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1994年10月22日

「情報革命の意義と日本の課題 」

公文俊平

[要約]

 21世紀に向かって現在進行している情報化は、

  1. “第三次産業革命”(情報産業革命)の突破段階、
  2. かつての産業革命に匹敵する社会革命としての“情報革命”、
  3. かつての市民革命に相当する“ネティズン革命”

という多面的な性格をもつものとして理解することが必要だ。

 日本にはこの認識が欠けていたために、アメリカを中心とする世界の先進的な動きから大きく出遅れた。

 日本にとっての当面の具体的な課題は、次の通り。

1)社会全体としては:

  1. “オープン・データ・ネットワーク”の今世紀中の建設と利用の推進、
  2. “情報権”の確立と、既存の諸権利との調整、
  3. ネティズンたちの自由な活動の容認、                     

が必要である。

2)政府のとりくむべき課題としては次のようなものがある。

  1. アメリカの戦略・動きがもつ歴史的な意義の正確な理解。
  2. 画期的な技術の研究開発の支援と、それを促進する制度改革や社会的実験の推進。
  3. 急激な社会変化の時代の未来は不確実で、政府主導での計画的な構築は不可能。情報インフラの構築も含めて、民間の創意と自発性に委ね、政府は情報化の“環境整備”に専念すべきだ。あわせて、“公共投資”の概念自体の抜本的見直しが必要だ。
  4. 円滑な“突破”を助けるという観点からの思い切った規制緩和が必要。とくに個別省庁の枠組みを超えた統合的な取組みが重要。
  5. 情報化のグローバルな展開に日本も積極的に関与することが重要。とりわけ、情報通信にかかわる“地球公共財”の提供に尽力すること。
  6. 地域の情報化を推進し、地域の自立と連帯をはかること。とくに、地球情報インフラ(GII)や全国情報インフラ(NII)と連結した地域情報インフラ(RII)の構築・運営・利用を地域住民主導で行えるような仕組みを工夫すること。
  7. 政府自身が、日常業務の情報化に全力をあげること。“高度情報通信社会”の基本的政策目標としては、情報化の徹底推進による“インフレなき経済成長”と“高福祉・低負担社会”の実現をかかげるべきである。

1.アメリカでの動き

現在急速に進展している“情報革命”の意義を理解するためには、アメリカで起こっていることを、注意深く、また大局的に観察することが有用である。

 アメリカが、産業技術の新しい革命で世界を再び主導しはじめたのは、1989年ごろであった。そして1992年、景気の回復と大統領選のキャンペーンが進行する中で、情報化の展望をめぐって、次の三点をめぐる合意が広く形成された。

  1. 今後の情報処理・通信はディジタル化を中核として進行し融合していく。
  2. その過程の進展を左右するのは、全国情報インフラ(NII)である。
  3. 近未来の突破産業は上の二つ (ディジタル化とネットワーク化) を前提とする新マ ルチメディア産業である。

しかし、

  1. NIIの具体的なアーキテクチャーと、
  2. マルチメディア産業の当面最も有望な応用分野

については、なお意見がわかれていた。

 1993年を通じてさまざまな競合的な試みが行われた後、1994年の半ばまでに、

  1. NIIは、コンピューターのネットワークのネットワークとしての“オープン・データ・ネットワーク”としてまず構築され、その後しだいに各種の既存の情報通信サービス分野 (出版、教育、電子取引、電話・郵便、放送等) をそれに包摂していく形で構築されていくこと、
  2. “オープン・データ・ネットワーク”と不可分の関係にある新マルチメディア産業の当面有望な応用分野は、
    1. 業務 (企業・政府) 利用
    2. 教育・医療・福祉
    3. 娯楽

の順となること、という共通了解がほぼ成立した。

 こうした流れの中で、民主党政権は、1993年のおわりにNII構築五原則を発表した。さらに1994年の3月にはゴア副大統領をブエノスアイレスでのITU世界開発会議に送りこんで、GIIの構築に関する“ゴア・ドクトリンズ”とでも呼ぶべきものを表明させた。

 その第一は、「GIIは国民経済と国際経済の両者にとって経済成長の鍵となる」というものである。それは、とりわけ経済発展途上の諸国にとっては、高度な情報インフラをまず構築することが先決問題で、そうすれば (環境・資源問題の悪化を回避しながらの) 持続的な経済発展が達成可能になるという考え方だといってもよい。

