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96年4月

「第一章:ネティズンとは何か」

公文俊平

第一節:ネティズンということばの誕生

"ネティズン" ということばは、もともと英語の単語として造られた。このことばは、いまでこそかなり普及してきたが、実はそれが造られたのはごく近年のことにすぎない。私が電子ネットワークの上でそれに始めて出くわしたのは、一九九四年の初めだった。私は、明らかに "シティズン(市民)" をもじったこのことばがとても気に入ったので、早速自分なりに、このことばをどしどし使うようにした。

それにしても、いったいこのことばは、誰がどこでまず使ったのだろうか。それを知りたいと思って、インターネットのWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の中を、YAHOOというサーチ・エンジンを使って、同僚の会津泉さんに検索してもらったところ、Neti zen's Cyberstop という名前のサイトにでくわした。早速そのサイトにアクセスしてみると、それはアメリカのコロンビア大学のマイケル・ハウベン(Michael Hauben)という学部学生(当時)が個人で運営しているホームページだった。ハウベンはそこに、彼の書いた「ザ・ネットとネティズンたち−−ザ・ネットが人々の生活におよぼしたインパクト」という論文も公開していた。(*)

(*) Michael Hauben (hauben@columbia.edu), THE NET AND NETIZENS: The Impact the Net has on People's Lives. 1993.

私はその論文をダウンロードする一方、彼に電子メールを出して、このことばを造ったのは彼自身であるのか、そうだとすればそれはいつのことだったかを問い合わせてみた。メールを出したのはアメリカの東海岸ではとっくに真夜中をすぎた時間だったのだが、何とものの一時間もしないうちに返事がきた。それによると、このことばを造ったのは、確かに彼自身で、その時期は彼が上記の論文を書いた一九九三年の春だったという。(ちょうど、マーク・アンドリーセンが、WWWの最初のブラウザーとして知られるMOSAICを書き上げたばかりのころである。)彼は、“ザ・ネット”つまり "インターネット" の中の人びとが、久しくそのユーザーのことを“net.citizen"と呼んでいたのに気付き、これをまず通常の英語である "Net Citizen"に呼びかえ、さらにそれを縮めて"Netizen" にしたというのである。(*)

(*)このいきさつは、本文で言及した彼のWWW のホームページ (http://www.columbia.edu/~hauben/)でも述べられている。

マイケル・ハウベンの考えでは、それぞれの地域社会には、商用ネットワークだけでなく、彼のいわゆる“コミュニティ・ネットワーク”がなくてはならない。それぞれのコミュニティに住んでいる市民たちは、このコミュニティ・ネットワークを通じて、グローバルなコンピューターのコミュニケーション・ネットワークにつながることができる。その結果、各人は、同じコミュニティの中の他の市民だけでなく、世界中の人びととコミュニケートできるようになる。さらに、人びとはコミュニティ・ネットワークを通じて、地方レベルや全国レベルの政府についての情報を入手できるようになるために、民主主義国では人びとの政治参加がより容易になる。

このように、商用のネットワークとコミュニティ・ネットワークとをはっきり区別して考えるマイケルの視点は、これからの日本の情報通信基盤のあり方にとっても多くの示唆を含んでいるように思われた。そこで私どもは、 "ネティズン革命" と "コミュニティ・ネットワーク" を主題として一九九五年の秋に開催された別府湾会議 '95 にマイケルを招待し、彼の考えをもっと詳しく聞いてみることにした。彼はそのさいに、彼のお母さんのロンダ・ハウベンと協働して書いたというネティズンを論じた一冊の本の原稿(*) をお土産に持参してくれた。しかし、これはかなり大部のものなので、本書には、それを訳出する代わりに、ハウベンが別の機会に書いた短い論文を収めることにしよう。

(*)Michael Hauben and Ronda Hauben, NETIZENS: On the History and Impact of Usenet and the Inbternbet. (mimeo) 1995.
なお、1996年の4月に、私はトロント大学で開かれたインターネットの未来をテーマとする会議に参加したのだが、その時たまたまカナダを旅行中だったジェイとロンダのハウベン夫妻がホテルに訪ねてきてくれ、ゆっくり話をすることができた。私は、コミュニティ・ネットワークの未来に賭ける二人の情熱にほとんど圧倒される思いがした。二人は、コミュニティ・ネットワークの構築と運営に対して、企業よりはむしろ政府の果たす役割に大きく期待していた。また、分割以前のAT&Tが情報技術の研究開発と普及に対して行った貢献(とくにUNIXの開発と普及) を非常に高く評価し、そのような観点から、NTTの分割は理解に苦しむと主張した。彼らのこうした考え方は、今日のアメリカでは少数意見にすぎないかもしれないが、ともかくそうした考え方の持ち主もまた今日のアメリカには存在していることがわかり、大いに興味深かった。

ところで、 "ネティズン" ということばを聞けば、それが "シティズン" をもじって造られたことはすぐわかる。しかし、それではそれを日本語に訳すとすれば、どんなことばがよいだろうか。 "ネット市民" 、 "情報市民" なども考えられるが、少々長たらしい。

