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96年3月1日

「情報化の趨勢と日本の基本政策」

次の成長への「突破局面」――まずは“銑鉄の線路”を

公文俊平

ちょうど昨日、電気通信審議会の答申が出されました。その中には共感する点や、感銘を受ける点も多々あります。しかし、同時にいくつかの基本的な点で非常に気になるところがあります。

 戦後半世紀を経て日本は大きな転換点に立っています。しかも、日本だけではなくてグローバルに、100 年に一度、あるいは200 年に一度という大きな社会変化が進行しています。すなわち、一つは第3 次産業革命。これは100 年に一度の割合で起こっている変化ですが、現在その最初の突破の局面にきています。同時に、産業化そのものを越えるような、200年に一度のわりで起こっている社会革命もまた始まっています。それは、近代における3 度目の大きな社会革命であって、それが狭い意味での情報化にほかなりません。

そういうわけで、今の日本にとっては、過去の追いつき型の成長が一区切りついて、これからどうしていくのかというだけでなく、現在起こっている非常に大きな前向きのグローバルな社会変化の潮流にどう対処していくのか、あるいは、日本も他の国々と一緒になってこの大きな突破をどうやって成し遂げていくのかということが、基本的な課題だと思うのです。

ODN をつくることが最大の戦略課題

情報通信の観点からそれを見れば、現在の中心課題は、既存の電話のシステムをどうこうすることではない。むしろコンピューターのネットワークをいかに早く、いかに良いものを作るかということにあって、「高度情報通信基盤」とはまさにそのことではないか。ODN (Open Digital Network)をつくることが最大の戦略的な課題でなければなりません。

しかし、これについて答申は、非常に不十分にしか答えてくれていない。これが残念でなりません。

アメリカの場合は、一種のトライアル・アンド・エラーの形で、民間主導型の競争モデルが採用されて、右に左に揺れ動いています。ある意味では非常に近視眼的な流れが、この数年顕著であります。しかし、アメリカの場合はまさにそれがアメリカの文化、社会の本性に合致しており、右往左往しながら彼らは突破していく、突破に強いというのがアメリカの特徴だと思います。

それに対して日本の場合は、残念ながら、誰もやってないことを誰かが突破するというのは得意ではない。むしろ、ある程度今後の見通しのついたところで共通のビジョンをもって、そしてお互いの協力、協働の枠組みを作った上で、その枠組みを前提としながら全員で競走するというのが、日本の特徴なのではないかと思われます。

その時期がまさに今来ようとしている。つまり、だいたいの形が見えてきたのです。電話ではない、オープン・ディジタル・ネットワークを、今世紀中に、この4 、5 年の間に,日本全国に張り巡らせることが、当面の課題だということが理解され始めたのです。

それは可能なはずだし、必要でもあると思います。

後で御議論いただきたいのですけれども、より具体的には、NTT が最近お出しになったOCNというコンセプト。これは、ODN の幹線に対応すると思います。ここは、競争的に構築・運用されることが可能でしょう。それに対し、CAN(Community Area Network) 、つまり、末端の部分のコミュニティに張り巡らされるネットワーク。これは、競争と言うよりも協働、コラボラティブな形で構築し運用される、相互に接続されたり、OCN につながったりしていくというのが基本ではないかと思います。

つまり、OCN を作るのは、NTT だけではなく、他にも第二OCN 、第三OCN というようなものができる。もっというと、NTT が97年から始めるのなら、96年からやるというところが出てきていいのではないか。それを本当に期待したいのですが、そういう意味で競争的にOCN を張っていただいて、そしてその末端部分、それぞれの現場部分には、CAN を、つまりLAN の相互接続型のネットワークを、官民一体になって、あらゆる人が参加して作る、こういう運動を日本全国に澎湃として起こす。これが、日本がアメリカに追いつく一つのチャンスではないかと思うのです。

