1995年4月3日
公文俊平
一、ネティズンとハイパーネットワーク社会
社会の中で人々が営む相互行為の多くは、他人の行為の制御を目ざす行為、つまり、 "政治行為" である。人々は、自分にとって望ましい行為を他人から引き出したり、望ましくない行為を止めたりするために、多くの精力を費やしているのである。
そうした政治行為の中でもとくに多く見られるのは、相手に対する特定の要求 (こうしてくれ、ああしてはくれるな) を直接表明して交渉するという方式のものである。それらはさらに@脅迫、A取引、およびB説得の三つに分けられることが多い。 "脅迫" とは、 "私のいうことをきかないと、ひどい目にあわしてやるぞ" というもので、 "取引" とは、 "私のいうことをきいてくれれば、良いお返しをしてあげる" というものである。これに対し、 "説得" とは、 "私のいうことをきくことそれ自体が貴方のためになるのだが、その理由はかくかくしかじかだ" というものである。
実生活の中では、これらの三つのうちの一つだけというよりは、二つあるいは全部を併用することが多い。しかし近代社会では、そのうちの一つをとくに重視・多用するタイプの組織が発達してきた。たとえば近代国家は、その統治行為の中に、脅迫を不可欠の要素として組み込んできた。実際、法律、とりわけ罰則を伴う法律は、 "正統化された脅迫" そのものなのである。また、国家の行う外交行為の中でも、脅迫の占める比重は大きい (そして "戦争" とは、外交的な脅迫の内容を強制的に実現するための行為であることが多い) 。他方、近代企業は、とくに企業間の相互行為においては、もっぱら取引型の行為に従事してきた。 "市場" とは、まさしく財やサービスの交換を目的とした "取引" の場に他ならない。それでは、 "説得" 型の政治行為がとくに重視されるような社会システムは考えられるだろうか。もちろん考えられる。私は、説得型の政治行為の占める比重の大きい社会システムのことを、 "ネットワーク" と総称したいのだが、その中でも、知識や情報の通有を目的とする "説得" の場のことを、とくに "智場" と呼びたいと思う。
近代社会でいち早く強力な社会システムとして台頭してきたのは、いうまでもなく、封建領主たちが軍事革命の生みだした力を利用して作り上げた "近代主権国家" だった。しかし、近代社会には、かなり早くから、都市に棲んで商工業に従事する "市民" の台頭も見られた。市民たちは市場での取引を活発に行って財産を蓄え、やがて商工業をさらに飛躍的に発展させるもととなった "産業革命" の担い手ともなった。市民たちはまた、既存の主権国家の統治に対して、 "人権" と "国民主権" 、および "私有財産権" の観念を対置させる異議申立てを行ったが、その結果はしばしば "市民革命" と呼ばれる政治革命をも引き起こすことになった。もちろん、市民革命の激しさや時期は国によってさまざまだった。しかし、19世紀から20世紀にかけて、多くの国々では、市民革命と産業革命の成果としての民主主義的産業社会が、いっせいに成立してきたのである。
そればかりではない。近代社会には、これまたかなり早くから、上に定義したような意味での "ネットワーク" とりわけ "智場" に棲んで、不特定多数の相手に対してさまざまな知識や情報を普及させること−−つまり "智業" に従事すること−−を業とする人々も、出現してきていたのである。13世紀以来のルネサンスや宗教革命、さらには15世紀以来の印刷革命や科学革命が生みだした "俗人 (非聖職者)"としての文人や作家、芸術家や学者といった人々がまさにそれである。私は、彼らのことを、最近普及し始めた言葉を使って、 "ネティズン" と呼んでみたい。これは、いうまでもなく、都市に棲む市民 (シティズン) たちと対比させた言葉である。