その第二は、「GIIは、民主主義建設の鍵となる」というものである。すなわちGIIは、意思決定への市民の参加を大幅に高めることによって、民主主義の機能を現実に促進すると同時に、諸国民の相互協力能力を大いに促進すると期待されているのである。

 ブエノスアイレスでのゴアは、このドクトリンにもとづいて、GIIの構築に各国が協力してあたろうと呼びかけ、それをとくに産業化の先進諸国にとっての“挑戦”だとのべた。同時に、GIIの構築に当たっては、アメリカが自国のNIIの構築の原則とみなす“五原則”がそのまま適用できるとした。

 世界開発会議が採択したこの五原則とは、NII−GIIの構築は、

  1. 民間が主導し、
  2. 民間の競争を通じて推進する、
  3. オープンアクセスと、
  4. ユニバーサル・サービスを保障する、
  5. 政府の規制は可能なかぎり柔軟なものとする、

というものである。

 最初の二つの原則は、後述する“第三次産業革命”に関係し、次の二つの原則は“情報社会化”に関係していると解釈できる。しかし、これらの原則の米国にとっての妥当性はともかく、文化・文明や経済発展の程度を異にする世界全体にとっての普遍妥当性をどこまでもちうるかは、疑問の余地がある。

 ところで、1934年に制定されて以来、たびたびその改正の必要が叫ばれながら、“情報グリッドロック”に阻まれ続けてきた米国の通信法は、1994年もまた改正がならなかった。下院では大差で通過したものの、上院での審議過程で、競争を恐れる地域電話会社の反対運動が盛り上がる中で、中間選挙のための党略を優先させた共和党の戦術もあって、結局廃案になってしまった。(ただし州レベルでは、競争促進の動きはますます強まっているといわれる。)

 しかし、いわゆる“インターネット”をその原型とする“オープン・データ・ネットワーク”の発展自体は、そうした動きとは無関係に、1989年以来、年々倍増の勢いで続いている。1992年までは、その利用は研究・教育界に限定されていたが、それ以来、企業や政府、学校や病院、さらには個人へと、利用が拡がっている。年々倍増という成長率は、10年間に1000倍という速度であって、この勢いが後数年持続するならば、米国では、この新しい情報通信システムが、今世紀の末までに電話やテレビに匹敵する普及度を見せるようになることは、まず間違いない。 [さらに、アプリケーションとしての“モザイク”と“ロータス・ノーツ”の普及。コンテンツとしてのモザイクのホーム・ページを使った情報提供の爆発的増大。米国政府も10/20 から、“Interactive Citizens' Handbook”として提供を開始。]

 ちなみに、日本でのオープン・データ・ネットワークの爆発的成長は、アメリカよりも約五年遅れて、ようやく今年から本格的にはじまった。しかし、その利用は早くも企業や政府に拡がろうとしているし、その成長率も、アメリカの二倍以上と見られる(たとえば、IIJ社の場合、インターネットへのIP接続数は、昨年末から今年の10月までの間に約5倍になった。UUCPなども含めたトータルな接続数は、同期間に8倍強となっている。)この勢いが持続するならば、今世紀の末までに、日本にもオープン・データ・ネットワークが広く普及するようになることは間違いない。(そして、そのいっそうの高度化と拡充が、21世紀初頭の課題となるだろう。)われわれは、今まさしく、文字通り革命的な大変化が、僅々五年ないし十年のうちに実現するのを、目の当たりにしているのである。 [問題はその後。アプリケーションやコンテンツは追いつくか。日米関係はどうなっていくか。]

2.情報革命の三つの側面                            今日進行中の“情報革命”には、以下に示すような三つの側面があると理解すべきである。

1)第三次産業革命としての側面:

 その第一は、18世紀末の第一次産業革命(軽工業革命)と19世紀末の第二次産業革命(重化学工業革命)に続く第三次産業革命(情報産業革命)としての側面であって、NII−GIIはそのための不可欠なインフラとして機能する。

