくとも一部の)委譲の過程が始まっていることを意味する。つまり、非主体型の社会システムとして形成されてきた国際社会の"主体化"が始まっていることを意味する。しかし、今日の国連の運営をめぐる混乱が示しているように、人類はまだ、従来の国際社会に代わる十分な存続力と機能力とをもった新たな世界システム−−非主体型であれ主体型であれ−−の設計には成功していない。だからといってその課題を放置しておくことはできない。村上泰亮が『反古典の政治経済学』で鋭く指摘したように、単に"民族自決"や独立を承認しただけでは、そして新たに誕生してくる諸国の国内統治体制として民主政が採用されることを期待しただけでは、"国家間システム"の円滑な運営は保証されないのである。そのことは、私のいう"本来の意味での国際化"が、すでにその歴史的使命を終えたのかもしれないことを示唆している。

いま一方では、これまでは戦争や外交を通じて処理されてきた国際社会の諸問題−−とりわけ国家間、民族間の紛争の解決と平和の維持という中心課題−−への対処をめぐって、国家や国際機関以外の主体−−企業や智業を構成要素とするさまざまな"NGO"が積極的に発言・関与しようとする傾向が強まっている(たとえば"グリーン・ピース"の活動)。これは、第二あるいは第三の意味での国際化過程が、本来の意味での国際化の過程に取ってかわろうとしていることを示唆しているように思われる。しかし、それはどこまで有効でありうるだろうか。

次に、企業のレベルでの"国際化"について考えてみよう。近代社会、とりわけ20世紀の"パクス・アメリカーナ"の下での近代社会では、国際社会の達成すべき二大目標として、"平和と繁栄"を掲げ、そのための最も有力な手段として、前者については"民主主義政治"に、後者については"自由市場経済"に期待することが、ほとんど確立した教義のようになっいた。しかし、先に指摘したように、戦争や外交の明確なルールをもたないままでの個々の"民主主義国家"間の相互作用がただちに平和をもたらすという保証はない。民主主義国家が極めて好戦的な国家となる可能性は、決して低くないのである。他方、19世紀から20世紀にかけての日本やNIESなどの歴史的経験は、経済発展にとっての"開発主義"体制の有効性を明らかにした。つまり、市場の自由な動きをある程度制限するような、経済運営過程に対する国家−−それも必ずしも民主主義的とはいえない政治体制をもった国家−−の介入や指導の有効性が明らかになったのである。そればかりではない。"第三次産業革命"の進展する過程で、ある限られた範囲−−前競争的研究開発の推進や民間部門の競争的投資の促進等−−ではあれ、"新開発主義"的な"産業政策"の採用が、産業化の後発国だけでなく最先進国にとっても、ある程度有効かもしれないという反省が生じている。少なくとも、21世紀の世界政治経済秩序を構想する上では、民主主義や自由競争の観念を、あまりにも狭く解釈しすぎてはならないだろう。

だがそれにしても、すでに産業化の"20世紀システム"への追いつきを達成した日本のような地域が、"ボーダーレス"で"多国籍化"する方向にますます展開している近代産業企業の"国際化"の動きに逆行するような、旧態依然とした開発主義的な制度や政策をとり続けることの方が、むしろより深刻な問題だろう。すでに、金融・証券や運輸・通信などの先端産業では、日本から撤退する傾向や日本をバイパスする傾向が目立っている。ソ連型の社会主義計画経済体制は、産業化の"20世紀システム"の前半の"突破段階"ともいうべき重化学工業化には相当な成功をおさめたものの、後半の"成熟段階"での乗用車や家電などの耐久消費財の生産でつまづき、第三次産業革命がもたらす産業化の"21世紀システム"への移行においては、決定的な遅れをとり、政治経済体制としても崩壊してしまった。日本の政治経済体制にも同様な運命が待っていないとは、果たして断言できるだろうか。確かに戦後の日本は、"20世紀システム"の"成熟段階"への移行にはめざましい成功をおさめた。しかし、産業化の"21世紀システム"への移行に成功するという保証はない。少なくとも、その最初の段階で、日本はアメリカに大きく立ち遅れたことは否定できないのである。その意味では、日本の産業社会は今、"第二の意味での国際化"の必要に迫られている。