なにも追いつかなくてもいいという考え方があるかもしれませんけれども、現在の状況から言うと、是非追いついてもらいたい。あるいは、もっと先に出たとしても悪いことはないと思います。

インターネットの爆発

アメリカの場合は、1991年から92年にかけて、政府主導型の情報スーパーハイウェイへ、そしてHPCC(High Performance Computing and Communication)へという流れがあったのに対して、それが93年に民主党政権ができたころから、民間、とくに電話会社やケーブル会社が、あるいはコンテンツ産業が、強引に主導権を政府から奪い取ったと言っていいと思います。92年12月のアーカンソーでの全米経済サミットがその象徴であったと思いますけれども、しかし奪い取った民間は93年から94年にかけてどこへ走ったかというと、「マルチメディアとは双方向テレビだ」、あるいは「最大の需要が見込まれるのはビデオ・オンディマンドだ」という方向に走ってしまって、乱暴に言ってしまえば、時間を空費したのです。

その間、しかし、部分的にはインターネットの爆発が始まっていて、それが持つ大きな可能性と意義が1994年から95年になって次第に明らかになってきました。そして95年に至ると、アメリカのビジネスも、さらには道をあやまっていた通信業界、あるいはコンピューター業界も、ようやくその重要性に気がついて、いっせいにインターネットに走るようになった。マイクロソフトの大方針転換は、その代表的なケースです。

しかしながら、その走り方にやや問題があるといいましょうか、今度はインターネットの上にマーケットをつくる、エレクトロニック・コマースを展開するというところを狙い過ぎて、これまた別の方向にオーバーシュートするのではないかと考えられます。しかも同時に、インターネットに対するある種の反動、反省も起こっている。インターネットのあまりにも急速な爆発の中で、これは危険なもの、恐ろしいもの−−ポルノや犯罪の温床−−ではないかといった懸念や、あるいは、あるいは供給もしくは収入が追いつかなくてつぶれてしまうのではないかという予想などもでてきています。

しかし、インターネットのより本格的な発展の可能性を示す動きもまた、同時に起こっています。企業が企業内、あるいは企業間の通信の為に、インターネットのプロトコルやインターネットの上に現れてきた、World Wide Webのようなアプリケーションを使って、業務用の情報システムを組みなおすという「イントラネット」型のやり方が普及しつつあります。

さらに、後で申し上げる「ネットワーク・コンピューティング」に向かう流れが新たな基盤となって、中・長期的には「バーチャル・コーポレーション」のような企業や産業の組織そのものの構造改革が進められたり、電子的な決済や金融の仕組みも整備されたりしていく中で、より本格的な「エレクトロニック・コマース」の花が開いていくだろう。そうなると、これまでの独占的な「大企業体制」は、大きく見て落ち目になるのではないかと思います。

反省へ

とりあえず、今は一種の端境期といいますか、このようなインターネットの爆発から反動・反省の狭間に、とくにアメリカはきているのではないかと思います。

アメリカの場合は、ODN (Open Data Network)というコンセプトは、1994年にいち早く「エヌ・ルネッサンス・コミティー」がうち出していたのですが、充分明確なビジョンとして仕上げられるには至っていません。あるいは、NII (National Information Infrastructure) というコンセプトも、非常に早くから出されてはいますが、NII 諮問委員会で結局到達したのは、電話も放送もコンピューター・ネットワークも含めたあらゆるものがNII だという見解になってしまい、切れ味がありません。ではNII の構築のためには何をすべきかという点がはっきりしないままで、NII という言葉がやや宙に浮いてしまっているのではないかという印象を受けます。

そうはいっても、今日のアメリカで、インターネットに代表される、コンピューター・ネットワーク化の革命(「ネットワーク革命」)が、見かけの上では急激に、爆発的に進展していることは確かです。ジョージ・ギルダーの有名な4 つの法則を全部あわせますと、コンピューター・ネットワークのパワーは、ポテンシャルとしては年10倍という途方もない速度で拡大しているのです。しかし、このポテンシャルを充分生かし切れないという問題が、少なくとも3 つあると思われます。