 情報産業革命はまず、情報のディジタル化によって、文書、音声、画像等異なった表現形式をもつ情報を、コンピューターのネットワークの中で統合的に処理・伝達することを可能にした。その結果、工場にくわえてオフィスでも、また第一次・第二次産業だけでなく第三次産業でも、生産性の急激かつ全面的な増大が実現しはじめた。生産性の増大は、産業活動全般にわたるのみならず、行政・立法・司法を含めた政府活動や、医療・社会福祉、教育・研究等のあらゆる実務領域におよぼうとしている。

 生産性のこのような増大は、同時に費用の大幅な減少、ないし価格/性能比の大幅な上昇を意味する。コンピューター産業での "ムーアの法則" (価格/性能比は18ヵ月ごとに倍増するという法則)が、これからは他の産業分野や社会活動分野にもおよんでいくのである。

 十九世紀の終わりにはじまった第二次産業革命は、その前半期にはまず重化学工業が "突破産業" となって、新しい産業のための駆動力(内燃機関や電動機)と素材(プラスティックスやその他の合成化学製品)を生みだした。米国の場合は、それが第一次産業、とりわけ農業で利用されることによって、この部門の生産性を大きく向上させると共に、そこから大量の労働力を解放した。その労働力は、第二次産業革命の後半期を主導する "成熟産業" としての自動車や家電製品のような耐久消費財(消費者用機械)の製造業によって利用された。これが、“産業化の20世紀システム”の展開過程であった。

 同じように、“産業化の21世紀システム”を生み出す第三次産業革命では、まず新マルチメディア産業がその前半期の "突破産業" となって、新しい産業のための駆動力(情報を処理・伝達するコンピューターのネットワーク)と素材(情報および情報サービス)を生みだすだろう。その力が既存の諸産業、あるいは新たに出現してくるバイオ技術や環境技術産業にも向けられることによって、それらの部門の生産性を大きく向上させると共に、そこから大量の労働力を解放するだろう。そして最後には、その労働力は、 "成熟産業" としての "バーチャル・リアリティー(人工現実)" 産業や "アーティフィシャル・ライフ(人工生命)" 産業−−つまり、20世紀後半に普及した乗用車や家電のような耐久消費財産業に匹敵する、大衆的な巨大な需要に支えられた産業−−によって利用されることになっていくと思われるが、それはまだかなり遠い将来の話である。

 第三次産業革命としての情報革命の第一段階は、一九七〇年代にはじまったジョージ・ギルダーのいう "マイクロコズムの技術革新" すなわち "集積の利益" の実現であった。また、その第二段階は、一九九〇年代にはじまった "テレコズムの技術革新" 、すなわち "ネットワーク化の利益" の実現である。ギルダーがいうように、単体としてのコンピューターが生産性の向上に寄与できる程度は高がしれている。コンピューターは、あらゆる機種のものがネットワーク化され相互連結されることによってはじめて、その本来の能力を十二分に発揮できるようになる。つまり、情報革命は同時に通信革命でもある。とりわけ、データ通信回線の光化に加えて、広帯域のディジタル無線通信を利用したコンピューターのネットワーク化こそが、“テレコズムの技術革新”の中核であり、とくにGIIにおいては無線の役割が大きくなるだろう。

 こうして、ディジタル化の基盤の上に、“集積の利益”と“ネットワーク化の利益”がフルに発揮されることによって、今後は、各産業が供給する製品の価格ばかりか、各種の公共料金、あるいは医療や教育の価格、さらには租税負担率にいたるまで、低下していくことが可能になり、産業化の20世紀システムのもとでは不可能とみなされていた "インフレなき経済成長" と“高福祉低負担社会”が実現するだろう。

 今日の世界経済の顕著な特徴は、アメリカを中心としてこのような第三次産業革命が急激な進展をみせはじめた一方で、東アジアの諸地域が産業化への離陸にあいついで成功したことである。これらの地域は、中程度の技術を利用したすぐれた品質の廉価な工業製品や良質の労働力の世界的な供給源として発展しつつある。そして、高度な情報通信システムの利用が持続的な経済発展を生みだすという "ゴア・ドクトリン" が正しければ、これらの地域は、高度な情報システムや情報サービスの輸入を通じて、さらに廉価で高品質の工業製品を引きつづき供給していくことが可能になるだろう。

