1997年4月30日
公文俊平
(一)
今日の情報通信革命には、三つの側面がある。
その第一は、これまでの20世紀の産業化(第二次産業革命)のいっそうの成熟である。なかでも、テレビにおけるケーブルテレビや直接衛星放送テレビの普及、あるいは電話におけるFAX や移動体電話の普及は、その典型といえる。
その第二は、これから21世紀にかけての新しい産業化(第三次産業革命)の開始である。それは、コンピューターのダウンサイジングとネットワーキング、なかでもインターネットの爆発的といいたいほどの急速な拡大に代表されている。
その第三は、これまでの軍事化や産業化を超えるような社会変化としての情報化の進展である。これによって、近代文明はその進化の第三の局面に入る。第一の軍事化局面に確立した近代主権国家や第二の産業化局面に確立した近代産業企業に加えて、この第三の情報化局面では、知的な影響力の獲得と発揮をめざす「近代情報智業」が出現して活動し始める。その萌芽は、近年のNG0 (非政府組織)やNPO (非営利組織)の広汎な台頭に見られる。智業の活動を支えると同時にその働きかけの対象ともなるのは、軍事社会の国民や産業社会の市民とは性格を異にする、情報社会の「智民(ネティズン)」たちである。智民たちは、かつての国民のように「選良」としての政治家を選んで彼らに国家社会の運営をまかせるだけでは、もはや満足できない。自分たちが美しい、善い、面白いと考える目標を共有し、その自力での実現をめざして互いに協働するのが、智民たちの特色である。智民たちはまた、かつての市民のように産業社会での生産者あるいは消費者としてとどまるだけではもはや満足できない。みずから積極的に情報や知識を探求・創造し、智業をつうじたその普及や通有にたずさわっていくのが、智民たちの特色である。したがって、智民や智業の主たる活動の場は、自由な競争市場というよりはむしろ自由な競争智場である。あるいは、三次元の物理的空間を超える新次元の空間としてのサイバースペースである。自由市場では、企業が自分の販売したいと思う製品やサービスを競って提供するように、自由智場では、智業が自分の普及させたいと思う知識や情報を競って提示する。市場における交換の一般的な媒介物としての手段を貨幣が果たしているのと同様な意味で、智場における交信(コミュニケーション)の一般的な媒介物としての機能を果たすのはオープンな通信プロトコル(TCP/IP等)である。
もともと科学技術者たちの間の双方向のコミュニケーションの手段として発達したインターネットの本領は、この意味での智場、あるいはサイバースペースにとってのインフラストラクチャーないしゲートウェーとしての役割にあるといってよいだろう。
(二)
アメリカは、情報通信革命をリードしている国として自他ともに認めている。ところがそのアメリカで、昨年の二月に全面的な競争体制への移行を告げたはずの米国新電気通信法が成立して以来、「重要なこと、革命的なことは何一つ起こらなかった」(ハント連邦通信委員会委員長)。
確かに、クリントン政権の発足当時、全国情報基盤(NII)構築の先陣を切ったはずのケーブル会社は、双方向テレビから電話へ、さらにインターネット接続へと当面の目標を引き下げてきたが、今や直接衛星放送の脅威に対処すべく、いっそうの多チャネル化をはかるのに精一杯なようだ。地域電話会社は、ケーブル会社の脅威が去る一方で、インターネットの急速な普及がもたらした二本目の電話需要の爆発的拡大に、すっかり安心したらしい。長距離への進出や回線の光化を先送りして、従来型の加入者線の増設に努める一方、その資金源として、インターネット接続業者からアクセス料をとろうとしている。また、相互の合併で、地域での独占的地位をさらに強化しようとしている。他方、長距離電話会社の雄のAT&Tは、一見積極的な競争政策を展開しているようにみえる。同社は、昨年初めインターネットへの一部無料の接続サービスを長距離電話サービスとバンドルして提供すると発表して、一挙に全米第二位のインターネット接続業者となった。またつい最近、全米の九〇% の地域をカバーする固定体無線のシステムの展開を発表して、市内電話事業に参入しようとしている。しかし、AT&Tがインターネット型の情報通信システムへの全面的な転換をどこまで本気で考えているか、またそのための技術的、設備的、および資金的な基盤をどこまで十分にもっているかは、必ずしも明らかでない。
