1996年12月3日
公文俊平
未来のビジネスの姿を、私流の言葉で予想してみるならば、「未来のビジネスは、"智場" をプラットフォームとして行われるようになる」だろう。
では、智場とは何か。物理的には、それは今日のインターネットがさらに発展した、ヒトとモノの間のグローバルなコミュニケーションのネットワークである。(ここで、ヒトだけでなくモノまで加えたのは、将来は、たとえば自動販売機が、このネットワークの一つのノードとしての地位を占めて、自分の中にある商品の種類や量、あるいは状態--ビールの冷え具合など--を自動的に発信しだすからである。)
では、智場はどんな機能を果たすのか。市場と比較しながら説明しよう。市場が、商品(財やサービス) の交換の場だとすれば、智場は通識 (知識や情報) の通有の場である。市場での交換を前提して生産される財やサービスのことを"商品" と呼ぶとすれば、智場での通有を前提して生産される知識や情報のことは"通識" と呼べよう。市場では、人々は商品の交換のための取引に従事する。取引とは、「あなたが私の喜ぶかくかくの行為をしてくれれば、私はあなたが喜ぶ(と思われる) かくかくの行為をしてあげるよ」といった形のコミュニケーション(交流)である。「三万円払ってくれれば、このカメラを差し上げてもいい」というのはその一例である。取引が成立すれば、商品は交換される。これに対し、智場では人々は通識の通有のための説得に従事する。説得とは「あなたがかくかくの行為をすることは、ほかならぬあなた自身(やあなたが自分と一体視している存在) のためになるよ」といった形のコミュニケーションである。「この健康法を実行すれば、あなた自身(やあなたの家族) のためになるよ」というのはその一例である。説得が成立すれば、知識や情報が通有される。そして人々は、通有された知識や情報に基づいた行為を行うようになる。
智場での交流に基づいて取られる行為の多くは、人々が通有するにいたる共通の目標の実現をめざしたコラボレーション(協働) になると思われる。その意味では、智場は、交流と協働の場となる。インターネットのグローバルな拡大は、智場をグローバルに拡大する。つまりこれまでの"世界市場" に並ぶ "地球智場" が成立するのである。
市場で主として活躍するのは、商品の交換を通じた富 (一般的な取引力) の獲得を自らの"ビジネス" とするタイプの主体、つまり "企業" である。同様に、智場で主として活躍するのは、通識の通有を通じた智(一般的な説得力) の獲得をみずからの "ビジネス" とするタイプの主体、つまり"智業" である。智業は、相手にとって価値のある知識や情報の通有を系統的、継続的に行うことで、相手の信頼を獲得する。「この人のいうことに間違いはない」という信念とは、つまりその人のもつ「智」に対する信頼に他ならない。従って、成功した智業とは、自分のまわりに、この意味での信頼の系列というかネットワークを安定的に構築しえた智業に他ならない。このような智業は、それを信頼する人々のグループが行う交流と協働の中核的なモデレーターとして機能するようになるだろう。
二十世紀の産業社会では、市場が、その他の社会関係のプラットフォームとなる傾向があった。たとえば、教育や医療(やあるいは政治) のような、本来は市場での交換関係とは考えにくい社会関係まで、良くも悪くも、市場での交換関係となり、さらには営利類似の行為として発展するようになった。
二一世紀の情報社会では、企業のビジネスに並んで、智業のビジネスが普及する。いや、後者が優位を占めるようになっている。いいかえれば、二一世紀には、智場がその他の社会関係のプラットフォームになっていくだろう。市場での交換関係さえ、智場に引き込まれていくだろう。つまり、企業のビジネスは、"顔の見える" 顧客を相手にして、安定した相互の信頼関係の上に立って、相互の緊密な交流と協働を通じて、遂行されていくことになるだろう。過去の生産系列や流通系列にかわって、"信頼系列" とでもいうべきネットワーク組織が、智場のいたるところに拡がっていくだろう。とはいえ、智業による「智」の獲得競争が、基本的には自由な競争として行われる限り、智場に生まれる"信頼系列" は、過去の日本の "系列" などに間々見られたような閉鎖性は少ないものになるだろう。そうした新しい系列ないしネットワークは、一方では長期的な安定性の確立を指向すると同時に、他方では競争や変化に対してオープンなものになるだろう。系列の広汎な形成を容認する一方で、その開放性を担保するための社会的なルールが設定されることになるだろう。
そうなった暁には、これまでの企業の経営形態や研究開発あるいはマーケティングのあり方は、すべて大きく変化するに違いない。たとえば、二十世紀型の大企業体制に代わって、小企業のネットワーク型の体制が生まれるだろう、さらには個々の経営単位自体が、"バーチャル" 化していくだろうといわれている。今日のソフトウエア産業ですでに広く見られるように、新製品の開発や改良のプロセスに、関連企業やユーザーが最初から参加して、相互の交流と協働を通じてそれが推進されるようになるために、開発の期間や費用の大幅な短縮と節減が実現するという指摘もある。一人一人異なる顧客に対するきめ細かい対応を目指す"ワン・トゥー・ワン・マーケティング" や、顧客との間に安定した相互信頼関係や交流・協働関係の形成をめざす"リレーショナル・マーケティング" の提唱もある。こうした変化が、短期間に一気に実現することはありえないにしても、今後十年、二十年かけて拡がっていくビジネスの新しい進化がそうした方向に向かっていることは間違いないだろう。
そうだとすれば、たちまち巨額の利益を約束してくれるかに見えるおいしい"マルチメディア・ビジネス" への参入のチャンスを逃すまいと焦ったり、インターネットやイントラネットを導入すれば明日にも実現する"エレクトロニック・コマース" の世界を夢見てやみくもに駆けだすだけが、 "情報革命"なのではない。企業としては、今日の情報革命は、何よりも技術や経営や産業構造のすべてにわたる、基本的な"パラダイム変化" であり、決して一朝一夕には実現しえないことを、長期間にわたるたゆまぬ努力が必要不可欠なことを、よくよく心すべきではないだろうか。
その中でも、とりわけ重要なのは、ここで述べた智場と智業の意味の的確な理解である。企業は、智場をプラットフォームとするビジネスのあり方が、これまでのビジネスのあり方とはどこがどう違ってくるかを、真剣に研究してみる必要がある。また、これからのビジネスを効果的に進めていく上では、智業との協働が、あるいは智業的な部門や活動の企業自身の中への導入が、必要不可欠となることを認識して、しかるべき対応をはかると同時に、制度改革を構想・提唱していかなければならない。 一例だけあげてみよう。企業が、智業の活動を財政的に支援したり、みずから智業的活動に携わったりすることが、本来のビジネスの遂行にとって大きな効果があることがわかったとしよう。その場合に必要となる支出は、"経費" とみなすべきだろうか。あるいはそうしたいと思っても、税務署が認めてくれるだろうか。しかし、よく考えてみると、企業の支出の中で、どれが経費でありどれが利益からの支出かを決める、客観的基準はどこまで存在するだろうか。むしろ、そうした区分は、企業の経営者もしくは所有者が、自分の主観と責任において行うべきことではないか。そうだとすれば、そのような区分に立脚した課税制度--法人所得税--は、根拠が不確かなものといわざるをえず、未来の情報社会は別の税制を採用すべきではないだろうか。
今日、経営や行政の改革論議は花盛りだが、上述したような観点からの議論はあまり見られない。未来の"智業法" の原型ともいうべき "NPO 法" の制定も頓挫したままである。情報社会の到来を正面から睨んだ論議の盛り上がりを期待したい。