 他方、情報革命が順調に進展するかぎり、アメリカを中心とする産業化の先発国は、これらの地域に高度な情報システムや情報サービスの輸出を、今後相当の長期間にわたってつづけていくことが可能になるだろう。現に、一九八〇年代の半ばごろから "グローバル・エコノミー" の構築にコミットしたといわれるアメリカ経済は、あきらかにその方向をめざして進みつつある。このことは、アジア太平洋地域に相互補完的な "インフレなき経済成長" の巨大な可能性が今新たに開けつつあることを意味する。今後の日本経済にとっての大きな課題は、このような相互補完的な経済成長構造の形成を支援すると同時に、その不可欠の一環を占め続けることであろう。

 第三次産業革命の進展という観点からすれば、いまの日本に緊急に必要なのは、既存の諸産業部門と政府部門とが共に、情報産業革命の成果をいち早く自らのものとして、技術の革新と生産性の大幅な向上を実現することである。さらにそのためには、携帯用の機器も含めたあらゆる情報通信機器相互の接続・運用が保証された情報インフラの早急な展開と、さまざまな新情報通信サービスの迅速かつ手頃な料金(定額制を基本とする料金)での提供、その上で利用できる各種の“グループウエア”の開発・供給とその利用の習熟、などが必要とされよう。その意味では、“高度情報通信社会”の推進にとっての第一の課題は、情報機器、回線、相互接続サービス、各種アプリケーションのすべてを含めた全体としての“オープン・データ・ネットワーク”の原型の、今世紀中の完成をめざした早急な建設と利用の推進でなければならない。それを前提とした、そのいっそうの高度化や拡充が、21世紀初頭の課題となるに違いない。

2)情報社会革命としての側面

 情報革命の第二の側面は、産業革命それ自体に匹敵する社会革命としての側面である。この“情報社会革命”を通じて、近代社会は、軍事化と産業化に続く近代化の第三局面としての "情報化" ないし "情報社会化" 局面へと移行してゆく。

  "近代化" の過程は、人間とりわけその集団が、自らの究極的な目標をよりよく実現するための手段、とりわけ他者の行為を制御するための手段、の獲得と蓄積自体を当面の目標として競争するようになる過程だと解釈できる。そのような観点に立ってみれば、近代化には、どのような種類の他者制御手段の獲得が主要な目標とされるかに応じて、三つの局面が区別できる。

 古来、他者の行為を制御するための手段としては、@脅迫/強制、A取引/搾取、B説得/誘導の三つの種類のものが区別されている。

 この区別に従っていえば、古代末期以来の "封建化" にはじまり、15世紀の末ごろから本格化した近代化の第一局面は、 "軍事革命" を通じて確立した、国家主権を神聖視する "主権国家" 群が、 "国際社会" という舞台で、 "国威" すなわち脅迫/強制のための抽象・一般化された手段の入手をめざして、ある共通なルールの下で競争する "軍事化/国家化" 、あるいは "威のゲーム" (軍国主義)の局面であった。

 また11〜12世紀の "商業の復活" にはじまり、18世紀の末ごろから本格化したその第二局面は、 "産業革命" を通じて確立した、私有財産権を神聖視する "私企業" 群が、 "世界市場" という舞台で、 "富" すなわち取引/搾取のための抽象・一般化された手段の入手をめざして、ある共通なルールの下で競争する "産業化/企業化" 、あるいは "富のゲーム" (資本主義)の局面であった。

 そして20世紀の末の今日、13〜17世紀の“人文化”と共に、すなわちルネサンス、印刷革命、宗教改革、科学革命等の進展と共に、はじまっていた近代化の第三局面が、いよいよ本格化しようとしている。 "情報化/智業化" あるいは "智のゲーム" (智本主義)の局面とよぶべきこの近代化の第三局面の主役は、社会革命としての "情報革命" を通じて確立する、 "情報権" とでもよぶべき新しい種類の社会的な権利の体系を神聖視する "智業" とでもよぶことが適切なタイプの組織群である。

 情報権の基本的構成要素としては、@情報自律/安全権(セキュリティー)、A情報帰属/優先権(プライオリティー)、B情報管理/守秘権(プライバシー)などが考えられる。智業は、 "地球智場" を舞台として、 "智" すなわち説得/誘導のための抽象・一般化された手段の入手をめざして、ある共通なルールの下で競争するようになるだろう。ただし、現在はまだ、智のゲームはその普及のごく初期にあって、情報権の成立や情報権と国家主権や私的財産権のようなその他の権利との間の調整にしても、またゲームのための共通なルールの成立にしても、すべてこれからの課題である。