私は、このネティズンについて、次のような主張をしてみたい。すなわち、ネティズンたちは、智場での知識・情報の普及活動を通じて "智" あるいは智者としての名声を蓄え、やがて智業をさらに飛躍的に発展させるもととなる "情報革命" の担い手になろうとしている。ネティズンたちはまた、既存の代表制民主主義国家のシステムに対して、より直接的な民主主義 ( "電子民主主義" ) の導入や、行政の情報化による政府の改革ないし "再発明" 、さらには地方分権化と地域統合の同時推進によるこれまでの国民国家や国際社会のあり方自体の再編成などを求めている。あるいは、グローバルな平和運動や人権擁護運動、環境保全運動などの推進主体ともなっている。ネティズンたちは同時に、既存の大企業体制に対しても異議申立てを行い、企業の階層的な組織構造のフラット化、これまでの企業の境界にはとらわれない自由で活発なコミュニケーションやコラボレーションの展開などをめざしている。あるいは、身障者の支援、災害の救援、高齢者の介護等々の、営利を目的としない各種のボランティアー活動への参加につとめるようになっている。
ネティズンたちのこうした動きは、これまでのところ適切な言葉がないままに、 "市民運動" と総称されてきた。あるいは、彼らの作る組織のことは、消極的な規定でしかない形で、 "非政府組織 (NGO)" とか "非営利組織 (NPO)" などとよばれてきた。しかし、私はここで、これらの活動のことを、知識や情報の普及 (とそれを通じての "智" の獲得) を目的としているという積極的な意味に着目して、ネティズンたちによる "智業" 活動だととらえたい。また、既存の国家や企業のあり方に対する異議申立てという観点からは、かつての "市民革命" に対比して、 "ネティズン革命" という呼びかたを提唱したい。さらに、情報革命をへた後でというか、 "産業化" に匹敵する "情報化" の過程の中で出現してくる社会のことを、 "情報社会" あるいは "ハイパーネットワーク社会" と呼んでみたい。後者の呼びかたは、いわば伝統的なネットワーク型の社会が、情報革命のもたらす技術と情報インフラを基盤として、より高度なものに転換するというイメージにもとづいている。それは、産業革命以前の未発達な市場社会が、産業革命の結果として大規模な工場や運輸・通信基盤をもつようになったために "高度市場社会" として発展していく、というのと同様なイメージである。
二. 第三次産業革命
上のような考えかたにもとづいて、現代社会にどのような変化が進行しているかを大づかみにまとめてみよう。私は、少なくとも三つの主要な変化が、同時並行的に進んでいると思う。つまり、産業革命と社会革命と政治革命が、いっせいに進展しようとしているのだが、そのすべてが、近代社会そのものが依然として発展的進化の途上にあることを示している。近年、 "近代の限界" がさまざまな部面で露呈してきたとはいえ、近代化の過程自体はまだまだ相当の期間にわたって持続し拡大していくものと思われる。 "社会主義" 体制の終焉は、一部の人々がいうような近代文明自体の終わりを示すというよりは、近代的発展の本道から外れた試みの挫折だと解釈できるだろう。
これら三つの変化のうちの第三のもの (ネティズン革命) についてはすでに述べた。そこで、以下では産業革命と社会革命について、手短に考えてみよう。
まず産業革命だが、20世紀末の今日に進行中の新しい産業革命は、18世紀末からの鉄と蒸気機関による第一次産業革命と、19世紀末からの人工合成物質と新エネルギー源 (電力と石油)による第二次産業革命に続く、第三次の産業革命 (情報産業革命) というべきものだろう。そこでは、物質やエネルギーよりも情報が、経済過程で大きな役割を占めるようになる。産業社会は、こうしてほぼ百年ごとに、新しい産業化の段階に歩み入るのである。そして、過去の経験に基づいていえば、それぞれの百年期の前半は、新しい技術革新とインフラストラクチャーの構築を基盤とする中間財供給型の新産業の出現する "突破段階" にあたり、その後半は、新産業が成熟して広汎な大衆的最終需要に応えるようになる "成熟段階" にあたる。
