1995年8月20日
公文俊平
いま、電気通信の世界は革命的な変化の時代にはいった。
そのもとは、コンピューターの世界に起こった変化にある。
一九七〇年代以来、マイクロチップの上での回路の集積化が急速に進み、ますます小型化し、高機能化し、分散化するコンピューターの数は、世界を埋めつくすばかりの勢いで増加し始めた。さらに一九八〇年代には、それらのコンピューターが、局地的にも広域的にもネットワークを作って互いに連結し始めた。コンピューターの "ネットワークのネットワーク" としての "インターネット" が出現したのである。一九九〇年代に入って、この傾向は一段と顕著になり、インターネットの規模は年々倍増を続けている。
コンピューターのネットワークは、文書、音声、画像などの情報を、ディジタル情報として一元的に処理(加工、伝達、貯蔵など)できる。ということは、これまでは電話、放送、新聞、出版など別々の形で行われていた情報通信産業のさまざまな活動が、コンピューター・ネットワークでは統合されうることを意味する。それどころか、金融や商取引、教育や医療、行政や政治などの社会的活動の少なからぬ部分を、コンピューター・ネットワークの上で行うことも可能になりつつある。コンピューター・ネットワークは、 "サイバースペース" と呼ばれる人類の生活空間の新次元を、これまでの三次元の "リアルスペース" に追加する形で、生み出したといえよう。これまでの産業社会は、多種多様な人工物(artifacts)でリアルスペースを満たしてきた。これからの情報社会は、多種多様な仮工物(vertifacts)でサイバースペースを満たしていくだろう。仮工物の中核は、産業的に生産される "財" に対応する、情報的に生産される "ディジタル・コンテンツ" であろう。しかし、それに加えて、産業社会での "機械" に対応する、情報社会での "人工生命" とでもいうべき各種の "エージェント" 型のソフトウエアも、重要な位置を占めるようになっていくだろう。
というわけで、コンピューター・ネットワークは、これまでの産業活動や社会活動の多くの部分が、サイバースペースの中で営まれる可能性を生み出した。もちろん、アナログの情報処理技術に頼っていたこれまでの電話や放送も、その例外ではない。
いや、単なる可能性だけではない。それはわれわれの眼前で、日々現実性に転化しつつある。それには、経済的な理由と社会的な理由とがある。
まず、経済的な効率性という点から見ると、完全にディジタル化されたコンピューター・ネットワークの方が、在来のアナログ型のシステムに比べて圧倒的にすぐれている。コンピューター業界には、 "ムーアの法則" の名で知られる「価格/性能比の一八ヵ月ごとの倍増」傾向が、一九七〇年代以来一貫して見られる。いいかえれば、一定の性能を実現するためのコストは、一八ヵ月ごとに半分になり、三年で四分の一に、一五年で千分の一に、三〇年では百万分の一になってしまうのである。これでは、他の競合的システム−−たとえば電話や放送−−には、よしんば部分的にディジタル化したところで、到底コスト的に勝ち目がないだろう。
マルチメディアの業界では、 "キャッチ22問題" ということがよくいわれる。『キャッチ22』という題の小説から取られた話がもとになっている。これは、第二次世界大戦当時の話で、危険な空爆に出撃したくない飛行士が、精神の異常を訴えて出撃を免除してもらおうと画策するが、軍の官僚主義的論理には歯が立たない。つまり、出撃を免除してもらうためには、文書で自分の精神が異常であることを証明しなければならないのだが、それが出来る人間が精神異常であるはずはない、というのが軍当局の論理なのである。同様に、既存の電話料金を前提として、広帯域のマルチメディア通信サービスの料金を設定すれば、その料金は高くなりすぎて誰も買い手がつかなくなる。しかし、マルチメディアの料金を誰でも手がでるような水準に設定すると、電話の料金はタダ同然にせざるをえず、それでは電話会社が破産してしまうというのが、 "キャッチ22問題" である。
次に社会的な理由がある。情報社会では、人々の生活の能動性・積極性が高まっていく。これまでの産業社会では、情報の受信者や財の購買・消費者は、情報の発信者や財の生産・販売者からの一方的な働きかけを受けるばかりの受け身の存在とされていた。しかし情報社会では、彼らは、自分が必要とする情報を能動的に探索したり、生産・販売者に対して積極的に要求を出したりするようになる。いやそもそも、生産・販売者対購買・消費者とか、情報の発信者対受信者といった二分法自体が、次第にその意味を失っていくのが、情報社会の特徴なのである。
