1996年1月5日
公文俊平
[新しい技術・経済・社会革命]
このところ、 "ディジタル革命" という言葉が急にひんぱんに使われるようになった。ディジタルな情報処理機械としてのコンピューターが生まれたのは何十年も前のことなのに、なぜ今になってあらためて "ディジタル革命" などと言われだしたのか。それには二つの事情がある。すなわち、
[ディジタル革命の爆発]
ディジタル革命は今、 "爆発" という形容詞がぴったりするほどの速度、これまでの技術革新や社会変化の歴史の中ではおよそ経験されたことのない速度で、進展している。
ジョージ・ギルダーは、最近のインタビュー (Internet World, 11月号) の中で、その速度を、四つの "法則" の相乗作用の結果だとして、次のように見積もっている。
上の四つを合わせると、コンピューター・ネットワークのパワーは、3年ごとに1024倍、つまり年々約10倍になることになる。これは、ほとんど信じがたいほどの速度だ。
このような爆発が始まったのが1990年代の初頭だったとすれば、90年代も半ばに達した今日までの5年間で、世界のコンピューター・ネットワークのパワーはすでに十万倍になっているわけだが、これは実感としてもうなづける。5年前にはほとんど目にもとまらなかったこのパワーは、今ではその巨大な姿を誰の目にも明らかにしてきたではないか。
この勢いが、少なくとももう後5年は続くならば、今世紀の終わりまでに、コンピューター・ネットワークのパワーはさらにもう十万倍になり、われわれの情報通信環境は、文字通り一変してしまうだろう。
[1990年代の歴史的意義]
もちろん、こんな爆発的成長が、二十年も三十年も続くはずはない。ディジタル革命の進展速度は来世紀初頭あたりで急速に衰え、それまでの "指数的成長" は、S 字型の成長に転じていくだろう。恐らく、後世の歴史家は、1990年代を、 "ディジタル革命の十年" 、より正確には "ディジタル・ネットワーク革命の十年" として記録することになるだろう。
だがひるがえって日本の現状をみれば、この革命への取り組みは不十分極まるという他ない。日本での議論は、既存の電話のシステム、とりわけNTTの「経営形態」をどうするかという視点からのものに集中している。あるいは十年、十五年かけて光ファイバーを家庭まで引くことを考えている。
今必要なのは、電話とは異なるコンピューター・ネットワークの早急な構築を、誰が、いかに行うのか、そのための制度的仕組みはいかにあるべきか、といった視点だ。ほんの数年の立ち遅れが決定的な格差をもたらしうることを肝に銘ずべきだろう。