こうした見方からすれば、現在は、 "ディジタル革命" に代表される "情報技術" の大革新が行われると同時に、 "インターネット" をその原型とする "オープン・データ・ネットワーク(ODN)" に代表される "地球情報インフラ(GII)" の構築が、産業社会の新たな飛躍にとっての歴史的な課題となる、 "産業化の21世紀システム" に向かっての突破段階にあたっているのである。そして、21世紀の産業社会を主導する産業こそが、GIIを基盤として開花する "新マルチメディア産業" に他ならないだろう。ディジタル化とネットワーク化を前提とするこの新マルチメディア産業の生みだす製品やサービスは、何よりもまず産業や政府の日々の業務の生産性の量的・質的な向上の手段となる。とりわけ、ホワイトカラーやサービス労働の生産性の向上に、威力を発揮する。また、教育、医療、社会福祉、公共事業などの分野のコストの引下げに大貢献する。それによって、継続的な "価格破壊" や、租税・社会保障負担率の引下げが、初めて可能となる。こうして、21世紀初頭の世界は、GIIやマルチメディアを供給する産業化の先進国と、在来型の工業製品を供給する途上国との間の、相互補完的で持続的な経済発展構造が−−アジア太平洋地域を中心に−−形成されることになるだろう。それは、重化学工業を発展させると同時に、それが生みだした農業機械や肥料を利用して農業生産性の大幅で持続的な向上に成功したアメリカ大陸が、産業化の20世紀システムの下での持続的な経済発展にめざましい成功を収めた事例を想起させるものである。逆に、20世紀システムの成熟段階での経験を単純に延長して、マルチメディア産業の市場を、 "ビデオ・オン・ディマンド" のような娯楽中心のマスメディアの領域や、 "消費者家電" のような耐久消費財に求めようとするのは、大きな誤算に終わらざるをえないだろう。
同じことは、情報インフラについてもいえる。産業化の21世紀システムへの円滑な移行という観点からいえば、現在の中心課題は、各家庭に光ファイバーをひくことではない。企業や政府機関に、使いやすくて高性能なLAN(ローカル・エリア・ネットワーク) をなるべく速やかに張り巡らせ、それらを広域的な "ODN" に結び付けることである。米国の商務省が最近発表した「GIIのための協力アジェンダ」が指摘しているように、既存のテレコム産業、とりわけ郵電省の管理下にある国営のそれは、新しい情報インフラの意義と必要をなかなか理解できなかった。そのために、業を煮やした民間企業やテレコム産業は、企業用にグローバルな "プライベート・ネットワーク" の構築と利用を進めたのだが、そのために必要な専用線の価格が高すぎるために、十分な展開はできなかった。また、科学者や技術者などの、私のいわゆる "ネティズン" たちは、政府機関の支援も受けながらではあったが、基本的に自力での "インターネット" の構築と運営に努力してきた。そして今、民間企業のプライベートなネットワークとインターネットは、 "ODN" として互いに融合していく傾向を示し始めている。そればかりではなく、さらに電話や放送、出版のような、在来型の情報通信産業が提供してきた機能まで、その中に吸収していこうとしている。いわゆる "放送と通信の融合" あるいは "情報処理と通信の融合" とはこのような傾向をさしていうのであって、決して既存の放送産業と電話産業が、あるいはコンピューター産業と出版産業が、直接融合することを意味するものではないのである。
三、智業=企業協働
第三次産業革命と並ぶ重要性をもっている社会変化は、 "近代化の第三の波" とでも呼ぶべき情報化がもたらそうとしている変化である。
私の解釈では、近代化の第一の波は、古代末期の封建領主の台頭に始まり、一連の "軍事革命" をへて近代主権国家を生みだした "封建化=軍事化" の波である。近代国家は、 "国家主権" の観念に立脚して、国内を独占的に統治すると同時に、 "国際社会" を舞台にして戦争と外交を手段とする "国威" (つまり一般化された脅迫力) の増進・発揚の競争に励んだ。しかしやがて、市民革命や反植民地主義運動が起こって、国家主権に対しては "人権" や "国民主権" の観念、あるいは "民族自決" の観念が対置されるようになり、国家の "民主化" と植民地の "解放" が実現した。