 その意味では、“高度情報通信社会”の推進にとっての第二の中心課題は、情報権の確立および、各種の情報権相互間あるいは情報権と他の基本的な諸権利(国家主権や私有財産権)との間の調整を、なるべく速やかにはかることである。

3)ネティズン革命としての側面

 ところで、近代化の第二局面は、都市に棲んで、商工業に従事する "市民(シティズン、ブルジョワ)" 階級を生みだした。彼らは、一方では近代主権国家の "民主化" を要求する "市民革命" の、他方では "産業革命" そのものの、主導勢力となった。同様に、近代化の第三局面は、 "ネットワーク" に棲んで、知識や情報の交流と通有の営みに従事する "ネティズン" たちを生みだしたといえるだろう。“ネティズン”という言葉は、今年になって米国で目につきはじめた新語だが、13〜14世紀以来情報や知識の交流に専念する“バーチャル・コミュニティ”の中で芸術や学術をその生業として営み始めていた文人や学者たちは、ネティズンの嚆矢とみなすことができるだろう。また、近年急速に影響力を強めつつある "NGO" や“NPO”あるいは "アドボカシー・グループ" などとよばれる市民団体も、この観点からすれば、市民というよりはネティズンの団体とみなす方がより適切だろう。それらの間では、コンピューターのネットワークを自由自在に利用して、グローバルな活動を展開するグループの比重が、日増しに大きくなりつつある。やがてはこのネティズンたちは、一方では国家や企業の運営に対してはより直接民主主義的な "電子民主主義化" などの構造改革や参加を要求する "ネティズン革命" の、他方では "“情報革命”そのものの主導勢力となっていくかもしれない。つまり、今日の世界では、かつての“産業革命”に匹敵する社会革命としての“情報革命”と同時に、かつての“市民革命”に匹敵する政治革命としての“ネティズン革命”が、進行しはじめていると考えられる。

 実際、米連邦政府部内での“ACE(Americans Communicating Electronically) ”のグループに大幅な活動の自由を認めつつ、みずからも情報機器を活用すると同時に、情報革命の先導役をつとめているクリントン=ゴア政権は、ネティズンによる "名誉革命" をすでにアメリカで部分的に実現したという見方さえできそうである。また、そのような観点からすれば、ゴアの五原則の第三〔オープンアクセス〕は、真の“情報富民”ないし“情報強者”としてのネティズンのための情報活動の自由を、第四〔ユニバーサル・サービス〕は、そのようなネティズンと“情報貧民”ないし“情報弱者”との間の新たな階級分裂の発生の予防を、それぞれめざした政策原則だと考えることができる。

 日本の場合、ここでいう意味でのネティズンの台頭は、企業や政府の内部においても、市民の間においても、アメリカに比べてかなり遅れている。“マルチメディア”の未来がよく見えないとか、ビジネス・ユースはともかくホーム・ユースとなるといっこうに需要がついてきそうもないといった嘆きが産業界から聞こえてくるのも、そのためであろう。しかし、大容量の通信回線や高性能のコンピューター・ネットワークを駆使しながら、情報や情報源への開かれたアクセスを追求しつつ、活発なコミュニケーションとコラボレーションを展開していくのは、まさにこうしたネティズンたちに他ならないのである。あるいは、ネティズンこそは、現在のビジネス・ユースと未来のホーム・ユースとの間をつなぐ巨大な情報通信サービス需要の、新たな源泉を生み出す存在なのである。そうだとすれば、“高度情報通信社会”の推進にとっての第三の課題は、産業界や政府がこの意味での“ネティズン”たちの台頭を抑圧するのではなくて、彼等に自由な活躍の余地を与えつつ、彼等と協働していくことでなければならない。

3.日本にとっての政策課題

 以上の議論をもとに日本の現状をあらためて振りかえってみると、1980年代の後半から1990年代前半にかけての日本は、情報革命の二つの側面のどちらにおいても、アメリカに遅れをとってしまったと判断せざるをえない。もともと“情報化”や“情報社会”のコンセプトは、1960年代の日本で世界にさきがけて生みだされたものであるだけに、そうした立ち遅れがいつのまにか生じてしまったのは残念なことだといわざるをえない。とくに、1980年代に“ニューメディア”がブームとなり、各種の情報化施策が推進されたものの、そのほとんどが所期の成果をあげえないままに終わってしまった理由については、十分な分析と反省が必要である。