同じことは、人々のコミュニケーションの形態についてもいえる。これまでの産業社会では、コミュニケーションの機能は放送や新聞に代表される "マス・コミュニケーション" と、電話や手紙に代表される "パーソナル・コミュニケーション" とに大きく二分され、そのためのメディアも、それぞれ別々に分化し発展していた。ところが、近年になって、右の二つの機能を補完ないし代替するような、 "パブリック・コミュニケーション" および "グループ・コミュニケーション" とでも呼ぶことのできる、コミュニケーションの新しい機能の重要性が認識され、実際にも利用されるようになってきた。パブリック・コミュニケーションというのは、人々が情報の発信者としては、自分が公開したい、公開してもよいと思う情報を、自分のコンピューターの中などにいれておき、誰でもそれを取りに来るのにまかせる一方、情報の受信者としては、積極的に他人の公開している情報をあちこちと捜し回って、自分の欲しい情報を取ってくるような形態のコミュニケーションである。また、グループ・コミュニケーションというのは、人々が、個人としてと同時にグループとしても生活しているという自覚にたって、それぞれのグループの中での密度の高い情報の交流や通有を行い、グループとしての協働行為に役立てるために行われるコミュニケーションである。
コンピューター・ネットワークは、情報社会での人々のこうした能動的・積極的な行動や新しい形のコミュニケーションにとっての、絶好の手段となる。それは、コミュニケーションの在来の機能や新たに注目されるようになった機能のすべてを達成する、統合的なメディアとなる。また、この新しいネットワークでは、これまでの電話や放送のネットワークとは違って、ネットワークの個々の端末というかノードを形作っているコンピューターの方に、 "インテリジェンス" が集中している。いいかえれば、コンピューター相互の通信のためには、回線があるだけで足りるのである。ネットワークの構造や機能は、もっぱらそのユーザーたちが主体的に決めるといってもよい。さらにいえば、広域的なコンピューター・ネットワークは、本来自律分散的なシステムであって、最小限の共通標準さえ満たしていれば、回線であれ、その上の通信サービスであれ、各種のアプリケーションやコンテンツであれ、さまざまな参加者がそれぞれのリソースを持ち寄って相互に結び付ける形で構築していくことが可能なのである。
そこから出てくる当然の帰結でもあるが、コンピューター・ネットワークの上での通信は、それぞれのノードが対等に行うことができる。いいかえれば、誰でもどことでも交信ができるのである。放送のように一人が不特定多数者に向かって一方的に発信するのでもなければ、電話のように一対一の交信しかできないのでもない。いわば多対多の通信−−ネットワーク通信(古瀬幸広)−−を可能にしているのが、コンピューター・ネットワークなのである。つまり、社会全体を覆うコンピューター・ネットワークこそ、情報社会の住人が、自分で能動的に構築し、各種のコミュニケーション機能の実現のための統合的なメディアとして利用することのできる、 "情報通信基盤" に他ならないのである。
そうだとすれば、情報社会の実現にとっての緊急の課題は、 "キャッチ22問題" をうまく回避しつつ、右の意味での新たな "情報通信基盤" をなるべく急速に構築していくことである。実は、その過程はすでにわれわれの眼前で進行している。既存の情報通信産業とはほとんど無関係に誕生し、近年爆発的に拡大・発展している "ザ・インターネット" (単に "ザ・ネット" ともいう)こそ、新しい情報通信基盤の具体的な原型に他ならないのである。イギリスの『エコノミスト』誌(7月1日号)は、このインターネットが既存の国営・民営の通信産業の思いもよらぬ形で発展してきたことに注目して、それを "偶発した(アクシデンタル) スーパーハイウェー" と呼んでいる。しかし、その経済的、社会的背景にまで目を向ければ、インターネットはむしろ "必然の産物" だといってよいのではないだろうか。
これまでのインターネットの発展が、 "ユーザー主導" 型、 "需要先行" 型だったのはまぎれもない事実である。その傾向は、最近のビジネス利用の盛り上がりによって、ますます顕著なものになっている。供給が追いつかないのである。今のインターネット・ブームが、十年前のニューメディア・ブームと根本的に違っているのは、まさにこの点である。「前のブームの時に慌ててパソコンを買ったが使い物にならなかったので、今回は模様眺めに徹する」などと言っている人は、そこを見誤っている。アメリカ政府が今年の二月に発表した「世界情報基盤(GII)協力アジェンダ」の中に見られる次のような一節も、その間の事情を物語っている。