近代化の第二の波は、中世の "商業の復活" に始まり、一連の "産業革命" をへて近代産業企業を生みだした "商業化=産業化" の波である。近代企業は、 "私有財産権" の観念に立脚して、生産手段を私有もしくは賃借りして商品の生産活動を組織化すると同時に、 "世界市場" を舞台にして生産した商品の販売を手段とする "富" (つまり一般化された取引力) の蓄積と誇示に励んだ。企業の立場からすれば、専制主義的な国家のように軍事力によって "人間" を征服・支配するよりは、技術力によって "自然" を征服・支配する方が、はるかに儲かるのであった。しかし、かつて国権に対抗して民権が主張されたように、今日では私権に対して環境権というか、自然環境の保全の必要が主張されるようになってきた。今後の企業にとっての大きな課題は、企業の単なる "民主化" や "経営参加" という以上に、自然や風土と調和しうるような企業活動の再組織ではないだろうか。あるいは、国家主権が国民主権の制約下にいれられたような、私有財産権に対する "共有財産権" の制約の承認−−もちろんそれは "国有" 化とは異なる−−ではないだろうか。
そして近代化の第三の波は、すでに述べたようなネティズンとそれが営む智業の出現に始まり、一連の "情報革命" をへて近代情報智業を生みだすような、 "智業化=情報化" の波である。近代智業は、 "情報権" −−より正確にはネットワークでの知識・情報の通有を前提とする "ネットワーク情報権" ないしは "通有情報権" −−の観念に立脚して新たな知識・情報の創造にたずさわると同時に、 "地球智場" を舞台にして、自分が創造した知識・情報の普及を手段とする "智" (つまり一般化された説得力) の獲得と発揮に励むだろうと思われる。すでに言及した "ODN" は、第三次産業革命にとってのインフラ (情報市場) としての役割もさることながら、ここでいう "地球智場" としての役割が、その本来のものだというべきだろう。
このような智業の立場からすれば、自らの "外" の存在としての人間や自然を征服・支配するよりは、自らの "内" なる観念世界 ( "サイバースペース" ) の征服・支配に努める方が、有用な知識・情報の発見と、その普及・通有を通じての "智" の獲得にとっては、よっぽど有効なのである。サイバースペースの中で "バーチャル・リアリティ" あるいは "ハイパー・リアリティー" を相手に活躍している限り、人間の反乱や自然の破壊に出会う危険ははるかに少ないだろう。もちろん、サイバースペースの開発に深入りしすぎると、いずれは本来の "リアリティー" を軽視あるいは破壊したことの咎めを受け、 "現実世界" の制約に服さなくてはすまなくなるだろうが、それは、かりに起こるとしてもかなり遠い未来のことに違いない。
関心を当面の課題、とりわけ今後の企業にとっての課題に戻せば、今必要なことは、情報産業革命の成果を早急かつ徹底的に利用した生産性の向上に努めると共に、企業で働くネティズンたちの提案もしくは異議申立てに正面から応えられるように企業の組織や業務のあり方を改革していくことだろう。同時に、企業外のネティズンとりわけ智業との緊密な交流と協働の関係を展開していくことも、必須の急務だろう。古くは原子力発電や捕鯨問題に見られるように、また今日の多種多様なボランティアー活動に見られるように、今後の企業のビジネスの円滑な展開にとっては、智業との良好な協働関係がなくてはならないものになってくる。他方、21世紀のネティズンたちの思考や行動様式が、20世紀のどちらかといえば受動的で画一的な "大衆" のそれとは大きく異なったものになることは間違いないとすれば、企業はネティズンについて十分な知識をもちつつ、ネティズンとの活発な交流・協働のなかで、新製品の開発やマーケッティングに取り組んでいかなければならないのである。