その一つがコンピューターの、とりわけソフトウェアの進化の遅れです。ハードの性能が年々急激に向上していくのをソフトが食いつぶしてしまっている。重くなり、高くなり、結果的にはスピードが遅くなっています。またユーザーは、新しいハードやソフトの使い方の勉強に追いまくられながら、さらに次から次へと新しいバージョンを買わされています。これは何かコンピューターの進化の方向を誤っているのではないか。今のコンピューターやそのネットワークそのものの在り方を考え直してみなければならないのではないか。これが、最近いわれている「ネットワーク・コンピューティング」へという新しい流れの意味するところだと思います。この動きは、これから1 、2 年の間に色々な形で出てくるだろうと思われますが、ともかくここを解決しないと、せっかくのポテンシャルが活かせないわけです。

二番目は、コンピューターの性能は良くなっても、それをつないだネットワークのほうが不十分にしか対応できないとすれば、やはりポテンシャルは活かせない。今のところアメリカは、特に一般市民、あるいは中小企業のネットワーク利用については、やはり電話によるダイアル・アップ接続方式が主流で、回線速度は遅く課金方式も時代遅れだといった問題からなかなか逃れられないでいます。せめて当面は同軸ケーブルあるいは既存の電話線を活用して回線速度の大幅な向上をめざそうとする試みも始まっていますが、どこまでそれが成功しそうかは意見が分かれています。光ファイバーや無線を利用した新しいネットワークの構想も、まだほとんどありません。それに、ネットワーク技術そのものも、まだまだ十分満足すべきものではない。LAN の速度も期待されたほど上がっていないし、LANとWAN との接合をめぐる問題、あるいはTCP/IPとATM が相性が悪いといった問題はいろいろな方が指摘しているが、これが十分解決できる見通しもまだたっていないようです。結局、次世代のインターネットであるオープン・ディジタル・ネットワークを本格的につくっていくという問題は、今後の課題として残されたままです。

三番目は人々の無理解、あるいは恐怖です。新しい物に対する恐怖、そこから出てくる政治的な反動の動き、インターネットを規制しようと、これが今はポルノや暗号化などの側面で起こってますが、もっとひどくなってきますと、ラダイト運動というかコンピューターやネットワークの打ち壊しのような動きも、起こらないとは限らないでしょう。

現在の課題:5 つの議論のレベル

さて、電気通信の世界での目下の議論のレベルとしては、5 つほど挙げてみることができそうです。まず、古い電話のシステムの中で、いわゆるNTT 対NCC の競争というレベルの議論があります。日本ではこれが議論の中心になっていて、NTT の分割論や分離論は、もっぱらこの文脈の中で行われてきました。それに対して、二番目のレベルとして、旧電話対新電話という議論があります。ISDNや新型のセルラー電話から、PCS 、さらにはケーブルテレビ電話やインターネット電話にいたる、新しい電話のシステムがさまざまな形で出てきて、どういう競争関係をつくるかという議論です。しかし日本では、そんなものはは当分本格的には出てこないだろうということで、まじめな議論はどこかに投げ捨てられて、長距離の競争と市内の独占をどうするかという所だけにもっぱら議論が集中しているのが、現状のように思われます。