ヨーロッパ諸国も含めた国際通信の分野では、グローバルな連携の試みからさらに進んで、BTとMCIの合併に見られるような、いっそうの巨大化への動きが始まっている。これは、一つには多国籍企業のような顧客に、多様なサービスをバンドルしてワンストップで、しかも送信者から受信者までの全通信路をエンドツーエンドで提供することで、顧客の囲い込みをはかるためだという。もう一つの狙いは、途上国の独占的通信企業に対して多額の補助金を事実上提供する結果となっていたこれまでの電話料金の国際清算制度を、先発国の通信企業がバイパスするところにある。他の産業では、情報革命に伴って、アウトソーシングから分社化やネットワーク化、さらには「バーチャル・コーポレーション」化の動きが急激に進んでいるのに、国際通信の世界ではまるでそれに逆行した動きが見られるのは、奇妙と言えば奇妙な話である。
しかし、こうした一連の動きは、まったく予想外とはいえない。元々、既存の放送・通信業者は、一九九二年から九三年にかけての「第一次ゴールドラッシュ」の波にいち早くのって、情報スーパーハイウェーの構築を主導しようとしていた。そのさいのビジョンは、すでに成熟して大衆消費段階に入っていた二〇世紀の産業化の傾向をさらに未来に引き延ばしたものにすぎなかった。そのことは、当時華々しく飛び交っていた「双方向テレビ」とか「ビデオ・オン・ディマンド」といったコンセプトからしても明らかである。だが、ようやくその突破段階に入ったにすぎない第三次産業革命(ディジタル革命)の新技術が、既に成熟段階に達している第二次産業革命が育てて来た大衆消費市場を一気に席巻できるような質と価格の製品・サービス群を、直ちに創出しうると期待したのは、あまりに早計だった。結局、これらの業界は、「あつものに懲りてなますを吹く」始末となり、これがその後の保守的な姿勢への転換の基調となったと思われる。それに、新電気通信法自身、ディジタル時代の新情報通信システムの制度的枠組みを作り上げるというには程遠いものだった。新法が想定した競争のイメージは、旧い業種区分の中にいる企業が、互いに他の分野に一歩だけ踏み入って競争するというもので、既存の業種や業態の区分の網にかからない新しい産業や企業が出現して、縦横無尽な協働や競争を展開する事態を想定して、そのためのルールを作っておくというものではなかった。新法の中で、インターネットは、悪名高い「通信品位法」の規制対象として言及されているにすぎないことが、それを如実に示している。しかも、ハントFCC 委員長のイメージでは、「米国の情報ハイウェイは、放送、衛星、ケーブルテレビ、移動体、有線という五つの車線で構成されており」、それらの「五車線全てが国中の人につながっている」というものである。したがって、FCC としては、これら五つのすべてが適切な料金の下で、ユニバーサル・サービスを確保しつつ競争し続けていくことを期待している。そこに(おそらくは意図的に)欠落しているのは、ジョージ・ギルダーのいう「ディジタル化されたあらゆる情報を伝送する単一のネットワーク」の不可避的な出現というビジョンなのである。どうやらFCC としては、それを認めることがそのまま既存の地域電話業者の独占の持続を認めることにつながると思って警戒しているようなのだ。しかし、そうした見方は、少なくとも三重に誤っている。第一に、そのようなネットワークはまだ作られていないのだから、それを地域電話会社あるいはどれか特定の一つの業界が所有している訳もない。第二に、未来の「単一のネットワーク」は、単一の企業によって所有されるようなものではなく、多数の企業あるいは団体によって所有され互いに相互接続・運用されるものである。第三に、そのようなネットワークの構築において、地域電話会社が先陣を切ったり独占的な地位を享受しうるという保証は、どこにもない。