 しかし、幸いなことに、日本でも昨年来、立ち遅れの自覚が急速に高まるとともに、今年にはいってからは、アメリカとのギャップを縮めようとする努力が、官民をあげて猛然と開始されている。

 以下では、そうした動きを念頭におきながら、官民の新しい役割分担という観点から、いくつかの主要な政策課題についてふれてみよう。

1)事態の的確な認識:

 今日の情報革命の性質と、その中でのNII−GII構築の意義について、とりわけ、アメリカがどのような認識と戦略をもって行動しているかについて、明確な理解をもたなければならない。アメリカが自国の標準を世界に押しつけて世界の市場を支配しようとしているといった解釈は、恐らく事態の一面を捉えたものにすぎないだろう。アメリカがこれまでのテレコムを律してきた国家間レジームへのコミットメントを躊躇しているように見えるのは、アメリカの“ユニラテラリズム”の現れと見るよりは、世界的な標準の形成の仕組みや、協働の在り方そのものが、情報革命の過程で変質しつつあることの認識の現れとみるべきだろう。

 いずれにせよ、情報革命を推進していくための行動は、こうした事態についての的確な認識を前提していなければならない。“キャッチアップ”のためと称する闇雲な行動は、かえって失敗を招く危険がある。少なくとも、政府としては、事態の認識をまず最優先させ、個々の行動については民間の創意と危険負担に委ねることが適切であろう。

2)研究開発と制度改革:

 現在が情報産業革命の突破段階にあたることを考えれば、政府は、突破型の技術開発や制度改革の促進・支援、あるいは多様な実験の推進を、重視すべきだろう。光ファイバーを利用した超高速の伝送技術の開発や、広帯域のディジタル無線技術の開発などはその例だが、高等教育研究機関の思い切った制度的自由化や国際化の実験なども、試みる価値があるだろう。他方、政府の行う研究開発から得られた成果の普及や啓蒙については、民間の自発性に委ねるべきである。

3)環境整備:

 アメリカの民主党政権が公然と認めているように、今日のような突破の時代には、政府が責任をもって、未来についての的確な見通しをたてたり、望ましい未来を計画的に構築したりしていくことは、およそ不可能である。突破の時代は、未来への不確実性に満ち満ちている。そうだとすれば、具体的な未来のビジョンを大胆に描き、その実現をめざしてリスクの多い投資を行う建設の仕事は、情報インフラそのものの建設を含めて民間に委ね、政府 (とりわけ中央政府) としては、現在すでに入手可能な技術あるいはハード/ソフトの利用を現時点で促進するための環境整備に専念すべきだろう。なかでも重要なのは、“オープン・データ・ネットワーク”の相互接続を保証するためのルール作りや、その利用を促進するための料金制度の導入である。

 政府はまた、“社会資本”あるいは“公共投資”のコンセプトを大きく転換しなければならない。産業革命の突破段階にあっては、技術革新のテンポはめざましく、資本設備の陳腐化も急速に進む。とくに情報処理や通信に関わる資本装備の多くは、ハードでもソフトでも、僅々一年から三年で陳腐化し、更新を必要とする。(この点との関連では、現行の減価償却制度の見直しも考えるべきだろう。)公共投資のシステムも、そのような状況に即応して自己改革していかなければならない。これからの経済成長を支える社会資本の建設にさいしては、その規模の拡大よりは、その質の向上にとりわけ留意しなければならない。いってみれば、図体が大きくなるよりは新陳代謝のスピードが早くなるというのが、突破段階での経済成長の特色なのである。

4)規制緩和:

 環境整備のなかでとりわけ重要なものが、規制の緩和ないし撤廃である。いわゆる“規制緩和”は、なによりも突破の促進という観点から選択的に推進されなければならない。たとえば、高度な情報処理や通信のためのさまざまな製品だけでなくサービスについても、その自由な提供を認めることが大切である。(行政当局の認可なしで新サービスの提供を可能にしている現行の“試験サービス制度”は、その運用を思い切って拡大することが望ましい。)また、すぐれた製品やサービスが、外国にはあってもわが国では生産・供給されていないのであれば、その輸入やそれを供給できる外国企業の進出を促進しなければならない。とりわけ、“オープン・データ・ネットワーク”は、21世紀のいつかの時点に建設・提供されるべきものではなく、現在すでにそのための技術も開発されていれば、回線の相当部分も構築されているし、それを利用した高度な情報サービスもすぐにでも提供可能になっているものが少なくない。高い料金や硬直した接続条件に加えて、多種多様な規制の残存が、その実現にとっての障害になっているとすれば、そうした状況の変更こそが、現在の急務なのである。

 しかも、諸制度や規制の多くは、所管省庁の枠組みを越えて、相互に連関し制約しあっている。ある一つの規制を緩和しても、他の規制が残っているために、その効果が減殺されてしまう場合も多い。規制の緩和や制度の変更が、政府全体として統合的に推進されなければならないのはそのためである。

5)地球公共財の提供:

 アメリカのGII構想も認めているように、情報インフラは、グローバルに展開されてこそ、産業化や情報化の先発国と後発国の両者にとって、その本来の効果を発揮する。政府は、GII建設への協力・支援を、その対外経済援助プログラムの中核にすえてしかるべきだろう。また、グローバルな“オープン・データ・ネットワーク”、とりわけその回線や接続サービス部分の一部を、“地球公共財”として世界に提供してはどうだろうか。

6)地域の情報化の推進:

 情報化、とりわけ情報社会革命やネティズン革命の推進にさいして、各地域および自治体のはたすべき役割は極めて大きい。いわゆる“地域間格差”や“東京一極集中”の是正の問題もさることながら、それぞれの地域ごとの、コミュニティの自立(自治)と連帯という政治課題は、恐らく21世紀の日本にとっての最大の課題となるのではないだろうか。そしてそのための最も強力な手段の一つが、各地域が主体的に推進する情報化にほかならない。

 各地域は、地場の産業/企業と住民を、そして自治体を結び付ける情報通信のネットワークの構築・運営・利用に、それぞれ工夫をこらすべきである。政府主導でもなく市場依存でもない、豊富で正確な情報や知識に支えられたネティズン型の地域住民が主導しながら、自治体および企業との協働を通じて構築・運営・利用していくRII(地域情報インフラ)の理念は、真剣な追求に値する理念である。

 各地域は、それぞれの必要や条件に合致した情報インフラを独自の構想の下に構築し、それをさらに他の地域や自治体、中央政府や諸外国と“インターネット”化していくことが望ましい。つまりNIIやGIIと連結していくことが望ましい。これからの地域は、“ローカル”な存在であると同時に“グローバル”な存在となることが、何にもまして必要だからである。

7)政府自身の情報化:

 政府は、情報革命の成果を自分自身の日常の業務に積極的に導入することに全力をあげるべきである。政府の情報化は、政府情報の公開だけに尽きるものではない。民間と並んで政府もまた、行政部門だけにとどまらず、立法・司法部門の全般にわたって、“オープン・データ・ネットワーク”の構築と相互連結と活用とに、全力を注ぐべきである。それに伴って、政府は、その業務の内容や形式を大胆に革新していかなければならない。

 その場合、政府としては、自らの行動自体についてのアジェンダや行動プログラムを、多年度にわたって設定すべきことは当然である。しかし、技術革新の勢いの凄まじさを考慮するならば、そうした“計画”は、毎年々々見なおしていく柔軟性をもたなければならない。また、公的部門が保有する情報通信関連の資本ストックについては、技術革新の速度、つまりその陳腐化の速度にあわせた早急な更新のための仕組みを整備し、必要な予算措置を講じていくべきである。

 中央・地方を通じた政府の行うべき業務内容の抜本的な見直しと同時に、その質や生産性の革命的な向上が可能になれば、その結果として、公共料金ばかりでなく、租税や社会保障負担率の系統的な引下げもまた可能になるはずである。急速な高齢化が進展するさなかでさえ、“インフレなき経済成長”と“高福祉低負担社会”の実現は決して夢物語ではない。それを実現することが情報革命の歴史的役割なのである。“高度情報通信社会”推進政策の究極の目標は、そこに設定すべきであろう。