ビジネス界は電気通信および情報市場の競争的な再構築の原動力となってきた。ビジネスユーザーの商業活動は次第に世界規模になっており、彼らは世界規模の仕事を効果的に行うために高速かつ高機能でコストのかからない先進的なサービスへのアクセスを必要としている。このような企業はビジネスやリサーチを進める上で統一された 国際ネットワークやサービスを必要としているわけだが、各国の全国的な通信事業者はまだこれを提供できずにいる。そのため欲求不満に陥ったユーザーはみずから「プライベート」なネットワークを開発し、さまざまな全国的な通信事業者からラインのリースを受けるということもしばしばである。しかし、これらのうち最も進んだプライベートなネットワークでもほとんどの場合、全国的なラインのリース料が高いという問題に苦しんでいる。また、広範にわたる多種多様な機能や制度に基づいていくつものサービスをパッチワークし、これによって地球規模ネットワークをつくり出そうとする際につきまとうさまざまな問題というのも並大抵ではない。(浜野保樹監訳『GII世界情報基盤』、BNN、p.142)
それでは、日本の場合はどうだろう。日本は、まずコンピューター産業の発達自体に後れをとった。一九八〇年代の半ば以来の政府主導による "第五世代コンピューター" 開発計画や、ワークステーションの開発をめざした "シグマ計画" は、失敗に終わった。民間のコンピューター産業も、ネットワークの重要性をなかなか認識しなかった。通信事業とコンピューター産業の所轄官庁が郵政省と通産省に分かれていることも、二つを統合した "コンピューター・ネットワーク" という観念を行政が受け入れるにあたっての大きな妨げとなっているように思われる。
日本の通信事業者もまた、国内・国際の事業者を問わず、インターネットには信じがたいほどに無関心だった。とりわけ、NCC系の長距離電話会社の無関心ぶりは、米国の新長距離電話会社であるSPRINTやMCIの活躍ぶりとは、際立った対照をなしている。
それに比べると、NTTの最近の変貌ぶりは注目に値する。NTTは今年の六月に発表した「マルチメディアへの取り組み」と題する文書の中で、最近急激に発展しつつあるインターネットとLANの動向にまず注目した。そして、マルチメディアの発展のためには、ユーザーの多様なニーズに適切に応えるさまざまなネットワークサービスと、それらに適合した新しい料金体系の導入が必要だとした上で、マルチメディアに適した新しいネットワークである、 "オープン コンピュータ ネットワーク(OCN)" の構築戦略を打ち出した。曰く。
インターネットに代表される新しいコンピュータ通信の実現に向けては、品質、信頼性、料金の面でこれまでのギャランティー型(高信頼型)とは異なるベストエフォート型(廉価型)のサービスが要求されています。このような多様な要求に対応するためには、従来からの電話のネットワークとは根本的に異なる新しい概念のコネクションレス型かつ水平分散型のネットワーク(オープン コンピュータ ネットワーク)が必要です。NTTとしては、この新しいネットワークを他事業者の方々と競争しながら、オープン コンピュータ ネットワークとして、その構築に向け本格的な取り組みを進めます。(「マルチメディアへの取り組み」、一九九五年七月)
この新戦略がもっている決定的に重要な意味は、NTTがこれまでの電話中心の経営戦略の限界を自覚したと同時に、それを超えるものとして従来提唱されていた "B−ISDN" の推進をも、事実上断念したところにある。なぜならば、 "B−ISDN" は、 "コネクション型かつ垂直集中型" の電話のシステムの延長線上に構想されており、その限りでは電話の料金体系から自由になりえなかったからである。つまり、それによっては "キャッチ22問題" は回避できなかったのである。それに対し、今度発表された新戦略では、NTTは、「インターネットに代表される新しいコンピュータ通信」に注目した。そしてそれを、「従来からの電話のネットワークとは根本的に異なる新しい概念のコネクションレス型かつ水平分散型のネットワーク(オープン コンピュータ ネットワーク)」だと定義した。つまり、 "オープン コンピュータ ネットワーク" は、 "B−ISDN" とは "根本的に異なる" 情報通信ネットワークなのである。しかもNTTはそれを、これまでの電話のような "ギャランティー型(高信頼型)" のシステムとは異なる "ベストエフォート型(廉価型)" のサービスだと位置づけることによって、新システムの料金体系を既存の電話の料金体系とは無関係なものにしようとしている。つまり、 "キャッチ22問題" の呪縛を逃れようとしているのである。