それにしても、今のような保守化や大型合併の傾向が、それほど長続きするとは到底考えられない。インターネット接続サービスの分野に関するかぎり、現在すでに、既存の銅の電話線、あるいはダークファイバーや無線を利用した各種の高速通信技術が、次々に実用化し始めている。(とくに北欧の一部では、自治体による光ファイバーの敷設と卸売りの試みがきっかけとなって、ダークファイバーを利用したLAN 間接続の試みが一気に拡大しようとしている。)恐らく、既存の電話や放送網とは別の、インターネット市内網の構築−−後のわれわれの用語でいえば、新たなCAN (コミュニティ・エリア・ネットワーク)の構築−−をめぐる本格的な協働と競争の時代が、今こそ始まろうとしているのである。
国際通信でも事情は同じである。インターネットには、本来国内とか国際の区別はない。通信の全経路を一社で抑えるという考え方もない。異なるネットワーク同士が互いにつながりあったもの、というのがインターネットの基本型である。サービスのバンドル化やワンストップ・ショッピング化にしてもそうだ。とりわけこれからの智民や智業は、その種の便利さを歓迎するよりは、一つの巨大企業に囲い込まれて選択の自由を失うことの方を、恐れるのではないか。資産管理であれ、情報通信であれ、単一の企業に全てを頼るかわりに、中立的なコンサルタントの助けを借り、さまざまな事業者のさまざまなサービスを組み合わせて、自分にもっとも好都合な形で利用したいと思うのではないだろうか。そうだとすれば、国際通信、いやグローバル通信のビジネス・モデルも、早晩、そうしたニーズに正面から応えるものになっていかざるをえないだろう。
(三)
FCC はともかく、米国の政府、とくにホワイトハウスは、インターネットのもつ意味と重要性をかなり正しく理解するようになってきたといってよさそうだ。新電気通信法の成立したのと同じ一九九六年の二月に、全国情報基盤大統領諮問委員会は、「機会の国」と題する報告書を提出してその任期を終えた。この報告書は、インターネットを利用した教育と生涯学習の機会の開発や、電子商取引の本格的な推進の重要性に注目するとともに、万人へのアクセス機会の確保と、サイバースペースでのルールや秩序の構築の必要を強調していた。この報告書を受けて、クリントン政権は、すでに昨年から、全米の学校や図書館をインターネットに接続する「キックスタート・イニシァティブ」や、インターネット自体のいっそうの高度化をはかる「次世代インターネット・イニシァティブ」を、政策として発動させている。さらに今年に入ると、ゴア副大統領のティームは、「アクセス・アメリカ」と題する報告書を提出して、インターネットの活用を行政改革(政府の再発明)事業の中核に位置づけた。また、アイラ・マガジナー補佐官のティームは、八ヶ月にわたる各方面との討議の成果を「グローバルな電子商取引の枠組み」と題する報告書の草案を発表して、GII とはインターネットに他ならず、米国はインターネットの技術やアプリケーション、あるいは標準をビジネスに利用することによって、自国の国際競争力の強化をはかるという方針を、一段と鮮明にした。この草案は、後さらに一年の時間をかけて、最終成案とされる予定だといわれる。さらに、この二月には、さきの「NII 諮問委員会」の後継委員会ともいうべき「高性能コンピューティング・コミュニケーション、情報技術、次世代インターネット」に関する大統領諮問委員会が、新たに発足した。
こうして、クリントン政権は、発足後四年間にインターネットへの評価を一変させたことを公然と認めるにいたっている。一九九三年の九月に発表された「全国情報基盤構築の行動計画」の中では、インターネットという言葉は、報告書の末尾の資料入手先のリストのところに一回しか使われていなかったことを想起すれば、この間の変化の大きさは明らかだろう。今年の大統領教書でも、「日本」が一度も登場しなかったのに対し、「インターネット」という言葉は何度も使われていたのは、いかにも象徴的である。
もちろん米国政府は、インターネットの普及や進化を手放しで謳歌しているわけではない。通信品位法の制定や、暗号化技術の利用規制の立法化の試みに見られるように、また、最近のインターネットのドメイン名配分問題に対する政府の介入の動きに見られるように、二一世紀のフロンティアーともいうべきサイバースペースにしかるべき秩序を導入する必要も、充分意識している。その結果、これまでのインターネットを特徴づけてきた分散的管理のシステムに、過去の通信システムの特徴であった集中的管理の要素が再び導入されてくる恐れも生じている。最大の問題は、デービッド・ライテルも指摘するように、サイバースペースには何千万にものぼる多数の智民たちがすでに入植しているという事実への、配慮がたりないところにある。彼らの声を聞こうとする姿勢が充分でないところにある。(他方、智民たちの方も、インターネットを使って政治家に大量の電子メールを送りつけたりすることには熱心だが、既存の産業界のように政治資金を提供して要求の実現をはかるという、現在の政治の枠組みの下では恐らくもっとも有効な手段の採用には、いっこうに無関心である。)
