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96年1月7日

「別府湾会議を振り返って」

Hyper Flash 第6号

公文俊平

24日から25日にかけて、ハイパーネットワーク '95別府湾会議が、新設の別府コンベンション・センターで開催され、海外からの多数の参加者を含む○○名を越える全国のネティズンたちが、「ネティズン革命」をテーマとして熱気のこもった議論を繰り広げると共に、相互の交流につとめた。この会議は、1990年からほぼ二年おきに開かれていて、今回が第四回である。回を重ねるごとに参加者の数も増え、今では大分での恒例のイベントの一つとなっている。

会議の冒頭で、私が問題提起の発言を行って、1990年代をネティズンが主導する「ディジタル/ネットワーク革命の十年」、「サイバースペース出現の十年」として位置づけ、この流れの中で、 "コミュニティ・ネットワーク" を早急に構築する必要性を指摘すると共に、過去の市民革命に匹敵する "ネティズン革命" の時代が始まる可能性を示唆した。 続いて、 "ネティズン" という言葉を最初に作ったアメリカのマイケル・ハウベンが、この言葉の由来や含意についての基調講演を行い、それを受けたハワード・ラインゴールドが、インターネット上のコミュニティは、今やアメリカや大都市だけに限られなくなったとして、大分を拠点とするコアラが、WWWの上でリーダーシップを持ちつづけることを期待するとのべた。コアラの尾野事務局長は、大分でのマルチメディア地域実験の進捗状況を報告すると共に、地域情報化の今後の進むべき方向についてのビジョンを提示した。コアラの会員たちのデモによって、彼らがが短期間でホームページの作成技法をマスターして、非常に興味深い発信活動(同時にパブリック・コミュニケーションでも、グループ・コミュニケーションでもあるような活動)を活発に続けていることを目の当たりにして、参加者たちは等しく感嘆した。

各セッションの発言としては、第二セッションでのNTTの加納貞彦による情報コンセントの構想や、ハリー・ソールによるスマート・バレーでの高速・無料のインターネットアクセス機会を市民に提供する試みの話、デービッド・ファーバーによるアメリカのインターネットは反動期に入ったという指摘などが印象に残った。第三セッションで紹介されたインターネット関連の各種の新技術や新しい可能性の紹介も興味深かった。恒例の夜のセッションでは、マルチメディア・コンテンツの政策の様々な試みが披露され、観衆を沸かせた。

第二日は、午前中、教育、医療、行政・政治、ビジネス等四つの分科会に分かれて討論を行った後で、まとめのセッションに入った。そこでの議論を通じて、自分たちでリスクを引受けながら、双方向のコミュニケーションとコラボレーションの可能性をさらに発展させるための自由な試みを発展させたいという意欲に満ちた人々が多いことが明らかになった。しかし同時に、 "西部劇" 的でない時代、つまりインターネットのフロンティア精神には必ずしも主導されないコミュニティの存在も考えに入れておくべきことも指摘された。

最後に、会議全体を通じての印象を列挙してみたい。

何よりもコアラのエネルギーの素晴らしさにあらためて感銘を受けた。分科会で報告されたことだが、大阪で開かれたAPECでインターネット回線を民間主導で張りめぐらせたのは快挙といえよう。大阪は、ネットワーク革命で東京の、中央政府の、一歩先に出たようだ。ハリー・サールやデービッド・ファーバーが、日本の自治体の情報化の試みはアメリカに負けていないと評価したことは、われわれに自信を与えてくれた。野村総研の村上研究理事が、ネティズンたちの先導的な役割を念頭に置きながら、野村総研の役割は企業や政府をネットワーク革命に引き入れることだとしたのも興味深かった。

別府コンベンション・センターの会場はやや広すぎて、参加者間の個体距離が大きくなりすぎたために、一体感を醸成しにくくなり、そのためもあって議論がやや拡散した嫌いがあった。また、インターネットが "反動期" に入って、さまざまな規制の網がかぶせられてくることを危惧するファーバーが、議論しているだけではだめだ、もっと直接的な行動に立ち上がる必要があると檄を飛ばしたのは、アメリカと日本との間の位相のずれを示すもののように思われた。

ともあれ、全体としては、今回の会議も大成功であったといってよいだろう。次回の会議では、地域実験のさまざまな成果が報告できると同時に、 "コミュニティ・ネットワーク" の構築の具体的な試みについて、全国各地の経験の交流が行われるようになっていることを、期待してやまない。