もっと上のレベルの議論としては、電話やケーブルテレビといったパイプライン産業と映画やニュースのようなコンテンツ産業のどちらが、これからのNII あるいはODN の展開において主導権を握るのかという第三のレベルの問題があります。また、NIIの構造として、双方向テレビ中心でいくのか、あるいはインターネット主導型でいくのかといった第四のレベルの問題は、アメリカでは非常に大きなイシューになりましたが、日本ではほとんど議論にもなりませんでした。
それからまた、第五の議論のレベルとして、競争と規制の枠組みをどうするのか、民主導で行くのか官主導でいくのか、あるいは、共通のルールを前提としたうえで第三者による監視機関などをどうつくりどう運用するのかといった議論があるのですが、日本の場合は、それも甚だ不十分にしか行われていません。しかも、他のレベルの議論と効果的に結合されることなしに、バラバラに議論が行われてきたという感じがします。
今回の答申を読んでも、一章・二章に書いてある話と、第三章の国民、利用者にとって望ましい姿−−情報通信産業のダイナミズム喪失の議論−−とは、卒然と読んだ限りでは、どうも話がつながらない。第三章にはなかなかいいことが書いてあるのだけれども、第一章や第二章の議論と、それがどういう関係にあるのか。ましてや、第四章とはどうなるのかよくわからないという感じが率直に言っていたします。

日本は今、高度情報通信基盤をつくる上で、アメリカに比べて非常に遅れている。東南アジアのいくつかの国に比べても遅れている。インターネットの普及率は低いし、専用線料金はアメリカはいうまでもなく、韓国に比べても5 倍、6 倍であります。
それからインターネットのようなコンピューター・ネットワークのサービス提供が、専ら民間中心に行われてきている。それ自体は悪いことではないが、政府、とくに地方自治体の役割が非常に少なく、民間中心の電話によるダイアル・アップ接続のウエイトが圧倒的に高いという形で進んでいるといった、色々な問題点があります。

ここで、もう一回元に返りますが、第三次産業革命が起こっているのだということを、私どもは改めてまじめに考え直してみるべきではないかと思います。つまり、技術のパラダイムは本当に変わってきている。だから、新しいインフラや新しい産業を作らなければいけない。お題目ではなく、実際にやらなければいけない。しかも、なるべく早くやらなければいけない。

産業組織や産業構造も、國領二郎さんと今井賢一さんたちが、「プラットフォーム型産業組織」とか、「オープン型経営」という提言をしていらっしゃいますが、まさにそういう問題提起に正面から応えていかなければいけないのが現状ではないでしょうか。

別の言い方をしますと、近年のほとんど決まり文句のようになっている、「経済の高度成長の時代、右肩上がりの成長の時代は終わった。これからは成熟に向かうのだ」というのは真っ赤な嘘であって、それどころか、我々は史上例をみないような超高度経済成長の時代に、これから入っていこうとしているのではないでしょうか。

いまは確かに、経済のあらゆる部門でそのような超高度成長が起こっているわけではない。でも、一部の部門には明らかに指数的な成長、右肩上がりの成長が見られる。たとえばマイクロプロセッサーの性能とかインターネットのトラフィックの伸び、あるいはパソコンや携帯電話への需要の伸びは、まさしく指数的成長そのものです。それも、年々倍増などといった、未曾有の速度での成長なのです。やがては、その影響は経済の他の部門にも及んでいくでしょう。

もちろん、そういった経済成長がどこの分野でも等しく起こるということはなく、むしろ実際に起こるのは不均等発展でしょう。部門によっては収縮する所もあれば、なくなってしまう所もあるかもしれません。そのなかで、次の時代の全面的な経済成長、それは20世紀型のモノ中心の成長ではなく、情報中心のサイバースペースの開拓をめざす経済成長だと思うのですが、それに向けての突破をいかに成し遂げていくかというのが、今後5 年、10年、15年の課題なのです。