もう一つの問題は、インターネットのための固有のアーキテクチャーをもった地域の通信網の構築の必要を、充分自覚していないことである。アメリカのインターネットは、地域のレベルでも、幹線のレベルでもすべて既存の電話網にほぼ全面的に依存して発展してきた。現在、家庭からの利用者の94% と、業務での利用者の74% が、電話からのダイヤルアップ接続でインターネットを利用している。これでは、全国どこからでも、高速双方向のインターネット24時間接続サービスを、低廉な料金で受けることは困難といわざるをえない。
つまり、第一節で示した情報革命の三つの側面との関係でいえば、米国の既存の情報通信企業の多くは、まだ、その第一の側面にあたる第二次産業革命のパラダイムから脱却しえていない。米国政府は、その第二の側面にあたる第三次産業革命の意義を、相対的により的確に理解しているが、第三の側面にあたる産業化そのものを超える情報化の意義については、まだ理解が不十分だということができよう。
では、日本の場合はどうだろうか。NTT はいち早く、電話会社からマルチメディア事業者への転換政策を表明し、OCN という名のインターネット接続サービスの提供にもすでに踏み切っている。しかし、OCN の構築にどこまで社運をかけて取り組んでいるかと考えると、必ずしもはっきりしないところがある。XDSL技術の利用やその促進のための加入者線心の開放、あるいはダークファイバーの提供による地域の高度なインターネット網の構築となると、さらに消極的な姿勢が目立つ。郵政省や通産省にしても、インターネットの構築と運用にかける意気込みは米国政府ほど積極的とはいえない。
そうだとすれば、われわれの課題は、日本において、そうした欠陥を克服しつつ、本格的なインターネットの全国的展開と、その活用を推進することでなければならない。その中心的方策は、全国各地域に、既存の電話網やケーブル網とは別の(あるいはそれらを補足的手段としては利用する)コネクションレスの地域網としてのCAN (コミュニティ・エリア・ネットワーク)を、一日も早く構築するところにおかれなければならない。そこでわれわれは、その推進に資するための「CAN フォーラム」の設立を、ここに提言したい。
(四)
実は、アメリカにも、コミュニティのレベル(とくに農村部)でのインターネット接続の推進を重要な課題として認識しているグループがある。ビル・ライトが率いる国際テレコンピューティング・コンソーシアム(International Telecomputing Consortium) がそれである。彼らは、全米科学財団の支援を受けて、農村部の学校やコミュニティにとってのインターネット・アクセスへの障害が何かを調査した。その結果によれば、アクセスにさいして長距離料金を払う必要はかなり減ってきている。しかし、専用線にしようと思うと、都市部よりもはるかに料金が高い。また、ユーザーの研修や専門職の養成も急務である。インターネットにつながったというだけでは効果的には使えない。その活用やメンテナンスのできる人材が、少なからず必要になってくるからである。 そこで、同コンソーシアムは、次の八項目の提言を行っている。
以上が同コンソーシアムの提言の骨子である。似たような政策は、すでに日本でも大分のコアラによって、さまざまな形で推進されているし、他にも同様な試みをしている地域はあるものの、ここまで系統的に考えているものは少ないのではないだろうか。とはいえ、この提言は、電話でのダイヤルアップ(や場合によっては従来型の専用線の利用)しか実際上の可能性はないという前提に立っているようだ。しかし、少なくともXDSL技術や、ケーブルモデムなどの利用の可能性は、検討に値すると思われる。
(五)
そこで、最後にわれわれ自身の「CAN 構築原則」を掲げてこの提言を閉じよう。