それでは、"情報化"に伴う"第三の意味での国際化"についてはどうだろうか。すでに見たように、新しい社会階級としての"ネティズン"の台頭と、その政治的影響力の獲得については、アメリカが断然先行している。1980年代以来のアメリカ社会の混乱は、"情報化"がいちはやく進展したことによる、産みの苦しみだったのかもしれない。やがては"地球情報インフラGII"が構築され、それを活用した知識や情報の通有の試みが全世界に拡がるだろうが、その先頭に立って活躍するのは、アメリカの智業家intelpreneurやネティズンたちであろう。彼等の多くは、アメリカ的な文化(世界観や価値観)に立脚し、もっぱら英語による知識や情報の通有を試みるだろう。

英語によるコミュニケーションに参加しようと思えば、基本的には、自分たちもまた英語を身につける以外にない。キルギスタンのアカーエフ大統領の坊やは、「コンピューターは英語を話すから、僕は英語を勉強しようと思うんだ」と父親に語ったという。確かに、今日の"インターネット"では、英語が圧倒的に支配的な言語となっている。人間による、あるいは機械による翻訳の助けを借りることは、ごくごく限られた範囲でしか可能でないだろう。そうだとすれば、私たちは、英語を学んで使う決心をしなければならないだろう。そのためには、単に"サイバースペース"だけでなく、日常的な生活空間においても、英語を使用する人々との持続的な接触・交流があることが望ましいだろう。私は、"第三の意味での国際化"を本格的に進展させるための条件は、それぞれのコミュニティが、自分たちの母語以外に、英語を"共用語"として採用することではないかと考えている。恐らくそのためには、各コミュニティの"多民族化multiethnicization(?)"が、必要不可欠だろう。

しかし、厳密な意味での民主主義や自由市場−−厳密な意味でというのは、アメリカ的文化の制約の下で解釈された意味でということだが−−が、未来の世界政治秩序や経済秩序の排他的な核とはなりえないように、アメリカ英語やアメリカ文化だけを核とする世界社会秩序もまた成立しえないだろう。私の考えでは、未来の世界秩序は、政治秩序および経済秩序に加えて、第三の"社会秩序"とでもよぶべき柱を必要とする。世界政治秩序は、近代化の第一局面において形成されてきた。世界経済秩序は、その第二局面において形成されてきた。同様に、近代化の第三局面において形成されてくるのが、この"世界社会秩序"なのではないだろうか。世界社会秩序にとっての理想は、(異なる文化の)相互理解と、(異なる文明の)相互受容co-emulationであろう。*そして、これらの理想を実現するための手段となるのが、自由なコミュニケーションと自発的なコラボレーションだと思われる。情報化がもたらしつつある第三の意味での国際化の中心課題は、多様な文化と互いに認めあいつつ、文明の相互受容をはかることを可能にするような、"世界社会秩序"の構築ではないだろうか。


*私はここで、"文化"および"文明"という言葉を、次のような意味で使いわけたい。すなわち、"文明"とは、「"文化"を設計原理としながら、環境要因やその他のさまざまな要因の影響もうけつつ意識的に形づくられる、精神・物質の両面にわたる人間の社会生活パターンの複合体」をさし、"文化"とは、「社会の成員の間でほとんどそれと意識されないままに学習・適用・伝達されていく、人間のさまざまな行為の採用原理の、ひいては"文明"の設計原理の、複合体」をさす、としておきたい。この意味での"異文化"は、理解はできても、受容することは極めて困難だと思われる。他方、この意味での"文明"は、自らの文化とは異なる文化を基盤として形成されたものであっても、自覚的に受容することはそれほど困難ではないと思われる。