過去の歴史で考えると、イギリスが19世紀半ばに鉄道を世界に先駆けて引いたときには、まず銑鉄のレールを使ったという例になぞらえることができそうです。当時、鋼鉄はまだほとんど大量生産されてなかったわけですから、銑鉄のレールでも、まず引いてしまった。そして鉄道のネットワークの運用の仕組みをまず学習した。それと似たような意味で、新型の情報通信のネットワークをとりあえず構築するとすれば、その回線となるのは同軸ケーブルでもいい、あるいは、まだまだ不十分な速度しかでない光ファイバーでもいい、とにかく線を引こう、LAN を作り、WAN につないで行こう、という考え方が必要だと思います。そして、かつて20世紀の初めにアメリカの農業が重化学工業革命(第二次産業革命)の成果をいちはやく利用して、つまり、トラクターや肥料、農薬、コンバイン、トラックなどを使って生産性の革命的な向上を実現したのと同じような意味で、既存の産業が情報通信産業の成果を使って生産性を上げる工夫をしなければいけないでしょう。

つまり、近い過去の経験にとらわれてしまってはいけないのです。これまで我々が見てきた時代は、第二次産業革命の成熟局面が生み出した20世紀産業社会にほかなりませんでした。それは、突破局面の社会ではなかったのです。成熟局面では、産業革命の成果をとりいれた新しいライフスタイルが生まれます。その代表がいわゆる「アメリカ型生活様式」であり、それを具体化した乗用車であり家電、テレビであり、芝生やプールのある住宅だったのです。しかし、この時代の経験をそのまま先に延長して、未来の社会のあり方を考えるのは間違いでしょう。いわゆる「ビデオ・オン・ディマンド」論や、「情報家電」論がそれです。もちろん、20世紀の家電テレビにあたる21世紀の情報端末という意味での「情報家電」は、いずれは必ずできて、普及すると思います。しかし、それはまだまだ何十年か後の話でしょう。つまり第三次産業革命がその成熟段階に入った時の話でしょう。ですから、その具体的な中身や使われ方となると、現在の私たちの想像できるようなものではないでしょう。いわんや今後2 、3 年の内にそれが普及するわけはありません。私たちは、息長く開発の努力を続けていかなければいけないと思います。

同じことは、バーチャル・リアリティーとかアーティフィシャル・ライフと呼ばれているような、21世紀の情報社会にとっての基盤的な技術となることが期待されている技術についてもいえるでしょう。19世紀の終わりには自動車はすでに存在していたように、21世紀の成熟段階での社会生活の根幹をなす技術や製品の原型は、すでに今生まれているといってよいとは思うのですけれども、それが現在ただいま、大規模な大衆需要を生み出すものにはならない。むしろ今は、準備期にあると考えておくべきではないかと思うわけです。

こう言った議論を、私どもはここ数年してきたわけですが、最近たまたま見つけましたのは、アメリカの中にも出てきている似たような議論の例です。『スター・トリビューン』という雑誌のオンライン版によると、彼らは1980年から2020年までの40年間が新しい産業革命の時期であるという認識をしています。私どもは1975年から2025年までの50年間がそれだ−−正確には新しい産業革命の「突破段階」だ−−と言っておりますけれども、ほぼ同じことですね。彼らが示している図によりますと、今の、1990年から95年にかけての時期は、いよいよ指数的成長、あるいはS 字型カーブの成長経路がその変曲点に達して、誰の目にも成長の大きなポテンシャルが見えるようになった時期にあたります。ここから、猛然と高度成長が始まって、あと少なくとも10年はこの勢いが続き、それからだんだん減速していって2020年に至るであろうというのが彼らの予測ですが、これは確かに頷けることではないかと思います。

しかし、それだけではなく、最初に「第三次社会革命」という言い方もしましたが、これも紛れもなく現在起こっているということを改めて強調したいのです。それは、過去の主権国家を生んだ軍事革命、あるいは軍事化の波と、近代の産業企業を生んだ産業革命、あるいは産業化の波に匹敵するような、近代における社会変化の第三の波であって、これが狭い意味での情報化にほかなりません。この情報化の結果として、主権国家や産業企業とは異なる性格を持った社会的な主体である「情報智業」が誕生するだろう、と私は考えています。情報智業は国威の増進発揚を追求するのでなければ、富あるいは利潤の極大化を追求するものでもない。むしろ、私は「智」と呼んでいますが、知的な影響力、その確保や発揮に努める。その場所がいわば「地球智場」という、新しい情報や知識を普及させるための場所となります。それが具体的な形をとったものが、現在のインターネット、あるいは未来のODN にほかならないと思います。