"ネ民" とするのもあまりに便宜的だ。そこで、私としては、後で議論する "智業" や "智場" と関連づけた、 "智民" という訳語を提案しておきたい。これなら日本語の "市民 " と語呂があっている。だからといって、それにこだわるつもりはないので、どなたかもっと良い訳語を考えていただければ、それに従いたい。

  第二節:ネティズンということばの意味づけ

それにしても、 "ネティズン (智民) " の意味を、単に「ネットワークのユーザー」とするだけでは、いささかものたりない。それは、近代社会の進化に重要な役割をはたした "シティズン (市民) " のことを、単に「都市の住民」といってすませてしまうようなものだ。そこで、私としては、このことばにもう少し社会科学的な意味づけを加えてみたい。

私は、一九九四年に出版した『情報文明論』(*) という本の中で、近代文明を "初期軍事・産業・情報文明" だと位置づけ、近代文明は、軍事化、産業化、情報化という三つの社会革命過程を経て進化していく、と論じてみた。いいかえれば、近代文明は、軍事文明から産業文明へ、さらに情報文明へと展開していく、という解釈を示してみた。また、近代第三の社会革命にあたる情報革命、つまり情報化の過程は、一九七〇年代の半ばごろから始まったが、そのことは必ずしも産業化の終焉を意味するものではなく、産業化自体は、ほぼ同じころから "第三次産業革命(情報産業革命)" の開始を通じて、その第三の段階(第一の軽工業段階、第二の重化学工業段階に続く情報産業段階)に入ろうとしている、という見方をとった。つまり、情報化(第三次近代化)と第三次産業化(情報産業化)の過程は、「あれかこれか」ではなく、両方が同時並行的に生じている、と考えた。(**)

(*)公文俊平、『情報文明論』(NTT出版、1994年)。また、私のこのような見方の原型は、『社会システム論』(日本経済新聞社、1978年)、および『転換期の世界』(講談社学術文庫、1978年)、に見られる。 (**) 「あれかこれか」説をとっている代表的な作品としては、堺屋太一、『知価革命』(講談社、1985年)がある。

しかし、『情報文明論』を書いていた時点(1993年)では、私は "ネティズン" ということばの存在は知らなかった。 "市民" 階級の出現や、それが近代化過程で果たした役割についても、とくに注目していなかった。本を出してしばらくして、通産省の中野幸紀さんに指摘されてはっとしたことだが、何よりも、現在の情報化に先行する情報・知識関連の技術革新−− "印刷革命" や "科学革命" など−−への目配りがなかった。いわゆる "産業革命" に先行する "プロト工業化" 過程の存在や、近代産業企業以前の "前期資本家" のはたした役割については自覚していたが(*) 、いわば "プロト情報化" とでもいうべき過程の存在や、近代情報智業以前の "前期智業家" とでもいうべき "知識人" や "文人" 、 "学者" たちのはたした役割については、プロト工業化との類推で多少言及してみた程度で、それ以上立ち入ってとりあげることはしなかった。(**)しかし、中野さんの指摘と、 "ネティズン" ということばの出現に注目したことがきっかけとなって、私は、情報化の場合にも、軍事化に先立つ封建化や産業化に先立つ商業化と極めてよく似た、人文化もしくは智業化とでも呼ぶのが適切な過程の存在が考えられることに、あらためて気づかされたのである。それは同時に、近代化過程での "市民" の果たした役割、とくに政治革命としての "市民革命" の担い手としての役割と、よく似たような役割を "ネティズン(智民)" がはたす可能性に気づかされることでもあった。

(*)たとえば、村上泰亮、『反古典の政治経済学(上)』(中央公論社、1992年)の第六章は、イギリス経済史の新しい研究成果を紹介しながら、イギリスでは一八世紀の産業革命と一七世紀の政治革命(イギリス革命)に先立って、すでに一六世紀には、 "高度大衆消費" に支えられた "資本主義" が成立していたことを示している。
(**) 『情報文明論』の中では、 "軍事化" に先立つ過程を "封建化" と、"産業化" に先立つ過程を "商業化" と呼んでいたのに対し、 "情報化" に先立つ過程のことは、自分でも不満を覚えながらではあったが、とりあえず"ネットワーク化" と呼んでいた。その後、ルネサンス期以来の西欧に台頭した "ヒューマニズム(人文主義)" の潮流に着目して、 "ネットワーク化" の代わりに "人文化" を使うことも考えたが、私自身の用語法から  すれば、 "智業化" という呼び方も捨てがたいと思う。資本主義が近代産業企業を生んだ産業化に先立って出現していたように、智業(ないしは智本主義)もまた、情報化に先立って出現していて当然である。もっといえば、封建化、すなわち地方的権力体の出現や、商業化、すなわち商品交換や商人の出現、および智業化、すなわち智識の普及やそれを業とする人々の出現は、近代文明に先立つ宗教文明や古代文明にも、すでに見られていた。近代文明の特徴は、封建化や商業化あるいは智業化が生じたところにあるというよりはむしろ、それらにいわば上乗せする形で、 "軍事化" や "産業化" あるいは "情報化" といった、極めて急激な技術革新と社会革命の過程が加わったところにあるのではないだろうか。

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