そればかりではない。この新しい "オープン コンピュータ ネットワーク" は、日本には、とりわけ "市内" というか "末端" のレベルでは、まだほとんど見るべき形では存在していない。(現在提供されている、個人や中小企業用のインターネット接続サービスのほとんどは、既存の電話のシステムを利用した "ダイヤル・アップ" 接続によるものである。 "オープン コンピュータ ネットワーク" というからには、専用線による "二四時間接続" を原則とするものでなければならない。)したがって、電話の場合のような "市内独占" の問題は、現時点では存在していない。しかも、すでに述べたように、インターネット型のコンピューター・ネットワークは、自律分散型であって、原則として誰でも自分のリソースを持ち寄る形で参加できる。つまり、 "オープン コンピュータ ネットワーク" として構築していくことができる。その意味では、この新システムは、多様な形での競争や協力に極めて適したシステムでもある。だからこそNTTは、この新しいネットワークの「構築に向け本格的な取り組みを進めます」と宣言しながら、同時にそのオープン性や競争の実現可能性をうたうこともできたのである。
NTTは、今回の新戦略の発表によって、新しい通信システムのあり方について明確な認識を持っていることを世界に示すと同時に、その構築に自分もまた主要なプレヤーの一人として参加するという決意を明らかにした。こうして、NTTはとりあえず、理念的には世界の電話会社の先頭に立つことができたといってよいだろう。NTTのこのような努力を、「分割回避のためのなりふりかまわぬ態勢作り」の一環としか見ないのは、今日の情報革命の本質への無理解のためというほかない。
残る問題は、それをいかに実践していくかにある。とりわけ、幹線網は別として、それぞれの地域地域でのコンピューターの個々のLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)の組み方や、LAN相互の接続の仕組みをどのように具体的に作り上げていくか、とりわけその場合の異なる事業者間の競争と協力の仕組みをどう作っていくかについて、NTTの真剣なコミットメントと努力が待たれるのである。現に例えば大分のマルチメディア地域実験の中では、各地域にはりめぐらされた光ファイバーの "情報ループ" のいたるところに "情報コンセント" をつけて、さまざまなコンピューター(その他各種の情報処理端末)をそこにつなぐだけで、そのネットワーク化が可能になるような、 "地域情報ユーティリティー" 構想なども提案されている。その構築と運営には、コンピューター産業や通信事業者だけでなく、地域の各種公益事業者や、建設会社、電気工事会社等多種多様な事業者が、ユーザー市民と共に参加していくことが望ましい。さらに、 "地域情報ユーティリティー" の構築と運営の主体として、自由市場と政府の中間に立つような、ある種の公的(パブリック)な性格をもつ、市民・企業・行政の合議機関を作ることも考えられるだろう。
私は、NTTがこうした試みに全国各地で、いや国際的にも、積極的に参加し、主導的な役割を果たすことを期待する者だが、そのためにも、既存のNTT法や電気通信事業法は、あらためて見直す必要がある。また、これまでの通信産業とコンピューター産業の垣根の枠を超えるところに出現している新情報通信基盤の特性を考えると、郵政省と通産省に分かれている現在の行政の所管の仕組み自体の見直しも早急に必要とされよう。それに比べると、第二臨調以来の "宿題" とされているNTTの "経営形態" の見直しの必要や、情報通信関連の規制が多数の省庁にまたがって存在していることへの対処の必要などは、副次的な問題にすぎない。それなのになぜか世間では、もっぱら副次的な問題ばかりが論議の的となっている。それもほとんどは、今の "電話" をどうするかという観点からの議論でしかない。新情報通信基盤とは何であり、それを速やかに構築するためには何が必要かという観点からの議論が、決定的に欠けているといわざるをえないのである。
私は、このことを思うたびに、暗闇で財布を落とした男が、そこでは探しようがないからといって、明るい街灯の下にきて探し回っているという笑い話が、思い出されてならない。「日本は情報化の立ち遅れを取り戻すべきだ。かといって、省庁の統合なんかどうせできっこないから、せめて会社の分割でもしてみるか」というわけである。しかし、今真に必要なのは、財布の落ちている暗闇を照らしだす光なのではないか。