そうした変化の背景をなす人々の在り方として、軍事革命を通じて国民が誕生し、産業革命の中で市民が普遍的な性格を持つようになったのと同じように、情報革命の過程で、シティズンに対する「ネティズン」、あるいは市民に対して「智民」と呼ばれるような新しい人々の在り方が出てくるのではないでしょうか。

主権国家の進化のプロセスの中では、国家主権と人権との攻めぎ合いが起こりましたし、産業化の中では、私有財産権と環境権の攻めぎ合いが起こったという点から考えますと、情報化が進んでいく中で、情報智業の立脚する情報権と、リアリティの権利とでも言っておきますが、「我々は人間だ」、「肉体を持っているぞ」、「サイバースペースの中だけに生きているのではないぞ」、といった主張をする立場が出てくるの可能性があります。しかし、この辺りはかなり先の問題ということで、今日は宿題として残しておきたいと思います。

いずれにしても、新しいタイプの智業や智民が登場しててきいます。今は、うまい言葉がないのでNGO とかNPO という言葉で呼んでいるのですが、この人々は、いろいろな行動様式の変化を体現しています。とくにコミュニケーション仕方が非常に違ってきます。双方向型のコミニケーションが拡がっていきます。単に一方的に情報を受けるだけではなく、むしろ、積極的に情報を探索し、発信するように必ずなっていくと思います。

その意味では、21世紀の情報家電は、20世紀との比較でいうと、ラジオやテレビではなく、自動車のような性格を持つに違いないのです。つまり、20世紀の市民は、空間の移動という点では、自分で車を運転して自由に走る「ドライバー」の道を選択しました。しかし、情報生活の面では、消極的なカウチポテトになってマスメディアの提供する情報を受動的に受け取るという方向を、選択したと思うのです。

それに対して21世紀の智民、ネティズンは、物理的な空間の移動については自粛をする。環境問題とか、エネルギー問題があるから、在宅勤務をするかもしれません。あるいは、テレビ会議をするかもしれません。しかし、情報知識のハンドリングに関しては、非常に積極的になって、情報端末の積極的なオペレーターになるのではないでしょうか。そうだとすれば、情報化とは、まさに新しい価値観やライフスタイルを持った人々が広く生まれてくる過程を意味するはずです。企業の仕事も、そういう人々との間で行われるようになるということを見通した上で進められなければならないと思います。

日本モデル

それから、情報化を進めていく上で、各国がまったく同じやり方をすることが妥当であるとは、必ずしも思いません。日本には日本のやり方があるのではないか。それが情報化の「日本モデル」にほかなりません。つまり、私たちはみんなが共通のビジョンを持って、その下でそれぞれ役割を分担し、協働し、また競争していくというものがそれです。

日本モデルとは、官と民、また、民のさまざまな部門、あるいは自治体と住民、みんなが参加するモデルです。そこで何をしなければいけないかというと、まず新しい情報通信基盤を作るためには、ある種の競争環境を、大きくは、協働、協力の環境を作る中での競争環境を、作っていかなければなりません。そのときに戦略的な役割を果たすのが、通信サービスと回線の提供とを分離するという、NTT が昨年の9 月以来その方向に向かうようになった回線の全面的な開放路線でしょうし、もう一つは、NTT も含めてほかの企業でも回線そのものを構築し他人に利用させる、いわゆるゼロ種的な活動を自由闊達に行うし、利用の方も自由に行うための条件が保障されることが、とくに必要だと思います。

それらをもとにして、新しい情報通信基盤を作る必要があります。そのような基盤は、大きくは、行政が作る側面と、企業が作る側面、さらに地域が作る側面の三つがあると思います。日本の場合は、少なくとも行政については高度情報通信社会推進本部の基本方針で、それなりの方向は示されてきたと思います。それから、大企業については、いわゆるイントラネット型の企業のネットワークを作るという方向は、すでに間違いなく定まったと言っていいでしょう。

CAN とOCN

そうすると、いま政策的に必要なのは、むしろ全国的に、とくに各地域に、新しい情報通信のネットワークをどう作っていくかということです。私どもは、ずっと大分でマルチメディア地域実験等に関わってきたのですけれども、地域にコミュニティ・ネットワーク、あるいはコミュニティ・エリア・ネットワーク(CAN )を作ろうとするのは、もちろんいいことだし、必要なことです。そこでは、いわばいろんなところにLAN を作って、それらをお互いに接続していこうとするわけです。しかし、それをさらに県としての幹線に、あるいは全国からさらには世界の幹線に結び付ける仕組みが、なかなか見えてこないのです。接続するための料金も非常に高そうです。誰が、いつごろ、どんなものを作ってくれるのかわからない、というのがこれまでの最大の悩みだったのですけれども、今回のOCN の具体的なビジョンの発表によって、少なくとも一筋の光がさしてきたという実感を持っております。

まだまだ問題はあるかもしれないけれども、これでやっと進んでいく先にある着地点というか可能性が見えてきた。願わくば、これをもっと競争的に進めていただきたい。もっと早く、もっと安く、もっといいものを作って頂いて、私たちが自由に選択できるようになることが望ましい。競争というのは、畢竟ユーザーの立場からすれば、選択の余地があるということなのです。競争している方々が一生懸命頑張っているかどうかとかという精神論はどうでもいいのでして、現に私たちのまえに選択できるものが多様に提供されるかどうかということが最大の問題なのです。

ですから、今度のOCN の発表をきっかけにして、第二OCN 、第三OCN といったようなプランが続々と発表されてくれないかなと思うわけです。他方、コミュニティーの側でいいますと、もちろんある種の競争も必要ですが、そこはむしろ全員参加型の協働的な形で構築し運用していくというのが、日本モデルとしてはよいのではと考えております。

これも、後でコメントや議論して頂きたいところですが、私どもは一種のキーワードとして、「情報ループ」をそれぞれの町内や団地に全部張り巡らせ、そこにびっしりと「情報コンセント」をつけられるようにしよう、そこへさまざまな情報端末を「プラグ・アンド・プレー」で差し込んで使っていけるようにしよう、これが、私たちのいうCAN の姿であって、これを全国で同時に展開していく、それも地元主導でやっていく。そこに様々な企業に協力して頂くという形をつくりたいのです。できることならば、今年から来年にかけて、こういう運動を全国に展開していきたいという希望を持っています。

つまり、OCN がもう動き出しうる態勢になっていると考えれば、残っている課題はCAN の構築を推進するための地域の仕組みの早急な構築であるということになります。とはいえ、本当にOCN が動くことになるのか、安価にそして有効に使えるようになるのかどうかは、まだかなり大きなクエスチョン・マークとして残っています。これについての見通しも、ぜひご議論頂きたいし、教えて頂きたいと思います。

それから、競争が起こる前に決定的に重要なのは、いわば公平な条件で、あるいは対等な立場で相互接続が行われるということで、これを監視する第三者機関はなくてはならないと思うのですが、これも今回の答申にはあまり明確な形ではその必要性は述べられていない印象を受けました。しかし、監視機関はどうしても必要だと思われます。

そのほかに、日本の情報化にとっての課題としては、グローバルな情報通信インフラの展開にかかわる問題が残っています。これについては、私どもも別途考えていきたいと思っていますし、また提言も今、準備しているところです。

とりあえず今日は、国内の高度情報通信基盤の構築戦略として、今何が最も緊急に必要かという点で、私どもの考え方を申し上げさせて頂きました。